初めての海外遠征

1973年7月、いよいよアラスカに出発だった。会社には、一ヶ月の休職届を出し、もしもの事を考え2000万円の保険に入り、彼女には、生きて帰れるかどうかわからないと・・・・・
山への不安も抱きながら、初めての海外に旅立って行くのであった。
 羽田から、飛行機で8時間ほど飛びつづけ、閑散としたアンカレッジ空港に着いた。
季節は、日本の秋に似てさわやかな気候である。空港で7〜8人乗りのステーションワゴンを、レンタルし、近くのキャンプ場を探し、とりあえずテントを張り、町に出る。一ヶ月分の食料を購入し、次はXXXXと書かれたポルノショップでノーカットのビデオを見、H本数冊購入した。これが後で、困ったことになった。キャンプ場は外人ばかりで、当たり前のことだけれど、まじかで見る外人はえらい恐ろしくでかい。

タルキートナーにて、プッシュパイロットのシェルダンと仲間たち

一路タルキートナーへ

今回の遠征メンバーは、山口隊長、賀集、上山両リーダーと北野さん、安さん、私の6名である。次の日、ガソリンを満タンにして、タルキートナーに向けて出発した。
左ハンドル右側通行に、最初は交差点などで戸惑ったが、不思議なものですぐに慣れてきた。アンカレッジからタルキートナーまでは、二日がかりである。行けど行けど、原野が続く。道は4車線ぐらい広く、直線の先が陽炎で見えないくらいだ。時速100マイルおよそ150Kmぐらいのスピードを出しても、スピード感は全然感じない。国際免許証は、上山先輩と私の二人だけれども、全員が、かわるがわる運転した。日本の免許証も持っていない人も運転したが、別にどうってことはなかった。
 途中、ヒッチハイクのアメリカ娘が、乗ってきたけれど、後の荷物の中から、ポルノ雑誌が、座席に落ちてきたので、30分ぐらいで降りてしまった。残念!
 今日は、丁度半分くらいのところで、キャンプをする事にした。川の近くにテントを張り、食事の準備をしていると、何やらわめきながら、一人の白人が近づいてきた。凄い剣幕で、しゃべくりまくるが、何を言っているのかさっぱりわからない。やたらフィッシングだのキャンピングだのの言葉が出てくる。よく見ると腰のあたりに、銃を差している。それも裸の銃で、『ありゃ−本物だー』とみんな超びびり、動くことも出来ない。よく話を聞くと、どうも森林警備隊みたいで、ここはキャンプ場ではないので、ノーフィッシング、ノーファイヤーと言っている。少し英語のできる賀集先輩が、ノーフィッシング、ノーファイヤーと必死に説明し、キャンプだけは、許してもらうことが出来た。何も知らない事といえ殺されるのではないかと思った。