のぞき見「つれづれ日記」

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2003.12.31
・「今年は目標に狙っていた3ヵ所の山に計9回登山出来たから良い年だったかなぁ」→「来年はどちらの山を目指されるのですか? 良いお年をお迎え下さい。」
・「今年はきつかったなぁ。だって役員は給料なしなんだもん。儲けにならない誘いばっかりで…。フウゥー。」→「大晦日にそんな話は止めましょうよ。暗くなりますから…。まぁとにかく良いお年をお迎え下さい。」
・「今年は良い事もなかったし、かと言って悪いこともなかったし…。まぁまぁの年だったかなぁ。」→「“悪い事がなかった”って言うのがスゴイじゃないですか。まぁまぁが一番平和でいいですよ。良いお年をお迎え下さい。」
 今日何人かにお聞きした今年の感想のうち3つと私の応対。適切な応対かどうかはさて置き、このお客さんの言葉と私の言葉の組み合わせを変えてみると面白い(?)ものになってしまう。

2003.12.30
 わさび巻きがどれだけ美味しいか。これを説明させたらそのお客さんの右に出るものはいないんじゃぁないか、ちゅうくらい。聞いていると本当に食べたくなるし、本当におなかが減ってくる。そのお客さんを見ていて思うのは、「“物事を表現する力”と読書量とは比例する」という事。
 そのお客さん曰く、わさび巻きをたくさん食してみて出た結論は、「同じように見える山葵でも、1本1本性格が違い、アタリハズレがある。」と言う事、だそうだ。

2003.12.29
 「家内に頼まれて本を買いに来たんやけど、人の本探すのは難しいなぁ…。」とブツブツおっしゃっていた。確かに人の本を探すのは難しい。特に「何でもいいから」というのは難問だ。ちょっとでも力になればと思って「そぉですねぇ…。奥さまはどんな作家さんをいつもお読みですか?」と水を向けてみた。「いやー、いっつもこの店に来てなんやかんや買ってるみたいやねんけど…。」
 「んん?! あれっ? “いつもいらっしゃる”ってどちら様でしたっけぇ?」と少々焦って尋ねた。 ご主人を見ても常連の奥さまの顔までは想像付かない。「いつもは○×とか買ってるはず…。」と聞いて冷静を装いつつ、頭の中のページを大急ぎでめくった。
 「では奥さまによろしくお伝え下さい。ありがとうございました。」とご主人を送り出した後でホッと胸を撫で下ろしたのは、私の頭の中で“奥さまの顔”が確定し、その人が読みそうないつもの系統の本を4,5冊なんとかみつくろって、買って頂く事が出来たからだ。
 もし思い出すことが出来なかったら……。

2003.12.28
 ここ最近は郵便配達が若いにぃちゃんになっている。正月の年賀状に向けて特訓中なのだろう。高校生と思われる子がこの寒い中、自転車をこいで配達する姿を見ると、今様にずんだれた格好はしていても「ご苦労さん。がんばって!」を言いたくなる。こんな風に鹿児島の高校生を見ていてその大変さを感じるのだから、雪の北海道なんかでの郵便配達のバイトは想像付かないくらい難儀なんだろうなぁ。時給は違うのかなぁ…。

2003.12.27
 店でちょっとした問題を起こした当時高校生だった彼が、この頃バイト帰りに店にまた寄るようになった。あの時はこっぴどく叱って、彼もただひたすら謝るだけだった。もぉ店に来る事はないだろうと思っている内に時間が経ち、いつの間にか彼も仕事をしてお金を貰うようになっていた。
 「ほしい物をお金を出して買う」その為に「働いてお金を稼ぐ」。当たり前のようだが彼はそれがちゃんと出来るようになっていた。それだけでも嬉しい事だし、“お金をもらう大変さ”や“イヤなお客(さん)”について話し合えるようになった事が何よりもうれし楽しい。

2003.12.26
 「生まれて初めて読んだ本は何ですか?」というのをお客さんに尋ねる事がたまにある。今日の戦前生まれのお客さんは『ああ無常』という事だった。厳密に初めて読んだと言う物ではなく、そのお客さんが小学校に時に先生が朗読してくれたらしく、「あぁ、こんな世界があるのだぁ。」と心はずみ、以来本にのめり込んで行ったとおっしゃる。
 そう言う意味では『ああ無常』はとっても意味のある大きな1冊で、しかも“先生が朗読してくれた”と言うのが良い話しだなぁと感じた。

2003.12.25
 「あらぁ、お久しぶりですぅ。」と切り出したのは私の方。よく考えてみれば店にいらっしゃるのは今年は今日が最初じゃあ〜りませんか? で、次の言葉「開けましておめでとうございます。」と年始の挨拶をしたら笑われた。今年初とは言え、クリスマスの日に“あけおめ”もないもんだと考えながら、最後は「良いお年おぉ!」で締めくくった。年の暮れにもいろんな事がある。

2003.12.24
 そんなに長くないつもりであったが、つい話し込んでしまった。「そろそろバスが来ますんで…。」を区切りに帰って行った高校生であったが、あっという間に店に戻って来た。どうしたのかなぁ? と思っていると、「バスが目の前を通り過ぎて行きました。」との事。それからはただただ謝りどおし。「ごめんねぇ。話し掛けたばっかりにバス1本乗り損ねちゃったねぇ。ごめんねぇ。」
 バス停が近いからバス待ちのお客さんがいらっしゃる。そんな方たちがバスに乗り遅れたりしない様に店の時計を10分ほど進めてある(遅れた時計よりマシであろうと思って)。そんな小細工をしているのに、今日みたいに乗り遅れる人が出るのは、ひとえに私が話し掛けるのが悪いのだろう。

2003.12.23
 「あのぉ、これいくらですか?」と聞いてきたのは、お母さんと一緒に来た小学生ぐらいの男の子。「まだ買うわけじゃぁありませんが、これいくらですか?」とカウンターに持って来たのは、私が中学生の頃に流行ったちょっとしぶ目の昔のマンガ。「○×円だよ。」と答えると、すこし離れた所に居た母親に値段を報告に行った。
 どうやら出資者の母親のOKが出たのだろう。こんどは母親と共にマンガを持ってカウンターに来た。私が会計をしながら「でもしぶいのを読むんだねぇ。」と言うと、「おじいちゃん(?)の家にあって、読んだら面白かった。おじいちゃんに“ちょうだい”って頼んだけどくれなかったから買いに来た。」と言い終わると、大事そうにマンガを抱えていた。
 帰りがけに「おかぁさん、ありがとう。」と小さく言っていたのが聞こえた。美しい言葉だなぁとうれしくなった。

2003.12.22
 私が住んでいるビルの1階には電器屋があり、2階はその倉庫になっている。朝起きて店に行こうと1階に降りてみると、消防車とギンギラの燃えない服にヘルメット姿の消防士が多数。「火事やろか?避難せんなぁ!」と思ったが、よく考えてみるとサイレンが鳴った気がしない。火事ならサイレンをワンワン言わせて飛んで来るだろうし、直前まで寝ていたとは言えそのサイレンのうるささに起されなかったとは考えにくい。サイレンも鳴らさずに来たのか??
 まぁ多分大丈夫やろと思うてそのまんま店に向かったけれど、物々しいいでたちの消防士がわんさか階下に居てたら、そら一瞬びっくりするでぇ。

2003.12.21
 読む分には大丈夫やけど、これはちょっと売りモン(カバーがないとか)に出来んなぁ、捨てよかなぁ、でももったいないなぁ、て思っている所にお客さんが来て、しかもよく買ぉてくれはる人やったりしたら「良かったらついでに読んで見て下さい。」ておまけにあげてしまう事がたまぁにあります。そんでそのお客さんがまた次に店に来はった時に「いやー、この前もろたおまけの方が買ったヤツより面白かったわぁ。」なんて言われますと、本も無駄にならずお客さんの役にも立って「あぁそれは良かったなぁ。」てまぁ単純に思いますけど、半面複雑な気持ちにもなります。
 「ほんだら、お代をしっかり頂戴したんはつまらん本の方で、それでメシを食ってしもた事になるんやなぁ。申し訳ないなぁ」って。

 

2003.12.20
 中学1年で身長が177a、まだ伸びているとお母さんがおっしゃっていた。ベットを変えなきゃもぉ寝られないそうだ。当の本人は後から店にやって来てしばらく話をした。ぶるいの飛行機好きだそうで、特に旅客機に詳しい。私もそこそこ飛行機が好きだったので、今までにどんな飛行機に乗ったか、という事で結構盛り上がった。
 興味のない人が聞いても面白もなんともなかっただろう。これが趣味の世界に浸る醍醐味の1つでもある。飛行機はいいなぁ(^^)v

2003.12.19
 「うちのやつに“歩けっ”って言われて、週に3日は歩いてウロウロしとります。」と、その途中に本を買いにいらっしゃるご年配の男性。線が細い方で1人で歩いていて大丈夫かいな、といつも思っていたが、まさか雪のちらつくこんな寒い今日、外を出歩いていらっしゃるとは思わなかった。
 まぁ人間、ぬるま湯に浸り続けていてはダメになり、ある程度の寒さに皮膚をさらさないとちょっとした弾みで風邪などひき易くなるとは思うが、それでもこの寒さにその薄着じゃぁなぁ、と輪をかけた心配の眼差しで後姿を見送るのであった。

2003.12.18
 そのお客さん(♂)でさえ私は顔見知り程度なのに、そのお客さんの知り合いの離婚問題を私にいきなり相談された所で、古本屋の私にははっきり言えることはほとんどない。むしろいい加減なことを言って迷惑かけてはいけないと思う気持ちが先に立つ。
 それでも事情をとくとくと説明された。ちょっと複雑に入りくんでいて、ちょっと耳にも“素人では解決は無理”と思えた。六法片手にあぁだこぉだ言うより、専門家を頼った方が最短で確実に事を運べる。専門家のとこへ行く事をその知り合いに勧めるべきだ、としか言いようがなかった。

2003.12.17
 「入院している人に持って行こうと思って…。」と言われれば、ははぁん、値段シールを取ってと言う事かぁと思い、パリパリとはがし始めた。「本を持っていくことを約束したけど、私の本じゃ趣味が違うだろうし、上げるの勿体ないから…。」と本音が聞こえた。
 確かに、他人に上げるまでもなく、貸した本と言う物はほぼ帰ってこない物、と腹をくくった方が間違いがない。

2003.12.16
 買い取った本に写真が挟まっていたのはだいぶ前の事。見ればお客さん本人とご両親らしき3人で写っていた。そのお客さんはたまにいらっしゃる女性で、お父さんがこの間亡くなったという話をした時に買い取った本に挟まれていた物だった。ただ写真に気付いたのはお金を払った後の事なのですぐには返せず、かと言って処分して良いような写真でもなさそうな気がしたので、この次来店されるまで預かる事にしていた1枚の写真だった。
 写真を元の持ち主に返せる日がやって来た。今日だった。家族3人で写った写真はそれ1枚だけだという事で、ことさら喜んでいらっしゃった。ホッとした。

2003.12.15
 先日置き引きに遭ったおじいちゃんが店に来られた。寒い中今日年金関係の手続きを済ませて来たとおっしゃっていた。そこまで困っていらっしゃる様には見えないし返って失礼かなぁと思いつつ、私に出来る事と言えば他に思いつかなかったので、少し多めにおかずを作って弁当箱に詰めて渡した。
 お口に合っただろうか? 失礼じゃなかっただろうか? とドキドキしている最中である。

2003.12.14
 「なんか面白い本はないかね?」と聞かれたので、気楽に読める所で永六輔さんの「妻の大往生」をおじいさん(昨日とは別の人)に渡した。「うちのばぁさんが入院してゼエゼエ言っている時に縁起でもない!」とポロッと怒られてしまった。失敗しっぱい大失敗。

2003.12.13
 好きな時代小説をよく買いに来られるおじいちゃん。今日はボソリと「置き引きに遭って…。」 病院での診察時に待合室脇の椅子に脱いだ服をかけておいたらポケットに入れておいた物をやられたと言う。何でもそんな日に限って持って歩いていた通帳と印鑑。おじいちゃんの代理と称して即引き出されてしまったらしい。犯人は34歳女性の常習者との事だった(と言う所まで判っていながら捕まえられない)。
 通帳と印鑑がないと年金を受け取ることが出来ず、申請し直すにしても受給は来年の事の様だ。おじちゃんは正月をどう暮らそうかと肩を落としていらっしゃった。私にスパッと何か出来る事でもあれば良いが、と思案しつつ「気を紛らわす為に本持っていかれたら?」と言っては見たが、本なんか読んでいても「“どぉしようか”という事が頭をグルグル回って集中出来ない」とおっしゃる。全くその通りだろうなぁ。
 物騒な年末もやって来た。この様な気の毒な事が起こらないよう皆さんもくれぐれ気を付けるしかありません。

2003.12.12
 おばちゃんが3人ぞろぞろと店に入って来た。まぁ賑やかなこと賑やかな事。めいめいが好き勝手な事言いながら店内をグルグル。その内のお1人が「料理の本はないの?」と来たので、それらしい物を置いてある所を案内した。尋ねたおばちゃんが適当に物色していると他の1人がガツンと一発言い放った。「あんた、本買ったって作らないやない!」
 それを言っちゃ終しめぇよ、と思いつつおばちゃんの言い方がなんか面白かったのでクスッと笑ってしまった。

2003.12.11
 お客さんの携帯が鳴った。ははぁ〜ん、どうやら飲み屋さんからの誘いの電話の様だ。この時期だからと言う訳でもないのだろうが、甘い声でそれとなく誘われれば男は悪い気もしない。
 結局そのお客さんは本の清算を済まされた後、暗がりの中に消えて行かれたが、やっぱりなじみの店に顔を出してしまう顛末になったのでなかろうか。携帯の会話をそれとなく聞いていると、頭の中でいろいろな物語が出来上がってくるが、今日のは想像し易すぎた。

2003.12.10
 人が何に興味を持つのかは、予想がつかない。その人にとっては頭の中でアナログ式につながっているのだろうけれど、「○○の本入ってないかぁ?」と聞かれた時には、「あれ? この前は別の物を追っかけてたはずだがなぁ…。」てな事になってしまう。聞かれる方はデジタルでしか受け止められないのだから。
 昨日は漢詩の本、今日は刑法の本。明日は何の本をご所望されるのだろうか?

2003.12.9
 ようやく冬が来たと言う感じだ。鹿児島でも氷点下の所があったらしい。今までが暖か過ぎたせいもありことさら寒く感じてしまう。この寒さで体調を崩す人も多かろう。
 奈良で育った私は寒いのが好きだ。寒い時こそ背筋をピンと伸ばし冷たい空気を深呼吸して風を切って歩いていると、火も知らなかった原始時代の先祖達の感覚を味わっている様な気になって来る。

2003.12.8
 「この前までここにあった本はどこ言った? 売れた?」といわれる事がままあるが、ひょっとしてお客さんの方が私なんかよりもずっと在庫を知っていらっしゃるんじゃないかなぁと思ってしまう。
 本のデータを打ち込んでは棚に並べる作業を繰り返しているといつの間にか、「あれはどこにやったっけぇ? どんな本やったっけぇ??」という事になりかねない。だからと言って常連のお客さんに本のありかを聞くほど恥ずかしい事はないし…。

2003.12.7
 30を越して社会人野球チームに所属しているお客さん、今年のシーズンを終え12月は試合もなくあるのは忘年会だけだと言う。この人に野球の話をふったら終わらない。ピッチングからバッティング、守備の調子まで事細かに私に報告と分析をなさる。私は野球はあまり得意な方ではないのでちょっとした質問をはさみながら延々と聞いている。他のお客さんの事もあるのし、その内だんだんと疲れてくるのだが、“野球”を語る時のその人の生き生きとした目を見ていると、プロ野球の選手ともなれば、それこそ計り知れないぐらい“野球”が好きで好きでたまらないんだろうなぁ、と想像してしまう。

2003.12.6
 「いくら病院の車を乗ってきた老人介護のヘルパーさんとは言え、駐車禁止の場所に車を止めるとは何事か!」と私に怒りをぶつけられた。なんでもそれが為にご自分の車を駐車場から出すのに難儀することがしょっちゅうとの事。そりゃ頭に来るわなぁ、と思いつつ話を聞いていた。
 「老人介護で良い事をしに来ているのか、人に迷惑かけて悪い事をしに来ているのか判らない。その病院の程度が知れる!」 これは何もその病院だけじゃない。本の出張買取先のお宅付近で、「まぁ少しぐらいいいかぁ」と車を離れるわが身も犯してしまう悪事になりかねないのだから…。

2003.12.5
 これ又たまぁに来ては世界文学全集を1冊ずつ買って行かれるお客さん。なんでもアパートの隣の住人が何の恨みかいつも夜中にドタンバタンやるもので、眠れないからぶ厚い文学全集を壁に積み重ねて防音するのだそうである。そしてついでの時に読むのだそうである。

2003.12.4
「こうしてたまぁに顔を出すとひょっといい物が見つかる時があるんだねぇ〜。」と気が向いた時にふらっといらっしゃるお客さん。
 「私としては毎回『これは!!』って言うものを紹介したいんですけど…。」と売る側のわたし。
「それは困る。それじゃぁ年金が続かない。毎回じゃなくって、たまぁに来て小遣いで買える範囲の本を掘り出すのが楽しいんだから。」
 「まぁそう言われればそうですね。毎回何か見つけないといけない“義務”みたいになるとこっちも肩が懲りますもんねぇ。」

2003.12.3
 大学時代からの友人がマウンテンバイクに乗って店にやって来た。年頃のせいかそれなりに悩み多い生活を送っている様であったが、来年の占いが殊の外良かった様で、何か話しにつけ「来年!来年!」を連呼していた。仕事納めの話もしたし、そぉ言えばもぉそう言う時期なんだなぁと感じたが、鹿児島の昼間の暖かさを体験しているとこれが“年の瀬”かと思ってしまうし、いづれ来るだろう寒波がより一層恐ろしいものになってしまう。

2003.12.2
 ここ数ヶ月にわたって時間を見ては通っていた歯医者での治療が終了した。最後は歯垢を落としてもらって歯磨き講習をしてお疲れさま。大学時代からお世話になっている所だが、不精がたたって結局痛くなってからしか駆け込まないのがいけない、半年に一遍は来ようと心に誓うのは毎度の事で、今回も例に洩れず来年6月頃に再びお世話になろうと思っている。「治療」より「予防」と心に刻んだのである…。

2003.12.1
 今集めているマンガは一体何巻で終わっているのだろうか? という事が疑問のお客さんが案外多い。そんな質問には、知っている範囲・わかる範囲・調べられる範囲で答えているが、今日来た高校生はすでにあちこちの古本屋を回ってきたのか、随分とくたびれた様子で「タッチの27巻ありますか?」と聞いてきた。一瞬「ん?」と考えたがあだち充の“タッチ”は26巻で完結だと教えなければ、この先延々と幻の27巻を探し回る事になったに違いない。「なぁ〜んだ。」と少し照れながら帰っていった。

2003.11.30
 「30代の先輩と飲んでいても遊びの話ばっかでつまんないですよぉ。どおして興味ないんですかねぇ…。」と愚痴る彼は25歳のお客さん。彼の最近のもっぱらの関心事は“中東情勢と自衛隊のイラク派遣”。30代に限らず飲み会でこんな話を持ち出されても関心のない人が多いだろうなぁ、平素ならともかく…。
 校内暴力が始まりだして、それを抑えようと学校も先生も生徒を厳しく管理し、勉強以外に興味を持つ事を許されなかった世代がちょうど今30歳前後ではなかろうか? 大人になって管理してくれるものがなくなり箍が外れた反動で、“遊ぶ”事に熱をあげたり、30代の「後先を考えない短絡的な犯罪」の多さに結びついている気もする。

2003.11.29
 店内をウロウロする人にも色々ある。今朝は小学校低学年の男の子が店内をウロウロしてはマンガを取り出し、財布の中身とにらめっこして本棚に戻しまたウロウロ…。こういう光景はかわいいが、これが中学生ぐらいのウロウロだと、悪巧みでもあるんかいなとつい目線で追ってしまう。そしてご年配のウロウロになると「お探ししましょうか?」と声をかけるタイミングを計ってしまう。

2003.11.28
 ドラマや映画より先に原作本や関係本を読んでないと気が済まない。一瞬でも映像を見てしまったらその瞬間から本は読みたくなくなる…と。やはり映像から来る先入観というものが非常に強いと言う事だろう。でも映像のインパクトが勝つ事はなく、たいがいガッカリしてしまうものよ。やっぱり本がいいねぇ、とおっしゃるお客さんが取り急ぎ読んでおかなければならない本は“新撰組”らしい。

2003.11.27
 “木のお医者さん”のお免除を持っていらっしゃるけれども、まだまだ人に教えるには勉強が足りない!と熱心に木の本を探しておられた。おととし大病で入院されてからしばらく見かけなかったお客さんだったので心配していたが、なんのなんの今では元通りピンピンなさっていておまけに資格まで取られていた。
 年齢からは想像出来ないそのバイタリティに頭が下がった。

2003.11.26
 まぁ後で処理しょ、と思って端の方に横積みしている物の山の方が人の興味を引きやすく、よぉそんなとこから見付けて引っ張り出しはりましたねぇ、という本がひょっこり売れたりする。そんなことならいっその事全部横積みにした方が面白いのかなぁと思うがそれじゃ足の踏み場がなくなってしまうか。

2003.11.25
 車椅子でお越しのおばあさんに「このところ暖かくって外出も楽でしょう。」と申しました所、「いやいやあたしゃ暑いより寒い方が好きだ。」と仰られました。「寒いのは着ればいいけど、暑いのは裸になったらもう脱ぎようがないじゃない。それに満州に居たからねぇ、満州は寒かったよぉ。」と仰られる。
 お歳もお歳の90歳。風邪をひいては大変だと思い申し上げましたが、なんの何のその昔に鍛え上げられた“寒さ”に対する“慣れ”の方が未だに勝っている事に私は驚き申し上げました。

2003.11.24
 「世の中が休みなのに営業回ったってダメだってぇのに所長が行けって言うから行って見たけど、イベントイベントで道は混むし、回った会社に人はいないし…。成績悪いのにあんまり早い時間に事務所に帰れないからちょっと時間をつぶさせてねぇ。」とおじさんが言っていた。時間をつぶしてから事務所に帰ったところで成績の悪さを所長になんて説明するのかなぁ。「どっちみちガラれる(怒られる)よぉ」とおっしゃっていたが辛い所だ。

2003.11.23 勤労感謝の日
 宴会場でお仕事をなさっているお客さんがおっしゃっていた、「明日(日曜日)は午前中から300人ほどの宴会が入って忙しいですよねぇ」と。昼食を兼ねての宴会だろうか、お天道様が真上にある内に宴会というのも気分がいいだろうなぁ。
 でもそれに合わせて揚げなければならない春巻きが300本以上。300冊の本は想像がついても綺麗に揚げられた300本の春巻きは想像がつかない。

2003.11.22
 今日はチャペルで華やかな結婚式が開かれているのを横目で見た。結婚式シーズンなのかな…が結婚式シーズンに違いない!と自らの頭に勝手にすり込んでしまったようだ、と言うか確信的に思い込んでしまった。
 日が暮れてから店にいらっしゃったお客さんは礼服を着ていらっしゃった(ネクタイははずしておられた)。結婚式の帰り以外には考えられない。なぜならば“シーズンなんだから”とばかりに、私が「結婚式はどうでした?」と尋ねたら、「いや、お通夜の帰りで…」と来たもんだ。
 はずしていたネクタイの色が“白”ではなくて“黒”だったとは全く想像せず、とんだ気まずい思いをした。

2003.11.21
 別に記念日という訳でもないのに今日はプレゼントを下さるお客さんが不思議と重なった。朝イチの菓子パンに始まって、板チョコ、豚味噌、加治木饅頭とそれぞれのお客さんがめいめい分けて下さった。一人で店をやっていると色んな方が気を使って下さるのに、頂くしか脳のない私はかなりずうずうしい奴だと我ながら思ってしまう。間違いなくおいしく頂きました。ご馳走さまでした。

2003.11.20
 いつもは週末にバスに乗って遠くの寮からやってくる高校生君が、今朝は平日なのに開店と同時に入って来たのでちょっとびっくりした。しかも制服を着ている。どうしたのかなぁ、と思いつつも尋ねる間もなく向こうから答えがやって来た。「いったん実家に帰って、それから受験で東京に行くんですよぉ。」ですと。
 推薦枠を使っての大学の受験で、面接のみと言うから、“がんばって”というのも可笑しいし、“気楽にね”というもの軽すぎる。送り出すときになんて言おうかと考えいる内にとっとと行ってしまった。

2003.11.19
 古い文庫本でカウンターの上に何気なくポンと置いていた石川達三の『悪の愉しさ』を目に止めた初老のお客さんがポツリと言った。「大学生の時にこれを読んで、自分にしか判らない“悪”という物を知って覚えたんだよなぁ…。」と。
 そんな風に言われると俄然読みたくなってしまう。

2003.11.18
 生活の一部に登山が含まれているお客さんが先日屋久島の宮之浦岳に登っていらっしゃったらしい。ちょっとした山に登山となるとそれなりの装備がいる。その中には飲料水も含まれる訳だが、水は重く、かと言って省くと命取りになりかねない。それでも宮之浦岳だけはちょっと違うらしい。登山途中至る所で水が湧き出しているのだから、小さいペットボトルを携帯し、飲み干したらそこら辺で補充すれば良いので、装備がそれだけ楽出来るのだ、と教えて貰った。
 なるほどと思うと同時に、屋久島のその美味そうな湧き水を飲んでみたくなった。

2003.11.17
 人間が一度は通る“死”に係わる職業『葬儀屋さん』に講義してもらった。なるほど粛々ととりおこなわれる葬儀の雰囲気とはガラッと違った世界も裏っ側にはあるもんだなぁ。まぁいずれにしても人間のやる事だから表も裏も有るのだろうけど、今日聞いた裏の話はちょっと言えない。

2003.11.16
 ここん所暖かい(暑い)日が続いている。道路整理をやっていらっしゃるお客さんに「こう暑いと、しんどくないですか?」と言うと、「夏よりマシですよぉ」と答えが返ってきた。そりゃそうだ!と思った。

2003.11.15
 先週近くのバス停に沢山の荷物を持っている人を見た。その人がバス待ちで店に入って来られた時は手ブラに近い状態だったので、重い荷物を停留所に置いたまま来られたのだろうと思った。そして本の会計を済ませて店を出て行かれた。ここまでは取り立てて云うほどの事もない日常なのだが、しばらくして外を見てみると、1台のパトカーが止まっていて、警察官とさっきのお客さんがなにやら話している。私が横から割って入るわけにも行かないので、どうしたのかなぁと思ってその日は終わった。
 今日そのお客さんがまた店にいらっしゃったので、「この前はどうされたんですか?」と尋ねてみると、バス停に置いていた荷物が盗られたから警察を呼んだのだと教えてくれた。バス停に置いていた缶コーヒー30本入り1ケースが盗難にあったのであった。

2003.11.14
 髪を切ってもらう時に交わす会話というのもなかなか面白い。昨日髪を切って貰ってもらいながらしゃべっていて「ふぅ〜ん」と思ったのは、本当かどうかは分からないが、切る人の血液型によって出来上がりが変わって来るという事(ほんまかいなぁ)。例えばA型はと言うと、冒険や実験などなくきちっと(それこそミリ単位で)仕上げるのだとか、逆にB型だと、“冒険してみたい”構想が頭にあふれ、でもお客さんの要求とは違ってくると当然お客さんに合わせなければならない(似合ってないのにと思っていても)。するとストレスがバンバンたまっていくのだと言っていた。昨日私の髪を切ってくれた人はB型らしい。私の頭は実験台だったのだろうか…。

2003.11.13
 「ねぇ見てみて」と隣のマンションに住むお客さんが新聞を持って店にやって来た。見てみると本についての投書特集にその方の書かれた文が載っていた。「へぇー」と思って読んでみると、私が登場していた。
 この日記にお客さんによく登場して頂くが、逆の立場になって自分が登場する文章を読めば、なんだかこっ恥ずかしい物だった。

2003.11.12
 うちのバスタブの下にはどうやら未知の昆虫が生息しているらしい。クモでもなくゴキブリでもなく得体の知れない不思議な形態をした虫を目撃した。ひょっとしたら身近な昆虫が独自の進化、あるいは突然変異を起こしたのではないかと想像が悪い方向へ膨らんで行く。退治しようにもバスタブごと退けるのが不可能であるので、潜り込んでしまえば次の機会を待たねばならぬ。その間にも子孫を増やして行くかも知れない。ミテクレがせめて蝶の様だとそっとしておく気にもなるのだが…。

2003.11.11
 今日はやたらとパトカーが多いし、網付の警察バスが列をなして道を走っていた。なんぞあったかなぁと考えてみて、思い当たったのが今月予定されている鹿児島行幸だった。その予行演習でもあったのだろうか…?
 道端に並んで日の丸の旗を初めて振ったのは小学4年の時、昭和天皇が奈良にいらっしゃった時だ。学校総出で沿道に整列し、訳の分からぬままバサバサと紙の国旗を振っていた。確か晴れだったと思う。

2003.11.10
 ♪トントン トントン 釘を打つ 藁の人形 …、ふとした折に頭の中に流れる曲がある。中学生の時に深夜ラジオで聞いた山崎ハコの「呪い」という歌。聞いた所で明るい箇所は何にもなくて、ただただ暗い歌なのに何故か記憶の片隅にこびりついていて、たまに頭の中でグルグルと歌が巡る。今日はその日。

2003.11.9
 特に理由があったわけでもないけど、なんか苦手やなぁ、と感じていてこれまでろくすっぽ挨拶もしてこなかった近所のおじさんが、「足の怪我は治ったかぁ。」と聞いてきたので、「あぁ、大丈夫ですぅ。おかげさまで。」と答えた。数日前に自転車のタイヤに足をはさんで怪我をしたのをどこかで聞きつけはったみたいだ。
 これまでの期間の“なんとなく話しかけにくいなぁ”状態も、こういうちょっとしたきっかけでもあると話し出来るし、1度話しが出来てしまえば、次に会った時も「どぉもぉ〜」ぐらいの挨拶は簡単に出来る様になる。要はキッカケ待ちだったみたいだ。

2003.11.8
 型にはまるのが良いとは思わないが、ペースを乱されるとその後がグダグダになり、ペースを取り戻そうとすればするほどドツボにはまっていく。こういう時はドラえもんの“どこでもドア”を使って一瞬にして無人島に行き、頭を空っぽにしてしてリセットした方が何かと近道とは思うけれど、結局はしょっぱなの“どこでもドア”という所で頓挫してしまう。

2003.11.7
 100年前とまでは言わないが、それに近いコダック社のカメラが1台店にある。ズラッと並べられるほどカメラもないので店に陰にひっそりと置いているが、それでも時たま目に止めて尋ねられるお客さんがいらっしゃる。何十年か前に初めて手にした写真機の話や、家族で出かけた時の白黒写真の話などそれぞれの方にそれぞれの思い入れがあり、それはデジカメやカメラ付携帯ではちょっとひねり出せないだろう話を聞かせてもらう。写真機がちょっとした家宝だった時代の話を…。

2003.11.6
 11月だというのに、今日の鹿児島の最高気温は29℃。暑い盛りである。寒いよりは暑いほうが良い様な気もするが、どうせ寒さが来るのである、また急に寒くなって体調を崩すほうが心配になってくる。
 ほどほどに暖かい、ほどほどに寒いで充分な訳で、むちゃむちゃ暑い、むちゃむちゃ寒いというのが生身にはこたえる。一方、本は暑がったり風邪を引いたりはしない。ただ、本の内容如何によっては中身から腐って行ってしまう場合もあるのかも知れない。

2003.11.5
 焼いたイカを食べていたら、イカの骨に気が付かずそのまま飲み込んだ。食道を通らずに肺に入り刺さってしまい、そのまんま入院、と相成ったお客さんがいる。風邪1つ引いた事がないほどお元気なのに、たかだた3,4a程の骨。しかもイカのものとなるとちょっと珍しいからと病院中で人気者になり、現に刺さったイカの骨は病院でホルマリン付けの標本にされていると聞いた。

2003.11.4
 仕事で東京からいらっしゃり、フラっと店に寄って頂いたお客さんに道を教えるのは難しかった。共通認識のある道や建物が存在してないのであるから、この道をまっすぐとか、あの線路に沿ってとかあやふやな説明しか出来なかった。そんなに複雑な目的地でもなかったし、私のあんな説明でもかろうじては辿り着けたはずと思うが、果たしてそうなったかどうか確認する方法がない。ただただ祈るばかりである。

2003.11.3
 歳で耳が遠いから関係ないと1年程前にご本人が選んで引っ越された住まいは、今度開業する九州新幹線の高架の真横。その事を聞いた時、「そんなもんかなぁ、まぁご本人が言っている事だし…。」と思っていた。でも近々また引っ越されるらしい。
 確かに音は聞こえないらしいのだけれど、工事の段階の振動だけでもう気分が悪くなるらしい。理屈と実際はすり合わせてみるまで判らない。

2003.11.2
 1日中雨となったのはここ鹿児島では久しぶりの様な気がする。今日明日は恒例の“鹿児島おはら祭り”。毎年この時に仕事が休みだった事がないので、まだ1回も行った事がないから、どんなものか想像でしかないが、「明日踊るんですよ!」とクロネコのにぃちゃんが嬉しそうに小躍りしながら言っていた所を見ると、祭りに参加して踊ることは結構楽しそうだ。
 にぃちゃんは明日の天気を気にしていたのは、もし雨で中止の場合はただの“飲み会”になる為らしい。よっぽど踊りたいのだなぁ…。

2003.11.1
 あるところにおばぁさんがおりました。ある日釣った魚を知り合いから頂いた事があったそうな。おばぁさんは自分で食べる為に魚をさばくのがたいそぉ面倒くそぉなって近所の魚屋に持って行ったそうな。魚屋のおじさんに魚をさばくのを頼んでみたところ、快く引き受けてくだすったそうな。
 おばぁさんが“さばき賃”の事を尋ねると、「お代は結構」と魚屋のおじさんは答えたそうな。それを聞いておばぁさんがホッとしていると、「その代わり魚を買ってって下さい。」と言われたそうな。おばぁさんは仕方がないので、さばいて貰った魚と450円の魚を買って帰りましたとさ。
 商売上手な魚屋さんのお話。めでたし、めでたし…??

2003.10.31
 自分でも場違いとは思うが、朝いちに“フランス菓子”屋さんにケーキを買いに行った。まず男が1人でお店に入るのに勇気がいる。エイや!と自動ドアをくぐり抜けると、フリフリのエプロンをつけたおねえさん方がニコニコとさらに私の緊張を誘う。もうその時点でショーウィンドウに並べられたさまざまなケーキを品定めする余裕などない。適当に「これとこれ」とお願い出来たらさっさとお店を出たいのに、ご丁寧にも「メッセージはどうされますか?」と来た。私の中のシナリオにない事を聞かれ、しどろもどろのまんま会計を済ませ、シューッとお店を出たのは動揺を出来るだけ隠したい為だった。

2003.10.30
 HPがご縁でわざわざカナダからお店を訪ねていらっしゃったのに、私は十分な対応が出来たのだろうかと疑問と後悔が残る。突然だったし1人で動く方が気が楽だ、とおっしゃるのは十分分かるのだけれど、もぉ少しなんとか鹿児島を見て頂く事が出来なかったものかと疑問と後悔が残る。
 でも、人とのこんな出会い方、ネットあればこそのこんな出会い方があるなんて思わなかったし、それに対して感謝してもし尽くせない。だってカナダに住んでいらっしゃる方だし…。

2003.10.29
 ひょんな事から「今度“酢豚”ご馳走します」、と約束してもらったのは随分前の事。“ものの弾み”的な約束だった事もあって、たいして本気にしていなかったが、今日のお昼に“酢豚”が届いた。
 約束は約束。たとえレシートの裏っ側に書いたような些細な約束でも、人として『約束を果たす』事の重要性を教えて貰った。

2003.10.28
 店の隣のマンション前の歩道に青年が寝転がっていたのは昨日の夜中の事だった。どうも酔っ払ったまま力尽きた様子だった。秋とは言え夜中はすでに寒い。どうしたものかと考えながら小1時間経った頃に再び外に出てみると、青年の姿はもうなかった。何とか帰ったのかなぁと思いふと見ると、カバンとベースギターが…。置きっぱなしにしたままフラフラと行ってしまったのではないか。
 1晩店で預かって、翌日交番に届けに行った。鹿児島大学の学祭も近い。ひょっとしたらバンドの練習の支障になるかも知れないと思い、行った交番のおまわりさんもギターにはびっくりしていた。

2003.10.27
 お金を受け取る際に、チラッと見るお客さんの手がとても興味深い。一時期などはそこから手相に興味が出てきたりしたが、最近ハマっているのが、手に書いてあるメモである。
 これが人によってマチマチで、手のひらに書いている人、手の甲に書いている人。ど真ん中に書いている人、指の付け根あたりに書いている人…。私は手の甲の親指付け根あたりに書くが、皆さんはどこにお書きになるだろう。

2003.10.26
 今朝は海を眺めるヒマがあった。私の住んでいる所から海はさほど遠くはないのだけれど、いつでも見られるという気持ちと、ギリギリまで寝て居たいというダブルブロックでトンと無沙汰し続けていた。
 ゆっくりとうねる海を見て、その先にデーンと構える桜島を見ていると、私の隣に居たのは18年前、大学の2次試験の為に初めて来た鹿児島で同じ風景を眺めていた自分だった。

2003.10.25
 終戦直後に教育学部を卒業した先生方の同窓会が今日あったらしい。夕方にはすっかり出来上がって千鳥足のお二人が店にいらっしゃった。ワイワイガヤガヤ思い出話を私に話して頂き、本をお買い上げ頂き、「この時間(夕方4時頃)に飲ませてくれるお店を知らんか?」と来た。
 夜になってベロベロになったお二人を近所で再び見かけた。私もそうだが、大学時代に出来た友達は本当にいい。時代を経ても損得勘定抜きで何でも話せるから…。お二人には今日のお酒はよっぽど楽しいものだったのだろう。

2003.10.24
 随分前になるが、隣のマンションに住むご主人が探しておられた本を都合付けた事があった。その後、ご主人は他界され、奥さまとは挨拶する程度ではあるがお付き合いは続いていた。
 その奥さまが今日突然に店にいらっしゃり、おすそ分けとおっしゃりながら“さけまんじゅう”を下さった。もぉすこし太ってもいいんじゃない? と言う事だった。

2003.10.23
 油が硬くなってくるのか、換気扇が回り難くなって来ると冬を感じる。古本の手入れをしていると結構埃っぽい物があるし、それでなくても鹿児島は“火山灰”の微粒子が空気中を舞っている気がして、それを追い出す為にもせっせと換気扇には働いてもらわなければいけない。
 インドなどで1回まわすとお経を読んだ事になる円柱をうちの換気扇にもし取り付けたなら、むちゃむちゃすごい回数読んだことになり、悟りまくりやなぁ、とアホな事を考えてしまった。

2003.10.22
 いやー、びっくりした。しょっちゅう店に入って来てはグルッと本棚を見て行くけれど、いつもは決して買うことも売ることもなさらない女性が、今日はどういう風の吹き回しか、1冊のマンガを手にカウンターにいらっしゃり会計をなさった。
 いやー、おどろいた。

2003.10.21
 “お風呂で本を読むという器用な人”が世の中にはいると思う。今日『サザエさん』を数冊買って行かれたおばあさんがそうらしい、ご本人が言っておいでなので間違いはないだろう。まぁ土台私には無理な行為である事にも違いないので、ふぅぅーんと思って聞いていた。
 だいたいお風呂なんかに本を持ち込むと、湿気で本がダメになる。それに私は根っから「カラスの行水」なのであるから、到底なし得る業ではない。

2003.10.20
 サザエさんではないが、会計をレジで済ました後で財布を忘れている事に気づくお客さんがいらっしゃる。ご本人は青い顔(あれ!? どこに置いたんやろか?)、気まずい空気を感じながら、それをごまかす為に私もカウンターに上においてあるセロテープや本をやにわに整頓したりする。
 その後は3パターン。@忘れたと思った財布が出てくる。 A「財布を取ってきます。」とおっしゃって帰られる方。 B「今日はいりません。」と言ってそそくさと出て行かれる方。皆さんは普段どれでしょうか?

2003.10.19
 映画のパンフレットには不思議な魅力があるが、それでも中学生くらいの女の子が、戦後から昭和30年、40年代ぐらいの洋画のパンフレットを探しに来たのには少しびっくりした。そう言えばずいぶん前にも店にあった古いパンフレットを買っていった子じゃなかったかなぁ、と思い尋ねてみたら、やはりそうだった。
 マリリンモンローが一番好きだそうである。世代を超えてまで今なお好かれているアメリカの大スターの威厳を見せ付けられた様な気がする。

2003.10.18
 その人はもぉいい大人で、半年に一遍ぐらいの割合で店にいらっしゃる。店にいらっしゃるたびに私が言う科白は「また背ぇ高ぁなったんとちゃいますかぁ?」だ。目の前に立たれる度に縦にも横にもまだ成長なさっているような気がする。
 今度いらっしゃったら本棚の横にでも身長の印を付けて、ほんまに背が伸びてるかどうか確かめて見ようかな…。

2003.10.17
 ドッジボールの審判の資格を持っていらっしゃるお客さんに話を聞いた。ドッジボールの空気圧にも規定があるという事。そして、県単位、全国単位で強くなるには、日ごろから勝つばかりでなく、負けることも知っておかなければいけないのだそうである。
 “人生を強く生きる”と言う事にも通じてくるような話だった。

2003.10.16
 今度地上に降り立つのは何時の事やろかい? っちゅうくらいに天高く持ち上げられた水蒸気を見た。冷たい風の混ざる様になった鹿児島の空のうろこ雲を眺めた。上を向いて吐き出したタバコの煙がやけに近くに見えた。

2003.10.15
 昨日自転車に乗っていたら、細い路地の交差点で車に轢かれました、という高校生が来た。あまりスピードが出ていなかったらしいが自転車は使い物にならないほどに大破、その割に本人は「腰がちょっと痛い」と言うくらいでケロッとしている。
 「まぁ打ち所が悪ければ、今日こうして話す事も出来なかったやろね。」と私が言うと、ケラケラと笑って去って行った。

2003.10.14
 いつもはまじめな顔をしてニコリともしない郵便配達のおにぃちゃんが、今日はどうしたわけか郵便を配達に来たついでに探している本の事を尋ねていった。まぁ珍しい事もあるもんだ、と探したが、確かに郵便のおにぃちゃんも人の子だから読みたい本もあるだろう。私はその事を忘れ、郵便を配達する“人”ではなく“ロボット”とどこかで単に思っていたのかも知れない…。

2003.10.13
 今日はいろんな所で似たような事が多かったのかもしれない。制服を着た高校生が店に来たので、今日学校があったのかと聞いてみたら、今日はボランティアだったという。内容までは聞けなかったが、いろんな人が来ていて愉しかったといっていた。心・技・体を使って働く事が楽しければ人生は楽しい。

2003.10.12
 たまぁに外泊届を出しては店に寄っていらっしゃったおじいちゃんが、長期間の入院を追え昨日退院なさった。今日その話をご本人から聞いた。ご本人曰く“不良患者”だったらしく、看護婦さんによく怒られていたらしいのはなんとなく想像が付いた。
 娑婆に戻ればまたテレビとお酒と読書。早速1人暮らしの楽しみを謳歌されてる様だ…。

2003.10.11
 割とよくお店にいらっしゃるという事は、割とよく本をお読みになるという事。割と本をお読みになるのだから、割とよくお客さんに、「ご自分で書いてみようと思われた事はないのですか?」と聞く事がある。割と答えは決まっている。「いえいえ、とんでもない!」
 割とまんざらでもないとお客さん自身は思いつつも、ご謙遜なさっているのか…。

2003.10.10
 「面白い本は何ですか?」と聞かれるより「この本は面白いですか?」と尋ねられた方が答え易い。ところがだ、今日聞かれた本は私自身が本当に面白いと思っていた物だったので、何とかその面白さを伝えようとすればするほど、心躍る場面が次々と頭にあふれて来て、思いつくまましゃべっていたら、何が言いたいのか自分でも判らなくなってしまった。結局お買い上げ頂いたが、面白さがちゃんと伝わったかどうか疑問が残った。
 「過ぎたるは及ばざるが如し」 好き過ぎるとかえって客観性を失うもの。本ともある程度距離を保っていないと説明も出来ないし、手放す事がなかなか出来なくなる。

2003.10.9
 昨日の“虫眼鏡”のお客さんが今日も見えた。『倍率』にこだわっておられるらしい。「昨日はあれから“虫眼鏡”を探しに行ったんだけど、『倍率3.5倍』てどういう事かなぁ?」と聞かれた。虫眼鏡でも望遠鏡でも顕微鏡でも確かに『倍率』はついて来る。改めて聞かれると『倍率』の説明が上手く出来ない。顕微鏡ならなんとなく説明が出来そうなのだが、1枚レンズの“虫眼鏡”だと持つ手を動かすだけで大きくなったり小さくなったりしそうで、じゃぁ『倍率』ってどういう事? と私も疑問に思ってしまった。一定の距離だけ離して見た時に、物が3.5倍に見えるという事なのだろうなぁ…自信はないけど。もぉ少し調べてみよう。

2003.10.8
 「やっぱり本を読むのに”虫眼鏡”を使ったほうがいいのかなぁ。」と開口一番聞かれた。“老眼”というものの経験が今のところ私にはないのではっきりとは言えないが、それでも読書をする際に“虫眼鏡”を使ってご自分が楽であれば使えばいいし、面倒臭ければ使わなければいい、という問題ではないのかなぁ…。
 高齢化社会。面白い本を提案するだけでなくこう言ったご相談にも乗って行かなければいけないのだなぁ…。

2003.10.7
 キャピキャピ中学生がゾロゾロと団体さんでやって来た。ワイワイガヤガヤと何かを相談している。察するに誰かへのプレゼント(或いはお見舞い)を選んでいるみたいだ。先生にだろうか、それとも友達にだろうか、と私が考えている内に少女マンガを数冊レジに持ってきた。という事はおそらく先生という線はないだろうなぁ。まぁ、誰に渡そうとも、“友達同士で賑やかに贈り物を探す”行為自体を目一杯楽しんでいるお年頃。

2003.10.6
 不思議なもので、お客さんの指に貼ってあったバンソウコウがなくなっていると、あぁ、怪我が治ったんだなぁと感じるし、咳き込むこと人があれば、風邪が流行っているもんなぁ、と感じる。パチンコに勝った話を聞けば嬉しいし、余命を宣言されたと聞けば悲しい。いろんな人生を耳にする。

2003.10.5
 よく来るおじさんと店の前でばったり会った。挨拶もそこそこによく見てみれば、腕と喉に擦った様な新しい傷があった。どうしたんですか? と尋ねると、今日は小学校に運動会で、父兄で綱引きがありそれに出た時に綱で擦った傷だ、と照れながらおっしゃった。そう言えば朝からラジオ体操が聞こえていたし、今日が運動会だった所が多いのかも知れない。
 運動会と言えば、金木犀の香りとすっぱいミカンと佐保学校体操のイメージがある。

2003.10.4
 「知らないうちに寝てたんですよ。ぜんぜん覚えてない…。まったく意識がなくなることって“死ぬ”ことと一緒じゃないですかぁ。恐いですねぇ。」と高校生が話してくれた。全く何も判らなくなる事が彼が考えて恐れる“死”。
 鎌倉時代とか江戸時代には“死”はそこら辺に転がっていたものなのだろう。それを見て人は“死”を感じ、“生”を感じて来たのかもしれない。人にしても食肉にしても“死”というものを隠す様な制度の現代、“死”に目をそむけ“生”も実感出来ない。だからこそ簡単に人の生命を奪ってしまう事件が多いのかも知れない、と別のお客さんと話し合ってみた。

2003.10.3
 「あれっ、ないっ!」と言う声が聞こえて来た。今までのご来店は、本棚の常にその位置にあるのを確かめる為のもので、やがては買おうと思っていらっしゃったのだろう。それが今日来て見たら、棚から消えていたので思わず口を付いて出てきた科白だ、と思った。そう言えばそこにあった物は少し前に売ってしまった覚えがある。
 普段ならバカ話をされて帰るその人が、「あそこにあったやつは売れたんですねぇ…。」とだけ言ってトボトボ帰って行かれた。もう1冊あればその人も満足だったろうし、売れればうちもまた儲かるのに、そう上手く行かないのは古本ならでは。

2003.10.2
 職場体験で『熱帯植物園』に1週間通っている高校生が、ダルイダルイと言いながらもしみじみ、「植物が好きでないとやってられないですよぉ」と言った。まぁ、どんな仕事でも好きでないと長続きしないのは共通しているだろう。ただ、あまり熱狂的に好き過ぎるとかえってしんどいような気もする。ほどほどに割り切れる程度が一番よいのか、そうでないと古本屋は売りたくない本だらけになってメシが食えなくなる…。

2003.10.1
 ここ1ヶ月ほど福岡に出張に行っていた友達がひょっこり店に来た。開口一番「鹿児島は暑い!」と一言。そうかなぁこれでも随分と涼しくなってきたには違いない。それが証拠にエアコンのスイッチは切ったままだ。
 エアコンを使うと確かに快適にはなったのだが、よる閉店する時には当然スイッチをオフにする。すると夜の間に湿度が上がる。そして翌日はエアコンで湿度が下がる。この急激な変化の繰り返しが本に好い分けないなぁ、と感じていたから、暑くもなく寒くもなく、カラッとしている今が少し安心する。あとは蛍光灯ヤケの問題…。

2003.9.30
 自転車に乗って老夫婦が来られた。本を探すのはご主人の方。足を痛めていらっしゃる奥さまは外で待とうとなさっていた。ご主人はそれを気遣って私に椅子をご所望される。私は椅子を持ってきて、ご主人と共に「どうぞぉ」と奥さまを店内に案内した。歳を重ねたいい雰囲気のお二人と秋晴れがぴったり合っていた。

 

2003.9.29
 “作家”志望を宣言する若い彼の話は、とてつもなくくどかった。

2003.9.28
 ほしいバイクを買うか買わないか、古本屋の私が相談を受けた。バイクには余り興味がないので、どんなバイクか熱く語られたところでさっぱりとんちんかんなのだが、これは!と言う“バイク”を“本”に置き換えれば、後で後悔するよりは今が「買い」でしょぉ、という事だけは言える。

2003.9.27
 久々歩いて走った。1日のうちでパソコンなり座り仕事も多いので、めっきり足腰が弱くなっているような気がしていたが、、案外そう言う事もなさそうでちょっと安心した。これであさってまでに筋肉痛がこなければセーフだろう。
 本の入ったダンボールなどを持ち上げる時には、腰を痛めないよう足を踏ん張って持ち上げてるが、大本の足が弱ってはシャレにならない。

2003.9.26
 ギターを背中に、沖縄から出て来て今日鹿児島に着いた青年が1人。地図を求めつつ路上でギターを弾ける場所を尋ねられた。思い当たる所を教えつつ詳しく聞いてみた所、これから3ヶ月の間、少ない予算とテントで九州をグルッと回るらしい。じゃぁギターは路銀の種だ。
 どこまでやれるか? 本当に試してみる若さと勇気を沖縄から運んでもらった。

2003.9.25
 私の人生の半分の時点で“原付”の免許を取った。そして半年ぐらい経って中古の原付を買った。嬉しくって乗り回した。さんざん乗り回した。一人でどこまでも走った。自転車しか知らなかったそれまでの自分にとっては、まさに“魔法のじゅうたん”だった。
 そんな事を思い出したのは、免許を取って今日で3日目というお客さんとしゃべったからだ。ピカピカのメットが眩しかったからだ。

2003.9.24
 病院通いのおばぁさんの朝は早い。それは分かっているのだが、ちょこちょこっと用事を済ませて少し開店が遅れた日に限ってご来店されるのでよく怒られる。毎日がそんな風ではないのだが、たまたまマーフィーの法則が働いてしまう。

2003.9.23
 昔(今でも)好きで集めていた「貝」が出て来た。浜で拾ったものから始まり、生きて身の付いたものを採って来ては、熱湯で中身を処理した物、お金を出して買った物…。それでもその1つ1つについてどこで手に入れたのかをすべて思い出す事が出来た。所詮「貝」に興味のない人には味噌汁に入っているアサリとなんら違いないガラクタに見えるのだろう。
 「貝」にせよ「本」にせよ何にせよ、“好きで集める”と言う事の根本がそんな所にあるに違いない。

2003.9.22
 歯医者に通っている。永い事ご無沙汰していたので、歯のあちらこちらにガタが来ていた。今日は本を見ながら歯周病について先生が講義して下さった。講義の内容はさて置き、「いくらぐらいするんやろ?」「古本で買う人おるんやろか?」とか、写真とイラストがいっぱい載ったその本の方に気が行って仕方なかった。

2003.9.21
 「これってどう思いますぅ?」としょちゅう恋の悩みを女性から聞かされ、私の返事がだんだんおざなりになって来た。別に聞くのは苦にはならないから、話を聞く事いい加減にしているのではなく、話の中身がややこしいというか、私に意見を求められても、と言うか…。
 相手の出方によって自分の行動を決めようとするから、話がややこしくなって、結局自分がどうしたいのかが毎度見えてこない。相手が好きと思ってくれていれば自分も好きぃ。相手に嫌われたならば自分から身を引くぅ。大体こんな話に毎回多少の尾ひれが付く。他人の私が聞いていても重っ苦しい付き合い方だなぁ、と思うのに、ましてや相手の男性はだんだんうっとうしさを感じて来ているのかも知れないなぁ、と心の中で思っている。自分の気持ちはどこにあるのだろう…か。

2003.9.20
 「もしぃ、台風が来てぇ、通学用のバスが止まってぇ、クラスの半分が休んだらぁ、月曜は学級閉鎖になってぇ、火曜日が休みだからぁ、連休になるのになぁ…。」と、捕らぬ狸の皮算用を話してくれた高校生がいた。そんなに学校は面白くなくって、スキあらば休んでしまいたくなるものなのだろうか? 彼に限らず、どういう理由をつけたら学校が休めるのか、にかけては天下一品の知恵の働く子が多い。どんな理由をつけたって決して逃げてはいけない事がこれからの人生には沢山あるというのに…。

2003.9.19
 男の私としては、でかくてぶ厚い“手”にあこがれて来た。今日、お釣りを渡す時にそんな“手”を見かけたので、「いい“手”されてますねぇ。」と本気で言った。ところがその“手”の持ち主曰く、「最近の電気機器(電卓、パソコン、携帯電話、その他もろもろのリモコン…)が小さくなって、ボタンも小さくなって、その上ボタン同士の隙間も狭くなっているから、でかい指だと必ず2ついっぺんにボタンを押してしまうから不便だよ。」と。
 なるほどそれは不便だ。

2003.9.18
 「釣りはいらねぇぜ!」と言われて、その言葉通り従えるのか、あるいは従える許容範囲はいくらまでなのか。どうやら私は10円以下がそうみたいだ。お客さんがとっとけとおっしゃってくださっても、20円のおつりはきっちり渡さないと気持ちが悪い。
 わずかな金額だといいかなぁと思ったり、わずかな金額だからこそきっちり返さなければいけないと思ったり…。おつりが1万円を越すと、いっそ開き直って頂戴するのに…。

2003.9.17
 今日ちょっと買い物に行って、探している物をレジのおねぇさんに尋ねたら、携帯電話で状況のわかる店員を呼び出す。別な人に値段の事を尋ねたらまた携帯を取り出す…。バイトさんにマニュアルにない事を尋ねる私が悪いような気もして来た。
 責任のある人を呼び出すと言う事、最終決定をゆだねると言う事は大事かも知れない。ただ、バイトである身とは言え、自分が働いている店の商品知識すらわずかに持つこともなく、客をさばいてしまう店売りと言うのはどんなものだろう。売る方も買う方も面白くないような気もするし、それがお互いに気楽というもののような気もするし…。

2003.9.16
 
内ポケットに携帯ラジオを忍ばせ、制服の袖口からイヤフォンを引っ張り出し、机に肘を突いているような格好で、授業中“日本シリーズ”に熱中していたヤツが居た。チームの活躍に思わず大声で反応したのが運の尽き、先生にばれてしまった。
 
ところが先生の方も試合運びを聞き出す始末。奈良の高校で18年前に私が体験した「阪神の優勝!」。なんだか不思議なその空気に妙にウキウキした。

2003.9.15
 私が高校生ぐらいの時に話題で、うちにもあった『アフターマン』という絵本を久々に目にした。これから起こるであろう進化の果てに動植物がどのような形態になって行くのだろうかを絵にしたもので、当時は「ホンマにこないなるんやろか?」とあまり信じず、ただ「ふぅーん」ぐらいにしか印象がなかったが、ここ数年の気象の変化や自然からのしっぺ返しを目の当たりにし、そして今この絵本をパラパラと見ていると、この地球上から殆どの人類が消え去った後の世界をのぞいてしまった様な気がした。

2003.9.10
 由緒はどうか知らないが、家で使っている“箱火鉢”の話をお客さんから聞いた。最初は“箱火鉢”と言う物がどういう物か分らなかったが、時代劇でイヂワルな女将さんが、ふかしたキセルをカン!て角で叩くあれね、って思ってしまった。まぁ火鉢は何とか手に入れたとしても、それに使う炭を調達するのが結構面倒くさいらしい。ましてや今の密閉度の高い家ではすぐに一酸化炭素中毒を起こしてしまう。なかなか現代の生活にそぐわないようだ。
 面白い話が聞けたが、こんなに暑い日の「冬扇夏炉」話となった。

2003.9.9
 運動会の練習があちこちで行われているようだ。しかしこの暑さにバタバタと倒れる人が出ていると高校生が言っていた。確かにこの暑さのもとで体を動かすとそうなるのかも知れない。
 そう思いながら思い出した。真夏の体育館での朝礼や集会。扉や窓を開けていてもこもった熱のせいであちこちからバタン!と倒れる聞こえて来る。私の前にいた富岡君は普段は普通に元気だったのに、その日はどうしたことか真っ青になって倒れた光景が脳裏によみがえって来た。

2003.9.8
 食わず嫌いというのがあるが、本にも読まず嫌いというのがある。マンガなんかは絵のタッチが気に入らなければ、人にどれだけ面白いよと言われても、なかなか受け付け難い所がある。逆に絵の気に入った漫画家の作品だと、1コマがチラシの隅に出ていたとしても見入ってしまう。
 「何か面白いマンガは?」と尋ねられた時点で、この人はどういうタッチの絵が好きなのだろうかと推測する所から戦いは始まる。

2003.9.7
 シリーズ物を1日1冊ずつ毎日を1ヶ月。暑い中お店に来て頂き、今日ひとまず区切りが付いた。毎日顔を合わせていると不思議と身の上話も出てくるし、懐具合も見えてくる。仕事の話に買い物の話、病気の話に母親の話、挙句はご先祖さまの話まで出て来た。
 次は少々短めのシリーズを買いにいらっしゃる毎日が明日から始まる(予定)。お話の方も新展開が楽しみだ。

2003.9.6
 「コンパクトに中国の歴史をまとめて1冊にしたような本はないの?」とお尋ね頂いた。とっさに口から出た私のセリフは、「“中国4000年の歴史”て言いますからねぇ…。」だった。中国のなが〜い歴史の中の一瞬を切り取った『三国志』でさえ結構な巻数になる。ましてや古代〜現代までの歴史を1冊にまとめようと思えば、相当はし折らないと収まり切らない。そんなはし折ったもので十分役に立つのかと言うと、それは(お客さんしだいだが)甚だ疑問である。
 まぁそれはそれとして、なんとか妥協点を見つけ、1冊お勧めした。

2003.9.5
 「この本は借りた物で、貸してくれた人はもう亡くなったけど、返さなければいけない。でも必要な本だからもう1冊自分用にほしい」と、長崎の古本屋を廻り、鹿児島の古本屋にも当りを付け、ようやくここ西駅店の本棚にあった1冊の本に到達された。その方の喜びようと言ったらまさに飛び上がらんばかりであった。 こういう方の所に行く本は本当に幸せだと思う。ネットでご注文頂いたお客さんの中にも、「長年探していた本です。」と教えて頂く事もある。人とだけでなく本とのめぐり合わせと言うのは不思議なものだなぁとつくづく感じる。

2003.9.4
 アリはゴムの匂いを嫌うそうで、砂糖入れなどアリがたかると困るものは輪ゴムを巻きつければよろしい、と聞いた。それならば試してみようと思ってみたが、店にはアリがたかるような砂糖入れは置いていないし、アリがたかっている本にお目にかかった事もまだない、家に帰っても部屋は3階にあるのでアリなど見た事もない。
 今の所、私にはあまり役に立たない知識の様である。むしろ“紙魚”や“ゴキブリ”を寄せ付けない名案があれば教えてほしいものだ。

2003.9.3
 人生の半分前の時期にお世話になった先生と久しぶりに連絡が付いた。「何で古本屋になったの?」と今更ながら聞かれので、実は先生がお持ちだった外国の推理小説を高校生当時に頂いた事にきっかけの1つがありました、という話をした。
 そう言えば外国文学については他にもいろいろな種を植え付けてもらい、多感な心にはズシンと面白く、それが未だ私の奥底で生き続けている。また授業を受けてみたいなぁ。

2003.9.2
 今日の青空は深い青だった。スジ雲が高くに見える。蝉時雨れも何時の間にか聞こえなくなっている。遮るのももなく高く静かに晴れ渡った空でお日さまがさんさんと輝いていた。
 夏から秋への静かなバトンタッチの風景を見た。

2003.9.1
 「掘り出し物下さい!」と言われてもなぁ…。私にとっての掘り出し物がそっくりそのままあなたへの掘り出し物になるんかなぁ…。掘り出し物でない物をさも掘り出し物のように売りつけるのも気が進まへんし、かと言って「掘り出し物はない!」では悲しい。
 やっぱり“掘り出し物”ちゅうのんは、店のモンも忘れている様な所から引っ張り出し、「しょうもないモンやけど買ったるわぁ、いくら?」てなフリをしてお金を払って、店を出てからニタリと笑うのんが醍醐味なんとちゃうのん…?。

2003.8.31
 「新しい友達が出来ました。」と目を輝かせながら言うものだからこちらまで嬉しくなった。よっぽどいい友達(彼女?)が出来たのがよく伝わって来た。「長く付き合える友達になると良いですね」と言って店を送り出したが、どうしてこういう会話になったかと言うと、実はあまり答えに期待せず「夏休みは何か良い事ありましたか?」、と聞いたからだ。
 たいがいの人は「いいえ、何にもありませんでした。」と答えるので、こちらとしても形式どおりの質問のつもりだったのが、今回は珍しく答えが心地いい方に化けてくれた。

2003.8.30
 お盆前に顔を見たっきり、トンと顔を見ないおじいちゃんの身にきっと何かあったのだろうと心配していた。今日久しぶりに店においで下さった姿は一見何ともないようだが、やっぱり入院中だという。どこが悪かったのかと言えば普段の飲みすぎが祟ったとの事だった。
 入院されている病院は遠い。用が済んだら「じゃぁさようなら」と言うのもこっちが心配だし、バスを乗り継いで帰ると聞けば尚更だ。私は自分の車を運転して行けるところまで送って行った。

2003.8.29
 「星の王子さま」を買ったお客さんに火星の話をしてみると、探してみたんですけど見つかりませんでした、との答えだった。まぁ確かに夜空の星に名札が下がっている訳でもないので、分かり難いと言われればそれまでだが、大体出る方角と、ひときわ明るく赤い星がそうです、と教えた。
 果たして見つけられるだろうか? 今夜は雨。

2003.8.28
 鹿児島の中でもすごーく遠方からJRに乗ってわざわざ本を売りにいらっしゃったのに、バッグから出された本を見てビックリ。ごめんなさい。それはどうしようもない本でした。
 電車賃すらならないでお断りするのも申し訳ないので出来る精一杯の値段を付けたが、それでも雀の涙ほどにしか感じてもらえなかったのではあるまいか…。

2003.8.27
 真っ黒く日に焼けた顔に麦藁帽子、少し大きめのバックと背中にはリュックの数人がゾロゾロと店に来た。きっと他のブロックの人達だと内心思った。会計のついでに話し掛けてみると案の定東京からの大学生だと判った。ヨロン島での合宿を終え帰途の途中で鹿児島市内に立ち寄ったらしい。
 会話をしていて妙に口の重たい人たちが数人居て、話を続けるのに少々苦労したが、サークルは『漫才研究会』と言っていた。

2003.8.26
 鹿児島の言葉で“ヘッツボ”と言うのがある。背中にあるツボの事らしい。ここが凝ると重い肩こりが起き、挙句の果ては吐き気を伴う頭痛まで引き起こしてしまう。
 「ヘッツボガデッセェヨォ」と言えば肩こりがひどい時に使うとの事だったが、鹿児島で育った若い人でも最早通じない言葉に違いない。

2003.8.25
 お客さんに相手をしてもらってちょっとの間店で碁を打った(というほどカッコイイものではないが)。大局を見る大将でもあり、局地戦を任された部隊長でもあり、時にはゲリラの切り込み隊長に…、と1人で何役もこなし局面の変わり目を読んで行く。だから打ち終わった時にはグッタリ来てしまう。このグッタリ感が囲碁最大の魅力の様に思えた。

2003.8.24
 神主さんになる講習を受けていたお客さんが今日こちらに帰ってこられた。日常生活では縁遠い話をたくさん聞けた。戦前までは天皇が崩御されると神に成れたのが、戦後民主主義化では神になれなくなったと聞いて、そぉなんやぁと思ってしまった。

2003.8.23
 友達が沖縄に遊びに行ったと言うので、カメラ付携帯で写真を送って貰ったが、受けて側の私の携帯の解像度が悪く、何を撮ったものなのか結局はっきりとは判らなかった。相手の機械が最新でも受け手の機械が古ければあまり用をなさない。
 方言や外国語も同じレベルで考えると、話し手聞き手の言葉に共通の互換性がないと、どれだけ相手が一生懸命しゃべっていても、その内容がさっぱり解らず、意思の疎通が図れないのと一緒である。

2003.8.22
 スナップ写真というのも不思議なものだ。時間のほんの一瞬を断片的に切り取った物に過ぎないのに、10年20年後にその写真を見ただけで、当時のさまざまな物語が怒涛の様に溢れてくる。
 ビデオやDVDで動画として保存するよりも、1枚の白黒写真の方がはるかに雄弁かも知れない。

2003.8.21
 以前、某英会話教室のポスター張りのバイトを始めた高校生がいた。まぁお客さんだったのでその時はポスター協力したが、そのバイトもきつかろうなぁと思いつつ、その後しばらく顔は見なかった。
 部活の帰りか今日久しぶりに店に来た。例のバイトのことを聞くと「もぉやめた」と言っていた。やっぱりね、と思ってしまう所が悲しい。   
(忘れた絵を取りには来ない様だ、どうしよう。)

2003.8.20
 「これで子供が寝ずに待っていてくれる。」とほろ酔い気分のお父さん。持っているマンガか持っていないマンガか家に携帯電話をかけ、そう高くない数冊をレジに持ってこられた。
 「子供の喜ぶ顔には勝てません」とはおっしゃるものの、それがまだ持っていないマンガだとお父さんはヒーローとなり、すでに持っているものをダブって買って帰れば、お父さんは悪役の親玉のようにけちょんけちょんに攻撃される。がんばれお父さん!    
(今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.19
 何が起こるか分からない。人が急に飛び込んできたかと思うと電話をかけてくれと言う。聾の方らしく、筆談と手話で何とか事情を聞いて車を持ってそうな友人に電話を書けたが、急には来られないと言う事で、挙句の果てには救急車を呼んだ。ドタバタ劇だった。
 まぁすぐに命にかかわるようではなさそうだが、店に居てもいろんな事が起こるものだ。   
(今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.18
 かつての修身の授業の話を聞いた。ヘェーと思ってしまったのが“うちわの扇ぎ方”。まだクーラーのない時代、在っても扇風機かもっぱらうちわ。女の人が着物(当時は着物が普通)を着て、人の家を尋ねた時に差し出されるうちわ。暑いからとバタバタやるのはハシタナイ。袖口のところを静かに扇ぐものよ、と私の目の前で実演してもらった。手つきがなんとも言えず美しかった。
 「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、日本人はこういう授業・躾をどこに置き忘れてきたのだろう。    (今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.17
 佐賀から帰省して来た学生が言っていた。佐賀の女の人はおとこ男した人の人気が高いらしい。言えば“熊”みたいな人。一方鹿児島はなんだかんだ言っても女の人が強いので、少しナヨっとして母性本能をくすぐるほうが良いみたいですよ、と言っていた。鹿児島は根っから『男尊女卑』って言われていた様な気もするが今は違って来ているのかも知れない。   
(今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.16
 学生の時の友人が、帰省ついでに自分の子供を連れて店に遊びに来てくれた。取り立てて”青春!”と言うほどの事もなかったが、それでも学生時代の同じ時間を一緒に過ごした人が親になって、こうして会えるというのも、当時は想像もしてないなんだか変な感じがした。
 話の中身も変わった。次にどんな楽しいことをしようか? という話ではなくなって、『子供の』お稽古事の話であったり、『子供の』学校の話であったり…。でも、子供の無邪気な顔を見ていると、昔の暴露話よりそっちの方が平和的である意味ホッと出来た。   
(今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.15
 どこの誰かは知らないけれど、誰とでも腕比べをしている。腕比べといっても“腕力”の方ではなくて“日焼け”具合の方だ。小麦色を通り越し、茶色に焦げた腕を見ていると、自分の腕の色と比べずには居られなくなるのだ。
 バイトや仕事で焼けた人、部活で焼けた人、遊びで焼けた人…。理由はどうあれ、お日さまの下では皆に等しく光線が降り注ぐ。 
      
(今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.14
 お盆の間の入院も辛かろう。救急でなければお休みだから人は少ないし、動いてもかまわない入院患者はは外泊で自宅に帰るだろうし、最小限の治療が終わるとテレビを見るか本を読むかしかない、と足を引きずった患者さんが店に来られた。それでも動いて外に買い物に出られる人はいい。寝たきりのご老人で家族からもほったらかされた人は天井を見続けるしかないのだから。
     (今日も忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.13
 来週から期末テスト期間で部活が休みという。「ん?」と思いつつも話を聞いてみると、確かに今は夏休み中。ところが学校が2学期制の為、再来週には新学期が始まり、新学期が始まると同時に期末テストになるという。したがって夏休み中ではあるけれども、来週にはテスト1週間前にあたるので夏休み中の部活はない、とまぁなんかややこしい話やった。
 「夏休み中なのにテスト期間中」+「新学期が始まると期末テスト」=「なんかヘン」 が成り立つ。    
(忘れた絵を取りには来なかった)

2003.8.12
 高校生の女の子が二人賑やかに入って来た、手にキャンパスを持ちながら。あちこちウロウロしながら何冊かレジに本を持ってこられ、別段何の問題もなく会計を済ませて、いつもどおりに「ありがとうございました」で見送った。
 しばらくして本棚に見慣れぬ物が立てかけてある事に気付いた。さっきの女の子のキャンパスだった。夏休みの宿題か部活の作品か、鉛筆書きのスケッチが描かれている。こういう忘れ物は初めてだ。どうしたものか困ったが、置き忘れた店があづさ書店であった事を思い出してくれるか否かが、このキャンパスの行く末を左右する。さて命運や如何に。

2003.8.11
 どんな本でもいいから探して下さい、と言われてもなかなかの難問だ。どんな本でも読んでもらえるならうれしいが、これは? と言って差し出す本に限って、他に何かありますか、と来る。ならばこれは? と次々差し出してもパッとした返事はもらえない。結局は本棚からご自分で選び取って買って行かれた。なんだかんだ言ってもどんな本でも良い訳ないのだなぁ。

2003.8.8
 何年ぶりかでバスに乗った。免許を持ち自分の車を運転していればとんとご無沙汰の公共交通機関である。とは言え左側通行が右側通行に変わった訳でもバス自体の構造が変わった訳でもない。システム自体にほとんど変わりは感じられない。
 様子が変わっていたのは乗客の方。携帯の画面を一心に見つめたり写真を撮ったり、或いは片一方の通話だけが聞こえる中、話しの流れの見当をおおよそ付けてしまえる乗客の数の多さだった。

2003.8.6
 高校生もバイトシーズン。夏休み突入直後にジュースの配送関係のバイトをし始めたといっていた彼が、「今日は珍しく早く終わった。」と言って店に寄って行った。炎天下の中の仕事なのだろう、“程良く”をすでに通り越すほどの日焼け具合。顔つきも精悍になって来たような気がする。
 この暑い中の彼の重労働を思うと、缶ジュースとは言え粗末に飲めない事に気づいた。

2003.8.5
 山崎豊子さんの『大地の子』のテレビドラマを連日やっている。その時間にテレビを見られる環境にないので、ビデオの録画予約のスイッチを毎朝押してくるのが日課。
 しかしその録画した番組を見る暇がない。だから今は原作本を読み直している。

2003.8.4
 補習、補習で毎日のように制服姿の高校生を見る。そんな高校生との会話の中で昨日は“代○木ゼミナールの模試”という懐かしい単語を久々に耳にした。同年代の別のお客さんとの会話では“共通一次”に“マークシート”なる単語が出て来た。時間の遥かかなたに置き去ってきた言葉…。“5教科10科目”“河○の全国統一模試”“シケ単”“偏差値”…。

2003.8.3
 お客さんと折り紙の話をした。定番の「鶴」などもそうであるが、今も新しい創作折り紙が次々と世に誕生している。折り紙を創作するというのは不思議(私から見ると)な才能と努力の賜物に違いない。
 まず作りたいものの完成形を3次元で思い浮かべる。それを展開していって2次元の平面に置き換える。山折や谷折りなどを確立させてそして再度平面から立体へと組み立て上げ普遍的なものにする。
 ただ器用なだけでは出来ない芸当で、並外れた執念も必要そうだ。

2003.8.2
 “誕生日”という感覚はいつ頃から日本人に根付いたのだろう。そんな昔から日本人の習慣としてあったのだろうか? それとも例えば戦後、アメリカ文化と共にもたらされたものなのだろうか?
 現在の国語辞書(わりとちっさいヤツ)を引いてみると、“誕生日”は『誕生』の項に出ている。そう思って今度は昭和4年の「大日本國語辭典」を広げてみると、まず『誕生』という言葉すら載っていなかった。この当時では“誕生日”という概念がまだなかったのだろうか…。

2003.8.1
 先日“ニガウリ”を食べた。十数年前に私が鹿児島に来て始めて“ニガウリ”を食べた時は、その苦さに驚いてしまった。今となっては食べ馴れた食材で、夏と言えばこれを食べないと乗り切れないような気がするまでになった。さっと茹でて薄く切り、かつお節をパラパラ乗せて醤油をさらっとかければ出来上がり。料理の上手い下手は関係ない。
 それでも食べる度に思うのは、こんな苦いものを最初に食べた人は本当に勇気がある。よっぽど体が苦味を欲していたのだろう、と。

2003.7.31
 「出張先の奄美大島からさっき帰ってきました。」と言いいながら店に寄られたので、土産話でも聞こうとした所に携帯がかかり、呼び出しがかかったのか直ぐに出て行かれた。忙しい人は忙しいんだなぁと実感してしまった。

2003.7.30
 ネットの世界、ホームページの世界だと、店の所在地がどこなのかがわかり難いのかもしれない。逆に言えば、まぁそんな事が判らなくったって大してかまわない世界なのだろう。
 「お宅はどこですか?」、とネットからご注文されたお客さまに尋ねられた。「鹿児島です。」といった所からお身内の方が“鹿児島大学”ご出身だという話に変わり、果ては私にとっては同学部の大先輩だったと言うところまで話を盛り上げて頂いた。
 そういう“ご縁”を手繰れる可能性もあるとすれば、ネットの世界でもやはり店の所在地がはっきりしている方が言いに違いない。あづさ書店古書部とあづさ書店西駅店は『鹿児島』にございます。

2003.7.29
 飲み屋に行く途中とか飲み屋帰りにふらっと立ち寄られるご老人がいらっしゃる。今日は飲み屋に行く前にいらっしゃったが、あいにく宵の口からの大雨にたたられ、本を選んでお会計を済まされた頃には土砂降りだった。濡れて帰るのをほっとくわけにも行かず、家もそう遠くないのは知っていたので、ちょっくらひとっ走りわちきの車をとってきて、家まで送っていったってぇわけよ。
 そのご老人は東京が永かったと見えて、歯切れのいい江戸言葉(と思われる)で話されると何故か「ようがすとも!」と言いなりになってしまうのだ。

2003.7.28
 鹿児島の歴史資料館で故宮博物館の至宝の展示が始まった。そういった物が好きなお客さんが「すいているのは何曜日かなぁ?」と質問された。ちょうど別のお客さんの中でその資料館で働いている人がいるので聞いてみる事にした。ただしいつ店にいらっしゃるのかが分からない。案外展示会中はいっこも顔を出されず、開催期間が住んでからひょっこりいらっしゃるような気もする。案外そういうものである。

2003.7.27
 「昔の活字で刷ってあるドイツ語の本はないかい?」と言われ、引っ張りだしてきた所、何とかお気に召した様子だったので一先ずホッとした。そのお客さんが語るままにページを開いてよく見てみると、確かに普段見慣れないジャーマンタイプの活字が使ってある。
 この活字では当のドイツ人でさえ若い人は読めないと言っていた。本当かどうかは判らないが、見慣れたアルファベットの活字に比べ確かにスラスラとは読めない様な気もした。

2003.7.26
 日本より外へは出たことがないので、外国旅行の話を聞くのは楽しい。昔で言えば、お伊勢参りをして来た人にその道中での話を聞かせてもらうのとなんら変わりないかもしれない。今日のお国は“台湾”だった。
 そう言えば”台湾”は見たことがある。10年程前に行った日本の最西端“与那国島”から遥かかなたに“台湾”の島影だけは眺めた事があった。

2003.7.25
 立派に日焼けなさっているのに、「こんな真昼間の日差しにきつい時に外出するのはイヤだぁ」とおっしゃるお客さんがいるかと思えば、息子さんの“引きこもり”の話をなさるお客さんもいる。
 中学生の時に、B29が頭の上を飛んで行った話をなさった方の戦争の話は少々長かった。その方と同じくらいの世代のうちの父は覚えているのだろうか?

2003.7.24
 夏の高校野球の鹿児島代表が今日決まった。決勝戦を見に行っていたお客さんが、暑さの為にフウフウ言いながら店に立ち寄っていった。応援したほうのチームが惜しくも敗れ、ブウブウ言いながら帰っていった。
 私の母校はどうだったのだろう…。今まで甲子園には出られた事はないし、これから先も出られないかも知れないのに、やっぱり気になる不思議な季節である。

2003.7.23
 花火工場の事故の為、今年の鹿児島での主だった夏祭りでは花火大会は中止となっている。連日静かなお祭りが続いているが、店でこの話をお客さんとするのには気を使う。
 なぜならば、ひょっとしたら相手が花火工場に何らかのつながりを持つ人であった場合、「今年は花火がなくて寂しいですね。」では済まされないと思うからだ。

2003.7.22
 部活の為だろうか、エライ日に焼けた高校生の兄ちゃんが来たなぁと思っていると、店にあったビートルズのレコードが気に入ったみたい。普通、高校生ぐらいだと、レコードという言葉は知っていても、現物は見たことがない、聞いたことがないというのが当たり前のご時世。
 でも彼は自分のプレーヤーを持っていて、レコードも集めているという。世の中にはそういう若者も居るんやなぁ。「なかなか見つかりません。良いものは高いし…」と言ってた。

2003.7.21
 その前日には山口に研修に言って来るとおっしゃっていたにもかかわらず、また店にいらっしゃったので、「どうしたのですか?」と聞いてみると、九州北部を襲った大雨の為に交通機関が麻痺状態になったのと、それに用心を加えて行くのを延期した、との事だった。
 また別のお客さんがおっしゃる事には、災害区域近くに住む親戚に電話しても連絡が取れないとの事。鹿児島市では直接の被害はなかったものの、いろんな人々に影響を与えた事だけは間違いない。

2003.7.20
 麦茶の季節になった。作った麦茶をどうにかして発酵させれば“ビール”になるものだと子供の頃は思っていた。葡萄ジュースを発酵させれば…。他愛もない話である。

2003.7.19
 今日は梅雨末期の変な天気だった。バケツをひっくり返した様な雨と雷が鳴ったかと思うとギラギラ太陽が顔を出し、そしてしばらくするとまた雨が降ってくる、これの繰り返しだった。
 ダダイスト高橋新吉の詩に「日が照っていた/今から5億年前に」と言うのがあるが、「雨が降っていた/今から5億年前に」と変えると趣きがガラッと変わる。

2003.7.18
 小学校1年生の子供が虫好きで、自宅で蝶を幼虫から育て、さなぎにしてようやく羽化を迎えたのに、「あれ、蝶は?」と聞いた時には子供が外に逃がしてやってたあとの祭り。隣の屋根の向こうを飛んで行った後姿しか見られなかった…。結局成虫を見たのは子供だけで、「見たかったのにぃ!」とムキになって子供を叱った、とおかぁさんが話していった。
 芋虫時代は顔をしかめて嫌がったと聞いていたが、飼っている内にすっかり“情”が移ったんだなぁと思って聞いていた。

2003.7.17
 「ちょっと取り置きしといて、今度来た時に…」も時間が経つとなかなか言い難くなる。“すっかり忘れていました”名札でもあれば言い易いのだが、忘れていらっしゃらないのに、「あのぉ…」てな事を言うと失礼かなぁとか思いつつ、なにかついでのフリをして話を持って行くと、今回は確実に忘れていらっしゃった。それでもこっちが悪い事をしているみたいで変な感じだった。

2003.7.16
 今日は明治生まれの別のおばぁさん。片手に魔法瓶を持ってのご来店。中のガラスが割れたので修理に行く途中に店に寄ったとおっしゃる。魔法瓶のガラスは修理が利くのだろうか? 理論的には不可能ではないのだろうけれど、私なら修理するよりもやはり新しいものを買ってしまう。修理してでも使う精神に明治を見た。本当に修理が必要なのは、何でもかんでも使い捨て精神を持つ己の心かもしれない。

 

2003.7.15
 戦前・戦中と大陸に暮らしたおばぁさんの話を聞いた。生活の事、食糧配給の事、病気で次々亡くなっていく日本人の事。そして終戦を迎え、引き上げた時の事、引き上げてからの生活の事…。実際の生活はどんなに大変だったろう、と感じた。
 私の胸に入っている便利な携帯電話をはじめ何もかも、その時代を必死に生きてこられた方々が築いた土台の上に立っている今の生活である事を忘れてはならない。

2003.7.14
 沖永良部島に暮らす友達から、デジカメの写真が添付されたメールがきた。真っ青な空と真っ白な入道雲、真っ青な海と真っ白な砂浜。“夏”がそこでピースしていた。同じ鹿児島県でも本土の梅雨明けの宣言はまだだ。たとえ梅雨明けしたとしても、永良部のような青と白のコントラストは拝めない。

2003.7.13
 しばらく前までウィンブルドンのテニスがあった。店を閉めて家に帰るとテレビでやっているので、就寝するまでのいっとき、それを観戦しながら過ごす日が続いた。ところがテニスのルールがよく分からない。バレーボールのつもりで見ているとサービス権の移動がどうも不自然に思えてくる。点数の数え方にしても然り…。
 今日店に、テニスをやっている高校生が来たので、疑問を丁寧に教えてもらった。なんとなく判った様な気もするので、早くウィンブルドンが始まらないかなぁ、と調子の良い事を考えている次第である。

2003.7.12
 同い年の友達の実家は製菓店。小さい頃から毎年誕生日が来ると、お父さんがケーキをこしらえてくれると言っていた。長らく便りもないが今でも手製のケーキで祝ってもらっているのだろうか? 今日が誕生日。ハッピーバースディ!

2003.7.11
 今日もお日さまギラギラの暑い日だった。小さい頃には暑さなど関係なく野球帽をちょこんと乗せて、佐保川の土手の草むらを足でガサゴソ突っつくと、いろんなバッタが出てきた。カワラバッタ、ショウリョウバッタ、キチキチバッタにキリギリス。エンマコウロギ、ウマオイにイナゴ…。でも何と言ってもバッタの王様はトノサマバッタだ!あれっ? “王様”という言い方はおかしいかな。バッタの殿様はトノサマバッタだ!

2003.7.10
 今まで一度も“タガメ”というものだけはお目にかかったことがない。この季節になれば、アミを持って田んぼや川に毎日のように行っては、魚やカエルなんかを捕って遊んだ。時には“ミズカマキリ”“タイコウチ”といった水生昆虫を捕まえて自慢げに見せびらかしたりしていたが、私にとって“タガメ”だけは図鑑の中だけのヒーローだった。生息地域は「本州、四国、九州、沖縄」と書いてあるのにおかしいなぁ、絶滅してしまったに違いない、とずーっと思っている。この目で見るまでは…。

2003.7.9
 キャベツを入れたタッパーにでんでん虫を入れて、その食べ方を観察する小学生は今いるのだろうか? 奈良に居た頃はそこらじゅうに居て、でんでん虫に困った(?)事などなかったが、鹿児島に住んでいて、その姿を見かけることがないなぁと思う。
 私自身が大人になって、背が伸びて目線が上がったために気付かなくなっただけの事なのだろうか…?

2003.7.8
 古い本のページをめくっていると、どこからともなく“紙魚”がチョロチョロとはい出てくる。いったいいつからその本に住み着き、何世代の交代を経ているのか不思議になる。あるいは寅さんみたいに風の吹くまま気の向くまま、本から本へ渡り歩いているのだろうか。神さまは変な虫をお作りになったものだ。
 図鑑を見てみると「ヤマトシミ」という名前がついており、日本全土に生息すると書かれている。ということはアフリカ産や南米産の“シミ”もきっといるのだろう。見てみたい気もするが、あの形でサイズがビックだとびっくりである。

2003.7.7
 何年か前にカブトムシを取りに行った。いい大人が2人、夜中に懐中電灯を持ってクヌギ林の探索をした。1本1本クヌギを蹴って獲物が落ちてこないか調べるのだ。
 木を蹴ってからほんの4,5秒の間耳を澄ませるあの静寂がたまらない。ガサッと何か落ちるような音がすればそっちに駆け寄る、あのワクワク感もたまらない。

2003.7.6
 せっかく生まれて来たのだから、せめて最後ぐらいは腹一杯にしてやろう、と腹が赤く膨れるまでは待つ事にしている。そして満腹になって飛び立つ前にパチンと叩く。「満足だったろうなぁ」という思いにプラス「ああ、これだけ吸ってたんだ」というこちら側の満足感が、その後のかゆみを帳消しにしてくれる(よぉな気がする)。
 ところが気を抜いていると一瞬の“叩くタイミング”を逃し、飲み逃げされたり、知らない間にこっそりかまれていたりする事がある。こういう時の「蚊のかゆみ」はたまらない。

2003.7.5
 棒切れもって林に入り、地面をトントントンと叩いていると、ポコッと穴があくことがある。その穴を崩さぬように用心しながら広げていき、頃合を見計らって指を突っ込み感触を確かめる。指を挟んできたら落とさぬようにそっと引っ張り出す。セミの幼虫の取り方だ。もっともこの時期になると成虫になる為に向こうから穴を這い出してくるので、地面や木を張っているヤツを捕まえることになるのだが…。

2003.7.4
 「わっ、ゴキブリ!」と叩いて殺した。その亡骸は外に出しておく。そうするとやがて1匹のアリがら行列ができ、実に細かいパーツに分けて一生懸命巣に運んで行く。そして日が暮れる頃には羽だけがポツンと残されていると言うわけだ。それが自然の営みなんだなぁと感じていつも見ている。

2003.7.3
 友達の友達に鯨をとる船に持っている人がいる。今年はどういうわけかよく捕れるらしい(上限の規制はあっても)。母船での処理がおっつかず、鯨を発見しても見逃している状態と聞いた。
 とは言え、相手も必死に生きている。普通ならば、鯨が泳いでいるのをたとえ発見したとしても、銛を打ち込み仕留められる確立は割りと低いのだそうだ。

2003.7.2
 以前から“英語での演説集”みたいなものを、と頼まれていた。そこで今日は“ケネディ大統領の演説を録音したレコード”を提案してしてみた。なかなか気に入ってもらえたご様子でホッとしたが、カセットテープにダビングしてくれと改めて頼まれた。それはお安い御用なのだが、ダビング出来たらレコードの方はイラナイ、とおっしゃられる。御代を頂戴しておいて言うのも何だが、なんか変だなぁ、それでいいのかなぁ…と感じた。

2003.7.1
 いつもより若干中高生が増えるとテストが近いなぁ、と感じる。「テスト勉強せんとアカン」と思えば思うほど、机の上を片付けたくなったり、勉強に関係のない本を読みたくなるのは、今も昔も変わらず同じのようだ。

2003.6.30
 「弟と一緒にカナダに行った彼女が読みたいって言うから本を送ってやりたいのよ。探してくれる?」と頼まれた。探すのは簡単だが、ネットが普及しているのだからカナダから直接本人が探したほうが早かろうに、と言うと、頼られているのだから是非送ってやりたい、のだと言う。
 効率やスピードが優先される昨今、理屈はそうでもやっぱり“情”と言うものがそれらの上を飛び越えて行動する所が“人間”なんだろうなぁ。

2003.6.29
 いつもお世話になっている宅配会社の集荷係のお兄さんに、「毎日本に囲まれて、気持ち悪くならないですか?」と尋ねられた。本はぜんぜん読まない、本屋にも行かない、と以前おっしゃっていた方なのでそういう発想になるんだなぁと考えつつ、逆に「毎日荷物に囲まれて気分悪くならないですかぁ?」と切り返してみた。そのあと2人して大笑いしたが、専門性・効率的役割分担制が進む21世紀だからこそこんな質問が出て来るんだろうぁな…。

2003.6.28
 同じクラス同士、或いは同じ部活の先輩と後輩。こんな組み合わせがそれぞれ別行動で店でバッタリはち合わせ、なぁんて場面をよく目にする。なんだかお互い気まずそうで、「ようっ!」と言ったっきり沈黙が続いているのを横目で見ているとなかなか面白い。
 先輩と後輩の関係の時は少し複雑で、先輩の方は気まずいながらも威厳を保たなければならないので、“絶対ちゃうやろっ!”と思うような難しい本のコーナーにつつっと行ってしまい、訳の分からぬ本のページをめくり読んでるフリをしながら後輩が帰るのを待っている。
 同じクラスで男子と女子がバッタリという場面が面白そぉだが、豈はからんや、落ち着かずにすぐに出て行くのは男の方だ。実につまらない。

2003.6.27
 「人間の足って簡単に折れんもんだねぇ。」と年配の客さんに言われ、なんのこっちゃーと頭の中に?マークが3つぐらい浮かんだ。「さっき車にひかれてねぇ。ほら見てごらん、これはタイヤの痕だよ。」と、ご自分のズボンを指差された。見れば確かにくっきりと痕がついている。
 「私に気づかず、バックしてきた車が足の上に乗ってきてねぇ、『早くどかさんか!車が足の上に乗ったままだ!!』って怒鳴ったら、運転手が青ざめてたよ。人間の足って簡単に折れんもんだねぇ、あんたも車には気を付けなさいよ。」と言い残して大正生まれのお客さんは飄々と帰って行かれた。

2003.6.26
 鹿児島水族館の目玉“マンボウ”が死んだそうだ。以前には“ジンベイザメ”も死んでいる。どちらもでかいずう体の割には繊細で飼育は難しい様だ。それはそうとして、死んだ後をどうしているのか知りたい。死因を確かめる為おそらく解剖などなされるのだろうが、その後はホルマリン漬けだろうか? それにはどでかい容器がいる。土葬かなぁ? 穴を掘るのが大変そうだ。火葬かなぁ? 火葬場に入りきるのだろうか? まさか、死んだらもぉ生ごみ? それとも燃えないごみ? 一体その後はどうなっているのだろうか…?

2003.6.25
 「口紅変えました?」と切り出すのには勇気がいる。お客さんであれば例えうちのかぁちゃんぐらいな年頃であったとしてもなおさらだ。大体男がそんな事を言って良いものかどうかが躊躇の第1関門。そして、本当にいつもの口紅と違うかどうか、確信が持てるのかが第2関門。
 「今日はテカリ具合がちゃうなぁ、ひょっとしたら…」と思い、冒頭の言葉を言ってみた。おばちゃんがニコッ(^。^)となった。ビンゴォ大当たりぃ!

2003.6.24
 財布に入れておけばお金が貯まるから、となにやら金色に光る石をもらった。「鰯の頭も信心から」とばかりに早速財布に入れた。英語で言うと“Miracles are those who believe in them.(奇跡は信じる物にだけ現れる)”。こんな風に英語で書くと直球すぎて情緒も何もあったもんじゃない。

2003.6.23
 「学生の時は勉強しなかったくせに、大人になってみるとやたらに勉強したくなる…。」とお客さんがおっしゃるので、「“定期テストの勉強をしなければ、と思えば思うほど机の上を片付けたくなる”逆ですね。」と私が言うと、お客さんに笑われた。

2003.6.22
 夕方に「これから飲みに行ってきまぁす」とわざわざ挨拶されて出て行かれたお客さんに「いってらっしゃぁい」をかけ見送った。そのお客さんが今しがた帰ってこられた。想像していたよりは酔っ払ってはいらっしゃらない。そこまで楽しいお酒ではなかったのか“ストレス解消”とまでは行かなかったご様子。今はじっくり本をご覧になっている。人と楽しむのが“お酒”なら、1人で楽しむのが“本”の世界。その両方でストレス解消をなさる達人と見た。以上現場からお伝えしました。

2003.6.21
 カギを片手に持ったまんま自転車に乗り、止まろうとブレーキをかけたらそのカギが挟まった。ブレーキが効かない、おまけにフレームに足が引っかかり、足を着く暇なく、あれーっ!と倒れながらコンクリートに激突してしまった。しこたま腰を打った。真夜中の出来事だった。
 人が見ている前で自転車転倒すると恥ずかしいが、誰も見ていない所で1人転倒すると、悲しくむなしい。

2003.6.20
 携帯は携帯でも、他人の携帯の扱いはまごついてしまう。「操作を忘れた。メールを見るのはどぉやるんだっけ?」と聞かれてもなかなかスムーズには行かない。と言うよりも、自分の携帯の扱いを忘れる事の方がおかしいような気がする。せめて自分の携帯ぐらいは…。

2003.6.19
 理科の授業で、生物が生きて行く為には“酸素”と“水”と“栄養”が必要、と習った覚えがある。全部の生命に当てはまるとは思わないが、対外はこの法則が当てはまるのだろうと信じている。
 ところが、身近にあっていつも不思議に思う生命“カビ”。ある程度の湿度がある所に永らくほって置くとビデオテープに“カビ”が生える事がある。“酸素”はある。“水分”にもうなずける。じゃぁ、奴らはいったい何を“栄養”としているのだろう。磁気テープそのものに僅かながらでも“栄養”が含まれているとは信じ難いが、そこに“カビ”が生きている以上、奴らなりの“楽園”がきっとあるのだろう。

2003.6.18
 「飼っている犬が死にそうで…」と今にも泣き出しそうなお客さんにかけられる言葉はそぉは簡単に見つからない。とうとう涙が落ちてきた。ますます言葉が見つからない。
 「だいぶ強い人間になったはずなんですけど、やっぱり泣けます。」と言われれば、「家族が逝ってしまいそうな時に涙が出ないのは、“
強い”“弱い”じゃぁなくて“ホット”か“コールド”かっちゅぅ問題でしょ。」と慰めにもならないような言葉が出て来た。“ホット”で“強い”人間が一番じゃぁないんやろか? と思いながら。

2003.6.17
 明日から古書展が始まる。今日はその準備で鹿児島の山形屋に行ってきた。年に1回のこの催しも6回を数える。山形屋には去年もお世話になった社員さんの顔があった。
 「どぉでした過去の一年。幸せでしたか?」と私が尋ねると、「どぉしたんですか? 唐突に…。」と、ちょっと戸惑った顔をされた。一年ぶりに顔を見ると言えば七夕みたいなもの、ほんの気軽な挨拶のつもりだったのに、まんまとはずしてしまったみたいだった。

2003.6.16
お客さん:「なかなか相手してくれる女に人がいなくて…、なんでかなぁ。年をとり過ぎてるからかなぁ…。今日は雨やから早く帰らんとおかぁちゃんに怒られるから、今日は失礼します。」

わたし:「じゃぁ、帰りを待っていてくれる女の人が居るって事やないですかぁ。」
お客さん:「そらそうや。母親も女性に違いない。おかあちゃんに怒られる所やった。ハハハ」
 
私と私の倍近い年齢のお客さんとの会話。

2003.6.15
 「よく降りますねぇ」と私が言った所、「まだまだマシですよぉ」と予想外の答えが返ってきた。しばらく私がキョトンとしていると、察したのか「もっと南から旅行中なんで…。」と付け加えられた。
 奄美の雨は降り方が半端じゃないらしい(なんとなく想像は出来る)。日常それを体験していると、ここの雨の降り方でどぉのこぉの言うのはまだまだアマちゃんなのだろう。ところ変われば品変わり、上には上があると言うお話。

2003.6.14
 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。…」と書き始めた紀貫之さん。自身を女性という事にして平仮名を用い、紀行日記という形で心情を自由に書き綴った。
 1000年以上経った今でも読んでいます、と貫之さん本人に直接言うことが出来たとしたら、彼はどう感じるのだろう。やはり「どぉだぁ!わしの書いた文章は!」と胸をはって言うだろうか、それとも「裸を見られるようで恥ずかしい」と言うだろうか?
 広島からはるばる来んさったお客さんに、HPの私の日記を読んだとおっしゃって頂き、嬉しいやら恥ずかしいやらなんと申して良いのやら分からなかった。果たして紀貫之さんならどぉ応対されるのだろうか?
 『土佐日記』の最後はこう締めくくってある。「…え尽くさず。とまれかうまれ、疾く破りてむ。(…書き尽くせません。とにもかくにも、こんなものは早く破り捨ててしまいましょう。)」と。 (でもちゃんと残っとるやん!)

2003.6.13
 楽しみと商売はちゃんと分けんなぁアカンとは思うけど、それでも売れてほしくない本ちゅうもんはなんしか出てくる。そんな本をお客さんが手に取んのを横目で見とったら内心ヒヤヒヤする。「買ってぇ、でも買わんとってぇ」と。
 この前はある本の値段を聞かれる所まで事が運んでしもたけど、まぁそこまででストップ。本を棚に戻して帰って行かはったから、片一方でガッカリして、もぉ片一方でホッとしてた。
 今日もぉいっぺん店に来はって、またその本手に取らはった。あらっ!と思てる内にカウンターのその本を持って来はってお勘定。毎度あ゛り゛がどう゛ござい゛ま゛じだ
^_^

2003.6.12
 ダンスを趣味とし60近くになるお客さんを見ていると、ダンスのことは私はよく分からないが、パッと見に姿勢がいいもんだなぁと感じる。毎日パソコンに向かっていてるから、ともすれば猫背になりがちだが、姿勢を正し、頭蓋骨と背骨を一直線(ではなくS字型)にした方が、体の為にも良いだろうし、ともかく見た目がよろしい。
 ダンス、習字、弓道…“姿勢が命”の道が世の中には沢山ある。

2003.6.11
 “水へリーベ僕の船かか好くチップ黒饅頭徹子に土曜会えん…” 高校時代化学の授業で教わった水素から亜鉛までの元素記号の覚え方。これにも地域性、時代性が現れるものなのだろう。昭和25,6年に高校生だった方のお話を聞くと、なにやら当時の流行歌の節まわしで覚えていたらしい。「聞きたい!」と言ったが、残念ながら歌そのものが出てこないとの事だった。とっても残念。
 いろいろご存知の方はこちらまで
http://cgi4.synapse.ne.jp/~nishiekiten/synapse-auto-bbs/nishiekiten.cgi

2003.6.10
 夏の催し物に、小学生を対象にして、「100`を5日かけて歩きぬく」というのがあると聞いた。先着順に100名の募集のつもりが募集初日にに200名以上の応募があったと言う。
 この車どっぷり社会だからこその反応なのだろうか? それにしても5日間歩きっぱなし(十分休憩等はあるだろうけれど)なんて、今さら私には想像もつかない。

2003.6.9
 人の趣味というものは全く予想がつかないものだ。今までの系統からおよそ180度も違うジャンルの本をご精算下さり、なんかの気まぐれかと思えば、その道には相当お詳しいご様子で、ご自身の世界をすでに持っていらっしゃる。今までそんなことは一言もおっしゃらなかったのに、今日初めて“その道”について教えを乞うた。
 改めて言うが、人の趣味というものは全く予想がつかないものだ。

2003.6.8
 確か部活が現役だった去年は、文化祭に対してエライ冷めた事を言っていた様な気がするが、引退してOBとなった今年、部活の文化祭の模擬店では、たいそう張り切って活躍したらしい。
 去年とは大違いだ、と思いながら、“どれだけ売ったか?”という彼の話に耳を傾けていた。

2003.6.7
 「もしもし、私よ…」、と90になるおばあちゃんから電話がきた。電話の向こうがヤケに騒々しい。ははぁん、さては‥、と思い次のせりふを待っていると、案の定腰痛で入院したとの事だった。だから読む本に不自由しているから、適当に見繕って病院まで持って来いと言われるのにももぉ慣れっこ。
 本を届けに病院に行ってみると、ちょうど食事の時間と重なったが、相変わらずお元気そうなのでホッとしつつ商売は済ませ、さて帰ろうと思っていると、「嫌いだからこれを持っていけ!」と、そそくさとタッパーを取り出し、自分の病院食のおかずをそこに入れ出した。言い出したら聞かない(耳も遠いし)人なので、「嫌いでも食べないと…」と一応無駄な抵抗をしつつ頂いて帰った。私は一体何をしに行ったのだろう?

2003.6.6
 「高校3年になって―」とくれば、“勉強がイヤだ”とか“受験が大変だ”という言葉が続いて出てくるのかと思いきや、「高校3年になって良かったぁ!」と言うもんだから思わず「えっ!なんで?」と聞き返してしまった。
 「だって、先輩の命令でHな本をコンビニにもぉ買いに行かなくてすむから!」には、笑っていいのやら一瞬分からなかったが、笑ってしまった。

2003.6.5
 久しぶりに手紙を書いてみた。我ながら汚ったねぇ字に改めて驚いてしまう。中学校2年の時の担任の先生が国語の先生だった為、夏休みの宿題に“天声人語”を毎日書き写す、というのが私だけプラスされた。
 この歳になり、朝日文庫から出されている“天声人語”を集めた本の中で、当時の項を見ているとそれを思い出す。そして、字を丁寧に書くようにとせっかく出して頂いた宿題だったが、その成果は残念ながらさっぱり、であったと反省はするのである。

2003.6.4
 私が生まれた年に起こった“3億円事件”の犯人は、果たして幸せになったかどうかという話で、お客さんと盛り上がった。お客さん曰く「時効まではもちろんの事、時効を過ぎたとしても、お金を派手に使うわけには行かないだろうし、『自分が“3億円事件”の犯人だ!』とは身内にさえ言えないよ。それで幸せになったとは思えない。」
 それまでどおり普通の顔をして、目の前(ではないかも知れないが)には使いたくても普通の金銭感覚でボチボチとしか使えない、使い切れない程のお金。使わなければお金はただの紙。いやそんな事情なら、ただの紙キレの方がよっぽど始末が良かったかもしれない。あの3億円は本当にどこに行ったのだろう…?

2003.6.3
 お電話を頂いた。かれこれ長い間お付き合いを下さったお客様からだった。「緑内障になって、手術も無理で、もぉ本が読めんよぉになりました。お世話になりました。」というものだった。
 本が読めなくなっただけで今生の別れというものでもないだろうに、それがその方のけじめのつけ方だったのだろう。こちらも挨拶を済まし、静かに受話器を置いた。
 そんな事があるかと思えば、これまで動きに不自由さのあった右手が少しずつであるけれど動かせるようになった、という知らせがさっき届いた。こういうハッピーな出来事もある。

2003.6.2
 「今日は落ち込むことがあって…。」と言われれば、相手がお客さんでなくとも、「どうしました?」と尋ねるだろう。「生徒に良かれと思って貸した本を勝手に○○に売りに行きやがった。」とか、「留年防止にいろいろテストも用意したのにサボりやがって。」と聞けば、“先生”と言うのも報われる仕事じゃ決してないんだなぁ、と感じてしまった。特にヤケ買いに走るというほどでもなかったが…。

2003.6.1
 今日は、高校生に“ニキビのつぶし方”なるものを伝授(?)してもらいました。フムフムと真面目に聞いている自分がおかしかったです。それにしてもいまどきの高校生は、男の子の肌がツルンツルンなのには驚きます。それがいま時の男子のたしなみと言うものでしょうか? 背も高く顔立ちもすっきり。いい匂いの香水も必携アイテムの1つ。でも、大事な外面にともなった肝心の中身は…?

2003.5.31
 朝一番に出張買取に行った。一応台風一過と言う所だったが、そぼ降る雨の中、お客さんの家を尋ねると半分寝ぼけた様な、こちらも余りスッキリしないお顔でのご登場となった。
 大丈夫かいなぁと思いながら、一通り計算を済まし、早々に退散した。頭が冴えて来て、「やっぱりあの本は売らない。」と言い出される前に。まぁそんな事は決してなさそうな雑本の類いだったが…。

2003.5.30
 「この前きた時よりイイ本が増えてますね。ほしい本がいっぱいあるけどお金がない…」。お金がないのは本当に残念だけれど、こういう風に褒めて頂ければ、「あぁ、集めてみて良かった!」と、天にも昇る気持ちになってしまう。
 台風の接近で、ある会合がキャンセルとなり、時間が出来たとおっしゃって久しぶりに寄って頂いた。今日は台風に味方してもらった気がする…。

2003.5.29
 店の奥からなにやら声がしても、お客さんが携帯でしゃべっているのだろうと思う今日此頃である。そんなとこだから返事もせずいると、今日は本当に私に話しかけていらっしゃった(と、言っても本の値段のお尋ね)。
 こっちは携帯でしゃべっていらっしゃるのだろうと思っているし、お客さんにしてみれば答えが私から返ってこないので「あれ?」と思われる。店の中で不思議な沈黙だけがしばらく充満していた。

2003.5.28
 船好きの古い友達が、雑談がてら店にやって来た。本を買うつもりはなかったろうに、それでも未処理の本の束の中からこれはと思うものをササッと選び抜いた。本選びには抜け目なく、さすがイイ物を引っこ抜いたなぁといった感じだった。多少お友達価格になってしまったし、実に惜しい物を持て行かれたが、なぜかこちらも気持ちイイ。
 しょっちゅうある訳ではないけれど、私が、“これはいい本!”だと信じていた感性を、お客さんと共鳴出来た時に、こんな気持ちになれるのかも知れない。

2003.5.27
 学生カバンの中からゴソゴソと数冊の本を取り出すともぉカバンはぺったんこ。買取の計算をしながら「教科書とか全然入ってないやないですかぁ。学校に“置き勉”ですか?」と尋ねてみた。お客の学生さんは最初キョトンとしていたが、「いえいえ、いっぺん家に帰って売る本だけ入れてきました。」という答えが返ってきた。なるほど学校に持っていってもし先生に見つかったりしたら、そっちの方が大変だ。

2003.5.26
 お客さんに不思議な男の子がいる。「こんなモン絶対売れませんよぉ!」と彼が言う(私自身も誰が買うんだろうとどこかで思っていた)と、そんなに時を空けずして店頭で売れたり、あるいはネットで注文を頂いたりする。最初は偶然のラッキーかと思っていたが、何回かそういう事があるので、不思議には違いないけれど何らかの力を感じたりするようになった。
 こうなったら店の商品全部に「こんなモン絶対売れませんよぉ!」と彼は言ってくれないかなぁ。そうすれば…。

2003.5.25
 『宇宙人の死体写真集』なる本を見ていて思い出した。私が小学校6年の時の遠足の帰り道のバスの中から、UFO(らしき物)を見てみんなで大騒ぎになったことがあった。今になってよく考えると、ヘリコプターの上昇だったような気もするが、小学生の脳ミソではそんなことお構いなしに「UFOやっ!UFO見たでっ!」と、鼻高々く話していたような…。それが何であったかもぉ確かめる術はないので、どこの星からやって来たかは別としても、確かに“未確認飛行物体”という事だけは言える。

2003.5.24
 「ヤバイっす!税金が払えない!」と言いながらマンガを売りにきたお客さん。まぁ、税金がどれくらいのものか知らないが、今日のような内容と量じゃとっても間に合いそうにない。その旨を告げると、「いいの、いいの。タバコ代になればいいから…。」だとさ。タバコ代ぐらいにはなるかぁと、なぜか肩の荷がおりた気になった。

2003.5.23
 「お酒関係の仕事はイカン!どぉしても飲んでしまうから…」が今日のお客さんの本音だろう。お医者さんに止められ、何回も入院して、それでも飲まざるを得ないのであるから体に良かろう筈はない。いつ来られてもお酒の臭いがする。
 自分に当てはめてみた。「本関係の仕事はイカン!どぉしても読んでしまうから…けどイイ。」クンクン、自分は本の匂いがしてるのかなぁ。

2003.5.22
 「日本の作家はまわりぐどくってイヤです!」と、お客さんにきっぱりと言われては返す言葉もないが、でもお若いの、そういうことが言えるのはこれまでに自身がちゃんと読んで来たからで、読んでいなければそんな事はいうことは出来ないのである。だから大したもんだ、とおじさんは思った訳である。そうじゃない日本の作家もいる訳だから、外国物に飽きたらそう言うモノを探してみるのもいい。

2003.5.21
 勝手な思い込みとは思うが、当時からもぉいいお年寄りで、ここ数ヶ月から或いは年単位でお顔を拝見していないと、もしかしたら恐らく…、てな結論を導いてしまう。
 そんな方々が昨日今日とひょっこり店にいらっしゃったので、うれしいよりも先に腰が抜けるぐらいビックリしてしまった。まぁ本当に腰を抜かしては失礼なのでほどほどにごまかしたが、私が妙に饒舌なのでかえって不思議に思われたかも知れない。総括すれば嬉しかったに尽きるのである。

2003.5.20
 一目惚れして以来、思い返せば長い付き合いとなっている。雨の日もカンカン照りの日も火山灰の日も、朝も夜もわがまま言うことなく付き合ってくれた。ヘコました事もあったが大きなケンカもする事もなくここまでこられたのはひとえに、出来のいいヤツだったからに他ならない。大して上手くもないのに大きな声で歌う私にいやな顔一つせず、規則正しくリズムを刻む。知らない誰かが一緒になったってへっちゃらさ。ヤキモチなんて焼いた事もない。
 今日、愛車の車検が済んだ。

2003.5.19
 道路工事で交通整理をしている人にも、上手い下手がどうもあるみたいだと思っていたところへ、実際にそれをなさっている方が店に来られたので聞いてみた。確かに、あまり下手すぎるとドライバーからクレームがつき、挙げ句は現場を去らなければならない掟らしい。また、バスは必ず優先させないと運ちゃんのご機嫌がエライ悪くなり、タクシーの運ちゃんはそぉでもないらしい。一番困る(?)のは緊急車両。これはすべての流れの段取りを全部止めなければならないから、いろいろな意味で予測がつかなくって大変と言う。
 スムーズに流すのも収拾がつかなくなるのもその腕次第だろうから、大変な仕事である事には違いない。お天気にも泣かされるのだろうし…。

2003.5.18
 本日私が店で頂いた語録。「わぁ損したぁ!他の所で○○円で買ってしまったよぉ。ここなら1/3で済んだのにぃ…。」「えっ!? 売れないんですか?」「息子の本だからいくらでもいいです。お願いします。」「教会がこの近くにあるから毎週来ます。」「寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ」「がんばって下さい」「バイバイ」…。
 今日もいろんな言葉が心に残った。

2003.5.17
 短歌がご趣味のお客さんから電話でご質問があった。どなたかの短歌を読んでいらっしゃる時、「出てきた語句の意味が分からないの、もし知らなかったら調べて」というものだった。その語句とは“ローズヒップ”。
 そぉ言えば耳にした事が有るような無いような…ローズマリーじゃないよなぁ…あれ? なんだっけ? ローズ+ヒップ=薔薇のお尻…??? 、と思いながら「困った時のインターネット」で検索してみると、答え一発。ハーブの一種だと分かり、即お客さんに電話をかけた。
 えらく感謝されたが、それはインターネットがすごいのであって、私がすごい訳ではなかった。

2003.5.16
 トカラ列島で鳥類のご研究をなさっている方が店にいらっしゃった。なんでも鳥類に関してほしいし研究資料の存在をHPをご覧になって知ったとか。そういう方々は、鳥でも魚でも埋蔵文化財でも、それぞれご専門の話をなさる時は、実にいい目をなさってお話下さる。だから相手が迷惑に感じていたとしてもそっちのけで、ひっ捕まえては話をするのである

2003.5.15
 
!」て、た。し、が、
 ま
。おう。

2003.5.14
 何件も面接を受け、そのたんびに暗くなっていらっしゃったお客さんが、こんなにも変わるものか、と驚くぐらいに饒舌になって、ようやく慣れだした新しい仕事について語っていかれた。そういう話だと聞くこちらも気持ちが軽い。

2003.5.13
 私如きが居なくても…、と思っていたら、「この前は店閉まっていたねぇ」と数人のお客さんから言われた。その度に「はぁ、勉強を兼ねてちょっと郷へ…。」と答えている。
 その帰省の時間の合間に、私が物心ついた時からあった古書店に立ち寄れた。高校生ぐらいまでは敷居が高く感じられ、横目で店の前を素通りしてばかりいたが、この歳になって、憧れていたその古書店に改めて入ってみて、新ためていい空気を吸わせてもらった。けして広くはないが、いい本を見させてもらって、良い刺激になった。

2003.5.12
 「今日は一人で来たよ。」と言われて、「ん? そぉ言えば、いつもは奥さんとペアだったよなぁ。奥さんは今日は用事で、それで1人で来た、ちゅう意味かなぁ?」と考えながら、適当にヘラヘラしてしてたのに、その真意を聞いて言葉が出なくなってしまった。
 奥さんが散歩をしている途中で、誤って海に転落してそのまま亡くなられたという事だった。今年3月にペアで店にいらっしゃったあの奥さんが、今は他界されたと聞いて、慰めの言葉すら出て来やしなかった。

2003.5.11
 随分長いことお見かけしなかったので、とうに引っ越されたのか、はたまたご病気かと想像していたお客さんがひょっこりいらっしゃった。あまりに久しぶりなのでかえってこちらが気恥ずかしくなり、話し掛けるタイミングを見つけられずにいたが、何とか糸口を見つけ会話にこぎつけた。
 長くいらっしゃらなかったのは、私が嫌われたわけではなく、“釣り”にはまってしまったとの事だった。「魚屋で買えば○○円ですむのに!」と奥さまからお小言を言われながらも、今日も高い雑魚(?)を釣りに行かれた事だろう。

2003.5.10
 友人から電話があり、休日にあいている病院を教えてくれと頼まれた。とりあえず新聞を開きめぼしい病院を教えた後、一体何事かと尋ねてみると、激しい腰痛に見舞われ、どうにもこうにも出来ないとの事。前日に物を持ち上げた際に“ピキッ!”と来てから一昼夜、痛くて眠られなかったようである。
 もぉこれで当分ゴルフが出来ないのかなぁと、あくまでゴルフにこだわっていたが、今はそれどころじゃないだろう、と内心あきれてしまった。

2003.5.9
 恥ずかしい話だが、“左官”と“大工”は似たようなもの、乱暴に言えば同じものだとずっと思って生きてきた。中国人のお客さんが店に来て、「私は左官です。」とおっしゃられるので、「大工さんですかぁ」と念を押してみたら、「違います。中国では“左官”と“大工”は違います。“左官”は瓦工、壁を塗ったりしています。大工は建てます。」、と教えてもらった。中国ではそぉなのかと思いながら辞書を引いてみたら、日本語としても“左官”と“大工”は、明らかに役割の違うものであった。

2003.5.8
 金あみ越しに自分の卒業した小学校の校庭を見た。20数年の時を隔てていても、今そこでドッチボールに熱中している子ども達は、私自身であり木村君であり、中川君であり新谷君であった。木陰で集まってしゃべっている女子は山田さんであり、竹本さんであり斉藤さんであった。何にも変わっていなかった。
 あまりじぃーっと見つめていると、「変なおじさんが見ている」と通報されかねないと思いその場を立ち去った。時代の空気だけは確実に変わってしまった。

2003.5.5 子供の日
 俳優の「クリスチャン・スレーター」に一目惚れしたという女性が、とにかく何でもいいから見つけてくれと先日要望された。ご自身もスレーターの写真集を新刊屋さんの注文したらしい。
 今日笑顔で、注文していた本が手に入ったと店にいらっしゃった。ところが「スレーターは女性キラーだ!」ということをどこかで耳にされ、100年の恋も少々冷めてしまった様だった。自分の好きな人を独り占めしたい、自分の好きな人はなににおいても潔癖でなければならない。生身の人間には難しい。

2003.5.4
 “海の日”に鹿児島の錦江湾を泳いで横断する大会が毎年開かれ、年々参加者が増えている様子を、ずっと参加してきている友達から聞いた。横断する人が集まり過ぎて、今年は先着80組までらしく、応募が始まって1週間、しかもまだ5月だというのにもぉ定数ははるかに超えているらしい。今年の参加は黄色信号かもなぁ、と彼が漏らしていた。

2003.5.3
 連休がしっかりあって、ものすごく天気が良いのに、する事がないからとパチンコに行ってン万円負けて帰ってりゃ、世話はない。ン万円分の本を売ろうと思えば、いったい何時間店に張り付いていなければならないか…。お客さんの財布の事ながらあまりのバカバカしさに、話を聞きながら呆れてしまった。

2003.5.2
 夜は寒く、昼間はクソ暑い。と、残るは朝。珍しく早起きをしたら朝日と空気が気持ちよかった。この気持ちのまんま、閉店の夜中1時半まで居られれば随分違った世界になることだろう。
 まぁ、そんな気持ちをなくして行くのはあたかも人のせいにしているようだが、意気消沈していっているのは全部自分の心の持ちようなんだなぁ…。

2003.5.1
 ゆくゆくは京都に行くからと、タイトルに“京都”が付いた小説をお探しのお客さん。毎度、毎度それは片っ端から、ご希望に合致するものをお買い上げ頂くのは、大変ありがたいし、京都に行くお役に立つのもうれしいものだが、京都が舞台の殺人推理小説ばかりで、それで本当に役に立つのだろうか? 参考に‥というのはもしかして…。

2003.4.30
 最晩霜の時期か、肌寒さが戻ってきた。鹿児島(だけではないかも知れないが…)では“おなごダマカシ”と言うと、お客さんに教えてもらった。寒くて1枚羽織りたいが、冬物はすっかり収めてしまった後に来る寒さの事だろう。

2003.4.29
 交通事故で幼なじみが逝ってしまったのは、15年程前の私が二十歳のゴールデンウィークだった。訃報を聞いて駆けつけようとしたが、GW中につき交通手段がどこも一杯で、そばに行く事は出来なかった。
 彼が生きていれば、今ごろは奥さん子供に囲まれていたのかもしれない。そぉ思うと、彼の分まで“しんどい”事も“楽しい”事も味わって、生きなぁアカンねなぁ、へこたれてでもなんとか生きやんとアカンねなぁ、と考える。そぉでないと「しんどても僕は生きたかってん!」って、彼に怒られてしまう。

2003.4.28
 「ネットで物を買うのは、どぉも気が引けてねぇ」を連発される。この店には初めてお越しになったお客さんの言葉。その方が引っかかっていらっしゃるのが、個人情報を気安く知らせる事への警戒感からのようだ。
 確かにそれは強く感じる。そういう諸々の事をお知らせ願った上で、お取引を願っているわけであるから、情報をぞんざいに扱うととんでもない事が起こってしまう危険性を含んでいる。
 「便利は不便」―車、携帯、インターネット…。便利な器械も使い方を間違えるとたちまち凶器になってしまう。

2003.4.27
 高校生で、しょっちゅう店に来ては、棚をザッと見て帰って行く。何を買うわけでもない。それでもしょっちゅう顔を見る。よっぽどほしい本がないのかなぁ、品揃えが悪いのかなぁ…、と来店の度に感じていた。
 今日はどうしたことか珍しく、本を2冊手に持ってレジに来た。何の本かなと思って見てみると、SFの小説。そういえばSFの本はあまり置いてなかったなぁ。自分がSF小僧だったくせに、21世紀になって棚からだんだん姿を消させていたなぁ。なんだ、SFが読みたいならそぉ言ってくれれば、また棚に復活させておいたのに…。
 お客さんの探求書が分からないと、お互いに損をするお話が、ちょっとだけ解決した。

2003.4.26
 ♪長い夜ただ1人 遠い道ただ1人/愛なんて来やしない そう思う時には/思い出してごらん冬 /雪に埋もれていても/種は春 おひさまの/愛で花ひらく ♪

2003.4.25
 台風2号から変化した低気圧のせいで、強い横なぐりの雨となった。そんな中、ネットでご注文の書籍発送分を宅配便屋さんに取りに来て貰ったが、こんな日は特に「大変だろうなぁ」とつくづく感じてしまう。おかげで全国に書籍が発送出来ているのだから、私如きは、宅配便屋さんとゆうびん屋さんには足を向けては寝られないのである。
 21世紀になってネット機器がどれだけ発達しても、“物質瞬間移動転送機”でも発明されない限り、結局書籍は人に運んでもらうしかないのであるから…。

2003.4.24
 店の外で自転車の“チャリンチャリン”が聞こえ、おじさんが“OK”サインを出していた。先日職を求め面接を受けに。厳選された7人の中から2人が採用されるんです、と言っていた。「今回もダメかも…」と、すっかり“落とされ慣れ”していた人から出た“OK”サインと笑顔に、私は店の中から拍手で答えた。

2003.4.22
 筋書きのない物語と言った所だろうか? 今日であった2歳の男の子がまさにそうであった。笑ったこと思うと泣き出し、しゃがみこんだと思うと駆け出す。なっなんで?というものに異常なまでに興味を持ち、興味をひきつけようと試みたものには知らんふり。
 小説より奇なり珍なりまた不思議なり。子供に不思議さを体当たりに体験して少々めんくらう幸せを感じた。

2003.4.21
 「線が引いてある本を見ると、そこに前の持ち主の魂を感じるからいい、やみくもに引いた線じゃぁないだろうから…。」と。なるほどそういう考え方をするお客さんもいらっしゃるのだなぁと思った。
 蔵印を押したり、赤線を引いてしまうからには、当然棺桶まで持っていくつもりで、そんな覚悟を持って傷物(?)にしてほしい。そんな覚悟がないのなら出来るだけきれいなまんま処分してほしいと思ってきたが、線引きの本をものともせず、必要として頂けるお客さんもおられるのだなぁ…。

2003.4.20
 思いっきり顔半分腫らして、鼻から出た血がすでに固まっている状態で店にくれば、たいがいは何?って思うはず。ましてやそれが顔見知りならなおの事。自転車でスッ転んだと言い張るが、そんなんで出来た怪我やない、と思いつつも大人の本人がそう言う以上こちらも突っ込めない。いろいろあったんやろなぁと想像しながら、こういうことは子供の世界にもざらにある話で、結局他人に本当の事は言えずに、自転車でこけた、と言わざるを得ない子達もたくさんいる。

2003.4.19
 今ごろは船に揺られているのだろうか? 今日いらっしゃったヤンキー風のお客さんは、大阪からバイクで3日かけて鹿児島入り、今日の船で沖縄まで行くとおっしゃっていた。ばりばりの大阪弁を懐かしく聞きながら、旅の無事を祈った。
 船旅は長い。長いと腹も減る。ところが船の売店で何か買うと、やけに高くつく。船に乗る前にコンビにかどこかで少し多めに食料を調達しておかれた方が良いですよとアドバイスするのが、私の出来る精一杯の旅のはなむけだった。

2003.4.18
 とにかく洋画(に限らず海外ドラマも含む)の原作を探されるお客さんがおられる。映像が良いか、原作が良いかと言うのはどうでもよいらしい。とにかく双方の違いを知りたいのだそうである。挙句は原作本=原書まで守備範囲を広げそうな勢いだが、今のところそこまでは到達していないようだ。
 原作本を日本語訳にしたものは、(大変)失礼だが、それを訳される方の語彙力にかかっている。私なんかが逆立ちしたところで、「ENDLESS NIGHT」を「終わりなき夜に生まれつく」(アガサクリスティ)とは訳せない。

2003.4.17
 辞書というものは新しければ良いと言う物でもない。確かに新しい辞書には新しい言葉が加えられてはいるが、反面古くて使われなくなった言葉が削除されて行く。古い書物を読んでいると、当然現代の言葉や単語は出てこない。その当時に生きていた言葉のままだから、その時代の辞書というものがあればとても強い味方になるのだ。古い辞書が汚いからといって馬鹿にしてはいけない。

2003.4.16
 今日も日差しが強かった。ここ1週間の間で、外で仕事をしたり、遊んだりした人の“日やけ度”がすごい。「晴読雨読」の真似事が仕事の私としては、いくつになろうと、小麦色に日焼けした顔や腕がうらやましい。
 あんな具合に体を焼いてみたいが、本が日焼けしてしまうのはご免蒙りたい。そんな私の意に反して、蛍光灯でさえ本を焼いてしまうのに、私の肌は白いまんまだ。

2003.4.15
 店の階上に住み、今度高校生になった人がパソコンを持ち込んできた。初めてパソコンを買ったのはいいが、説明書のとおりに最初からやっているのに上手く行かないと言う。「横で見てるから、自分でやってみ。そのほうが覚えるから…。」
 ということでパソコンの立ち上げはなんなく済んだが、私の想像以上に感謝されて、かえってこちらが恐縮してしまった。でも実は私がした唯一の事はと言えば、最初にスイッチを押しただけなのに…である。

2003.4.14
 今日の新聞には、折り込みチラシが1枚も入ってなかった。そういう日もあるのだなぁと思いつつ、ひょっとしてうちだけ挟むのを忘れたのかなっ? という疑問もわいてくる。まぁ、どちらにせよ普段はあまり熱心に見ることもなく、そのままゴミになる事の多いものだからいいのだけれど、今まであった物が不意になくなると、かえって寂しいというお話。

2003.4.13
 
阪神ファンから電話があった。あの人の声を聞くと、その日阪神が勝ったのか負けたのかが一発で判る(といっても電話をかけて来るのは勝った時に限っているが)。思い起こせば私が高校生の時に優勝してそれはそれはえらい騒ぎになった。
 
もぉかれこれ20年近く前の事になるが、あの至福の時間を再び味わいたいが為、全国の阪神ファンは今日も生きている

2003.4.12
 「振動がすごかった」「ガラスが割れていて学校に入れない」「赤い火が見えた」と生々しい話を高校生のお客さんから聞いた。昨日あった花火工場の爆発事故の現場は、さほど遠くはないが、私自身は空震には気付かなかった。ところが、新聞などの映像を見るとその爆発のすごさが窺い知れる。
 その爆発の何分の1かあるいは何倍か想像も付かないが、ミサイルが、爆弾が、砲弾が上から降ってくるのが日常茶飯事になっている国がある。

2003.4.11
 さかのぼって考えれば、いくつぐらいの記憶が果たして一番古いものなのだろう。三島由紀夫の様に生まれた付近の記憶はもはやない。それどころか弟や妹が生まれる以前の記憶というものが思い出せない様な気がする。そこには確かに時間は流れていたはずなのに…。
 その頃の光がこの宇宙空間を今も漂い進み続けているとしたら、どんな遠くでも見える望遠鏡で33光年のかなたから日本を見れば、1,2歳の時の私の時間がきっと覗けるはず。

2003.4.10
 最近やたら怪我をしている人が目に付く。お金を受け取るときに手から血が流れていれば、たとえ鬼でもビックリして聞くだろう「どうしたんですか?」と。ある人は、バイクでこけたといって、片方の腕がパンパンに腫れていた。「腕が動かない。でも大丈夫!」
 素人の目から見ても大丈夫そうには見えないのに、病院にも行かずにあの確信は一体どこから来るのだろうか?

2003.4.9
 本に挟まっていた写真が落ちてきた。海岸で撮ったと思われる白黒の古い写真。その中では海パン姿の男性がぎこちない笑顔を浮かべ写っていた。他界されたと、そう言えば手ばなされた奥さんがおっしゃっていた事を思い出した。直接お会いした事はなかったが、この方がご主人なのだろう。
 例え人がこの世におさらばしても本は残る。そうして次に必要としている人の元へ貰われて行くのであろう。大切にしてくれる人の元へ行ける様にと願いを込めて、本のデータをパソコンに打ち込む。

2003.4.8
 当然だが世の中には戻るものと戻らないものとがある。トカゲの尻尾はたとえ切れてもまた元に戻る。金魚の尻尾は元には戻らない。ビルや道路はお金があれば元に戻すことが出来るが、一度失われた命はもぉ戻せない。

2003.4.7
 「第2次大戦時のナチスドイツがスターリングラードに攻め入り、悲惨な結果となった」史実を映画化し、昭和50年代後半(おそらく)に上映されていた(らしい)映画のタイトルをご存知な、戦争映画にお詳しい方がこれを読まれることを願っております。それをご覧になったというお客さんからぜひタイトルを知りたいとご質問を受けましたが、スターリングラードが舞台だったという記憶しか手がかりがなく、糸口が見えません。ご存知の方がいらっしゃいましたらこちら(クリック)までなにとぞよろしくお願い申し上げます。

2003.4.6
 「花より団子より本。コタツに入って本を読むのが一番楽しい。テレビもお笑いか戦争しかなくってつまらないし…。」と、痛快なことをおっしゃられたお客さんが唯一ご覧になっているというドラマ「ちゅらさん」の話で盛り上がった。
 ドラマゆえに、到底あり得ない設定だなぁとは思うが、あの明るさにあやかりたいが為、私も時間録画でビデオに撮って、ついついはまって観てしまっているのである。

2003.4.5
 いくら春休み中に部活の合宿があってそれどころじゃなかったとは言え、やっと出来た彼女をほったらかしにして置いたらアカンやん。たまには電話かメールぐらいはせんと、相手がいつまでも同じ気持ちのままいてくれると思たら大間違いやでぇ!男はマメに行かんと!部活のレスリングのことはさっぱりわからんけど、それくらいは経験で言えるでぇ、って今度高3になる男子を掴まえて、説教をたれてしまった。
 「ウッス、今晩電話してみます。」とかわいげな答えが返ってきた。

2003.4.4
 商売人として、誤って不良品を売ってしまえば、信用にかかわってくるので、なんとしても第一に処理しなければならない。謝るし、代替物がある時はそれに変えるし、それがないときは御代は返す。
 まぁ今日は代替物+αでご勘弁頂いたつもりが、数時間後にはそのプラスαが“焼き鳥”に変わって帰って来た。なんとも恐縮してしまった。

2003.4.3
 鹿児島大学の入学式が今日あった。とっくの昔の自分の入学式の事を思い起こせば、確か前日に寮の先輩から“イモ焼酎”の洗礼を受け、二日酔いのフワフワ状態のまんま入学式に出た様な気がする。
 若かったからとは言え、今から思えばよくあれだけ飲めた(飲まされた)ものだ。思い出しただけでウッと気持ちが悪くなる。

2003.4.2
 小さい頃には“考古学者”に憧れた話をしたら、「今は“本の考古学者”ですね。」と言われた。とうてい“学者”という言葉は付きはしないが、本の考古学を追っかけようとしていると言えば、ちょっとは近いのかもしれない。
 “本の考古学者”かぁ…。なんだかこの言葉が気に入って耳から離れなくなってしまった。

2003.4.1
 いつもは夜遅くにいらっしゃるお客さんが、今日は夕方早い時間にいらっしゃった。「どうしたのですか?」と聞いてみたら、今日は入社式で早かったのだとおっしゃる。
 そう言えば、ずいぶんお世話になった前の会社の入社式では、私が代表として社長を前に言葉をしゃべったなぁ。前日にそれを命じられて、適当にしゃべったが、社長が気を使われてか真っ先に拍手されたのを見て、つまらん内容の事をしか言えなかった事をヒシヒシと感じた。

2003.3.31
 写真集お買い上げのお客さんに、「お花見はされましたか?」と尋ねてみても、その答えはNO。「花より団子」ならぬ「花より写真集」と言った所だろうか。

2003.3.30
 お花見帰りのお客さんの顔が赤くほてっていた。お酒は飲んでないと言う事らしいので、「それはきっと“日焼け”されたんですよぉ」というと、「いや、そんなはずはない!」と言い返され、「日焼けだ!」「違う!」と言葉のバトルをしてしまった。
 女性に“日焼け”の言葉はもともと禁句だったかなぁと、あとになって気が付いた。

2003.2.29
 土曜日は近くの郵便局が休みなので、注文分の書籍を発送する為に、鹿児島の本局まで行った。カウンターの向こうでは今度配属されたばかりの新人さんが、あれやこれやと指導を受けている様子。4月から公社となる巨大組織の中で、いろいろと人間関係も複雑なんだろうなぁと、余計な老婆心を起こしてしまった。

2003.3.28
 「将来はねぇ、小屋作って、本棚作って、そこに本並べるんだよぉ。それがおじさんの夢っ! だからねぇ、その小屋の為に今からぼちぼち木を植えてるところ…。蜜柑、桃、サクランボ、柿。その方が実のなる楽しみがあるでしょ。あとは田んぼと畑をいじくってなんとかね。でも、うちのかぁちゃんがまだウンと云わん。」
 晴耕雨読―晴れた日は出て耕し、雨の日には入って書を読むこと。田園に閑居する自適の生活を言う。(広辞苑より)

2003.3.27
 こちらにわざわざ出てくるよりは安上がりなのだろう。鹿児島には離島が多く、こちらでは普通に手に入る物が離島ではなかなか手に入らない物が多いらしい。だからネット販売というものと切っても切れなくなっている話を、沖永良部に住む友人も言っていた。
 でも一番いいのは、出張か何かで島から出たときに、なんやかやついでに手に入れていく事だそうだ。そこら辺、値段との折り合いをつける苦労が、島に住む人たちにはあるのだなぁ。

2003.3.26
 むかぁし近所に、“ぱふ○ち”とあだ名をつけてガキ共の間で呼んでいた人がいた。すこぉし頭に障害があるのか、行動に不確定なところがあり、追いかけられた話を聞いたりしたが、今から思うと、それはガキ共が大声で彼をバカにしたからで、それ以外はさして悪いことはしなったようだ。
 この近所にもそういう人がいて、よく店のジュースのゴミ箱をあさっては、缶を並べたりしていた。まぁ目障りなところがないでもなかったが、別段散らかすわけでもないし、とりたてて危険人物というほどでもないのでいつも知らん顔をしていた。
 でも、誰かが通報したのだろう、今日その人がパトカーに乗せられて、連れて行かれるのを見た。パトカーの後ろの席でちょこんと座り、おびえた目が強く印象に残った。これと言って悪い事などしてないだろうに…。

2003.3.25
 買い取り金額を告げたあと、しばらく財布の中身とにらめっこをして、「それでお願いします」。今日が終業式の学校が多い。春休みに入って、寮生活の彼はこれから隣の県まで早速帰省するようだ。
 「これで何とか特急に乗れそう…」。”特急料金の足し”とまでは読んでなかったが、持って来た冊数の割には少し高めの金額をつけておいてまずは良かったのかなぁ…。

2003.3.24
 食べ物を長く置いておくと、腐ってダメになる。ところが物とやり様によっちゃぁ、醸してよりレベルアップした食べ物もある。本も同じで、時間がたてば腐ってしまうもの(読まれなくなってしまうもの)もあれば、時間がたてばたつほどに、芳しい匂いを放つ物とがある。
 「押入れから出てきました。」という今日の本は、残念ながら旬をとぉに過ぎ…腐りかけていると判断させてもらった。

2003.3.23
 「“戦争”を毎晩見てるから、寝不足で寝不足で。しかも攻撃が夜中の3時とかでしょ…ハハハーッ。」 オリンピックじゃあるまいし、『ハハハーッ』はないだろうと思ながらが、本を買ってもらって、お金を頂いている立場上、調子を合わせてヘラヘラしてしまう自分に
渇っ!!

2003.3.22
 電話で本の買い取り値を尋ねられると、答えに困ることが多い。タイトルや冊数などは正確に伝わってくるのだが、肝心な“本の状態”にかなり相違がある場合がほとんどだ。単純に「きれい」「汚い」と言っても、そこは主観が大きく絡んでくるので、Aさんが綺麗と言ってもBさんはきれいと思わないかも知れない。
 だから電話の問い合わせに答えるのが難しいのだ。程度が悪いつもりで引き取り値を安く言うと譲ってもらえないし、高めに言って、現物が想像より劣る場合、相応に値段を下げると、「電話で言ったのと違う」と怒られる。となると電話で責任な金額を口には出来ない。誠実に答えようと思えば思うほどあいまいになってしまうのだ。

2003.3.21
 自動車に“寒冷地仕様”と言うのがあるのは知っているが、はたして携帯にもそのようなものがあるのだろうか? 北海道に修学旅行に行った高校生が言うには、「ものすごく寒いから、持って行った携帯の反応が遅いんですよぉ」という事らしい。液晶は気温に反応するのかどうか知らないし、超伝導とまでは行かなくても、寒い方が電気抵抗が少なくて、かえって良い様な気もするし…。携帯電話の“寒冷地仕様”みたいな物があるのかどうか、知っている方はどうぞこちらまで御一報下さい。
http://cgi4.synapse.ne.jp/~nishiekiten/synapse-auto-bbs/nishiekiten.cgi

2003.3.20
 長期入院で退屈するだんなさんの病室が今度大部屋になった、と週2回はお見舞いにいらっしゃる奥さんがおっしゃっていた。これまでの病室の人とはどうもウマが合わなかったらしい。病院で同室する人とか、上司とか担任の先生とかは自分の意思じゃどうにも決まらん所があるもんなぁ。じゃぁ戦争は…?

2003.3.19
 生まれて初めて、洗濯物を自分の意思で洗濯機に入れた子供の話を聞いた。何しろ初めての事で手を叩いて喜んでいたら、次には何でもかんでも(洗濯物なんかじゃない物まで)放り込んでいった、と言うオチに大笑いしてしまった。
 幼稚園の頃、海パンのはき方がわからなくて、パンツの上からはいたままプールの時間を過ごした(まさかパンツを脱いでから海パンをはくなんて当時の私の頭では思いつかなかった)。そのあと濡れた(当たり前)パンツの上に普通のズボンをはいたものだから、ズボンまで濡れて来て、しゃがむとその水分で幼稚園の廊下に(お尻で)字が書けるのがなんだかとっても楽しかった事を思い出した。

2003.3.18
 おとといの朝までは茶色の枝が、雨の中濡れそぼっているだけだった。昨日の朝にはその枝が緑色に変化していた。1日で若葉が出ることにすごく驚き、その事を日記に書こうと思っていたが、昨日は別の事を書いた。
 今朝見ると、緑色の衣をまとった桜の枝に、5つ6つの花がもぉ咲いていた。1日中その桜を眺めていられるとしたら、だんだん咲いていく様子が見られただろうに…。春に対する桜の反応があまりにもすごかったので、今日は書いてみた。

2003.3.17
 「歳かなぁ〜? 昨日買った本は前に読んだような気がする…。」と言われてもそんな筈はない。ダブっては売ってないのだから…。立て続けに同じ作家の推理小説を読み続けていれば、舞台や登場人物の名前が違うだけで、大体似たようなスジになるのは仕方のない事。記憶があやふやになるのは歳のせいではありません。
 「本当に“歳”と感じる時は、今まであった読書欲が消え去った時ですよ!」と私が言うと、「なるほど。そぉかなぁ…。」と店を去られた。

2003.3.16
 おばちゃんがゴソゴソとカバンから取り出したのは、古い“きれ”だった。“きれ”といっても古着から切り取ったものだそうで、元はと言えばおよそ100年前の留袖から、いい柄の所を切り取ったらしく、それを使って何か(聞いたけど忘れた)に変身させるとの事。
 竹と梅と松がバランスよく描かれており、時の流れをも感じさせない色鮮やかなものだった。許しをえて触ってみると、留袖に腕を通した、会った事もない誰かの顔と息づかいが、脳裏に浮かんで来そうだった。

2003.3.15
 小学校を休むと給食のパンと牛乳が余る(デザートの“プリン”とかも)。牛乳やなんかは、ほしいモン同士でじゃんけんして食べてたけど、パンだけは先生がわら半紙に包み、明日の時間割をそこに書いて、近所の者に届けさしてた。
 わりかしよく休んでた杉田君と福田さんはうちの近所で、私の担当(?)やった。杉田君は♂なので割かし平気やったけど、♀の福田さんちに行くのはいつもなんだか気恥ずかしかった思い出がある。誰だかに「ひゅぅぅー!ひゅぅぅー!」なんか言われて冷やかされたりもするから…。

2003.3.14
 いつもはおばぁさまの車椅子を押して来るヘルパーさんが、今日はプライベートで本を買いに店に来た。仕事の性格上溜まる物もたくさんあるのだろう。“いいえて妙”な愚痴をひとしきり話して行った。まぁそうでもしてどこかでガス抜きをしていないと、とっても続く仕事ではないなぁと端で見ていてよく感じる。
 いつも一緒にいても、本は文句もしゃべらないからまだまだマシだ。

2003.3.13
 中学で先生をしている友達は今日が卒業式。昨日の予行の段階でウルウル来たと言うから、今日の本番はどうだったのだろうか? まぁ友達も男だし、それを尋ねたところで話すのも恥ずかしかろうから、今日はそっとしておこう。
 “荒れる中学校”という言葉のまっさかりに私は中学校を卒業した。先生も最善の警戒をしていた為か、世間で言われるのに比べて自分たち生徒が意外と真面目だったのか、滞りなく式は終わったと思う。何にもなさ過ぎて、卒業式の記憶も何にもない。

2003.3.12
 何年ぶりだろうか? 本当に久しぶりに自転車でこけた。人をよけたら電柱にハンドルが引っ掛かって、体はモロ地面に叩き付けられた。バスの停留所の前だったので、その恥ずかしさに、いっその事起き上がりたくないとまで思ってしまった。倒れた自転車を起こしその場から立ち去るまでの時間がいやに永く感じられた。

2003.3.11
 小学生の時に何度も読み返した「戦艦武蔵の最期」が、こんな時期だからというわけでもないだろうが、私の手元に巡って来た。小学生の頃に読めたのであるから、文章自体は読みやすい。久しぶりに読みなおしてみたが、昔自分がひっかかった行で、今回も同じように目線がとまってしまった。アメリカの飛行機の執拗までの攻撃。その銃爆撃になす術もなくやられていく海軍兵たち…。その描写の悲惨さに、あいも変わらず自分の思考が度々止まってしまうのである。

2003.3.10
 店のトイレ(大)は、どうも立て付けが悪いのか、扉の開閉が硬い。毎日使っている私なんかは当然慣れているので、ちょっと強めにガンと押して出てくるが、「すいません。トイレ貸してください。」などと言う“うちのトイレ初心者”の人は、まず100%は慌てている(音がする)。用が済みいざ外へ出ようとすれば、普通に押したり引いたりしたぐらいじゃ開かないのであるから、ただ事ではないだろう。トイレの方からガタガタ音がするが、場所がら「強めに押してください!」とも声をかけにくいし、たまにそれが横柄な人だったりすると、分かっていても余計にそのままにしてしまう。
 お客さん専用のトイレではないのだが、やっぱり扉に張り紙をしておいたほうが良いだろうか…。

2003.3.9
 「小学校4年の時に、先生が授業で読んでくれた本が見たい!」と言われた。おおざっぱなあらすじを語り「大体こんな話…」と言われた。学校も違えば先生も違う。世代というものもあるだろう。万が一にも私が読んだ(或いは“もらった”)事でもあれば、何とか力になれるのだろうが、今のところなす術がない。
 21世紀も3年目、アトムが生まれた日も近い。誰か“イメージ転送装置”なるものを発明してくれれば、そんな問題の解決の糸口にはなる。夕べ見たおかしな夢までも人に鮮明に伝える事が出来るのである。

2003.3.8
 物もちがいいのか、見渡してみると10年以上、うまくすれば20年くらいは使い続けているものが身の回りにある。目覚し時計にふで箱に、ゴム印なんかは小学校でもらったやつで、名前が全部ひらがなになっている。
 この様に小学校以来、私の人生にくっついて歩んで来た宝物もあれば、それまでどこに行ってたのかわからなかったけど、神さまの不思議な力でパッと目の前に再び現れた宝物もある。どういう経路をたどって私にたどり着こうとも、宝物から受けるパワーに強弱などありはしない。宝物さん達、大事にしますからこれからも末永くよろしく。

2003.3.7
 普段はほとんど手ブラに近いのに、今日は大きくて重そうなカバンを肩にかけてのご登場であった。中身は何だろうと思って(余計なお世話だが)聞いてみると、人の首が入っているとの事。何でも、髪のカットの練習用の人形の首だそうで、それを聞いてホッとした。(どんなもんかちょっと見せてほしかったけど…。)
 聞いていると、使い古したそのような首を捨てる時が大変らしく、不透明な袋に入れて、燃やせないゴミに出す。それだけの事だが結構気を使うそうである。よぉーっく見れば違うと判っても、ゴミ置き場に積まれた袋の中から、ぱっとみ人間の生首らしきものと目が合った日にゃ、そりゃもぉ大騒ぎさ。

2003.3.6
 昨晩家に帰りテレビの深夜番組を見ていたら、「ダニの世界」「ノミの世界」を紹介していた。人間より遥か以前に地球上に誕生し、現在にいたるまで天文学的な世代交代を繰り返し、まだまだ遥か未来まで絶滅しそうにはない。
 そう考えると、人間と比べて文明こそもってはいないが、種としては最強の覇者に違いない。

2003.3.5
 去年ぐらいからだんだんと調子が悪くなり、今年の入ってますます調子が悪くなり、だましだまし様子を見ていたが、今月に入ってもぉアカンわぁ、という所まで来たので、電飾スタンド看板の新旧を交代させた。そら文字通り、これまで雨ニモマケズ 風ニモマケズ、店の外でがんばってもらって来たのでガタが来るのも当たり前。ただの愛着でズルズルとここまでこき使ってしまったのだ。看板さん、長い間ご苦労様でした。ありがとうございました。

2003.3.4
 いつもはヘルパーさんの押す車椅子に乗って店にいらっしゃるおばぁさまから、今日夕方に電話があった。「ここの所足が痛くて、そっち(店)に行かれんから、私の好きそうな本を何冊か、明日の開店前にちょっと持ってきてよ。おっいしぃカレー用意しとくから…。お願いね!」
 おばぁさまは耳が遠いので、こちらの返事をあまり聞き取ってはもらえない。一方的に用件だけを言って電話を切るのはいつもの事だ。私は“おいしいカレー”と聞いて電話越しにニヤッと笑ってしまった。
 明日の朝はいつもより早めに起きて、パンは抜いて家に寄るとしよう。食べ物で釣られると、1人身の私なんかはすぐに食らいついてしまうんだなぁ…。

2003.3.3
 歳の如何にかかわらず、女性に顔のことを言うのは失礼だろう。ましてや傷の事なれば、その大小を問わず禁句であろう。でもレジから見ていても気になるのが人情ってもの。想像するくらいは構わないだろうと、目じりの上の古傷についていろんな事を考えていた。例えば、009のボンドガール顔負けのカーアクションの末に出来た傷に違いないとか、ケンカに巻き込まれて大立ち回りの末に出来た刀傷に違いない(大人しそうに見えて実はすんごい元締めだったり…)とか。
 今日の話の流れで本人から教えてもらった。むかぁしむかしの幼い時、アメンボウを覗き込んでいる内に体を支えていた石が崩れて、そのまんま石の角でザックリ切った時の傷だという事を。映画にありそうな私の想像もガラガラと音を立てて崩れて行った。

2003.3.2
 ここ1年ばかり、「やばい、やばい」と聞いていた獣医の友達が飼っていた犬が、とうとう逝ってしまったとおとついの晩に知らされた。もぉ心の準備は出来ていたとは言え、家族の一員として接していたのは知っていたし、自分の病院をお休みにしてしまうほどだから、やはり“大事な存在”を失ってしまった心情は、いかばかりのものだろう。
 明日朝、この店を開ける前にちょっと病院をのぞいて見よう。私にはなんて言っていいか判らず、きっと言葉も出ないだろうけど…。

2003.3.1
 今日卒業式だった高校も多いようだ。「もう来られなくなる」旨をわざわざ言いにくる子がいるかと思えば、「あさってから”自動車学校”です。でも自分は運転するとついスピードを出してしまう方なんです…。」という子もいる。
 …。これから車の免許を取りに行こうとする人間が、何で飛ばしすぎる己をすでに知っているのか? それが不思議でたまらない。ねぇなんで?

2003.2.28
 「ジャンケンで負けて、あした卒業式に出なきゃなんないんですよぉ〜。クラスで5人だけなのに最低ぇ〜!」と店に入ってくるなりしゃべりまくる。学校では先生、友達に対しては“無口”で押し通しているらしいが、どおしてどおして、20も歳の違う私に対しては「もぉエエ!」っちゅうぐらいしつこくしゃべる。最初は一生懸命話を聞いていても、そのうち他のお客さんが来たり、私自身の集中力が尽きたりして、だんだんと返事がおざなりになってくる。それでも彼の弾丸トークの弾は尽きない。

2003.2.27
 買取で持ってきた本を縛っている紐を、お客さんがカッターで切っている時、ついでにご自分の指まで切ってしまわれた。幸いお客さんの傷はたいしたことはない様で事無きを得たが、男の私は普段あまり血を見慣れていないので、血の赤色を見ただけでゾッとしてしまう。
 旧日本軍の軍服に赤色を配して、赤色に慣れるようにしたのと同じように、これから私も背表紙の赤い本をしょちゅう見るようにしよう。

2003.2.26
 今日大きな荷物を抱えて店に寄るそれらしき若者は、昨日大学の入試を受けて県外から帰ってきたのだろう。私自身のはるか昔を思い浮かべながら声をかけてみた。試験自体はまずまずの様子だったが、でも受かっても今年はその大学には行かず、また来年センター試験を受けるという。
 まぁいろいろ思うところがあるのだろうからなんとも言えないが、と言う事は合格しても行かない人のために、誰か1人落ちてしまうということだ。

2003.2.25
 「心理的な悩みに効きそうな、元気になりそうな本はないですか?」、と女性に尋ねられたらそら一生懸命探しますわなぁ。そかと言うて、専門的な本から寝っ転がって読める様な本まであるんやから、そんな中で気に入って貰えそうなんは何やろ?ってまず考えた。考えた末に思いついた。
 そういう悩みがある時には、本に頼るんもエエけど、一番効くのんは誰か捕まえて思いっきりしゃべる事が一番やないのん? エエからおっちゃんに言うてみ! 聞くぐらいは出来ますでぇ!!

2003.2.24
 それぞれに使い慣れた道具があるもんだなぁと思った。早めにセットした目覚ましに起こされて、寄る先は税務署。税務署の方が電卓を見ずに、目で数字を追っかけながら、電卓のボタンを正確に押している姿を横目で見て私は驚いてしまった。

 

2003.2.23
 これから“お見合い”という友達が、待ち合わせの時間までまだあるからと店に来た。何時からだと聞くと、その時間までわずか20分しかないではないか。待ち合わせ場所まで行くのに10分はぐらいかかる店にいて、長々と話し始めた。気が気でないのはこっちの方だ。「遅れるで!」を何発も言いながら送り出そうとするが、「薩摩時間でいいですよ」とのんきなことを言う。
 付き合いが長くなればそれでもいいのだろうが、「しょっぱなに遅刻はどう考えてもイメージ悪いのは面接も一緒や」と内心思いながら、ようやく彼を送り出した。
 数時間後、帰りに彼がまた店に寄った時には、感想も言えぬほど気に入ったようだった。

2003.2.22
 廃品回収の人に教わった、アルミ缶の引き取り価格を。 1`で65円。じゃあ1`はどれぐらいかと尋ねると、それは袋いっぱいだという。それでやっと60円切手が1枚買える。因みに1升ビン1っ本の引き取り値は10円。
 古本にしても、“本”ととるかただの“古紙”ととるか。角度によって“パルプ”にも見え、あるいは“宝物”にも見え…。

2003.2.21
 「同じ団地の人でさぁ、この前病院にいったら“大腸ガンです”って言われた人が居たんだよぉ。“もぉあと何ヶ月です”ってはっきりいわれたらしいよ。」 この手のうわさ話は得意ではないが、いきなり“命の期限”を宣告されてもなぁ…。かと言って自身だけが知らぬまま弱って行くのもどうだろうか? 他人事とは言え、明日そうならないとも限らない。そこまで突き詰めて考えた上で「ドナーカード」を持っているわけでもない。

2003.2.20
 壁にかけていたナットキング・コールの古いレコードを見て、「おっ、懐かしいね。」と一言。私にはタイムリーではないので特に“懐かしい”感じはないのだが、せっかくだからと思って、壁からはずしプレーヤー置いて針を落としてみた。
 何曲か聞き入った後に、「懐かしい音楽をありがとう。」と言い残して、夜の寒空に出ていかれた。

2003.2.19
 「朝起きて散歩して、テレビに飽きたら本でも読んで、そして早めに寝る」という80のおばぁちゃん。「じゃぁ、1日中しゃべらない日もあるんですか?」と私が聞くと、「そうねぇ、お嫁さんとご飯食べる時ぐらいかなぁ…、でもご飯が済んだらさっさと自分の部屋に戻るんだよ。それがお嫁さんとうまくやって行くコツね。」
 嫁姑問題はさて置き、しゃべる相手がいないというのはいくらなんでも生きていて楽しくないだろう。この店の中でよければ私が話し相手になるのに、と思ったし、真の“老人福祉”って何だろう、と思ってしまった。いや、“老人福祉”という言葉でくくってからでないと何も行動が進まないないという世の中がおかしい。

2003.2.18
 「この前買ったのと同じ本はなかやぁ?」と尋ねられた。よく聞くと、先日数冊の本を買い、店を出てタクシーに乗り込んだところ、運転手さんと話が弾み、そのまんまタクシーの中に忘れてきたとおっしゃるのだ。
 まぁダメもとでおっしゃっているのだろうけど、買われた本のうち、書名は何であったか? 確かに何冊かは記憶にあるが、それについてももう在庫はなかった。
 また別の本を買って行かれたが、包んだ手さげビニール袋をお客さんの手首にいっそ結び付けてしまいたかった。

2003.2.17
 “溺れる者は藁をも掴む”ごとくバッチャンバッチャンとやり、フッと動きを止めて、冷静になってみると「なぁんだ。足が着くやん」てな具合の、昨日の“神さまの落とし穴”。両足を踏ん張って立ってみると、春を予感させる
青空が広がっていた。

2003.2.16
 正しいと思って余計な事をするから、神さまが掘った落とし穴にまんまとはまってしまった様だ。片足どころの話ではない。全身ズッポリと…。今のところ出口が見えず、縮こまったままだ。

2003.2.15
 「この人が来る時はいつも雨」「雨の時に来る人」。言い方はどうでも構わない。どういうわけかそう言う巡り合わせの人がいる。生粋の“雨男”とでも言うのであろうか? 例に洩れず今日も雨の中バイクに乗り、ずぶ濡れになってご来店頂いた。
 「この前いらっしゃった時も雨でしたよねぇ」と、二人してカラッと大笑いしてしまった。

2003.2.14
 「コーヒーにでも入れて飲みなさい」と、お馴染みおん歳73歳の女性から砂糖1`を頂いた。砂糖もチョコレートも甘いものには変わりない。日にちも日にちだし、バレンタインの今年第一号としてありがたく頂戴した。

2003.2.13
 クロネコヤマトのお兄さんに聞いたら、明日のバレンタイン用らしき荷物の配送がここ2.3日ちょくちょくあったという。人に幸せを、しかも丁寧に届けなければいけない仕事もつらいやろなぁ。だって、お兄さんご本人は「チョコレートなんて、人に届けるばっかしで、自分には全然縁がないっすよぉ!」(ホンマかいなぁ?)って言ってたし。

2003.2.12
 エミリー・ブロンテが12歳の時に書き上げた長編小説「嵐が丘」。随分前の事になるが、何度も挫折を繰り返しながら私がやっと読み終えた作品だ。とっても重い恋愛の話に、ながーい髪の毛が体にまとわりつくような重量感を覚え、なんど本を閉じ本棚に戻したことか…。だからこそ逆に読み終えた記憶がしっかりと残っているのだが…。
 この本をお買いになったお客さんにそんな話をした。その方の耳にはどうも「何度も挫折した…」という点がこびりついた様で、「あのぉ、返品していいですか?」ときた。これはまずいっ!「大丈夫。根性で読んでください!」と、こちらも根性で背中を押した。

2003.2.11
 前回ご来店頂き、ご購入された書籍の函を置いていかれたお客さんがあった。別段「いらん」とも言われたわけでもないので、単に忘れて行かれた物、当方が勝手に処分する訳にも参らない。まぁそのうちいらっしゃるだろうから、そのときに渡せば良いやと思いながら幾百日。やっとその日が訪れた。
 「そんなの買ったっけぇ??」と言われ、お買い上げ頂いたことを説明するのにえらい時間を食ってしまった。間違いございませんから、と最後は半ば強引に持っていってもらった。やれやれだった。

2003.2.10
 考え事をしながら銀行へ行き、考え事をしながらATMの前に立った。考え事をしながらボタンを押し、考え事をしながら出てきたカードと通帳を手にした。考え事をしながら車に乗り、考え事をしながら店に向かった。
 店について考え事をふとやめると、引き出した現金をATMに置いたまんまにして来たことに気付いた。今度は考え事をする余裕もなく銀行にあわてて戻った。ちゃんと残っていた。

2003.2.9
 「入試休みでずっと学校がなくて、宿題もやってないしダルイし、きっと明日も学校休みますよ」と、声高らかに宣言されても、簡単にうなずくわけには行かない。無駄と判っていても「明日学校に行きぃやぁ」って言うしかない。
 やる気がなければ休んでもいい身分のまんま大人になって行く彼らの暮らす未来日本の中身はありはしない。

2003.2.8
 まるで我が子のように手塩にかけて育てた盆栽をこっそり持って行かれた日にゃぁ、怒りを通り越してガックリ来るだろうなぁ…。植物を育てるのが好きでもう亡くなられたご主人の話をなさるご夫人がおられた。
 小池一夫のマンガ「首切り朝」の中で、やはり大事に育てた菊を他人に折られ、怒りの余り人を殺め、その罪で打ち首になった老人の件があった。首を落とされる辞世の願いとして「菊を育ててみろ。そしてその花を自ら落としてみろ。」という言葉に、主人公“朝右衛門”は1年かけて菊を育てる。秋が来てようやく花をつけ、いざその菊の花を落とそうとするが、それまでの苦労を思うと落とすことなど出来ず初めて、人を殺めてしまった老人の怒りのわけを理解する。
 自分の大切なものを壊されたときの怒りはいかばかりなものか…。

2003.2.7
 梅畑の横を通り抜けたら、枝にはもう桃色や赤色の花がにぎやかに主張をしていた。思わず車の窓をあけまだ少し冷たい空気を腹いっぱい吸い込んだ。

2003.2.6
 携帯電話で誰かとおしゃべりをしながら店に入ってきて、携帯で話しながら店内をぐるぐる。携帯で会話をしながら本を選び、携帯でしゃべったまんまレジへ。携帯で誰かと笑いあいながらお金を払い、携帯で誰かと声を潜めながら店を出て行った。
 あの人は天才だ!! 何回来店なさってもそうだもの…。電話の苦手な私は彼を尊敬してしまう。よくそんなにしゃべる事が出来るなぁと。私なんかは必ずシナリオを頭に思い浮かべてから電話をかける。ゆえに計算外のアクションを電話の向こうから貰うと、たちまち言葉に詰まってしまうのであるから…。
 彼はひょっとしたら、携帯を通して人と話す時間の方が、人と面と向かって話すより、1日の延べ時間は長いような気がする。

2003.2.5
 まぼろしの生物“ツチノコ”らしき物を前に見た、というお客さんが来た。最初、「らしき」と付いていたものが、話の最後には「」(断定)が付くようになっていた。なんでも顔がたいそう醜かったらしい。その時は怖くてすぐに立ち去ったが、今でもその場所にはちょくちょく足を運んでいるとの事
 しかし相手も生き物(なんだか判らない物だったとしても)。“ツチノコ”が存在しているとしても、同じ場所にジッとしてるはずはないし、世代交代も進んでるだろうに、などと不心得な事を考えながら、とにかく話は聞き続けた。

2003.2.4
 前はしょっちゅう店でお見かけしたお客さんでも、しばらくお顔を拝見していないと、来店なさっていたことさえすっかり忘れ果ててしまうものだと今日改めて実感した。
 道端でばったり出くわして、そう言えば以前によくいらっしゃってたけど、最近はとんとご無沙汰、だということを思い出した。何はともあれお元気そうで良かった、良かった。

2003.2.3
 「昨日は、野球の試合でした。」とおっしゃられる。学生時代に野球部でやっておられて、社会人になりずいぶん時間が経ったようだが、以前の経験を買われて声がかかり、社会人の野球チームにカムバックなさった。試合の為にと、随分前から走りこんだり、バッティングの練習をなさっていたのは聞いていた。
 だから、さぞかし活躍なさったのだろうと聞いてみたら、「三振2つもしてしまいました。」との答え。さぞかし相手のピッチャーが良かったのだろうと思いきや、球が遅すぎて引き付ける間もなく振ってしまったからとか…。いろんな意味で若い時の様には行かないのかも知れない。

2003.2.2
 小学生の頃に思い描いていた21世紀には、車は宙に浮き、透明な筒の中を騒音もなく自由に行き来している事になっていた。気軽な旅行気分で「ちょっと火星まで」ってな具合に、宇宙に行けると思っていた。
 今は21世紀。テレビではチャンバラをやっているし、車はタイヤがないと走れない。戦争は起こっているし、自動車事故も起こっている。悲しいかなスペースシャトルにも事故は容赦なく襲い掛かってくる。
 これが21世紀の初頭の現実。

2003.2.1
 竜と言うのは不思議な動物(?)だが、それを描いた絵にもさまざまある。見ているだけで、想像上の生き物なのに強く圧倒される気がしてしまうのは、姿かたちによるものと言うより、その目の強さに他ならないのだろう。
 目について、極端なことを言えば、白い丸
に黒いただ一点、それをどこに打つかで、描いた竜の生死が決まってくるのだろう。

2003.1.31
 「収まるところへ大体は収まってしまって、探してる本を見つけにくくなった。」と、お客さんがこぼされた。「“あれ”でも起こってひっくり返らんがぎり、もぉ出てくることはないのかなぁ…」と、話は続いた。
 “あれ”って言うのは、やっぱり“あれ”の事だろうなぁ…。

2003.1.30
 ひょんなきっかけでロシアに興味を持ち、ロシア語の勉強を始めた若いお客さん。かなりリキが入っているご様子。しからばコツコツとロシア語の勉強をして挙句の果てにはロシア現地(といっても想像も付かない位、相手は広いが)に行きたくなるのもなのだろう、と思っていたら、“寒い”から行く事は絶対に有り得ないとまで言われてしまった。「えっ?好きになったら会い(に行き)たくなるんが普通やないのん?」と、身も蓋もなくたじろいでしまった私。
 どうやらロシアの映画を字幕なしで見られるようになりたいらしい。

2003.1.29
 現在は、桜島に登れば捕まってしまうが(誰にやろ‥?)、標高およそ1000b。あの天辺から鹿児島市内をいっぺん見てみたいと昔っから考えていた。ましてや今日みたいに、真っ白に雪化粧の施された桜島の斜面を、鹿児島市の向けて滑って降りられたらどんなに気持ちいいこと間違いないだろうに…。

2003.1.28
 手強い相手だ。8年程前にテレビで放送された番組の一場面が忘れら得なくて、その原作本を読んでみたいと言うリクエストだった。昨日のテレビ番組ならともかく、随分時が経ている事もあり、当のお客さんでさえその番組(ドラマ)タイトルの記憶がない。話を続け、記憶の断片をパズルのようにくっつけながら、なんとなく目標の本が見えてきた。
 あとは当人にその本を読んで頂き、ビンゴなのかハズレなのか判断を委ねる。ハズレだったらまた推理せねばならない。而してわざとはずし、余計な本を余分に売りつける勇気が私にあれば…。

2003.1.27
 今朝、車に乗って駐車場から通りへ出ようとそのタイミングを見計らっていたら、目の前で急ブレーキを踏むトラックが1台。朝からの雨で路面が濡れており、けたたましい音とともに滑って行った。が、ハンドル裁きも功を奏してか前の車にはぶつからずに、すぐに何事も無かったかの様に車は流れていった。
 もし、あの運転手があと2秒ほど会社を出発するのが早ければ、ひょっとしたら追突していたかも知れない。でもそうはならなかった宇宙の不思議なタイミング、というものを朝から感じてしまった。

2003.1.26
 “仮面ライダー”のカードを集めるのが趣味の高校生君に、最近彼女が出来たというので、冷やかし半分に、「彼女とカード、どっちが大事?」って聞いてみた。彼の一瞬の戸惑いに、いやいや、なんで考えるねん!その間は何やねん!と言わせてもらった。そうでなきゃ冷やかす醍醐味がない。

2003.1.25
 一時期、時計の収集にはまっていらっしゃったと言うお客さんの話を聞いた。私が、「一番大事にしていらっしゃった時計は何ですか?」、と尋ねてみたら、それは戦時中に日本軍が使っていた時計だったとおっしゃられる。頑丈で丁寧に作ってある機械であれば、愛情をもって接すれば、そこ2、3百年はもつ物ですよ、と教えられ、戦時中でさえそんなものを拵えられた日本人の技術の高さは、“プロジェクトX”ものだなぁ、と感じてしまった。
 もう手放したというその時計は、今もどこかで“時”を刻んでいるのだろうか…

2003.1.24
 いつもは補聴器をつけて何とかこっちの声を聞き取ってもらえるご老人(♀)と、今日はぜんぜん話が通じない。結構大きな声を出してもすっとんきょうな答えしか返ってこず、お互いに「おっかしぃなぁ…?」と感じつつ、その方が補聴器のボリュームを上げようと耳に手をやったら、そこにあったはずの補聴器がないと言う。それから大騒ぎが始まった。落としてないか店中捜して、バッタバタ。それでも無くって、今度は今まで寄ってきた店に尋ねてみる騒動に発展した。
 補聴器とて安いものではないし、何より意思の疎通が図れないのがお互いにとっても大きなストレスになるのだから、なんとしても見つけてもらわねばならない。そうこうしている内に、「あれ? わたし家を出るときに補聴器付けて来たっけ…?」だって。多分補聴器せずに家を出てこられたのだろう。ヤレヤレだった。

2003.1.23
 包装には気を使っているつもりではあるが、包装用アイテムの方が限られているので、「大丈夫かな?」と思うときがある。アダルト向けのものに関しては透けない様にするのは当たり前だが、あ客さんが別のバックなどを持っている場合は、透ける、透けないはあまり関係ない様だ。問題は手ぶらのお客さん。袋を二重にしたり、紙袋を用意したりと、お客さんのお楽しみの為にあらゆる方法を駆使して、持って帰って頂くのである。

2003.1.22
 冬の乾燥に耐えかねて、指先や手の甲に亀裂が入り、大体はそのまんま割れっぱなし、物だ当たる所だったらせめてバンソウコウを張って、あとは春になるまで我慢、を続けてきたが、今日便利なものをお客さんに教えてもらった。商品名なんかは判らないが、要は接着剤の様な物で、上から塗って傷ごと固めてしまえちゅう、ちょっと乱暴とも思える品だが、割れたらくっつけるという発想で行けば、皮膚もプラモデルも変わらないって事か…。

2003.1.21
 新年1月も後半に差しかかったが、それでも今年初めてお顔を拝見するお客さんには「新年おめでとうございます」を未だに言っている。そこで拾い物をする事ができた。
 鹿児島(だけではないかも知れないが)では、「明けましておめでとうございます」という言葉はかつては使われなかったらしい。ではなんと言って新年の挨拶をしていたかというと、「わこうおないやっする」(=お若くなりましたね)だったのだそうだ。そして“潮が向いて来る”事を願って、新年に塩を売り歩く姿が見られたという。見た事も聞いた事もなかった鹿児島の風習を1つ勉強することが出来た。

2003.1.20
 センター試験が済んで、感想を述べに高校生がやって来た。雰囲気的なものもあったんやろうけど、ずいぶん緊張し、思ったよりも難しかった様で、「甲子園とセンター試験会場には魔物が住んでいる」と言ってた。
 幅10aの板でも、床にある時とビルのてっ辺にある時とでは、そらおんなじ板でも後者の板は緊張して渡られへんもんなぁ…。

2003.1.19
 朝から発送用の書籍を郵便本局に出しに行った為に、店の開店が10分ほど遅れた。そういう時に限って、お店の前でお客さんが待っているから不思議である。「もぉ、待っているんだよぉ!」と、案の定今日も怒られてしまった。
 郵便局に行った事情を説明しようかとも思ったが、いつものお客さんなので「すいません。」で済ませてもらった。来ると思った日には来ないで、来ないだろうと思った日にはいらっしゃる。このお客さんとの相性はなぜかいつもこうだ。

2003.1.18
 学生時代の後輩と考古学の話をした。そうしたら途端に、自分のなりたかった物を思い出した。なれるものならば私は化石になりたい。化石になって何万年後かの生物の前にひょっこり顔を出し、自分が生きていた事を語りたいのである。むろん詳しくも何も、自分の名前さえしゃべることは出来ないが、それでも少なくとも生きていたことだけは証明出来るような気がする。

2003.1.17
 世間では割と言われてんのとちゃうんかなぁ? 「本屋に行くとトイレ(大)が近くなる」って…。店でかけているFMラジオ番組の中でもたまにこの事が話題になっているのを聞くし。大体“インク”のせいにされて話は終わるけれど、ホンマにそうなんかどうかは分からへん。
 店に来てものの5分もせん内に、お客さんがソワソワしだしたから、なんや? と、思っているとやっぱりトイレがらみの生理現象が起こったみたい。でもこんなに覿面に反応する人を見たのは初めてやったし、それよりもなによりも本屋に入るともよおすってこと自体が私にはうまく理解できひん。もし自分がそうやったら1日中トイレから出てこられへんで、仕事にならへんやん…。

2003.1.16
 「いつ来てもいらっしゃるけど、いつ休みなんです?」と聞かれた。「休みはないですから、いつおいでになっても居ますよ。」と答えたら、「タモリさんみたいねぇ…」と言われた。そんな表現をされるのは初めてだったし、なんとなく的を得た例えだったので、気に入って笑ってしまった。
 平日お昼にテレビのスイッチを入れればウキウキウォッチン。そこでタモリさんに会えて、そして笑かしてもらえる。あの人の域に達するにはまだまだまだまだ修行が必要だけれど。

2003.1.15
 “潜水士”の試験を受けてきた後輩が、「疲れた、疲れた」を連発しながら帰ってくきた。今はやらなくなってしまったが、私はダイビングをやっていたので、むかし取った杵づか、とばかりに練習問題を見せてもらった。
 文字は理解できたが(日本人として)、答えはさっぱり解らなかった。

2003.1.14
 (受験)英語が好きだった。共通1次に照準を合わせ必死になって覚えた単語や構文…。長文のアルファベットを目で追うと、同時に頭の中で日本語になって出てきた。ところが、英語の要らなかった2次試験、入学後に現われた勉強より楽しい様々な出来事…。ほんの2,3ヶ月で単語も構文も忘れてしまっていた。勿体無い事をしてしまった。
 歴史の勉強をする為に京都の大学へ行くことが決まった高校生が、分厚い日本史の本を買っていった。今のうち(大学が始まるまで)に読んでおきたいというのである。受験勉強が良いか悪いかは別にして、勉強モードへの頭の活性化を持続させながら、次のステップへの勉強は絶対続けたほうが良いと、私は上記の自分の失敗話をして彼を送り出した。

2003.1.13 成人の日
 学生の頃は寮に住み、いわゆる“寮生”と呼ばれていた。その寮では、成人式の日は錦江湾の磯海水浴場での“寒中水泳”が毎年恒例のしきたりであり、1年から4年、OBまでもが参加する冬の一大イベントであった。晴れ着姿で楽しそうなねぇーちゃん達を横目に海水浴場(成人式会場とは反対の方向)へと向かい、ひたすら気合だけで乗り越える行事であった。
 今でも寮の若者たちはやっているのだろうか? OBじゃないとは誤魔化しの利かないくらい年月が経ってしまった今では、お金をくれたって“寒中水泳”なんてヤダッ、という気持ちの中に、何故かしらちょっぴり羨ましいという矛盾した気持ちが見え隠れしている。

2003.1.12
 「この本は消毒してますか?」と何度も訊ねられた。消毒といってもどの程度を望んでいらっしゃるのか判らないが、一応拭いてはいるのでとてつもなく広い範囲という意味を込めて、「はい」と答えた。
 たとえ殺菌、滅菌したとしても、人間の手で触った瞬間、とは言わず空気中においておくだけで雑菌はつくものなので、古本の消毒自体にあんまり意味はなく、要は気持ちの問題に過ぎないと思う。そう言えば、買って帰った古本にはとりあえず塩をかけ清めてから読む、と教えてくれたお客さんが昔いた。
 どちらかと言うとこっちの考え方のほうが日本人らしくて私は好きだなぁ…。

2003.1.11
 「さむい!さむい!」とお客さんが入ってこられ、年始の挨拶もそこそこに髪の毛を切った話をされた。この冬の時期、どのタイミングで散髪に行くかは結構難しい問題だ。暖かい日が続いているからと散髪に行くと、途端に寒波がやって来て風邪を引いてしまう。以前に流行った何とかの法則とまでは行かないのだろうが、それに近いことがあるような気がする。
 何とかの法則を思い出したついでに、鹿児島ならでは(?)の法則をもう1つ。『洗車をすると、(桜島の)灰が降って車は以前より汚れてしまう』。

2003.1.10
 お母さんが本を選んでる間は、2歳の男の子の相手をしている。と言っても、適当におもちゃを引っ張り出してきて一緒になって遊んでいるという表現のほうがピッタリかも知れない。
 以前は知らない顔をしていたのだが、みているとチョコチョコ店内を走り回り、挙句の果てに扉の外に出て行く始末。店内にいる分にはどうでも良いのだけれど、店の前の道路は結構交通量も多く、もしもの事があっては、と2歳の坊やの相手をする事にした。これが今では、なかなかの気分転換にもなっている。

2003.1.9
 ヘリコプターの免許を持っているお客さんと話が盛り上がった。というよりどちらかと言えば私が引きとめたのだ。だってそんな免許持っている人をこんな間近に認識した事がなかったから…。
 ヘリコプターの設計、製造をしている友人は1人いる。珍しい話をよくして貰うが、ヘリコプターは実に不思議な乗り物だと彼は言う。実際には立派に飛んでいるのに、それを理論で説明するのが難しいらしい。現実には飛んでも、机の上の計算上ではなかなか飛んでくれない、なぜ飛ぶのか解らない飛ぶはずがないと、毎回話は締めくくられる。

2003.1.8
 元旦に風邪引きの友達と長くしゃべった。そして3日後雪が積もるほどの寒波が鹿児島にもやって来た。それぞれの事象は、私の体力的にはどうってことなかったのだろうけど、それが重なったところに最大の問題があった。
 年始早々風邪に見舞われ、病院で注射を打って薬を飲んでいるが、とにかくボーっとした頭でこれを書いぴゅ。

2003.1.7
 「『読む意味のない本』ってある?」と聞かれた。生きとし生けるもの、あるいは生命を持ち合わせていなくとも、この世に存在するには何かしらの意味が込められているはず、と少しは信じているから、『生きてる意味のない人』がいなのと同様に、『読む意味のない本』も存在はしないと思いたい。
 ただし、そこに“商売”という網をかけて見ると、ごく僅かには存在するのかもしれない。

2003.1.6
 頂く年賀状に出す年賀状、双方ともボチボチ打ち止めのようだ。普段メールでやり取りしている人に年賀状を書く時、「受け取った相手はびっくりするかも知れへんなぁ…」と思いながら筆をしたためる。
 大したこだわりでもないけど手紙類は何とか手で書きたい。普段活字のやり取りが多いからせめて賀状だけでも肉筆を伝えたいのだ。ところが私は字が汚いから、本当はお話にならないことは判っている。あんな汚い字の手紙を受け取った日にゃ相手は驚くというもんだ。

2003.1.5
 散ってこそ華。溶けてこそ雪。十数年ぶりに鹿児島市内に積雪があった。昼頃までにはほとんど溶けてなくなってしまったけど、それを見ていてつくづく思った。雪は溶けて無くなるからええなぁ…と。

 
桜島の火山灰も、それを見習って溶けてなくなればイヤな思いせんでもすむのにぃ。
 せやけど、このシラス台地が溶けて無くなれば、鹿児島市街も建ってられんし、完璧に海の底かも知らんなぁ。

2003.1.4
 帰省して来た人たちを引きとめるかの如く、今日の天気は大荒れだった。去年末はクリスマスまで随分暖かく、このまんま春になるのかなぁと思っていたらやっぱり甘かった。
 みぞれ交じりの雨の中、駅に人を見送って帰りがけに店に寄った人がぼやいていた。「高速バスは運休になるし、JRもダイヤが乱れて人がいっぱい。駅は寒いのになかなか(^^)/~~~出来なくて困った…。そういう別れもあるものだ。

2003.1.3
 数年前あった同窓会では会うことの出来へんかった人から、今年も年賀状が届いた。小学校5,6年のときに密かに好きやった人から20年以上もたって再び手紙のやり取りが起こるなんて思ってもみいへんかったし、それが2年、3年と続いてるやなんてなんか想像もしてへんかったなぁ…。
 担任やった向井先生はもうこの世にはいてはらへんし、みんなそれぞれバラバラに散らばってしもたけど、せやけど確かにあったあのにぎやかな6年1組の事を思い出す、彼女からの年賀状を受け取るたびに…。

2003.1.2
 「正月早々、えらい!!」と思ってしまった。今日タバコをやめた。お酒は去年やめた。ケンカもやめてヤンキーを卒業した。体を大事にして彼の子供を作るんだぁ、と新年の意気込みを聞かせてもらった。
 私はむちゃむちゃ感心してしまった。齢16にしてその域に達するとは…。

2003.1.1
 去年末に入院されたお客さんに、年始の挨拶をと思って朝一番に病院に見舞いに行った。病室を探し当て、さぁ「明けまして―」を言おうとしたら、グーすかとお休みだった。さてどうしたものかさんざん迷ったが、お店の開店もあるし簡単な書置きをして病院をあとにした。
 退院したらきっとチクリと言われるだろう、「なぜ起こさなかったか」と…。


2002.12.31
 『いい本』が“ありそう”で“ない”。“なさそう”で“ある”。“ありそう”で“ある”。どれがいいですかとお客さんに聞いたら、「うーん、急いでる時は“ありそうである”がいいし、時間があってゆっくり本棚を見れるときは“なさそうである”お店が良いなぁ…。」と答えがあった。
 来年の目標としては『“ありそう”で“ある”』店作りはすぐには無理としても、せめて『“なさそう”で“ある”』お店の本棚にして行こうと思った。

2002.12.30
 沖永良部から友達が帰省してきた。彼はしきりに日焼けで肌の色の黒いのを気にしていたが、心配することはない、充分黒い。島にいるとまだTシャツやポロシャツで事足りる日があるらしい。残念ながら鹿児島市はそこまで暖かくはない。
 今日北海道のお客さんへ本を発送した。雪の街へ行ってしまった本が風邪を引かねばいいが…。

2002.12.29
 土日はバスの本数が減る。バス待ちの時間が長くなるのがイヤでタクシーで帰ろうとするお客さんがいた。家までそんなに遠くはないのにタクシー代だって馬鹿にならない。「私としゃべっていればあっという間にバスの時間がきますよ。」とそそのかしてバカ話をして時間をつぶしてもらった。
 実はういたお金が本代に変わればいいなぁ、とよこしまな気持ちを持っていたが、そうは問屋が卸さなかった。まぁ来年までお預けにしておきましょう。

2002.12.28
 カウンターでお客さんと話し込んでいると、別のお客さんへの応対やほかの仕事がまったく滞ってしまう事がよくある。1時間ぐらいなら話も面白くって会話のやり取りがあるのだが、2時間3時間と経つ内に気持ちが別のほうへ移ってきて、相槌もだんだんといい加減なものとなってしまう。それは失礼だからと気を取り直して熱心に話を聞きだすと、それが導火線となり、とめどなく話が続いてしまう。
 今日はカウンターで1人の方の話を聞いて延々4時間。おかげでせっかく店に来た一番大切な人と、今年最後の会話を交わすことなく立ち去らせてしまった。そんなぁぁぁ…。

2002.12.27
 年末年始のご予定を尋ねると、「しごとっ!」という答えが多い。ある方は、大晦日はもう早めに寝て、元日早くからご出勤だそうな。それは毎年のことだから今更気にはなさってはいなかったのとは裏はらに、大晦日、正月の食事についてだけは兎に角気になさっていらっしゃった。
 「正月からコンビニのお弁当って言うのもイヤだし‥、でもなぁ…」確かにそれだけは私にでもよく判る。

2002.12.26
 イチゴ農家のおじさんは、自分の作っているイチゴがかわいくて仕方がないとおっしゃっていた。それが証拠に家に帰り着くと必ずハウスの中のイチゴちゃんに必ず顔を出す。するとイチゴが(植物として)眠っているんだ、と言われたのには驚いた。
 そして朝家を出るときには必ず「行ってきまぁす!」と挨拶して話し掛けるという。私も時々本たちに話し掛ける。「必要としている人がきっと何処かにいるよ」と。

2002.12.25
 サンタクロースに誤配などあるはずがないと思っているから、心当たりからノーリアクションだと、「きっとお気に召さなかったんだ」とか、「かえって迷惑だったかな」とか、いろいろ考え込んでしまうものである。
 ところがである、いくらサンタクロースに遅配も誤配もないとは言え、肝心の心当たり側の煙突が詰まっていては、相手に届きようがないのである。これは誰が悪いのか? 
 ま、良い悪いを決めたところで何にもなるまい。それでもどうにか手に渡り、とりあえず喜んでもらえたのなら、神さまに代わって赦してあげよう。

2002.12.24
 「年末に、うちの母親の弟、つまりわしのおじが家に来ることになって、それがイヤで、イヤで…。酒癖が悪いからもぉ最悪。ベットと布団持ってくるから、年末年始店に泊めてくれへん?」と、どこまで本気でどっからが冗談か分らへん事を言われた。
 そこまで毛嫌いするのだからよっぽど酒癖も悪いのだろうけど、私の身近にそんな人はいないのでカラカラ笑ったら怒られた。ちぃと他人事過ぎたかな?

2002.12.23
 いつもはセーラー服がまぶしい女子高生のお客さん。今日は普段着でのご来店。余計な世話とは重々承知しながら、「今日はどちらへお出かけ?」と聞いてしまった。
 「今日はジムへ」とお答え頂いたので、思わず “カッコイイ!” と言ってしまった。何のジムでも“ジム”と名の付くところへは行った事がないので、その響きを聞いただけでなんとなく憧れを持ってしまう。
 まさか “ジム” はジムでも、“事務” ってことはないよなぁ、受験生のはずだし…。

2002.12.22
 夜中に近い時間に、「僕、霊感が強いんです。」などと話し掛けられてはあまり気持ちのいいものではない。そういうときに限ってかけていたカセットテープが終わってしまい、店内に静寂が舞い降りてきて、時計の振り子の音だけが私たちの会話に加わってくる。
 何かが乗り移ったようにわしゃわしゃと話しかけるその方に相槌を打ちながら、こと霊感に関しては、“知らない”“感じない”方がマシかな、と思ってしまった。

2002.12.21
  『祇園精舎の鐘の声聲、諸行無常の響あり、沙羅雙樹の花の色…』
 「中学生の孫に『平家物語』の事を質問されてしまいました。もぉ忘れたんで勉強しなおしたいんですけど、平家物語はありますか?」と言うお客さんで今日の幕が開いた。
 そう言えば中学の教科書で那須与一のくだりを習ったなぁ、と思い出しつつ、「あれ? “祇園精舎”ってなんだったけぇ?」と疑問が湧いて来た。習ったはずなのにすっかり忘れてしまっている。まずは手始めにと広辞苑をひらいてみた。今日は朝から得をした。

2002.12.20
 窓を開けて車に持っていると、カチカチと規則正しい音がどうもタイヤの方からしてくる。「ありゃ、小石でもはさんでんのかな?」と思い始めたのが1週間ほど前。毎日のようにタイヤを見てたけれど、それらしいものはタイヤに見つからず、それでも規則正しい音だけは鳴り続けていた。
 今日タイヤを見ているとやけにペチャンコになった感じがして、いよいよ念入りに探索して驚いた。太そうなねじが1本ど真ん中に突き刺さり食い込んでいた。それを見てあの音の原因が明らかになったのは良いが、パンクしたタイヤをどう処置するか新たな悩みが加わった。ほって置いてもよくなる事は決してない、と腹をくくっらざるを得なかった。
 8年前に一目惚れして乗り始めたインプレッサ、まだまだ頑張ってもらわねばならないのだから…。

2002.12.19
 アカン!と言うほどでもないけれど、なんや朝からあんましパッとせん日やなぁと感じてた所へ、ホント久しくお見かけせぇへんかった、私と同い歳ぐらいの男のお客さんが来てくれはった。昔からあんまりしゃべりはらへん人やから、「どーも」であいさつは事足りるんやけど、今日はもう少し話を突っ込んでみた。
 「今、職探し中ですねん…。」 ひょっとしたらそぉやないかと思ってたらやっぱり…。なんて言うてエエかわからへんし、そんなんやのに本のお代をもろてもエエんやろか、大丈夫なんやろかと思いつつ、「じゃぁ」てな具合で本を買って帰えられた。
 いろいろ考えると今日はなんとも言えへん
ブルーな気持ちになってしもた…。その反動で店では賑やかにクリスマスソングをかけまくっている。

2002.12.18
 「この前ある人から名刺をもらって、その人はあなたの趣味とあいそうだから、メールでもしてみて教えを乞うてみたら…」と、名刺に書かれてあったアドレスをお客さんに教えてもらった。
 ところがそのアドレスの主は、時が違えばさるお殿さま。こんな一介の平民ごときが、なんとメールの文章を書いたものやら、やっぱり“そうろう文”の縦書きかなぁ…とか、直接聞いたアドレスじゃないし、突然のメールは無礼千万、お手打ちかなぁ…とかあれこれ考えているうちに時間がたってしまった。

2002.12.17
 近所の飲み屋のおっちゃんが本を買いにきた。片手に買ったばかりのホカ弁が…。あれ? 自分の店に戻ったら材料はあるはずやし、道具もそろってる。それやのに何でわざわざお金を出してお弁当を買うのか不思議に思った。まったくの余計なお世話なんやけど、やっぱり自分のためにメシ作んのはめんどくさいんやろかなぁ…。

2002.12.16
 口からよいしょ。いい加減に酔っ払ったおばちゃん、おまけにパチンコで買ったと自慢されりゃ、こりゃもぉ持ち上げるしかないでしょ。己の口から次々飛び出す歯の浮くようなセリフに私自身が酔いしれ始め、お互いの酔いが覚めないうちにどんどん本を薦めておいた…。

2002.12.15
 考古学の学会帰りの学生さん。ダイビングのライセンスを持っていらっしゃるということで、発掘と絡めて海底遺跡の話をした。海流などに大きく影響されない限り、沈没船などをはじめ海底と言うのは考古学的魅力に溢れたところだそうだ。ただいかんせん調査が大変なのが泣き所とおっしゃっていた(だから人に荒される事も少ないと言えるのだろうが…)。
 むかし、私が沖縄の久米島でダイビングした時、海中でジッポのライターを拾った。サビがきてはいたがせっかくめぐり合ったのだからと、修理に出して使えるようにしてもらった。
 どういう人が使って、どういう経緯で海中に眠っていたのか…。タバコに火をつけそのライターを眺めながら煙をくゆらせだけで、止め処なく掻き立てられる私の空想。

2002.12.14
 高校の先生が教材に使いたいからと、戦時中の骨董売り立て目録を買って行かれた。それを取っ掛かりにどういう授業展開をされるのか興味深いところであり、しばらく話し込んでしまった。若い先生なのに(?)好感度大の熱心さだった。
 その目録の題字には草書体で『毛くろ雲』と書いてあり、それで「もくろく」と読ませると言う所が好きだっただが、テストの答案で「目録」を『毛くろ雲』と書いただけで先生は一発で×を付ける違いない。なんと言ってよいかわからないが、日本語を使うものとしてどっちが正しくてどっちが味わいがあるのだろうか…。

2002.12.13
 この4月に高校を卒業して就職したお客さんがいる。入社した当初は会社の方でもお客さん扱いだったのだろう、楽勝のような事をのたまっていたが、ここに来てそろそろそのしっぺ返しがきているようだ。店を訪れる度に、「仕事きつい」を連発するようになった。
 そこをどう乗り越えるかが“根性”の見せ所なのだろうが、あまり頑張れ!頑張れ!を連発しても、本人を追い込んでしまうだけの様な気がした。お金を頂戴するのは楽じゃない。

2002.12.12
 冬になるとストーブが入った、小学生の頃。休み時間になるとクラスの友達と樹木園に行って、適当に葉っぱを取ってきて、細かくしてストーブの上で炒り、お湯を注いで“お茶”にするのが流行った。『ユズリ葉』など、今から思えば飲用するには適さない(毒性有)物なども混じっていたが、そんな事お構いなしに、甘いだの苦いだの色々と調合して楽しんだ。
 こんな冒険をしようにも、ここ鹿児島では冬にストーブの入る学校は少ないようなので出来はしまい。それより何より寒くないのかなぁ、学校は…?

2002.12.11
 別段聞き耳を立てているわけではないが、お客さん同士の会話というものが耳に入ってくる。「これがいいって!」「絶対こっちのほうが面白いからこっちにしなさいってば!」てな具合で、片方が面白いと思う理由をとくとくと説明してる。
 そのやり取りが面白くて私はクスクス笑いながら、「喧嘩せんと、どっちも買えばエエやん…」と心の中で願っていた。

2002.12.10
 女のお客さんに、「髪形変えましたね」というのはイチかバチかの冒険に近い。いつもそんなにしょっちゅう見かけるわけやないし、あんまし核心もなしに「なんか変わったなぁ」程度の出来心で発言するわけやから、違っていたら取り付く島もない。でも、今日もその冒険に出てみた。当たりやった。
 そんな話から美容院の話になり、若い男の定員さんに髪を洗ってもらうのにはどうも抵抗があるとおっしゃられ、私はそんなこと考えたこともなかったので、へぇーと半分驚きながら聞いていた。力が強すぎて痛いからイヤだ、という訳でもないらしい。単純に生理的に抵抗があるのだそうだ。
 まっこと人間は“感情の動物”やと思う。

2002.12.9 
 16歳でおなかに赤ちゃんを作り、そのまんま結婚へと向かう手はず、おめでとうをこの前言ったばっかりで、その後どうしてるかなぁと思っていたら今日電話があった。明るい声なので順調なんだと思い、それとなく話を向けてみたら、どうもおなかの子は育たなかったらしい。悪い事を聞いちゃったが、その明るさが気持ちの裏返しに思えた。
 私には話を聞くと事しか出来ないし、精神的支えになるべきは相手の男しか最終的にはいないのだろうが、私に電話をしていくところを見ても、やはり精神的にはまだ不安定なのだろう。そりゃそうだ今まで苦労は多くてもまだ16だもの。それでも何とか乗り切ってほしい。
 最後に「彼女できた?」と聞かれ、電話は終わった。

2002.12.8
 「しょうもない本ないかなぁ。とにかく読んだらすぐにでも忘れるようなクダラン物がいい。」 今日はそんな希望で攻められた。これがまた難問だった。“おもしろ本は?”と尋ねられる事には慣れていても、その逆を求められるとは思いもよらなかった。しばらく考えて何冊か用意したがお気には召さなかったようだ。
 という事は、それは私が思うほど“くだらなく”ないのか、“おもしろさ”と同様“くだらなさ”にも人それぞれに嗜好、基準があるという事か…。

2002.12.7
 処分するのも何だし、誰か読む人でもいれば…、と言うような本にはそれなりの値段をつけて棚に並べている。まぁ売値がそんなもんだから、多少のお代を頂いて持っていってもらえればそれで良いのだが、中には「安いねぇ!」とおっしゃって下さる方もあり、そんな方には冗談で決まってこう答える。「いえ、高くしてよろしければ高くしますよ」と。そして笑いあってそれでおしまいなのだが、「じゃぁ、高くしてくれ」とおっしゃってくださる方は間違ってもいないものかと、実は待っているのさ。一生に一人ぐらいは…。

2002.12.6
 包装して物を送る場合、日本と欧米ではその考え方は違っているようだ。仕事上書籍を送っている。紙で出来ているので濡れないよう、傷まぬようそれなりに気は使っているつもりである。日本国内で動かす分にはそれで問題はないが、いざ海外へ、となると事情が違ってくる。
 合理的な欧米人には不必要な包装は好まれないのかもしれないし、それより何よりアメリカでのテロ事件以後、あまり厳重に包装が施してあると、空港などではかえって怪しまれてしまうのだと、運送屋さんが言っていた。

2002.12.5
 お客さんに話し掛けるのはごっつむずかしい。話の中身やはじめの一言を発するタイミング。何より話し掛けられるのが嫌いな人かどうかが、ぱっと目で分らへんから、とりあえずなんか言うてみて反応を見る。乗ってきそうな人やったら次の言葉を考えるし、「ほっといてっ」って感じの人やったら、さっと身を引く。
 恥ずかしそうに、ボソボソっと返事する人に対しては、「話し掛けて失敗したかな」って思うけれども、また店にやってくるところを見ると、会話自体は案外嫌やないんかも知れへん。なかなかむずかしぃ。

2002.12.4
 「パソコンで新聞とか本とかが読めるようにはなったけど、あれはどうかねぇ…。まさかパソコン(たとえノート型であったとしても)抱えて、ソファーに寝そべって読むわけにもいかんし、かしこまってしか読めないよねぇ…。」とお客さんが申されたのは面白かった。
 でも、電話だってそうだった。一家に一台、黒いヤツがデーンと鎮座し、使用するには緊張感があった。どころがケータイ時代になるとそんな緊張感はどこへやら。歩きながら、ねっころがりながらの使用は当たり前の日本になってしまった。
 そんな世相から取り残されたまんま、緊張感の取れなかった私は、未だに電話・ケータイが苦手で仕方ない。

2002.12.3
 私を殺すのに、ナイフやピストルはいりません。ただ、店内をウロウロ、おもむろに本を手に取ったりしてパラパラとページをめくる。そしてそれを一旦本棚に戻し、店内をグルリとひと周り。またさっきの本の前にじっと立ち、今度は財布を取り出し中身を確かめる仕草。うなずきなどを加えるとなおよろしい。
 あとは財布を手に持ったまんま一気に出口に向かうだけ…。こんな簡単な事で、その日1日の私は死んだも同然の完全犯罪。

2002.12.2
 早い時間に制服姿を見かけるということは、いよいよ“期末テスト”の週間に入ったということか? 余裕か息抜きかはたまた諦めか、店に寄っていく学生さんたちの心境はさまざまなものであろう。
 「勉強しなきゃ」と思えば思うほど、引き出しの中が気になったり、本棚のすみの漫画が気になったりするのは、世代が変わっても今も昔も変わらぬ事なのかもしれない。さて、今回のヤマ場は何曜日?

2002.12.1
 古本は引き取っても、古風邪だけは御免蒙っていたのであるが、どこで押し付けられたか先週半ばに風邪にやられた。咳と熱が出るようになると、さすがにタバコを吸う気にはならず、手も伸びない。ところが自分がだんだんと快方に向かって行ってる確信を持ち出すと、不思議と「吸ってみようかな…」という気持ちが湧いてくる。
 最初の数本は煙を口に入れるだけで吐き出し様子を見て、徐々に感覚を取り戻す。それでも久々のタバコは頭にクラッとくる。ちょうど私が二十歳で吸い始めた時の様に…。

2002.11.30
 「ネットを見てたら、ここにあるって分かって、やって来ました。これありますか?」と、若いお嬢さんからメモを渡された。話を聞くと随分熱心な探求書のようだ。なになに‥と見てみると、そこには、確かにデータを打ち込んだ覚えのある書名が書かれてあった。2冊あった内、1冊はすでに売ってしまった覚えはあるが、はて? 残りの1冊はどこにやったかいなぁ…。お嬢さんの為にも絶対見つけなきゃと思えば思うほど、店内をグルグル…。それでも見つかった時には、案外お嬢さんより私の方が小躍りして喜んでしまった。

2002.11.29
 物に対する思い入れは人それぞれだろうが、成人向けの本に関してはある意味特殊なものがあるのかもしれない。どんなにしょうもなくともその人にとっては宝物という事が往々にしてある。
 今度子供が生まれ、パパになろうかという方が散々悩んだ挙句に、自分のコレクション(?)を手放した。と言うほど大げさなものでは全くないのに、その踏ん切りを付けるまでが兎に角永かった。陣痛が始まりいよいよ出てくるという頃になってようやく決心を付けるまで、二転三転の大騒ぎ。
 まぁ、あんなにしょうもない本のどこに執着していたのか、古本屋の私にはその方の気持ちがさっぱりわからず、いい加減疲れてしまった。

2002.11.28
 このクソ寒い中、裸足にぞうり履きで原チャリにまたがり、さっそうと現われたお客さんにはびっくりした。と言うより見ているこっちが寒くなってしまった。
 家のフローリングの床を、靴下やスリッパを履かずに歩くときは、つま先かかかとでサササッと済ましてしまうのに、素足で外に出ようなどとは夢にも思わない。と考えつつも、思い出したのは、小学生の時は冬(奈良の冬は寒い)でも半ズボンでほとんど通した自分であったはずなのに、いつからこんなに寒がりになってしまったのだろう。しかも以前の冬のほうがもっと寒かったと感じるほどに地球の温暖化が進んでいるというのに…。

2002.11.27
 おばあちゃんと、どーも話が噛み合っていないと思っていたら、『しんけいつう』を『ひんけぇつぅ』と私が聞き違えていたからの様だ。貧血という割りに、あちこちが痛い痛いというので、そういう貧血もあるのかなぁ、鉄分が足りないと痛くなるものなのかなぁと、頭の中に小さな「?」を作りながら話をしていた。
 ようやく長い話の終わりごろになって、神経痛と聞き取れる部分があり、あぁ、なるほど“神経痛”ね。また寒さがぶり返してきたし、それなら痛みの訳(私はまだ神経痛に悩まされたことがないので実際どんな痛みなのか分からないが)も納得!と思ってしまった。

2002.11.26
 「人に本を上げようと、わざわざ新刊を買って上げたら突っ返されたわ。」とプリプリしながら私に言われても困ってしまう。それでも、「へぇー、失礼な人があったもんじゃ‥」と思いながらも、まぁまぁとなだめるしかなかった。
 返すほうも返す方なら、上げるほうも上げる方。全くめげてないのか、「今度はこれを上げてみよっ!」と言いながら1冊の本をもう手にされていた。新刊よりぐっとお安いとは言え、そこまでするのが“おんなの意地”ちゅうものか…。

2002.11.25
 これから1人船に乗り、トカラ列島へ調査に行かれるそうだ。出航までしばらく時間があるので暇つぶしにあちらこちら歩き回っている途中のご来店であった。東京から鹿児島に入り、船に乗ってトカラ列島へ…。そんなにまで時間をかけて研究なさっていらっしゃる事は“考古学”。
 『絶海の孤島』というイメージがどうしても拭い去れないのであるが(それぞれの島に暮らしていらっしゃる皆様すいません)、だからこそ民俗学的にも独自の文化を継続してこられたのかもしれない。私は鹿児島に暮らして、もう「短い」とはいえないが、トカラの島々には一回も行ったことがない。行ってみたい。
 そんな島にすでに4回も渡っていらっしゃるその方のお話を聞いている私の目はたぶんキラキラ(ギラギラ)輝いていたと思う。

2002.11.24
 『心ここにあらざれば見えども見えず』とは真理なのか。「あらっ、こんなのが入ったのか、この本貰って行こうか…」とおっしゃられるのは真に嬉しい話なのであるが、最近入った本ではなく、ずぅ〜と前から棚の定位置にあったし、たぶんその方の守備範囲、恐らく興味をもたれるだろうと以前に一度お勧めしたことがあったのに、その時はまったく無反応だったので、ひそかにガッカリした覚えがある。きっとその時は心がそこになかったことだろう…。
 そんなことは口に出せず、「はいっ!最近入りました。」とスマイルで私は言った。

2002.11.23 勤労感謝の日
 年の頃は私と同じぐらいか、モームの文庫本をお買い上げ頂いた折に、「むか〜し、サマセット・モームにハマリました。」と一言いうと、その方も肯かれた。訳された本を読むと、なんだか意味の解るような解らない様なものを感じてしまうが、モームの原文を眺めると、いわゆる“構文”がしっかりしているので、自分で丁寧に訳していけば、それはそれは美しく、味わいのある文章が現れてくる。それが大好きで、特に“死”に対する考えを述べたモームの文章に、強烈な感動を覚えた事があったなぁ。

2002.11.22
 実際には来年3月頃の話だろうけど、それに向けての転勤の辞令が出たからと、古くからご利用頂いていたお客さんが、早々とお別れを言いにおいでになった。年末のご挨拶でさえまだ早すぎて口にすることはないのに、「大阪へ引っ越します…」と来年3月のお別れを言われても、はなむけの言葉すら出て気やしない。それでなくとも何の心の準備もなく、ただあたふたキョトンのお別れとなってしまった。
 これまでご要望の本をあまりうまく集めることが出来ず、ご不満の点が多かったと思いますが、永きにわたりご来店ありがとうございました。何より元気なお子さんが生まれますことを心よりお祈りしております。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

2002.11.21
 タイの女性と結婚した古くからの後輩(♂)が訪ねてきた。奥さんは子供をつれてしばらくお国に帰っているらしい(別にヤバイ状況ではなく、ただの里帰り)。それにしても、めったに顔など出さない彼が、私を訪ねて店に来る程なのだから、よっぽど1人が手持ち無沙汰なのだろう。
 私は1人暮らしにすっかり慣れてしまっているし、彼もまた1人暮らしが長かった筈なのであるが、家族をもって、いざそれが目の前からなくなり、再び1人に戻った時には、どう時間を過ごして良いのやら分からないらしい。本当に首を長くして家族の帰国を待ちわびている彼のうしろ姿に、その絆の深さを垣間見た。

2002.11.20
 「『本は後ろから読め!!』って、わしゃいっつも言うとる!何でかって言うたら、大事な事はたいがい後ろの方に書いてあるから…。最初の方の“前置き”部分はは読まんでもヨロシィ」、と話して頂いた。小学校の教科書以来、書物は初めから読むもの、と思っていてはいけないのだそうだ。
 このように、読書についても人にはそれぞれ、様々な哲学・宇宙があるようでございます。うちの父にしましても、「忙しい時は、目次だけでもいいから目を通せ」と申しておりました。“読む”世界も奥は深くなっている様でございます。

2002.11.19
 お釣りを渡す時に、ふとお客さんの手に目が行った。どうも薬指のあたりが赤く、血が出ているように見えたのでビックリして、「ち、血が出てますよ!」と声を出してしまった。
 「ああ、これね‥。」と、さして慌てることのなかったお客さんの対応。「爪がとれてねぇ、やっと生えて来ているところ。」、と薬指を見せてもらった。なるほど本来の爪の部分はなんにも無く赤くなり(これが血に見えた)、下のほうにちょこっと新しい爪が顔を覗かせていた。
 失礼とは思ったが、私には経験がないので2,3質問をした。曰く、爪がないだけで指の力の入り具合が全然違う様で、爪と言うのは伸びるばかりが能じゃない事を改めて確認させてもらった。その後の会話は、かつての「なま爪を剥ぐ刑」にまで繋がって発展した。

2002.11.18
 うちの父は釣りをする。自慢と言うほどではないが、釣れた魚についてはところ構わず語りべとなる。それは釣りをする人であれば誰でもそうなるものなのかも知れないし、また釣りに限った事ではないと改めて今日思った。
 片手に手提げ袋。本が入っている。どこかの古本屋を回って来たようだ。あの袋の中身が気になる。何だろう…? 上記の釣師の心理を逆手にとって、「掘り出し物はありましたか?」と餌をたらす。とたんに食い付いてきた。ご本人にとってよっぽど良い物をゲットしたのだろう、話がとめどなく溢れ出した。挙句に袋から取り出して見びらかして頂いた。それは確かに面白い本であったから、人に話したくなっても仕方ないだろう。快く聞き手にまわった私の勉強とあいなった次第。

2002.11.17
 とんだ失敗をやらかした。「問題は最後までちゃんと読みなさい!」と、テストの答案用紙が帰ってくるたびに母にしかられたことを思い出した。答案でも何でも物事が8,9割がた済むと、もう終わった気になり気を抜いてしまって、そして大きな間違いを犯してしまった事を数えたらきりがない。自分は詰めの甘い人間やから気を付けなアカンと思っていたはずなのに、またやてしまった。
 1冊1冊書籍のデータを打ち込んでいる。本を手に書名、副題、著者名、発行年月日等々を打ち込んでいくわけであるが、字面を8割ぐらい見ただけでフフンと打ち込むと実はとんでもない間違いになってしまう。
 お客さんからメールで頂戴した注文の書籍をよく見ると作者の名前の1文字が違い、悪いことに別の有名な人になってしまっていた。もう恥ずかしくてそのお客さんになんと返事してよいやらしばらくは頭の中が真っ白になったまま、「問題は最後までちゃんと読みなさい!」と母の声だけが頭の中を駆け巡っていた。

2002.11.16
 銀杏並木が色づくと、学祭の季節だなぁと思い出してしまう。鹿児島大学の学祭が昨日から始まっている。学校に出てこず普段見かけないような人たちもお祭り騒ぎに誘われて、「あれっ? こんなに人がいたっけぇ?」と思うくらいに大学構内が人で溢れてくる。
 夜の飲み会では若さに任せて、バカ飲みして乱闘や喧嘩は当たり前、ひどい時には車が燃えていた。そんな昔、私が学生の頃の様な事は今はおこらないらしいが、それでも若い酔っ払いにはついていけない所がある。その飲みっぷりをまじかに見るだけでこちらが気持ち悪くなってしまうのは、おそらく私が歳を重ねたからだろう…。

2002.11.15
 わりと便利な道具で、一番身近にあるものと言えば“爪”であろう。タクシーの運転手さんが仕事の合間に店にこられた。会話を交わしている時に、ふと見ると親指の“爪”が異様に長いのに気が付いた。単なる不精ではなさそうだ。それが証拠に他の“爪”はきれいに切られている。何か意味があって伸ばしているのだろうけど、職業からして親指の“爪”が仕事にどう役に立つのだろうかといろいろ考えたが分からず、とうとう聞いてしまった。
 答えは簡単。仕事にはあまり関係ないようだ。某缶コーヒーの『シール』を集めているので、それをはがすのに都合の良い“爪”の状態になっているのだそうだ。物は言いよう、考えよう。“爪”とハサミは使いよう。

2002.11.14
 考えられない事ではないんやけれど、想像してたんとは全く違う答えが返ってくると、たちまちの内に思考がストップしてまう。今日はそんな目に会うてしもた。
 冷やかし半分で「彼女出来た?」と、高校生にたまに聞いてみるけど、たいがいは「いやぁ〜」とか、「出来ません…」とか本当かどうか分からないが、取りあえず否定する方に走る子が多い。まぁ、恥ずかしさもあるから当然と言えば当然なんやろうけど、今日「彼女出来た?」と聞いた子は、間髪入れずに「はいっ!」と答えてきよった。しかも私の目とまっすぐに見て…。
 聞いた私の方が慌ててしもた。考えられない事ではないんやけれど、想像してたんとは全く違う答えが返って来た。まぁめでたいと言うか、うらやましぃと言うか…。

2002.11.13
 「削ぎ落とすのが大変」、とは何もダイエットの話に限らないようだ。ちょっとした物を書いたり、演劇の脚本などを書いていらっしゃるお客さんがおっしゃっていた。
 「文章に付け足して肉付けするのは簡単。必要最小限に削っていくのが難しい…」などとおっしゃられては、毎日ダラダラとしか“日記”の書けない自分にとっては、とっても勉強になるお言葉なのであるが、私の文章で不必要なものを削っていくと、『…』と『、』と『。』しか残せない。

2002.11.12
 「“まぁたこんな物買ってきてぇ、この子は!”って母ちゃんに叱られるかも…」と、ヌード写真集を捜しながら、60手前のおじさまがおっしゃられた。母から見れば子は“子”。どんな歳になっても『この子は!』という表現になるんだなぁと思い、そしてそのお客さんが叱られている姿を想像して、ともに苦笑いしてしまった。

2002.11.11
 高校生の女の子に、「携帯代、月いくら?」と聞いたら、「月1万円ぐらい」と答えが返ってきた。それぐらいの世代には当たり前の額なのだろう、いやまだ少ない方なのかも知れないが、おじさんはやっぱりビックリしてしまった。
 メールのパケット料金の占める割合が多いらしい。今の自分に照らし合わせてみて、1万円/月に手が届くほどメールをやり取りしようと試みたら、それこそたちまちの内に“腱鞘炎”にかかってしまいそうである。と、言うよりパソコンでメールを打っていると、携帯で文章を打ち込むのがやけに面倒臭く感じてしまうから、そんな話にはまず乗ることはないだろうけど。

2002.11.10
 その昔、本を売りにきた青年がおったとさ。だけれども精一杯つけたつもりの買取値がお気に召さず、「他の所へ持って行ってみる」と言い残して帰って行ったそうな。すると小1時間ばかりしてその青年がまた現れ、「やっぱりさっきの値段でいいです」と言ったとさ。
 この話は彼が高1の時のお話。それからたびたび店に来るようになったかと思うと、今日は「進学が決まりました」と報告がてら本を売りに来た。もう3年生になり次の進路が決まるようになるとは、流れる月日の早さに驚いてしまった。

2002.11.9
 日もとっぷり暮れて、身の引き締まる寒さの今しがた、鹿児島大学学生寮対岳寮の『街頭ストーム』が店の前を通り過ぎていった。去年は11月の24日に眺めて色々思い出に浸ったことを日記に書いたので、それを考えると今年はずいぶん早目の行事消化となったようだ。早目とは言え昨日からの冷え込みはきつい。そんな中を焼酎で体を温めながら、さらしの褌で寮から繁華街天文館まで練り歩くのであるが、そんな伝統を知らない通行人たちの目にはどんな風に映っているのだろう、あの若者達が引き継いでいる真剣な行事は…。

2002.11.8
 ホテルで働いておられる方々は凡そそうであるに違いないが、お客さんのお顔、いろいろな好み等をキッチリ把握しておられるのだろう。古本屋の私はホテルマンには到底及ばないが、それでもお客さんの好みの本の系統や、お買い上げの際にブックカバーをつけるのか、或いは目一杯包装もしないかのご希望、前回いらっしゃった時にはどんな話で終わったのかを出来るだけ憶えておこうとするのである。が、一番上手く行かないのは包装の仕方である。袋に包んでから「ああ、袋は要らない」とか、「カバーも邪魔だから捨てといて」だとか、そうかと思えば「恥ずかしいからブックカバーをつけて」などいろいろなご要望をお持ちのお客さん方がいらっしゃる訳である。

2002.11.7
 おっと、危ない危ない。お客さんがよその古本屋さんの愚痴を言い始めた。聞いている分にはいいのだけれど、あまり話しにのめり込み過ぎて、へたに相槌が多くなると、伝わる経路が捻じ曲がれば、悪口を言ったのは私だ、という様な事になってしまい、「おいおい、それはちゃうやろぉ」と思っても後の祭り。とってもヤヤこしい事になってしまう。
 私の側にはそんな気持ちは毛頭ないので、あまり聞きたくはないのだが、さりとてお客さんが一生懸命はなしているのに、空耳のような態度も取れまい。そのサジ加減が難しいところである。要はお客さんのガス抜きさえ出来ればそれで良いのだから…。

2002.11.6
 知り合って長い友人が、今日三十路を迎えた。本人曰く、ワクワクしているらしい。確かに何が起こるかわからない30代を送りそうだ。良いこと半分、悪いこと半分で過ぎれば御の字だろうが、果たしていかなるものか?
 ただ、感心したのはその“ワクワク”という感覚を持てるという事だ。悪いシナリオばかりを想像していては、30代最初の一日から、はじめの一歩が踏み出せない。本人主役の物語がどんな風になるのかは、これからの付き合いの中で知る事となるのだろう。

2002.11.5
 本の一山の系統から、前の持ち主の人間像を言い当てようとするお客さんが少なからず居られる。前の持ち主に関して私があれこれ言うのはルール違反であるので何にも言わずにニコニコすることにしているが、ズバリ当てられた時は内心さすがに慌ててしまう。
 お客さんの推察が、「当たっている」と答えれば前の持ち主に迷惑が及ぶかもしれないし、「ハズレている」と答えれば推測したお客さんの機嫌を損ねる。いずれにしても、これに関しては“沈黙は金”なり。

2002.11.4
 隣の病院の看護婦さんが、夜勤前に毎度本を買って行かれる。今日はどうしたわけか、本の購入に関してほんの些細なわがままをおっしゃられた。大した事でもないので、こちらはどうって事なく了解しても良かったのだが、少し考えるフリをして、ついでに一言付け加えさせて頂いた。
 「夜中に急におなかが痛くなったりなんかして、いつ何時病院でお世話になるかも知れませんから、そん時はよろしくお願いしますねぇ」と。

2002.11.3 文化の日
 この3連休に、病院を抜け出して遠くからわざわざいらっしゃたお客さんがありました。永らくお見かけしなかったので、おそらく急に入院されたのだろうと予想はしていました。
 去り際に、今生の別れでもあるまいし丁寧な挨拶をなされる。80を越されているとは言え、まだまだ教わりたいことが山ほど私にはあるのだから、悲しいことは言わないでほしいし、起こらないでほしい、そう祈って道の向こうに小さくなる後姿をいつまでも見ていました。

2002.11.2
 お客さんに頼まれて、その方の携帯のメールアドレスの登録をした。自分の携帯と機種が違っていたので、一瞬どう操作して良いのか分からず、まごまごとしてしまった。自分の携帯では何のことはない漢字使いやアルファベットの大文字小文字の操作に、どこを押してよいやら戸惑いながら、結局は何とかなった。
 だいたい、人の携帯を操作すること自体あまり考えられることではないので、それはあたかも人の引き出しの中から物を探して取り出すが如く、どこに何があるやら他人の私にはさっぱり判らなかったのである。

2002.11.1
 「若い頃読んだ本をもう一度読んでみようかなぁ、歳をとって時間も取れるようになったし…、働いている時は何だかんだ言って、やっぱり仕事に気を取られてきたしねぇ」と、世界文学全集の端本を熱心に吟味されている。
 若いときに読んだ印象と、年をとってから同じものを読んでも、その印象は必ずしも一致しないであろう事は想像出来るのであるが(今の私の歳でさえそうなのであるから)、人生経験を豊富に持った年齢になった時に再び読み直すと、一体どんな感じがするのであろうか?
 若いときにはさっぱり分からなかった“行間”を、じっくりと味わえるのかもしれない。

2002.10.31
 夜の夜中に彼女のために古本屋を回るのも大変だなぁ。また、それが見つかればエエんやけど、見つけにくい本ちゅうのがやっぱりあるし、何とか見つけられませんかねぇと、言われた所で生憎ない物はない。幸い新刊ではまだ出てそうなものやったから、「どぉしてもちゅう時は、新刊で買ったほうが早いし、手間を考えると結局そっちの(新刊を買う)方が安いと思います。」とは言うては見たものの、あんましエエ顔はしはらへんかった。
 男やったらちょっと高こうても新刊でそろえて、彼女の目の前にドンと持っていく方がカッコええとちゃうん?、と思うんは、バブル時代のすっかり古い考え方なんかも知らん。

2002.10.30
 センター試験まで100日を切り、「時間がない。時間が足りない。」と受験生君が言う。私自身が受験生だった時の11月ごろはどんな心理状態だったかなぁ…。時間が足りないと感じたことはなかった気がする。ただ、自分のスランプ時期をどう調節して、どう抜け出すかに神経を使っていた気がする。些細なことでスランプに陥り、もがけばもがくほど泥沼にはまって行くあの焦り。その自分との闘いだった気がする。

2002.10.29
 店では通常FMラジオを流しているが、今日番組のゲストとして津軽三味線奏者が出ていらっしゃった。当然放送中に何曲か演奏され、それがラジオから流れていた。
 「高い音を聞くと“虫酸”が走るんですよ。低い音なら何て事ないんですけどね。」と、たまたま店にいらっしゃった方が話された。最初は何のことかさっぱり解らなかったが、どうやら“黒板”を爪で「キ゛ィー」とやった時と同様の不快感を、高い音に感じるらしい。
 そうして考えるとラジオから流れる流行の曲は、割と高い音の連なるものが多い。その方にとっては苦痛以外のなにものでもないのだろう。そんな人もいることを知った。

2002.10.28
 ご主人は特攻隊員、出撃直前に終戦を向かえその後の昭和を過ごされる。学生時代からのラグビーをずいぶん後まで続け、マージャンを打ち、酒・タバコをたしなみ、そして80を過ぎた所で体調を崩され、最後は心不全であまり苦しまずに3年前にあっけなく逝ってしまいました、と80を越されたご婦人がおっしゃられた。
 このたった数行にそのご夫婦の人生のいろいろな事がとてつもなく詰まっている。

2002.10.27
 相手が一人暮らしのお年寄りと分かっている所へ電話をかける。受話器の向こうで何度か呼び出し音が鳴り続け、お留守かなっと思い始めたところで、相手が慌てて受話器をとった気配がする。当然「もしもし」と会話が始まると思っていたら、「…」と無言。しばらく呼びかけてはいたがいっこうに応答がないので、ひとまずこちらの受話器を置く。しばらくして再度かけなおすと「ツー ツー」音の繰り返し。114を使って調べてみたら、相手方の受話器が外れている様子。ここからいろいろな想像が私の頭の中で広がっていく。
 一度は受話器を上げたはずだから、応答もないまま受話器が外れっぱなしになっているという事は…。お年寄りということもあるし、もしかしていたら大変なので、警察に電話し事情を話して、様子を見に行ってもらった。しばらく待つと電話がかかってきて、私が出ると警察からのものだった。「何でもないですよぉ、元気にしてらっしゃいました。」との回答に、腰が抜けるかっちゅう位ホッとした。小説の読みすぎなのか、どうも想像がひと波乱ある方に働いてしまう。

2002.10.26
 「近くだし、今度行ってみて下さいよ。本当に美味しいから…」と、お客さんに何度も言われていたが、それじゃぁと、店を留守にする訳にもいかず、「出前とやってないんですかねぇ…?」とポロッと言ったもんだから、今日はそのお客さんがわざわざ頼んで下さって、特別に作ってもらい、恐れ多くもそれを私の為に持ってきて下さった。
 おむすびもうまかった。卵焼きもおいしかった。焼き鳥にもがっついてしまった。これならそのお客さんが毎日通って食事を済ませるのも大いにうなずける。もぉちょっと詳しく聞いて、紹介できそうなお店なら、この場で紹介させていただこう。

2002.10.25
 午前中に降っていた雨が、夕方に上がった日などは、かさの忘れ物が多いが、今日は自転車が1台忘れてある。ワイヤーのカギがかかっているので、持ち主はカギを持っているはずだし、店まで自転車で来た事を忘れてそのまんま帰ってしまったのかよく分からない。
 ポツンと残された自転車を見ていたら思い出した。私の高校は自転車通学者が多く、広くとられた自転車置き場は昼間はいつも自転車でいっぱい、下校時間を過ぎると当然ガラガラという状態だった。そんなある夏のプールの時間に事故があって、女子が1人亡くなってしまった。彼女の自転車だけが、夜になってもポツンと1台残されたまんま、主をひたすら待っている…。それを見ているのがとても悲しかった。そんな事を思い出してしまった。

2002.10.24
 おしゃべりをしながら人とご飯を食べんのは、今年4回目。それが多いか少ないかは別にして、比較対照としてその事が、一人でボソボソとご飯を食べる味気のなさを新ためて浮き上がらせる。
 そんな味気なさを思い出したところでどうしようもないのだから、いっそ忘れたまんまの方がエエんとちゃうかと考え直し、また一人ボソボソ飯が今日から始まる。

2002.10.23
 おばちゃんとの会話は、省略が多くって想像力豊かに働かせないと理解に困ることが多々ある。「…ほぉいでよぉ、ナニがアレしてからナンすといけないでしょう…。」とまぁこんな具合であるから、ニコニコうなずきつつも、私の頭の中は話の流れや行間を必死でくっつけながら、会話について行こうとする。そうでないと場違いで、とっぴもない返事をしてしまい、会話がしらけてしまうのが怖いのだ。
 因みに上の文章を訳すると、「…それでよ、パチンコ最近出ないから月末に困るといけないでしょう…。」の様である。『こそあど言葉』の乱発もナンだなぁ…。

2002.10.22
 今日は寒かった。この寒い中、ツッカケ(オシャレな呼び方を忘れた“ミュール”やったっけぇ?)履きのおねぇーちゃんが居た。あれは寒いだろーなぁ、と思いつつしばらく眺めていた。どうでもいい事だが、靴下を履かずに靴がはける人が信じられない。気持ち悪くないのかなぁ。それがオシャレっちゅうもんなんやろか?
 そやけど、なんかネチャつきそうで、どうもそのイメージが固まってしまっている。それを靴下でゴマかそうとする私の方がおかしんやろか…。それから服をズボンの中に入れへんのんもねぇ…。こんな事は、おっさんも顔負けのダサダサ意見といわれるのだろう。

2002.10.21
 どこでもそうなのか、今どきの小学校で遠足に“おやつ”を持って行ってはいけない所があるようだ。ゴミを出すからいけないのか、持っている者と持たざる者との差が出るからいけないのか、その理由は知らない。
 理由はどうあれ、遠足の楽しみは“おやつ”でしょ。定番品の“ベビースターラーメン”、小さい“かっぱえびせん”、“チョコボール”もあったなぁ、ピーナッツのがいいかキャラメルのが好いか友達と言い合いっこしたっけぇ。そんな世代が人の親となり、一方で先生になってみれば、「おやつはダメ!」と言う。
 まぁ、よく確かめもせずに私が言うのもなんだが、そんなに遠足の“おやつ”にイヤな思い出を持った大人たちばっかりなのかなぁ…。

2002.10.20
 300年にもわたり、鹿児島の隠れ念仏の信徒たちは、自らの信仰を密かに守ってきた。どんな拷問に会おうとも、決して口を割らなかったそうだ。そこまでひた向きな信仰とな一体何だったのだろう。
 信仰にすがらざるを得ないほど、生きていくことがつらく苦しいことだったに違いない。それに比べれば“拷問”の方がまだ楽であったのか、或いはほかの信徒まで巻き添えにしてはいけないからと、代々叩き込まれた教えなのか、あらゆる手を使って自分たちの信仰を守ってきた。
 修行とかつらい事から容易く逃げがちな私にとっては、その”信仰心”自体からして想像のつかない、経験のない未知なものに感じてしまう。

2002.10.19
 中学生に私の歳の差を当てをさせてみた。小学生の時から知っているので、その子から見たら私は一体いくつに見えるのだろうと思ったからだ。さすがに自分とは10以上差があるのはバレているが、『“18”違う』という微妙な数字を持ってきた。当たらずとも遠からず、という感じだが、本当にそう思って答えたのか、気を使って少しすくな目にサバを読んでくれたのかその判断がつかない。さりとていまさら正解を教えるのもシャクに触る。
  どっちにせよ少し若めに見えているということでひとまず満足し、しめしめどうせならばと、「差は18よりもう少しすくないよ」なんて、さらにサバを読ませることにした。信じてくれたかなぁ…。

2002.10.18
 こちらの意思とは何の関係もなく、不意に懐かしい本とめぐり合うことがある。懐かしいと思うぐらいだから、それは子供のころ読んでいた本であるので、内容的のは何の価値もなく、他の人から見れば、「なんだこりゃ?」というものがほとんどかもしれない。
 それでも挿絵のある本にトレンシングペパーを重ねて、絵をなぞって遊んだ思い出なんかがドバッと溢れ出し、或いは今になってみると、「あれ、こんな絵だったけぇ‥?」と感じたり出来るのが、人には見せられない至福の瞬間を私に与えてくれる。

2002.10.17
 お客さんの買い物袋より、にょきっと飛び出した一本の棒。“布団たたき”だった。久しぶりに“布団たたき”なるものを見たような気がする。感覚として『前世紀時代』の遺物のような錯覚がした。というより存在そのものを忘れ去っていた。そぉ言えばあったなぁ…。
 まだこんな原始的な道具が生き残っていたのか。21世紀になってどんなに文明が進んでも、お日さまに当てた匂いのする布団で寝るのは気持ち良かったはずだ。ここ1年以上、自分ちの布団をお日さまに当ててなければ、“布団たたき”の存在も忘れてしまったし、あの匂いも忘れ果ててしまっていた。

2002.10.16
 「雨が降ったら、すぐに川があふれて、毎年のように床下・床上まで水が来て、そのたんびに大家さんが畳を変えてくれとったから、いつも新しい畳やったけど、今年は工事(河川改修工事)が済んだから、ちょっとやそっとじゃ水が溢れてこんようになってしもて、畳が古くなってきてるからイヤだぁ…。」という愚痴をお客さんが言うのには大笑いしてしまった。“洪水”よりも“新しい畳”欲の方が勝るって訳だ…。

2002.10.15
 今朝のこと、よっこいしょとカウンター上に置かれたお客さん(高校生)のバック2つの内1つが下に落ちた。硬い音がした。落とした当のお客さんがバックの中を確かめて慌て出した。入っていたお弁当がバックの中ではじけたようだった。さいわい大した事無く、何とか食べられそうだ。
 お弁当の汁がかばんの中で漏れて、教科書やノートにシミを作ってしまった中学、高校時代を思い出した。当時はそれがイヤでしょうがなかったけど、そんなにイヤならばと、その時の自分からお弁当を取り上げて今食べたいものだ。

2002.10.14
 うちのアパートの部屋は年に数回、突然断水しょる。水道料金を滞納しているわけでなく、何の具合か水が上がらず、屋上のタンクがたまぁに空になっていると想像している。
 そんなことはどぉでもエエ。店を閉めて自分の部屋に帰り、「さぁシャワーでも浴びよぉかいなぁー」と思っているところが、水が一滴も出やへん。「おいおいまたかよぉ、しゃーないなぁ…」と諦めて、寝る前の歯磨きっと思ったら、口をゆすぐ水がこれまた出ぇへん。こうなると選択肢は2つ。ゴックンと飲み込むか、トイレのタンクから水を取るか。結局いつも、○○を取ることになる。
 翌日には自然と断水は直っていて、しばらくは茶色い水が出てきた。これもまたいつもの事だった。

2002.10.13 
 交通事故を起こしてなくなった後輩の海への散骨が行われた。ダイビングのサークルであったので、鹿児島でよく潜っていたポイント付近に彼は潜行していった。ウェットスーツも水中眼鏡も、空気の詰まったボンベも着けず、魂のまんまで1人海に遊ぶ。
 結末としてはそれも良いかもしれない。が、本当は色々重くって不便な道具をつけてでも、生きてみんなとワイワイ潜りに行きたかったろうに。ゆっくりとお休み下さい。

2002.10.12
 カレーを題材にしたマンガを売った。作り方まで丁寧に解説したやつで、最初3冊、あとで1冊のトータル4冊を買って頂いた。4冊目を買いにいらっしゃった時に、まさかとは思ったけど、「ひょっとして今日のご飯はカレーですか?」と冗談のつもりで聞いてみた。しかしまさかのビンゴ!
 「すっかりはまっちゃって、思わず調味料まで探しに買いに行って、漫画の中の“作り方”を見て作っちゃいましたよー。」との答え。気心の知れたお客さんだからこんな失礼も許してもらえるのか、思わず手を叩いて笑ってしまった。そしてちょっと照れくさそうに笑いながらうつむくお客さん。

2002.10.11
 「にわかに空が掻き曇り…」という表現がぴったりの今日の鹿児島であった。朝から秋晴れの気持ちのよい朝であったにもかかわらず、突然降り出した桜島の火山灰。たまたま早めに気付いたからマシであったが、それが遅れると店の中が灰だらけになるところであった。
 空から降る“雨”や”雪”は、バラードになったり演歌になったり、状況・心情を表すアイテムとしてはとても重要なものであるが、火山灰ではサマにならない。♪ I'm singin' in the rein〜 ♪は頂けるが、“rein” を “volcanic ash(=火山灰)” に変えたら、ジン・ケリーだって目が痛くなってとっても踊れるもんじゃなかろう。

2002.10.10
 古本屋だから、というわけでは勿論ないだろうが、日々色んな質問を受ける。今日の問いは、『人間とは何か?』という事だった。宗教の勧誘なんかではなく、哲学的な話となった。
 私として、その問いに確固たる解答を持っている訳ではないが、少なくとも確実に「せやからアカンのんとちゃうん?」と思えることは、別にそんなことを考えなくったって車は動くし、テレビも映る。“人間とは何か”を突き詰めて考えなくったって、ボタンを押せばジュースは出てくるし、便座からはお湯が出てくる、生活できる。
 便利さを追及する代わりに“思考”を捨てて来た日本(人)の、下がる一方の現実が今、ここそこにあるという事だ。

2002.10.9
 不思議な事があるもんだ。私が痩せているからと、今日お弁当をいただいた。家の体重計があるわけではないので、実際にやせたかどうか私自身はさっぱり知らないのであるが、体は今まで通りに動いているので痩せたとは思えない。光の加減でそう見えているのだろう。 
 なにはともあれ、家に帰ってからチンしてご馳走さまである。

2002.10.8
 中学生の女の子に、「将来の夢は何ですか?」と聞かれた。ドキッとした。うまく答えられなかった。細かい事を言えば、「いい本を沢山置きたい」とか「千客万来」だとか「電照看板を新しくしたい」だとかあるけれど、それは“夢”と言うより、“希望・願望”そのものだ。「〜になりたい」という夢を今聞かれても、最近考えたこともなかったので、はたと困ってしまった。
 その生徒さんの“夢”は、「アメリカの大学に行く事」なのだそうだ。そして『美容師』か『理容師』になる事なのだそうだ。そのスケールのデカさに私は圧倒されてしまった。
 「アメリカに行って勉強したい!」と頑張っている彼女と、「先の世は暗いなぁ…」と毎日考えてしまう自分とでは、将来同じ時刻は訪れても、同じ明るさの時間(未来)は決して訪れてくれない。

2002.10.7
 もう十月になったのに、耳を疑う鳴き声を聞いた。ツクツクボウシが鳴いていた。ここまで時期をはずすくらいなら、来年の夏まで待てなかったのか、そんなことお構いなしに結構力強くはっきりと鳴いていた。誰に向ってのメッセージを送っていたのか…。ツクツクボーシ ツクツクボーシ ツクツクボーシ …

2002.10.6
 お昼頃から久々に雨の日曜となった。裏の小学校は今日が運動会だったけれども、途中で中止になったようだ。私は走るのが得意だったけれども、小学校2年の運動会のかけっこで、脱げた靴を拾いに戻ってビリになってしまった。それまでは先頭を走っていたので、「脱げたまま走ればよかったのにぃ!」と、親に怒られた。
 どうもこれが私の人生を暗示しているような気もする。どうでもほって置けばいい様な事にばっかり気をとられている内に、一番大事なものが次々と私の目の前を通り過ぎていっているような気がする…。

2002.10.5
 いろんな理由で本を処分しなければならないのだろうが、こちらからそんな事は根掘り葉掘り聞くこともないし、また聞く権利もないのは分かっているが、お客さんの方から話されると聞かざるを得ない。場合によって心理的に動かされても、値が変わる様なことがあってはならないのであるが…。
 集めたたくさんの本を持って来て、「今度両親が離婚するから、どうしても処分しないと…」と、沈んだ表情の娘さんに話された日にゃアンタ、計算しながら心が揺れてしまうっちゅーねん!

2002.10.4
 高校2年と言えば1986年生まれになるのか、本人が言ってたからほぼ間違いないのだろう。彼が生まれた年に私は大学に行くために、奈良からここ鹿児島に来た年だ。大学の寮に入って飲み慣れない“芋焼酎”をしこたま先輩に飲まされていた。
 「そうか、酒を飲み始めたころに生まれたんだぁ…」と、ちょっと驚き加減で私が言うと。「ぼくはもう酒もタバコもやりますよ」ときた。おいおい、未成年が誰のお金で酒やタバコを覚えたのか、 ホンマなんやろか?

2002.10.3
 今は東京に行ってしまった息子さんが集めた未開封のガンダムのプラモデル、すでに作ったプラモデルがあり、もう邪魔でしょうがないと話される。できることなら処分したいご様子だったが、間髪入れずに私は言ってしまった。「触ったら怒られますよ」と…。
 大体そうやってあつめに集めた物、つくりに作ったものを勝手に処分されると男は怒るものである。少なくとも私ならば怒る。思い入れ次第では“怒る”と通り過ぎて“ショック”の余り放心状態に陥ってしまうかもしれない。
 「触っただけで、きっと息子さんに怒られますよ。ましてや処分なんかしたら…」と釘をさすと、自分が怒られる場面が目にパッと浮かんで来たのだろう。「そぉよねぇ〜」と素直に納得された。  ―本もまた然り―

2002.10.2
 天使にイタズラされる。しょちゅうされる。「『○×』って本ないですか?」と聞かれ、心当たりがなかったり、本棚を見渡してもなかった場合は「あいにく当店には…」てなことになる。
 残念ながら今日の昼過ぎにそれがあった。せっかく買いにこられても、逆立ちしてもない物はない、と諦めてもらっ(あきらめ)たが、夕方にまさにその本の買い入れがあった。なんと言うタイミングの悪さと嫌気がさした。順序が逆ならば、売りにきたお客さんも満足、買いに来たお客さんも満足、ついでに私も満足、と三つ巴の満足が得られたのに、天使はイジワルだ!
 ん? イジワルな天使=(イコール)かわいい悪魔 ってことになるのかなぁ…?

2002.10.1
 「友達とはぐれちゃって…」と、トボトボと店にいらっしゃった。ずいぶん探し回って様子で、すっかり疲れ果てている。おまけに友達の荷物(けっこう重い)を預かって持ち歩いているようで、なおさら精神的にも参ったのだろう。もうバスに乗って帰ると言う。その前に本を選びにいらっしゃった。
 お互いがお互いを探し回って動き回っても出会えることは難しく、ただ疲れるだけのことが多いように思う。そういう時はじっとしているに限る。現代風に携帯電話を持ってれば良かったのだが、それは持っていない83歳と80歳のお友達同士なのだから…。

2002.9.30
 真夜中にNHKで「機関車の旅」をやっていた事があった。閉店して家に帰ってテレビをつけると、それをやっているものだから、ついつい見てしまう。外国では今も当たり前のように蒸気機関車が走っているのがなぜかうらやましいと思った。そして『蒸気機関車』って、なんであんなにカッコ良く見えてしまうのだろう。それが自分でも不思議でたまらない。
 先日店にきた2歳の男の子が、「一番すきなのは汽車!!」と言っていた。たぶん実物が走っているのを見たこともなければ、乗った事もないだろうあの男の子を(私も含めて)ひきつける何かを、蒸気機関車は持っているのだろう。それが何なのかはよくわからないし、女性の目にはどう映っているのかも判らないけれど…。

2002.9.29
 この時期になると鹿児島の日曜の朝は、花火の大きな音で起こされる。「運動会やりますよぉ〜」の合図なのだろう。学校の運動会、地域の運動会がそれぞれ週をずらしてけたたましい花火の号令で始まる。
 私が育った奈良の自宅付近だけがそうでなかったのか、全国的なことは知らないが、花火の合図なんてなかった。それだけに、鹿児島に来た当初は本当にびっくり飛び起きたものだったが、さすがに最近では「あぁ、鳴ってるわぁ」で済まし、また睡眠に入るように体がなっている。慣れとは恐ろしいものだ。

2002.9.28
 他の人と意思の疎通を図るというのは、そう簡単に行かないものであるが、体に障害を持つ方だとなおさらそれを感じる。聴覚に障害を持っていらっしゃるその方が、2年近くぶりに店に顔を出された。ずーっとどうされたのかと思っていたが、元気そうで何よりだった。何しろ“手話”に興味を持たせてくれた人なのだから…。手話の辞書を買い、手話ニュースを見るようにしてきたが、手話といえどもやはり言葉は使ってないとすぐに忘れてしまう。
 今現在の私の手話の先生(私が勝手に決めた)は、聾学校に通う中学生だ。

2002.9.27
 実家の手伝いとして“すし職人”になったにぃちゃんが、夜中に店にきて、兄嫁(同じく家業を手伝っている)の事をぼやく。ぼやく、ぼやく。とめどなくぼやく。フンフンと聞いている内に、閉店時間となるが、「さぁもぉここらへんで…」とは、私の方からは言えず、週刊誌的な興味も少しあるし、職人気質のにぃちゃんのガス抜きにちょっとでもなればと思って、ただ聞いている。
 この話を立場を変えて聞けば、兄嫁は兄嫁で実家の悪口(にぃちゃんの事のみならず)になるのだろう。人間が2人以上そろえば、いろいろとややこしい話が湧いてくる。
 このにいちゃん、来月再婚するから人間関係がさらにいっそう複雑にならなければいいのだが…。

2002.9.26
 「最近、昔の邦画に凝っててね」と、話をはじめられた。現在で言うところの“大御所”と呼ばれる俳優・女優が若くして出演しているのが面白いだけでなく、バックの風景にとても興味をもたれるらしい。昭和30年、40年代であれば、私の小さい頃の風景、日用家具、あるいは走っている車など、確かに今はもう見られなくなった物のオンパレードが映画の背景各所に見られる。
 そんなものを見ていると、映画自体の面白さに加えて、ご本人の幼い頃の思い出が一緒に引っ張り出されてくるから面白いとおっしゃっておられた。

2002.9.25
 知らなかった。ゴルフはやったことがないので知らなかった。ゴルフボールが消耗品というのは、理屈から理解はしていたけれども、ティ(なんて呼ぶのか名前はまだ知らない)が、消耗品だとは思いもしなかった。“木”製を好む人、“プラスティック”製を好む人、それぞれの好みがあるとは知らなかった。芝生に差し込む深さに、それぞれのこだわりがあるなんて知らなかった。
 知らないことだらけだ。

2002.9.24
 月を眺めるのによい季節となった。ぼーっとお月様を眺めていると、いつも思うのは、「清少納言も、紫式部もあの月を眺めたんだろうなぁ」とか、「あそこまで人がいって、帰ってきたんだなぁ」という事である。
 月や火星から地球を眺めると、どんな風に見えるのだろうか? 行けるものなら行ってみたいが、「帰ってこられないよ。」と言われたとしたらどうだろう。それでも行くかなぁ、行かないかなぁ…。

2002.9.23
 西南戦争終結から125年たった今朝、鶴丸城・私学校跡を横目に通った。石垣にたくさんのアバタがある。鹿児島に来た当初は何の痕かさっぱり分からなかったし、その意味が分かったのは随分後になってからだ。
 西南戦争終盤に官軍より攻撃された鉄砲の弾の痕であった。あれほどたくさんの痕を残すほどである、さぞかし壮絶な攻撃が繰り広げられたであろう事を想像させる。一瞬の内に色々考えてしまった。
 それから125年。当時の事を見て知っているのは、その石垣のアバタだけなのかもしれない。

2002.9.22
 1966年に『尺貫法』が廃止され、私が生まれた時にはもう、『メートル法』になっていた。だから何の不都合も知らないまま育ちここまできた訳だが、この仕事をしていて、いつも不思議に思っていたのは本のサイズ。A4とかB5とか、あれである。センチで言うとえらい中途半端で、不思議な長さやなぁと思っていたが、昨日本を読んでいて、その謎が解けた。
 B5サイズを『メートル法』で表すと、18a2_×25a7_とすごい半端。もともとこれは『尺貫法』の6寸×8寸5分で決められたもの。うん、こっちの方が素敵!

2002.9.21
 来月の“パリ・ロンドン”への修学旅行が微妙な状態らしい。あと1ヶ月もないのにはっきりしない。イラクへ攻撃をしようかしまいかという問題が、デーンと横たわっている為らしい。
 日本がいわゆる平和であったとしても、世界ではそうじゃない事が、改めて実感できる。高校生からのお知らせだった。もしその行き先がいよいよダメとなれば、東京・札幌に少し豪華な修学旅行となるらしい。
 どっちがいい? 、と尋ねてみたら、はっきりとした答えはなかった。どっちでも良いってことかな??

2002.9.20
 糖尿病はもうそんなに対岸の病気ではないのかもしれない。「糖尿で…」とか「血糖値が…」、「目がダメになってきた…」とかよく聞く様になってきたと最近感じる。
 今日は頼まれた本を捜すのに少し時間がかかった。その間、当のお客さんは何をしていたかというと、座り込んで何やらごそごそしておられる。なんだろうと思ってみると、白い器具をとりだし、血を出して(器具の名前も、詳しい使い方も知らないが)血糖値を計っておられたようだ。
 数字がよくなかったのだろう、会計を済ますと、急いで帰るとおっしゃられる。治らないにしてもうまく付き合っていくのが難しい病気のようだ…。

2002.9.19
 『布』に詳しい人の話を聞いた。かつて青森の方では綿花の栽培が出来ず、木綿を使った布、服装は贅沢品とされ、硬くご法度になっていたという。気温の関係で綿花が育たず、従ってそれを使った服が贅沢であったというのは理解出来た。代わりに麻などの布で服を作っていたというのも理解できる。私が引っかかったのは、「じゃぁ、布団はどうだったのだろう?」という事だった。
 もちろん布団の中身に“綿”が詰まっていることはない。その代わりに使っていたのは“ワラ”、もしくは着古して、使い古してボロボロになった端布を大切に布団に詰めたそうだ。それしかなかった時代。そしてそんなものは珍しくも何ともない現代。

2002.9.18
 私はまだ生まれていなかった頃、完成したばっかりの“東京タワー”に登った話を聞いた。夜の帳が下りた東京の街を上から眺めていて、一番驚いたのは、車のヘッドライトの明かりが数珠つなぎに見えた事だったらしい。
 同じ時期の鹿児島に走る車はまだまだ多くなく。ましてやそれが数珠つなぎに見えるなど、城山の展望台に上ったとて見えはしなかっただろう。東京での“車”の多さに何よりびっくりしたとの事だった。そんな時期の日本があったのだなぁ…。

2002.9.17
 力尽きたのか、クマゼミが道路でのたうち回っていた。あがき声を上げながら…。9月も半ばを過ぎ、鐘や太鼓を叩いて探したって、メスのクマゼミなんかいやしないかも知れないのに、こんなズレた時期に合わせて土の中から這い出してきたアイツ。とうとう飛ぶ力も失い、道路の真ん中でバタバタともがいていた。メスは見つかったか見つからなかったのか?
 1台の車が彼を轢いて行ってしまった。 生き物から物体へ、一瞬で変わってしまったアイツ。 “夏”の終わる音を残して彼は逝ってしまった。

2002.9.16
 キョーレツにカビの匂いがする。若い娘さんの持ち込んだ袋の中の本が放っていた匂いだ。その臭いの強烈さに反比例して、買取値はさぼど行かない。「かなり長いこと、押入れに押し込んであったんじゃないですか?」と言うと、「はい、昨日引っ張り出しました。」という返事。そして、買値とそれなりの私の説明を聞いてもう一言、「あのぉ、どういう風にしまって置けば良いのですか?」と。
 「いえいえ、押入れなんかに押し込んでしまう前に持ってきて下さい。」 これが私の素直な答えだった。

2002.9.15 敬老の日
 「お宅へ行くには、どう行ったらいいの?」と、お電話を朝イチに頂いた。この問い合わせも度々あるが、説明するのは案外難しい。まずは鹿児島に地理を知っている人か、そうでない人かによってエライ違ってくるし、東西南北どこから当店を目指そうとされているのかによっても説明が違ってくる。
 毎日居る私には当然知っている場所を、それを知らない人に説明するために、西駅(西鹿児島駅)を背にして右側だとか、桜島を左に見ながら真っ直ぐだとか、わかりやすく簡潔に説明しているつもりでいて、かえってヤヤこしい説明になってしまっているのではないか? 挙句に考えることは、「そこで待ってて下さい。迎えに行きますから…」が一番手っ取り早く確実なのかもなぁ、という事だ。

2002.9.14
 人間する事があると、こんなにも表情が違うものかと感心した。先日やっと職が見つかった人が、1週間を働き終えて来店されたので、仕事の具合をちょっと聞いてみた。すると、以前には見られなかったほどの明るい表情で、自分のした仕事を、身振りを添えて話しだした。
 なぁんにも考えたくないっ!なぁんにもしたくないっ!とは思うことがあっても、ほんとになぁんにもなくなってしまえば、楽出来るどころか、精神的におかしくなってしまう。“月月火火木金金”、“よく働き、よく働け”の方が有難いということか。

2002.9.13
 ふと考えた。たとえば日本の小説の中で、推理小説やホラー小説であれば、少なくとも1人の人間が死に、そこから事件が始まることが多い。1冊読み終えてみると、1人どころか複数人の死者が出る場合だってある。それはコミックについてもそうだ(漫画のほうがもっと派手に多くの死者が出る)。
 ここで、1冊につき1人の死者と単純に計算しても、これだけ多数の出版物が出されている昨今、もーとっくの昔に日本の全人口分(つまりまるまる滅びるくらい)の延べ死者数に達しているのではなかろうかと…。そこに外国の小説などを合わせると、(あくまでも)本の世界の中では人類はすべて殺されて尽くし、もう誰もいない事になってしまうのではないかと…。それを考えるとちょっと怖い気がした。

2002.9.12
 「公文より“ドラゴンボ−ル”のほうが面白いよねぇ」と、公文帰りの小学生の会計を済ませながらさぐりを入れみた。にやっと笑ってコクンとうなずいた。小学生にはもう遅い時間帯である。家にいればお笑いの番組をただ何にも考えずに見られるだろうに…。
 はじめて私が『塾』というものに行ったのは、小学校6年生の時だった。あんまり面白くなかった。けれども「鳴滝塾」、「松下村塾」に「適塾」は同じ『塾』と名が付いても何か魅力を感じてしまう。先人にとっては勉強できること自体が面白かったんだろうなぁ…、志しが違ったんだろうなぁ…。

2002.9.11
 新聞、印鑑、帳簿用紙、ボールペン、ケータイ電話、麻雀パイ、トランプ、花札、お見舞い袋、はがきに封筒、切手…。置いてないですか? と言って1年に1人か2人は店に訪ねてこられる。置けるものは置いていこうと思うし、ボールペンなどはもらい物があるときには、結局上げてしまうが、法律的に技術的に難しいものもある。それらすべてを扱えば、結局はコンビニという業種形態に落ち着かざるを得ないのかしら…。わたしは古本屋。

2002.9.10
 パチンコ好きな看護婦さん。最近は足を洗って、もうしていないとおっしゃる。その域に達するまでにいったいどれくらい貢いだのか私には想像もつかないが、聞けばぶっ飛ぶようなものに違いない。
 店にいらっしゃるお客さんに、「最近出てます?」とよく尋ねるが、このところ良い返事を聞くこともさっぱりなくなった。そう言えば先日、十ん万円分勝ったというお客さんが久々におられたが、あぶく銭ということでパッと使ってしまわれたようだ。ほんの一部私もおこぼれにあずかった。ごちそうさまでした。

2002.9.9
 福祉の専門学校に通っていらっしゃるお客さん(♂)に尋ねてみた。特に差別意識からではなく、ただの現実としての各々の男女比について。
 まず、生徒は男女が半々ぐらいだそうだ。じゃあ、教える先生方はどうかというと、これは圧倒的に女性が多い(ほとんどと言っても良いくらいなそうな)。では、介護される側はどうかと言うと、平均寿命の差からここも女性が多くなっている。そして介護される女性の立場から見て、男女どちらに介護される方が気が置けないというと、これまた同性の女性だそうで、これは就職率に直結してくるらしい。腕力だけではなんともならない。

2002.9.8
 大きなリュックの横にはしっかりした三脚と寝袋。閉店近くの夜中にそんな格好の人がやって来た。年の頃は20代後半といった所か。ただ者ではあるまい、こんな夜中にどこからの旅行者かと思っていたら、向こうから話し掛けてきた、「司馬遼太郎のコーナーはどこですか?」と。案内しつつ、「文庫で『翔ぶが如く』の4巻を探してます。もう3巻を読み終わりそうだから…。」とおっしゃるので、一緒にその4巻をさがしたが、あいにく4巻だけ欠番になっていた。ハードカバーならあるのだが、旅行途中にそれはかえって大荷物となってしまう。ただでさえ重そうなリュックを背負っているのだから。
 それを皮切りに、1時間近くしゃべってしまった。東京からの旅行で、明治維新に興味を持ち、その歴史をたどるべく、山口の萩をまわって、薩摩の国にやってこられたらしい。夕焼けに燃える桜島を写真に是非収めたいとおっしゃてもいた。
 そう言えば、毎日見ている桜島でも、「わぁ!きれいやなぁ!」ちゅうくらいに夕焼けに染まる姿はそうそうお目にかかったことがない。今日シャッターチャンスはあっただろうか?

2002.9.7
 9月1日が日曜だったせいもあり、明日が運動会という声を聞いた。まだまだ暑い鹿児島で運動会はつらい行事かもしれない。もう少し涼しくなってからとも思うが、連休が重なったり、完全週休2日のせいもあり、逆に空いてる日が限られてくるのだろう。なんだか無理やりねじ込まれた行事のような気もする…。
 運動会といえば、少し肌寒くなったころの思い出と、まだ青さが残り酸っぱめのミカンの入ったお弁当のイメージがある。

2002.9.6
 「んにゃ、包まんでヨカよ」と言われても、せっかく奥さんに本をプレゼントするちゅうのやから、もぉちょっとエエかっこして、もっと喜んでもらいましょうよと、通常の包装袋でなく、ガサゴソとちょっとマシな包装紙をひっぱり出してきた。
 「そんなに言うんやったら、いっとき待てるわぁ」と、お客さんも照れながらも私の案に乗り気になってきた。シメシメとばかりに、ツルツルっと包装紙で包み、ありあわせの紐(リボンのつもり)をかけた。ちょっとはプレゼントらしくなったかなぁ…。家庭円満

2002.9.5
 自分にご褒美というのもエエもんかもしれへん。今日は、真昼間からアダルト系の本をガサゴソと品定めしているおっちゃんがいて、昼も夜も関係ないわぁと思いながら、それとなく眺めていた。その中から気に入ったのが見つかったらしく、2冊持ってレジに来た。別になんてことなく会計を済ませ、商品を手渡した時に、こう言わはった、「やっと、今日就職が決まってねぇ…」って。自分への精一杯の就職祝いかぁと思って、「よかったですねぇ」と店を出るまで拍手で送った。

2002.9.4
 吉川英治の『三国志』の1巻がほしいと、お客さんが尋ねてこられた。文庫版全8巻のうち、残りは持っているのだけれど、何度か読み返すうちに、1巻だけバスの中に忘れてきたから、それがどうしてもほしい、というのが大体の筋書きらしい。幸いお望みの巻の在庫はあったので、差し出しつつ、「『三国志』の中で、誰が一番好きですか」と問うてみた。“う〜ん”としばらく考えていらっしゃったので、どんな答えが飛び出すのか楽しみに待っていた。
 お客さんの答えは「関羽」と「張飛」。その2人の忠義心にほれ込まれたのだそうだ。「ドロドロとした戦乱の中にあって、一本筋の通った“忠義心”こそ見ものですなぁ…」。しばらく演説を拝聴した。

2002.9.3
 「むかーしはたまぁーに良い事があったような気がするけど、最近はいい事がいっちょんない…」と、夜を流している途中に店に立ち寄ったタクシーの運転手のおじさんが嘆いていた。昨晩はあれから何人の酔っ払いをゲットして、何人のお客を家まで送り届けたのだろうか?
 「なぁんか良いことないなぁ、本を読む気もせん。ごめんねぇ、今日は帰るわ。」と言い残して、タクシーの運転席に戻られた。私も謝らなければならない、「すいません、いいことがあんましないんで、タクシーに乗る気がしません。」と…。

2002.9.2
 そんなに自分の背が縮んだ訳でもないのに、今朝の青空がやけに高く見えた。晴天は春でもあるでもあるはずなのに、そして距離に違いはないはずなのに、何であんなにも高いと感じてしまうのだろう…?
 『蒼天在上』。テレビドラマで金八先生が言っていた。人の上には空がある。空は何でも見てますよ、と。あんなに高く澄んだ空から見れば、隠している事全部が、本当に見透かされているに違いない。

2002.9.1
 初夏からオーストラリアに2ヶ月ほど短期留学していた友達から、久々に電話があった。短期とはいえ、外国に行っていた訳であるから、英語の会話で来るのかと思ったら、バリバリの鹿児島弁が相変わらずだった。
 何が一番印象に残ったかと聞けば、なんでも留学先の学校でタイの人に、告られたことらしい。まぁ、元気で帰ってきたから良かったけれど、日本であれ、外国であれ、行く先々で告られるのが彼女らしい事だなぁと思ってしまった。

2002.8.31
 テニスの話に始まり、サッカー、F1、野球の話とほんとに尽きることなく、お客さんと話し込んでしまった。赤ヘルファンのその方と私は1つしか学年が違わなかったので、小学校5,6年の時にあった「広島x近鉄」の日本シリーズの話に盛り上がってしまった。私は近鉄を応援していたのだけれども、それでもあの時の江夏のピッチングはすごかったなぁと、今でもまぶたの奥に染み付いている。衣笠、山本浩二、梨田、小川、コバ監督に西本監督…。面白かったなぁ、その頃の野球は…。

2002.8.30
 
夏休みの宿題は、早めに済ましてしまう方だったので、8月のこの日付をみてもそう大して焦る事などなかったのであるが、じゃぁ、余裕綽々としていたかというと、案外そうでもなかった。早く済ませたら済ませたなりに困ったことがよく起こった。
 済ませたプリントなどを、どこにしまったか分からなくなってしまうのである。ドリルなんかはそういう事はあまりなかったが、一度教科書が見当たらなくなってしまって、慌てたこともあった。しばらく使わなかったから最後に見かけたのが何時なのかも思い出せず、部屋中引っ掻き回し、ひき出しの奥の空間に落ちていたのをやっと見つけ、ホッとした覚えがある。
 だから8月末の声を聞くと、何か無くなった物はないかと、ドキドキしてしまうのである。昔の習慣によって…。

2002.8.29
 『手紙の書き方』を探しにいらっしゃったおねぇさん。とにかく感動するような例文の載ったやつと、ご指定があった。手紙の書き方、定型例文集はあるけれども、感動するやつとなると、これが難しい。感動は、それぞれの主観の問題だし、シチュエーションによって立場によって、感動したり、下らないと打ち捨ててしまうものだろう。うぅ〜ん、“感動する”手紙の例文集ねぇ…。
 とりあえず、当り障りのない物で今日は我慢してもらったが、案外○×町編『日本一短い―への手紙』の方がよかったかなぁ…。

2002.8.28
 ここで言おう。一人暮らしが随分長いので、多少のズボラには目をつむれるとしても、コタツを仕舞うタイミングを逃し、私の部屋にはずーっと鎮座ましましていた。初夏を迎えた頃から、いつかかたずけんと、と思いながら、真夏お盆を過ぎてしまうと、なんや次の冬が来るがな…、てな感じで、まさに「冬扇夏炉」を地で言ってしまった。さすがにかっこ悪いから誰にも言えへんかったけど、もう1人お客さんで同じようにコタツ出しっぱなしの人がいたので、世の中にはおんなじ様な案外いてはるんかも、と思ったわけ。せやけどあんましみっともエエもんやなかったなぁ、邪魔やし…。来年はかたずけよっと!

2002.8.27
 最近お客さんとする会話で、こちらから切り出す話題といえば、先日行われた『鹿児島サマーナイト花火大会』に行かれたかどうかだ。割合としては半々ぐらいかなぁ、行った人といか(行け)なかった人とは…。行った人は「楽しかった」、「きれいだった」の感想。行ってない人の理由は「仕事だった」、「人ごみが嫌い!」が主。
 今日聞いた“行かない”理由ですごいと思ったのは、以前どこかで打ち上げ花火を見ていた時に、火の粉が落ちてきて、逃げ回って以来、近くで花火を見るのが怖くなった、というものだった。
 火の粉が落ちてきたり、筒が倒れて花火そのものがこっちへ向かってきた体験があったら、そら怖くて見られへん様になるかもしれない。

2002.8.26
 4歳の女の子と、2歳の男の子をじっくり見た。彼女、彼らなりに精いっぱい楽しい世界があって、始終ニコニコと笑っている子たちであった。そんな笑顔を見ていると、疲れが吹っ飛び、よしっ、明日もがんばろっ!っていう気になる父親、母親の言い分は本当なのかも知れない。こればっかりは自分で体験してみないと、想像の中や仮想体験ではおよそ理解出来ないモノなのだろうということに最近ようやく気がついた。

2002.8.25
 私の家にあったスチール製の本棚をお客さんにあげる事になった。昨晩はその準備の為、棚に乗っかっていたものをどかし、棚板を取ってネジをはずした。ただの板切れの塊になった本棚の後には、塵の山があった。そう言えば今住んでる所にもう10年以上暮らしている。そのときに本棚を設置して以来、一度も動かした事がないのだから、当然と言えば当然の結果だろう。
 なくしたと思った“筆ペン”が出てきた。諦めて新しく買ったのはずいぶん前のことだ。キャップを取ってみるとまだ書けた。

2002.8.24
 高校の寮生活をしていた彼が、帰省を終えて寮に戻り、店に顔を出した。そう言えば、帰省前に三者面談があり、きっと怒られるに違いないといっていたが、ほんとに怒られたのかどうか、話を聞いてみた。
 ところが面談では、先生にえらく褒められたそうである。それだもんだから、親が異常に期待しちゃって、大変なことになりました。叱咤激励されたほうがかえって良かったのに…、とこぼしていた。
 そんな手もあるのか。褒めちぎるという戦法で来たのなら、これは先生に軍配が上がったと思った。

2002.8.23
 店内でお腹が痛いとおっしゃるので、何事かと聞いたら、たぶん“牛乳”にあたったのだろうとの事。牛乳にあたったことはないが、それより何より、“牛乳”なんておそらく『年単位』で、私は飲んでいないことに気付いた。そう言えば“卵”もそうだ。去年の10月頃におでんに入っていた“たまご”を食べたのが一番最近だろう。なんだかんだ言っても成長期はもう峠を越して久しいし、食べないなら食べないで、人間何とかなるものだとあらためて考えた。

2002.8.22
 出張とはいえ、はるばる京都からお越しになったお客さんが来店なさった。自己紹介と言うわけではないのだろうが、以前にネットにて当店の書籍をご購入頂いた旨おっしゃられるので、書名を伺って初めて、「あぁ、あの本のお客様でしたか。初めまして…」という挨拶になった訳。
 ひと通り本棚をご覧、また御購入頂いて、お帰りになる間際に聞いてみた。「ネットで購入なさるのと、こうして足でほしい本を探すのとどっちがいいですか?」と。
答えは意外でもあり、なるほどとも思えた。曰く、自らの足で古本屋を廻る方が良いと。相手にされず、見捨てられたような物の中から掘り出すのが良いのだと。確かに見捨てかけた本は、ネットに乗っけるのが後回しになりがちやもんなぁ…。

2002.8.21
 ほんの1週間前までとは違い、ずいぶん朝が涼しくなった。高校も補修の後半戦が始まったようで、制服姿の高校生の姿をちらほら見かけるようになった。お盆をはさんでどういう夏休みを過ごしたのか詳しくは判らないが、その日焼けの具合が、ある意味リトマス試験紙となり、なんとなく垣間見ることが出来る。遊びまくったか、部活三昧か、それとも机にかじりつきか…。
 自分が受験生の時はどうだったかなぁ。思い出がないと思ったらひたすら机に向かっていた為だ。取り返しようのない勿体無い事をした。

2002.8.20
 別のおばあちゃんの話。確かご主人の初盆が今年あったおばあちゃん。病院で薬をもらった帰りに、ひょっこひょっこ本を買いに寄って行かれた。いつものように適当に私が本を見繕いながら、「初盆だったですねぇ」と話し掛けてみた。「ほいでよぉ。バッタバッタで大変じゃったぁ。来年はわたしの番じゃぁ…。」
 そんなことをサラリと言ってのけるくらいになるには、長い人生、色々とあったのだろうけど、それに対してサラリと切り返せるほど、私の人生経験は多くない。YESでもなくNOでもなく、誤魔化しでもなく…、ピョンと気持ちが軽くなってもらえる様な受け答えが出来るようになりたい。

2002.8.19
 おばあちゃんは一人暮らしだから、お盆の帰省で、自分の子供の家族がやって来たのだから、さぞかし賑やかで良かったでしょうと聞いてみると、「あーん、やっぱりね」という答えが返ってきた。
 自分の思い通りの生活ができないし、うるさいし、気ばっかり使わされて、とても疲れちゃった、と。 一人気ままに本でも読むのが一番とばかりに文庫をひと掴み買って行かれた。

2002.8.18
 
悲しい話ばかりが多かった“チベットの民話”を買って行った友人が、この夏チベットに旅行し、そこで撮った写真と話を今日聞かせてもらった。民話の本から想像した私の中の“チベット像”からは程遠く、荘厳な寺院、人々は原色を取り混ぜたにぎやかな服装を身に纏い、修行僧の法衣でさえ、赤に近いものであった。
 ダライラマ14世のゆかりの寺院に居たり、そこにお参りに行くのだから、一番いい服装を人々が身にまとっているに違いない、その姿が写真に写っているのだろうから、煌びやかなのか。
 案外民話の様に悲しいことが多い故に、信仰に帰依しているものなのだろうか? 中国中央からの圧力からだけでなく、暮らしの中から来る悲しみや辛さを癒してもらう為に(或いは他の為)、五体投地で寺院をお参りしている老人の姿が印象的だった。

2002.8.17
 近くの病院にひと月ほど入院なさっている方が久々店にいらっしゃった。お盆を挟んだ事だし、外泊許可を取っててっきりご自宅に帰っていらっしゃるものと思っていたが、今日聞いてみると、そんな事はなさらなかったらしい。じゃぁ、どうしていらっしゃったのかというと、ずぅーっとテレビ漬けだったようだ。しかもそれが特別なことでなく、入院されているほとんどの人がそうだとの事であった。
 そう言われれば、この暑い中2,3日自宅に帰った所で、食事の心配もせにゃならんし、買い物したらしたで、冷蔵庫に残さぬように病院に返ってこなければならぬ事を考えると、病院にいた方がそりゃ楽だ。高校野球も日に日にクライマックスに近づきつつあることだし‥。
 私の経験から言うと、そんな時に誰も見舞いに来てくれないと、孤独からくる精神的ダメージは本当に大きい。

2002.8.16
 鹿児島の錦江湾にこの夏の時期に納涼観光船というのがお目見えしている。今朝その話を聞いたので、昔友達がそれに乗った感想を言っていたのを思い出した。
 この観光船、夕闇が迫るころ(私の想像)に港を出港し、夜のとばりの到来と共にビールなぞを飲みながら、水中花火をおつまみに、1時間半ほど湾内をクルーズする。でも、夜とは言えまだ蒸し暑く、確かに水中花火は綺麗だけれども、船に揺られてお酒を飲むと、酔いがダブルで来て、とても気持ち悪かった、という事であった。
 こんなマイナスイメージを書くとさっぱりいけないので、友達の感想ではなく、自分の感想を書けるように何時か乗ってみよう。そういう機会があるならば…。

2002.8.15
 今となっては仕方ないのだが、祖父母に戦争の話をもっと聞いておけば良かった。ある程度は聴いたような気もするのだが、それほど真剣に聴く歳頃ではなかったし、祖父母がこの世を去る、つまり亡くなると言う事でさえ、はるか先の話の事の様な気がして、「いつでもエエや、また今度」と過ごしてしまったが後の祭り。
 聞くべきだと気付いた時には話す人がもう居なかった…、という事にせめてならない為に、戦争を体験してそうなご年配のお客さんを捕まえては、無理でない程度に戦争の話を聞くようにはしている。
 21世紀になって、そんな話をして下さるかた自身が少なくなったと、ちょっぴりアセる (-_-;)。

2002.8.14
 顔を知ってようが、一見さんであろうが、中学生や高校生とよく腕比べをする。といっても別に腕力や、技術を競うわけではなく、文字通り腕の比べるのだ。真上から突き刺さって来るような、鹿児島の強烈日光光線を浴びた彼らの腕や顔はすでに
ほどに焼けている。
 夏に日焼けするのが、子供らしく見えたり健康そうに見えたりする考え方は、とっくに古臭い考え方なのだろうが、それでも真っ白よりは適度に小麦色の肌にあこがれてしまう。「日焼けはのちのちよくありません! おじさんになると汚いだけです。」と怒られた日にゃ立つ瀬がない…。

2002.8.13
 私には届いてこないが、どうやらさまざまな同窓会シーズンらしい。お盆ともなればそれぞれの地元に人が集まる。その時期を狙ってのラッシュだろうが、同窓会の盛り上がり度は、どれだけの人が集まったかに比例する。どれだけの人が集まるかは、当時のそのクラスの仲のよさに拠る所も大きいが、もう一つ、幹事さんのマメさに大きく左右される所がある。
 そういう意味で、当日になっても心から酔っ払えない幹事さんが多いかもしれないが、みんなの笑顔と感謝の念を一手に受けて、大役を無事終えた時の達成感を独り占めしてほしいものだ。
 そして、出来たら私にも“同窓会のお知らせ”を…。

2002.8.12
 立秋を過ぎたからか、裏の駐車場で一匹のこおろぎの鳴く声を毎晩聴くようになった。鳴き方としてはまだまだ下手くそだが、それを聞くと小学校3年の時の国語で習った“太郎こおろぎ”を思い出す。
 床の下で「リリ、リリ、リリ―」と鳴いてみんなに笑われた太郎が、一体どうやって(どんな顔で)その後、教室に戻ったのか、先生には叱られなかったのか、ずぅーっと気になったまま、なぞは解けない。
 今、裏で鳴いているのは、羽根をけずって、命をかけてメスを誘うラブコール。正真正銘本物のこおろぎだが、なぜか寂しさを誘う。

2002.8.11
 部屋に引いていたゴザでは、車椅子のタイヤが引っかかって困るから、カーペットに変えると、顔見知りのおばあさんがおっしゃるので、開店前にちょっと行って、手伝ってきた。そんなに物は多くはなかったけれど、箪笥をどけ、ベットをどけカーペットに引きなおし終わった頃にはもう汗だくだった。
 バリアフリーだとか、ボランティアだとか介護だとか、言葉にすればそこ何文字かで簡単に済んでしまうけれども、それを実行するのはえらく大変な作業になってしまう。
 私は気まぐれに今日1日の事に過ぎなかったが、日常茶飯事にそれらをやっておられる方のご苦労の一角を見せてもらった。

2002.8.10
 1人のお客さん(男性)が店内にいらっしゃり、そこへいつものお客さん(
Aさん)が来店なさると、先の方はそそくさと出て行かれた後で、常連さん(Aさん)と交わした会話。
 
Aさん今出て行った人よく来る人ですか?
 
わたしいいえ、初めて見かけたような…。
 
Aさんさっきあの人、女の人のスカートの中をカメラで撮ってましたよ。あからさまに!
 
わたしはぁ??? 盗撮ですか、そんな人ホントにいるんですねぇ。身近では初めて聞きました。
 
Aさんとっ捕まえればよかった…。

 
しっかりしてくれよ、おとこ!犯罪を犯してつかまって後悔すんのは勝手やけど、せやけどまちっとマシな事せえよ。
 盗撮なんてする暇あったら、ちったぁ働け、
あほっ!
 

2002.8.9
 「いやー、初めて聞きましたよ“スンクジラ”‥」 今年春に福岡より鹿児島に転勤していらっしゃったお客さんが、少し自慢げにおっしゃった。「おばぁさんを駅まで送ってきたら『んにゃ、こは西駅の“スンクジラ”じゃなかとけぇー』だって、わはははー」という会話があったらしい。
 この“スンクジラ”は鹿児島弁であるけれども、私は生ではまだ聞いた覚えがない。ちょっぴりうらやましい気がした。 ここで、おばあさんが言った言葉に解説を加えてみると、まず【スンクジラ=隅っこ】の公式を当てはめる。すると、『おやまぁどうしたことだ、ここは西駅の端ですよね、そうではないのですか』という解答が得られる。解りますか?

2002.8.8
 ちぇっ、お盆休みが明日から18日までなんて考えもよらんかったよ。そんなに永い事休んで何すんねやろ? とか、今度自分にエンジンかけんのがシンドてたまらんやろなぁ…とか、脳ミソ腐るっちゅうねん!とか、もらったメールをヒガミ半分で読んだ。別の友人は同じく、休暇でチベットに行ってしまった。
 日本語では『犬も歩けば棒にあたる』、英語では『A flyinng crow always catch something.(飛ぶ鳥は何かを見つける)』。前者はどちらかと言うとネガティブな意味、後者はポジティブな意味。さて皆様の夏休みの結果がどうぞ後者でありますように…。

2002.8.7
 「集めるのには何十年て結構時間かかったけど、引き取られるのはほんの一瞬なんですねぇ…」と、しみじみおっしゃられる。そう感じられるのは本当によく分かるし、私としても辛い事なのだけれど、だからこそほぼ機械的に、無味乾燥的に買い取り作業は進めないと、その人が費やしてきた“時間”や”思い入れ”に値段を付けてしまう気持ちが強くなって、やがては手も足も出せなくなってしまうことになるから、感情を入れずにただ黙々と勘定しているだけである。それを冷血人間と見られてしまうのは仕方ない。

2002.8.6
 大学時代に知り合ったダイビング仲間の誕生日が今日だ。かれこれ永い付き合いになっている。知り合ったころは、とにかく“お嬢”で“わがまま”で、始末の悪いことに本人にその自覚が全くない事が、周りのみんなを引っ掻き回す一番の原因だった様に思う。
 それから十ン年経過して、今は割りと丸くなってきたようだ。弟の娘(つまり姪っ子)をかわいがり、家族で一丸となって商売をこなしているらしいことが、彼女からのメールでよく解るようになった。
 上流の急流ではまだ角張った石でも、川を長く下るうちにやがて丸くなり、穏やかな川の流れに身を置くようになるのだろう。どちらが良いかと言えば、それは穏やかで丸っこいほうが良いに決まってる。この調子でいけばその内やがて“いい人”が名乗りを上げ、さらなる幸せを見つけるに違いない。

2002.8.5
 今から9年前の8月6日は、鹿児島で大水害のあった日である。このときは私はすでに鹿児島在住で働いていたが、実はこの水害の体験はしていない。確かに7月から雨ばっかりの日が続き、おまけに台風がボンボンと鹿児島めがけてやって来ていたが、その合間を縫って沖縄にダイビングをしに行っていたからだ。与那国島でのダイビングを終え(ここまではすごく楽しかった)、帰りの飛行機を待つ数日間を石垣島のキャンプ場で過ごしていた時が、まさに8月6日だった。
 石垣で見た新聞トップの鹿児島水害の記事に驚き、そしてそのとき近づきつつあった新たな台風に翻弄されて、結局もろもろの飛行機が飛ばずに沖縄本島でも足止めを食らい。私の職場に皆さんに大変な迷惑をかけてしまった。それ以来、旅行には行かないと決心したので、奈良の実家にも一度しか帰っていない。
 もし不運が重なり、戻ってこれなかったらどうしようと考えると、結局どこへも行く気がなくなってしまうのである。

2002.8.4
 割れてしまってくり難いからと、一昨年の誕生日プレゼントは“トランプ”やった。これで手と指の運動が出来ると喜んでくれはった。去年は小さい“漬物用壺”を誕生日プレゼントにした。「何かちょっと漬けたいから…」と言わはったからそれにしたのに、むちゃくちゃ不評やった。そんなら今年は何にしょうかなぁと考えたけど、ホンマに何にも思いつかへんかったから、何も考えへんとただ目に付いた“ヒツジのぬいぐるみ”にした。そしたらこれまで3回の内で一番喜んでくれはったような気がした。
 人になんかをプレゼントするちゅうのは難しい。それは御年84歳のおばあちゃんにかって、例外やないことがよっく分かった。来年はどないしょ…。

2002.8.3
 溶けてしまうくらい暑い中、熊本より遥々いらっしゃった若い女性がお一人。実に丹念に本棚を見て頂き、お目に止まった本をお買い上げ頂いた。お若いのにさすが熊本でお目を肥やしていらっしゃる、といった印象を受けた。
 明日は『知覧特攻平和会館』に行く予定だとか…。若いうちに見て、何かを感じておかなければならない場所の一つだと思うが、見る側本人の魂のテンションがある程度高くないと、ただ圧倒され、雰囲気に負けてしまうだけのような気がする。それほど何かを強烈に語りかけてくる場所だ。

2002.8.2
 前日には目を付けていらっしゃったのだろう。来店するなりまっしぐらに目的の本を掴み、レジに持っていらっしゃった。子供に教えるのに、自分が知ってないとどうも具合が悪いらしい。そう言われれば、私も昔は幾つか出来たが、はて、それらの色々な手順はすっかり忘れ果てて、今やれと言われても出来るかどうか自身はない。
 本を読みながら復習・予習をしていると、おそらく以前の勘や感覚が戻ってくるのにそう時間はかからないような気もするが…。さて、このお客さんが買って行かれた本のタイトルは『あやとり』。はしごに箒、富士山etc. 覚えてますか?

2002.8.1
 「うち、7月に事故で死ぬかも…。遠いからお葬式には来んでいいよ。」と自らの事を予言していた友達がいた。霊感はあるようなので(目に見えないからよく判らないが)、或いはもしやと内心ビビりながら、7月を終え、8月1日を迎えた。
 さっき、安否を確認したら、どうやら当の本人も生きて8月を迎えたようだ。何はさて置きよかったと思うし、人の生死は分からぬものとも思うが、あまり前もって言われてもどうして良いやら困るし、ズバリ的中したらそれはそれは困るものだ。

2002.7.31
 千円札でも充分お釣りが来るほどの値段しか元々付けていなかった本だが、「まけろ!まけろ!」とさんざんおじさんに粘られて、まぁ年の功に負けた感じで少し値を引いたことが10日ほど前にあった。それでもその時は機嫌良く帰って行かれたので、それはそれで良かったのであるが、今日店にお越しになって「家に帰ったら、あの本(値引きした本)はもう持ってたよ。」とチクリとおっしゃられた。
 大変お気の毒なことではあるがどうしようもない。“安物買いのゼニ失い”という諺が私の頭の中をぐるぐると周っていた。

2002.7.30
 今朝、散髪に行った。髪を切りながら隣の椅子のおじさんが言うことには、ここん所あさ早くに起こされるという。その訳は“ラジオ体操”であった。♪新し〜い朝がきた 希望の朝だ〜…♪ そう言えば夏休みの朝と言えば“ラジオ体操”。
 朝、目が覚める事が楽しくってしょうがなかった遥か昔、小学校の校庭に行って体操を済ませて、ハンコをもらって、その後は、学校の樹木園に行ってセミ取りがお決まりのコースであった。朝早くから日が暮れてしまうまで遊ぶ事はたっぷりあった。時間もたっぷりあった。1日、1週間、1ヶ月、1年が今とは比べ物にならないくらいに永く感じる事が出来たのに…。

2002.7.29
 小学校の低学年に見える女の子が店の中をウロウロするので、「なにを探してるの?」と聞いたら「ドラえもん。」と即答された。「ドラえもんならそこだよ。」と言ったついでに「ドラえもんがいたらポケットの何がほしい?」と聞いてみた。
 しばらく考えた後に「宿題をやってくれる機械っ!」と、元気よく答えてくれた。◎たいへんよくできました。

2002.7.28
 ケータイを持っていても、ネットで書籍の注文を受けていても、面白いなぁと、よく思うのは、人さまのアドレス。単純に名前をアレンジしたもの、ご本人にしかその由緒がわからないような「何で?」と言うようなもの。さまざまである。
 私はあれこれ考えるのもめんどくさいし、ケータイのアドレスをしょっちゅう変えるのも色々めんどくさい(そのたんびに、おもだった人たちに教えんとアカンから)ので、最初のまんまである。と思ったら、迷惑メールが頻繁に来るようになった時に1度だけ変えたことがあったなぁ。確かにめんどくさかった。
 自分の事はさておき、人さまの暗号の様なアドレスのその由緒を、あれこれ想像するのは結構楽しいひと時となっている。

2002.7.27
 今度家を取り壊すというお宅に行った。私と同い年ぐらいの娘さん2人とそのお母さんがいらっしゃったので、家の年の取り具合も、奈良の私の実家(去年引き払った)とちょうど重なって見えた。
 伺った家にもいろんなものが転がっていて、まさに今までの生活、生業を感じてしまった。先方のお母さんはそんないろんな物1つ1つに思い出があり、どうにも捨てるに忍びないとおっしゃる(娘さん達は“捨てろ”派)。
 他人にはガラクタに見え、あばら家に見えても、積み重ねてこられた時間や想い出は捨てられるものではないし、値段を付けられるものでもない。

2002.7.26
 喫茶店でマンガを置いているというお客さんがいらっしゃった。置いているマンガで抜けたところを探しに来たとおっしゃる。メモ用紙にはマンガのタイトルと欠番がぎっしり書かれてあった。
 揃えてもどうしてもなくなるものだという。食事がてらマンガを読んでいて、面白いからそのまま失敬していくのだろう。ひどい時は1冊ではなくごっそり持っていかれるらしい。
 複数冊のマンガをカバンなりに入れて、何食わぬ顔で「ごちそうさん」とでも言いながら、喫茶店を後にするのはすごく根性があるというか、ズーズーしいと言うか…。

2002.7.25
 “柿の実が沢山なる年は、台風が多い”と聞いた。なるほど植物の子孫を残す知恵はすごいなぁと思った。風で飛ばされる分をさっぴいて、予め余計に実をつけておくのかぁ、なるほどなぁ…、と思っていたら、「うちの柿は今年は少ないよ。去年は多かったけど。」という友達がいた。去年は鹿児島に台風はほとんど来なかったように思う。すると上記の説は…?
 案外その友達の柿の木の方が生命力が大せいなのかもしれない。台風の多い年には子孫繁栄を少し諦め力を蓄え置き、そして台風の少ない年にここぞとばかりに結実した方が、広く、多くの子孫を残せることになるような気もする。 
 ただいま鹿児島は台風9号の襲来中!強風に煽られて、道路をいろんな物が転がり飛んでいる…。

2002.7.24
 
遠くから打ち上げ花火の音が聞こえる。夏祭り会場の方から、それは派手な音が響いてくる。花咲く火の粉の大輪の中心から花火を見られたら、一体どんな光景が見られるのだろうか。
 
飛行機に夜乗り、本当に運がいいと、翼の下で繰り広げられるお祭りの花火を見ることができると言う。その時は花火を上から見る事になるのだが、さすがに中心から見る花火は、どれだけ強運の持ち主であったとしても、命がいくつあっても足りはしない。だからこそ、自分を中心に広がっていく炎の芸術を経験してみたいものだなぁ、と思ってしまう。

2002.7.23
 『ゼンコウエン』ってなんや? 現在世の中を縦横無尽に蔓延っている省略言葉。「このクソ暑い中、これから“ゼンコウエン”なんですよ。ダリィィ。」と汗をかきかき高校生に言われたが、なんのこっちゃーさっぱり分からん。頭ん中でグルグルと文字を当てはめつつ、会話から言葉の意味を推察しつつヘラヘラしてたら、やっと分かった。ゼンコウエン=全校応援、夏の高校野球鹿児島県大会の全校挙げて応援に行く事やった。そりゃまぁダルイやろうけど、おっちゃんに判るように略さんと言ってほしかった。こっちもダレた。

2002.7.22
 サバイバルゲームを趣味でなさっていらっしゃる方の話を聞いた。敵、味方に別れ、電動エアガンを携え、迷彩色に身を包み森の中を駆け巡る。敵のBB弾に当たらぬ様にしながら、作戦をたて敵の数を減らしてゆく。
 派手に打ち込むことが好きな人、じっと待ち伏せをして少ない数の玉で着実に敵を倒す人。それぞれの性格が出るものらしい。その人の悩みといえば、彼女にその遊びをなかなか理解してもらえない事だと言う。女性には賛同を得にくい趣味の類に入ってしまうのだろう。どんどんグレードアップして行きたくなる物のようだし、それにはそれ相応の元手が必要な事でもあるし…。

2002.7.21
 「お盆休みに来鹿する」との知らせを、早くも聞いてしまった。まぁうれしくない事もないが、ただでさえ暑い鹿児島に、しかもクソ暑い盛りのお盆に鹿児島に来るとは、まったく変わったヤツだ。
 彼曰く、“ノスタルジック”な気分に浸りたいんだと…。そんなのぜぇーったい無理。「暑い!暑い!」と真っ先に音を上げるのは見えている。「こんなことなら、どっか涼しい所に行けばよかった。貴重なお盆休みを…」というのも。
 それほど暑いのである。鹿児島という所は。奈良の蒸し暑さも殺人的ではあったが…。

2002.7.20 土用 海の日
 ウナギの話ではないが、私がまだ学生で、スキューバダイビングをバリバリやっていた頃、ナイトダイビングをやった。自分の持つ水中ライトだけが頼りの中、大きな岩をグルッと回った所で、かなり長い物と遭遇した。ライトにギラリ銀色の反射。ギョッとしながもよぉっく見てみると、悠々と泳ぐでかい“ハモ”だった。
 夜の海中での緊張度は昼のそれとは比べ物にならないほどであったけど、だからこそ普段お目にかかれないような物と出くわす事が出来る。

2002.7.19
 鹿児島の小・中・高では今日が終業式の所が多かったのではないか。明日から『夏休み』、とは言っても、高校生は部活があったり補習があったりで、結局は学校に行かなければならないようだ。
 「(部活漬け、補習漬けで)夏休みになるよりも、なんだかんだ言って普通に授業がある方がずぅーっと“楽”ですよ。」と笑いながら言った高校生がいた。私にはそれが何だか悲鳴に聞こえた。案外当たっているのかも知れない…。

2002.7.18
 おそらく戦前の話だろうが、福引で“大黒様”が当たったそうな。その大黒様、仕掛けが施してあって、小槌を揺らすと空いた隙間から小判が出てくるものだったらしい。それが面白かった彼女であったが、大黒様の小判を出したり引っ込めたり、揺らしすぎたために、とうとう小判がとれてしまったようだ。思案した彼女は糸をグルグルと使って元のように仕掛けにくっつけようとしたが、あまりに巻きすぎたために、小槌の隙間に小判は収まらなくなり、出っ放しの状態になってしまった。
 「それ以来、私のお金も出たら出っ放し。ちっともたまりゃしない…。」 私が“大黒様”を持っていたとしたら、仕掛けで小判が出るどころか、小槌や竿、鯛などなんにも持っていない唯の人物の像に違いない。人はそれを“貧乏神”と呼ぶ。

2002.7.17
 被害を受けた地方の方々には大変申し訳ないが、先日の台風7号には別の意味で参った。予想では15日の夕方から夜にかけて鹿児島市を直撃するかのようであったので、それに備えて朝から心の準備だけはしていた。ところが夕方を過ぎても風も吹かなきゃ、雨も降らない。結局鹿児島市からは大きく外れて関東のほうに向かってしまった。
 「台風は来ないに越したことはないけど、あんな(7号のような)のはかえって疲れた」と、おっしゃるお客さんや、(台風に備えて)夕方からは会社がOFFになる筈だったのが、そのまま仕事を続けることになった(早く帰れると思っていたのに)から、気分的にダレた(疲れた)、と言う人が多かった。

2002.7.16
 先日、種子島で車椅子マラソンが行われた。今年が2回目だそうだが、前々回が1度目、前回は開かれずに今年が正味2回目だったと教えてもらった。鹿児島市でも同じように車椅子マラソンが行われていたが、今のところ2回目が開かれていない。コンスタントに毎年行えないのには、「資金難」という問題が重くのしかかってきている。わかりやすく言えば、車椅子で走るランナー1人に対し、どうしても付き添う人が2人以上必要になってくる。それだけで経費が通常の2倍以上に膨れる。そんな資金が集めにくいからだ、とたずさわっていた人に聞いた。
 光あたる表街道にはあまり集まらないくせに、暗く湿っぽく、うさん臭い裏街道にはどんどん集まるものらしい、世の中の”お金”というヤツは…。

2002.7.15
 通勤通学電車の話になった。奈良にいた頃、高校へは電車を一部利用しての通学であったが、始発駅と、そして近鉄電車の《普通》か《準急》は止まるけれど、《快速》などは止まらない駅との往復が主であったので、真の『ラッシュ地獄』を体験しているかというと甚だ疑問ではあるけれども、それでも鹿児島に暮らすようになってからはお目にかかっていない“負”の体験だった事には違いない。揺れるあの狭い己の領域の中で、本のページをめくり、折ったまんまの新聞のページをめくる技などは、ある意味「すごい!」と思っていた。

2002.7.14
 『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』をビデオで見た。自分の関西弁(変な鹿児島弁も混じりなんとも奇妙な言葉遣いと分かっているが一応)では出せない、あの小気味よい下町言葉やタンカを聞いていると、それはそれでなんとなく憧れてしまう。
 とは思うものの、たとえば目の前にそんな人が現れて、面と向かってしゃべることがあるとすると「何イキってんねや、カッコ付けやがって…」と内心思い、とっつきにくい相手と敬遠してしまうのかもしれない。やはり寅さんはブラウン管の向こう側からしゃべってくれるのがよい。

2002.7.13
 『カーク・ダグラス』について熱弁をふるい、西部劇『ウィンチェスター銃73』について熱弁をふるわれると、不思議と世界に引き込まれそれらを観たくなる。そのお客さんの話し方がよっぽど面白い為だろう。映画の紹介をあんなふうに身振り手振りを交えてされると、たとえどんな駄作(?)であっても、観てみたくなるものだ。
 面白さなんかも独り占めしたい私などは、どんなに面白いと思った映画でも、顔色変えずに「あぁ、まんまし面白くなかったョ」で済ましてしまうかもしれない。

2002.7.12
 人生の1/3強を鹿児島に暮らしてきて、日常会話に出てくる鹿児島弁(鹿児島なまり)のヒヤリングなら何とか理解出来るようになってきた(スピーキングはやはり難しく、と言うより関西の言い回し、イントネーションはどうしても抜けない)。
 「髪形を変えました?」と、おばちゃんに聞いたところ。「うんにゃ、パーマが崩れてきて、ヤンカブィよぉ。」と、返事が返ってきた。『ヤンカブィ…、ヤンカブィってなんや?????』私は頭の中の辞書をめくってみたが、何のこっちゃーさっぱりわからへんかった。まだまだ聞いたことのない鹿児島弁がなんと沢山あることよ。
 “ヤンカブィ”―乱れ髪のこと。(志布志地方々言集ヨリ)

2002.7.11
 店のカウンターの前に落ちていた、たった4,5日前に買ったであろう日付のバスの通学定期を預かること数日。乗り降り区間と名前は書いてあるが、それだけでは持ち主に連絡の付けようがなく、バス会社に持っていこうかとも考えていたが、今日の夕方、「バスの定期落ちていませんでしたか?」と、高校生が尋ねて来た。
 この暑い中、落としたと思われる当日に寄った所をしらみつぶしに歩いて回っていたらしい。そしてうちの店にきてやっと“ビンゴ!!”となった訳である。まぁ、こういう物は私が持っていたって仕方ないし、定期代だって馬鹿にならないのだから元の持ち主の手に戻って、これにて一件落着と相成った。

2002.7.10
 自分とこで採れたプチトマトを一袋頂いた。“プチ”と付くくせに、あのトマトの匂いはしかっりしていた。やはりトマト臭さがないとトマトは物足りない(トマトの苦手な方ゴメンナサイ)。
 夏、田舎のばぁちゃんちでは、たわわに実った大きいトマトを、朝の涼しい時間に、太陽がカンカン照り付ける昼下がりに、あるいは団扇で蚊を追っ払いながらした夜の花火の途中に、何かにつけて、もいで来てはかぶりつき、残ったヘタをどこまで遠くになげられるか畑に向かって競い合った。昔の夏の思い出が延々頭に広がる。まさに井上陽水さんの曲『少年時代』の世界である。
 “トマトくささ”は、単なる味や匂いではなく、思い出をリプレイさせるスイッチなんやなぁ…。

2002.7.9
 マンガを読むのがもう生活の一部となって数十年、筋金入りのおじさまに、好きなマンガと嫌いなマンガの線の引き所を教えてもらった。簡単明瞭、それは「線が多いか、少ないか」という所だそうだ。“絵”に懲りすぎて、線が多すぎると次のコマに行きにくくなる。つまり読みにくい。
 余計な線は出来るだけ削って、十分体をなしているマンガが読みやすくって、次の展開を知りたくなる、のだそうだ…。
 漫画家にとって“絵”も大事な腕の見せ所。不必要は線を消す、描かないようにする、というのは簡単なようでとても勇気の要ることなのかもしれない。

2002.7.8
 お客さんと話をしていたら、お天気の話から今近づいている台風の話になった。「どうも明日ぐらいからこっちに来るようですよ」と私が言うと、「明日何時ぐらいに来ますかねぇ…」と、真顔で聞かれた。
 台風が何日ぐらいに鹿児島に近づく(或いは上陸)のか、私はよく分からないし、ましてや何時ごろに来るのかなんて想像もしたことがない。その方は仕事の関係で、とても重要な事なのだそうだが、たとえ気象庁がどう予想しようと、来るものは来るし、来ないものは来ない、と思うのだけれど…。

 

2002.7.7 七夕さま
 小学校1年と2年の時に学校で作り、みんなで笹の葉に短冊をつけたことがあった。私は「じがうまくなりますように」と「ながいきできますように」と言うのをそれぞれの学年で書いた覚えがある(順序は逆だったかもしれない…)。
 「あんた、もっと大きな夢はないの?」とうちの母に叱られた事も覚えている。まぁ、長生きの方はさておき、“字”については織姫さまも彦星さまもお聞き届けは下さらなかったようだ。
 (自筆であれば)読みにくい私の“字”の羅列を、取りあえずこうして読める様になっているのは、取りも直さずパソコンのワープロ機能のおかげに他ならない。という事は、大筋では私の願いをかなえて下さった事になるのだろうか…。

 

2002.7.6
 私ならどちらをとるだろうか? 推薦入学で入った得意の「レスリング」の試合と、アメリカへの修学旅行とを選べと言われれば…。その学生さんは修学旅行を諦めているという。しかしよくよく聞いてみれば、特に日にちが重なっている為に、どちらか一方を、という訳ではないようだ。
 修学旅行に行ってしまうと恐らく練習は出来ないし、色々食べてしまってあとの体重調整が難しくなる為だとか…。なんと涙ぐましいことか。こうなれば「レスリング」でうーんと強くなって、世界の大会に出られるようになれば、アメリカ行きもヨーロッパ行きも何のその、となるだろう。そう言ってお互い大笑いした。

2002.7.5
 「さぁて、完結する頃には、もうわしゃ生きとらんだろ…。」と、おっしゃるご老人が一人。何の本かと思えば『久留米市史』の事だとおっしゃる。久留米に住んでいらっしゃった頃、今までに出たものを集めては来たけれど、全巻完結するまでにはまだ当分かかりそうな故、先の言葉になったのだろう。それはそれで悲しい事だけれども、私としてもなんと返事して良いものか困ってしまう。

2002.7.4
 ど〜も、調子乗りちゅーか、暗示にかかりやすいちゅーか、「元気出せ
」と言われりゃー、ソラげんき出さんなぁバチ当たるわなぁ。蒸気機関車ならさしずめ水を満タンに補給して、石炭をガシガシ燃やしにかかるところや。汽笛1発走り出せ!走り出しせたら線路は続く。

2002.7.3
 「本、届きました。」と、メールがカナダから今日来た。日本国内ならともかく、やはり海外への送本は心配が伴う。船便だと時間がかかるのでなおさらだ。日本から、外国へ文化や風習、法律の違う様々な人々の手を経て届けようというのだから、「どうぞ、無事届きますように!」と願わざるを得ない。あるいは中身の本が傷んだりしないかと、どこかの宅配便のCMのように、荷物について行きたい気持ちである。
 だから、到着の知らせを頂くと(海外だけでなく、国内でも)、とてもホッとするのである。

2002.7.2
 アホほど雨が降ったかと思うと、アホほど暑くなった。今日の鹿児島は8月中旬の気温32℃まで上がったそうだ。昨日はただ単純に蒸し暑かった。湿っぽく重たい空気の中、夜中に店を閉めて家に着き、車から降りるとそこらじゅうに海の潮の匂いが漂っていた。海がそんなに近くというわけではないのになぁと、思いながら胸一杯に深呼吸し、「海に行ってウィンドサーフィンしたいなぁ…」と思っていた次の日がこの暑さである。ますます海に行きたくなった。

2002.7.1
 期末テストの時期に入ったようだ(とっくに終わった方々も居られるが…)。ある高校生は期末テストが終わったら、即修学旅行でオーストラリアに行くという。「今行っても、オーストラリアは冬だし、期末テストに身が入りませんよぉ」と、言っていた。なるほどそうかもしれないが、逆に修学旅行から帰ったらすぐにテスト、というよりはマシではないか。そもそも修学旅行で海外に行ける(テロの影響もあっただろうが)事自体スゴイ事だと思う。まだ1回も海外に行ったこともなけりゃ、パスポートすら持ったことのない私のせめてものヒガミである。地元鹿児島をもっと発見しよう!

2002.6.30
 「携帯変えたからアドレス教えて」と、学生のお客さんがくる。こんなおっさんのアドレスを聞いてどないすんねやろ? と思いながらも、空メールを打って差し上げた。新しい携帯のご自慢の1つは“40和音”という事らしい。なるほどさっき打った私のメールが届いたお知らせは、きれいで賑やかな着メロであった。「へぇー」と、私は関心はするが、電話やメールが“届いたことを知らせて入れれば良い”程度にしか興味のない私には『馬の耳に念仏』であった。
 どんなに美しいメロディーを奏でる携帯電話であろうとも、ふさわしくない「場」で鳴ってしまえば、悲しいかなヒンシュクをかうものに早代わりしてしまう…。

2002.6.29 琢也へ
 逝ってしまってからほんの1時間後には、あれだけの人が集まってくれるんやから、そしてあれだけ沢山の人の涙を誘うんやから、それは琢也の人徳なんやろなぁ、かないません。それでも、それぞれの人の心に、魂だけを残して逝ってしまうには、ホンマ早すぎるでぇ…。そんなに急がんでもエエやんか。ちゃうか?
 あれだけ熱心にマンガについて話してくれた琢也やったんやから、もっとたくさん(押し付けてでも)マンガを読ませればよかった。どぎつい関西弁で、アホな事をしゃべるケッタイなヤツやなぁって思った2年半前の出会いはキョーレツやった…。せやけどエエやつやった。
 おおきにありがとうございました。ほんだら、さよなら。

2002.6.28
 知り合いの学生の彼女が、無性に「哲学」の本を読みたいという。世の中に存在するさまざまたくさんの事柄の中で(何でも良いから)ただ一点についてだけ深ーく考えてみたいという。人間が人間としてある為にはとても大切なことだと思うから、私の思いつくままに本を紹介した。
 学生のうちにそういう“哲学”的な時間は持っていなければならないと思う。合コンやケータイやゲーム、カラオケ、彼氏彼女 etc. お気楽、楽しい事にに時間を費やすばかりでなく、まだ頭の柔らかい内に、深く、沢山考えることをしておかないと、年をとったら余計なことが多すぎて、とってもそんな気になれなくなるから…。

2002.6.27
 「明日はする事がないから、市内観光のバスにでも乗って、観光でもするかなぁ…」と、お客さんがおっしゃる。鹿児島市内の名所を順次回っている『シティービュー』というバスの事だ。私が奈良を離れ鹿児島に来てから10年以上になるのに、『シティービュー』どころかバスにも乗っていない。自分の車があるとそれを使うし、車がダメな時は市電で用を済ましてしまう。
 地元鹿児島の名所を新ためて訪ねてみるのも案外面白いだろうし、結構発見があるような気がした。「燈台下暗し」という事は判っているのだから…。参考までにお客さんに聞いてみた。「他所からきた人のフリをするんですか?」と。ニッと笑ってその人日く、東京の言葉を使って観光客を装うのだと。この人初めてやない、もう立派な確信犯や、と確信した。

2002.6.26
 起きろぉ、琢也!寝る前に見た景色が、ガラス越しに、迫りくる対向車やなんて、つまらなさすぎるでぇ!あぁんなにかわいい彼女に顔が、今はほんの目の前にあるんやから、目を開けて彼女の目を見たれよ!わしが彼女としゃべってたら、ヤキモチ焼いて話の横から割り込んで来いよ!お願いやから…。

2002.6.25
 朝11時前に寝ぼけまなこの高校生が一人。「今日はもう学校終わり?」と聞くと、「今さっき起きたとこ…」と返事。「いやいや、こんなとこに来てる場合やないやん」と私が言うと、彼はニヤッと笑った。それから1時間ほど店にいた後、店を出る間際に彼に聞いてみた(答えは判ってたけど‥)。「これからどぉすんの? 学校行くの?」と。さて彼の答えは?
 @ はい、これから学校に向かって、勉強します。
 A もぉ、家に帰る。
 B …無言。

2002.6.24
 身近に起こるという事はこういうことか…。私にとっての大事な後輩が、自動車で事故を起こし、今、人事不肖のまま彼自身の中で彼自身が戦っている。この事を知ったのは新聞の片隅の(普段なら見逃しそうな)事故の記事がふと目に飛び込んできたからだ。運ばれた病院を何とか調べ、今日飛んでいった。そして救急病棟の彼の病室まではたどり着くことが出来たが、面会謝絶の札に私はなす術もなく、ただ扉越しの彼に“復活”を祈る事しか出来なかった。がんばれ!がんばれ、琢也!

2002.6.23
 ここんとこ『古書バーゲン』のため、鹿児島の老舗デパートに通い詰めている。そこでエレベーターを操っている女性方を1週間ずーと見ているが、えらいなぁと思うのは、「上へ参りまーす」「下へ参りまーす」と、扉が開くたんびに静かな笑顔を絶やしてないという事だ。ギュウギュウ詰のエレベーターの中でも明るい声で各階の催し物の説明をする所だ。それは「仕事であるから…」という一言に尽きてしまうかもしれないが、お客さんが引けて誰も乗っていないエレベーターの中であっても、きっとしかめっ面など絶対にしてないような予感がする(さすがに催し物の説明は省いているかもしれないが…)。そんな状況下での仕事だからこそ、案外自動車の運転よりもストレスの多い仕事かもしれない。エレベーターのおねーさんバンザーイ 。タ(^o^)セ

2002.6.22
 よく降り続いた雨も上がり、今日はとても蒸し暑い1日となった。昼間自転車をこいでいると、どこからかセミの鳴き声がする。その声から判断するとどうやらクマゼミが真剣に鳴く前の序章の時の声のようだ。「今年初のセミの泣き声だぁ。どこからやろ?」と思って、声のする方に近づいてみると、何とそれは“車のアイドリング”の音だった。そんなものと聞き違う自分に驚き、夏も近いが、どうやら夏バテも近いと思ってしまった。

2002.6.21
 今、開催真っ最中の古書デパート展に午前中行っているので、店の方の開店時間がどうしても遅れてしまう。その旨を張り紙にして、開店予定時刻もお知らせして来るのであるが、今日は雨が降ってきた為(朝行くときは降っていなかったので傘不持参)、予定時刻より30分遅れて店に着いた。するとそこには常連さんがすでに待っていらっしゃっり(開店を? 私を?)、開口一番に“1時間”も待っていた事を言われた。ただただ恐縮するばかりだった。
 そんなクレームを聞くことが出来て私は良かったと思うし、そのお客さんにしてもクレームを付ける事が出来て、ある意味ガス抜きが出来た様な具合だった。これがもしあと30分遅れて、結局私とお客さんが会うことが今日出来なかったとしたら、私はそのお客さんがいらっしゃってた事を知り得なかっただろうし、そのお客さんは不満を抱えたまま今日1日過ごさねばならなかったであろうから…。だからなんとかセーフ。

2002.6.20
 高校は電車通学。正味15分ほどの電車旅行やったけど、制服のポケットに入ってた何かしらの文庫本を必ず読んでたし、それでも何にもければ教科書を読んでた。周りの人達も、新聞を読んでたり、手持ち無沙汰な時は中刷り広告を読んではったりと、活字を目で追う事に結構時間を割いていたと思う。
 鹿児島に人はどうであろうか? 私自身車で通勤してるので、通勤途中に本を読むことはしなくなった(危なっかしいから)。私について言えば、以前と比べて、毎日の活字を読む時間は減った。その時間に365を掛けてみると、おそらく恐ろしい時間の活字離れとなってしまうのだろう。
 古本屋のクセに、これはアカン事やと感じてしもた。

2002.6.19
 絵本を手にした。「きかんしゃ やえもん」(文:阿川弘之 絵:岡部冬彦)だ。私が10歳にも満たない頃の愛読書だった。その頃はまだ蒸気機関車が貨物を引いて旧国鉄のレールの上を走っていたギリギリで、したがって現役の機関車を見た最後の世代に私は近いかもしれない。
 考えてみると、なぜか“蒸気機関車”には人格を持たせやすいような気がする。「チュウチュウ」と言う名の機関車が主人公の絵本もあった。蒸気機関車を全く見た事のない子供たちの為に絵本は21世紀もしっかり引き継がれている。

2002.6.18
 昼間の繁華街(天文館)に出るのが久しぶりだった。すると、色んなものを見るのが久しぶりな事に気付いた。ちょっとお目にかかれないような沢山の人の波。宝くじ売り場で宝くじを買っている人たち、新しく出来たお店、食堂の陳列ケースに並べられた多種多彩な料理の見本。夏の到来を思わせるズラリと店先に置かれていた盆提灯…。何でもないと言えば何でもないが、店に入りびたりの私にとっては、今更ながら、そんなものにでも文明開化の音が聞こえてしまふ。

2002.6.17
 「年内に来るから…」と、おっしゃってお取り置きを約束したのが、昨年の12月の事。クリスマスを過ぎ、大晦日を経て新年を迎えても、一向に取りにいらっしゃらない。でも、一応約束した私としては、ぞんざいに扱うことも出来ず、そのままズルズルと今年も半年が経ってしまった。離島からいらっしゃる方だからと、半ば諦め気味、それも通り越してすっかり忘れていた本日、約束どおりお客さんに手渡すことが出来、お代も頂戴できた。なかなか島から出て来られなかった事情でも、忘れず取りにいらっしゃって下さった事が、何よりうれしかった。

2002.6.16
 これがあるとご飯何杯でも食べられるというものがある。ダントツは“ツクシの佃煮”、チリメンジャコに醤油を垂らしたのもおいしい。後はシソの実を醤油で煮詰めたもの、大根葉やニンジン葉を具合よく煮た物…。考えてみれば、手間はそこそこ懸かるが(ジャコはそうでもない)、安上がりで単純なな好物だと新ためて思った。
 今日はお客さんから“お煮〆”の差し入れを頂いた。従ってご飯は多めに炊いた。そうそう、ご飯の量を格段に進める重要なポイント『話し相手』の差し入れはないものか…。

2002.6.15
 店の向かいのガソリンスタンドで働いている青年が何時ものように漫画を買いにやって来た。いつもお金を受け取る時に彼の“手”を見る。黒く汚れてはいるが、ごっつくて、「働く男の手」を感じる。
 私の“手”と言えば、扱う本の為なのか、はたまた働き足りないせいなのか、ツルンとしていて、「働く男の手」というには程遠い。だからごつくて大きくて硬そうな手を見ると、つい見とれてしまうのである。

2002.6.14 
 今ごろ言うのは可笑しいかもしれないが、昨年来、初めておこし頂いたお客さんには「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言うつもりでいる。
 今日ひさびさにこれを言うことが出来た。意表をつかれ相手もビックリ。笑われてしまったが、まぁいいや。まだ今年の折り返し地点には来ていないのだから許されるだろう。
 一度だけ、暮れの12月に「明けまして―」を言った事があった。そしてすかさず「良いお年をお迎えください」と続く、変テコな挨拶をした。

2002.6.13
 ラジオを聞いていて、その話題から思い出した。中学2年生の秋にどういう拍子かとても好きな人ができた。1つ下の学年で言葉を交わした事なかったのに、そんな感情が湧いてきたのは、“一目惚れ”に他ならなかった。それから学年が一つずつ上がったが、シャイな私に進展などあるはずもなく、ただ姿を見かけては「ドキドキ」するだけの可愛らしいもの(?)であったが、ある時お節介な友達が、私の代筆を勝手にして、ラブレターを靴箱に入れた。「何すんねん!」と文句を言いながらどこか期待があったのかもしれない。
 今どき、ラブレターなんて古臭いし、靴箱に入れるなどという手法も廃れてしまったのだろうか? ケータイがあって、メールがあれば手っ取り早かろう。でも、操作を誤れば返事などその記録を消去してしまうこともあり、何にも残らない。
 あの時の私の「靴箱ラブレター」の返事は、形もしっかりどこかに仕舞ってある。それが良いのか悪いのか…。

2002.6.12
 小学生の頃から店にきていた子供が、青年になって今日ひょっこりやって来た。知らないうちに大学を受験する年頃となり、残念ながら不合格だったために、今は浪人として日々を暮らしていると、割りと明るく話してくれた。
 彼が「何か面白い本はない?」と聞くので、「今は教科書がオンモシロイよぉ〜」と言ってやったら、「教科書面白い? そう言えば最近見てないなぁ…」と切り替えしてきた。大笑いしたが、確かに彼は今、たいして面白くもない勉強漬けの毎日。来週女子大生と合コンするんだってさ。おいおい…。

2002.6.11
 朝からの大雨ゆえに、買われた本が濡れたらアカンから、「ビニール袋に入れましょか?」と聞いたら、「別にかめへんよ」と返事をされた中年男性が一人。
「いいですよ」でも「ヨカですよ」でもなく“かめへん”のフレーズにビビッと来た私がすかさず、「関西の方ですか?」と余計な事を聞いた。「せやねん、あっち(大阪、神戸の事らしい)に永い事おって、3ヶ月ほど前にこっちに来ましてん…」を導火線にして、随分お話をしてもらった。私にとっての耳学問、えらい教養の高いお話を聞くことがでけた。
 普段“雨”は嫌いやけども、今日ばかりは“雨”のおかげ、感謝せんとアカンやろなぁ。

2002.6.10
 今日は車の購入を薦められた。別段今の車の調子が悪い訳でもないし、一目惚れして買った車だけにもう少し一緒にいるつもりだ。思えば19の時に車の免許を取って、これまでに3台の車を乗り継いだ。初代はホンダの“CITY-R”。中古の安いヤツではあったが、実によく走り、よく言うことを聞いてくれた。
 当時、この車をデートに使いたいと友達(♂)が言うので、イヤイヤながら(私本人がデートで使ったことないので悔しかったから)貸した。随分後になってからその友達から打ち明けられた。
 そのデートの最中に彼が二股をかけているのがバレて、車中、相手に泣かれてしまったと…。おいおい、持ち主のわしがデートにも使ったことなかったし、ましてやわしの車で女を泣かせたなんて、何て事をしてくれたんや!と怒ろうと思ったけれど、彼も今や2児のパパ。とっくに時効の昔の話で、怒るより笑ってしまった。

2002.6.9
 カウンターでお客さんの応対してると、一匹の“蚊”の野郎がお客さんのほっぺたにとまった。ただとまっただけやない、見る見るヤツの腹が赤く膨れてきょった。初めてのお客さんやったから、なんて言うて良いかわからへんし(見慣れた人なら「“蚊”が止まってます」って言えるんやけど…)、カと言って黙っていると、ついつい気になって、「アカン」って思いながらも、私の目がそっちに行ってしまうし。そういう気まずい事でもやっぱり言った方がエエんやろか、命に別状なければ、黙っててもエエんやろか…。
 あれだけたっぷり血を吸われた後は、さぞかしカユかろう。

2002.6.8
 大学時代からの同年生で、鹿児島市に唯一残っている友人が、今までの拠点を移して、新ためて“動物病院”を開業した。わたしも彼女も元は鹿児島出身ではなく、そのくせここ鹿児島に居着いている。その一方で生粋の鹿児島生まれ鹿児島育ちの友人たちは今は県外に暮らし、家族をこしらえている。
 県内の人たち、県外の人たち双方にとって魅力のある鹿児島県にするにはどうして行かなければならないのだろう…。このままではより一層、高齢県になってしまう。

2002.6.7
 「明日、文化祭」という高校生。明日1日だけの祭りのようだ。1日だけじゃあ恋も生まれにくかろー。準備の為遅くまで残った学校しかり、その帰り道しかり、ましてや当日の盛り上がりの中しかり…。恋の種とそれを芽吹かせる土壌の豊かさは、普段の授業とは比べものになるまい(確率的に)。
 「これ上げる」と、焼き鳥の券をくれた。ドラえもんに“タイムふろしき”を借りて、仲間に入れてほしいものだ。今のままこんなおっさんが顔を出した所で、相手にされないのがわかってるから…。

2002.6.6
 写真を真剣に学んだ事はないので、専門的なことは不勉強なのであるが、今日写真を撮る時の極意(?)のひとつを教えてもらった。
「“風景”という言葉にあるように、『風景写真』を撮るときは“景色”だけを撮ってもダメ。そこに“風”を入れんと、いい写真にはならん!」と。なるほどと思った。
 実際に“風”そのものを撮るのは不可能としても、風に揺らぐ木々や、波打つ水面、なびいた髪…。それをとらえて初めて、止まった写真は動き出す。

2002.6.5
 「きつくなり過ぎた安定剤を抜くために2週間ばっかし入院したら、最初の2日間は一睡も出来なかった…。あたし、すごく神経質だから安定剤がないと眠れんと思うとったけど、そん時に看護婦さんに『おばちゃん、人間眠れなくて死んだ人はいないんだから』に言われて、それからぐっすり眠れるようになったんよ」
 看護婦さんからのその言葉が一番の安定剤(タダ)だった。こういう何気ない言葉をもらえるから、人間って一人じゃ生きて行けない訳だ。言葉をもらえるのは“本”からでもそうである。どんなに下らぬ“本”からでさえ、その時の己の心に引っかかる言葉を受け取るという事があるというものだ。

2002.6.4
 医師として、エチオピアで蝿が媒体の伝染病と永く闘っていらっしゃった方の話を聞いたお客さんの話を聞いた(ややこしぃてすいません)。歴史としては紀元前までさか昇れる程に古くからある地域で(人類発祥に地に近いからだろうか…)、それであるが故、幾多の栄枯盛衰を繰り返してきたようだ。その度にいろいろな文化が入ってくるとともに、さまざまな宗教の支配を受け、その事が今のエチオピアを難しいものにしているとの事、との事であった。そこらへんの感覚が、島国の日本人に生まれ育った私が、心底から理解しきれないところであった。
 実際に現地に行ってみて、体験してからでないと、あれやこれやと言えない問題ではある。

2002.6.3
 
鹿児島ではそろそろ「プール開き」の頃か。水泳があんまし好きやなかったから、プールなんてどーでも良かった小学校時代。5年生のときから男子は廊下、女子は教室で着替えるようになったのが、なんだか変な気分やった(体操服は男子、女子共に教室で着替えてた)。
 バスタオルを腰に巻いて海パンに履き替えるヤツ、立ち脱ぎの妙技を披露するヤツ、はたまた「正々堂々」と唱えながらそのままはきかえるヤツ…。色々おったけど、実は教室の中で女子が着替えてんのんが、男子みんなが気になってる奇妙な歳ごろの始まりやった。
 今思い出す、鼻の奥がツーンとくるあの感じは、カルキの匂いの記憶だけではないようや…。

2002.6.2
 サッカー大好きのお客さんが昨晩遅くにいらっしゃったので、「いやぁー、今日は派手な試合でしたねぇ。(独8−サウジ0)」と、水を向けてみたが、「あれっ?」と思うほど手ごたえのない返事。よくよく聞いてみると、仕事が終わって、これから家でビデオ録画した試合を見るとのこと。
 おっといけない。じゃぁ、これ以上試合について話してはいけないし、ましてや、試合結果、点数の内訳を口にすることもご法度。その人曰く「日本でやるから寝不足にならないと思ったら大間違い。ビデオと関連ニュースを見るから結局寝不足です」。
 目下の悩みはテレビで放映される今日の3試合。仕事があるから予約録画(3倍速で)しても一本のテープじゃ収まらないのをどうしようか? という事なそうな。仮にそれが出来たとしても、家に帰ってから、3試合ブッ続けで見るのもたいしたもんや…。

2002.6.1
 本の間に、見たことのないオレンジ色のタバコのパッケージが挟んであった。『光/日本専売公社/拾本入』と書いてある。名前は聞いたことはあったが、これがあの『ひかり』かぁと、思った。
 私がタバコを吸い始めたのは二十歳。それから10年以上も決まった銘柄にお世話になっている訳だが、その大先輩の銘柄ににあたる『ひかり』はどんな味がしたのだろう…。そのパッケージに鼻を近づけて見るが、あいにく香りまでは挟み込まれてはなかった。

2002.5.31
 奈良の妖怪に“ベトベトさん”というのがいるらしい。県別の妖怪と言うのも面白い(鹿児島県の妖怪はあの有名な“一反もめん”という事だそうだ)。“ベトベトさん”という妖怪は、別に怖い妖怪ではないらしく、なんでも背後から足音がするのに、振り向くとそこには誰もいない事があったら、それが“ベトベトさん”であるようだ。そんな時は「ベトベトさん、先お行き」というとどこかに消えてしまうと、水木しげるさんだったか、どなたかの妖怪の本を昔読んだ。
 実は小学校の時に、この“ベトベトさん”に遭った事(?)がある。私が自転車を止めてボーっとしていると、後ろから「カツ、カツ、カツ…」と足音がする。振り向いても誰もいない。幼心に「あっ、“ベトベトさん”やっ!」と感じた私が、「ベトベトさん、先お行き」と冷静に言えたのは、とりもなおさずその本のおかげであった。足音はもう聞こえない…。

2002.5.30
 本の保存状態を文字で伝えるのがとても難しい。古書、古本である以上、全てが“美本”という訳にはなかなか行かない。ヤケていたり、色あせがあったり、ヤブレやキレもある。日ヤケにしても、色で言えば
…と千差万別。本のタイトル分だけの保存状態に違いがあるといっても過言ではない。「微ヤケ」「少ヤケ」「少シミ」「シミ」「ヤブレ有」「微キレ」…、それで足りない場合、頭をひねり言葉をひねり出しては、補足説明しようと努めている。
 その難しさを思えば、好きな人に自分の気持ちを告白する方が案外楽かも知れない。「好き」は「すき」。ヤケや色あせ、ヤブレもシミもありゃしない。100%“極美”に決まってる…。

2002.5.29
 やっぱり高校生ちゅーのは若くて、体力あるわぁ。28時間ブッ続けでゲームして、それから学校に行ったそうな。まぁ、学校に着いたら速攻で”保健室”に駆け込んだらしいけど。それにしてもなぁ…。
 なんやろねぇ、社会人になると次の日のこと考えてしまうもんなぁ、それより何より体がもたへんから、徹夜しようちゅー気にもならんし…。昔は出来たんやけどなぁ。どこらへんで「体力」を落としてしもたんやろか? 拾った方はご一報くださいませ。

2002.5.28
 小さな女の子が『ドラえもん』を3冊買っていった。袋の入れて渡してみると、彼女にとっては重そうな荷物になった。持ちやすいように手提げのビニール袋に入れようか? と、尋ねると首を横に振った。
 「あのねぇ、おばあちゃんの家がすぐそこにあるのぉ。そこの道を渡ってぇ、あのガソリンスタンドのぉ裏っ側のぉ、細い道をぉ…」と、帰るまでの詳細な道のりを私に説明し始めた。家が近いから手提げ袋は必要ないのはよく判ったけど、こんなおっさんに詳しく説明されてもなぁ…。

2002.5.27
 「そりゃー口で言われた方がうれしいよ。」 今日は昼間っから友達(♀)のノロケ話を聞かされた。別れるつもりで3ヶ月会わずに我慢したけど、何だかんだ言いながら、会ってみたら優しくされて、あっという間にヨリが戻ったんだとっ。そん時に初めて『好き』って言って貰えたらしい。メールなんかでは、さんざん「すき」と言ってもらってたらしいけど、やっぱり彼の口から出てくる『好き』は格別やったようや。その言葉にトロけてた様子が見てよぉっく判った。
 そりゃまぁ、長く友達やってるから幸せそうな姿を見るとわしもうれしいけど、そこまでノロケんでもええんとちゃうん? わしかって負けへんでぇ。そのうち誰かに『好き』って言ってやるぅ。
 まぁ、彼女の話を聞いて勉強になったわ。メールや手紙よりやっぱり言葉ね。せやけど「好き」って回数たくさん言ってもアカンみたいやしなぁ。しかるべく時にカンと一発いう方が効果あるんやろなぁ。今までは言い過ぎるから価値下がってフラれてきたんかなぁ。
 「それはちゃうでぇ、あんたの人間性の問題や!」と、神さまの声が聞こえた。痛いとこ突っきょる、そらアカンわ…。

2002.5.26
 昨日、今日と鹿児島はアホほど暑い(かと思うと夜は結構冷え込む)。もうそろそろエアコンをかけねばやって行けなくなりそうやなぁと思っていたら、お客さんとの会話で“エアコン”の話が出た。
 「こん前、エアコンを見に行ったらよぉ、なぁにを思ったか、エアコン買わずに、コンポ買ってしもた。はははー。」やって…。バブリィーなお方や。それともやっぱり暑さのせい‥?

2002.5.25
すんません!ホントは覚えてません。

 「
この前僕の友達来たでしょ? 背は僕より少し高くて、『○×』というマンガを買って行った人。覚えてるでしょ?」「(????) あっ、はいはい。えっ、あの人とお友達なんですかぁ。奇遇ですねぇ。ちっとも知りませんでした。よろしく言っといて下さいね…。
 
はい、まったくのいいかげんな返事でした。どこの誰の事か、ちぃーっとも判りませんでした。今度は2人そろって来て下さいね。そしたら―。

2002.5.24
 今日は、お客さんより“焼き鳥”を頂いた。恥ずかしい話、店に入り続け、この1年半ほど(それ以前もいつ口にしたかは定かでない)食したことのない食べ物だ。「買った本より高いんだよぉ」といわれた日にゃぁ、実に有難く、もったいない話だ…。今晩のおかずなりィ。

2002.5.23
 パッと見が若く、(おそらく大学生の)お客さんが、今日も来はった。先日は『柳田國男全集』の売値を聞きはるほどやったから、歳に比例せず変な(?)本に興味があるんやなぁ…って思い、妙に記憶してた(固定概念にとらわれたらあきませんネ、失礼やし)。
 今回お買い上げの本は岩波新書の民俗関係の物やった。やっぱり不思議やったから話しかけてみた。謎は解けた。見た目通りの学生さん。しかも大学院生として“修論”用研究の民俗物が必要なんやってさ。それゆえに「柳田國男」や「南方熊楠」なんかの本を棚から取り出してパラパラ見ては、元に戻す。この作業を繰り返してたんやなぁ。しっかり横目で見てました。

2002.5.22
人間てぇのは、けっこう強いもんやなぁと思った。
 目の手術をされたお客さんが、無事退院されて3日後の今日、店にいらっしゃった。今から2ヶ月ほど前、手術をする事を私に報告しに来られた時の状態とはまったく違って、表情は明るく元気に振舞われられる。私の本音を言えば、そこまで復活される事になろうとは想像もしていなかった(ご本人ですらそうおっしゃられる)。あとしばらく時間をおいて、度を合わせたメガネを作ると、以前と同じくらい見えるようになるし、テレビを見たり本も読めるようになる、と嬉しそうに言われる。
 「いや〜、めんたまに人工の水晶を入れたから、これでサイボーグ、人造人間に一歩近づいたわぁ、歯はもう入れ歯やし。わはは」と、余裕の会話にやっぱり人間て気持ちが大事やねんなぁと、新ためて私は感じた。その方は『改造人間 仮面ライダー』大ファンで…。

2002.5.21
 出て来るは、出て来るは、『起動戦士ガンダム』に始まり、『宇宙戦艦ヤマト』、『秘密のアッ子ちゃん』、眉村卓さんのテレビドラマシリーズから、キャンディーズ、山口百恵の引退まで、当時私が小学校高学年から中学生になる頃までのテレビ談義に、他のお客さんそっちのけで、しゃべってしまった。
 家のテレビが“白黒”から“カラー”へ変わる頃。黒いダイヤル電話が1台デーンと鎮座ましまし、車はそんなには多くはなかった。便利な機械も今ほど多くはなかったけど、子供がウジャウジャ(? ハナタレは必ずおったなぁ)といた。
 秘密の隠れ家や秘密の近道。大人には秘密にしている(つもりな)事に楽しみにしてること。なんだか夢の見られる楽しい事が多かったぁ…。

2002.5.20
 「せかっくここまで出てきたから、開くまで待ってました。」と、ご婦人。そういう日に限って朝からあちこち回ってこなければならなかったが、それでも開店の10時半には間に合ったと思っていたのに、朝から怒られてしまった。こんな風に怒られてしまうのは、ある意味本当にありがたい事である。
 古本屋の私としては、ただただ謝ることと、お詫びに文庫本を1冊余計にオマケする事ぐらいしか出来なかった。

 

2002.5.19
 中学生やった20年程前の誕生日に、友達からもらった『海援隊』のカセットテープを引っ張り出し、久々に聞いている。カセットのインデックスカードん所にはその友達からのメッセージが。「今日からお前も十五、決意を新たにがんばれよ」 私にも十五の時があったんやなぁ…。
 ずいぶん昔の歌やけど、せやけど当時、テープが擦り切れてしまうんやないかっちゅーくらい繰り返し聞いた『海援隊』からの、そして友達からのたくさんのメッセージが、生きてる私の心の根底に今も流れ続けてるんとちゃうん? テープを聞いてそんな気ィした…。太一、お前はどないしてんねやろ? 元気ですか?

2002.5.18
 先日、Hなマンガを買っていったお客さんが、その続きを買いに来た。どんな物でもお金を頂いく以上、「つまらなかった」と言われるよりは「面白かった」と思って頂きたいので、(真面目に)「この前の本はどうでした?」と聞いてみた。
 「あれは微妙でした…。」との答えに、私はニヤッとしながらも、一体どういう意味なのだろうと考えていた。
 結局は、『まあまあ』だったということか? 微妙、絶妙、巧妙、軽妙、奇妙、珍妙…。“妙”と付く言葉はどれも概念的で分かりにくいなぁ。

2002.5.17
 「中間テスト期間中で、早く帰れるのはいいですけど、帰ってもすることがなくって、ヒマでヒマで…」などとおっしゃる。オイオイ、勉強は? と言いかけて、やっぱり言ってしまった。「卒業できればいいから、勉強はボチボチで」と答えられると、私は大笑いしてしまった。そー言えば、そんな風に肩の力を抜いて(?)、なんにも怖いものなしでこれまで生きて来たツケが、今私にまわって来ている。

2002.5.16
 別れた相手への想いを断ち切るために、来月から2ヶ月間の予定でオーストラリアに語学留学すると私の友人が知らせてきた。永らく音信不通だった為、ずいぶん心配していたが、やはりいろいろあったようだ。
 “恋”の傷を癒すには新しい“恋”、と思っていたが、どうやらそれもすでに古い考え方か…。とにかく気をつけて、しっかり気分転換してきてほしい。お土産には金髪のオネーちゃんがええかなぁ。あっ、アカン!わし英語しゃべられへんねやった‥。

2002.5.15
 パスポートのいる海外へは行ったことがないので、外国の話はもっぱら行って来た経験のある人に聞いている(“お伊勢参り”に行ってきた人の珍しい話を聞く江戸時代の人間のようや‥)。
 カナダには『竹』がないそうで、あちらの人たちは『竹製品』にとても興味を持ち、プレゼントするととても喜ばれるらしい。私の通った奈良の高校付近は竹の「茶筅」造りが盛んな地域だったし、鹿児島も竹の産地としては有名だ。
 日本にいれば竹製品など珍しくも何ともないと思っていたが、南方系植物の育たない寒い国の人たちの目には、“竹製品”は確かに不思議な東洋の神秘に映るのかもしれない。

2002.5.14
 「やっぱり本が呼ぶってことがあるんだねぇ」と、お客さんがうれしそうにおっしゃった。久々にお顔を見たのは今年は今日が初めてかもしれない(おそらく…)。私が「明けましておめでとうございます」も言いそびれたままに、カウンターに1冊の本をお持ちになった。
 「欲しい本を探しに行こうと、ふと思い立って来てみました。なければ『探して』と頼もうかと思ってたけど、いやー、来て良かった。見つかりましたよ。」 鹿児島は午前中から雨。こんな天気の悪い日に店にいらっしゃって、そしてお目当ての本が見つかったのだから、それはもう“本”がその方を呼び寄せたとしか言いようがない。それが超マイナーな(ご免なさい)“本”だったから、なおさらそう思えてしまう。
 とにかく良縁整って、お客さんとその本が結ばれたのであるから、そりゃ〜も〜目出度い、目出度い!

2002.5.13
 
むかーしむかし、鹿児島県の輝北町というところに2人で“ホタル”を見に行った。降り続く雨にテルテル坊主をかざし、晴れ上がらせてからのドライブだった。山際に夕日が沈み、暗闇と静寂が忍び寄る頃、”1番ボタル”、”2番ボタル”と数え始めたと思ったら、どこから湧いて出たのか、数え切れない程のホタルがまたたく間にまたたき始めた。
 
「虫キチ」の私と「虫の苦手」なヤツとの遠い、遠い昔の思い出…。

2002.5.12
 寮生活している中学生君は、中間テスト前なので外出が禁止されているらしい。それでも「親と会食する」との理由があるからと、今日は特別に外出許可だ出たらしい。
 親御さんと会食するまでの時間をどこでどう潰すのかは中学生君の好き勝手らしい。確かに、会ってご飯を食べるのだからウソにはならないと、彼はしたり顔で主張していた。

2002.5.11
やったぁー、ラッキィー!
 
これまで本に挟まっていた忘れ物は、スナップ写真、レシートであったり、絵葉書はたまたラブレター…。大体そういった類のものがほとんどで、ヘソクリのお金が挟まっていたことなどこれまで一度もなかった。
 お金を挟むことはあっても、それを抜き忘れる人などいないと言う事なのだろうと思っていた。それでも1回くらいはあっても良さそうなものなのにとつねづね目を光らせていたが、とうとうその幸運にめぐり合えたのだ。
 アルミニウムの銀色がやけにまぶしい硬貨であった。「○○を笑う者は○○に泣く」と言われるアレである。

2002.5.10
 会話っちゅうのは難儀なもんや。それまでは割りと弾んでた会話でも、成り行きで「ほらっ、私って、太ってるでしょう。だから、仕事先の制服が入らなっくって…。」なんてなことを言われて、言葉に詰まってしもた。
 確かに相手は体格がエエっちゅうか、存在体積が大きいちゅうか、はっきりとは言い難いけど、せやけどアカンがなぁ、黙ってしもたら‥。“YES”ってゆってんのと一緒やがなぁ。いや、それより悪いかもしれへん。最悪。
 神さまっ、この私にもっと軽い『くち』をお授けください。たのんますっ!

2002.5.9
 古来日本では、“お茶”は薬であった、とどこかで読んだ覚えがあるが、きっと本当なのだろう。
 今日、鹿児島『知覧の新茶』を戴いた。入れ方の作法も何も、無茶苦茶な我流であるが、まずその香りの良い事に驚いた。茶葉をそのまま口に入れて、食べてしまいたいくらい、体が求めてるのが分かるくらいの芳香を放ち、ズズズと一口飲むと、味の幅広さ、奥深さに思わず目を閉じ、「あ゛ーっ」と声が漏れてしまった。湯呑み1杯で止めるのに、思い切りが必要だった。(もったいないから…)
 うーん、極楽、極楽。これだけ美味いと、茶飲み友達は必要ないかな。だって、旨さの世界に浸ってしまって、相手の存在を忘れそうだから‥。

2002.5.8
 『生きている虜囚』という本が入ったので、読んでみた。副題は「薩摩焼ゆらい記」。秀吉の朝鮮出兵はうまく行かず、彼の死去に伴って、朝鮮から逃げ帰るようにしてきた日本の武将達であったと、“日本史”の時間に習った。成果を上げられなかった負け戦のイメージがある。
 一方、“薩摩焼”はその時に捕虜としてつれて来られた朝鮮の人たちに負っているところが多い。いわゆる負けた日本が朝鮮の人たちを捕虜に…? 立場が逆なんじゃぁないかなと思って、本を読み、詳しい人にも聞いてみた。(本ではまさに捕虜の扱いであったが)どうも、詳しいことは分からないらしい。ただ、故郷を思う悲しい唄が謡いつがれている事は確からしい。

2002.5.7
 生まれて初めて“ガーリック・トースト”なるものを食べた。名前は聞いた事があったが、味わうというのがこれまでなかった。なるほど名前が表すとおりニンニクのよく効いたパンであった。これまた人類最初に思いついて、口にした人がエライと思った。そんな食べ物が結構ある。クラゲやナマコ、そんなグロテスクなものを考えなくとも、干しブドウや蛇イチゴなんかを最初に口に入れた人はすごいなぁ…。

2002.5.6
 暦でいくとゴールデンウィークは今日で終わり。里帰りしていた中学生が(寮生活している)、“現実”に舞い戻る前に、店に寄って行った。さぞかし宿題が出たのだろうから、その事をちょっと突っついてみた。
 『プリント』が31枚も出たという答え。その数に驚くよりも前に、『プリント』という言葉を久々に耳にしたような気がして、少し新鮮な感じがした。そー言えば、古本屋として仕事をしていて、『プリント』という単語は使わんもんなぁ。
 31枚の『プリント』を全部は済ませていない彼にとって、今日の夜が天王山。

2002.5.5 こどもの日
 育った奈良で食べていた“ちまき”は青い笹にくるまれた、どちらかというと円錐形の、白く細長い餅状の食べ物であった。ここ鹿児島で“チマキ”と言うと、それは『灰汁まき』のことらしい。
 餅状なのは一緒なのであるが、黒く、腕ほど太い寸胴で、竹の皮でくるまれていて、私の頭の中にあったかつての“ちまき”のイメージとは似ても似つかぬものあった。そんな事にカルチャーショックを受けたハタチの頃を思い出した。
 この『灰汁まき』、黒砂糖をつけつけ食べると、とっても美味しいのである。

2002.5.4
 高校を卒業して、この春から働いてる青年(もう、そう呼ばなきゃ)が、ゴールデンウィークの休みと言って、店に来た。「休みじゃないの? 一緒にどっか行こうよ!」と、誘ってくれた。あいにくと休むつもりはないが、ひとまわり以上歳の違う私と遊びたいものか、どうだか分からないが、なんとなく嬉しいことだった。

2002.5.3
 「鹿児島の女の人は気が強かとですねぇ」と福岡から転勤してきた男性がしみじみといった。「話したら、いっつも喧嘩になるとですよぉ。」付き合い始めたばかりの女性についてそんな愚痴をこぼされる。「どーすれば良かとですかねぇ、もぉ終わりかも‥」
 確か以前に、私も同じような事(気の強いところ)で、頭を痛めた事があったような、なかったような…。どーするのが得策かは結局分からなかった私から、アドバイスもへったくれもない。
 と、思っていたら今日の報告(?)では、「仲直りできたけど、まぁた喧嘩になったとですよ」だって。けんかと仲直りを繰り返しながらも、なんだかんだと言って、お付き合いが続いていくのを“腐れ縁”って言うのだろう。それはそれで私にはうらやましかった。相手とそんなペースをちゃんとつかめれば、お互い一番楽なのかもね。

2002.5.2
 『戦記もの』と言えば、それを読む年齢層は大体決まっていたが、今日は違った。私より若く見えたから、おそらく20代かなぁ。そういう類がお好きなのかと思って、『戦記もの』の魅力を聞いてみた。
 なぜ、その人が『戦記もの』を読むのかと言うと、インターネット上で戦闘機を使って、世界中の人と戦うゲームがあるらしい。戦闘飛行機を乗りこなすのに、先の大戦中の飛行機が出てくる『戦記もの』を自分なりに研究し、当時に近い操縦で、ゲームの中の自機を乗りこなしたいんですと。戦争を知らない世代(私も含め)らしい本の読み方だなぁって思ってしまった。

2002.5.1
 今日は朝から頭痛に悩まされている。普段は何ともないのに、こんな時に痛くなると、体のあちらこちらに歪がくる。肩がこる、親知らずがジクジク痛んでくる。薬は飲まないほうなので、ただ我慢するしかないのである。
 明日は八十八夜。安くないうまーいお茶でも飲んで、お饅頭の一つでもほお張りながら、目の前にある本の山を眺めれば、気分も晴れるだろうに。ここには、お茶とお饅頭がない。

2002.4.30
 本日最初の来店客(?)は、フォーリナーやった。お客さんといっても道を尋ねられたんやけど…。どーも日本語はほとんどあかんようで、住所を私に見せながら、“ココに行きたい”みたいな事をゆってきはった。私は地図を見せながら、このシグナル(信号)をターン レフトや、ライトやと説明した。何とか分かって貰えたんやないかなぁと考えながら、お国はどこかと聞いてみた。そしたら『フィンランド』やって。
 「フィンランドに比べて、鹿児島は暑いでしょ」と知ってる単語を駆使して言ったら、そのフォーリナーが、大きくうなずいた。わしの英語もけっこういけるやん、って思ってしまった。捜してた場所にはちゃんとたどり着けたかなぁ…。

2002.4.29
 年の頃でいうと40過ぎかなぁ。その方の家に呼ばれる事があった。家に上がらせてもらうと驚いた。スピーカーがいくつもあって、高そうなアンプとステレオ、それに数々のレコード。のみならず、ミニカーや車のポスターがズラリ。カメラがあって、ビデオテープが整頓されていた。
 金額のことははっきりとは分からないけど、相当なものだろう。そういう意味では大人の遊びに違いないのであろうが、まさにそこは“男の子”の部屋だった。

2002.4.28
 交通事故で亡くなった幼なじみの命日が今日。もう15年にもなる。亡くなった知らせを聞いたとき、鹿児島→奈良へ帰ろうとしたが、ゴールデンウィークにかかり、交通機関が思い通りにならず、駆けつける事も出来なかった。
 日々生きていて、どうしても行き詰まり、シンドイときに彼を思い出す。「お願いかわって!どんなにシンドイ状況に置かれてでもエエから…。俺生きたい!」と、亡くなった彼はきっと言うはずってね。やっぱり“静”より“動”、“無”より“有”、“死”より“生”を選ばねば…。

2002.4.27
 なんでか知らんけど、昔ほどうらやましくは、あんまし思わんようになった。ゴールデンウィークの連休の話。私立の中学生は9連休て言ってた。飛び石やなくって、なんで9連休になったかを、とくとくと説明されたけど、「ええなぁ」ってはなから思ってないもんやから、聞いたシリから反対側の耳へと抜けていった。
 1つ覚えてるのは、各教科からべらぼうな宿題が出て、今の生徒さんも大変やねんなぁ、ちゅう事ぐらいやな…。

2002.4.26
 人に注意を与えるのに、とても勇気のいる昨今。ともすれば命がけということにもなろう。それでも何とか信号を発せねばならない時に、何か良い言い方はないものかと、その道の専門家に尋ねてみた。主に未成年の非行に、目を光らせていらっしゃる方だ。
 それは言葉や言い方の問題ではないらしい。ではどうするのが一番効果的かといえば、それは相手の名前を呼ぶことらしい。苗字ではなく名前の方なのだそうだ。あだ名があればそれを使って話し掛ける事で、相手の態度がガラッと変わるらしい。理屈から言ってナルホド納得できた。が、待てよ。初対面の相手の名前やあだ名はどこでどうやって知ればええんやろ?

2002.4.25
 「どちら(どれ)にしようかな 裏の権兵衛さんに聞いたらよくわかる プッとこいてプッとこいてプ、プ、プ おまけにプ、プ、プ」 2つの内(複数でも)のどれか一つを選ばなければならない時に、前記を唄いながら選んでいた幼い頃。私のその頃の世界(地域)ではこう唄っていたが、ところ変わればその歌詞(?)が少しずつ違ってくるようだ。
 それはそうとして、人類誕生以来初めてこの唄を作って、うたった人物を私は尊敬する。

2002.4.24
 かつて”桜島”に登山した時の話を聞いた。目の前にそびえる桜島を見続けているので、一度登ってみたいものだと以前から思っていたが、今は禁止されているから、登ることは出来ない。だからせめて登った事のあるお客さんにその様子を聞いてみたのだ。
 中でも一番印象に残ったのは、「ウサギ」の話。当時桜島には野生のウサギが生息していたらしく(今も居るかもしれないが)、それを山の下の方から上に向かって追い立てると、簡単に捕まえられたのだそうだ(上→下へ追うとすごいスピードで駆け下って逃げてしまう。当然と言えば当然)。捕まえた数匹で『ウサギ汁』をこしらえて食べたそうで、それがなんだかとっても美味そうに聞こえ、昔はいいなぁと、思えてしまったことよ。

2002.4.23
 虫が好きだった。小学校の頃は虫として動いているものであれば、何でも追っかけていた。たくさん捕まえて、たくさん飼って、たくさん死なせた。家の庭には数え切れない程のお墓があった。
 小学校4年の時にクラスで仲の良かった友達が、虫を追っかけ続ける私を見て、「虫キチっ!」とはき捨てるように言った。開き直ってそれを認めさせる術をしらなかった当時の私には、ただただショックだった。今でも彼のその言葉が耳の奥にこびりついている。

2002.4.22
 それはたいそうな働き者がおったとさ。パソコンの先生をやり、着付けの先生もやり、そして昨日は遠い所まで“お茶摘み”の手伝いに行ったそうな。わしが知らぬだけで、まだ他にもあるかも知れんのぉ。いやはや、まっこと働き者じゃて…。
 話を聞いているだけでも、本当に心から彼女の一所懸命さを尊敬する。せやから、店の椅子に座って、パソコンと向き合っているだけの己に「もっとちゃんと働けよ!」と怒り、自分を恥ずかしく思ってしまう。ただ、その素直な尊敬の気持ちを、まじめな文章で書くのはもっと恥ずかしい事やったから、こんなふざけた文体で書いてしもた。別におちょくってるわけやないねん…。

2002.4.21
 先生で、島に転勤になった友人。島への赴任は初めてなので色々と勝手が違うらしい。ただ今、家庭訪問の真っ最中。訪ねる家々で“お刺身”が出るらしい(獲れたての、最高のもてなし)。そしてお土産も“お刺身”がどっさりと。彼にとってはそれが苦痛のようだ。もともと”お刺身”が不得意なのであるから…。家庭訪問の際、先生に“お刺身”を出している家庭があったとして、少し引きつった面持ちでパクついている先生がいれば、10中8,9私の友人に違いない。
 明日廻る方面は、“イセエビ”がたーんと出る地区らしい。さて、彼はどう乗り切るのであろうか? 乞うご期待!

2002.4.20
 必ずしも100%当たっているとは思わないが、恐怖漫画を買って行かれるのは、どうやら女性が多いような気がする。今日の女性も恐怖漫画がお決まりである。何でもご自身、霊感がすごく強いとか。いろいろな物が見えて来るらしい。
 「先のあなたも、判るから見てあげようか?」と言われたが、“知らぬが仏”と思い、そのときはお断りした。先の事が判らないから楽しい、などと言ったところで、本当は知ってしまうのが単に怖いだけなのである。

2002.4.19
 今月末までほぼ毎日、宮崎の現場に通っていらっしゃるお客さんがいる。朝8時集合に間に合わせる為に早くに鹿児島を出発し、夜遅くにこちらに帰ってこられて、元気が残ってると店に寄って行かれる。
 先日小用で宮崎まで日帰りで行く機会があったが、その一回で私はぐったりとなってしまった。これが毎日となるとゾッとする。そんな話をしながら笑いあっていたが、笑える内はまだいい。とにかく運転中に居眠りでもして、洒落では済まない状況にだけはならないようにと、神さまに祈った。

2002.4.18
 今持っている携帯を変えてみよっかなぁと思って、カタログをもらいにケータイ屋さんに足を運んだ。低いカウンターがあって、椅子があって、見本のケータイがズラリと並んでいる。そんな事はどーでも良いのだが、きれいなお姉さまがいっぱい居るのに少しドギマギしてしまった。「あ、あのぉ〜、新しく出た携帯のカタログがほしいんですが…」ってな具合だった。
 あんなにいっぱいのお姉さまを見るのは、思い起こせば数年前に入院したときの看護婦さんがた以来のような気がする。だとすると、お姉さまに対する抗体がすっかりなくなっている訳だ。抗体が出来上がるまで、足しげく通ってみよっかなぁ〜。いや、やめとこ。あそこはあそこで色々ややこしい事が沢山ありそうだ。その前に、かまって貰えそうにない…。

2002.4.17
 今日は“天吹”の先生が見えた(竹製の笛。鹿児島の郷土楽器で「テンプク」と読む)。竹を自ら取りに行き、乾燥させて加工し、たくさんの児童に配っていらっしゃる。私も頂き、音階までは何とか出せるようにはなった。そこから先がなかなか難しい。
 その先生日く、音楽(どんな楽器をするにせよ)は小さい頃より始めるにこした事ないと。どうりで上手くいかないと思った。小学校の時にハーモニカでけつまずいたもんなぁ…。下手の横好きだけれども、私はそれで楽しいのだ、天吹とバイオリンとが。

2002.4.16
 紙で手を切るとなぁーんであんなに痛いんやろか? スッと手がすべり、アッと思うともう血がジワリと出てる。空気が乾燥してるとなおさら気は抜けへん。カッターや刃物でスパッと切ったんとは違って、くっつき難いし、治り難いんやなぁ、これが…。それまでずーっと痛いし、参りますわぁ。
 今日お客さんの指に絆創膏があるのが目に止まったから、「どうされました?」と尋ねてみたら、彼女も紙で切ってしまったらしい。せやけど私と全然違う所は、紙は紙でも“お札”で指を切ったことやろか。
 お金を数えてて指を切ったら痛みも吹っ飛ぶやろなぁ、自分のお金やったらね…。

2002.4.15
 いやぁー参った。不意打ちを喰らった。昨年度、予備校の合間に店に来ていたお客さんが3月よりこれまで顔を見せてくれなかったので、「晴れて、今ごろはキャンパスライフを楽しんでるんやろう」と信じていたから、今日、「受験ダメでした」と言われても、すっかり気を抜き、何の心構えもしていなかった私は、見事に言葉に詰まってしまった。慰めることもできず、励ますことも出来ず、沈黙が一瞬、二瞬とあった。
 その事を言いに店に来るまでに、どん底まで彼は落ち込んでいただろうに、それを考えると、頭の中が拠り所のない無限宇宙となり、私はフラフラと漂うだけであった。

2002.4.14
 「良賈は深く蔵して虚しきが如し」という諺を今日お客さんから教わった。「そんなにアセりなさんな」ということであるが、とは言え右から左へと動いて行くように(そんなふうには行きっこなかったから尚更)無い知恵を絞って、狭いすき間を見つけては本を突っ込んで、お客さんに目を止めて頂ける可能性をちょっとでも高めようと努めてきたものを、“深く蔵せ”とはなかなか出来る事ではない。
 自分でもよぉーっく判っているが、どうも私のセッカチさがいけない。「あんたはセッカチだねぇ」とたしなめられた。

2002.4.13
 本を運んだり、保管したりするのに、段ボール箱を利用する。ただし入れ方に気をつけないと、かえって本を傷めてしまうことがある。本自体の重みで変形したり、函が壊れたりするのである。本も人と同じように傷ついたりするのである。けど、人の傷は時が立てば癒える事もあろうが、本はそうはいかない。一度壊れてしまったものは、もう戻しようがないのである。

2002.4.12
20歳の時に、ここあづさ書店のアルバイトとして雇ってもらったのが、始まりであった。それまでしてきた学生アルバイトはいずれも単発ものであったので、長期に雇ってもらうには、あまりに不慣れすぎたかもしれない。自分がどれほど気の利かない人間であるか、はたまた世間知らずであるのかと、いう事はその時には全く気付かないものであったが、自分が人を使う身になってみると、当時の自分の青さに穴があったら入りたくなるし、開いたページならパタンと閉じたくなってしまう。


2002.4.11
 それぞれの学校の新学期が始まり、今日あたりが一発目の実力テストの頃やろなぁ。私が高校に入学した時も、例にもれずそれがあった。それがどうしたわけか、たまたま順位が良かった為に、そこから落ちていけへんという強迫観念に駆られ、3年間丸々ほんまに勉強漬けの高校生活やった。友達も作れず、好きな人も作らず、今から思えば勉強よりもっと大事なものをゴッソリ抜かしてきたよーな、勉強より他にすることをもっと思いつかんかったんやろかと、後悔する。ケータイは無かったけど、体育祭や、文化祭にもちゃんと参加してたら、少なくとも今よりずーっと多くの、“友達”という財産が手に入れられてたかも知れへんのに…。

2002.4.10
 「お嫁さんに迷惑はかけられん。こうして動けるうちは自分でやらんとよぉ。まだわたしゃぁ、動けるから、幸せよ。これが寝たきりになったらよぉ…。」80歳を越していらっしゃる女性のお客さんのいつもの口癖。すでに読んだ本を10冊ばかり、リュックに詰め(けっこう重い)、それを買い取りに出して、代わりに自分がまだ読んでなさそうな本をこれまた10冊ばかり買って行かれる。健康の秘訣は毎朝6時ぐらいに起きからの1時間ほどの散歩らしい。それと読書も。

2002.4.9
 お客さんに尋ねられて答えに困る質問ベスト3
★どの本が面白いですか?どちらかと言うと、本は嗜好品であるので、そのお客さんのデータを何も知らずに、ただ好みを当てるようなもの。それは至難の業やから。
★(探している本は)今度いつ入りますか?基本的には買取などによってどなたかがお売りにならないと入荷してこないので、何時?と聞かれても、それは神のみぞ知る事。それが100l思い通りに出来れば、たちまち私は大金持ちに…。
★この本はどこ(誰)から出てきましたか?人としてそういうことを知りたい気持ちはよく分かりますが、それは聞かない、それは言わない、という事でどーか良しなに…。
 この内の2つの質問が今日もあった‥。

 

2002.4.8
 大好きな『さだまさし』をガンガンにかけながら仕事(のフリ?)をしていた。飲み込むには洪水ぎみの最近の曲に比べ、しっとり聴けるのが、お気に入りの理由なのであるが、お店にいらっしゃる皆さんが好きとは限らないので、どうかなぁとは思ってはいた。
 「まぁ、お客さんが不愉快と感じなければエエは…」と、勝手に理論づけてそのまま曲を流し続けていたら、現れるもんですなぁ、『さだまさし』ファンが…。しかも筋金入り。それからしばらく、思いっきり話が盛り上がったことは言うまでもない。あー、おもしろかった…。

 

2002.4.7
 「呑み屋のママにチューリップの鉢植えもらっちゃってさぁ、枯らす訳にいかないから困っちゃったなぁ」と、まだ寒い時期に教えてくださったお客さんがいた。手には、まだ青い蕾のチューリップがあった。
 その後、その花がどうなったのかずーっと気になっていたから、店で今日お見かけした時に「チューリップどうなりました?」と尋ねてみると、見事に花は咲き、あとはしおれるのを待って球根を取り出すだけであるという。なぜか少しホッとした。

2002.4.6
 父、母ともにタバコは吸わない家庭に育った私が、タバコを吸うようになったのは、ハタチの頃のちょうどこの時期からだ。学生時代、春休みを利用して沖縄にダイビング合宿に行き(その時点ではまだ吸ってはいない)、そのお土産として、いつもお世話になっていた当時4回生の先輩に洋モクを買って行ったのはいいのだけれど、いざ渡そうとしてみると、その先輩はすでに就職のため、鹿児島を去られた後だった。はて、困った。宙に浮いたそのタバコに仕方なく(?)自ら火を付けたのが運のつき。それ以来JT(当時は専売公社)のお世話になっているのか、(世の喫煙者と共に)私も世話してるのか…。

2002.4.5
 今日も鹿児島は暑い一日やった。こー暑いと、“ウインドサーフィンに行きたいよぉ”病が再発してくる。ウインドサーフィンに生まれて初めて乗ったのは18の時、西表島の月の浜(やったかな?)。フラフラ、ボチャーン!を繰り返しながらも何とか風と友達になり、わたる風と一緒に海の上を散歩できた時以来病みつきになり、錦江湾では桜島をバックに、あるいは桜島を目指して随分乗りまわした。
 世の中、思い通りにならない事ばっかりやけど、そんな中でも“海”と”風”はダントツに思い通りにならへんヤツやった。せやから(自然の気まぐれで)ウインドサーフィンをうまく操れた時とか、野生のイルカが見られた時はとびっきりうれしい。 しばらくご無沙汰してるけど、元気ですか? 海さん、風さん。

2002.4.4 
 ♪ご存知長屋の金さんが もろ肌脱いで“べらんめぇ” おおっと金さん 名調子〜♪ 『桜吹雪』の季節に、お客さんに質問することは「お花見されました?」だ。今日もその例にもれずに聞きまくった。どちらかと言うと「してない。」と答える方が多いかな…。
 20年程前のお花見の席で、上司に“お酌”をし忘れたために、後日解雇を言い渡されかけた、と言うお客さんがいらっしゃった。それ以来お花見がどうも嫌いになられたらしい。そりゃそうだろう。そんな理由で解雇された日にゃぁ、今なら立派な“セクハラ”として金さんならずともその上司をお裁きになるに違いない。

2002.4.3
 たくさんの買い物袋を持ち、年の頃は高校生くらいの女の子が店に来た。話しかけると、どうもこの付近が地元ではないようだ。少し突っ込んで聞いてみると、案のじょう鹿児島市内に暮らしている人ではなかった。ではどこからか来たのかと問うと“沖永良部”島からだと言う。
 教師をしている私の友人が、昨日転勤で向かった所が“沖永良部”の中学校。その話を彼女にすると、先月その中学を卒業したばかりだと言う。“沖永良部”島には行った事のない私が「どんな島ですか?」と尋ねると「も〜、田舎ですよぉ。」と彼女は恥ずかしげに答えた。
 教師の友人は「本当にいい所だよ〜。」と、確か云っていたはずなのに…。

2002.4.2
 3日前の『サバイバルエアロビクス』の謎が解けた。私の頭の中には、エアロビをしながらジャングルを駆け巡る彼女がいたが、本人に詳細を聞いてみると全然違っていたのには、笑ってしまった。沢山いるエアロビ競技者の中でいかに上手く自分を表現、アピールしそして勝ち残り、上のステージに勝ち残っていくと言うことが“サバイバル”なのだそうだ。成る程『勝ち抜きエアロビクス』では意味はよく分かっても、しまりのない競技になってしまいそうだ。
 “しまり”が肝腎、体をしめるスポーツなのだから…。

2002.4.1
 ええ〜っと、この時期に食べるのはどっちやったかなぁ…。『牡丹餅』、『おはぎ』…、そうそうぼたもちやった。つぶ餡とこし餡で呼び方が区別されてた様な気もするけど…。
 まぁ、どっちゃでもエエは。とにかく、お客さんに頂いたってことよぉ。そして、満腹おなか一杯ってことよぉ。桜を愛でながら食べられたらもっとおいしかったかもなぁ。ん?それは『桜餅』やないとアカンのかなぁ…。

2002.3.31
 普段はぜんぜんしないので、引き出しに入れている内に、どうやら力尽きてしまった腕時計の電池を入れ替えてもらいに時計屋に行った。時計の裏側をカパッとはずして、例の独特のメガネ(ルーペ)を目にはさみ、中をのぞかれてから電池が交換された。
 考えてみれば、腕時計というあの限られた小さな空間に歯車やネジが組み合わさり、おまけに電池をくわえ込んで“時”を刻んでいるのだから、これは歴史と技術の結晶だと改めて感じた。携帯電話のデジタル表示の“時間”に取って代わられるにはあまりにも惜しいし、ある意味冒涜しているのかも知れない。そう感じさせる物質が21世紀になって気づかぬうち、周りに溢れた様な気がする…。

 

2002.3.30
 友人(♀)からもらったメールの中に『サバイバルエアロビクス』なる単語が出てきた。この言葉を“サバイバル”と“エアロビクス”に分解すると、それぞれのイメージはちゃんと湧いて来るのであるが、2つがくっついて1つ言葉になった途端に「???」状態だった。彼女はこの狭い日本のどこをサバイバルしようというのか? しかもエアロビをしながらとは…。想像が全くつかない。今度詳しく聞いてみよう。
 私の知らぬ間に店の外の世界では、すんごい事が起こっているようだ。『井(店)の中の蛙』が良いのか悪いのか、今の所どっちにも軍配は上がりそう。

2002.3.29
 「つくし」の佃煮を食べた。春のパワーを大地から頂いた気がする。この春の時期の“旬”の物を体に取り込むということは、冬が明けてみなぎる生命のエネルギーを、体に注入して生きてきた先人たちの知恵なのだろう。ふきのとう、たらの芽、薇、ノビル…。生えているのを見かけると、よだれが出てきて、その場所を秘密にしてしまう悪い癖が私にはある。先人達もそうだったと思うが‥。

2002.3.28
 店の裏の小学校の桜の木にもようやく花がチラホラと見えるようになった。全国で比べればずいぶん遅いように感じたが、それでもこれ位が鹿児島の平年並だそうで、周りが早過ぎたのである。今に思えば、この冬は確かに暖かかった、筈なのに何年ぶりだろう、私の手にしもやけが出来て痒い思いをしたのは…。

2002.3.27
 こんなことは滅多になかったのであるが、今日は店の常連さんのオンパレードであった。たいがいは曜日が違って来るんやけど、こんなにいっぺんに重なった事は‥そう、かつて1度あったなぁ。
 その時もすごかった。「まぁこれだけ日にちが重なってみんな集中するもんだ、示し合わせたんやろか?」と考えてもおかしくないほどで、とどめに(鹿児島から)単身赴任で福岡にいらっしゃるはずのお客さんがひょっこりと顔を出された時には「あっ、俺今日死ぬんとちゃうか?せやから“虫の知らせ”かなんかで、みんな挨拶がわりに来たんや」って思ったもん、ほんまに。
 今日はそこまではなかったから、おしゃべりして単純に楽しかったなぁ…。

2002.3.26
 1週間の内で「テニス」と「クラシックバレエ」それに「能」を習っていらっしゃるとっても忙しい方が、今日は時間の合間が見つかったのか店にいらっしゃった。“和”と”洋”を体で会得しようとされているのだからと、「バレエと能のそれぞれが表現する所の違いは何ですか?」と質問してみた。さぞかし違う境地を教えてもらえるのかと思っていたら、見当が違った。結局同じ所なのらしい。
 では、それぞれの芸が目指している同じ目的とは、それは人間の《
》なのだそうだ。やはり人間の拵えたものの行き着くとこはそこに帰結するという事なのだろう。

2002.3.25
 少々あたまの痛い問題だ。これまたながーい付き合いに友人に、“就職祝い”をと考えているのだけれど、はて?何にしたものか…。残らない物であれば、おしゃべりでもしながら、一緒にゆっくりご飯でも食べても良いのだが、それもなんだかなぁ‥。じゃぁ、形に残る物をと考えると、途端に思考が止まってしまう。「気持ちだけで―」とは言ってくれても、そー言う訳には参りますまい。タイムリミットは近い。

2002.3.24
 10年以上前の学生時代、私は学生寮で寝起きをしていた。朝は7:30に起床、それから屋上に皆で上がって、腕立て伏せ30回とラジオ体操をするのが、いわば日常の伝統行事であった(雨の日と桜島の降灰の時はさすがに中止)。
 今日ちょっと考えてみた。そー言えば“ラジオ体操”なるものは、その時以来全くしていないような気がするなぁ。あの音楽を聞けば、体は覚えているものであろうか?

2002.3.23
 本日、鹿児島はお日柄も良く、私にとって21世紀始めての結婚式に招かれた。同じ職場で同じ仕事をした私たちの中で、やっと結ばれた2人やから、『職場結婚』そのものに違いないんやけれど、神さまがこの二人をペタッとくっ付けて、ひょいっと引っ張り上げたら、ズルズルっと100人くらいの縁のある人たちが、簡単に(でもないか‥)集まってしまうんやから絆をたどれば、人間1人(あるいは2人)で生きてるつもりなってるやなんて、そーんなバチ当たりな事は考えたらアカンねんやなぁ。勉強になりました、おおきにありがとぉ。なんしか、お幸せにね。

2002.3.22
 大きな花束をそれぞれ抱えて女性が2人。卒業にしてはお歳が少々合わないようだ…。とすると、謝恩会かはたまた転勤に関する行事か…。いづれにしても“馬のはなむけ”の花束に違いない。当然ご本人たちはバタバタと慌ただしい残りの3月を過ごさねばならぬだろうに、そんな事はちっとも感じさせぬほど、ゆっくりと本を探されていた。



2002.3.21 春分の日
 
ズッコケ三人トリオの内の1人が店に来た。この春、高校を卒業した彼らは、1人は福岡へ進学、1人は地元鹿児島で進学、そして1人は就職と、それぞれの道を歩み始めるようだ。本人たちは自分の足元から広がる道を歩み、それだけで一生懸命なのだからそれはそれで良いのだけれど、それを聞かされる私のほうが、案外彼らの変化について行けてない。別れの季節特有のさみしさだけがポンと私に投げかけられる。せやから3月は嫌いや。


2002.3.20
 段差の低い階段を上り、小学校の教室に入ってみたのは何年ぶりだろうか。低い机と低い椅子。先生の大きな机とスチール棚が“近づくな、触るな”の警告を発していたのを思い出した。オルガンに水槽、窓ぎわにはねんど細工の大行進。給食のマーガリンが床にこぼれて大きなシミになってしまった事や、誰かがトイレのの方に用を足しに入って行くのを目撃した事が、当時は重大事件であった筈なのに、思えばそんな他愛のない毎日の出来事に大騒ぎすることも、今はなくなってしまった。

2002.3.19
 1年程前に結婚なさった方が、今日は風邪か何かよくわからないが本当に具合が悪そうに店にいらっしゃった。しんどそうな顔をしてこんな事をおっしゃる。「俺、40まで生きられるかなぁ…」と。「何を言ってるんですか?お嫁さん貰ったばっかりで、そんな事になったらお嫁さんかわいそうでしょっ!」
 お世話になっている方にもかかわらず、私は思わず怒ってしまった。残されるお嫁さんの事を考えると、自分が先に逝ってしまうなんてばち当たりなことは、死んだって口にしてはいけない。考えてもいけない。

2002.3.18
 いつもの大きなバッグを持った高校生(と思っていたら、この前卒業したらしい‥)が、いつもより早い時間に来られたので、「今日は何ですか?」と聞いたら、「部活のOB戦で、後輩と試合です。」と答えが返ってきた。
 「じゃぁ、負ける訳にはいきませんね。」と言ったところ、「そうなんですけどぉ、ダメですね。」少し寂しそうに返事をした。そう、生命が誕生して以来、このように『若いものが、年老いたものを追い抜いていく』事によってすべてが進化し、人間にいたってはここまでの文明を築き上げて来たのであるから、それが宇宙の摂理の様に思え、私も少し寂しくなった。

2002.3.17
 「入試はいかかでした?」と何気なく尋ねて、まさかまさか首を横に振られ、絶句した後の気まずい沈黙。これを経験したのがちょうど去年の今頃やったかなぁ。それからだいたい週に一度は店に来ていた無口な彼やったけど、高校受験に失敗した彼にとって、浪人のしんどさやプレッシャーを私なりに想像しながら、具体的にはなんにも出来ず、こちらも無口にこの1年の彼を見続けて来た。
 今年の受験シーズンが近づくと、さすがに店に顔を見せることがなくなった。その後シーズンもひと段落し、結果発表も終わったはずなのにいっこうに顔を出さへんから、内心すんごく心配していたんやけど、その彼が今日姿を見せてくれた。
 「1年間の苦労は実りましたか?」と尋ねると、“コックリ”今年はうなずいてくれはった。

2002.3.16
 大学時代からの友人で、獣医をしている“ヤツ”は、自分の患者(動物たち)が治療の甲斐なく死んで逝くと、メールを打ってくる。命がなくなる前に何か他に出来る事があったんじゃなかったか、あるいは、亡くなる命に対して、してはいけない(ただ苦しみをなが引かせるだけの)事をしてきたんじゃないかと…。
 次に生まれ変わってくる命というものがあるとすれば、どういう生き物(あるいは無生物でも)であっても、今よりもっとましな境遇に生まれ変わり、もっとましな幸せを手に入れられることをお祈りするしか、私には出来ない。毎回…。

2003.3.15
 今日は、古本屋として、眼福を得るために店を閉めて、隣の県まで行って来た。お天気も良く、今が盛りの山桜も拝めるだけでも幸せのひと時であった。『癒し系』蔵書を拝見させて頂き、多岐にわたってお話を聞かせて下さった先方のご主人と奥様、そしてお世話頂いた“古本屋の文蔵さん”に感謝の1日となった。ありがとうございました。

 

2002.3.14
 この4月に2歳になる女のお孫さんの手を引いて、雨の中お客さんが来られた。最初の頃と言えば、そのおじいちゃんの後ろに隠れたっきりで、「こりゃ、怖がられてるなぁ…」と、感じるだけであったが、最近ではようやくその子も、私に対して警戒心を解いてくれてる様になった(と、勝手に感じてる)。
 今日、おじいちゃんの後をチョコチョコとついて行く後姿を見送っていると、くるっと振り向いて、『バイバイ(^.^)/~~~』してくれた。私の心がとろけた。

2002.3.13
 お客さんが3歳ぐらいの男のお子さんを連れて、店にいらっしゃった。男の子は大事そうに赤い巾着を持っていた。彼にはちょっと重そうだった。その彼がつかつかとカウンターに寄ってきて、中身を取り出し始めた。すると出てくるは、出てくるは。戦車にミニカーがザクザクと…。
 人の宝物を見てしまうと、どうしてもそれが羨ましくなって仕方がない。たとえそれがシールだらけのミニカーであったとしても…。

2002.3.12
 昔、秘密基地があった。線路わきの土手に生えていた木を利用して、近所の同級の幼なじみと造った。どこからか布団を拾ってきたり、机を拾ってきたり…。力をあわせてこしらえた自分たちだけの秘密の場所。お菓子を持ち込んで食べたり、線路に石を置いたり、悪い事もした。それでも黄金時代であった。
 20年ほどたった今、あの場所はあるのかないのか、どうなっているのであろう。ただ一つ確実なことは、その時の幼なじみはこの世にはもう居ない、と言う事だった。

2002.3.11
 小さい頃にどーしても欲しかった物。“コカ・コーラ”の赤い『ヨーヨー』(私が持っていたのは緑色の“スプライト”)、鷲の絵の『ゲイラ・カイト』、『ローラー・スルー・ゴーゴー』、“マジンガーZ”の『超合金』、“仮面ライダー”の『変身ベルト』、黄色い『フリスビー』。
 テレビのアニメ「ハゼドン」に出て来た“シーランちゃん”の『チュー』。そー言えば「ドロロンえん魔くん」の“雪子ひめ”の『チュー』も欲しかったなぁ…。この内、手に入ったものはなにもない。
 手に入らへんかったから今でも覚えてる。もし手に入ってたらとっくのむかしに忘れてる。

2002.3.10
 どこからか私の名前を呼ぶ声がした。「ん!?」と思って外を見ると、今は入院なさっているはずのお客さんがそこに立っていらっしゃった。重い病気で透析を週に何回も受けなければならない。視力もやられてほとんど見えないとおっしゃる。その方がひとりバスに乗って店にいらっしゃった。だから店に着いた時には、もう肩で息をしなければならない程お疲れのご様子で会話もままならない。外出許可をとってまで店にいらっしゃった理由をきいてビックリした。私のしょーもない顔を見たいが為とは…。泣きそうになってしまった。命を削ってまで顔を見に来る程の何かを、これまでその方に私は出来ていたのだろうか?
 別れ際に堅く握手を交わした。「また今度っ!」と元気よく私は言えた。

2002.3.9
 「やっとヒマが出来たから来ました。」と、漢籍ご専門のお客さんが久々に顔を出された。暖かくなったり、寒くなったりの日々が続いたため、体調を崩されているのではないかと心配もしていたが、どうやらそうではなかったようで私はホッとした。
 「やっと“貧乏ヒマあり”になりました。」と、おっしゃるので“貧乏ヒマなし”と“貧乏ヒマあり”、どっちがいいですかと尋ねて見たら「そりゃぁ、“貧乏ヒマあり”の方よ。本が読めるもの…」と。やはりかないませんでした。

2002.3.8
好きなものや欲しいものは次から次とあるけれど/必要なものというのは そんなに多くはない…(唄:中島みゆき)
 空気とか水、心とか気持ちとか…、確かに『必要』なものってあんまり数ないし、あんがい形のないものなんかも知れへん。まぁそんなことはどーでもええ。
 形やなくって、せやけど貰ってうれしいものいっぱいをもらった。今日は私の誕生日。一人ぼっちで生きてるんやないと分かった。

2002.3.7
 SF物や文学がお好みのお客さん。ご実家が農家の学生さんで、まさに“畑違い”の職業『農業』について私はよく質問する。とりわけ辛そうなのは、豊作による値崩れを引き起こす前に、せっかく心をこめて作った作物達を潰してしまう事。この事を尋ねると、やはり決断を下すのは並大抵ではない様だ。
 古本を扱っていると、どうしても売り物にできない本たちを闇に葬ってしまう事がある。それは断腸の思いであり、「ごめんね」と心でつぶやきながら処理をするのであるが、そんな中で「どうか捨てないで…、私はまだお役に立ちます。」と叫んでくる(ような気がする)本がある。取って置く理屈も根拠も存在しないのは分かっているが、そんな本はまたしばらく本棚で、静かにもらい手を待つ事となる。

2002.3.6
 昨日”春一番”が吹いたそうだ。1日中雨が降っていたが、とっても暖かいと言うより、それを通り越してもう「ヌゥキィ〜」(鹿児島弁で《蒸し暑い》を表す言葉)かった。
 ところが今日は一転、風が強く肌寒い一日となった。ところがである、それでも今日の気温は4月初旬並なのだそうだ。とすれば、暖かいと感じていい筈なのに前日の蒸し暑さを味わってしまうと、もうそれでも寒く感じて仕方ない。人間の感覚とはまこと勝手なものだ。いわんや人間そのものをや。

2002.3.5
 別の高校生君、『枕草子』を買う。昨日と同じ質問「古典がお好きですか?」を投げかける。彼の答えも意外。
 「清少納言が大っ嫌いなんですよ。上から人を見下したような物の書き方、腹立つんですよねぇ。だから、(教科書に出ている段だけではなく)最初から全部読んだらどう感じるかなぁと、思って…。」
 なるほど、相手は当時の貴族階級。しかも、鼻っ柱が簡単には折れそうにない人物を想像させる、と言われれば納得出来る所もある。高校生にもいろいろ居るものだ。

2002.3.4
 この前、『徒然草』を買っていった高校生(♂)が、今日は『更級日記』はないですかと来た。「はい、はい」と用意した。よっぽど古典が好きなんだなぁと思い、会計を済ませる時にその事を聞いてみると、答えは逆だった。古典は“
赤点”、めちゃくちゃ怒られたそうである。それが為の『徒然草』であり、『更級日記』であったか…。彼らにしてみれば行った事もない大昔の言葉を使いこなすより、“女子高生言葉”を使いこなせる方が身近でよっぽど楽しいだろうに‥。

2002.3.3
 毎週末、店に来る高校生の女の子がマンガを3冊買おうとレジに来た時に、そろそろ学年末試験の時期やと思って尋ねてみたら、まさに試験期間真っ最中と答えがあった。「ええのぉ〜?」と聞いてみると「いいのっ!」と返事。
 「試験が終わるまでガマンしぃや。」と、私は包装の袋の口をセロテープで厳重に止めて、ちょっぴり意地悪したった。「は〜い。」と彼女のナマ返事…。

2002.3.2
 
花屋さんで働いていらっしゃる方々にお聞きしたい事がある。花に囲まれて花をめでた時に心を和んます事が出来ていますか?と‥。私が花を見た時には「ああ、きれいやなぁ」とやっぱり思う。せやけど“花”でメシを食っている人達はどうなんやろうーなぁ。
 「いつも本が読めていいですねぇ」と、よく言われる。確かにそうやけど、コタツに寝っころがって、疲れたら眠ってしまう様な趣味的な読書とはちょっとちゃうんやけどなぁ…。“本”をメシの種として見て生きていくのは、ラクそうに見えて結構ツライ時もある。それでもやめられへんのやなぁ、これが…。

2002.3.1
 初めに道を付ける事はどれほど大変なことだろう。腕に障害を持つ彼が今日、車の運転免許を取得した。彼の障害に合った車造りから、彼を受け入れる事を難とした自動車学校との交渉。そして、実際の自動車運転教習。
 彼が店に来る度にその経過を聞いてはいたが、彼の前に立ちはばかる数々の難問に、聞いているだけの私もくじけそうになった。それがようやく実り、彼が手にした1枚の免許証。私は嬉しくて、手をたたいて喜んだ。
 障害をもつ方々に免許取得への道を切り開いた彼の功績は大きい。立派なパイオニアだ。

2002.2.27
 それが出来れば“占い師”に職を変えようかな。書名も作者も出版社もあげくはその内容さえ思い出せないお客さんの探求コミックは探しようがなかった。せめて何かのヒントでも頂ければ、全身全霊を傾けて探すことに燃えるが、何にもなしではお手上げだった。お客さんの頭の中の想像の世界を覗き込めれば、それも可能だろうが…。
 「それが出来れば、占い師になるんですけどね。」と言ったら、笑われた。

2002.2.26
 「いつも忙しく何かしてるね。」と、お客さんに言われた。“忙しく”と”忙しそうに”は違う。私の場合はどちらかと言うと、後者の方かもしれない。忙しくなくても忙しそうにチョコマカしていないと、何か落ち着かない。
 ケツの穴の小さい、ただの貧乏性がそうさせているに他ならない。

2002.2.25
 最初首をかしげた。「絵とかが描いてなくって、字ばっかりの本あります?」と、尋ねられたからだ。年の頃でいうとハタチになるかならないかの青年。私としては「はい、あります。」としか言いようがなかった。そして、ハードカバーや文庫本のコーナーを指し示した。店には漫画も多いが“字だけの本”というのも結構ある。その“字だけの本”の中の何を探そうとしていらっしゃるのかを私は頭の中は????。
 しばらく、本棚を見ていらっしゃったそのお客さんが2冊手に持ってレジにいらっしゃった。会計を済ませて、「本当に、何でもよろしかったのですか?」と私が聞いてみて、その答えにやっと合点が行った。
 全国的なものかは分からないが、鹿児島の中学・高校では、朝の10分間ほどが本を読む時間として決められている所がある。「いやぁ、何でもいいから、弟が読む本を買って行ってやらないと、弟が先生に怒られるから…。」
 何と、弟思いの兄であることか。私は思わず「かっこいいぃ〜」と、声を出してしまった。ガンバレにぃちゃん。

2002.2.24
 「英語や数学、漢字の書き取りなんて、なんの役に立つんですかねぇ?それを考えると、勉強する気がなくなるんですよぉ…。」と、高校生君が宣った。「じゃぁ、しなければエエのに。」と、心の中で思った。
「でも、勉強しなければ進級がヤバイし、高校出れなかったら、中卒の肩書きで生きていけないっすよねぇ、これから先。」と、彼は宣った。「じゃぁ、つべこべ考えず、勉強するしかないやん。」と、心の中で思った。

2002.2.23
 質問がちぐはぐで、上手く行かなかった。
 大きなマスクをなさってお客さんが店に来られたので「お風邪ですか?」と尋ねると、「いいえ、花粉症です。」との返事。毎年、自分や自分の周りを見渡し、どこか遠い所の話と思ってきたので、こんな間直に『花粉症』の人を見たのは初めてであった。鼻がジュルジュル状態が2,3ヶ月も続くと聞くとなんといって良いのか分からなかった。
 その後で、また大きなマスクを掛けたお客さんがいらっしゃったので、今度は「花粉症ですか?」と尋ねてみると、「いいえ、風邪の予防です。」と、答えが返ってきた。タイミングというのは上手く噛み合わないものだなぁ。

2002.2.22
 友達に会った。彼は今は元気であるけれども、随分昔に一度自殺をして、未遂に終わったことがある。それから時が流れたからであろう、こう言う事を最近は口癖のように言う。
 「それまでの自分を少なからず大切にしてくれてきた人たちがどれだけ傷つくか、よく分かった。確かに自分にとってしんどい事やつらい事はそれで終わってしまうかもしれないけれど…」と。

2002.2.21
 今日、台湾に書籍を送った。私としては海外に本を送るなどということは、まったく初めての経験であった。メールのやり取りは日本語でええの?やっぱり、中国語か英語? 代金をお支払いいただくにはどうすればええの? 宛名書き、日本では名前の後に“様”と付ければ事足りるが、他所の国でそれが通用するはずがない。じゃあ、なんと書けばええの?
 知らない、分からない事だらけであった。今回はずいぶん自分の勉強になった。その上、お金まで頂いた。ありがとうございました。この気持ち、とどくかな?

2002.2.20
 『文は人なり』
本日、買い取った本の遊び紙の所に書き込んであった言葉(コチャコチャっと書いてあったので初めは何が書いてあるのか読めなかった)。
 という事は、毎日書き続けてきたこれらの文章には、私という人間が刻んで練り込まれ、そして読んで頂いた方々には、私がズボラな人間ということが、すでにもうバレバレという事か…。
 人が言葉を表わし、言葉が人を現わす。はるか大昔に生きたご先祖さまは、何と便利かつ恐ろしいもの“言葉”を発明したものか、まったく。

2002.2.19
 眠い目をこすり、運転免許証の更新の為、交通安全センターに今朝行って来た。この3年間、無事故、無違反(違反の方はたまたま見つからなかったという所もあるが)を何とか通し、ゴールドを受け取ることが出来た。
 昭和62年よりお世話になって来た、穴の開けられた歴代の免許証が5枚たまった。それらの自分の写真を眺めていると、それぞれの写真の自分が話しかけてくるようだ。「今、お前はしっかり生きてんのか?」と…。

2002.2.18
 徒然草を読むのが好き。700年程前の末法の世で兼好法師さんが言わはった事が21世紀に生きてる私の身にしみる。せやけど本文中、前から納得のいかへん事が1つ。
 「しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほうやうは、せぬはよきなり。(しようか、せんとこかと思ってる事は大概せえへん方がよろしい)」
私がこんな風に悩むときは実行する事に決めている。結果は後からついて来ると思うし。ただし、言おうかいわんとこうかと思ってる言葉は一旦よく考えて言うことにはしてる。言葉は引っ込みがつかんから…。
 「よき友三(つ)あり。一(つ)には、物くるゝ友。二(つ)には醫師(くすし)。三(つ)には、知恵ある友。」
これは100%納得。3つのうちただ一つ、『
お医者さんの友達、募集中!で〜す。

2002.1.17
 出口のないところに無理して突き進まれると、当然痛みが伴う。お客さんの“親不知”の話である。いつもと違い、今日は言葉の発音の輪郭が妙にぼやけて聞こえるなあと思い、尋ねてみたところ、あたかも地面を突き破って顔を出す筍のような親不知の振る舞いが、彼女を初めて悩ませているらしい。
 私が始めて“親不知”を抜いたのは何時だったか、もう忘れてしまったが計3本は抜歯をした。あと1本残ってはいるが、今のところ休眠中であるので、そっとしてある。それに、恵まれたことに両親は健在である。今“親不知”抜いたとしても、それは“親知ってる”になると思うから、まだまだ抜かない‥。

2002.2.16
 昼間は暖かく、朝晩の冷え込みがきつい。服装をどちらに合わせるかが体調管理に重要な意味を持ってくる。昼間暑い思いをするか、それとも夜中に寒い思いをするかと問われれば、昼間に暑い方がよい。1枚脱げばよいのだから(荷物が1つ増えるという難点はあるが…)。
 そこを逆さに、はき違えるとたちまちインフルエンザウイルスの格好の餌食となってしまう。目に見えないほど小さいくせにその威力は絶大。本日夜にお越しになられた女性のお客さんが気の毒に、餌食となられたご様子。兎に角お大事に…。

2002.2.15
 通勤というほどの距離ではないが、自宅から店に通う途中に梅の木がある。毎年濃いめのピンク色の花を、これでもかと言う位に咲かせる。そして「春が近いなぁ。」と感じるものだったのであるが、今年その梅の木の目一杯の主張に気が付いたのはつい最近の事であった。毎日(朝か夜中か)必ず通っていた筈なのにである。
 季節が巡り、今年も春が確実にやってくる。そう考えると、なんだか気持ちがソワソワして来た。

2002.2.14
 「今、何段階?」 よく客さんに尋ねる時期となった。自動車学校の話である。私が通ってた頃とは状況は随分違う。第3段階が終わって初めて路上教習に出られたのに、今は第2段階が済めば「終検」となる。かと思うと、私には経験のない「高速教習」なるものが追加されている。私の頃は自動車学校の先生というものがとにかく怖い存在だった。
 それでも、『ひとつ間違えば、車が凶器となる。』ということを厳しく教わることが出来たように思う。

2002.2.13
 電子メールは確かに便利ではあるけれども、自分にとっては大事なことを、勝手に電気信号に変換されて、何だか訳の分からない内に電線を伝って相手に届いてしまう事には、少し抵抗がある(どうしようもない場合は仕方ないが…)。
 自分にとても大切な事を相手に伝えようとする時には、出来る限り相手と面と向かい、自分の口から目の前の空気を震わせて相手に耳に届けたい。
 なのに私は、今日どうしようもなく、いわゆる告白した。電子メールに頼った…。

2002.2.12
 ふと、“つくし”の佃煮の味を思い出した。奈良の実家にいた頃は、家族総出で採りに行き、ハカマを取り除いては指が真っ黒になったものだった。そうまでして出来上がった佃煮があれば、他のおかずなど何もいらなかった。
 ここ鹿児島で一人で暮らすようになってから数年前まで、つくしの生えている自分だけの秘密の場所を見つけ、採った自然の恵みを、見よう見真似で佃煮にして、一人悦に入っていたが、最近は採りに行けてない。それでも冷たい風が暖かい風に変わりはじめると、土の中から飛び出そうとするつくしの音が聞えて来るような気がする。『ポン』ってねっ…。

2002.2.11
 台湾からメールを頂いた。台湾(だけに限らないのであろうけれども‥)では、今日が元旦。新年が明けるのだそうだ(旧暦)。
太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)。どちらも気の遠くなるほど長い時間、人類が天を仰いで見出してきた発明品である。私たちの生活サイクルはそれに従っている。
 詰る所、21世紀になってもお天道さまやお月さまに見守られ、地面に足を支えられながら、人類も自然の中で生活するものなのですね。それならば、今日がとっても寒かったのも、人間には仕方のない事、我慢しましょう。そのご褒美にと、自然は“桜島の雪化粧”を拝ませてくれた。やったぁ!

2002.2.10
 「ねぇ、お父さん!100円ちょうだいっ。」「おまえ、もっとろぉが、それで買えっ。」「だってぇ〜。」こんな会話が、店内にひびいた。
 そう言えば、こんな親子の会話を私が交わしたのは、いつまでやったかいなぁ。それどころか普通の親子の会話も、結構長いことしてへん。たいがいメールのやり取りで済ませとるし。
 朝起きて、店でお客さんと二言三言しゃべって、一日が終われば家に帰って寝る。そんな毎日、営業とは直接関係はしない『会話』というものが、自分にはまったく無い事に、今更ながら軽いショックを覚えた…。

2002.2.9
 3連休初日。ここ鹿児島市は実によい天気だった。「それが退屈でねぇ。」とおっしゃるのは、病院に入院中の患者さん。確かにそうだ。入院はしていても、病院自体は基本的にお休み。治療やリハビリがなく、時間のメリハリが持てずになが〜い1日をお過ごしとの事。
 最早、テレビを見ていてもツマラナイらしく、唯一、本を読む事が時間を食べる残された手立てのご様子だ。

2002.2.8
はち:てぇーへんだ!てぇーへんだ!
親分:なんだい、ガラッぱち。騒々しい!!
はち:親分。こっ、これを見ておくんなせぇ。
親分:何だこれは。ただのデパートのレシートじゃねぇか。これがどしたい?
はち:いやぁー、そうじゃねぇんです。問題は品目のとこでさぁ。
親分:ん?こっ、これは…。
はち:でしょ、親分。『チョコレート1ヶ』って書いてある…。
親分:しかも、値段が1800円になってやがるぜ。時期からすると、こいつぁーバレンタイン用にちげーねぇ。しかも本命くせーなぁ。おまえ、これをどこで?
はち:ヘエ、店のレジの所に落ちてたんでさぁ。きっとお客さんが本のお金を払うときに財布から落ちたにちげぇねぇと、あっしは見てるんですがね。
親分:それにしても、チョコ1個に1800円たぁ、たけえカイモンだぜ。こいつをプレゼントされる奴ぁさぞかし幸せもんだぁ。くぅー、妬けるぜ。なぁ、はち。
はち:親分はだらしねぇから、今年もゼロでしょうね。おっと、いけねぇ…。

2002.2.7
 「星がきれいだねぇ。久しぶりに見たわ。」隣にお住まいのおばさんが先ほど挨拶代わりにこう言われた。つられて私も夜空を見上げると、澄んだ空気の彼方に星ぼしが散らばっている。
 「ホントですねぇ。」こういうコミュニケーションの取り方もあるのだなぁと、肩の力をちょっと抜いて、私は吸いかけのタバコの火を消した。

2002.2.6
 40年‥、ほぼ40年、パチンコで生活なさっておられるお客さんがいる。“パチプロ”とお呼びすればよいのだろう。その方がいつも、「腰が痛い、痛い。」と、おっしゃられる。それもその筈、ずっと座りっぱなしの職業(?)なのだから。そういう生き方は、私には出来ないなぁ。だから、ある種の憧れが生まれてくるのかも知れない。種田山頭火や寅さんに対するあこがれも同じである。
 『してみたいけど、出来そうもないから。』 臆病にそう思いながら、私は一体幾つの可能性を自ら絶って来てしまったのだろう。恋愛もまた然り…。

2002.2.5
 「あの恋はどうなりました?」と、友人から私にメールが届いた。どうもこうも、そんなテレビドラマの様に週替わりで展開するかいな…。どちらかと言うと“停滞”中(と、私は信じている)やねんから、そんなにせっつかれても困るわぁ。そりゃ、人のホレたハレたの話を聞く程楽しい事はないのは知ってるけど、それぞれペースっちゅうもんがあんねん。慌てさせたらあかん、あかんでぇ。いけるときはいけるのやし、ダメなときはダメなんやから。
 せやけど、私はもーちょっと慌てたほうがええんとちゃうかな…?まぁ、ええわ。なるようになるよ。こればっかりは…。

2002.2.4
 「もう、ないかもと思って、あきらめてたの。良かった」と、お言葉を頂いた。
 文庫本とは言え、古いものは案外出て来ないことが多い。そう言えば、ちょっと前まではしょっちゅう見かけたのになぁと、いう物に限って、こうである。しかし、幸運にも今回はそれを見つけ出す事ができ、お客さんの手に渡すことが出来た(少し時間が掛かってしまった…)。文庫本1冊の値段は大した事はないが、仕事の満足度で言えば120%、間違いなしの今日の出来事であった。

2002.2.3
 鹿児島県加治木町の柁城小学校創立百周年記念誌が手元にある。「柁城小学校」‥、ん?なにか引っかかるなぁと思っていたら、何の事はない。私の友人が現在勤めている小学校であった。パラパラと見ていると、学制が発布される遥かむかし、天明4年にその前身が造られている。単純に引き算するとなんと218年も前の事。
 学校自体は時の流れになんとか耐えられるとしても、子供達の“学びたい気持ち”の本質は昔と変わらず、同じであり続けているのだろうか?
  「行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらずよどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし…。」
 『方丈記』を思い出した。今度、友人に尋ねてみよう…。
 

2002.2.2
 そりゃ、アセるわなぁ。精算する時にレジで財布を開いて、あるはずのお金が入ってなかったら…。カッコ悪いちゅうのもあるけど、「あれっ?どこにやったんやろ。」って、一瞬の内にいろいろ考えるもんなぁ。レジの向こう側では店員さんがニコニコしてはるし…。
 今日、そんなお客さんが来はった。 「♪財布忘れて 愉快な サザエさん〜」が、私の頭の中でリフレインしていた。顔はニコニコ (^.^)。

2002.2.1
 今日は、別のご老人。永年連れ添っていらっしゃった奥様の調子が去年暮れより思わしくないご様子。だから、家事一切を取り仕切ってらっしゃる様で、慣れないこと、思い通りに行かない事への愚痴を私におっしゃられる。それをお聞きしながらチラッと横目を使うと、買い物袋からネギがニョキッと顔を出している。
 「男子厨房に入るべからず」世代のその方にとっては
カッコ悪い事、この上ないのかもしれないが、一人暮らしが永い私にとっては、それが微笑ましくて仕方ない。だから、バカにする気は毛頭ないのであるが、「笑うなっ!」と、よく怒られる…。
 それでも帰り際になると、そのお客さん「今まで、自分がわがまましてきたツケが廻って来たねぇ、カッカッカーッ。」のセリフを残される。
 奥様への償い1/3、観念の気持ち1/3、
でも、何だかんだと言いながら、残りの1/3では、家事を案外楽しんでいらっしゃる様に見えて仕方ない。
 

2002.1.31
 漢籍の古さに異様に(ありがたい事に)、固執なされる初老のお客様がいらっしゃる。何故かと言えば、古い漢字(使われなくなったり、略字になっていない漢字)を使っている(古い)漢籍ほど “文字”自体の真意が読み取れ、すなわち本文の真意が伝わるのだと教えて頂いた。(例えば、『翁』の本来の意味は長老格の人のみを指し、誰でも歳をとればこう呼ばれた訳では本来ないらしい。)ただし、古い漢籍だけを集めていてもダメな様で、その書籍当時の辞典(漢和など)も同じく求めないと、理解に行き詰まってしまうのだとも教えて頂いた。うーん、驚いた。古本とはそういう世界で、とてつもない奥の深さを改めて感じた。
 そのご老人、私のパソコンの壁紙を見て「あっ、『モーニング娘。』だ!」とおっしゃられる。これに一番ビックリしたんだなぁ、実は…。

2002.1.30
 冷たい風吹く中、わざわざタクシーに乗って、ばっさま(お客様に対して失礼な言い方だとお叱りを受けるかもしれない‥)がお越しになった。随分ながーいお付き合いとなっている。もう、すっかり足の方が弱っていらっしゃって、車椅子なしではどうにも動き回れなくなって久しいが、それでも本が読みたいとヘルパーさんを引き連れて毎度いらっしゃる。お顔を拝見するたび、こちらがホッとする。
 ただ、店内では本棚同士の間隔の都合で思うように車椅子を取り回すことが出来ない。バリアフリーにはほど遠く、遅れてしまっている。

2002.1.29
 新聞の天気図を見れば、見事な“西高東低”。イコール寒い訳である。日本地図でいうと上の方にお住まいになっていらっしゃる方々から書籍のご注文を頂く度に、「ここ鹿児島で寒い、寒いと言ったって、まだまだ暖かい方なのだろうなぁ」と思う。
 今日、店にいらっしゃったお客さんに「寒いですねぇ。」と話しかけたら、「だから、暖かくなるのが待てますよ。」と答えを頂いた。なるほど、そうだ。
雪が解けて川になって流れていきます/つくしの子が恥ずかしげに顔を出します/もうすぐ春ですねぇ/恋をしてみませんか (キャンディーズ:春一番)

2002.1.28
 あん時、手さげ袋にせえへんかったら、良かったかなぁと後悔した。冊数にして5冊。紙袋に包んでもたいした事はあらへんかったんやけど、そん時は、持ちにくいかなっとちょっぴり思って、ビニールの手提げ袋に更に入れてお客さんに手渡した。そこまでは、別に何でもない日常。せやのに翌日に私は、もう後悔してた。
 「タクシーに乗って帰った時に、タクシーの中に本を忘れてしもた。食べ物なんか他のもんははしっかり持ってたんやけどなぁ…。」と、前日のお客さんが言わはる。置き忘れたものとおんなじ物が店にあれば、「どうぞ」と渡せば済む事やねんけど、あいにく昨日の本の在庫はあらへんし…。
 あん時、手さげ袋にせえへんかったら、しっかり手に持ったまま、車に置き忘れることもなかったんとちゃうかなぁと後悔するけど、もー遅いねんなぁー。

2002.1.27
 友人より『鯨の鏑骨の松浦漬』なる物を頂いた。初めて口にするまさに珍味であった。
 ここ鹿児島、大浦町小湊干拓に座礁し、死んでしまったマッコウクジラは、埋められて、どうやら骨格標本に生まれ変わる(?)ようだ。とりあえず、(あくまで)人間の目から見れば、彼らの“死”に意味を持たせる事が出来、さかのぼって考えれば、つまり“生きていた”意味を現す事が出来る(「そんな為に生まれて来たんとちゃうわい!」と、クジラ達は思っているに違いないが‥)。
 では、私の“生”は何のため?貴重な地球の資源をむさぼり食いながら…。

 

2002.1.26
 自分の子供を悪く言える親はそう多くは居まい。あるいはボロッカスに言う事はあっても、それは逆説的な愛情の裏返しに他なるまい(ただし、最近の幼児虐待の多さは尋常ではないと思うが…)。
 私は、子供を持ったことがないので、厳密に比べられないのであるが、日ごろ、書籍のデータを打ち込んでいる時に感じるものと案外似てるのではなかろうかと思う。書名や作者、発行年月日などは主観の入る余地などないのであるが、その本の保存状態を、どう表せば皆さまに伝わるのだろうかと、悩むことが多い。わが子の可愛さゆえ、欠点を書きまくるのはとても辛い。さりとて、そこを客観的に表現せねば、お客様に迷惑がかかる。心を鬼にして書くと言っても、そのスペースは有り余るほどには用意されていない。どうしても略語が多くなり、想像がつき難い事も多かろうと思われる。それを出来るだけ防ごうと、ご注文メール返信の際に、知らせておかなければいけないような傷などは、行を裂き目一杯情報を提供しようと、心掛けてはいるが、それが前述のように結構つらい訳である。しかし、“これが仕事!”なのである。
 極美、美本ばかりだと良いのであるが、見渡したところで、それは美男美女ばかりが巷に溢れていない人の世も同じなんだなぁ。

2002.1.25
 やられた!やられました。ここ2,3年風邪とは無縁であったじょうぶな体、「アホは風邪ひかへん」を信じて来たのに、どうやらマヌケは風邪を引くらしい。熱がスゴかったので、インフルエンザウイルスに負けたものだと思われる。やっとパソコンが直って(先日の私のパソコンの故障はウイルスによるものではなくて、外見に関するものです。)、「さあ」と、思っていたら、今度は人間の方がダウンしてしまった。
 子供の頃、母が作ってくれた、咳止めのレンコンの絞り汁、水飴に大根を漬けた物、(家族で採りに行った)ゲンノショウコを煎じた熱冷ましのお茶。一人暮らしでは、太鼓を叩いったって、それらが出て来る筈もなく、ただ、ただ横になっているだけであった。せめて、日記だけはと思ったが腕が持ち上がらず、キーボードに手を乗せた所で力尽きてしまった。どんなものにせよ、ウイルスとは怖い存在である。
 皆さまもくれぐれお気を付け下さいまし。

2002.1.23
 連絡を受けるや否や、心ときめかし店を飛び出して会いに行くなぁんて事は、そう言えば、トンとなかったことやなぁ。再開できる日まで指折り数え、神さまに祈りながら今日をどれだけ待ったことか…。いつの間にこんな気持ちになったしもうたんやろ?思えば付き合いも1年を過ぎると、いないとアカン、困る状態にすっかりなってるもんなぁ。
 手塚治虫さんの漫画「火の鳥 復活編」では、主人公レオナがロボットのチヒロに恋をしてしまう話やったけど、案外そういうことが、将来ホンマにあるかも知れへん。そしたら、婚姻の問題も出て来るかもなぁ。それっくらい未来には、もう私はおらへんやろうけど、その時の人類はその問題をどう処理すんねやろか?
 とにかく、愛する(と、までは言わへんけど)パソコンが無事退院してきて、よかった、よかった。

2002.1.20
 5,6年前に突発性気胸で2ヶ月入院したことがある。ほんとに突発だった。朝起きたら、なんだか息が出来なくて、おかしいなぁと、思いながら病院に行くと、即入院を言い渡された。せめて、心の準備をする時間がほしかった。われにかえると、ベットに貼り付けられ胸のところからは管が出ていた。
 明日から、パソコンを少しばかり入院させようと思う。まだ、大丈夫だとは思うが気になる箇所があり、突発性の何かが起こらない前に直しておきたい。でないと、私のライフワーク、“日記”が、まさか更新出来なくなるのが本当にイヤだから…。
 ということで、明日、1月21日(月)〜23日(水)はホームページの諸々の管理ができません。申し訳ございませんが、どうか、ご了承くださいませ。 つづく。

2002.1.19
 昨日『めぞん一刻』をお買いになったお客さんが、またいらっしゃって、その漫画の最終巻まで買って行かれた。「面白いでしょ?」と、私が尋ねると、大きくうなずかれた。
 どこかにありそうな場面の設定。どこかに居そうな登場人物たち。それらが織り成す何処かにありそうな人間模様。そんな“普通”をあそこまで楽しく描く事の出来る才能は、そんじょそこらの人には無理なのだろう(だから、プロの漫画家なのだけれども)。
 ともかく、お客さんにススメた本が面白かったと評された。こんな嬉しい瞬間はなかった。

2002.1.18
 高橋留美子さんの傑作(と言えると、私は思う)『めぞん一刻』が今日売れた。新しい、古いで言えば古い漫画の部類に入ってくるのだろうが、そのお客さんは、まだ読んだ事がないとのこと。私は目一杯、オススメした。
 実は、先日よりこの作品を(何十回目かの)読み直していたところだった。主人公と自分を重ね合わせて考えてみると、現実があんな風にコト運び、“ハッピー エンド”を迎えられれば、途中の紆余曲折など屁とも思わないのだろうが、自分の想いとはうらはらに、なかなか上手くはいかない…。私の人生の中では、私が主人公。  山あり谷ありシナリオなしの超大作。次回予告すら現れては来ない。

2002.1.17
 ご指摘を頂戴した。見る事がなくなったと、以前書いた“ゴム跳び”に関してである。どうも、廃れてしまった訳ではないようだ。それが生き残っている場は何処かと言うと、体育の授業の中らしい。それで思い出した。
 私が中学生のときに体育で高跳びをやった(ベリーロールとか…)。同じクラスで少しからだの弱かった人が上手く飛べず、地面に落ちて腕を骨折した。そんな事があるから、現在、学校では“跳ぶ”という事に体を慣らす為の準備として、ゴム跳びを授業に取り入れているのだそうだ。こうなると、もう遊びではない。
 もはや、「よく遊び、よく学べ。」は、子供には通用しない21世紀になってしまったのかも知れない。

2002.1.16
 ここん所、鹿児島は暖かい。今日なんかは5月の気温やったらしい。暖かいのはエエんやけど、結露が困るわぁ…。と、お客さんが言ってはった。主婦ならではの悩みなんか、私はそんな事、考えもせぇへんかった。
 「トイレの壁が濡れてんのが、イヤやぁ。」と、言わはるそのお客さんは、ドライヤーで壁を乾かしてはるみたい。せやけど、確かにそこの壁はドライヤーの温風で乾くか知らんへんけど、水蒸気に化けた水分がまたどっかの壁をじっとり濡らすだけなんとちゃうんかなぁ。根本的に家の中から水分を追い出さんことには、あんまし意味のある事やとは思われへんけど、そんな事よう言われへんし、そんなんを『気は心』って言うんやろうかなぁ…。

2002.1.15 (旧 成人の日)
 昨日は、綺麗な服に包まれた新・成人がたくさん見られた。私自身の「成人の日」は、遥か昔に置いて来たが、いわゆる着飾って、どこかに集まり皆でお祝いの言葉を聞く、という形の成人式は経験しなかった。
 当時、私の住んでいた大学寮では、「成人の日」当日は、“寒中水泳”と決まっていたからだ。桜島の頂に薄っすら雪の積もる程寒いなか、気合だけで海に飛び込んでいったあの若さ。はて、それすら遠い過去に忘れて来てしまってはいまいか。

2002.1.14
 「この本ありますか?」と、大学生(女性)にメモを見せられた。本のタイトルは『資本論』。(ははぁ〜ん)レポートの主題として是非必要なのだろう。私は岩波文庫でK・マルクスのそれを探した。走り書きされた彼女のメモをよぉっく見ると、一番下に、15日 2限まで‥。 と、あった。提出期限が明日に迫っている。
 彼女が来店したのが、本日14日の夜の7時過ぎ。するとタイムリミットまでは残す所あと14時間ばかりか…。読書感想文なら間に合うかも知れない(ことを祈るだけだった)。

2002.1.13
 『さっきゴールしたよ。記録4時間49分45秒。目標の5時間以内でゴール出来て達成感を味わっているよ♪ギ足の人が走っているのは見た事あるけど、今日は視覚障害者の方が伴走者と一緒に走っていたよ。すごいよねぇ。健康の有難さを考えたり、前回のマラソンからの自分を振り返ったりしながら走ったヨ。やっぱり毎日練習している人にはかなわないね。自分のペースを守る事だけ考えたよ。歩きたい時は(次の電柱まで)って自分を騙したり、一歩ずつゴールに近づいている実感を楽しんだりしながら走ったんだ。以上、報告でした。』―本日行われた「指宿菜の花マラソン」を完走し終えた友人からもらったメール。ここに私の言葉なんか付け足したら、邪魔でしゃーない…。

2002.1.12
 「話を聞かない男、地図が読めない女」という本があったが、新たに「時計の読めない子供」というのを考えなければいけないかもしれない。
 私の店には古ぼけたボンボン時計(手でネジを巻かなければいけないヤツ)がある。その時計が目の前にあるにもかかわらず、「今、何時ですか?」と、中学生に聞かれ、私の方がうろたえてしまった。どうも彼は、アナログ時計の長針と短針によって時間を読み取ると言う事がもう出来ない人種の様だ。
 生まれた時から、身の周りがデジタルで溢れていると、こうなるものなのだろうか?何だか色々なものが平気で『空洞』になって行っている様な気がする。

2002.1.11
 年々、私は甘党になりつつあると感ずる。鏡開きのおしるこなんて、毎日食べても飽きないかもしれない。甘い物と言えば、鹿児島でおったまげた事があった。夏の風物詩「ところてん」を皆さんの地域ではどう召し上がっていらっしゃることだろう。私は、どちらかと言えば「おやつ」感覚で黒蜜をかけて甘い物として食べ育った。ある時、ここ鹿児島で夕食に与った時にそれが出された。ところてんが漬かっていた汁が茶色だったので、甘い黒蜜の薄まった状態、食べなれた甘い味覚のつもりで口に入れると、なんと酸っぱかった。心構えの出来ていない時(スキだらけ)にこの酸っぱさのインパクトは強烈過ぎた。
 鹿児島(だけではない様だが)では、ところてんに三杯酢をかけて、食事の際の「おかず」として食べられている。これにはマイッタ。

2002.1.10
 今日は、驚きのメールが届いた。
 私がまだ十九、二十歳の頃、寮で同じ釜の飯を食い、同じ杯を重ねた友人がいた。彼は途中、学校を去る事となり、それ以来、音信不通になったまま、はや十数年が経っていた。その彼からのメールの内容は、恐る恐る私自身を確認しようとするものであったので、「そうです!」と、間髪いれず返信した。
 インターネットの中、どこをどう通って私までたどり着いたかは分からないが、とにかく彼と再び連絡が取れそうである。こんな奇跡を起こす神さまがネットの中にさえいらっしゃるのだから、世の中そこかしこに神さまはいらっしゃると思える。

2002.1.9
 人から手紙を大事にとっておく人、とっとと全部処分する人、色々いらっしゃると思う。私は、ど〜も『最上級に大切な人からの手紙は捨てられない』派だ。
 「くやしい〜。ケイタイ着信のメモリーが消えちゃったよぉ〜。」と、友達から電話が掛かって来た。ヤツも私と同じ種族の様だ。何せ、悔しさ余って私(消えたメモリーを復活させる魔法すら使えないこの私)に電話を掛けて来る位なのだから…。
 「手紙を捨てる事。メモリーが消える事。」が、大切な人との絆を消して行ってしまう様な錯覚に捉われてしまう私は、ただ、弱くて、自信のない人間に他ならないのだろう。

2002.1.8
 ふと、思い出した。私は“ゴム跳び”結構好きだった事を。近所のガキ共が集まっては、それが遊びの内の1つであったし、小学校においても、休み時間にピョンと飛び跳ねる光景が当たり前だった。ただ、どちらかというと真夏より冬の遊びだったようなイメージがある。果たしてどうだったかなぁ? いまどきこんなローテクな遊びをする子供たちが私の周りではトンと見かけられないので、季節の確かめようもない。
 うん、なぜ冬の遊びのイメージなのか分かった。華麗に飛び跳ねたあの子のスカートがヒラリとおどり、《シミーズ》と《毛糸のパンツ》が見えたのを覚え続けているからだ。あの1コマは、冬にゼッタイ違いない。季語は《毛糸のパンツ》。 ハァー、なんとクダラナイ事が私の脳裏に焼き付いている事か…。「“ごむ跳び”好き」って言うのは、何やらアヤシイ

2002.1.7
 「寝ている内に、全部やられた。」と、お客さん。知り合って付き合い始めたばかりの相手の女性が、かぶっていた仮面をズルリと剥がした時の結末がこんなだったらしい。お金から、貴金属まですっかり持っていかれ、警察に届けたとの事。
 ここ2ヶ月ほど店でお見かけせぇへんなぁと、思っていたらそんな事になっていたのね。映画やテレビの世界やなくって、ホンマにあるんやねぇ。まずは疑ってかからんと。こんなに身近に聞くと、何や恐ろしい話です。
 他人事と思ったらアカンでぇ、胸に手を当てて考えてみぃ。たまに好きな人を疑ってるやろ?「この人、わしの事をどない思うてんねやろ?」って…。しかも、ゴッソリさらって行かれたばっかりや、つい最近わしかって‥。せやけど、被害届は出されへん。盗られたのんは“わしの心”やもんなぁ…。きゃぁーっ。  今日は七草の節句。

2002.1.6
 芸事は、年始のいつ始めるのが良かったっけぇ?と、思いながら、誰もいない店にて元旦より、バイオリンをさわっていた。クリスマス用の曲はもう時期外れなので(誰に聞いてもらう機会も作れず、過ぎて行ってしまったほんの10日程前…)、明るい曲を新たにと考え、沖縄の民謡なぞ弾いてみた。
 ところが、“音”は確かに合っている筈なのだが、なんだか一味違う。やはり、風土の音楽というものはその風土の中でつちかわれた楽器で奏でないと、情緒というものがさっぱり現れてこないのか? 否、それでも、プロの手に懸かれば、世界中どこの国の空気感でも当たり前に表現出来るものなのか?
 思うに、それが出来る人の事を世間は『プロ』と呼んでいるのだろうなぁ。芸の道は遠く険しい。

2002.1.5
 昨晩、怖い夢を見た。猛毒(たいした根拠はない気もするが‥)の蛇にどこまでも追いかけられた。私はとにかく逃げ回った。塀を越え、鉄橋を越え、匂いを消そうと川に飛び込み(冷静に考えるとあまり意味がない)、身を潜め。足跡を消しながら山を越えたが、追いかけてくる蛇からは、とうてい逃げ切れるものではなかった。それでも、噛まれたら死ぬと思い、歯を食いしばって必死で逃げている所で目が覚めた。もう朝だった。起きてもしばらくは心臓がドキドキ、恐ろしかったぁ。あらっ、何だろ?口の中に硬い小さな物体が…。
 食いしばった歯のカケラだった。

2002.1.4
 2002年も4日を過ぎ、ボチボチ世の中が動き出したような気がする。年末年始に顔を見かけることのなかったお客さんがお店にいらっしゃるからだ。「明けましておめでとうございます。お正月はいかがでしたか?今年もよろしくお願いいたします。」と、私が言うと、それぞれのお客さんと繋がりがまた新たに始まっるような気がする。

2002.1.3
 「まーこの寒さはなんやねんっ!」っちゅうくらいここ鹿児島も寒い。せやから、鹿児島より緯度の高い所(ほとんど日本中)も寒いんやろう。しかも、比べものにならんくらいに…。
 私のユメの一つに「一回でエエから、霜柱を踏んでみたい」ゆうのがある。生まれて今まで『霜柱』なるものは見たことがない(と、思う)。図鑑や教科書には写真が載っていて、「踏むと“ザクザク”音がする。」と解説がしてあった。この表現が私の心をずっと捉え続けている。「踏んだら足の裏に、どんな感触があんねやろ?どんな音がすんねやろ?」
 21世紀になり、バーチャル技術がどんだけ発達しても、これだけはホンモノの『霜柱』をちゃんと踏んでみんと分からんねやろなぁ…。     うー、さむいっ。

2002.1.2
 高校生でレスリングをやっているお客さんがいる。鹿児島でもかなり強い方らしい。練習や試合ともなればハードなスポーツゆえに生傷が絶えることはない。
 今年初めて会った彼の顔面には包帯が巻かれてあった。ワケを聞くと、傷口からバイ菌が入り、腫上がったのだそうだ。そのバイ菌と言うのはレスリング特有の菌らしく(?)、『マット菌』と呼ばれている(と、彼は教えてくれた)らしい。私の店にはマット自体ないので、『マット菌』なるものは恐らくいないと思うが、世の中には怖い菌がいるものだ。

2002.1.1
 新年元旦に何か御目出度い話をと思っていたら…。長い間、離婚する、しないでもめていた人の離婚がやっと決まったと聞いた(離婚したい側の人)。ずいぶん前からその話は聞いていたので、思わず「おめでとうございます!」と大声で言ってしまった。
 ん?ちょっと待てよっ。私のそのリアクションは正しいのか?と、ハタと考え出したら、こんがらがって分からなくなってしまった。確かにその人の希望どおりに事が運んだのだから、目出度い事はめでたい。でも、結婚に対してなら文句なく「おめでとう!」で良いのだが、『離婚』に「おめでとう」はおかしくないかぁ?
 このジレンマ。正月早々、訳の判らん御目出度い話でございました。


2001.12.31
 明日には“来年”が来るというのも、何だか変な感じがするが、泣いても笑っても、今日は大晦日。今年もたくさんの人に助けられて、何とかご飯を食べる事が出来、生き続けることが出来た。ありがとうございました。お店にいらっしゃったお客さん、同業の諸先輩の皆さま、友達、好きな人、そして私の両親に感謝してます(なんや、言葉だけかぁ、と言われてしまいそうですが…、すいません。それが今精一杯ですねん)。
 昨日吹き荒れた、冷たい風もやみ、今日は割りと穏やかな晴れ空が広がっていた。そして青い空に白一本、まっすぐなひこうき雲。来年はあんな風にきれいに真っ直ぐ生きていきたいなぁ。   明日は来年。幸多い年が皆みな様に訪れますようお祈り申し上げます。

2001.12.30
 時間を表現するのは難しい。
 今朝、開店前に書籍の出張買取に行って来た。前もって電話を頂き、お伺いする日にちと時間をその際に決めるのであるが、日にちの方はともかくとして、時間は誤解を招くことが多いのかもしれない。「9時ごろ参ります。」は私にとっては午前9時。お客さんにとっては午後の9時。この差はなんと12時間。
 したがって今朝は、ドアを何度ノックしても反応がなく、仕方がないので公衆電話から連絡を入れると、何やら寝起きの不機嫌な声。12時間の時間差が生んだ結果がこれだ。最初の打ち合わせにおいて私の言い方が悪かったとしか言いようがない。申し訳ありませんでした。次回より気を付けます。           時間を表現するのは簡単で難しい。

 

2001.12.29
 「僕は○○○○○に隠してますよ」。お客さんと男同士のヒソヒソ話をした。男ならほとんど(?)身に覚えがあるのではないか?そう、エッチな本、やらしいビデオの隠し場所のことである。女性に対しては言いにくいのであるが…。
 それぞれ自分なりに《ここなら誰も気づくまい》、という場所を持っているはず。お互いの秘所を打ち明けあった。そのお客さんの隠し場所は凄かった。思わず「へー、エヘヘッ、なるほど」と妙に感心してしまった。
 『お天道様でも、お気づきにはなるめぇ』その場所とは…。おっとイケねえ、そいつぁしゃべる訳にはいかねぇ。お客さんとの約束だぁ。えっ、僕ですか?僕はテレビの下に。独り者には隠す事自体バカバカしい事で…。

2001・12・28
 「無知」と「無鉄砲」。後者のほうは、結果がよければ逆に称賛に変わる事もあろう。前者については私自身が恥を掻く分には当然しょうがないとしても、周りのいろんな人に最初から最後まで迷惑をかけてしまう。結果オーライという事はない。
 「無知」と「無鉄砲」。人間一人で生きているのではないから、これら2つにより、人に迷惑をかけない様に、しっかり生きていかねば、と反省と後悔,後悔の一日であった。

2001.12.27
 『(いわゆる)ゲテモノ』と『ざん新』は、案外紙一重の位置関係にあるのかもしれませんなぁ。何についてかと言うと教えてもらったばかりのトーストの食べ方ですねん。まず、トーストにマヨネーズを伸ばして塗って(ここで焼くのはまあ当たり前ですやろ)、その上から砂糖をやねぇ、まんべんなくバッサリとかけますねん。そしてから後は普通に焼くと、結果、マヨネーズの香りに香ばしく焼け溶けた砂糖…。かぶりつくとこれが美味いですねん。始め騙されたつもりで試してみたら、もうこれはビックリでしたわぁ。確かに勇気は要りますけど、まぁやられてみはったら…。紙一重のおいしさですヨ。名付けて『マヨシュガトースト』、よろしゅうに。

2001.12.26
 期待どおり、今朝見た
桜島はうっすらと雪化粧をしていた。快晴の空をバックにくっきり見える白い頂の桜島。さすがきれいであった。
「鹿児島地名大辞典(角川書店)」によれば、『
桜島』という地名の由来は種々あるようだ。大隈国で任務に就いていた桜島忠信の名より呼ばれるようになったとか、島の五社大明神社に祀られる木花佐久夜姫から出たもので、はじめ咲夜島と呼ばれたものが転じて“サクラジマ”と呼ばれるようになったとか…。
 ともかく、
桜島は活山。やはり地温が若干高いのか、雪化粧は、はかなくもすぐに消えてしまう。見逃すと、次はいつか分からない。

2001.12.25
 マイナス30℃の寒気団が鹿児島上空に来たらしい。夜更けからカミナリがすぐ近くに落ち、数ミリの雹の混じった雨が降ったり止んだりした。とにかくここ鹿児島は大荒れの寒い日であった。おそらく
桜島のてっぺんは雪化粧しているのだろうけど、ずっと雲の中に隠れて見ることは出来なかった。
 とっても綺麗な風景になるので、どれだけ寒くてもそれを楽しみにしていたのに…。明日に期待。

2001.12.24
 学生時代の友人夫婦がこしらえた“イチゴ”を頂いた。何という品種かを聞きそびれてしまったが、大粒でとても甘い結晶で、私の舌と心を満足してくれた。イチゴと言うものはとても手がかかると聞いた事はあるが、どれほどのものかは分かってはいない。私が想像する何十倍も大変な苦労があるに違いない。その結晶一粒をパクッと食べてしまうには、あまりに失礼な気がして、モグモグモグモグモグモグ、ごっくんした。

2001.12.23
 昨日のなぞなぞの答と解説をしてみます。
答@:懐(フ・トコ・ロ)―これは解り易いというか、なーんだと思うなぞなぞ。
答A:嵐山(京都の地名)―パターンが読めて、漢字を知ってればノープロブレム。
答B:くわのき(九が無い。九は退き=桑の木)―なるほどね。で、桑の木って見たことあります?
答C:ほうのき(妙法蓮華経から法が退き、朴の木)―文語で“めうれんげきやう”って書かれても、口語の“妙蓮華経”が出て来ません。
答D:千鳥(ホトケの始と終がなければト。チ・リの中にトが入れば千鳥)―忘年会の多いこの時期、この鳥のような方がおられますなぁ。
 如何でしたでしょうか?解説を読めばアホみたいななぞなぞですけど、かなり手の込んだ言葉遊びを昔の人はやってはったんですねぇ。

2001.12.22
 岩波文庫の「中世なぞなぞ集」(鈴木棠三著)を見ていた。問題が難しい、むずかしくないっちゅう前に、自分が言葉を知らんって言う所が一番の問題点やという事に気がつきました…。ためしに、解りやすい所からどうですか?
@風呂の中に床がある 何ぞ
A山々に風が入った 何ぞ
B一二三四五六七八十
Cめうれんげきやう
D無始無終の仏ちりにまじハる         答えは明日につづく。

 

2001.12.21
 実家の母からのメールに、「…今日の晩のおかずは“肉じゃが”です。」とあった。この1年の食事と言えば、お客さんの居ない時を見計らって、コソコソと食べる『ほか弁』がほぼ日課であるので、この〈おふくろの味〉には、なま唾ゴックンものであった。
 ふるさとは遠きにありて思ふもの…。とは言え、せめてその香りだけでも届かぬものか。今日はこの“肉じゃが”の文字でご飯一杯いくとしよう。

2001.12.20
 これも高校生のお客さんの話。彼は音楽バンドを組んでいて(ハードロック系らしい)、クリスマスイヴ・イヴの23日にコンサートをやるようだ。「時期がら、クリスマスっぽいバラードなんかもするんですか?」私が尋ねると、「いいえ、そんな曲は演奏しません。」と、答えが返ってきた。「“ROCKER”がそんな世間の空気に流されているようじゃぁ、まだまだですよ」。なるほど、ご立派!恐れ入りました。

2001.12.19
 師走とは言い得て妙、だと実際に感じた。昔々、小学校の先生とお付き合いがあった。この時期(だけでなく学期末は常に)になると、寝不足状態が続く様だった。一番大変そうに見えたのは成績の評価。そりゃそうだろう。クラスの子供たちをともあれ振り分けて、各自の“通信簿”という形にせねばならぬのだから。おそらく徹夜に近い状態が続いていたのではないか。
 そんな心理状況には遠く及びもしないが私だって、買い取りで持ち込まれた本たちの中に、売り物としては耐えられないものが混じっていると、どう評価したものか迷うのだ。不要なものとして切り捨てるのは簡単だ。でも、その本を何とか救えないかなぁ、と。
 今ごろ、あの先生も成績付けに最後の追い込みをかけていることだろう。からだ壊さぬように…。


2001.12.18
 「どうも最近、江藤淳が気になってねぇ。」と、お客さんがおっしゃった。そう言われれば、江藤さんが亡くなられてから探されている男性の方が増えたように思う。傾向として、亡くなられてから再び集め出すという事が得てして多いが、江藤さんの場合はそれとは少し違うような気もする。大事な奥さまを亡くされて、その大事さ故に後を追って逝かれた。その過程に、何となく感じる所が男性にはあるからではないだろうか?

 

2001.12.17
 「ケイタイ、買ったよ。」と、うれしそうに見せてくれた高校生のお客さんが来はった。私と向かい合っているのに、彼はメールを送ってくれた。その嬉しさはよぉ分かる。私も1年前にマイ携帯を初めて持った時は、やっぱりそうやったと思う。でもな、所詮は道具の一つに他ならへんやん?つまりやなぁ、使う人次第で便利やったり、かえって不便な思いをしたり…。そんなものは多い。クルマもそうやし、パソコンもそうや。
 上手く使えばそれぞれが“魔法の道具”になってくれる。せやけど使い方間違えば“凶器”になってしまう‥ちゅうワケやね。

2001.12.16
 
昨晩、正確の言うと午前2時頃の星空はすばらしかった。雲がなく、月もなく、星座のオンパレードであった。小学生の頃からの疑問、「宇宙の果てってどうなってんねやろ?」がそのとき頭に浮かんだ。人間にはそれを確かめるスベもなく、今の所、天文学や数学、想像だけの世界であるが、宇宙とは古代の人々にとっても、私(のみならず、すべての人)にとっても考えるだけでワクワクするようなすごい力を持っている。
 ピンと冷たく澄みきった夜空のキャンパスに、オリオン座をペタッと貼り付けたのは神さまだろうなぁ、きっと…。

2001.12.15 (12月10日の続きです。前を見る】)
 
大変な事が起きていた。なんと家の前に鹿が死んでいたのだ。こんなところを誰かに見つかれば死罪は免れない。どうしたものかと考えた早起き旦那は、鹿の遺骸をズルズルと引きずって隣の家の前に運んで行った。隣の主人が起きて表に出てみると何と鹿さまが死んでいるではないか。ズルズル引きずり隣の家へ…。こうして隣の家から隣の家へ運ばれている内に、町一番の朝寝坊の家の前で止まってしまった。そう、その朝寝坊さんは、朝が弱かったが為に鹿を殺した罪を被せられて“石こずめ”になってしまいましたとさ。それ以来、奈良の人々は朝が早いという事じゃ。
 私は、朝起きると玄関に何か死んでいないか、今でもつい見てしまう…。

2001.12.14
 「われら浅野内匠頭に仕えし浪士たち、上野介殿の首を討ち取ったり。吉良家中の方々出会われたし」。誰も姿を現さなかったらしい。虎の刻から卯の刻にかけておよそ2時間の出来事だった。その後、亡君の墓所、万松山泉岳寺を目指す一行。
 雪が降っていたとあるから、300年前は随分寒かったのであろう。南国薩摩と言えども、急に冷え込んできた。そんな今日は討ち入りの日。

2001.12.13
 重い病気のご主人の好きな漫画を、こまめに集めて病院に持っていらっしゃる奥さまがおられた。「持ってない巻が、もし入ったらとって置いてね。」と私は頼まれていたので、入荷した本の中に一冊でも混じっているとさっそく電話していた。
 今日も一冊入ったので、お役に立てればとすぐに連絡を入れた。まもなくその本を取りにいらっしゃった奥さまがこう言われた。「もう、この後は探して頂かなくって結構です、これで最後にして下さいませんか。」と。奥さまはずいぶんお疲れのご様子だった。
 …と言うことは、…という事なのだ。察してしまう自分が嫌だった。

2001.12.12
 「もー、わたしアタマに来て喧嘩しちゃった。」
 なにかと、私にご飯のおかずを分けてくださる女性のお客さんが、今日は店に入ってくるなりこう言った。「それ以来、ストレスはたまるし、血圧は上がるし、ホント大変…」。あたかも機関銃のように話し始めた。どうやら些細な事(私が話を聞く限りでは。でも、当人にとってはとっても重要な事)で、隣に住む男性とやりあったらしい。「こうして話すとストレス解消になるわ。」のセリフを最後に帰って行かれた。
 話をお聞きするだけで、多少なりともスッキリなさって頂けるならお安い御用だ。それ以上、若輩の私に出る幕はない。なにしろ、80歳の女性と75歳の男性の喧嘩なのであるから…。

2001.12.11
 「クリーム入りキャベツ」。フランス語でこの意味を持つ言葉を日本語で言えば、“シュークリム”。今日、お菓子の本を見ていたらムショウにこれが食べたくなった。以前お客さんに頂いた物が忘れがたい。ほっぺたが落ちそうなくらい美味いクリームと食べ応えのあるシュー…。嗚呼、シュークリムが食べたい。

2001.12.10
 
今朝、寝坊した。飛び起きて飛び出した。開店時間には何とか間に合った。
 早起きには自信があった。朝は強いほうだと自負していた。なぜなら私は奈良県人だから(今は鹿児島県民なので正しい表現ではないが…)。なぜ奈良県人が早起きで朝が強いかというと、そうでなければ命を落としかねなかったからである。今の話ではない、奈良の昔話にそうある。かいつまんで書いてみよう。
 むかし、むかし。奈良の鹿は春日大社のお使い、神聖なものだと信じられていた。だから、鹿を殺めたものは故意、不注意を問わず“石こずめ(掘った穴に入れられて上から石を詰められる処刑法)”の刑が待っていた。ある時、町一番の早起き旦那が朝起きて家の外に出てみると…            つづく。


2001.12.9
 おんぶ紐で赤ん坊をおんぶしている姿を見るのは久々だったような気がする。今日いらっしゃたお客さんがそれをなさっていた。私もおんぶ紐のお世話になったし、下の弟妹もそうだった。私などは母のおんぶ姿を真似て、パンダのぬいぐるみを一日中おんぶして悦に入っていたものであった。いつ頃から一般におんぶ紐が使われなくなったのだろうか。

2001.12.8
 
昨日夜遅くにいらっしゃったお客さん(♂)とは妙に話が合い、盛り上がってしまった。世代が同じだからなせるワザだったのだろう。当時、普通に走っていたスカイラインケンメリが出てきたかと思うと、ピンクレディーのミーとケイはどちらが好きだったかの話に移り、やれ、レンタルレコードの話、メタルテープやクロムテープへのこだわり(まだCDなどなかった)。ゲームウォッチからコミックの「まことちゃん」まで、出るは出るは自分たちの黄金時代のゴ−ルデン話。確かに学校が荒れ始め、リーゼントに短ラン、ボンタンの中学同級生は多かったけど、恐い先生も結構多かった。いわゆる体罰も珍しくなかった。それでもまだ今よりは平和でのどかだったような気がする。

2001.12.7
 
私が4,5歳の頃、妹はまだ乳母車に乗っていた。その妹が乳母車に乗ったまま後ろ向きに立ち上がって、押し手を握っていた時に乳母車がそのまま倒れ、押し手と地面の間で彼女の指は血まみれになっていた。爪が大変な事になっていた。泣く妹を連れた母に、ひと足先に病院に予約を取りに行くよう言われて、それは一生懸命走って私は病院に駆け込んだ。どこをどう走ったのか、病院の人に事の重大さをどうやって説明して予約を取ったのか覚えていないが、それでも、血だらけの指と、泣きっぱなしの妹、そして病院の入り口の風景だけは決して忘れる事が出来ない。
 今日は、その妹の誕生日。すっかり忘れていた。

2001.12.6 
 昨日までの暖かさはどこへやら、一変今日は風も冷たく強かった。ウィンドサーフィンの練習にはこんな日のほうがよい。なぜならば、失敗して海に落ちればそこに待っているのは地獄の寒さ‥、そうでなくとも充分寒い。服を着替え終えるまで気を抜くことが出来ないからだ。
 吉田兼好が670年程前に述べた“高名の木のぼり”よろしく、ボードにしがみき最後まで必死で落ちまいとする。だから上手くなる事、間違いなし。
…あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候ふ(徒然草109段)。そう言えば、今年はまだ一回もウィンドサーフィンに行けてなかったなぁ。
 海もいいけど、こたつに
みかんの方がずーと魅力的。今日、お客さんにみかんを頂いた。

2001.12.5
 よく顔を出す高校生が今日は様子が変だった。「バイクの事故で友達が死んだ。」と、ボソッと言った。
そんな大事な時に、私の頭の中に一言の言葉も浮かんできやせず、沈黙してしまった。頭の中が真っ白になるのは、今まで大して何も感じずにボーッと生きてきたからだよ。情けないなぁ。


2001.12.4
 目の角膜というのは人体の中で血液を要しない唯一の組織で、空気中から直接酸素を貰っているらしい。
私は決して視力の良い方ではないが、普段の生活には眼鏡やコンタクトがなくともそんなに不自由はない。しかし、車などは眼鏡をかけて運転しないと、御用となってしまう。「目」というのはやはり重要な器官なのであろう。「目」に関することわざも数多い。たとへば、「目で目は見えぬ」、「目は口ほどに物を言う」…。そうそう「目病み女に風邪ひき男」(=粋なもの)、というのもあった。江戸時代に人にはこれらがイキに見えた所から生まれたらしい。今はどうだろう?ためしに風邪を引いてみようかな。 あ゛ーっ、医療費安くないんだった…。

2001.12.3
 好きな詩を一篇。

 
日が照っていた今から五億年前に (高橋新吉の詩集より『』)
 
確かめた事ないけど、当たり前と思ってた事やん。なんもわざわざ言葉にせんでも…。せやのに読むたび電気が走る。なんでやろ?
これを読むと自分への焦りを一瞬忘れるのは、なんでやろ?
初めて読んだ時から
好きなまま、なんでやろ?

2001.12.2
 
よく店にいらっしゃるかたで、近くの病院に入院なさっている方がおられる。今日も、いつものように戦記物の本を買って行かれた。その前にご購入頂いた戦記物は同じ病室で回し読みになっているとの事。お話を聞いていると、戦争に行った方々にしか理解できない共通の感情、結束感がそこにはあるようだ。

2001.12.1 
 人の姓名はむずかしい。本のデータをパソコンに打ち込んでいるとつくづくそう思う。ペンネームを使っていらっしゃる方もおられるが、それにしてもチト厄介だなぁと感じる。間違えるわけにはいかない。
 私自身の名前も漢字で書くと素直に読んでもらえるほうが稀なので、厄介だけれど間違えちゃいけないとなおさら感じてしまう。まぁ、私の名前など少々間違えたところで本人さえ気にしなければどうってこと無いのであるが(最近はめんどくさいので特に問題のないときは訂正せず間違ったまんま通す事が多い)、著者の名前はそういう訳にはいかない。でも、よく思うのである。「きっとこの著者も名前を正しく呼んで(読んで)もらえずに嫌な(不便な)思いを沢山したのだろうなぁ」と。
 やはり、名前を正しく読んでもらえない者にしか分からない共通のイラダチがあるのではないか…。難読姓名をお持ちの皆様いかがでしょうか?

2001.11.30
 
朝10:30から夜中1:30まで一人で店の中にいると、どうしても頭が煮詰まってしまったり、話し相手が欲しくなる時がある。お客さんがいらっしゃる時には、その方にどうにかして話しかけようとする(迷惑かも知れないが…)。そんなチャンスもないときにはどうしているかと言うと、ヴァイオリンを取り出して弾く。興味本位で以前手に入れたヴァイオリンを弾く。小学校でハーモニカでつまづき、たて笛もあまり好きでなかった私が“弾く”という単語を使うのもおかしいくらいの、ただの「下手の横好き」であるが、『星に願いを』は何とか弾ける様になった(と思う。人に聞かせた事はまだないので単なる自己満足なのだが)。
 明日から12月が始まる。クリスマスも万人平等にやって来る。下手ヴァイオリンを聞いてくれる人のほしい歳頃、時期である。私としては…。


2001.11.29 
 和漢洋対照 ことわざ辞典(創元手帖文庫)をヒモ解いてみた。
"They say so",is half a lie.(「人は皆そう言っている」というのは半ばウソ)→下馬評。フムフム。 Time lost cannot be won again.(失われた時は、再び得られぬ)→一寸の光陰軽んずべからず。頭では分かってまんがなぁ。 Love has no law.(恋する者には法なし)→恋は盲目。なぁるほど先人は上手い事云わはる。でも、ちょっと待てよ。こんなふうに人間として感じたり、考えたりする事の根本は時代、人種問わず共通する所を持っていながら、なんで和、漢、洋もろもろでイザコザ、争いが絶えへんのやろ。21世紀やのに…。

2001.11.28
 
買取をした本をぱらぱらとめくっていると、ルーズリーフがハラリと落ちた。見てもいいものか悪いものか、ぎこちなく書かれたラヴレターであった。おそらく高校生(♂)→後輩(♀)に書かれたものの様だ。ズバリとは言えず、気持ちを伝える気があるのかないのかはっきりしない文章であったが、その世代にはその書き方が精一杯だったのだろう。私も似たような所があったと遥か昔を思い出した。もらった手紙を本にはさんでそのまま古本屋に売りに来るぐらいだから、気持ちは相手に伝わらなかった可能性、大なのだけれど、わたしには彼の気持ちがストレートに伝わってきた。

2001.11.27
 
「♪相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋 与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛
  だから ありったけの思いをあなたに投げ続けられたら それだけでいい♪」(さだまさし:恋愛症候群)。
 この連休に2組の身近なカップルのゴールインがあった。思う存分幸せになってほしいと願う。その“しあわせ笑顔”を持ったまま店に来てほしいから…。こんな世情になおの事、お金じゃ買えない笑顔やしあわせをほんのチョッピリお裾分けしてもらえれば、私もルンルン。

2001.11.26
 
小学校の時に使っていた自分の教科書が出てきた。思い返せば「片耳の大シカ」を習ってから、しばらくは椋鳩十先生の作品を存分読み漁ったなぁ。
「太郎こおろぎ」「一つの花」(共に今西祐行著)も好きだった。
 当時何を考えていたのか、たくさんの意味不明の落書き…。幼い頃の自分としばし語り合った。


2001.11.25
 
先週は、しし座流星群が見られる晩であった。お店を閉めて自宅に帰り着いたのが午前2時。駐車場に車を止めてから天を仰ぐと、長い長い流れ星が1つ見られた。あれから一週間、私のささやかなお願いは叶うその兆候すらまだ見せない。「お願い」3回言うところを2回にまけてもらったのがいけなかったのだろうか?

2001.11.24
 
今日夕方、店の前をふんどし姿の若者たちが通り過ぎていった。鹿児島大学学生寮、対岳寮の伝統行事で『街頭ストーム』なるものである。21世紀になってもまだ引き継がれているとは思わなかった。当時寮生だった私自身が、ふんどし一丁でこれに参加したことはなかったが、それでも学生時代の様々な事を一瞬で思い出すことが出来た。古いものを引き継ぐというのはやはり大事な事なのだろう。本にせよ何にせよ…。

2001.11.23 勤労感謝の日
 最近、青年、少年の区別が付き難いと感じる。学生服を着ているのなら何てことないのだが、私服で香水の匂いプンプンだと、歳がよく分からなくなる。
私が迷っているうちにそんなお客さんがアダルト物を手に取ると、決って冷や汗が出てくるのである。

2001.11.22
 
今朝方、入院なさっているお客さんに頼まれて、本を病院に届けた。病室のある4階に行くとガラス張りの見晴らしのいいロビー。ガラスの一角は非常口になっており、そこがぶ厚い透明プラスチックの板で柵がされてあった。平常、人が落っこちない為の物の様だ。でもいざと言う時はどうするのだろうかと想像しないではいられなかった。

2001.11.21
 
いよいよホームページを開設いたしました!
外は快晴で、ホントに暖かい。そんな中、お店のカウンターに座ってパソコンと向かい合っています。
ホームページをより気持ちよく見て頂く為に。まだ、お見苦しい所がありますが、一先ずご勘弁にただいまして、これから宜しくお願いいたします。