頂上にアタック!

アタックの準備をしている内にガス(霧)が立ちこめて来た、その上、風までも強くなっ来た。とりあえずアタック中止にする。次の日も天候は一向に回復しそうにない。
2、3日たっても良くならない。5日目に少し天気は良くなり、アタックしたが、何も見えず、引き返す。食料は長期戦を考え3日目から、1日1食にした。アタック隊には、体力をつけさせる為、1日3食ちゃんと食べさせなければならない。ここでは、もう全員登頂は、あきらめていた。6日目には、限界に近くなり、空腹でしゃべるにのもいやになるくらいだ。日本に帰ったら、寿司やうどんを腹いっぱい食べようと、そんな食べ物の話しか出ない。
 7日目、少し天気は悪いが、最後のアタックに、賀集、上山、北野の先輩3人が出る。祈るような気持ちで送り出すが、かなりのラッセルをしながら進むが、頂上直下200メートル所で、なだれの危険があるため断念。
隊長の素晴らしい判断であった。アタックキャンプからは、なだれを恐れながら、
C2へ、ここで一泊し、次の日、C1を撤収し一気にベースキャンプへ下る。振り返ると、フォーレーカーの頂きだけレンズ雲をかぶったままだ。
女神は我々に微笑んでくれなかった。残念!
 ドンシェルダンと連絡をとり、またカヒルトナ氷河を、二日かけて歩いて帰った。
ルートはわかっているので、行きより速く着いた。まもなく、セスナ機が迎えに来た。
ドンシェルダンが、両手いっぱいに、スキムミルクをくれた。この素晴らしい山々を、もう少し見ていたかったけれども、立ち去らなければならなかった。もうみんな疲れているのか一言もしゃべらなたった。
 タルキートナーでは、キングサーモンを釣ったり、食べたりした。その後、子供達やシェルドンと別れを告げ、一直線に、アンカレッジに向けひた走った。
こうして二十日あまりのMt.フォーレーカー遠征は、終わった。
 初めての海外、今までの人生の中で、一番のインパクトであった。それは若かったからであろう。広い大地を見て、日本に帰ったら、なんて狭くて、人が多いのだろうと思った。二十日間といえ大自然の中にいると、心まで広くなったような気がした。
こ遠征が、少なくとも、自分の人生の大きな大きな一歩であったと思う。

 

       アタックに向かう賀集、土山、北野隊員      アタックキャンプへ向かう途中で