植村直己が僕に残してくれた言葉

青春を山に賭けてより


若いころの登山と人生の師匠

どんな小さな登山でも、自分で計画し、準備し、ひとりで行動する。これこそ本当に満足の行く登山ではないかと思ったのだ。

人の目につくような登山より、このエーデルワイスのように誰にも気づかれず、自然の冒険を自分のものとして登山をする。これこそ単独で登っている自分があこがれていたものではないかと思った。

ひとつのものが終わると、またつぎの新しいものがはじまる。私の気持ちはいつも新鮮だ。

自分で危険に直面せず、他人に言われただけで中止するとはまったくいい訳にもならない。

人の意見も、とうぜん重視しなければならないが、その意見にしたがってばかりいては何もできない。人にいわれてやめるのではなく、自分で実際に直面して肌で感じとり、それでできないと思ったらやめ、できると思ったらやるべきではないか。

過去ばかりあれこれ思い出して、センチになっているわけには行かない。自分は現在に、未来に生きなければならないのだ。

こうして一つの目標に向かってすべてを傾けるのはすばらしい事だ。

自分の力で切りぬけられるときは、祈るよりも立ち向かうべきことを学んだ。

『百里の道は九十九里をもって半分とする』

山登りはたとえどんな山であろうと、自分で計画し、準備し、自分の足で登山する。その過程が苦しければ苦しいだけ、それを克服して登りきった喜びは大きい。