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2004.12.25
 この季節の洗濯物は乾きにくい。湿度こそ低く乾燥注意報が出されていても気温が低い為乾きにくい。合間を見てストーブで乾かしていたがこれまた時間と燃料がかかる。
 昨日そんな時には除湿機が一番!だと教えて頂いた。短時間でしかもカラッと乾くと聞けば男の洗濯であっても試してみたくなる。

2004.12.22
 「昆虫の載った図鑑みたいなのはありませんか?」とおばあさんがいらっしゃった。小さいお孫さんへのクリスマスプレゼントの様だ。クリスマスプレゼントを何かうちの店の本で、と言う事はここ数年なかったが、うちの本に限らず新刊でもクリスマスプレゼントにするのは減っているのだろうか? おもちゃやゲームが主流なのかも知れない。
 そのおばあさんの図鑑はそれっぽい包装紙で包んであげたから、お孫さんが喜んでくれたら嬉しいなぁ。

2004.12.21
 クリスマスプレゼント(?)と称してお客さんから“ゴジラ”シリーズの録画ビデオを頂いた。早速ながら仕事をしているが、あの俳優さんが出ているのかぁ、とかあの人も歳をとったなぁ、とか不純な部分で映画を見ている事に気付いた。
 SFや特撮の映画をそんな風に見るようになったのはいつからだろう。たぶん20世紀から21世紀へと変わるところ辺りからじゃないかと思っている。

2004.12.19
 概念として「日曜日は動きが取れない。」と思っていたが、近くにある中央郵便局に行けば、夕方5時でも郵便を受け付けてくれるし、ATMも普段の様に作動している。何時からそう言う制度になったか思い出せないがさて置き、いざと言う時に何かしら動く事が出来ると言うのは商売上有難い。

2004.12.18
 今週は韓国の大統領と韓国のスターが鹿児島にやって来た。日常生活自体にはだから何と言う事も無かったのであるが、店の前の道路でそのとばっちり(?)を受けた人がいた。
 厳戒態勢を引く為、普段見かけない程の警察車両がどこそこは知っている。店の前でパトカーに止められた1台の単車があった。どうやら整備不良だったようだ。こういう状況(厳戒態勢)じゃなかったら、捕まるのはもっと先の話かひょっとしたら…。

2004.12.17
 「“大根の晃”と言えば亡くなったうちのとーちゃんの事だ。」と豪語するお客さんは桜島に住んでいらっしゃる。桜島大根作りの名人だったお父さんの自慢話を聞かせてもらった。大根の種は門外不出だった事、計算が出来なければ良い大根が出来ない事、大きな大根の部位によって一番美味しい食べ方が色々違っている事…。
 鹿児島に来て永らく経つが、桜島大根の事はあまりよく知らなかった。

2004.12.16
 最後に舞ったのはお札だった。押し合いへし合いで無数の手が伸びる。そんな手の間をするりと抜けて地面に落ちたお札に次は手も足も伸びる。1本の足がガンと踏みつけてそのまま動かず、もう誰も手を出せずにセレモニーは終わった。
 「今日棟上式をやるからよかったらおいで。縁起物だし…。」とお客さんのお誘いを受けた。“エンギモノ”という科白につられて指定された場所に行ってみると、すごい人だかりが出来ていた。私は屋上からばら撒かれたお菓子や小銭を少々頂いて帰った。

2004.12.15
 学生服のポケットの底に残っていたカスで喫煙がばれたのは、そのお客さんが旧制中学2年の時。バケツ2つを持たされて職員室の前に立たされたり、廊下掃除させられたのがその時の罰。
 他校の女生徒にラブレターを渡したのが学校にばれて停学1週間を食らったり、ニワトリ2匹を盗んできて悪友達と鍋を囲んで酒を酌み交わす…。むちゃした旧制中学の頃が一番楽しかった、としみじみおっしゃられた。

2004.12.14
 ここ2,3日鹿児島地方は群発地震が続いている。グラグラッとくればやっぱりドキッとするしいつまで揺れ続くのだろうかと一瞬考えてしまう。そう言えば何年か前にも割りと大きくグラッと揺れて本棚から本が落ちそうになるのを一緒に押さえてくれたお客さんがいたっけなぁ…。

2004.12.13
 お客さん曰く、「もらった時はハラ立つし、出す時は偽もんじゃないかとドキッとするし。まだまだ使いづらいなぁ…。」とは新しいお札の事。

2004.12.11
 ご来店のペースを考えれば、店にいらっしゃるのはもうそろそろ今年はこれが最後かな、と思える人がボツボツ出てきた。第1号はおばぁさんだった。「少し早いですけど“よいお年をお迎えください”。」
 これでもう少し日が進むとだんだんとセリフが増えてくる。“今年もお世話になりました。”“来年もよろしくお願いいたします。”…。

2004.12.10
 93歳で1人暮らし。祝祭日以外はヘルパーさんが家に介護にやって来るとは言え1日24時間べったりというわけではない。1日の内1人でいる時間も結構長い。足腰がめっきり弱まり倒れたら起き上がれない。先日はそんな状況で12時間台所で睡眠をとり、そのまま用便も足したという。ご老人の1人暮らしはこう言う事か起こり得る。

2004.12.9
 「夜分にすいません。うちの母が隣の病院に入院してて、母の“杖”を持ってきたんですけど、夜間の通用門が閉まっててその杖を渡せないので明日まで預かってもらえませんか?」と頼まれた。お安い御用だが隣は(大きくはないが)救急病院のはず、夜には通用門も閉まるのだろうか、と思った。
 考えてみれば、最近となりの病院にはご老人の入院が多いと聞いた事があったので、たぶん徘徊防止の為に厳重に戸締りがなされているのだろうと想像してみた。

2004.12.8
 ちょっとサボり癖のある高校3年の彼にも就職の内定があり、4月からは社会人!と張り切っている(?)。“だから”と彼は言う。社会人になったら遊べないので今のうちに遊びます、と。だからスキを見ては学校を早退してブラブラしている。
 「まじめにしないと学校から連絡が行って就職内定取り消されますかねぇ…?」と私に聞かれても何とも言えない。まぁもーちょっと〆て生活した方が良いとも思うし、社会人になったら遊びが制限されるのも事実なので、今しか出来ない事をやっておくのも手だが、少なくとも遅刻・早退は極力避けた方が言いに決まっているが、今の彼には遊ぶことオンリーで聞く耳などはない。

2004.12.7
 「最近腰が痛いし寒いからなんか適当に見繕って本を持ってきて…。」と電話がかかって来た。高齢化社会を向かえこう言う事に対応する事も必要だなぁと考えつつも、まだ体系だって対処はしていない。
 “なんか適当に見繕って”という所が曲者で、適当に良かれと思う本を持っていっても結局は「この作家はあんまり好きじゃない。」と来るから、この作家のこう言う本、とある程度指定された方がこちらとしては動きやすい。

2004.12.6
 早朝の散歩は欠かさないおばあさんがいる。暑かろうが寒かろうがそんな事お構いなしに、1時間半の自分の散歩コースを歩くのが朝の日課。ここの所の朝の冷え込みは厳しいが、それでも昇ってくる朝日に向かい挨拶すると何だか元気が出てくるとおっしゃる。そのお陰かどうか判らないが風邪1つ引きゃしません!と断言されたのは妙に説得力があった。

2004.12.5
 今日は12月らしい(?)寒さが戻ったが、昨日は台風崩れの低気圧のせいで12月とは思えないほどナマ暖かく蒸し温い1日だった。そんな昨日の異常気象の事をお客さんと話していると、「うちの子が大きくなる頃に地球は残っているかなぁ…。」とおっしゃった。想像するとぞっとする未来予報である。

2004.12.3
 お客さんがお探しの辞書がある。稀覯本という物ではない。そこら辺にありそうな一般的な漢和辞典だ。「まだこないか?まだ入ってこないか?」としょっちゅう聞かれ続けて久しい。仕方がないので、大学受験が終わった人が売りに来るかも知れません、と逃げてみると「それはいつだ?」とくる。受験が始まるのが早い人なら推薦で12月頃じゃないですかと答えると「じゃあ12月まで待つ!」とおっしゃって帰られたのは今年の春の事。12月ぐらいに出始めるかも知れません、と幾度となく言い訳し続け、とうとう12月が来てしまった。「旺文社 高校基礎漢和辞典」。

2004.12.2
 そう言えば11月下旬に屋久島に登山に行くとおっしゃっていたお客さんが今日見えた。山頂からの眺めはさぞかし見事だっただろうとその話に水を向けてもいつものように食いつきが良くない。不思議だなぁと思ってみているとどうも足をわずかに引き摺っている様に見えた。どうしたのですか、と尋ねると屋久島登山で滑ってじん帯を傷めた、との事だった。
 普段から足を鍛える訓練には余念がなかった方だけに、「弘法も筆の誤り」という事があり、それが事故というものなのだなぁと感じた。

2004.12.1
 店の場所を電話で尋ねられて出来るだけ簡潔丁寧に、また目印になる建物を紹介しているつもりであるが、そのお客さんらしき人が10分立っても1時間立っても現れないと、もしかして自分の説明が不十分で迷っていらっしゃるんじゃないだろうか、店に来るのを諦めたんじゃなかろうか、と不安になってくる。不安になったからと言ってこちらから連絡する手段はないし気を揉む事この上ない。
 「すぐに迎えなくて…。」と言いながら店に入ってこられた今日はホッとした。

2004.11.30
 この冬に備えてインフルエンザの予防接種を受けた。看護婦さんに「この前はいつ受けられましたか?」と聞かれたので、しばらく思い返してみて「たぶん小学校のとき以来です。」と答えたら苦笑いされた。 
 本当に久しぶりに受けた注射はたいそう痛いものであった。

2004.11.29
 前もって聞いてはいたが、随分長い事顔を見なかった人が突然店に顔を出した。アルコール中毒の治療でその関係の病院に入院していた為に店で顔を見る事がなかったのだ。気のいいおじさんで酔っていても人に危害を加えるような事は決してなかったが、それでも同じ病院にいた症状に重い他の人の地獄の話を聞かせてもらった。
 人間の行くような病院じゃない様子だが、苦しんでいる人は増えるばかりだそうで、特に若い人が増えつつあると言う。どこでも気軽にお酒を買えるようになれば当然そう言う結果も生まれよう。

2004.11.27
 DVDプレーヤーのリモコンが壊れたお客さんの相談を受けた。例えば洋画のDVDを見ようと思っても言語の切り替えが効かずに、英語の音声に英語の字幕スーパーが出るという症状で、外人じゃあるまいし見ていても面白くない、と言うものだった。
 DVDプレーヤーごと買い換えるか、リモコンだけ新しい物に換えるか、それとも勉強して英語ペラペラになるか…。

2004.11.26
 「もぉちょっとこう官能的な外人のヌード写真集ない?」と尋ねられた。ここで「ん?」と思うのは“官能的”と言う部分。“セクシー”とか“官能的”という言葉のニュアンスは、私とお客さんとでは全く違うかも知れないので、“官能的”と言う部分について逆にこちらが聞いてみた。より嗜好品に近い写真集などはその中身が気に入るか気に入らないかが難しい。それより以前に自分の嗜好を言葉で説明するのは難しい。

2004.11.25
 初めてのお客さん(たぶん…)に「あなたは几帳面ですね。」と言われた。何を根拠にそのような考えが思いついたのか全く判らないが、“几帳面”などという言葉を頂いたのは初めてだったので、ただのお世辞と思いつつも、ただただ恐縮するばっかりだった。
 小学校の時の家庭科の先生に「ずぼらやなぁ。」と言われてからこの方、その“ずぼら”を直せずにここまで来てしまったと思っているのに…。

2004.11.24
 2,3ヶ月に1度店にいらっしゃっては書籍代の領収書をご所望になる。毎回の事なのでこちらも宛名は覚えている、のつもりであったが、今日はそのお名前を間違ったまま気づかずに領収書をお渡ししてしまった。「名前が違うよ。」と指摘され慌てて見てみると、別のお客さんの名前と足して2で割った名前を書いてしまっていた。なんともお粗末で恥ずかしい話であった。

2004.11.23
 世の中に許せないものはたくさんあるけれども、“1度濡れた本”というものもなかなか許す事は出来ない。ページもくっついていない、読む事も出来る、なのにページ全体が(あるいは一部が)波打っている本という物は、出来ればなかった事、見なかった事にしたい。
 読む事が出来ると言うのに湿気で波打ったと言うだけですばやく見分けられ、断られる本たちがとても悲しい。とても悲しいけれども私にはどうする事も出来ない。

2004.11.20
 何をやってもダメな日は何をやっても裏目に出るし、これはもう仕方のない事で、どう足掻こうがもがこうが底なし沼のようにズブズブと足をとられて行く。こういう時は何も考えず流されるままに行こうと思うが、そうしていてもいたる所に落とし穴があって、1つずつ丁寧に落ちてゆくような感じがするので、もうそうなると笑うしかない。

2004.11.19
 1週間に1度程度の割合で店にいらっしゃっては数冊の文庫を買って行かれるお客さんが、どうしたわけか今回はサイクルが随分短かった。ついこの前いらっしゃったばっかりだ。「ひょっとして前に読んだ同じ本を買って行ったから読み終わるのにこんなに早かったんじゃないですか?」と恐る恐る聞いてみると、やはり1冊はダブって買って行ってしまってた、との事だった。
 本当に1冊だけがダブっていたのかどうかは定かではないが、そういう場合はなんとなくこちらが申し訳なくなる。前回の清算の時に「あっ!この本は前に読んでいらっしゃいますよ。」と言えてたらかっこ良かったのに…。

2004.11.18
 夜中に店を閉めてさて帰ろうと車の所に行くと、1台の客待ちタクシーが塞いだ形で止まっていた。すいません、と挨拶して車に乗り込みエンジンをかけるとそのタクシーがバックをし始めてくれたので、やれやれと思っているとカチャンと音がして、そのタクシーがバス停にぶつかっていた。私が悪いとは思いたくないが、私は悪いのだろうか…。

2004.11.17
 ある一定期間の間に探している本が出てくる確率は…。あらゆる事象に確立という数字は付いて回るのかもしれないが、その算出方法は簡単なものばかりではないだろうし、フィフティ・フィフティで探求書が出てこないならば待ってられない、と言うのも殺生な話になってしまう。フィフティ・フィフティと思って釣りに行く人はいるだろうか…。

2004.11.16
 来週は屋久島の宮之浦岳に登るご予定のお客さんがその前にと本を買いにいらっしゃった。宮之浦岳のてっぺん付近はもう冬だそうで、それなりの装備が必要になりそうとの事だった。
 山を甘く見ずにそれなりの装備の準備してまで、そしてそれを身に付けてしんどい思いをしてまで登りたい、と思えるのだからそれはすばらしい魅力が登山にはあるらしい。「家に無事帰り着くまでが登山です。」の言葉が校長先生みたいで印象的だった。

2004.11.15
 歩く時に靴の紐は気にした事がないが、お客さんによってはそれが時として重大な問題であるらしい。例えば蝶々結びをした時にどっちのわっかの結び目が上に来るかで、歩けなくなるほど気になる事があると自身の話をしてもらった。そんな時は前に進まず結びなおすようで、ちょっと神経質すぎるんじゃないかなぁという感じも受けたが、それでも納得出来ない事には立ち止まって納得の行くまで先には進まない、という姿勢がそのお客さんらしく、靴の紐がほどけていても先にズンズン行き、挙句に自分の紐を自分で踏んで転んでしまう私にとって良い人生の教訓となった。

2004.11.13
 「私が売りに来た事は息子には内緒にしておいて下さい。」と念押しされた。家の中を片付ける段階で息子さんの本がいい加減邪魔になったのだろう。息子さんが来られても言いません、と約束はしたが、何も知らない息子さんがまた同じ本を買って行かれるかも知れませが、その時は言って上げた方がいいですかねぇ、とお母さんに確認してみると、「そん時は売りつけてやって下さい。」ときっぱりおっしゃった。
 自分の知らない間に集めた本を売り払われるのは、息子さんにしてみれば結構ショックだろうなぁ。親子喧嘩の素である。

2004.11.12
 いいと言う人もいれば、(値段が)高いと言う人もいるので、少しだけ時間とミーハー心を作って鹿児島中央駅ビルに出来た観覧車に乗ってみた。確かに料金は高くはあるが、頂上に達した時はそれはもう高い。
 習慣にはしがたいが、それでも料金の高さより頂上の高さの方が経験として軍配を上げたい気がした。

2004.11.11
 「棟上式をするから来なさい。」とよばれた。もう少し先の話ではあるが「お金をまくから…。」と言われれば心が躍る。そんな棟上式に立ち会ったことは今まで一度もないしそんな場面を見かけた事もないので、まずどんな雰囲気かが想像付かずワクワクである。
 縁起物だから日にちなども選ばないといけないだろうし、まかれる方は普段着で行っていいのだろうか? せめてネクタイは…。などと考えている内に「とっくの昔に終わったョ。」という事にならないようにまずはマメに連絡をとろう。

2004.11.10
 店よりも普段は遠い所に住んでいらっしゃるので見かける事はない。店に寄る事があるとすればそれは特別な事があった時に限る。店に来て頂けるのはありがたいが、特別な事があったという証拠なので手放しには何とも喜べない。
 その特別な事とは、隣の病院に“入院”していると言う事である。見た目にはそう悪くは見えないし、歩いて店までたどり着けるので、お医者さんに言われて致し方なく念の為、と言う所があるのだろうが、それでも人の入院を歓迎するには少々抵抗がない訳ではないからだ。

2004.11.9
 ブイブイ言わせていた話を、一昨年ぐらいまではかっこよく話していらっしゃったロマンスグレーのお客さんが、どこが痛いだの調子が悪いだの人間ドックで引っ掛かっただの、自分の調子の悪さばっかりを一通り話して帰って行かれる事がここ最近めっきり多くなったのが何となく悲しい。

2004.11.8
 「面白そうな本だけど字が小さいなぁ…。」と言われてもちょっと困りもんである。活字の小さい大きいは私ではどうにもならない。別のお客さんで文庫をA4サイズまで超拡大コピーし、赤線を引きながら読んでいらっしゃる人を知ってはいるが、“字が小さい”とお嘆きのお客さんに「拡大コピーすればいいですよ」と言う手はなかなか薦められない。コピー代だけで本が何冊も買えてしまうだろうからだ。

2004.11.7
 黴の臭いやゴキブリのフンの臭いが気付かない内に染み付いてしまっているんじゃないかと思い、お香に目覚めていろいろな香を買って来ては、火を付けてその香りを楽しむ様になった。最初はお線香の様な匂いだけが鼻につき、店で焚くのはもうやめようかとも思っていたが、ある程度習慣化してしまうと、その煙の中に香りの違いを感じる事が出来始めた。そうなると今までのバニラ一辺倒では物足りない。ココナッツや別な種類の香を買ってきて、その日によって、その時間によって違う香に火を点す。お客さんからのクレームはまだない。

2004.11.6
 褌を締めて太鼓を叩き、「ワッショイ!」の掛け声と共に街中を練り歩く。21世紀とは思えない光景だが、鹿児島大学の農学部の寮生が毎年行う伝統行事だ。始まりは詳しく知らないが、少なくとも私が寮生の時には、すでに当たり前の年中行事として君臨していた。これを機に寮長の世代交代があり、彼らにとってはとても大事な行事なのだ。

2004.11.5
 「“読書感想文の書き方”の本はないですか?」と尋ねられた。最初そのお客さんの言っている意味が分からなかった。読書感想文に書き方も糞もなく、ある本を読んだ感想を書くのであるから全くのオリジナルであるはず、下手だろうと人にどう思われようと自分の感じたまんまを書くのが“読書感想文”だと思っていたからだ。手本を見て書いたとしたら、それはすでに自分のものではない。そう思いながら、いわゆる“文章の書き方の作法”の本を薦めたらひとまずご納得頂けた。

2004.11.4
 店の前の道路から車のホイールが外れた様な音がした。軽い気持ちで様子を見に行くと遠くにバイクが転がっていた。その中間ぐらいの歩道上に人が倒れている。横断歩道でない所を渡っていた人にバイクがぶつかったようだ。それにしても被害者もバイクもえらい遠くまで飛んでいった感じだった。歩道のポールで頭でも打ったのか、血が流れピクリともしなかった。
 被害者・加害者のもとに救急車とパトカーがサイレンを鳴らして近づいて来た。師走は静かに近づく…。

2004.11.3 文化の日
 文化勲章を貰ったお客さんに話を聞いた事がある。貰ったらもらったで大変な出費らしい。まずモーニングを新調された、同伴の奥さんの着物を新しく見立てられた。祝ってくれる方々が催される会に出席せねばならない。皇居から自宅に帰りついたからといってめでたしめでたしではない。お祝いを下さったかたがたに“それなり”のお返しもせねばならない。「もらうものではない。」とまではおっしゃらなかったが、それでも色々と大変な事が多そうな体験談だった。

2004.11.2
 綿ぼこりの存在の意味が判らない。なぜ綿ぼこりがそこにあるのかが判らない。綿ぼこりがどうやって誕生するのかが判らない。“綿”と言うからには服の繊維とかが集まって出来るのかとも思うが、隅っこにある綿ぼこりは結構な量である。それだけの繊維が服から落ちたとすれば、服にポッコリと穴があいてもいい筈である。なのに服がどんどん磨り減っている様子はない。
 永遠にほって置いて服と同じ重さの綿ぼこりが集まったとすると、タンスから服1着がまるまるなくなっていなければおかしいと思うのである。

2004.11.1
 毎月納品来る営業の人が換わる事になった。これまでは話しやすい人だったので割と何でも話せたが、今度の担当に人は今時の若い人で、よその会社の事ながら、話しやすい話にくいの前に、長続きするだろうかと心配してしまった。

2004.10.30
 夕方に見えた桜島がとってもきれいだった。夕日に照らされ赤く染まり、その稜線までくっきり見える絶景だった。ここんところの桜島は大人しい。噴煙どころか水蒸気さえ上がっているのを見なくなった。それでも本棚の本にホンの僅かずつ灰が積もりたまっていくのはなぜだろうか…。

2004.10.29
 「キャベツが高い!」と大学生がこぼしていた。今や1個が500円である。それを置いているスーパーも大変だろう。キャベツを切らす訳にも行かず高い仕入れを余儀なくされる。当然売値が高くなり(半分に切って売ったとしても)、それが売れれば何ら問題はないが、高すぎると売れ残る。古本と違って“鮮度が命”だと売れ残ったものをいつまでも置いておく訳にも行かない。そうまでして仕入れても“高い!”とこぼされているのである。

2004.10.28
 「あぁした天気になぁれ!」と靴(下駄)を蹴り飛ばして遊んでいるのを見ない様な気がした。靴を投げ飛ばせば誰に当たるか分からず危ないし、道路に飛んで行った靴を、拾いに行った所に車が走ってきたりしたら命が何個あっても足りない。
 「蹴り飛ばした靴が上向いたら晴れ」だとか「夕焼けがきれいだったら晴れ」だとか言う余地がなくなってしまったのは、そんな事はしなくても気象衛星が雲の動きをしっかり捉えていてくれているからだろう。迷信の様な“お天気当て”は過去の遺物となってしまった。

2004.10.27
 夜流しているタクシーの運転手さんがいつもの様に店に立ち寄られた。素人考えではこれから年末に向かい、掻き入れ時だと思いきや今やそんな事はないという。
 そう言えば夜中に歩いている酔っ払いを見なくなった気がする。夜になったら家に帰るシンデレラか午前になっても残業するシンデレラか…。

2004.10.26
 “黒糖焼酎”と言うのがある。戦後米軍に占領された奄美諸島ではお酒、酢の類は全部自家製だったらしい。占領下で全然物資が入って来なかった為だと教えて貰った。日本に復帰してその“黒糖焼酎”にも税金がかけられるようになり、米麹を使うことを条件に税率が決まったのだそうだ。

2004.10.25
 帰り際にボソッと何を言うかと思えば、「最近生きる事に疲れた…。」ときたもんだ。平常からあまり元気のないお客さんだったので一瞬ドキッとしたが、「何を言ってるんですかぁ。」と笑ったらニヤッと笑われた。
 あれが何かのサインではないかと今ごろになって色々と考えているが、でもまだまだ大丈夫だろう言う確信の方が今は強い。

2004.10.23
 今月の携帯代(取り置き分)でパチンコに行くかどうか悩んでいる人がいた。「どうですか、勝ちますかねぇ?」と私に聞かれても何とも返事の仕様がなかった。「絶対勝ちますよ!」とは言えない。勝つかも知れないし負けるかも知れない。勝てば“官軍”で私は感謝されるが、負ければそそのかした張本人という事になってしまう。
 「人に聞くぐらい迷っていて自身がないならやめといた方がいいですよ。」といって一応は止めたが、それでも行ってしまったかどうかは分からない。

2004.10.22
 チンチン電車の駅が道路の真ん中に立っている。車に乗っていて信号待ちなどで停車していると、運転席の横に駅が来る感じだ。駅を眺めていると電車待ちをしている中学生くらいの男の子がハードカバーのごっつい本を熱心に読んでいた。電車を待っている時間を惜しんで本を読む人の姿を久しぶりに見たような気がする。今どき熱心に何かを見つめていると言えば、携帯電話と相場が決まってしまった感があり…。

2004.10.21
 髪を切りに行ったら、カットしてくれるにぃちゃんがやたらとしゃべるにぃちゃんだった。別に不愉快という訳ではなかったのでこちらも応じていたが、聞かれるばっかりではつまらないので、美容師になったきっかけや、仕事で大変な事など古本屋では知らない様な事を聞かせてもらった。とりあえず薬品を扱っていると怖い。

2004.10.20
 「これ上げますから直して下さい(直ったら上げますよ)。」と高校生がMD本体をくれた(?)。もらったのは良いが小さいし、昔のカセットデッキみたいに口(?)がガバッと開く訳でなく、MDが入る程度にちょこっとしか開かないので中がよく見えない。
 中が見られた所で直るような簡単エレクトリックな代物ではないだろうし、叩けば直った電池とモーターのカセットデッキが懐かしい。

2004.10.19
 「台風が来そうですね。」を挨拶代わりに使うことが今年は多い。学校も臨時休校が多そうでカリキュラムのやり繰りが難しいのではないか。明日影響を及ぼしそうな台風23号には“超大型”という冠詞が付いている。前回22号では看板を飛ばされたので今日の内から看板を片付けたが、今の所風雨は全くない。「嵐の前の静けさ」にならなければいいが…。

2004.10.18
 買ったリサイクル券を持って冷蔵庫を捨てに行った。捨てに行ったと言うより引き取ってくれる運送会社に持って行った、と言う方が正しい。使い捨て時代だからもっとごった返しているのかと思いきや、テレビが2台先に置かれているだけであった。こんなものかなぁと思って尋ねて見たら、冷蔵庫に関しては夏にいっぱい出るとの事。
 冷えの悪い冷蔵庫が捨てられると言う事なのだろう。この時期の冷蔵庫の持ち込みは少ないらしく、手続き自体はスムーズに終わった。

2004.10.17
 確かにベストセラーと言われた事があったとしても、その時に日本国民の全員が読んだという訳ではない。たとえ“ほとんど”の人が読んでいたとしても、まだ読んでいない人もいるのである。と言う理屈は頭では判っていても、やはりかつてのベストセラーは安売りの本棚のしかも隅に追いやってしまっている。そんな本が売れる度に、まだ読んでいない人(2度目かも)も居たんだなぁと感じるが、3匹目のドジョウはさすがにまだ現れない。

2004.10.16
 昭和30年代にアメリカのラスベガスに母子で行き、スロットルをやって一発目5kで300j引き当てた話を聞いた。本当かどうか判らないので話を信じるしかないのだが、1j=360円時代にアメリカに行った話だけでもすごいと思う。
 そのスロットルの大当たりで半生分の運を使ってしまったのではないか、と余計な事を言ってしまった。

2004.10.15
 前日は何ともなかったのに、布団をかぶって普通に寝たつもりが、朝起きたらノドが痛かった。肯定はしたくないがどうやら風邪を引いてしまったようだ。風邪をもらった心当たりがあると言えば、2.3日前にかぜ引きの高校生と長くしゃべった事と、ここ数日急に冷えるようになった事だろう。
 古本は引き取っていても人さまの風邪は引き取らないつもりでいたが、まんまと押し付けられた。

2004.10.14
  「いつか使うだろう‥」と思ってしょうもない物でもとって置いて溜め込んでしまう方だが、「1年経っても使ってへんモンは絶対使わへんよ。」と言われ、そう言われればそう言う気もするなぁ、とばかりに色んなモノを捨てた。
 ただ本に関しては一概にそう言う訳にも行かずひょんな時に、あれはどうだったかなぁ…と思い、1度気になったらどんどん気になり始め、結局は確かめずには居られなくなるものなので、いつ気になりだすか分らないたった1行の為に、何年もページを開いていない本は残され続けている。

2004.10.13
 近くにコロッケ屋さんが出来ていた。そういう冒険は普段しないのだが、あまりにも美味しそうに見えたので買ってみる事にした。いろいろな種類のコロッケがあり、選んでから揚げてくれると言い、こちらも”揚げたて”が実感出来、あちらも歩留まりが良くなると言う一挙両得のシステムにちょっと感動した。沢山の中から選んだの基本のノーマルコロッケ。他にエビフライなどもチョイス出来る様だが、まずはお試しのつもりでコロッケ1本に絞った。
 アツアツも美味かったし、冷めても美味しかった。お箸でコロッケに穴を空け、その穴めがけて薄口醤油をかけ、炊き立てのご飯の上に乗っけて食べるのが私には最高のご馳走だ。

2004.10.12
 目にも筋肉の働きが係わっているので、ある程度は使って鍛えておかなければいけないのだろうか。仕事に就いている時は伝票とにらめっこ。そんな目を使う仕事から離れて、目の筋肉使わなくなったらすぐに目の機能が低下した。とお客さんが言っていた。今ではメガネが手放せないのだそうだ。
 目も足もアゴも頭もあまり甘やかしてばかりじゃいけないようだ。

2004.10.11
 鹿児島県は南北に長い。離島を含んでいるからだ。沖永良部に住む友達がいう事には、まだセミが鳴き短パンにTシャツで十分なのだそうである。海水浴もまだ出来るかも知れない。今年は台風の通路に何回もなっているので農作物などずいぶん被害が出たそうだから実際の生活は大変な所もあるだろう。それでも行って見たいなぁ、と感じさせるのには、まっ青な海と空があるからに違いない。

2004.10.9
 「○○さんが新曲出したらしいでぇ。今度のもエエらしいわぁ。」「えっ!ホンマかいなぁ!! わしあの人の曲大好きやねん。はよ聴きたいなぁ。」という会話が交わされていたのかなぁと想像する事がある。
 現在の歌手の事ではない。モーツアルトが新曲を発表する機会に立ち会えた人たちは必ず居ただろう。ファンの会話も現在とたいして変わらないものだったのだろうか?、と。

2004.10.8
 夏の忘れ物だろうか、隣のマンションで花火をしている光景を店のカウンターから眺めていた。ずいぶん肌寒さを感じるようになった今ごろにする花火は清んだ光を静かに出している様で、どことなく物悲しさを演出してくれる所が面白かった。

2004.10.7
 独身時代に買い漁ったマンガを集めなくなった理由の1つは“転勤”があったから。そしてもう1つは、それまであった“自分でもマンガを書いてみたいと言う情熱”がなくなったから。
 保険屋のお客さんの、若き日の夢と機動力がそこにあったのかと知ってしまうと、くたびれた現実が遠のいて見えた。

2004.10.6
 隣の郵便局に荷物を出しに行ったら、そこの局員さんに「台風の被害には会われませんでしたか?」と聞かれた。この前の台風21号の事だろうなぁ、と思いつつもその時点では話の中身が見えず、中途半端な返事しか出来なかった。
 「風で看板飛ばされませんでしたか?」と聞かれてようやく話が見えた。「はい!風で飛ばされてどこに行ったか分かりません。」と答えた所、ご親切に飛ばされた看板を郵便局で預かって頂いていた。作り直しを覚悟していただけにすごく嬉しかった。郵便局はお金だけじゃなくて看板も預かって貰えました。

2004.10.5
 過ぎた夏の置き土産として、お客さん所の扇風機の掃除を仰せつかった。お風呂に漬けておいて洗ってそれから直すのには腰が痛すぎるとおっしゃるので、じゃぁ僕がしましょうか?と言ったら、2つ返事でお願いされた。そこの所がチと誤算だったが、受けた以上は仕方ない。やらせてもらいましょう!

2004.10.4
 現実逃避というか、古き良き時代へタイムスリップするには人によって色々な方法がある。あるお客さんはウルトラマンのビデオを引っ張り出し、テレビの“色合い”などをいじくり調節してわざわざ白黒テレビにし、しかも当時放送していた時間帯にひざを抱えて観る事でそれが出来ると言う。
 白黒テレビ…。確かに古き良き時代に戻れそうだ。

2004.10.3
 「むかし親父が言った、『どうも人間には五分の魂があるみたいだ。』と。でも本当にそうかどうかは僕には判らない。」と初老のお客さんが話し出した。『魂はあるのかないのか』という話からの流れから、唯物論の話になり共産主義・資本主義の話までつながる講義だった。カウンター越しにしていたこの話を他のお客さんはきっとびっくりしたに違いない。話の内容と声のデカさに…。

2004.10.2
 使っている冷蔵庫の調子が悪くなった。今や生活に欠かせない冷蔵庫。これを買うのはいとも簡単で、お店屋さんに行って気に入ったのを選び、お金を出せば手に入る。
 ところが古いやつを処分しようと思えば、これが結構ややこしい。まず市が引き取ったり回収したりしてはくれないご時世となっている。いわゆる“リサイクル法”と言うのがあって、それに従って処分するには時間とお金が結構必要となって来る。テメエは古本を扱っているくせに、自分の中にある「捨てればいいや」と言う感覚を捨てなければいけないのが一番大変だ。

2004.10.1
 大学生で確か今はまだ夏休みの筈。たとえ大学で授業があったとしても帰りに店に寄るのはたいがい昼下がりがほとんど。そんな大学生が今日は朝イチに顔を出した。まぁいつ来て貰ってもかまわないし、私がどうのこうの言うものではないけど、それでもあれ? と思った。
 会計時に話しをして笑ってしまった。友達から授業が始まるメールが届いたので、慌てて朝早く起きて大学に行ったら誰も居らず、学生係に聞きに行ったら授業は週明けからとの事で、単に“くたびれ儲け”のニセ情報メールだったと判明した。その偽情報メールを送って来た友達自身も間違って大学に来ていたらしく、2人でため息をついていた光景が目に浮かび私は笑ってしまった。

2004.9.30
 ヒョロヒョロと台風がこっちに向かって来るとは思わなかった。ちょっと風が強いかなぁと言う程度で、まぁ大丈夫だろうと大して気にもせずに普段通りに店を閉めて帰った。
 明け方近くになって暴風雨となり、住んでいるビルがゆれ始めた。何もなければいいがなぁ、と祈る気持ちで店に来たら看板の一部が飛び去って影も形もなくなっていた。飛んで行った先で看板としての役目を続けていてくれれば良いのだが…。

2004.9.27
 本のご予約と言うか、探しておいてね、と頼まれた。まぁ本についてはすでに見つけてあり、あとはご来店をお待ちするだけだったが、昔の古傷“ムチウチ症”がひどくなり首に輪っかをかけ安静を医者に言いつけられた、本はキャンセルしておいて下さい、と今朝お電話があった。
 「もう見つけてあります。」とは言えなかったが、大好きなお客さんなので早く良くなってほしいし。

2004.9.25
 朝イチから探求書の問い合わせの電話が鳴った。声の感じは若そうな女性であったが、探す岩波文庫のタイトルはお堅い物だった。ともあれざっと探し、お尋ねの本があった旨を伝えると後ほど取りに来られると言う。どんなお客さんが来られるか興味本位で楽しみにしていた。現れたのは20歳そこそこのケバイおねぇさまだった。ご自身が読まれるのかどうかまでは判らないが、単純に「人は見かけではないんだなぁ」と感じた。

2004.9.24
 先日就職試験を受けた高校生が結果を知らせに来た。結果はOKという事で聞くこちらもホッとした。就職の難しい時代にたいしたものだなぁと思った。試験のすぐ後にも来ていて、面接の様子などを語っていたので余程自信があったのだろうと思っていたが、それはイコールよほど調子の良い事を言ったのだろうと、彼の性格を少しは知っている私は思ったのだが、調子の良い事を言い過ぎると現場に仕事についた時に労使双方にギャップが生じはしないかと新たな心配が出て来た。

2004.9.21
 この連休前に鹿児島中央駅横に新しく駅ビルが完成した。てっぺんには大きな観覧車が回っている。この観覧車、夜になるとその骨組みを利用してイルミネーションが花開く。これが様々な模様を描き出し、しばらくはぽーっと眺めていて飽きない。活字に疲れたら空を仰いで電子の花火を拝むとしよう。

2004.9.20
 いつの間にやらどこからか子猫が1匹店に入って来ていた。赤い首輪をしているのでどこかの飼い猫が散歩に来たのだろう。お弁当の“肉じゃが”の肉を少し取り分けて目の前に置いたが、匂いを嗅ぐだけで口は付けなかった。よっぽどいい物を食べさせて貰っているか、キャットフードで育ちお肉の美味さを知らないかのどちらかだろうか…。しばらくすると店を出て行った。

2004.9.19
 活字が小さくて最近目がショボショボするのは歳のせいかなぁ…、と言われても「そうですか」とは答えられない。それはお客さんに対して(肯定しては)失礼と言うももあるし、“目がショボショボする”というのが自分の経験としてないので、どういう状態を指すのかを全然判ってないのに、テキトーに相槌など打てないからだ。それは歳を重ねないと判らないものだと決め付けている。

2004.9.18
 朝、店に来る途中のどこそこで運動会の練習風景が見られる。まだ緑の残る硬いミカンと卵焼き、金木犀の香りを嗅ぐと小学校での運動会を思い出す。

2004.9.17
 熊本出身のお客さんと話し込んだ。その方の好きだった熊本のお祭りに“ぼした”というのがあるのだそうだ。武者行列に加え、各町内から飾り立てた馬1頭を出し、練り歩かせるお祭りだそうだ。お祭りの起こりは朝鮮出兵に由来すると教えてもらった。それにしても“ぼした”とは変な名前のお祭りだなぁと思っていたら、その由来も教わった。
 “ぼした”は「滅ぼした」の後ろだけを取ったものだそうで、お祭りの起源が戦争ゆえに頷ける理由だった。

2004.9.16
 「いけませんねぇ、本の世界に現実逃避しちゃって…。」と仕事帰りのお客さんがポツリと漏らした。まだ本の世界に逃げ道を求められる人はいい。本とは限らず逃げ道を作れる人はいい。
 ストレスばっかりためて、はけ口や逃げ道を求められなかっただろう人の多くが、新聞の三面記事を彩っているんじゃないかと思える時がある。

2004.9.15
 そう言えば左腕をギプスで固められた若者が、隣の病院の外に出て散歩しているのをここの所よく見かける。やんちゃに見え、歳で言えばハタチに届いていないかも知れない。腕以外は健康そうなので入院生活は本当に退屈なのだろう、と思っていった。
 今日マンガを買ったお客さんとちょっと話していたらそのお兄さんだという事で、退屈している弟さんの為にマンガを持って行くと言う。ただ単に外の空気を吸う為に病院の外にいたのではなく、やっぱり退屈だったんだぁ、と確信出来た。やんちゃ盛りには入院は辛かろう…。

2004.9.14
 口が裂けても「太りましたねぇ。」とは言えない。「昔と変わってないですよ。」とさらりと言ってみても、「そんな事ないんだよぉ。」といいながらポンッと腹をたたいて私の本音を誘い出す誘導尋問を仕向けてくる。「そうですかねぇ、太った様には見えませんが…。ところで―」と必死で話題を変えようと試みてもそうは問屋が卸さない。女性のお客さんに年齢と体型の話はご法度。つかみは髪型や服装の話が無難。

2004.9.13
 朝起きて「さぁ散髪だ!」とバスに揺られて20年来の馴染みの理髪店を目指した。店の前にたどり着いてみるとクルクルの看板が回っていない。あぁそうだった!今日は月曜日!! 散髪屋はお休み。骨折り損のくたびれ儲けとはこの事だ、とお客さんが苦笑い。仕方がない(?)ので本を買いに来た、との事だった。これでうちの電照看板の灯が消えていたらえらい事だった。

2004.9.12
 子供の時に住んでいた家の前に佐保川が流れていて、夏の格好の遊び場だった。半ズボンに草履を履き、手には網を持ってザブザブと川の上流へ下流へと何往復もしながら獲物を追っかけていた。
 捕った魚が暴れた時に網を通して手に伝わってくる振動、ザブザブ、ジャブジャブといった水の音、草履ごしに伝わってくる川砂の感覚、ヘドロの中に足を突っ込んでしまった時のあのにゅるっとした感覚…。思いっきり川遊びをしてみたい今日この頃。

2004.9.11
 来週には就職試験があるからと、今日会場の下見に行って来ると言い残し高校生が店を後にした。うまく行けば来春から社会人。小学生ぐらいの時から店で顔を見ていたので不思議な感じがする。
 それでも考え方や行動は今どきの高校生そのものなので、就職しても長続きするものかどうかちょっと心配でもある。

2004.9.10
 今ではずいぶん親しくしゃべって頂いているけれど、最初からそんな訳だった筈はない。どんな方でも最初は一見さんで、何かをきっかけに少しずつ話してもらえるようになったのだろうけれど、はてさてそのきっかけになったのは何だったのか、どんな本を媒介にしたのかは思い出せない事が多い。と言うより以前に、お客さんに普通にお話してもらっている事が当たり前と感じてしまっていて、昔からそうだった錯角に陥ってしまっているため、きっかけなんて考える事自体普通はしない事となってしまっている。

2004.9.9
 「後でまた来ます。」と伝言されて一旦帰られるのはいいが、その言葉どおりに再び現れるとは限らない。これが結構曲者で、なんか嫌われるような事したかなぁ、とか途中で事故にでもあったんではないだろうか、とか余計な事をいろいろ考えてしまっていけない。人生何が起こりか判らないから予定が変わる事もあろうが、中途半端が困るのは恋愛のそれと一緒で、“待つ身は長い”のである。

2004.9.8
 台風に関した事故で、近所の海岸の浅瀬に建造途中で曳航されていたタンカーが風にあおられ座礁した。それが河口の浅瀬に乗り上げ皮をふさいでいるとのニュースが新聞やテレビで紹介された。それを野次ウマ根性で見に行ったのだが、報道の映像から得られるイメージとはぜんぜん違いとにかく馬鹿デカイ船体がニョキッと置かれてあった。あんなデカイ物を運んでしまう風の力はすごいと思うし、満潮に合わせて船で引っ張ったって人間に動かせるんかいなぁ、と思ってしまった。
 さて置き、沢山の見物人目当てに、出店が立ち始めていたのには感心してしまった。

2004.9.7
 今回はそんなにすごくはないだろうと思って昨晩は店を閉めて帰った。ところが夜半から夜明けにかけて風の音がすごい。幟は大丈夫かなぁ、看板は飛ばされていないだろうかと気をもんだが、その時になっては外に出る方がかえって危ない気がしてそのまんま世を明かした。
 昼過ぎに小康状態になったので開店に行って見ると幟がきれいに飛ばされていた。今日の仕事はその幟を捜す所から始まった。

2004.9.6
 [明日は学校休みだぁ!」とほぼ断言する高校生が結構いた。台風18号がやってくるというので“捕らぬ狸の皮算用”という訳である。現在は風が若干あるくらいで雨は降っていない。明日朝の連絡網どう廻って来るのか? 果たして彼らの命運は…?

2004.9.5
 春から親元を離れて東京での一人暮らしを始めた人と、この夏休みのアメリカにホームステイしに行った人が今日店に顔を出してくれた。特に男が親元を離れれば、食生活がどうしてもおろそかになり、多少なりとも痩せるのが普通かと思っていたが、2人とも見事に肥えていた。
 東京での十分な食料と、アメリカでの本場肉料理を十二分に身に付けて店を訪ねてくれた。

2004.9.4
 夏の終わりを告げる大花火大会が先ほど終わった。店のビルの上に上るとかなりよく見えるので楽して花火を鑑賞させて貰った。思えば去年は中止にだった。なぜかと言うと、その恒例の花火大会に出品するはずだった花火工場が大爆発事故を起こしたからだった。
 花火と共に散って逝かれた花火師さん達は、今日の花火大会を上から見ていらっしゃったかも知れない。もう花火は嫌だと、遺族の方々は耳をふさいで目を閉じていらっしゃったかも知れない。

2004.9.3
 「バイクの試験に落ちたぁ。」という事まで報告に来る大学生。なんと慰めて良いやら判らなかった。確かにあの運転免許の試験問題と言うものは、わざと迷うように作られている気がする。重箱の隅をほじくり損ねるとたちまち不合格。そんな細かい事が現在私自身の実運転に役に立っているかと言うと、それはどうも怪しい。

2004.9.2
 「こんなゾッとする話が好き。」とおっしゃるのは今年92のおばあちゃん。まぁスリラーやホラーだけでなく人情モノもお読みにはなるが、たいがいはベットに横になってお読みになるそうだ。だから重たい単行本は敬遠される。右手に文庫本を持ち左手でページをめくる。そんな体勢で右腕が下になって関節のところが腫れて来たらしい。
 「本を読みすぎてこんなになったんだよぉ!」と文句を言われた。その読書パワーには頭が下がる。

2004.9.1
 お客さんから車の試乗会に招待されたので、開店前にちょっと顔を出してみた。新車発表会だとかで沢山の人が来ていた。並べられた車の中にオープンカーがあったので乗せてもらった。初めて乗るオープンカーに少しドキドキした。
 桜島の灰が降る鹿児島でオープンカーは不向きな所があるのかも知れないが、それでも屋根のない開放感は実にイイ。国道10号の海岸線を走り回れば古本屋という事も忘れてしまうくらいカッコイイかもね。

2004.8.31
 台風が過ぎたからか朝の空気が幾分涼しい気がした。日が暮れるのもだんだんと早くなって来た。毎朝作って冷蔵庫に入れておく麦茶の減りも遅くなって来た。夜のエアコンに肌寒さを感じるようになって来た。夏から秋へ選手交代のお知らせ。

2004.8.30
 奥さんが実家に帰られるという事で、“さぁ羽を伸ばそう”とばかりにニコニコ顔でビデオを買っていらっしゃったのが数日前。あのお客さん(♂)もさぞかし鼻の下を伸ばされただろうと思っていた。
 なんのなんの。奥さんはいったんは実家に向かわれたものの、台風が来ると言う事で早々に帰っていらっしゃったらしい。そうとも知らず準備万端意気揚揚と家に帰ってみたら、居ないと思っていた奥さんがしっかり家にいた。そこで御用。
 こういう台風被害があった。

2004.8.29
 台風16号で今日は嵐である。ここまで風雨が強いのは鹿児島市内では数年来の事ではないか。被害が出ず水不足だけ何とかなれば良いのだけれど…。
♪ドライバーシートまで横なぐりの雨 ワイパー効かない夜のハリケーン…♪
(中村あゆみ:翼の折れたエンジェル)

2004.8.28
 「だって、それだけの本を書こうと思ったら資料集めや取材が必要で、それには膨大な時間と結構なお金がかかるから、1冊1500円とか2000円とか出せば必要以上の情報が手に入るかと思うと安いもんですよ。そう思いません?」なんて台詞は久々に耳にした。「古本でも高いなぁ!」という科白を耳にし続けている最近の金欠社会に於いては、真に女神さまの声を聞いたようで頭が下がった。

2004.8.27
 「今日は開いていますか?」と電話が来る。店を開けてはいるが台風16号の加減で随分風が強くなって来た。夜だしおまけに80のおじいさん。怪我でもされてはと適当に本を見繕って家まで持っていく事にした。割と長いお付き合いなのでお好みのジャンルは大体判っているつもりだが果たしてお気に召すかどうか…。これから行って来ます。

2004.8.25
 一見はこわもての兄ちゃんで、作業着の下からはタトゥーが顔を覗かせる。今日が初めての一見さんだったが、しゃべって見ると明るくて、外見とは違ってしっかりとした喋りをされる。
 現場からの帰りに店に寄られた。このしっかりさはどこから来ているのだろうと思いいろいろ話してみたら、何でも今の会社の親方がしっかりした人らしい。ご本人は19歳、親方はハタチ。仕事に厳しい親方には違いないらしいのだが、“自分自身にも厳しい”親方だからついて行ける、とおっしゃっていた。こういう若者の爪の垢は貴重だと思った。

2004.8.24
 「お墓参りに行ったら、つがいのトンボがグルグル私の周りをまわるのよ。おじいさん、おばあさんが迎えに来たかと思って気持ち悪くなった…。」とおっしゃる80歳のおばあちゃん。おじいさん、おばあさん、お母さんの夢は見ることはあるけれどご主人の夢は不思議と1回も見た事がないという。「口うるさいだけだからお前は来るなっ!」って言ってるんだよきっと…、と言うのには笑ってしまった。

2004.8.23
 私が住む部屋の両隣の人たちとは、すれ違えば挨拶する程度で話し込んだりするほど親しい訳でもない。それでも階下の集合ポストに隣の部屋の人の郵便物などが間違って入っていたら入れなおす。勝手に捨てたりはしない。ましてやよその知らないビルに行って赤の他人のポストから物を拝借するなんて事もしない。それは治安のよい悪い以前に当たり前の事ではないのか?
 ポストに入れられたはずの送った物がその場から消える事が起こると、信頼関係で成り立っているネット販売と言う行為が根底から覆されるので絶対やめてほしい。

2004.8.22
 「掘り出し物はないか?」といっつもせっつくお客さんがいる。よく言う“掘り出し物”とは一体何だろうか? 掘り出し物・掘り出され物の主語は一体誰だろう…? 私なのかお客さん自身なのか? 私が例え掘り出したとしてもそのお客さんの趣味に合わなければ“掘り出し物”とは呼んで頂けない。私がさして気に止めずに店の片隅にほっぽっといた物でもお客さんの食指に触れる物ならば、それはもう立派な“掘り出され物”。
 “掘り出し物”云々を言う以前に、掘り出すのは誰か、という事が要は大事なのではないか?

2004.8.21
 お昼過ぎに買い取った本にちょっと手を加えカウンターの上においておいたら夕方には別のお客さんの目にとまりそのままお買い上げ、お持ち帰り…。これほど効率の良い商売はめったにないが、それでもたまに起こると嬉しいと言うか、あぁこの本はあの人にもらわれる運命でうちにやって来たのね、と中継プレーヤーとしてホッとするのである。

2004.8.20
 「1日2回だけコーヒーを飲めるとしたら何時と何時にする?」と質問された。保健婦さんからコーヒーの制限を言い渡されたお客さんの問いである。10時と8時と思いつくままに答えたが、考えてみるとコーヒーなんて飲みたいときに飲みたいだけ飲んでいる生活をしていると、“1日2回”と言う制約がつけば、確かに時間を決めて大事に飲まなければやってられない様な気がする。酒にしてもタバコにしてもコーヒーにしてもたかが嗜好品、されど嗜好品といった感じである。戦争中みたいな配給制は今や想像出来ない。

 

2004.8.19
 チャバネゴキブリが固まっている。その彼(?)の目線の先には一回り小さなクモがにらみを利かせていた。大きさから言えばゴキの方がデカいし、逃げ足も速い。これはゴキの勝ちだろうなぁ、と思ってじっと見ていた。随分な間両者動かずである。その内気持ちに余裕が出てきたのかゴキの方がちょっと動いたその次の瞬間には、彼はクモの牙の間に挟まっていた。そうなるとどうあがこうが彼は身動きが取れず、軍配はクモに上がった。 
 ゴキが糞をすると本にシミが付く。クモにはせいぜい頑張ってもらって、どんどんやっつけてもらいたい。

2004.8.18
 「1杯飲もうっ!」と真っ昼間に言われた。普段はお酒は飲まないお客さんがたしなむ程度には、と度数の軽いワインを思い切って買ってこられたらしいのだ。買ったはいい物の、果たして美味しいかどうか判らない。だから一緒に味見しようと言うのである。こういう場面は想定してなかったので、あいにく店にはワイングラスは置いてない。了解を得て湯飲みで乾杯した。

2004.8.17
 心霊話を集めた本を読むのがお好きなお客さんだなぁ、と以前から思っていたら、今日お話するチャンスを得た。本当に怖い話の本だけを好んで読まれる女性なのだ。
 お話をして初めて知ったのだが、近所の病院にお勤めとの事。怖い本なんかより、病院に居る方が現実に怖い事が起こるんじゃないですか? と言ったら大笑いされた。

2004.8.16
 同い年の友人が夏休みを利用して人間ドックに入るという。2泊3日の予定でどんな検査をされるのかは当の本人も分かっていないらしく、費用の事を質問しても全然要領を得なかった。
 けど、「人間ドック」という言葉を身近に聞いてしまう歳になってしまったんだなぁ…。

2004.8.15
 彼はどこの大学に進学したのは忘れてしまったが、4月に県外に飛び立っていったお客さんがお盆で帰省していると見えて、今日顔を出してくれた。高校時代はテニスに明け暮れ真っ黒に日焼けしていた彼であったが、すっかり色が落ちた替りにちょっぴり精悍な顔立ちに変わっていた。県外での一人暮らしが彼鍛えたのかも知れない。

2004.8.14
 店の時計のゼンマイを巻いていたらお客さんに笑われた。30年ぐらい前はどこにでもあったような壁にかける振り子の時計だ。このゼンマイ、切れるのが早くしょっちゅう時計が止まる。ゼンマイを巻いてもだんだんと遅れてくるので常に10分ほど進めとかなければならない。まったく面倒臭い時計である。じゃぁ電池の時計に換えれば良いのだけれど、常に正確でほとんど手のかからない時計も味気無いなぁ、と未だ変えるつもりはない。そのくせ「また止まってる!」とブツブツ文句を言いながら時間を合わせ(ちょっと進め)ゼンマイを巻くのである。

2004.8.13
 早めの夏休みを切り上げて今日広島に帰って行った友人がいる。今回は出来て間もない九州新幹線で博多に向かう。子連れゆえに乗りっぱなしの鉄道の方が楽だという噂だが、鹿児島中央駅を出発して30分ほどでリレーツバメに乗り換え博多を目指さねばならない所がまだ面倒臭そうである。博多まで乗りっぱなしになる日が待ち遠しい。

2004.8.12
 「店から家に帰るのでタクシーを呼んで。」とお客さんに言われれば、まずタクシー会社に電話をかけ、店の住所と名前を告げればそれで済む。タクシーが到着するまでの大体の時間を聞いてお客さんに教えてあげればちょっと気が利いているかも知れない。朝飯前の実に簡単な作業である。
 では、聴覚障害のある人にそれを頼まれたら…? 「店から家に帰るのでタクシーを呼んで。」と手話で話し掛けられたら…? ちょっとかじっただけの私の手話の理解力では、タクシーに来て貰えるまで並大抵の作業ではなかった。

2004.8.11
 イカ釣りで船を出してもらうこと1回につき1万円。普通の船釣りなら1回8千円。この差は何なのかというと、イカ釣りは夜行なう。そしてイカを集める為に電灯を灯す。その電気を発電するためにエンジンをかけたままにしなければならない。
 普通の船釣りは明け方とか昼頃だし、電球は点けずにエンジンも切られる。その差がほぼ2千円、という事なのだそうだ。買ったほうが安いなどと不粋な事は言ってはいけない。

2004.8.10
 この4月に定年を迎え、退職に日に店に来られた後どうされているかなぁ、と思っていたお客さんが今日突然店にこられた。ずいぶん日焼けされ、体も引き締まって見えた。その後どうされているかと言えば、第2の人生を幼稚園の園長先生として過ごされているとの事。
 園児と接し、時間があれば園庭の草むしり…。それで体も引き締まるし、日焼けもされていた訳だ。園の経営の事も考えなければならないので楽ではないとおっしゃっていた。

2004.8.9
 今月引越しされる方の話をよく聞く。8月いっぱいで名古屋に転勤されるお客さんなどは、つい1年前に広島から鹿児島にこられたばかりだった。鹿児島には1年余り。鹿児島にこられた当初「桜島の火山灰が降ればすごいですよぉ!」と宣伝しておいたが、この1年余りはとんと降らず、結局降灰を体験せぬまま去る事になりそうだ。いやぁー残念、残念…。

2004.8.7
 尋常小学校を卒業してすぐに福岡にある書籍の卸問屋に就職し、給料はなく、朝から晩まで命じられるままに働き、休みといえば月1回に店の人に連れて行ってもらうレストランでの食事がそうだった。それでも10年勤め続けると資金も含めて暖簾分けしてもらえる。この約束を心の支えにがんばっていたが、数年後始まった戦争とともにそれどころではなくなった話を年配のお客さんから聞いた。

2004.8.6
 大学時代に同じ釜の飯を食い、そして今はその大学で先生をしている友人が夕方店に来た。フィールドワークが多いのか趣味で始め、いまやプロ級のカヌーの為かまっ黒けに日焼けしていた。
 しかし彼も1歳になる男の子のパパ。自分も彼もこうなるとは大学時代は夢にも思わなかった。流れる月日は不思議なものです。

2004.8.5
 朝イチで店にてお会いし、夜になってまた店にて同じお客さんにお会いした。その間は何をなさっていたかと言うと、昼ごろ1時間ばかりお昼寝し、そのあとは1時間毎に真水と塩水を交互に飲み、そして日暮れ頃からまたお昼寝。そして現在にいたる、という訳だ。
 夏バテ防止には水分と睡眠が重要。このお客さんは理想的な夏バテ防止が出来ているように感じる。

2004.8.4
 あのお客さんは絶対飲んベェだと思い込んでいた。今日いらっしゃったのでもらいモンのビールを差し上げたら、俺は飲まねぇと返事が返ってきた。そう言えば店に来られるたんびに缶コーヒーを飲んでおられた。完全に甘党だったのだ。
 甘党・辛党とは一体なんだろうと思う時がある。科学的には何か根拠がある事なのだろうか…。

2004.8.3
 試験がようやく今日終わった、と大学生が晴れ晴れとした顔で店に来た。これから10月まで長い夏休みに入るらしい。バイトを探さなくちゃ、とも言っていた。その学生さんが言うことには、“夏休み”らしい夏休みは小学校以来の本当に久々の行事らしい。夏休みと言えば『塾』、でずっと来たためらしく、今はみんなそれが普通ですよ、とシレっと言ったのには苦笑いするしかなかった。

2004.8.2
 読書から興味を持ち、遺跡の発掘にまで行ったお客さんが教えてくれた。河原跡らしき所の発掘の手伝いをしていたところ、もみじの倒木が埋まっていた。葉っぱは当時のまま鮮やかに紅葉していたそうである。ところが発掘されて空気に触れ、数時間経つともうそこら辺の枯葉と同じ色になってしまった、と教えてくれた。
 きれいな色のまま土中に埋もれたままがいいのか、たとえそこら辺の枯葉に成り果てたとしても日の目を見るほうが良いのか…。

 

2004.8.1
 読書の仕方は人さまざまである。井上靖の『敦煌』を読んで中国の敦煌まで莫高窟を見学に行ったり、同じ井上靖の『額田王』を読んで古代の歴史の興味が沸き、発掘の現場に行って実際に作業を手伝ってみる。そんなお客さんも居られる。

2004.7.31
 7月も今日で終わる。セミもアブラゼミからクマゼミの声がだんだん主流を占めてきた様に感じた。ラジオ体操や夏休みの宿題、絵日記をつけ始めていても7月が終わると、もうあと1ヶ月しかない、と思うよりまだ1ヶ月も夏休みがあると思えるほど、小学生の時の1日は長かった様に思える。

2004.7.30
 奈良を経由して実家から“柿の葉寿司”が送られてきた。しめ鯖、サーモン、鯛。柿の葉に包まれた2くち大のご馳走にしばし舌鼓を打った。柿の葉で包むなんていったい誰が思いついたものか? 葉っぱに殺菌作用もあるとかで○○ンラップより優れものかも知れない。先人はすごい!

2004.7.29
 奄美大島から友達が出張で鹿児島市に帰って来た。昼過ぎに何の前触れもなく突然来て息も付かずに帰るものだから、結局「やぁ!」としか言えなかった。4月に赴任して4ヶ月ほど。とにかく雨がよく降るらしい。高温多湿のせいで車の窓枠にコケが生えたとだけは言っていた。

2004.7.27
 今年大学を卒業して4月から社会人していたサークルの後輩が本を売りに来た。平日のこんな時間にどうしたんだろう? と思いながら計算していた。読み終わった本を処分というより、身の回り整理と言った感じである。雑談の中でポロッと出てきたのは、早くも解雇されたと言う事だった。営業不振の為だそうで何とも言えないが、4月より張り切って働き始めただろうに言葉も出てこなかった。
 だからといって私が何か出来るかと言うとロクな事など出来やしない。気の毒だなぁと思う事と、少しばかり査定に下駄を履かせるのが精一杯だった。

2004.7.26
 お客さんに“塩羊かん”を頂いた。早速コーヒーを入れてそのお客さんと賞味した。甘塩辛い羊かんに少し戸惑ったが、コーヒーと合わせて食べるとこれが結構いける。
 天草のお土産で、その名も『天草塩羊羹』だった。

2004.7.25
 朝店に着いて、さぁと思ったら店のカギ一式を家に忘れて来ていた。そういう日に限ってピーカンだし自転車だし…。座り込んでふぅ〜と思ったがどうしようもない。よっこいしょっと重たい腰を上げ、自転車にまたがってえっちらおっちら家に帰り、カギを持って店へと続く道をまたえっちらおっちら自転車こいだ。朝から一仕事したぐらいに汗だくになってしまった。

    

204.7.24
 近くで夏祭りがあったので何年ぶりかでふらっとのぞいて見たとさ。お決まりのお面やさんや冷やしパイン、焼き鳥にお好み焼き…。お祭りの屋台は昔も今も変わらないんだなぁ、と思ってこれまたお決まりの金魚すくいを立ち止まって眺めてみたとさ。あれっと思ったのは金魚をすくう網(?)。私の小さい頃は紙で出来ている物、という観念でいたが、そこではコーン(アイスクリームの下のやつ)を使っていたとさ。“コーンは硬い”というイメージがあるので楽勝!と思っていたら、あのコーンというものは、水に濡れるとすぐにフニャっとなってしまうし、水を吸って重たくなるくせもので、あっちゅー間に再起不能になってしまったとさ。昔のように簡単にはすくわせて貰えないようだとさ。
 金魚すくいは全国的にコーンが主流になって来ているのであろうか? 皆さんの所はどうですか…?

2004.7.23
 夕方、裏の小学校に樹木園に行って地面を見ると、指一本はいるくらいの穴が無数にあいている。セミの幼虫が出て行った穴だ。その穴を丹念に見ていくと、まさに今夜成虫になろうとするセミの幼虫が顔をのぞかせている事がある。そんなセミの幼虫をそぉっと取り出し、店の網戸に上らせておくと、しばらくして幼虫から成虫への変体が見られる。何十年かぶりにそれを体験した。夏にしか出来ない経験だ。

2004.7.22
 きれいな夕焼けを見た。雲の底を赤く染め、ひこうき雲を赤く染め、青空をバックに夕風をしばらく感じていた。もっと若い頃は同じような風景にただただ「あぁきれいだなぁ…。」とため息をつくばかりだった様な気もするが、最近では「あぁ、明日もピーカンで暑くなるなぁ…。」と余計な事まで感じてしまう現実的な自分が少し悲しい。

2004.7.21
 親指に絆創膏が見える。何事かと思って聞いてみたら何でもないと言う。なんとなく痛いような気もするから指に巻いている。巻いているだけでなんとなく安心出来るのよねぇ…。“お大事に”と言うまでもなかった。
 病は気から、気は病から。

2004.7.20
 毎日こうも暑いと海水浴にでも行きたくなる。どうせならそこら辺の海水浴場ではなく、いっそのこと石垣島とか西表島とか波照間島とか満天の星空の見える所に行きたい。15年前に見た天の川は今も流れているだろうか。
 星たちの長い一生から見れば人間の一生なんて儚いもの。逆に「まだ生きていたの?」と天の川にささやかれそうである。

2004.7.19
 映画館や喫茶店に入っただけで停学になった時代に学生だったお客さんに、一番好きな歌手は? と尋ねたら1番は“美空ひばり”だった。納得、納得!と思っていたら2番目は意外(?)にも“松田聖子”だった。私が中学生の頃にアイドルだった“松田聖子”がお客さんのお気に入りという事が面白かった。聞いていて手放しで楽しめるそんな曲が多いのが気に入った理由らしい。“松田聖子”ってすごいっ!

2004.7.18
 「物増やすのを辞めてぼちぼち身の回りの整理を始めてる。私はもぉ今年限りだから…。」とおばぁちゃんに言われても返事に困る。「私はもぉアカン…。」と幼稚園の頃から30余年言うてはる別のおばぁちゃんも知っているが、まだ健在だ。そう言うおばぁちゃんも居るけど返事には困る。

2004.7.17
 大学生に聞かれて答えを導かなければならないので、坂本竜馬の「舟中八策」について載っている本を尋ねられた。坂本竜馬に関する本を差し出したところ、しばらく読んでいらしたが、結局買って行かれた。
 「舟中八策」に至る流れも知りたかった様だが、それには本当に読み込まなければ解答を得られそうにない。解答が得られなければ、お得意の西郷隆盛なんかへの話へと強引に持っていって胡麻かそうかともおっしゃっていた。

2004.7.16
 最近プラレールにはまっている。小さい頃も遊んでいたが、自分でやるレールの配置は単純なものだった。この年になって色々な知恵(?)が付いて来たのか様々なバリエーションで楽しめるようになった。
 ポイントを使ってループを沢山作ってみたり、2階建ての線路にしてみたり、とやっているとあれも出来るかな、これはどうかな、といろいろ想像が膨らんでいく。プラレールはさすがに凄いおもちゃだ。

2004.7.15
 新潟からのお客さんに書籍を発送し終わった頃、新潟の集中豪雨の災害をラジオで知った。10年前の鹿児島の集中豪雨を思い出した。予想を上回る雨というのが毎年どこかで降っている。
 お見舞いのメールを出したところ、幸い新潟のお客さんの地方は大きな被害になっていなかったらしい。書籍が濡れたりせずに無事届くことを願っている。

2004.7.14
 野球にはあまり興味ないのだが、思い立って高校野球の鹿児島大会の中継をラジオで聞きながら仕事をしている。熱心に聞いているわけではないが、それでも9回表裏までの中には結構ヤマ場があって面白い。
 勝ったチームの歌う校歌が、球場の設備の関係でちゃんとした録音テープで流れるのではなく、選手・応援団がみんな声を負わせてアカペラ(?)で歌っているのが、なんとなく本来らしくって面白い。

2004.7.13
 『コウリャン』と聞いた事はあるし、食べ物だと言う事は知っていたが、じゃあ具体的にどんな物か? という事は言えなかった。中国によく行かれるお客さんに教えて貰った。トウモロコシの仲間だと知ったし、『高粱』と書く事も覚えた。ネットで見たとしても、現物を見るまでは『コウリャン』について知っているとはまだ言えない。

2004.7.12
 フと頭をよぎった。今日ははるか昔に付き合っていた人の誕生日だと。新聞を眺めているとあまり解像度のよくない記事の写真に目が行った。どこでどうしているかと思っていたが、新聞の片隅で元気な姿を見られるとは夢にも思わなかった。今は何年生を受け持っていますか…。誕生日おめでとうございます。

2004.7.11
 期末試験も終わった頃だろうし、夏休みの話でも聞いてみようと切り出したところ意外な答えにこちらがびっくりした。短期海外留学の申し込みを母親にされた、との事であった。カリフォルニア1ヶ月の留学に、思わず「いいなぁ!」と叫んでしまった。
 高校生でそんな経験が出来るとはうらやましいが、当の本人はあまり乗り気でなかった、というより不安の方が先に立っているのだろう。

2004.7.10
 詳しい病名は知らないが、長い期間の入院を終え、通院に切り替わってからも結構な時間がたった。来週お試しで単発の仕事をされる。それが調子よければお盆頃より本格的な仕事復帰をするという。
 苛立ちとも戦ったのはご本人だろうから、本当によかったと拍手した。

2004.7.8
 暑いけれどもクーラーは一切使わない、というお客さんがいた。暑いさなか散歩もするらしい。なぜかと言うと登山を生涯の趣味になさっているから。自然に接するために暑い時は暑いように逆らわず、の訓練らしい。自然の中に身を置く登山では、自然に逆らうとこイコール“死”につながる事があるからだ。

2004.7.7
 全国的にはどうだかよく判らないが、鹿児島について言えば“カラ梅雨”だと言う事は簡単に想像が付く。それくらい雨が降っていない。梅雨に中休みとは言わず、梅雨の夏休みと言って良いくらい長らく雨が降らず、降らないどころかとんでもない位に暑かった。この暑さがこれから3ヶ月以上続くのが怖い。
 郵便屋さんやクロネコの人が暑い中配達して回っているのが気の毒だ。

2004.7.6
 「赤ちゃんの名前の付け方」の本を尋ねられた。でもお孫さんの名前は“隆一郎”とほぼ決まっているらしい。それなのに横からちょっかいを出すのはどうかなぁ…「いまさら別の名前を言わないでよ!」と娘さんにしかられるかなぁ…、と言いつつも祖父の立場としてダメもとで名前の候補を考えるとおっしゃていた。
 ご出産は来月のご予定。残された時間は少ない。

2004.7.5
 期末テスト2日目と言う高校生がいた。夏に千葉から遊びに来るお孫さん用といって服を買って行かれたおばあさんがいた。ポケットサイズの昆虫図鑑を捜し求められたお母さんが居た。夏休みが近い。

2004.7.4
 いい顔をした大学生が来た。最初は女の子目的(?)と言って入ったボランティアサークルだった様な気もするが、京みたいな大雨の日も子供相手のボランティアをしてきたようだ。
 5,6歳頃の子供を複数相手にしていればクタクタになるだろうに、割といい顔をしていた。最初の目的は何であれ、やっぱり性に合っていたサークルだから楽しく活動が出来るんだろーなぁ。

2004.7.3
 学生時代からの友人が店に遊びにきてくれた。臨床心理士の資格を持ち、学校に行ってカウセリングの仕事をしている。今特に必要とされる仕事の内の1つだ。今日会ったら彼女が少し痩せて見えた。食欲がないらしくよく眠れないと言っていた。
 仕事がらいろいろと事件が起きてそう言う状態になったのか、はたまた彼女自身の恋の病か、そこまでは突っ込んで聞く事が出来なかった。

2004.7.2
 おじいちゃんが将棋の本を買いに来た。入門書でいいのだそうだ。どうするのかと言うと、お孫さんとの対決に使うのだそうである。「お孫さん相手なら負けられませんねぇ。」と言ったら、「いえいえ、適当に負けてやらないと大変な事になるよ。」と答えが返って来た。なるほどねぇ。

2004.7.1
 どなたかの電話番号とうちの店の電話番号が似ているのかして、昨日は間違い電話が多かった。出る電話のほとんどが違う人宛のもので、そのたんびにいえ違います、を連呼した。
 しばらくはこんな電話が続くのかなぁと覚悟していたが、今日はいっこも間違い電話はない。そう言えば以前もそんなになかった。じゃぁ間違い電話が集中した昨日は何だったのだろう…。

2004.6.30
 値段だけの事はある、買って絶対ソンはしない、と薦めるのにそれ以外の物を選ぶ。まぁどれを選ぼうとお客さんの勝手に違いないが、どうして薦める物を選ばないのか不思議でならない。絶対自信があるのに…。
 最近では、絶対大丈夫!という言葉に警戒心が強くなって来ているのかも知れない。それだけ色々な所でだまされたり、だまされた話を聞いて来た裏返しなのだろう。絶対!絶対!を連呼すればするほど、相手の心が引いて行きそうだから、薦める引き際に頭を悩ます。

2004.6.29
 時間を忘れて美術全集、画集を食い入るように見つめていらっしゃる。街角に陣取り似顔絵を書いていらっしゃる画家さんだ。絵が好きで好きでたまらない、という状況はこう言う事なんだなぁ、と客観的に感じる。じゃぁ絵が好きで好きでたまらない、感覚そのものを主観として理解出来るかと言うと、それは出来ない。
 歌が好きで好きで仕方ない、車が好きで好きで仕方ない、○○が好きで好きでたまらない。自分にとって好きで好きでたまらない物は何だったけぇ。本を夏目漱石や福沢諭吉としか見ていない気がする今日この頃。

2004.6.28
 娘さんが買ってきたマンガを読むには色々と儀式(?)があって肩がこる、とお母さんが言っていた。まず手を綺麗に洗わなければならない。ページを大きく開いてはならない。ページを折ってはならない。ページを開いたまま本を伏せてはならない等々。国宝の如く扱わなければならない娘さんのマンガ…。

2004.6.27
 数日前より防犯カメラの1台が調子を崩した。前日までは何ともなかったのが、その翌日には映らなくなっていたので、故障した原因が想像つかなかった。寿命と諦めその他の防犯カメラを駆使してここん所を凌いでいたが、どうもイマイチ落ち着かない。かと言って私がカメラの中身をいじくって直るとは思えないし、かえって悪くするのがオチだろうとほって置いた。
 今日気を取り直しもう一度カメラ(の表面に付いているボタン類)をいじくっていると、どうした弾みか電源が入りこれまでの様に店内の様子を映し始めた。このカメラ、すこし早めの夏休みを無断でとっただけと考え、許してやる事にした。

2004.6.26
 甘い匂いのするお客さんがこられたので単純に「甘い匂いがしますね。」と言った。甘い匂いと言っても香水の類の甘さではなくもろ砂糖を感じさせる匂いだった。お腹がグーッとなりそうだった。
 焼き鳥屋のおっちゃんのその体に染み付いたつけダレの甘辛い匂いだった。本のお代は焼き鳥が良かったなぁ…。

2004.6.25
 ちょっと汗ばむくらいの暑さの方が寝やすいです、という人がいた。世の中にはすごい人がいるものだ。ここん所の熱帯夜、クーラーのお世話にならずに寝られるというのがすごい。梅雨明けもまだ遠そうだし、その次には夏が出番を待ち構えている。

2004.6.24
 落として困る物のトップを占めるのは“命”。その次は“ケイタイ”か“財布”に違いない。落としたら大変困る事になるのだが、逆に忘れ物の“ケイタイ”をひらうのも結構困りものだ。
 今朝、植木の所にケイタイが1つ落ちていた。雨も降っているし濡れたらおしまいだなぁ、と初めは軽い気持ちで拾った。ところがその瞬間からどうしたものかと結構もてあますのである。落とした本人は大変困っているだろう事は簡単に想像出来る。持ち主を確定する為に勝手にいじくってはてさて良い物かどうか…。結局自分の中で結論が出ず、一応保管だけする事にした。
 しばらくしてそのケイタイが鳴った。また困るのである。電話に出て良い物かどうか…。勇気を出して電話に出て事情を説明し、結局は本人の手元に帰る事になったので、「めでたし、めでたし」であったが、手のひらサイズの機械にこうも人間が振り回されるものか。

2004.6.23
 「すいませぇん。デパート展でずっと居なかったものですから…。」の言い訳で始まった。昨日までの1週間、朝からデパート閉店の8時、そこから店に帰ってくるまで店を閉めっぱなしで来た。その間どのような人が閉まっている店にいらっしゃったか知る由もない。きっと張り紙を見て帰ったお客さんも多かっただろう。
 「この前閉まってたねぇ。」という話をおいおい聞くことになり、その度に「すいませぇん。デパート展でずっと居なかったものですから…。」をしばらく言い訳にし続けるのである。

2004.6.22
 デパート展初日に毎年いらっしゃるお客さんと今年も山形屋の会場でお会い出来た。こまごまとした会話は全くないが「お久しぶりです。」で1年のギャップが埋まる気がする。
 そのお客さんが古書展最終日の今日も見え色々な本を買って行かれ、「また来年。」でその方との今年の会話を終えた。

2004.6.21
 ただいま開催中の鹿児島山形屋でのデパート古書展。普段店ではお会い出来ないような沢山のお客さんと出会う。古書というからお年を召した方々ばかりがいらっしゃるかと言うとそうでもない。まだ10代と見える人たちが熱心に物色し、決して安くはない郷土史なんかを買っていく光景を見ると、活字文化もまだまだ健在やなぁ、と感じる。

2004.6.20
 ロボットの載った本を抱えて3歳ぐらいの男の子が地面に寝っころがって足をバタバタ。「買って、買ってぇ!」とマンガに出てくるような光景だった。お父さんはどうするのだろうかと思っていたら、その本を棚に返し、泣きわめくその子を抱っこしてさっさと帰っていった。マンガのお手本になりそうな典型的な場面だった。

2004.6.19
 中学生が「だんだん校則が厳しくなっている。校則を破った罰もだんだんきつくなっている。」と言っていた。きつくなってみんな守るようになった? と聞くと答えは逆だった。きつくなればなる程破る人が増えてくるし、罰がきつくなったからといって校則破りの減少にはつながってはいないと言っていた。むしろその逆で反発の後、とんでもない方向へはじける人が多いという。
 税などの締め付けがきつくなれば反発して一揆へとつながる昔の縮図のようである。

2004.6.18
 お客さんの腕を見るとベッタリと傷バンドが貼ってある。どうしたのかと聞くとお腹が痛くなって点滴を受けて来たと言う。先日そのお客さんにスーパーのお弁当を分けてあげた(食べ残しなんかじゃありません)事があったし、こんな季節だからとドキッとしたが、その次の日に死んでしばらくたった貝を料理して食べたそうである。調理前に洗っていると白い液が出て来て、おかしいなと思いながらそれでも食べたというから、おそらくその貝にあたったんだろうと言う結論でホッとした。この時期の食べ物には気を付けないとまさに痛い目を見る。

2004.6.17
 「今日は17日か…。」と思い出したようにお客さんが口を開いた。今日6月17日は“鹿児島大空襲”があった日だとおっしゃるのである。1945年の今日、鹿児島に沢山の焼夷弾が落とされた。防空壕に入らずに逃げたそのお客さんは助かり、生真面目に防空壕に入った人たちは、煙に蒸し焼きにされて防空壕で亡くなった方々だ、との事だった。
 生の体験談は活字よりもインパクトが強い。合掌。

2004.6.15
 昨日来たお客さんがまたいらした。今度は明日までに福岡まで至急行かなければならないという。障害者の弟さんの手術が急に入り、鹿児島の病院から福岡の病院に転送され、手術の付き添いが必要な為、との事だった。
 この人に起こるその他の不運な話を数々聞いていると、1人の人間にそんなに不幸が次々襲い掛かるものだろうか、と思ってはいけない事まで一瞬考えてしまう。

2004.6.14
 現在はぜんぜん使っていない昔の銀行口座に勝手にお金が振り込まれ、4,5日たったら何倍もの利子をつけられて、強い口調の電話で請求を迫られた、という事がありえらいモメた、とお客さんの話を聞いた。こう言う実話を身近に聞くと怖いなぁと思う。
 最近作った口座では起こりにくいそうだが、ある一定期間より昔に作った銀行口座などは口座番号などが漏れていて、こう言う事が知らない内に起こりうるかも知れないのでご注意下さい。

2004.6.13
 えらいミニスカートの若いねぇちゃんが店に来て「お久しぶりでぇ〜す。」なんて言うからドキッとして相手の顔をよく見たら、ほんとにお久しぶりの人だった。彼女を見た一番最近はいつだったかもう思い出せもしないが、確かまだ小学生で小さい弟たちを引き連れて店に来た時だったと思うから、かれこれ何年前になるのだろう。
 若いねぇちゃんが店に来て「お久しぶりでぇ〜す。」なんて言われてドキッとするのも、こういうシチュエーションなら余裕でセーフ!?

2004.6.12
 「山で方向が判らなくなった時は、木を切って年輪の詰まったほうが北」だとか、「上下同じぐらいの丸太は、川に流した時根っこがあった方が川下になる」ということを今日きたお客さんから教えてもらい「ほぉ。」と思ったが、よく考えてみると現在知っていて役に立つ知恵とはあまり思えない。
 学校で習った知識はたくさんあれど、先人からの“知恵”という物をほとんど身に付けていない私たち。電池の+-を間違えず、ボタンさえ押し間違えなければ、たいがい何でも出来る事に何の疑問も抱かない21世紀に暮らす私たち。

2004.6.11
 現在、鹿児島中央駅横にでっかいビルを建設している。その工事の為、仕事でこんな端っこの県に来ているおじさんの現在の住まいは、会社が用意してくれたアパート。来た当初からまさに壁と屋根だけで、他の家財道具の備え付けなどは何にもなかったそうである。当然テレビもない。そんな訳だからおじさんの夜の楽しみは読書。
 「CDプレーヤでもあったら快適なのになぁ。」とポロッと言ったので、店で使っていないCDラジカセを上げる事にした。“上げる”と偉そうに言うほど立派な物でもなく、店の裏でほこりをかぶっていた物だから、そんな物でも人の役に立てばいいかぁ、と思った。
 今日早速感想を言いに来た。おじさんは笑っていた。

2004.6.10
 閉店後、お客さんに連れられて、“鹿児島の味噌ラーメンの元祖”という店に行った。お客さん曰く、その店の一番の売りは「いなり寿司」だそうで、揚げの味付けとラーメンが絶妙にマッチすると教えてくれた。
 深夜過ぎだったので、その「いなり寿司」はすでに売切れてしまっていたが、飲み屋帰りのサラリーマンで満席だった。仕事を終えた後のラーメンはたまらなく美味かった。

2004.6.9
 ずいぶん弱くなって、何かついでがないと店にいらっしゃらないおじいさんが今日見得た。今日の外出のメインは水道代の不足分の督促支払いの為だとか。不足分の金額は92円。92円を振り込んでもらうために、督促手紙を作成し郵送する手間を考えると、92円はすでに越していると思われるが、コンピュータで管理された今の世の中では、例え手間賃が幾らかかろうとも1円の不足も許されない。

2004.6.8
 「イヤー、アセったぁ。国語でせん公があてやがってよぉ…。」とはお父さんの感想。最近の小学校父親参観の風景も変わってきたのか、子供と同じ漢字のプリントを渡され、子供・大人お構いなく当てられ、前に出て正解を書かされたらしい。
 小学生高学年の漢字の授業といっても馬鹿には出来ない。書け!と言われたら一瞬頭が空白になるものらしく、出てくるものも出てこなくなる緊張感を久々に味わいたければ授業参観が良い。

2004.6.7
 原作本が面白いか、テレビや映画で映像となったものが面白いか、それに関して今日は2人から意見を頂いた。どちらも「映像を見るとがっかりする。」だった。原作を先に読んで映像を見るか、映像を見てから原作を読むか、それによって多少変わるだろうが、おおよそは原作本の方に軍配が上がるのではないだろうか?
 と、判っていてもひょっとして面白いかも‥、と思うから結局は映像を見てしまうのかも知れない。

2004.6.6
 ほんとにしばらくお見かけしなかったので、入院でもされたかと心配していたが、何のことはない。静岡県三島市の妹さんの所に遊びに行っていたらしい。遊びといっても足を怪我した妹さんの世話と17年ぶりに会うお孫さん、初めて会うひ孫に囲まれてとても賑やかな2週間だったようで、お土産話をたっぷり聞かされた。
 「でも、1人静かに暮らすには鹿児島が一番!」と聞いて少しホッとした。鹿児島は老人人口のしめる割合が高いので、若い人もこう思ってくれるようになればいいのになぁ…。

2004.6.5
 タイミングが合ったというか、本がその人を呼んだと言うか、それを感じる事がたまぁにある。「これをほしがっていたあの人に連絡が付けばいいのになぁ。しまった、電話番号聞いてへんよ。」と考えている時に、時間をあけずひょっこりその人が現れた日にゃ、本が呼び寄せたんだなぁ、と嬉しくなって来る。
 まぁ、こう言う事は私の人生で滅多にない。大概はワンテンポずれたり、順序が逆だったり…。

2004.6.4
 こうやってその日にあった出来事などを日記に書いているが、出来事はたくさんあれど、実際に何を書くのかネタの選択には困る。まず考えるのは、ネット上に乗るのであるから、悪い意味で特定少数の人に影響を与えるような事はまず省く。何よりそんな事を書いていてもちっとも面白くないし…。
 The pen is mightier than the sword. (ペンは剣よりも強し) とは言うものの、違う意味で“パソコンの文字”がかなり強かったゆえに、結局はもっと強い“カッターナイフ”に物を言わしてしまってはやっぱりいけない。

2004.6.3
 以前店ではよく外国人を見かけたが、旅行途中の外国人を店で最近あまり見かけないような気がしていた。今日いらっしゃったのは中国からの3人。1人は以前に見かけた覚えがあるし片言の日本語だったので、多分日本に住んでいらっしゃるのだろう。残る2人は最近鹿児島にいらっしゃったようで、100%中国語だった。さすがたくましい。最後は日本語で「まけろっ!!」の交渉で締めくくった。

2004.6.2
 朝は大体いつもの時間にいつもの道を通ってくるが、ここのところ毎日同じご婦人の姿を見る。そのご夫人は常に着物を着ていらっしゃり、帯が後ろでキュッと結んであるのが印象的だ。ああしていると姿勢がよく見えるというか実際姿勢がしゃきっとするのだろう。今日みたいな雨の日は着物のレインコート(きっと名前があるはず)なぞお召しになっているのを見ると、女性が良く見えるのはミニスカートばかりじゃないんだなぁ、と感じてしまった。

2004.6.1
 店でかけているラジオに飽きて、ふと思い出して中島みゆきのCDをかけた。その時々で心に引っかかる曲は違うが今日はこれ。
 ♪〜Remember 生まれた時/誰でも言われた筈/耳をすまして思い出して/最初に聞いた Welcome/Remember けれどもしも/思い出せないなら/わたし いつでもあなたに言う/生まれてくれて Welcome/Remember 生まれたこと/Remember 出逢ったこと/Remember 一緒に生きてたこと/そして覚えていること〜♪

2004.5.31
 手塚治虫さんの『火の鳥』を読み直した。そのマンガとの最初の出会いはまだ心が柔らかかった中学生の頃だったので、結構衝撃的で何度も読み直した。その作品を今読み直してみると、この歳になって初めて理解できるコマがそこここに埋もれている事に気付いた。あと、のちの版で出された物の内、少々問題のある(?)コマやセリフが書き換えられている事にも気付いた。差別的と言われれば仕方ないし、どちらがいいという問題でもないだろうが、違和感をより覚えないのは、やはり書き換え前の作品だった。

2004.5.30
 作り置きしておいたシチュウーから、ちょっと変な匂いがするまでの期間が、ずいぶん短くなったなぁと思っていたら、とうとう鹿児島も梅雨入りしてしまった。人間にとっては精神的に参る、しかし微生物達にとっては快適この上ないこれからの季節。せいぜい子孫繁栄にいそしむことだろう。
 気を滅入らせてばかりいると、心の中にまでカビが蔓延ってしまう。

2004.5.29
 ゴルフやマージャンと言うものは、ある意味一種の親睦を深める為に行われるものだとばかり思っていたが、そうばかりでもないという事を教えて貰った。メンバーには色々な人が居り、そのそれぞれの性格が出る競技でもあるので、その勝ち方によっては二度と誘って貰えないような、仲良くなるどころかつまはじきにされることも多々ある、と教えてくれたお客さんは、今はもうゴルフはやらないようである。

2004.5.28
 お守りの人に連れられて、3歳ぐらいの女の子が遊びに来た。見れば目に青タンがある。鼻の頭にも大きなかさぶたが…。本人もお守りの人も「階段から落ちて…。」と言う。ウルトラマンガイヤが大好きとも言っていた。
 見ていると、ジッとしている間のないくらいおてんばな子みたいなので、ウルトラマンごっこをしていて階段を飛び降り、着地に失敗したのも想像出来ない事はないが、こう言うご時世なので100%鵜呑みに出来なかったが、それ以上詮索も出来ない話だった。

2004.5.27
 インターハイ予選が強いのだろう、午前中から真っ黒に焼けた高校生がウロウロしている。自分の試合まではまだ日にちがあり、その日に照準を合わせて自己調整している限りはオフの時間は暇で暇で…、と言っていた。
 下手に練習を詰め込んで怪我などをするよりは、本番までリラックスしていた方が彼には良いのだろうし、逆に本番直前までストイックに練習する人もいるのだろう。インターハイの結果に進学がかかっています、と言ったのが一番印象に残った。

2004.5.26
 世の中で一番強いものは何か? 機能の彼の答えは“みず”だった。水によって作られるものもあれば、水によって壊されるものもある。生命も水なしでは生きられない。従って一番強い、というのが彼の主張だった。
 「じゃぁ、世の中で一番弱いものは何かなぁ?」と聞いてみると、答えに困った彼。「んー、それは考えたことなかったなぁ。」と言ったのでこの次までの宿題にした。
 世の中で一番弱いものは案外“人間”ではないかと私は思う。

2004.5.25
 精神に若干の障害を持つお客さんの発想に感心してしまった。動物で一番強いものは“アリクイ”。「蟻→集団で何でも食い尽くしてしまう。→その蟻を食べる。」からだそうだ。機械で一番強いものは“ネジ回し”。「ネジ回し一本でクルマを壊したり、組み立てたり出来る。」からだそうだ。人間で一番強いものは“赤ちゃん”。「泣いたら誰もかなわない。」からだとか。
 その発想にユニークさを楽しませてもらった。ちなみに全ての物の中で一番強いのは○○だそうだ。(答えは明日)

2004.5.24
 学生風の女の人が2人。とにかくよくしゃべるしケラケラとよく笑うお客さん達だった。冗談で「元気がいいですねぇ〜。なに食ってんですか?」と聞いたら、そこでさらにケラケラケラ。
 理由や事情はともかく、元気のあるのは良い事で、その元気分けて頂きました。

2004.5.23
 久々の五月晴れ。青い空をバックにトンビが飛んでいた。「あっ!コンドル!!」とマジで叫んだお客さんが居た。いくら帰化動物が問題になっているちゅうても、日本にコンドルはおらへんおらへん。

2004.5.22
 孫の為に何かおもちゃを、とおじいさんが店に立ち寄られた。色んなおもちゃを買ってもすぐ壊される、と嘆いていらっしゃった。延べの合計金額まで教えてくださり、庶民感覚で聞いていてちょっと驚いた。
 でも考えてみれば、破壊を楽しむのは何も子供に限ったことではない。大人だって破壊を好み、しかもその規模は段違いにでかい。

2004.5.21
 病院の待合室で順番待ちをしていた。目の前の女の人も順番待ち。そこへおばちゃんがやってきて「あらぁっ!」とその女の人に声をかけてそそくさと隣の席に座った。最初2人はおしゃべりをしていたが、その内おばちゃんは弾丸トークのまま、女の人は愛想でうなずくだけとなってきた。知り合いには違いないがお互いに対する親密度の総量は、結局『女の人<おばちゃん』となっていたようだ。
 「早く私の順番がこないかなぁ…。」という女の人の心の声が聞こえてきた。

2004.5.20
 5月なのに“五月晴れ”を見ない。蒸し暑い日があったかと思うと肌寒い日が続く。ゴールデンウィークからこっちは、とにかくお日さまを見ていない様な気がする。稲は大丈夫だろうか? サツマイモは大丈夫だろうか? と古本屋が心配する。
 当たり前の気候で当たり前の作物が当たり前よりちょっと多く取れないと、去年のように農作物泥棒がはびこってしまう。

2004.5.19
 明日で3歳の誕生日を迎える娘にイチゴのケーキを買ったやりたいから買取してくれ、と言って来た若いお父さん。子供の話をよくしに来るお客さんだし、こう言うセリフを出されると、“子供の笑顔”が私の査定にかかっているんだなぁと少し緊張してしまった。

2004.5.18
 林家ペーさんには遠く及ばないが、知り合いの誕生日を覚えこむのは苦にならない。上手く使えば大変便利な能力に違いないのがだが、とっくの昔の過去の人の誕生日を未だに覚えていて、普段はすっかり忘れ去っていても、その日が来る度に思い出してしまい「今はどうしてるのかな?」と心がチクッとする時が年に何回かある。いっそのこと誕生日も忘れられたらいいのに、と思う時がある。

2004.5.17
 これまでのイメージでは“まじめ”で”硬そう”な感じだった人だったが、一転今日はアイドルの話で盛り上がった。どういう人がいた、誰が好きだったなど話が尽きることなく、やはり昭和80年代の良さを改めて共感出来た。
 何より好きだったタイプが重なる所が妙に好印象で、こういう人だったんだぁ、と発見出来た事が良かった。

 

2004.5.16
 今話題の“海洋深層水”について専門家の話を聞く事が出来た。昔とった杵柄の水産学部としては非常に興味のある所である。まずは“脱塩”。そのままでは塩辛くて飲み水にはならない。これには浸透膜が大いに役立っているらしい。
 よく言われる「分子が細かい」と言う表現も不思議に思っていた。ドルトンの法則、アボガドロの法則からH2Oは海表だろうが深層だろうが変わらないH2Oのはずなのになぁ、と。とにかく「百聞は一飲にしかず。」なのかも知れない。

2004.5.15
 アホな話。朝、店に行こうと思って、自転車に乗り鼻歌交じりで店について、シャッターを上げ、さぁドアを開けようと思ったらカギがない! よく考えたら家に置いてきた。
 またエッチラオッチラ自転車をこいで家に帰った。鼻歌なんか出てくる心境じゃなくなった。

2004.5.14
 スーパーでのバイト先での愚痴を聞いてくださいよぉ、と高校生君が駆け込んで来た。「どーしてアイツに命令されんといけないんですかねぇ、名前だけの“店長”で権力もないくせに…。」
 力関係、損得関係を判断して下手に出るのか見下すのか、その態度を瞬時に決めてしまうのはさすが最近の高校生らしい。

2004.5.13
 「私明日ったから入院します。」と近所に住むおっちゃんが朝イチに報告に店に来た。このおっちゃんは酒好きで焼酎があればOK、主食にしていると言ってもいいほどで、1日24時間の中で酔っ払ってない時間は1分たりともないんとちゃうかぁ、といつも思っていた。でも酒癖が悪いわけではなく、酔っていても穏やかで別段暴れる事もなかったので、普段から普通に挨拶程度はしていた。
 この前お医者に行ったって言うのを聞いていたので恐らく検査結果が出て医者に薦められたのだろう。自分と戦うアルコール中毒の治療に専念するそうだ。

2004.5.12
 私は海外には行った事もなければ、パスポートを持った事もない。昨日は韓国の話をお客さんから聞き始めたのがすでに深夜。気が付いたら閉店が深夜3時となってしまった。韓国のメジャーな観光地の話はそこそこに、裏道・穴場的な話題がポンポン出てくるので、知りたい欲がつい出てしまった私はお客さんが力尽きるまで店に囲って話をして頂いた。さすがに腹いっぱいになった。

2004.5.11
 10年以上前に「森伊蔵」なるものを1度飲ませてもらった事がある。残念ながら味はさっぱり覚えていない。その当時でさえ「手に入りにくいんだぞうぉ。」という前置きがあったもので「へぇー」としか感じなかった覚えはある。
 なにせ20代半ばの事である。いきがったって焼酎の味などわかる筈のない歳頃の話であった。

2004.5.10
 中耳炎はツライ。その昔ダイビングをやっていた関係で中耳炎には2度ほどかかった。なんとなく耳が聞こえにくいなぁと感じながらもしばらくほって置くとだんだん痛くなっけくる。挙句の果てには耳になにか物が触れるだけで飛び上がるくらい痛くなり、そしてやっと耳鼻科の門をたたく。そして完治までには結構な回数病院に通わなければならない。グリグリと綿を突っ込まれ膿みを取り出される。
 ここしばらくは海に潜っていないので耳に水が入ったりする事もなく、中耳炎とはとんとご無沙汰しているが、あの痛さだけは思い出しただけで背筋が凍る思いがする。

2004.5.9
 人が大切にしている物は大事に扱わなければならない、と認識するのは一体何歳ぐらいからなのだろう? 今日はお客さんの愚痴を聞いた。昔っから大好きでお金も相当かけてきたガンダムコレクションを、いとも簡単に壊してしまう3歳の女の子と1歳半の男の子を持つご主人の愚痴だった。腕はもがれるは、放り投げられるは、開けてもいなかった箱はビリビリにされるは…。破壊活動はとどまる所を知らないし、悪い事をしているという認識のない子供を強くは叱れない。
 大事にしている宝物を壊すと相手は悲しむ、という意識が子供たちには当分芽生えそうもない雰囲気で、ご主人の忍耐と寛容とあきらめが先に芽生えそうだ。

2004.5.8
 暇があったら本を読んでいる読書好きのお母さんの為に「母の日」のプレゼントを本にする、と朝イチでいらっしゃったお客さん。すでに読んだ本があるかもしれないけれど…、と十数冊買って行かれた。時間的に余裕があると言う事で、私は包装紙を取り出してまとめて包んでみたがあまり上手には出来なかった。
 貰ったプレゼントの包みを開ける時のドキドキ感を味わってほしかったから上手くいけばいいが…。

2004.5.7
 登山が趣味のお客さんがGWに福岡の彦山に登って来られたそうだ。標高千b強の山ゆえにそうそう重装備ではなかったが、やっぱりなめ過ぎてたかも、と反省の言葉を今日聞いた。
 彦山は勾配が急で、石段を登って行く山だったらしい。それがかえってきついのだそうだ。さすが修験者の修行に使われてきた山だけのことはある。なめた代償として体調を崩し、風邪をひいたとの事だった。
 自然をなめて風邪程度なら全く可愛いが、屋久島での事故のように大切な命を無くす事もある。

2004.5.6
 オーダーメイドのスーツを2着仕立てて貰ったとかで、そのおまけ(?)として1着につき1個、計2個の腕時計が手に入った。2個持っていても仕方ないのでついては1個お前にやる、とダンディーな感じの腕時計をお客さんから戴いた。
 腕時計をする習慣を止めて久しいが、これを機にその習慣を復活させようかなぁ…。今度はいつ店にいらっしゃるかわからない抜き打ちに備えなければならないから。その方が店にいらっしゃった時にその時計をはめてないと、頂いた手前やっぱり具合が悪いし…。

2004.5.5 こどもの日
 帰省先から大学に帰ってきたお客さんが言っていた。「退屈で退屈で早く学校に行きたかったですよぉ。」と。彼の田舎は同じ鹿児島県でも鹿児島市と比べて都市部にある。だから娯楽施設が少ないのは理解出来る。施設がないから楽しめない、ゲーセンがないからつまらない、カラオケがないとどうして良いか判らない…。施設がないならないなりに自分で楽しみを見つける、と言う事が出来ない人が特に若い人に多いように思う。
 “楽しみ”自体は与えられるものでもお金で買うのもでもなく、自分で見つけ出すもの作り出すものであり、その準備過程での費用を支払うものであるように思う。施設がなくても“楽しみ”などいくらでも転がっているはずだ。

2004.5.4 国民の休日
 自宅に帰らない入院患者にとってゴールデンウィークはただ単に退屈なものかも知れない。機能文庫を数冊買って行かれたお客さんが今日もまたお見えになった。聞くとGWだからといって自宅に外泊する人は案外少ないそうである。
 動けても食事に制限があったり、もちろん身寄りが近くにないお年よりも入院されているだろうから、何となくうなずける気もするのだが、健康でない体とは言え、検査やリハビリがお休みであったらご飯を食べてテレビでも見ながらベットでただ時間を過ごさなければならないとすると、その事で精神的が参ってしまうような気がする。

2004.5.3 憲法記念日
 そう言う約束だったので、別段声をかけることなく一見さんのような挨拶をお互い交わした。ついひと月ほど前にバイト先で知り合った子が彼女になったと言っていたので、一度連れて来てよ、と私がお願いした時の条件がそう言う事だったのだ。知っているのに知らんぷりというのも結構疲れる。
 その後、2人で店内をぐるっと回って出て行った。彼が私にこっそり送ったピースがなかなか微笑ましかった。

 

2004.5.2
 本に水気は禁物だが、今朝通った水遊び出来る浅い噴水では5月の曇りにもかかわらずちびっ子達がずぶ濡れで、あるいはすっ裸で水と戯れていた。今さら大人にはおよそ思いつかない遊びに違いない。このクソ寒いのに、と思って通り過ぎるのが関の山だ。
 そう言えば自分が水溜りで遊ばなくなったのはいつの頃からだったのだろう。ダムや泥ダンゴを最後に作ったのは何時だったのだろう…。

2004.5.1
 水産学部の後輩で、社会人となり捕鯨船に乗組員の話を聞けた。インド洋では海賊が出る危険と隣り合わせ、グリンピースも出る。南極まで取りに行った鯨も動物ゆえにいろいろな病気にかかるらしい。規制枠内で捕られた鯨は身も骨も捨てる所0%で処理されるらしい。
 一番羨ましいと思ったのは、満天の星空を見られる事と、なによりオーロラが見られる事。

2004.4.30
 焼酎ブームといわれて久しいが、私自身は飲まないのでどこ吹く風と思っていたが、酒屋で働いているお客さんの話を聞くと、全国的なブームは本当らしい。入荷してもすぐ売り切れ、そして次の入荷は予想が付かないと言う。
 入荷予想が付かないのは古本屋だけかと思っていたらそうではなかった。あれば売れるのにモノがなかなかない、と言うのは古本屋に限ったことではなかった。

2004.4.29
 休みになると教会に行った帰りに店に寄る高校生がいる。おとなしくて無口で学校でちゃんとやっているのだろうかとこっちが心配になるが、それでも運動部に入りもうすでに真っ黒けに日焼けしているところを見るとそれなりに大丈夫なのだろう。
 もともとは無口なのではなく、私のような歳の離れたおっさんに話しかけられてもそら返事に困ってモジモジするわなぁ

2004.4.28
 中国に行っていらっしゃったお客さんにお土産を頂いた。関羽のお面。関帝廟で軍神として祭られる程のお人なのだが、日本で言えば誰にあたるのであろうか? 私個人としては“村田六蔵”かなと思うのは司馬遼太郎さんの読み過ぎかも知れない。銅像はあっても廟まではないが…。
 ともあれ、どこかに行かれたお客さんからのお土産もさることながら、そこでの色々な話を聞けるのが何より楽しい。

2004.4.27
 昨晩の嵐はひどかった。帰りがけ、雨はさほどではなかったが、強風がビュービューとあらゆる方向から吹きつけ、雷がゴロゴロと鳴っていた。自転車に傘をさしながら帰ったのだが、雷が傘に落ちたらどぉしよぉー、などとアホな事にビクビクしながら帰った。左手に傘を持っている時に雷が落ちたら心臓直撃で電気が走るから、右手に傘を持ち替えたりして…。
 濡れただけで無事家にたどり着いた。

2004.4.26
 朝はいい天気だったのに、午後から雨となった。こう言う日はたいがい傘を持って外出はしていないので、店の軒先で雨宿りする人がまま見られる。どうせ忘れ物だからと傘を貸す。「返しに来ます。」と返事を頂いて見送る事になるのだが、ほぼ帰って来ることはない。
 鹿児島の市電内に設置されている傘も、帰ってくる割合は低いそうだ。

2004.4.25
 さぁもぉ帰ろうかなぁ、と思っているところへ「近くにガソリンスタンドありませんか?」と息せき切って店に入ってこられる人がいた。時間はまさに丑三刻である。ふと考えてみたら、深夜営業しているガソリンスタンドが減ってきたような気がする。
 店の向かいのスタンドもマンションに変わってしまう。西日避けになってくれれば助かるのだが…。

2004.4.24
 初デート資金がほしいからと自分の本を売りに来た高校生がいた。精一杯の金額を付けたが、その代金だけではたいしたデートはとうてい出来そうもない。不足分はCDを処分するという。
 初デートでは、昼飯をおごるべきなのか、それともワリカンでいいのか。“To be or not to be.” それが彼にとってのもっかの大問題だ。

2004.4.23
 「この本を売ったのは誰ですか?」と、会計の時に尋ねられた。真剣に尋ねられたのかそれとも何気なく尋ねられたのか、真意が判りかねたし、どういう情報をお知りになりたいのかも判らなかった。
 その本について言えば、前の持ち主さんの名前まで確かに判ってはいたが、本名を教えた所で意味はないだろうし、一瞬でいろいろ考えて、結局は尋ね返した、「どういうことを答えればよろしいでしょうか?」と。
 お客さん曰く、年齢と性別が知りたかっただけらしい。という事でそれに関して覚えていることをさらっと答え、余計な事は一言も言わずに済んだ。本を手放されたお客さんのことは勝手にペラペラしゃべって良い事ではあるまい。

2004.4.22
 珍しく、本当に珍しく朝早く起きてしまった。もう一眠り出来そうにもないし天気も良かったので、自転車にまたがりちょっと散歩に出た。散歩といっても住まいのすぐ近くにある私の母校、鹿児島大学の水産学部キャンパスで、自転車で10分もかからない。そんな近くに住んでいながら構内に足を踏み入れるのは何年ぶりだろう。
 学食に行ってみたり、それぞれの校舎の間を通り抜けてみると、当時好きだった人たちが今にもひょっこり歩いて出てきそうな錯覚にとらわれ、青春の地を訪ねると言うのはこういうもので、しょっちゅうではなく忘れた頃に訪れるのが一番いいのかもしれないと、朝っぱらからおせんちモードが入ってしまった。

2004.4.21
 「飲んだ帰りに寄ったら閉まっていた!閉店時間は何時よ。」と怒られた。天文館で一通り飲んで実際店に寄られた時間を伺うと午前2時頃だったとの事。すいません、夜中1時半頃には店を閉めますから、2時にはもう帰っておりました、と答えて許してもらった。はしごを1軒省略されれば間に合ったものを…。

2004.4.19
 突然ぱったりこなくなった人がひょっこり顔を見せにこられた。ちょっと人の行かない所に行っておられたようで、これ以上は書けない。

2004.4.18
 この20日で会社を辞め(仕事の自体は嫌いではないが上司にいじめられ続けたそうな)、大阪に仕事を探しに行こうと行っていたお客さんが、部屋の片付けを兼ねて不要本を持って店にいらっしゃった。話を聞いていると、そんな本人の決意とは裏腹に、会社の方(上司はどうだか…)では彼を手放したくない様子で、仕事の後始末と称して何だかんだと期日を引き伸ばされている。実はすでにもう1ヵ月ほど引き伸ばされて今日に至っているのだし、次の仕事が見つかっている訳でもないし、案外ズルズルと居続け(させられ)るのではないかと思っている所である。

2004.4.17
 明日は鹿児島市会議員選挙の投票日だ。ここ1週間は声高らかに各陣営の選挙カーが店の前を通り過ぎていった。自分の名前と「ご声援ありがとうございます!」と「がんばります!」と「よろしくお願いします!」と「苦しい選挙戦です!」しか聞こえてこないので、結局何をしようと思って市会議員に立候補したのかよく判らなかった。

2004.4.16
 恥ずかしくて許しがたいが、今日は開店時間が遅くなった。昨日の熱が一晩寝ただけでは下がらず、朝から病院にいって注射を打ってもらった。毎年、春先と晩秋の2回は注射のお世話になる。私にとっての通過儀礼である。だから大して珍しくもないのだが、開店時間が遅れた、という所が結構珍しい。

2004.4.15
 昨日までの雨も上がり、日差しの照り返しで暑いな、暑いなと思っていた。体がポッポポッポとしてき出すし頭もボーっとする。何じゃろかいなぁと思って試しに体温計を取り出し計ってみると38℃になっていた。というのは嘘で熱があることぐらい判っていた。ただそれを自分で認めると挫けてしまいそうだし、ましてや体温計に体温の宣告をされるのは、レフリーに10までカウントされたのに等しい。熱でノックダウンの現実よりは、自分は元気だとだまして店を開けておこう。

2004.4.14
 大学の始まりとともに、サークルへの勧誘も一段落着いて来た所か、この春大学生となったお客さんに聞いてみると"ボランティアサークル”に入ったと言う。動機はと言えば「女の子がいっぱいいるから!」だとか…。
 最初は鼻の下を伸ばして入部しても、案外ボランティアにのめり込んで行くかも知れない。人生何がきっかけとなり、その後の生き方が変わるのか分からないのだから、と信じている。

2004.4.13
 春風邪が流行っている。インフルエンザシーズンはワクチンなしでせっかく乗り越えたのに、家族中が春風邪にやられちゃって…、とお客さんが嘆いていた。。他の地域はどうだかよく判らないが、ここ鹿児島に関して言えば、昼間はエアコンがほしいくらいに暑く、日が暮れると1枚余計に羽織らなければならないくらいに寒い。気温変動に体感がついていかない。

2004.4.12
 今、沢木耕太郎の「人の砂漠」を読んでいる。中に与那国島の事を書いた項がある。沖縄本島よりも台湾に近い最果ての島。私がこの島に行ったのは10年程前。不便な船便の加減でその島には1泊しか出来なかったが、不思議な時間の島だった。
 私よりもずっと前にこの島を訪れ、取材した沢木さんの文章を読んでいると、私自身がもう少し予習をして、もう少し長く滞在していたならば、与那国の魅力にどっぷり取り憑かれていたかも知れない。

2004.4.11
 貯水量を減らしたダムに行き、埋没根などを採集し、乾かた後バーナーで焼き、それをしこしこ削りだし照りを出してからニスで仕上げる。そんなご趣味をお持ちのお客さんに誘われてお宅に作品を拝見にいった。
 いやー、あるわあるわ…。小さいものから大きいものまで、しかも同じものは2つとない。もともと自然が作り出した造形に少し手を加えるだけで見事な置き物に変わる手品に感嘆した。
 お前もやってみろ、と採取したての根っこを頂いた。

2004.4.10
 隣のマンションの垣根の根っこの所に何やら液体をまいた跡がある。誰がまいたのか肥料かどうかも判らないが、その跡に無数のまる虫(ダンゴムシ)がたかっていた。食事をしている気配に目が止まった。
 まる虫を見たのは久しぶりのような気がする。小さい頃は、丸まるその面白さからたくさん集めてその大きさを競ったりしたが、いつの頃からか眼中に入らなくなって久しかった事に気づいた。背が伸びて目線が高くなったからなのか、もっと面白いものが世の中に溢れている事を知ったからなのか…。しばしの間ボーっとまる虫を眺めていた。

2004.4.9
 朝からプチ大掃除で本を片付けていたらホコリがすごかったのでくしゃみが止まらない。“花粉症”ならぬ“ホコリ症”で集中力を欠いた。ホコリにやられていては古本屋は出来ないと思うが、どうせ吸うならそんじょそこらにホコリじゃなくって、正倉院にある由緒正しそうなヤツでくしゃみをしてみたい。
 正倉院ともなるとそのホコリでさえ研究の対象になってそうな気がするが、実際はどうなのであろう…?

2004.4.8
 「この店で1番の本を下さい。」と言われ買って行かれたのはつい昨日の話。今日もまた「この店で1番の本を下さい。」のお客さんがいらっしゃっり同じ要求をされる。
 「今日の1番は昨日の2番という事かも知れませんよ。」と念を押したがそれでも良いとおっしゃる。その言葉に従って薦めるが、何をもって1番とするかが難しい。

2004.4.7
 
何のお店かド忘れしてしまったが、自営業のお客さんがおっしゃっていた。4月1日から内税方式になり、1円単位は切り捨てて表示するようにしたら、1円玉・5円玉の用意をしなくていいようになり、ずいぶん楽になったと。
 たしかに1円玉、5円玉を見なくなったなぁ。結構出回っていると思うが、造幣局に戻る分とは別に、貯金箱の中に入りっぱなしになってしまう物も多いような気がする。

2004.4.6
 私の友達が大学で海の漂流物の研究をしている。彼の対象物は“100円ライター”。かれこれ5千個に手が届きそうな数をコレクション(?)している。日本で製造されたライターのみならず、外国で製造されたライターまで、見分け方をいろいろと教えてもらった。なんの役に立つのか解らないが、とにかく面白かった。何かを研究するという事はそういう所が出発点になるのだろう。

 

2004.4.5
 お客さんで93歳の1人暮らしのおばあちゃんのマンションを日暮れにふらっと訪ねてみた。玄関の前にはデイサービスのお弁当が置かれていた。1人で出かけることはまずないので在宅だろうとピンポンを鳴らすけれども返事がない。2度3度と慣らすがカタリとも音がしない。なんかあったかなぁと心配になるがどうしようもないのでその場を離れた。
 帰り道で思い当たった。耳が遠いのでピンポンなんか聞こえない。恐らく補聴器を外してるのだろうと。でも本当になんかあった時にはどうすればいいのだろう…。

2004.4.3
 出てきたら教えてね、と頼まれている本がある。わかりましたと返事してから結構時間がたつ。私としては(出にくい類の本ではあるけれども)出てきたらお知らせします程度に承り、その旨を伝えていたが、それでもそろそろご自分の寿命と関連した話と(ご自分で)信じ切っていらっしゃるご様子で、「出てこないなら、もぉ諦めた方がいいのかなぁ…。」とまで話が至る次第。「案外諦めた頃にひょこっと出て来るのが古本ですよ。」と言うがあまり慰めにはなってないみたい…。

2004.4.2
 結局壊れてしまったので携帯をやめた。史上で人類が携帯を持つようになったのはここ数年の事。それまでの長い時間、携帯なくとも人間は何とかやって来たのだから、思い切って持つのをやめた。当の本人はすっきり気楽になってよかったよかっただが、逆に周りの知り合いの方が私と連絡が取れず困る事がぽちぽちある事が分かった。

2004.4.1
 店の来しなに保育園の前を通ったら、何やら人だかりがあった。今日が入園式なのかも知れない。お母さんにベッタリの子、泣いてる子、一人で遊んでいる子…。まぁ朝から賑やかそうだった。
 あれをまとめる保育士さんも好きじゃなきゃやってられないだろうなぁと考えつつ、それに引き換え“本”たちは泣かないし、勝手にどっかに歩いていかないし、おやつもいらない。本棚で静かに寝かし付け、いつ現れるとも知れぬお迎え(買い手)をただじっと待っていなければならない。待つ身は長い。

2004.3.31
 電話がかかってきたので取ったらよくいらっしゃるお客さんからだった。何事かと思って聞いてみたら、新しく電話を取り付けたので試しにかけてみたと言うことだった。取りあえず“第1号”の栄光に与れたわけだ。一旦切って逆にかけてみてくれとおっしゃる。この21世紀に不思議な事をおっしゃる方だなぁと思いつつも、知り合いの少ない1人暮らしで、ある意味寂しいのかも知れないと、逆電してしばらくはお話に付き合った。

2004.3.30
 昨晩店を閉めてからの帰り道、思い立って桜並木の公園に立ち寄ってみた。真夜中だったのでさすがに宴会も終わっていたようたが、酔っ払いが寝ていた。
 風邪を引かない保障さえあれば、この時期一番の贅沢な寝床だなぁ、と考えながら帰途に着いた。

2004.3.29
 春は羽化の時期。この前まで詰襟やブレザーに学生カバンだったのに、今日見た時は初め誰だか判らなかった。髪の毛をバッサリ切り、耳にはピアスまでぶら下がっていた彼。外見にこだわって目一杯おしゃれもいいが合う合わないもあるし、何より中身の充実も忘れないで…。
 大学が始まるまであと1週間。

2004.3.28
 古事記の『大和は国のまほろば 畳づく青垣 山籠れる大和しうるはし』から、娘さんの名前を“まほろ”にしたお客さん。高校の国語の先生を長年され、引退された方がそんな話をしみじみとなさった。

2004.3.27
 お店に寄って下さる色々な人の色々な仕事の話を聞くのが楽しい。印刷屋さん、司法書士さん、プリクラ屋さんに歯医者さんの卵に廃品回収屋さん…。どの話も勉強になり且つ楽しいが、いつ聞いてもあんまし面白くないのが公務員さん。出世の話と転勤転属の愚痴がおおかただから。

2004.3.26
 隣のビルの屋上に桜が1本植わっている。毎年この時期になると満開になり、その花びらが車にこびりついて鹿の子模様になっている。“鹿児”島の名の通りだなぁとしばらくは感じられる。

2004.3.25
 春休みに入りバイト先の娘さんに告るか告らないかで高校生のお客さんの心は揺れているようだ。バイト中での会話、メールのやり取り、彼女の一挙手一投足に一喜一憂している状態。
 大して成功したことはないので私の言葉がアドバイスになるとは自身で思わないが、それでも意見を求めて店にやってくる。私の意見のトドのつまりは「ウジウジしててもしゃーないし、言っっちゃえばぁー。」だ。結局はこう言うしかないのだが、これじゃアドバイスにも何にもなってない気もする。

2004.3.24
 40年前の中学生の時にマージャンを覚えた人が言っていた。家族でマージャンをしていると何かと説教になってイヤだったと。やれ「短気を起こすな!」とか「慎重さに欠ける!」とか、「男なんだから“大胆”に行け!」とか…。
 確かにいちいち言われていたらイヤになるなぁ。

2004.3.23
 顔つきがどうも違うブロックの人だなぁと思っていたら、案の定沖縄の人だった。来年の入試に備えて鹿児島大学に説明を聞きにきたらしい。鹿児島に来たいですかと聞けば、来たいです!! と返事が返ってきた。とはいっても来年以降の話なので、「じゃぁ来年ここで待ってますから、合格したあかつきには遊びにきて下さいね。」と締めくくっておいた。

2004.3.22
 お客さんでタクシーの配車係の人に話を聞いた。その方に是非書いといてくれと頼まれたので書いておきます。
「タクシーに乗ったら、何もせずただじぃーっと。何があっても携帯などはいじくらないで下さい。携帯電話の忘れ物が最近非常に多くて対応にも困るし、何より忘れて一番困るのはタクシーに乗ったお客さん本人だろうから…。」と。

2004.3.21
 お客さんからお花を頂いた。結構ごっつい花だった。結婚式だったとかで、そのお土産の花束を持って帰るのが面倒臭いので、店に下さるとの事だった。理由はどうあれ、花には罪はないので有難く頂戴した。
 最近の結婚式は“うちわ受け”と言うか、がちゃがちゃっと固まって騒ぐだけで一つも楽しくない、とこぼされていた。

2004.3.20
 中国からの留学生がお客さんとして来た。友人の彼女だ。大連から来た彼女とは日本語が何とか通じる。考えてみれば中国についてたいした知識もないので、ここぞとばかり下らない事を聞いてみた。
 「中国で一番偉い人は?」「徴兵制は?」「干支は?」「携帯電話は?」「お刺身は?」…。下らな過ぎてそんじょそこらの人には聞けそうもないけれど、でも聞いてみたい事だった。はたして血液型にはこだわるのだろうか…?

2004.3.19
 「机をいりませんか?」と言われた。戦争直後に使っていたという机。アンティークと言うにはほど遠いが、歴史の匂いだけはプンプンと感じる。物を捨てない世代だから21世紀まで残って来たような物だった。
 天板は現代の合板なんかじゃなくて1枚板。50年以上経っているだろうに、物を大切にする精神がバッチリしみ込んだそれには、虫食いすら寄せ付ける隙間は見られなかった。

2004.3.18
 鹿児島中央駅まで英字新聞を買いに歩いていくのが日課のおじいさんは若々しく見えるが御歳を聞いたらビックリすりほどである。そのギャップはどこから来るのか?
 それは肉体と頭脳を常に鍛え、活性化させてるが為と思われる。英語にドイツ語、韓国語…。それらの語学は日常会話には困らないくらいマスターしているとおっしゃられるが、おそらくホントだと納得出来る。とにかく歩く、とにかく文字を読む。

2004.3.17
 昨日は暑かった。暑かったのにえらいごつい防寒の装いをしたお客さんがいらっしゃったので、暑くないですかと余計な事を聞いてみた。答えは一言「暑い!」だった。
 鹿児島中央駅に出るまで電車で1時間半かかる町からいらっしゃったみたいで、そこではまだ寒かったのだそうである。なるほど、だから防寒着。同じ鹿児島県でも晩冬と初春がまだまだ混在している。

2004.3.16
 奈良公園の芝生に行くと鹿のフンがコロコロ転がっていて独特の匂いがする。今日たまたま公園に行ったら、その匂いがして辺りをキョロキョロ見回したが、ここは鹿児島の街中の小さな公園の芝生。小鹿すらいるはずもない。
 あの奈良公園の独特の香りを鹿のフンの匂いだと今まで信じてきたが、どうやら芝生の匂いだったらしい。

2004.3.15
 私の友達が現在付き合っている女性は中国からの留学生らしい。出会ってから約1年。割と仲良くいい雰囲気でやっているようだが、食べるものやものの考え方、風習などにギャップを感じることが多々あるらしく、会って話を聞くたびにのろけとも愚痴とも取れる話になる。
 そうした個々のギャップを個々の愛で埋め合わせ、その相互理解の積み重ねがいつの日か、東シナ海を埋め日本海を埋めて2国間の相違、距離を埋めやしないか。こんな1行や2行の文章で片付いてしまうほど容易なものだったら外交などいらない。

2004.3.14
 去年末からずいぶん長いこと隣で病院生活なさっていたお客さんが今日退院された。それまでお元気だったし、あまりに長い入院なので(その割に重そうに見えない)、怖くてとうとう病名は聞かずじまいだったがそれはそれとして、退屈な入院生活を埋める本を充分に私が提供出来てたかが気になる所でもある。
 なんでも、この退院を一番喜んでいるのは亭主かもねぇ、とおっしゃっていたのが印象的だった。

2004.3.13
 「時刻表ないですか?」と聞かれた。なくはないが古くて役に立ちそうもない。熊本に行く列車の時間を知りたいのだそうだが、今日からの九州新幹線開業で新めの時刻表であっても使えない。ネットで調べながらしばらく雑談をした。
 静岡から来た青年は、種子島・屋久島を見て来たと言っていた。ここ1週間は寒の戻りで、屋久島では雪が降っていたらしい。南国鹿児島をイメージしていただろうに、タイミングが悪かったその青年の目には鹿児島の寒さがどう映っただろうか…?

2004.3.12
 「痛かったら手を上げて下さい。」と言われ、次の瞬間にはメリッ!という音が頭蓋骨に響いたので、「しぇんしぇ、痛いでふ。」と言った。先生はちょっと手を止め、ペンチを注射器にまた持ち替え…。
 かくして、ここまで残して来た最後の“親知らず”が今朝、私から離れて行った。

2004.3.11
 「お久しぶりですぅ〜。」と馴れ馴れしく言われてもピンと来なかった。「あっ、どぉも〜。」とか言いながら頭の中で思い出のページをめくる。思い出す手がかりになりはしないかと適当に話し掛ける。「しばらくお見かけしませんでしたが、今日はどちらからのお帰りですか?」と話を向けると「大学の2次試験の帰りですぅ。」と答えが返ってきた。
 「試験お疲れさまでした!」と送り出したが、その男の子が誰だか結局未だに思い出せない。

2004.3.10
 「この漫画家は昔っから好きなんだけど、全部途中で終わらす所が嫌いだ!」と私に言われても困ってしまう。でも「すいません。」と謝ってしまう…。

2004.3.9
 普段着とは違って今日はネクタイにスーツ。就職面接前のお客さんが店に寄ってくださった。もうどれくらい受けていらっしゃるのだろうか判らないが、なかなか上手く行かない話を聞いていて、なんと返事してよいか毎回分からなくなる。
 私が何を出来る訳でもないが、面接に通うのに役に立てばと自転車を貸して乗ってもらう事にした。

2004.3.8 
 今日のお客さんは本に貼ってあるシールの事をしきりに気にされた。「あのぉ、これこれ剥がせますか?」と尋ねられたので見てみると、値段シールとは違うが新刊の時に貼ってあったバーコードのシールの事だった。確かにこれを剥がすのを失敗すると本体まで傷めてしまう。「出来ません」という訳にも行かないので、そぉっとそぉっと剥がし、きれいに仕上げると大変喜ばれた。気にしない人には全然気にならないし、気にする人にとってはむっちゃ気になる…。本に無造作に貼ってあるシールとはそういう物だ。

2004.3.7
 虫歯が痛み出したので歯医者に行った。舌の感触でも奥歯に大穴があいている感じなので、もう自分の力ではどうしようもないと諦め、意を決して歯医者に行った。10年来かかりつけの歯医者さんなので、幾分かは緊張も解けてはいるがそれでも“歯医者”は気の進まない場所に違いない。
 「あ〜ん」と先生に歯を見せた瞬間には結論が出ていた。最後に残していた『親知らず』が虫歯になっていて道は1つ。「抜きましょっ!」だった。ペンチで引っ張れる『親知らず』の頭の一部分が、かろうじて残っている内に…。

2004.3.6
 「浪人決定!」と明るく言っているを聞いているのがなんとなく辛かった。遊びたい盛りで、どちらかと言うと勉強より遊びに重点があったような3年間の様子を店で見聞きしていたが、それでも“あと1年”はあの歳には永遠の長さに感じられるかもしれない。
 彼の親の期待がとても大きいのも知っている。その期待にどこまで従えば良いのかよく判らないが、押しつぶされる事なく、遊び過ぎる事無くこの1年を過ごしてほしい。まぁ今月いっぱいは遊びまわってもいいとしても…。

2004.3.5
 髪の毛には全然興味はないけど、今日のお客さんの髪型は面白かった。どういう名前のカットだか知らないが、刈上げた頭の横っ腹をさらに短く刈上げて幾何学模様が入っており、ナスカの地上絵かと思ってしまった。

2004.3.4
 “お久しぶり!”と思う事が2つあった。1つは私が小さい頃家で見ていた絵本。結構お気に入りだったはずなのに、そんな絵本が家にあった事すら忘れ果てていて、今日何気なく手に取った絵本のページをパラパラとめくっていたら、中身の絵に自分の記憶を掘り起こされた。
 2つ目は考えたくないから考えずにいたもうこの世にはいらっしゃらないかも知れない、と思っていたお年寄りのお客さん。その方から電話があり(やはり)生死をさまよう様な病気で去年1年は暮れたとの事。ずっと連絡がないものだから、ひょっとしたら…と信じかけていた。来週には店にいらっしゃるようで一先ずホッとした。

2004.3.3
 鹿児島に新幹線がやってくる。トンネルだらけらしいが、そのトンネルに覆い被さった山に作られた住宅・団地に住む人たちが、試運転段階の新幹線のトンネル通過時の振動に悩まされているという記事を新聞でよく見かけるようになった。
 今朝、問題になっている団地に住むお客さんの所に行くことがあり、ついでに振動の事を尋ねてみた。予想に反して何にも感じないとの事。新幹線トンネルの真上に住んでいる人だけに限定的に起こっている問題のようだ。営業開始まであと10日。

2004.3.2
 今年62歳。中国残留孤児で5年前に帰国されたお客さんが久々に店にいらっしゃった。片言の日本語と筆談でしばらく話したが、結局最後は「日本語は難しいです。鹿児島弁はもっと難しい…。」で終わる。だから私の方が「そうですかねぇ、中国語の方が難しいですよ。」と言ったら大笑いされた。お互い母国語意外は難しいという結論。

2004.3.1
 高校の時の卒業式がどうしても思い出せない。体育館の光景や担任の先生がどんな話を最後にされたのか、記憶の断片すら全くないのだ。おそらく数日後に控えていた大学の2次試験の事で18の私の頭は一杯いっぱいだったのだろう。それはそれで仕方ない事だったと今は思ってみても、確かにあった筈のその時間と空間を想い出せないのは、この世に存在していなかった事に近いような気がして、たまらなく残念でならない。
 それとも何かの拍子にひょっと思い出す日が来るのかも知れへんなぁ…。

2004.2.29
 今朝は大雨で、ビチョビチョ覚悟で自転車に乗り、案の定、靴の中まで濡らしながらやっとこ店に着いたのに、しばらくしたら雨は上がり、暖かい晴れ間になりやがった。店と家とを往復するだけの毎日でも、日ごろの行いが悪いとそう言う事になる。

2004.2.28
 弟の住所や連絡先を私は知らないまま、まぁ実家に聞けば判るからいつでもいいや、と思いつつ何年も何年も経ってしまった。従って今日が彼の誕生日の筈なのに、結局何も言えないまま28日が終わろうとしている。こんな兄を許して下さい。元気にやってますか?

2004.2.27
 不思議な事を電話で尋ねられた。「あのぉ〜、“制服”ないですかぁ〜?」と、ご年配のご婦人の様な声。何を想像してどうつなげたら『制服⇔古本屋』になるのかさっぱり解らなかった。制服マニアの息子さんを思う母心から、とにかく手当たり次第に電話をかけたのだろうか…。

2004.2.26
 今朝はよく晴れ渡った。気持ちよさそうなので家のカーテンをガーッと開けた。桜島がさぞかし綺麗に見えるだろうなぁ、と思ったからだ。ところがどっこいなんとなく白っぽく霞んで見える。あらぁ〜、火山灰がこっちに来てるのかも知れないと慌ててドアとカーテンを閉めた(灰が部屋の中に入って来ないように)。
 昼間のラジオで黄砂の話をしていた。今朝の霞みの犯人は、中国からはるばるやって来た砂埃だったのだ。ニィ〜ハオ!

2004.2.25
 私と世代がそう大して変わらないお客さんが今熱心に集めていらっしゃる物のキーワードは“昭和”。もう少し年代を絞ると昭和30年〜40年代、ギリギリ50年代の様だ(お話を聞いていると)。
 テレビが普及しやがてカラーテレビの時代に、白黒写真がカラー写真の時代へ、電気冷蔵庫から冷凍冷蔵庫へと、華やかに夢開く21世紀を予感させるほど日本に勢いがあった時代。“蟻”のままで終わるのはイヤだ!と“キリギリス”になる事を望んでいった時代。

2004.2.24
 おととい、高い所の本を取ろうと思い、椅子の上に台を置いてその上に乗っていたらバランスを崩し下にドッシーンと落ちた。しこたま腕を打ってしばらくは動けなかった。「折れたかな?」と思い、腕の痛いのを我慢してグルグル動かしてみたらまぁ何とか動くので一応ホッとした。
 腕の痛みは昨日には取れて事なきを得たのも束の間、今度は首が痛くなって来た。落ちた衝撃で“ムチ打ち”に似たことが起こったのだろう。まっすぐ前を見ている分には何ともないのだが、上下左右に首をやるとどうしようもなく痛くなる。首の回り難い状態は今日で2日目。しばらく続きそうだ。

2004.2.23
 今日はお客さんに化粧品の解説を聞かされた。“馬の耳に念仏”とはこの事で、ファンデーションがどうのこうのと言われてもさっぱり分からない。その原因は自分が使わないから。自分で使うものであれば当然関心が出てくるだろうし、話を聞いているだけでなくこちらの意見も言えただろうに。いかんせん興味もないものだからフンフンとただ聞いているだけだった。
 「下地にはこれを使ってぇ」とか「まぶたには何とか(忘れた)を塗ってぇ」と、とにかく一生懸命説明している事だけは確かに分かった。

2004.2.22
 月イチ程度の割合で福岡より鹿児島に仕事でいらっしゃる人がいる。鹿児島のホテル滞在中の夜はさしてする事もなく時間を持て余していらっしゃるのだろう。店にいらっしゃるたびに話し込んでいかれる。何でも本業の他に会社の“顧問”も引き受けておられるとか。よく耳にする“顧問”と言うのがどういう仕事をするものなのか昔から疑問だったのでちょっと聞いてみた。「まぁ、会社と会社、仕事と仕事のパイプ役やね。」とのお答えで、納得出来た様な出来ない様な…。
 世の中には色々な仕事があるちゅうわけやね。

2004.2.21
 大学受験のヤマ場第1段が終わり、そろそろ結果の声を聞くようになった。「試験どうでしたか?」と気軽に尋ねているつもりがいけないのかも知れない。「合格しましたっ!」の回答の時はそのまんま普通に会話が続いていくのだけれど、「ダメでした…。」と思いがけない回答をもらうと、天使が通ったような沈黙が流れる。そしてその後の会話がギコギコしたものになってしまう。だったら聞くな、と肉親でもない私が聞くな、と自分でも思うが、受験だったと知っていてあえてその事に触れないのもなんだか変だし…。難しい所である。

2004.2.20
 飲み屋に誘われて飲みに行ったら、お弁当を作ってくれた。そして飲み屋からの帰りに「食べてください。ハイッ!」とそのお弁当を私に差し入れて頂いた。そう言えば、少し前にそのお客さんが店で通勤定期を落とされたまま気付かずに帰られてしまった事があった。何とか連絡をつけて返して差し上げたお礼という訳でもなかろうが、ありがたく頂戴した。

2004.2.19
 先日の“春一番”が吹いた日に、ビルの屋上の温室の扉が飛ばされて、下の車に当たり、屋根とドアに傷が付いた、いつものお客さんが開口一番におっしゃった。落ちた扉が車と車の間に最終的に落ち着き、夕方に気が付くまで、バタンバタンと車のドアを叩き続けた結果、ドアへの傷となったらしい。
 ただいま見積もり中との事で、人生何処で何が起こるかわからない。

2004.2.18
 鹿児島のデパートで今日まで“加賀百万石市”というのをやっていて、それに行ってきたというお客さんが何人もいらっしゃる。その方々が口を揃えておっしゃるには、珍しい物が多い!と言う事だった。
 鹿児島と石川の関係は、明確ではないがその昔に鹿児島の方に養子に来られた人が少なからず居られたとか、西南戦争を機に故郷加賀の方に帰って行かれたとか、なんだかそういう話も聞く。親潮も薩摩を通り加賀に流れて行っている。

2004.2.17
 生まれて初めてしたバイトは“ビル掃除”。契約した会社のオフィスや廊下の床をウィンウィンと機械で磨いてそのあとワックスをかけたりする作業だった。そのバイトを何回かこなすうちに、どうせ綺麗にするんだからとちょっと調子に乗って窓まで拭き始めたら「それは契約に入ってないからやらないで!」と怒られた。契約とはシビアなものだなぁと初めて感じた瞬間だった。

2004.2.16
 薬剤師のお客さんが言うには、今年は本当に「インフルエンザワクチン」をうつ人が多かったそうだ。おかげでインフルエンザにかかる人は少なかったらしいが、その半面で普通の風邪にかかる人が多かったらしい。症状がそんなにひどくならないので医者に掛からず護摩かしている内に本当にひどくなって肺炎にまで達する人が何人かいたとか。
 人間がえらいのかウィルスがえらいのかよく判らないが、人間が弱くなりウィルスが強くなったとは少なくとも言えるような気がする。

2004.2.15
 “あの人”や“この人”がどのマンガを集めようとしているのかは覚えているし知っている。ただし連絡先までは知らない。そんなマンガがたまたま揃いで入って来たとする。「あぁ、この瞬間に“あの人”が店の前を通りかかればいいのになぁ…。」とは思っても、なかなかそう言う巡り合わせにはならない。だから、いつ寄ってもらっても良いように棚に並べて出しているうちに、1冊2冊とだんだん歯抜けになってくる。とうとう残りわずかになったところで“あの人”登場!
 こういうタイミングの悪さは私が悪いのか“あの人”が悪いのかよく判らないが、「もぉ少し早ければ全部揃ってましたのにぃ。」と、何ともしまりのない事を私は言わなければないけないし、“あの人”の「…。」が結構辛かったりもする。

2004.2.14
 学校を卒業して以来、今日貰えるか貰えないかが、ある意味“男としての通知表”の様な気がする。年々減少傾向にあるとは言え、今年の出来高0とは思ってもいなかった。
 今年も「男の留年」が決定した

2004.2.13
 「目当てにしていた肝心な方を置いて来てしまった。また行くから取って置いて!」と電話があった。さっき帰られたお客さんだ。今日はこれだけの本を頂戴、とカウンターの上に十数冊置かれたが、ちょっと多いかなと独り言を言いつつ数冊は戻して会計して行かれた。
 ところが、それこそが本来うちに来られた目的だったとは私の方はつゆ知らず、見送った後本棚に戻し、それからしばらくして電話があったという訳だ。普段はソツのない方なのに、少し寒さが和らいだせいなのかなぁ…。

2004.2.12
 「題名は○×だと思うんですけどありますか?」と、大学生が尋ねて来た。どうもその題名があやふやで、まず題名を確定する所から入るより仕方なかった。と言うのも、大学の講義の中で先生が紹介した本の題名を書き止めたのはいいが、手のひらに書いた為、汗ばんで文字がすでによく見えなくなっていたからだ。
 あれやこれやと検索して何とか書名は確定できたが、その時点でお客さんの方が力尽きてしまった。

2004.2.11 建国記念日
 「スッ、スイマセン!あのぉ、“指輪”落としてませんでしたか?」と、取った電話の向こうで男性の慌てた声がした。実は、レジでお金を受け取る時に「チャリィーン」と財布からお金をこぼしたお客さんがいらっしゃった。はずして財布に入れてあった“指輪”がその際にお金に混じって落ちたものだと、私の頭の中でつながった。きっとそのお客さんだ!
 早速レジの向こう側に行って床をジィーっと見てみると、果たしてそこには…。

2004.2.10
 夜になれば真っ暗な古代では、外敵を恐れつつ夜空を見上げるしかなかっただろう。
 毎晩見ていると不思議とわずかではあるが違って見える。へんだなぁと思いつつ長い期間見ていると、一定の規則があるようだ。そうこうしているとアラ不思議、元の場所に星の位置が戻ってきたようだ。ナイルの氾濫の周期とも関係ある気がする。
 星と星をつなげてみたらなんだかいろんな形が見えてきた。想像たくましくいろんな物語を作ってみよう。古代の人には発見がいっぱい。
 一方、明かりには事欠かない現代人。夜のネオンはチカチカ、携帯をピコピコ。どちらが豊かなのだろう。

2004.2.9
 大学生のパーティが山で遭難に会い、救出されたとのニュースをラジオで聞いた。己を励まし、部員たちの不安を取り除き、生き延びる為に救助を待ち続けたリーダーの精神力はいかばかりのものだったのだろう。
 「吹雪いたらまず動かない事!」 ちょうどタイミングよく店にいらっしゃった登山愛好者のお客さんとそんな話をした。私は山の事はド素人で何も言えないが、今までダイビングをやって来て、同じような事が言えると思った。不運にも潮流に流された時は、それに逆らって陸を目指しても体力を消耗するだけ。力尽きてそのまま…、と言う事になりかねない。動かず流されるままにして体力を温存し、ヘリコプターや船の救助を待った方が生き延びる確率は高い、と教えられた。
 動かず、もがかず。冷静な判断が出来なければ、これが一番難しい事となる。

2004.2.8
 15で矯正の施設に送られ、18で今の彼氏と出会い、両親とすったもんだをやりつつ、妊娠結婚、と波乱に満ちたお客さんをずっと見てきた。たしかにはちゃめちゃな性格だったから、先はどうなるんだろ? と思っていたが、今日は久々に大きくなったお腹を抱えて店にやって来た。
 出産を控えているからか不思議なもので、性格はガラッと変わり、穏やかなそれでいて肝が据わったしっかりした考えの女性に変身していた。昔の友達とも縁を切ったと言っていた。今の方がずっと魅力的でいい。

2004.2.7
 やはり職場の匂いと言うのがあるのだろう。私が今住んでいるビルは大掛かりな外装工事をやっている。昨日は玄関の扉がきれいに塗り替えられた。朝から職人さんが黙々とペンキの刷毛を縦に横に動かしているのを見た。だからペンキの匂いと言うか、シンナーの匂いがそこらじゅうに溢れている。あぁ、これがこの人たちの職場(現場)の匂いなんだぁ、と考えている内に、じゃぁ、私の職場の匂い、店の匂いってあるのかなぁと思い始めた。
 店について深呼吸してみた。無臭のような、いつもの匂いのような…。

2004.2.6
 「俺の頭って便利ィ〜!」って高校生のお客さんが言うから、なんのこっちゃーと思っていたら、マンガを読んでもしばらくすると完璧に忘れてしまうので、また買っても新鮮な気持ちで読める、という事だった。「記憶力ないって事でダメじゃん!」と思わず私が言った後、2人して大笑いした。

2004.2.5
 高校の時の先生が教えてくれた。2月如月は、寒さが厳しく重ね着をする“着更着”。また、春に向かって木々が芽吹き、木の上に木が出来るから“木更木”。
 日々の生活の中では“輝更輝”、“喜更喜”でありたい。

2004.2.4
 サボテンを頂いた。サボテンは寂しがり屋だから話し掛けないと枯れるよ、と言われ、お客さんのいない時を狙ってゴニョゴニョ話し掛けているが、本当だろうか?
 メキシコの荒野にニョキニョキ生えているサボテン。恐らくめったに人は通りかからないだろうし、いちいちメキシコ人が「アミィ〜ゴ!」なんて話し掛けているとも思えない。でもニョキニョキ生えている(イメージがある)。それとも孤独に強い品種なんだろうか…?

2004.2.3
 「太巻きを恵方に向かって無言で食べる。」なんて風習があるとは長い事知らなんだ。うちの実家は関西奈良やったけどそんな事いっぺんもした事なかったなぁ。昔からホンマにやってた事なんやろか? と毎年思う。どっかの宣伝につられて、さもどこの家庭でもやってるかのように見せかける商売は古今を問わず多い。要は流されるか流されないかやろ。
 お客さんに豆まきの豆を頂いた。「鬼は外!福は内!」 これは昔っからうちでもやっていた。

2004.2.2
 お孫さんがズルズルと引き出してしまったカセットの修理を頼まれた。高坂順一さんの「NHK中国語入門」のテープだ。当初はまともな物が見つかれば購入するとおっしゃっていた。しかしそう簡単に見つかるそうもないし、ダビングさせてもらえそうな人もいない。そうなればからまりきったそのテープをほぐし、巻きなおすのがダメもとで可能性にかけるのがベストと考え、修理を申し出たが、やってみるとこれが気に遠くなるような大変な作業である事が分かった。でも約束の期日までに何とかせねば…。

2004.2.1
 今日は鹿児島で私立高校の入試がいくつか行われたらしい。そう言えばはるか昔、自分も滑り止めで上宮高校を受験した。問題がやさしかったか、難しかったかはぜんぜん覚えていない。ただ学校がデカかった事と、すんごい人数の受験生がいた事。そうそう、受験会場の上宮高校へは近鉄電車で1時間以上かかる。試験当日は同じ高校を受験する友人と出かけたのだが、ちょうど通勤ラッシュと重なってギュウギュウずめの電車に乗っていったものだから、そんな状態に慣れていない友人が途中で気分が悪くなり、蒼白で座り込んでしまったと言う、他愛もない事だけはしっかり覚えている。

2004.1.31
 『浜』と言う漢字からは、海岸やなんかでも穏かでなだらかな砂地のイメージがあるが、本来は「端間(はしま)」でしかも“岸壁”や“崖っぷち”を表すものだと、地誌を研究なさっているお客さんから伺った。
 私自身で裏を取った話ではないが、聞いていて何が面白かったかと言うと、漢字もながぁ〜く使っている内に、本来の意味とはまったく違った意味・イメージを表してしまう事があるのだ、と想像を広げさせてくれる所だ。

2004.1.30
 終戦をビルマで迎えられたと言うご老人。かくしゃくとしておられ、日課の散歩の途中にお寄り頂いた。戦争中の事、終戦の事、その後投降兵扱いで過ごした時の事、日本に帰ってきた時の事…。いろいろな話を聞かせてもらった。聞いていてワハハと笑える場面のある話では決してなかったが、現実にあった体験談だから今まじめに聞いておかないと。
 かっこいいからと言うだけで、世相がそういう流れになったからと言うだけで、そういう事を再び起こしたいと思わない為に。

2004.1.29
 鹿児島大学はただいま試験の真っ最中。こう言う時は人の動きが変わる。普段見られる顔が見られなかったり、あるいは逆にはじめて見かける人が立ち寄ったり…。
 その人はまさしく初めて見る顔のお嬢さん。数冊の文庫を買って行かれた。「試験中でそんな時間ないって分かっているのに、なぜか本が読みたくなるんですぅ。」と恥ずかしそうに言い残し…。

2004.1.28
 「(この値段で)もぉ少しきれいだったらいいのに…。」とよく来られる紳士に言われた。「状態がこれよりきれいだったら、もぉ少し高く値段をつけますよ。」と私は言った。しょっちゅう話をしているからこそ出来る会話。一見さんにこんな事を言ったら即嫌われてしまう。
 お客さんと私、同じ本について言うにしても立場が違うと、こうも違うものかと後で可笑しくなった。

2004.1.27
 よそと比べればまだまだ寒い所などワンサカあるけれど、鹿児島なりにそこそこ寒い日が続いている。そのせいだろうが、このところ「便所を拝借」というお客さんが多い。生理現象に性別も国境もないので「どうぞ」と言うが、事を済ませてからの店を出て行くまでのしぐさで、なんとなく“人となり”が見えて来る様な気がする。「ちぇっ!貸すんじゃなかった。」とケチ臭い事を思う時もある。

2004.1.26
 本当に久しぶりに会ったのは私の手話の先生。小学校ぐらいから店で顔を見かけるようになり、そうこうしている内に耳が不自由だと言う事が判って、私は手話を覚えようと思い立ち、本を読みつつ、実際に手話を使いつつしている内に、片言ならば会話が通じるようにまで付き合ってくれた先生だ。
 今や彼女も受験生。勉強が忙しいのか、随分長いこと顔を見る事は出来ず、たまにメールで健在を確認する程度だった。そんな感じで今日見た顔は充分大人の顔つきになっていたが、バイバイと手を振って帰って行く時の無邪気な笑顔だけは以前と変わっていなかった。

2004.1.25
 今年最初に「合格おめでとう!」を言えたお客さんが来た。あとは学校の定期考査を残すのみらしく、どことなしか表情も明るい。東京に進学してしまえば、また若者が1人、鹿児島から離れていく。

2004.1.24
 セミプロというか趣味というか、夜の飲み屋からお祭りから福祉事業所などあちらこちらに呼ばれては、ご自慢の喉を披露し楽しませていると言うお客さんA。歌を歌うだけあってさすがにカウンターで私としゃべっている声もデカかった。会計を済ませたい別のお客さんBが、Aさんの背中越しで苦笑いしている。
 Aさんにはそこそこしゃべって満足してもらい、Bさんにはほしい物を手に入れて満足してもらって…。このどちらをも満たすような話に切れ目のタイミングを見計らうのが難しかった。

2004.1.23
 こんな寒い日に、と思って着物の着付けの先生に聞いてみた。「こんな日に着物を着ると、スースーして寒いんでしょうねぇ…」と。すると先生の答えは私の予想に反したもので驚いた。
 下から冷たい空気が入り込んだりしてさぞかし冷えるだろうと思いきや、何枚も重ねてきるから寒くはないのだそうである。暖房器具などもなかった先人たちの時代にブルブルとただ寒さを耐え凌いだ訳はなく、それなりの知恵と工夫を凝らしたのであろうから、ちょっと考えれば当たり前と言えば当たり前の愚問であった。

2004.1.22
 『雪のおもしろう降りたりし朝、人のがりいふべきことありて、文をやるとて、雪のことなにともいはざりし返事に、「この雪いかが見ると、一筆載せたまはぬほどの、ひがひがしからん人のおほせらるること、聞きいるべきかは。返すがへすくちおしき御心なり。」といひしたりこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。』 
 今日みたいに雪が降ると、徒然草のこの段を思い出し、千年前の人々に思いを馳せる。

2004.1.21
 朝6時には散歩に出かけ、ゆっくりとでも時間をかけて市内を廻り、その途中でこの店によって行かれ、本を買った後、ひと講義ご教授下さる70歳を越したお客さんがいらっしゃる。とにかく若く元気!話も豊富!もちろん全部の歯が未だ自分のものらしい。
 金銭的にはどうか私には全く判らないが、「豊かに生きる」という事はああいう人の事を言うんじゃないかなぁ、といっつも思ってしまう。

2004.1.20
 今年初めてお会いするお客さんがバッサリと髪を切られていたので、しばらくは気が付かなかった。はっ!と思って慌てて挨拶する始末…。着物を着られる方なので、髪が長いと結い上げるのが大変だったから、との事。なるほどそんなご苦労があるのか、と話を聞いていた。
 男の私は、髪も長くないし、着物も着る事がないので、そこら辺の不便さは全く判らないし知らなかった。

2004.1.19
 どういう風の吹き回しか、朝一番のお客さんに“刺身しょう油”を頂いた。なんでも、朝どこかで買い物した時に貰った物らしい。有難く頂戴したが、私が鹿児島の醤油にやっと慣れたのは遠い昔の事ではない。
 関西で育った私はもちろん“薄口しょうゆ”で大きくなり、身の底から浸っていた為、鹿児島に来た当初は、とにかく醤油の甘いのに参った。しかも当時スーパーなどに行っても○ッ○ーマンの醤油を置いている所はなく、えらい難儀した。
 今ではやっとスーパーなどにも“薄口しょうゆ”が鎮座するようになり、また私自身も鹿児島の醤油に慣れて大体の料理はちっとも気にならなくなったが、「卵かけご飯」だけは薄口でないと未だ納得出来ない。

2004.1.18
 「来年は就職だから、就職試験の勉強をしないといけないけれど、勉強する気力がないんですよぉ。」と、高校生が言ってくるのはたいして珍しい事ではない。遊びより勉強が好きと言う方が珍しいのかも知れない。
 「全然勉強が出来ないから本当は焦らないといけないけれど、焦る気力もおきないんですよぉ。」と聞いて、“焦る気力もない”という事はどう言う事だろう、と考えてしまった。そんな感じで飄々と生きて行くのだろうか? 今時の彼の言葉を借りれば「呆れる気力もおきない。」

2004.1.17
 1月4日に書いた目の手術をなさったお客さんが朝1番で来られた。動けるようになって本当に一発目の行動だそうで、恐れ多い話である。と言うより、さすが目を使えなかった間がよっぽどヒマだったと言う事だった。ある意味「活字に飢えた」状態で今朝のご来店と相成ったのだろう。
 何より手術がうまくいった事が私は嬉しくホッとした。

2004.1.16
 北海道に本を発送した。仙台より北へは行った事がないので、北海道という所が実際にどういう所なのかは知らない。この時期は雪に閉ざされ、家を出るのもままならない、寒風吹きすさび、流氷ギシギシ、と勝手に混ぜこぜの想像してしまうのは「北の国から」の見過ぎのようだ。
 鹿児島だって、桜島が噴火をドカンドカンしている訳でもないし、常夏の国でもない。やはり冬はそこそこ寒い。

2004.1.15
 教科書や説明書には出てこない、体験からのみ得られる情報というのが結構多い。スタンドに行って「ガソリン満タン!」と言えばその通りになるし、それ以上の事など考えやしない。例えば「もしガソリンに軽油等がちょっとでも混ざっていたら…。」とか。
 スタンドで働いていらっしゃったお客さんがある時、間違えて軽油をほんの少し混ぜてしまったガソリンを車に注入したのだそうだ。どうなったか?しばらく走って突然プスンと止まってしまったらしい。その後は、不純なガソリンをタンクから抜きフィルターを換えてようやく走り出したらしいから、試しにやってみればと、言われたけれど、そんな勇気はこれっぽっちもない。

2004.1.14
 店にくる時に道でバッタリ会って、昼頃来店されて会って、夕方改めてご来店されて…。1日3回も会えばいい加減話も尽きるような気がするが、そこは本好き同士の不思議な所で、話が尽きるどころか私としてはまだ物足りないぐらいであった。
   「浜の真砂は 尽きるとも 世にの 話は尽きまじ」

2004.1.13
 パラパラと「今昔物語」を拾い読みしてみた。山賊が出てきたり、妖術を使うお坊さんが出てきたかと思うと妖怪あり、巨大ムカデあり、熊をも殺してしまう犬神、猿神。人間同士でない婚姻の話もわんさか出て来る。
 およそ21世紀には似つかわしくない話ばかりなのだが、それでも当時の人々の暮らしぶり、楽しみ、そして何に畏怖の念を抱いていたのかがありありと描かれている。
 怖い話は物語の中だけではない、現在起こる現実話の方がよっぽど怖い気もする。「となむ語り伝へるとや」では済まない事ばかりなのだから…。

2004.1.12 成人の日
 近くの病院に入院なさり、度々店にいらっしゃっては数冊の本を持って行かれるお客さんがポツリ。「夜が長いんだけれども、もぉ何を読んでいいかわからない…。」確かにこれまでもたくさん読んで来られたご様子なので、さて何を読もうか、となるだろうし、さりとてこれまで全然読んだ事のない人の作品に手が伸びるという状況でもない。
 そのお客さんが帰った後、その病院で看護婦をなさっているお客さんが今度は来られた。「今日は夜勤で夜が長いのよ。」

2004.1.11
 ここに来て、子供さんから頂戴するお札が3つ折の痕が付いていたりすると、「ははぁん、あれかぁ。」と思ってしまう今日この頃。指宿の“菜の花マラソン”常連の友人から、「フルマラソン、初めて4時間をきった!」とのメールが届いた。

2004.1.10
 今年92になるおばあちゃんはすっかり耳が遠い。店での会話は筆談や身振り手振りで何とか通じるし、たいした話でなければすっとんきょうな答えでも構わない。一番困るのはこちらから電話をかけた時。まず“怪しい者でない私”を聞き取ってもらう所から蹴躓いてしまう。名前を名乗っても、「古本屋です!」と言ってもフレーズが長くなればなるほど聞き取れず、ますます混乱される。
 てな訳で今日来店された際に、電話での最初の合言葉を決めておく事にした。「××」と言えば私からと判る様に…。聞き取りやすそうな2文字は内緒である。

2004.1.9
 「日本の古本屋」サイトからご注文戴く方が鹿児島市内の方だと、見積もりに躊躇する所がある。それは送料。ひょっとしたら取りにご来店されるかも知れない、と言う所も加味しなければならない。
 鹿児島市在住の今回の方はわざわざご来店下さった。その上で当店を初めてお知り頂いた次第である。極端な事を言えば、「日本の古本屋」サイトからご注文頂いたのが隣のマンションにすむ人だった、という事も起こりうる訳で、地元なのにパソコンを通じる事によって『近くなのに遠い店』が完成してしまう事は防がなければいけない。

2004.1.7
 ここがいいよ、と人に教えられ珍しく初詣に行かれた客さんの話。パンパンとお参りする所までは何の問題も無く済んだが、帰りがけに食べたお団子がいけなかったらしい。えらい腹痛に悩まされ、おまけに風邪までひいて弱り目に祟り目。今日までずっと寝込んでいらっしゃったらしい。滅多な事はするもんじゃないと、結論を述べられた後、お腹をなでなで帰って行かれた。
 神さまのご利益があり過ぎるとこんな風な事が起こってしまうのだろうか…。クワバラ、クワバラ。

2004.1.6
 「いやぁー、兄ちゃんの言うた通り、本を昨日手放さなくて良かったわぁ。いい事あった。パチンコに勝った!売ってたらバチ当たったかもなぁ。ありがとう!」と言うや否や景品のお菓子を置いて店を出て行った。
 実は昨日本を売りにこられたお客さん。商売として値段の付けられないような本を1冊取り出された。「買えません。」と言うのもなんだし困ったなぁと考えた末、結局は「大事に持っていらっしゃった方が良いですよ。」と言い、取りあえず帰って頂いたお客さんだった。ブツブツ言いながらも帰って行った人だった。

2004.1.5
 会計をしている時に「ふぅぅー。」と、よく来る20歳前後のお客さんがため息をついたので、「どうされたんですかぁ?」と聞いてみた。「今日で短期のバイトがやっと終わってホッとしました。」という答え。先ほどのため息は安堵のため息だと判った。
 「また次のバイトを探さなければ。早く定職に付きたいですよ…。」と言われて、今の若い人叫び声を聞いたようで即座に返す言葉も見つからずに、ムニャムニャ言ってしまった。

2004.1.4
 明日目の手術を控えていらっしゃるというのに、好きな時代小説を買いに寒い中、歩いて来店された。明日は右目。1週間ほどその療養に時間をかけて、その次は左目。大きな手術ではないといっておられるが、やはり“目”の手術とは、聞いているだけでも怖い。
 別のお客さんは、「40過ぎたらとたんに目にきた。最近は本を読むにも苦労してねぇ。」とも言われていた。「フフゥ〜ン。そぉかなぁ…?」と思った20代。「あともぉ少しで自分もそぉなるんかなぁ…?」と思える30代。パソコンの画面をにらむ目を少し離してみた。

2004.1.3
 「前ここで買った本と同じものありますか?」と言われた。私としてはそれを言われるのが辛い時がある。今日がそうだ。新刊屋さんと違って同じ物がいっぱいあるわけでも、取り寄せればすぐ手に入るわけでもない物も結構ある。
 そう言えば以前はしょっちゅう見かけたがなぁ…、という物に限って今はぜんぜん見かけない、店にももう残っていないというパターンにお客さんも私もガッカリする事がままある。

2004.1.2
 今日は補習、明日はテスト…。今日来た受験生がそう言っていた。彼はこの前まで野球青年だったが、今は受験に全力投球のようだ。それは体型を見ていれば判る。あれほど絞まっていた体が(外見)今はぽっちゃり型に変わって来ている。運動不足だろうし、勉強のストレスで食べてしまうのは自分にも身に覚えがある。
 年末に東京から帰省なさった大学の先生がおっしゃっていた。「目標が“大学合格”だから、入学したあとドロップアウトする学生が結構多くて…。」 ともあれ受験シーズンが本番を迎える。

2004.1.1
 顔見知りのお客さんがいらっしゃって、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と挨拶出来ると、元日も店を開けて良かったなぁ、と思う。
 これからまた1年が始まる。『いつ行っても開いている』お店は私の気合いで何とか出来る。でも本当に大事なのは『いつ行っても開いているし、いつ見てもほしい本が揃っている』お店。これが難しい。今年もこの課題に取り組んで参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。 1月元日


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