登山狂の詩

 入会するまでは、知らなかったけど、この関西登高会は、関西でも、一、二を争う過酷な山岳会で、ちょくちょく死人を出していると言うことだ。入会最初のミーティングでも、この話が、議題であった。しまったと思ったけれど後の祭、もう後には下がれない。
 毎週土曜日の夜は、大きなザックを背負い、寮を出て行き日曜日の夜帰ってくる生活パターンになっていた。こうしてだんだん深みにはまって行くことになる。
 十二月は、厳冬期の富士山へ、つるつるの氷の斜面を滑落し、死に目に会ったり、冬合宿は、後鎌尾根から西穂高岳〜前穂高岳までの厳しい稜線を縦走し、三月は、剣岳、五月には前穂高岳のAフェース〜Dフェースを登り、充実した山行をして行き、着実にロッククライミングや冬山登山のテクニックを身に付けていった。
 そして三年目、ついに憧れの海外遠征へのチャンスが訪れる。アラスカMt.フォーレ−カーへの遠征である。Mt.フォーレーカは、Mt.マッキンリーに続くアラスカ第二の山で、標高は、五千メートル。ターゲットは、東南稜で、日本人初登頂になる。
 一年前に、計画があり、どうしても行きたいため、涙ぐましい努力が始まった。
まずは、資金作りであった。特に食料を押さえるため、寮の食費はカットし、その分合宿で余った乾燥米、ラーメンなどで出来るだけ、押さえる努力をした。
でも、それも一ヶ月とはもたなかった。が出来るだけぎりぎりの生活をし、行くまでに二百万近い資金を貯める事が出来た。
体力的にも冬は、毛布一枚で寝たり、寝袋で、ベランダに寝たり、半パン半シャツでランニングをし、鍛えた。こんな事を寮でやったものだから、寮母から「あなたは気違いだ」と馬鹿にされたが、その時は、アラスカの山しか頭になく、思いたければ思えと相手にしなかった。

西鎌尾根から剣岳を望む