薩摩藩家老。
島津24代藩主重年から幕府が木曽川の治水工事を命ぜられたとき,総奉行として大工事を完成させた。しかし藩士のうち,切腹,病死合わせて80名を越える犠牲者をだしたことや,藩に多大な負担をかけたことに責任を取り,「住みなれし
里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」の句を残して自刃した。
1704年 生まれる
1748年 薩摩藩家老となる。
1753年 幕府から薩摩藩へ木曽川治水工事の命がくだる。
1754年 総奉行となり,総勢1000名の薩摩藩士を率いて治水工事にあたる。
1755年 宝暦治水工事監視絵。
その後,自害。 |
薩摩義士碑 |
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