父,宇七の次男として生まれる。
父とともに藤原林七にアーチ式の石橋をつくる技術を学んだ。
甲突川五石橋の中の西田橋は,少し他の石橋とは異なり,藩主が参勤交代に利用する橋だったので,三五郎の作った橋でも最も豪華な装飾がほどかされている。
鹿児島県県内には三五郎作の石橋が複数残されている。
1793年 生まれる
1817年 水路橋,雄亀滝橋をつくる。
1820年 現在の八代の開拓校時に従事し,石工共総引き回し役となる。
1840年 鹿児島市の町中を流れる甲突川に甲突川五石橋を川の護岸工事と会わせて架けた。
1851年 亡くなる。 |