道徳教育改革集団代表・深澤久氏の実践に学ぶ    内山義朗 


11月29日・記

通信クラブ第7号、届いた翌日に一気読みした。
今回は、ストレートに道徳授業「言葉遣い」の感想のみお伝えする。
1 通信クラブに加入していて良かった。
2 内山による道徳授業記録評定は”ダブルA”。
3 私が目にした20代教師による授業記録中、ナンバーワン。
以上。

2003年10月発行・通心クラブ第6回『実践を書き、自己分析する』から
学び・考え・刺激を受けたこと    (2003年10月26日・記)


深澤久語録18(1984.11.16.)
所詮レポートは、自分の主張を述べる=「自慢話をする」ものだと私は考えている。
自己主張のあるレポートならば、多かれ少なかれ、「自慢話」の性格を帯びざるをえ
ない。

同感だ。上手くいかなかった実践の主張はあまり役にたたない。
世の中に対して、何らかの新たな問題提起をするのであれば、「発見した自慢」であ
ったり「上手くいった実践の自慢」であったりするのである。もしくは、現状に対する批
判にならざるをえない。突き詰めれば、捉えようによっては、「主張」=「自慢」OR「批
判」にならざるをえないのではないかと考える。「世のため人のため」の主張であれば。
「現状をよりよく変えたい」目的で主張するのだから。もちろん、自らの手柄とする欲
望と捉えられる書き方は避けた方が世に受け入れられる。「世のため人のための主
張」こそ大切だ。

深澤久語録19(1984.11.16.)
「大したことのないものですが・・・」という前置きをつけてレポートを報告するのは、
おかしいのである。
@大したことがあるかないかは、他の人たちが決めるべき問題である。
A「大したことがない」と言うのならば、「ここのところがこの理由でダメなので、この
レポートは大したことがない」という事を明記すべきである。

似ている「前置き言葉」を時々耳にする。
1「お忙しい中、研究授業をしてくださって、ありがとうございます。」
 この手の発言者は、「研究授業はやりたくないもの」と考えている方なのだろうと考
える。「研究授業は自らの腕を磨くため」「やりたくて立候補して研究授業をしている」
方(私もその一人)にとっては、変だと思う。
「こちらこそ、忙しい中参観に来てくださって、ありがとうございます。」と言いたいくら
い。でも、そんな挨拶交換よりかも、授業の中身について、語り合って研究を深めた
方がお互いタメになる。(と思う。)
2「今日は、すばらしい授業を見せてくださって、ありがとうございました。」
「どこがすばらしいのか」「なぜ、すばらしいのか」こそ検討すべきだ。また、「すばらし
いと感じない授業」であっても「どこが良くないのか」「どうすればよくなるのか」の検
討でタメになる有り難い研究授業&授業研究になる場合もある。
いずれにせよ、何でも率直に意見交換し合える雰囲気がある会でありたい。「この点
は良い。」「この点は悪い。」が自由に言い合える場、互いを鍛え合う活発なバトルの
ある学習集団がいい。
11月22日鹿児島市で開催する第6回道徳授業改革セミナーにおける16本の授業
検討の場は、もちろん授業に関する内容ならば、何言ってもよい。批判大いに歓迎。
バトル大歓迎。
3 ほか「授業開始終了時の『これから○○のお勉強を始めましょう』などのあいさつ」
や「これから職員連絡会を始めたいと思います。」「今日は○月○日○曜日です。今
日の日程についてありましたら、よろしくお願いいたします。」も、私には似ているよう
に聞こえる。
 
深澤久語録20(1986.11.22.)
出されたレポートは、1人の物を除き、全て、教師 の指導力に言及していないもので
あった。「教科指導上の諸問題」として、”子どもの弱点”をかかげるのはよい。しかし、
”子どもの弱点”の他に、真っ先にあげなければならない問題があるはずである。

「教師の指導力」こそ問題になりそうな点をさしおいて、子どもの弱点だけを述べる発
言や文章も、よくある。「廊下・階段で暴れている子が多い。」「整理整頓ができない。」
「そうじ時間のお喋りが多い。開始時刻を守らない子が多い。」などなど。
「廊下・階段で暴れている子を止めさせる指導ができない。」「整理整頓できるようにさ
せきれない。」「お喋りしないでそうじができるように鍛えきれていない。開始時刻を守
れるように鍛えきれていない。」といった見方をした方が、教育研究にも力量向上にも
繋がる。と、私は思う。

深澤久語録21(1986.11.22.)
(ア)という一つの方法に対して「いい、わるい」を判断すべきではない。(ア)(イ)と二
つある方法の中で、(ア)を選択したことが「いいのかわるいのか」を検討すべきである。
「なぜその方法を選択したのか」が問われるべきである。(追試論は、(ア)の方法がい
いかどうかの検討ではなく、(ア)の方法を選択した根拠の検討に向けられるべきなの
だと思う。)

私は”自称将棋2段”である。将棋が好きという教員とも何人か指したが相手になる方は
少なくとも身辺にはいなかった。教員になって負け越した方は一人としていない。
だから、高校卒業以来、将棋について学んだことは、しばらくなかった。学ばなくとも、身
近に平手で相手になる方はいなかった。
子どもたちとは、多くは私の方は「王」だけで勝負してきた。殆どは私が勝った。「王」だけ
の私に勝った子は確か5人しかいない。
たぶん教員になって以来100局以上は子どもと指している。ちなみに、私に「6枚落ち」で
勝った子は5年生1人と6年生2人計3人だけである。
ところが、「アマ5段」の方が6年程前に現れた。勤務校に転入してきたのである。
さっそく一戦交えた。私が勝った。
ちなみにアマは「6段」が最高位。「アマ5段」は、その最高位に準ずる実力と認定された方
なのである。当然ながら、相手の方が最新定跡や手筋を知っている。
それなのに、なぜ”自称2段”の私が勝てたのか。それは、「深澤語録21」に述べられてい
る内容と重なる。
端的に述べれば、私が実践慣れしていたからである。中学・高校生時代の一時期、ライバ
ル数人と指しこなしてきた経験がものをいった。
どの局面で、どの手筋を使うのが効果的か直感力でも洞察力でも上だった。それだけであ
る。

もちろん、その後は、相手も実践慣れしてきて好敵手となった。よって、私も久々に将棋の
本を数十冊購入し新聞の将棋欄にも目を通し、テレビ将棋もたまには見るようになった。
負けるとくやしいもんね。
そして、以前よりか格段強くなった。子どもたちには”自称3段”と自己紹介している。
授業技術も将棋でいえば「定跡」「手筋」にあたる。どの局面で、どの「定跡」なり「手筋」な
りを活用するかこそがポイントである。

深澤久語録22(2003.9.22.)
サークルを”もっている”と、定例会までには実践レポートをまとめなければならない「負荷」
が自分にかけられます。そして、分析する観点が人によって異なる場合が多いので、新た
な「勉強」になります。

21世紀初日0時00分に道徳教育改革サークルFT(略してDFT)を立ち上げた。現在月一
回ペースで定例会を開いている。同時に、波戸裕幸さんが代表を務める教育サークル・モ
アの定例会にも参加させていただいている。
いずれも土曜日午後1時半から午後5時まで、約3時間半の会。内容は、模擬授業とその
検討が中心。
そして、午後5時半からは、アフターサークル。模擬授業検討の続きはもちろん、学級通信
や雑誌論文の検討、イベントの打ち合わせと、内容は多岐に渡る。持ち込まれた教科書や
資料を使って模擬授業することも度々。
いずれにせよ、刺激とやる気がアップする貴重な機会となっているのは確か。
ちなみに、1990年代は教育サークル・マルドウ鹿児島として活動してきた。DFTの前身
サークルである。
人事異動による転勤範囲の大きい鹿児島県。当然ながら、メンバーは入れ替わり立ち替
わりにならざるをえない。
マルドウ鹿児島立ち上げ当時からの仲間・原口栄一さんも、昨年度の人事異動で種子島
への転勤となり、サークルから離れた。とはいっても、学期1〜2回は、臨時DFTと称して
鹿児島市内で数人で学び合ってはいる。
ということで、マルドウ鹿児島立ち上げ時のメンバーで今もDFTに参加しているメンバーは、
とうとう私一人になってしまった。それでも、今のDFT定例会には5〜8人程が参加している。
現在のDFTまでにサークル学習会参加延べ人数は50人を超す。つまり、さまざまな方々が
入れ替わり立ち替わり参加しているのである。よって、様々な方々の実践や分析の観点が
学べている。これもまた楽しい。
交流し学び合うのは刺激的な場である。もちろん、実践は厳しく斬り合ってもいる。それが
また楽しい。

深澤久語録23(2003.9.22.)
他団体(例えば、体育同志会であり、群馬理科サークルであり、教授学研究の会であり、
仮説実験授業であり・・・・・)の研究会などに出席していった。

私もまた5年前くらいまでは、法則化系以外にも様々な団体の会に参加してきた。全生研・
文芸研・児言研・性教協・仮説実験授業の会・作文の会・県小算研・県小社研・・・・・。
こんな経験の蓄積から、現在のサークルDFTメンバーに対し、私が異なる観点で意見を述
べられている点も10%程はある。動けるときは、じゃんじゃん広く動いて学んだ方がいい。
10年ほど前だったと思う。小学MM主宰で著書「奄美まるごと小百科」が大ブームを起こし
ている藏満逸司さんが、私に言った言葉をふと思い起こした。
「内山さんにしろ○○さんにしろ鹿児島の法則化メンバーは、いろんな団体で学んでいると
ころが違う。」
確か、私はこう答えた。
「それを一番やっているのは藏満さんでしょう。」


2003年5月発行・通心クラブ第5回『戦略として位置づけ、戦術として
発行する』から学び・考え・刺激されたこと    (2003年6月2日・記)

 学級通信『チャレンジ』No.1〜17(2003.4.7〜4.23発)とコメント
集がどさっと届いた。
 No.1の書き出しは、こう。

 いよいよ6年生です。
 泣いても笑っても、今年度で、みんなの小学校時代は、終了するわけ
です。
 どんな1年間にしたいですか?
〈問い1〉
( )「やり切った」と実感できる1年間
( )「やり残した事があるナァ」「ナマケタナァ」と思う1年間
〈問い2〉
( )「成長したナァ」と実感できる1年間
( )「全く成長しなかったナァ」と思う1年間
〈問い3〉
( )「さすが6年生!」と下級生や先生方から思われる様な1年間
( )「今年の6年生はダメだ」と多くの人から判断される様な1年間

 これこそ「道徳教育における終末局面開始の法則」に基づく実践である。
ずばり切り込んでいる。年度初日に1年後の理想像を示すことで、やる気
は随分と違ってくるはずだ。
 私は「やる気・その気・本気」なる学級訓を幾度か設定した経験がある。
そして、「やる気」を引き出し「その気」にさせて「本気」で取り組む経験の
積み重ねで「成長の事実」を実感させる取り組みに全力を尽くしてきた。
 深澤先生のように年度初めに「やる気・その気」を引き出す効果は随分
と大きいはずである。それに早道。来年度は、深澤実践の追試から始め
る予定。
 また、No.17では「センス ー 素晴らしい姿」のタイトルで深澤学級で
見られる事例を5点列挙している。各項目最初の1文のみ記す。(実は、
この後に続く文章が深澤先生らしい読み手を刺激する内容なのだが、通
心クラブメンバーの特権ということでカット。)

(1)帰りの時、教室の窓を閉める人達が何人かいる。
(2)教室や廊下の掲示物が「はがれて」いるのを、何も言われずに「直す」
人がいる。
(3)毎日のように、家で「お手伝い」をしている人が何人もいる。
(4)他の人が教室で落とした物をサッと拾ってあげられる人がいる。
(5)「日記」などを、係でもないのに、配ってくれる人たちがいる。

(1)〜(5)の姿は、内山学級でも出てくる。多くのクラスでは、前年度まで
は取り組みがなされていなかったようである。内山学級になってから、こん
な取り組みを始める子も多いようである。
 つまり、多くの教職員が(1)〜(5)ができる子どもを意図的に育ててこな
かったのだと思うのである。「その気になれば短時間で簡単にできる、身近
な所における世のため人のための行為」ができるように変えていくのは極め
て重要。
 であるにも関わらず、あまりなされていない。学校を観察し続けてきた私
の実感。
 ちなみに、(1)〜(5)の行為をできる子に育てるために、私は年度初めか
ら次のような取り組みをしている。
(1)’最終校時授業終了後、みんなが帰ってもいいような状態に教室・廊下
がなってから当番の子が”帰りのあいさつ”をするシステムにしている。”教
室・廊下の戸締まり”や”カーテンの始末”や”消灯”や”日記帳の配布”など。
当番の子がチェック。
(2)’やって見せて、気づかせて、やらせてみて、自らやっている子を誉める。
(3)’「おうちの人に”ありがとう”と言ってもらえることをしなさい。その時の
内容を日記に書いてきなさい。」なる宿題を出す。その時の日記を学級通信
に掲載する。また、それ以外にも日記にお手伝いした事実を日記に書いてき
た子を誉める。
(4)’やってみせて、気づかせて、やらせてみて、誉める。
(5)’配り物当番の子がいるシステム。しかし、手が空いている子が手伝え
ば”早い”事実に気づかせる。(授業の中での配り物配布法各種を実践して
いる。)

 ここに示した以外にも色々と細々とやっているにはいる。特に(2)(4)は雑
に記して済ませたが実際には色々と手法を使っている。
 いずれにせよ、先のような内容を指導しているうちに自主的に取り組む子も
増加する。「教職員が”(1)〜(5)ができる姿を”善の行為像”として描けてい
るか」「変えていこうと意識して実践しているか」によって、子どもたちの成長度
には差がつく。
 というように、内山学級でも、ほぼ毎年、深澤学級同様の子どもの行為が
現れる。しかし、どうも深澤学級の成長ペースに比べれば遅い。同じ程度(仕
事量や質・仕事人数に)成長するまでに時間がかかっているようである。
 深澤先生の文章や話から、それはわかる。その差は、何か?
1 学級通信で、事実を知らせたり、誉めたり、揺さぶったりして”やる気・その
気・本気”に変えている。(内山は”誉め認める”通信は幾度か発行してきたが、
まだまだ。”戦術としての学級通信”をより意識し”レベルアップしていく必要性
がある。)
2 学級通信文面に出てこない教室での深澤先生の言動。
 このあたりも含めて、今後、”局面指導法”研究を進めていきたい。

2003年3月発行・通心クラブ第4回『たかが「日記」、されど「日記」A』
から学び・考え・刺激されたこと       (2003年3月8日・記)

 3月1日土曜日、日向教育サークル主催「学級づくりパワーアップセミナ
ーinMIYAZAKI」に参加した。事務局は、嶋田雄一先生。
 「今年よりいい学級を作る」「そのヒントがたくさん得られる」1日講座。百
名を超す参加。
 講座にぐんぐん引きつけられ、しびれた。たくさんの元気と勇気をいただい
た。主催・事務局・講師の先生方に感謝!!
 講座感想を幾つか述べる。
第1講座 「ミニネタで作る明るい学級」土作彰氏(9:30 〜10:20)
 これは使える!これは子どもが喜ぶなあ!そんなミニネタを機関銃のよう
に連発してくれる土作氏の講座。私にとっては、ミニネタ創作意欲をかき立
てられる講座だった。講座終了後も、土作氏はロビーでファンに囲まれなが
らミニネタを連発していた。
第3講座 「道徳でこんなに温かい学級が作れます」佐藤幸司氏
(13:00〜14:20 )
 家庭環境が荒み,荒れに荒れていた子。佐藤氏は,そんな子を担任し,
道徳の授業を通して温かい心を引き出していったそうだ。「新年度,学級を
暖かい雰囲気にまとめたい。」と願う教師のヒントになる実践がたくさん紹
介された。私にとっては、授業創作意欲をかき立てられる講座だった。『とっ
ておきの道徳授業』紹介がらみのテレビ番組や新聞記事も紹介し佐藤氏の
コメントも聞けた。録画ビデオ視聴もあった。聴きながら、「こんな素敵な方々
と同じ目的で共に活動してきてよかった。」とも思った。なぜか、じいんとき
た。
第2講座 「総合的な学習の授業を創る」(10:30〜12:00)
第4講座 「学級開き5つの観点。今こそ正義と勇気の教育を」深澤久氏
(14:30 〜16:00) 
 第2講座では,総合的な学習を創るのに,教師は何をすればいいのか,
子どもをどう鍛えればいいのか。「やらせっぱなし」ではない総合的な学習
の授業創りを熱く語ってくださった。(批判的な見方もできるように努力はし
ているが、新卒2年目以来深澤ファンの私にとっても)新しい話が盛りだくさ
んだった。
 第4講座では,今の教室に何が足りないのか,何が必要なのか,深澤流
の鋭い切り口で語ってくださった。今、私が早急に取り組まねばならない仕
事に大量なヒントと元気をくださる講座だった。元気と勇気が湧いてきた。
第5講座 Q&A (16:10〜16:40)
 2003年になってから、まだ2ヶ月たらず。なのに、すでに全国的に著名な
実践家11人の講座受講や授業参観。
 2002年は、余儀なく冬眠生活だっただけに、脳の皺も伸びきっていた。
最近、刺激的な出来事の連続で脳が目覚めだした。
 なかでも、今回の宮崎イベントは最高レベル。2003年最も刺激的な講座。
私にとって、今年参加した各種教育イベントの中でまちがいなくナンバーワ
ン。

 相変わらず、幸司先生と「道徳教材開発」力。土作先生の「ミニネタ開発」
力はすごい。毎回新たなネタが次々と登場する。
 ネタは追試可能な形で語られる。ちょっとした準備さえすれば、教室ですぐ
役立てられる。しかし、私自身は、専門性を追究し創造し続ける両先生の姿
勢をこそ1番に見習いたい。
 ところで、パーティー2次会での話。幸司先生、続いて土作先生が、深澤
先生の講座内容の一部を批判。
 こんな場面が道集イベントの醍醐味である。他の団体におけるイベントと
は大きく異なる点でもある。
 内容は参加した方々の特権なので伏せておく。簡単にいえば、「深澤先
生の主張通りに誰でもが実践したら危険だ」ということ。
 確かに、それは言える。ただし、私は批判しなかった。両先生の批判は、
私に向けての批判でもあるのだから。
 深澤先生の講座には、参加者に「かっこいい」「あんな先生になりたい」と
思わせる語りがある。「子どもを変動させる実践」「過激な実践」の具体的な
描写。
 その成立する段階にはステップがある。「様々な局面における〈個と心の
糸を編みながら正義と勇気を育てる」実践群である。
 60分間なり90分間なりの講座の中で、すべて語れるはずはない。深澤
先生の講座では、この部分を抜き落としている場合は多い。「この実践を追
実践して効果をあげ成立させるための間の実践は自分で創り出すんだよ。」
と。
 だから、「やってみたい」と考えて話にあった内容だけ実践するのは危険。
子どもが、そこまで育つほどに間の実践を積み重ねいなければ、成立はしな
い。
 さて、パーティー2次会で、先の批判に深澤先生は反論しない。「そこを研
究し、対応していく人は、この場にいるだろ。」のメッセージ。(と、私には伝
わった。幸司先生と土作先生の発言も同様。)
「個と心の糸を編みながら〈正義と勇気を育てる〉実践群」の創出と研究。これ
は、かつて私が手がけながらも中途半端で停止しているテーマ。このテーマ
に関する研究を近日中に再開する。
 第2講座「深澤学級における総合的な学習の時間」に関しても、同じような
批判ができる。間の指導が抜け落ちているのである。深澤先生の授業が成
立するために必要な途中の指導なり条件は十分には語られていない。
 問題解決型の活動主義的「総合的な学習」は幾度か見てきた。「形式的で
無駄が多い」「子どもに力がつかない」「やらせっぱなし」の授業。
 今回、深澤先生が主張した問題解決型「総合的な学習」なら、やってみた
い。深澤型問題解決学習を成立させるには、前提条件がいる。
・ 子ども個々が、その子なりに、「世のため人のためになる」「できる」行為
をとれるように育っている。
・ 子ども個々が「関連するテーマを見つけだし追究できる手段を身につけ
ている。」までに育っている。
・ 一つの自称を様々な角度からとらえる「ものの見方・考え方」が育ってい
る。
 それらの力を、どこで、どう育てているのか。深澤先生の学級通信から部
分的にはとらえることができる。なんと、日記と学級通信を通しても、そこを
育てているのだ。
 以下、通信クラブ第4号として届けられた「学級通信チャレンジフォー」(6
月発行NO17〜19と11月前半ごろ発行NO31・33〜34・38〜39)8枚
を読んで学び取った内容を一部記す。

1 様々なものの見方・考え方を推進している。「対比的な見方・考え方
を記した日記」「新聞記事+コメント日記」など新たな見方・考え方を次々
に紹介している。どこが良いのか観点がわかるように独特のコメントをつ
けているのがミソ。
2 授業で扱いたいほどの面白い素材に子どもが自ら着目している。大
人が知らない情報までも子どもが入手している。
(事実、内山は「々」や「難しい漢字の読み書き」や「ことわざの裏表」や
「メールカトール図法と正積図法の対比」を幾度か授業している。深澤学
級では内山レベルのネタを子ども自身が追究するほどまでに育っている。)
3 もっている力を引っ張り出して、よりよい長所を育てている。手法とし
ては、いったん「できるにも関わらずやっていない」行為をチクリと批判し、
やる気を引き出している。調子が上がってどんどん工夫できるようになっ
たら、見逃さず誉め続けている。(通信クラブ第3号で示された1学期初め
頃と今回の6月さらには秋の通信を比較して見た。そこから、「指導ステッ
プ」と「子どもの成長ぶり」が見てとれる。)
4 子どもの日記のちょっとした変化や工夫を見逃さずに誉めている。例
えば、「引用の明示(新聞名)」や「新たなテーマの発見」など。
5 通信クラブメンバーの方々が、すでに述べている通り、深澤先生のコメ
ントが切れ味鋭い。「やる気がどんどん引き出され、自然とその気になって
いく」子どもの姿が見てとれる。「深澤先生の効果的な褒め方・ゆさぶり方」
が大いに学べる通信クラブは、とってもありがたいかぎり。宮植先生に感謝。
!!!

2003年1月発行・通心クラブ第3回『たかが「日記」、されど「日記」』
から学び・考え・刺激されたこと       (2003年2月22日・記)

 今回は、内山の質問に深澤久先生がお答えする形で深澤式日記指
導を提示してくださった。
 深澤学級で子どもたちが書く力を伸ばしている秘訣が見てとれる。深
澤式日記指導は、次の5点がセットになっている。(と、内山は見た。)
1 道徳授業で見る目を育てる。
2 教科の授業で追究力を育てる。
3 書く力を鍛える。方法を伝え、できる力を引き出す。
4 子どもの事実から出発する。事実を伝え、本音で語る。
5 やる気を引き出しその気にさせる。
 日記文の内容は、授業の裏返し。さらには、授業の発展。学級通信
に掲載した日記は、いずれも授業と関わる内容。
 これを読めば、深澤学級の授業内容の一部がわかる。通信クラブ会
員のおいしい特権。
 上記1〜5の中でも、特に深澤先生ならではの手法は5。学級通信の
中でも「やる気を引き出すための刺激的な言葉が並ぶ。
 大いに参考になるので、一部記す。
・4月8日から一か月ほど、みんなの日記の文章を読んできた。人様々
であり、それはそれでよいのだが、全体的な感想を一言で表すなら、6
年生の文章としては、低レベル、につきる。
・中には、1・2行でごまかす子もいる。結構いる。それだけで実は大き
な差が生まれている。
・本人たちは気づかないだろうが、半年もすれば、毎回きっちり書いてき
た子とごまかしてすましてきた子との差は、歴然となる。
・時たま「書くことがない」と日記に書いてくる人がいる。これは「書くこと
がない」のではない。書くことを見つけだせないのである。
・こういう人たちのために、それなりにすぐれた日記を本通信に」のせて
いるのだが、一向に気がつかないようだ。
・今のところ、この日記文が一日の最長記録だ。
・まだまだ詳しさが足りないのだが、初の正式な〈授業日記〉なので紹介
しておく。
 以上のように、学級通信には刺激的な言葉が散りばめられている。い
ずれも、事実であり本音。
 で終わりではない。書き方の多様な方法を伝え、上達のステップを示
している。
 同時に、「その気になればできる力はあるにも関わらず、力を伸ばそう
としていない」子が「その気」になるように述べている。しかも、「その気に
なって頑張っている子」を認め励ますのと同時進行。 
 そして、最終的には、どの子も年度初めとは見違える程のレベルにま
で力量アップしているに違いない。
 今後の通信クラブ、ますます楽しみだ。そして、4月からの新学級担
任としての日記指導も楽しみ。深澤先生の学級通信を読めば、なぜか
教職員である私もやる気が湧いてくるから不思議だ。

2002年12月発行・通心クラブ第2回『校内「音楽会」に向けて』から
学び・考え・刺激されたこと        (2002年12月23日・記)

1 深澤語録10『練習量の増大と質のレベルアップ』

 ただただ練習量を増やせば力がつくわけではない。むしろ、練習量
ばかり費やして向上的変容が実感できない指導では子どもも教員も
いやになる。
 深澤氏の自主性・主体性の引き出し方&歌い方の質のレベルアッ
プ法がとても参考になった。

2 深澤語録11『歌は、声をしっかり出すことがまず必要だ』

 同感。合唱であれば、まずは全員が声を出すのが大前提。
 もっとしっかり声が出せるにも関わらず出さない・歌わない状態で済
ませてはならない。
 「できることをやらせる」は重要。「できる」ことすらやらないでいて、
「できない」ことが「できる」ようにはなるはずがない。
 これも深澤語録。氏の講座で幾度も聞いた言葉。

3 深澤語録12『(ミニ音楽会で歌う)3分のために、様々な取り組み
 と多くの時間が行われつかわれてきた。』

 深澤氏が音楽会へ向けての力をつける過程がよくわかる。かつて
の氏の名著『イベントづくりの方法』『続・イベントづくりの方法』で提言
していた内容と繋がる。イベントそのもののみならず、そこに至る過程
で力をつける取り組みの数々が学べた。

4 深澤語録13『問いに対して大部分の子は、程度の差こそあれ、
 日記に書いてきた。』

 学級通信に掲載されている日記のレベルがすごい。
・ 大学ノートに量は限定しないで日記を書かせている。
・ 一つのテーマについて長く書けるように鍛えている。
・ 知っている漢字はできるだけ使って書くようにまで鍛えている。
・ できる限り、毎日目を通している。
 これらについては、内山と同じと推測。しかし、レベルの高い子が
多い。
 日記の内容が、実践の豊かさを物語っているのは、わかる。一方
で、深澤氏が「どんなステップで、どんな指導をしてきた」か具体的
に知りたい。

5 深澤語録14『全ては載せられない。何人かの日記の文章を、
 以下、ズラッ〜と紹介する。』

 「内山・・・学級通信に掲載させてね」「子ども・・・いいよ。恥ずかし
いけど楽しみ。」「子ども・・・今回はやめて。」みたいなやりとりもしな
がら学級通信への掲載を多くはしてきた。これはこれで、日記を通し
て一つのやりとりが楽しめる。
 そんな中、最近は「やめて。」「恥ずかしい。」「人に読まれるのは、
いや。」と感じる子どもが増えている模様。
 深澤氏の掲載基準・子どもへの掲載確認のとり方も知りたいところ。

6 深澤語録15『子どもたちが歌っている最中、ベチャクチャしゃべ
 っている親がいたのである。連れてきた小さな子がドタバタしてい
 るのに何もしない親がいたのである。一人や二人ではない。「問題
 外」である。「即、退場」である。』

 目の前の悪しき事実から変えていく。行動で示す。差別しない。
 過激ではあるけれど、やり方は、いろいろあるだろうけれど、人それ
ぞれのやり方で取り組みたい課題だ。
 私は、ごく少ないけれど、職員会議でも、討議内容外の教職員のお
しゃべりを聞いた経験がある。おそらく、「学級内での子どもの授業内
容外のおしゃべりもよし」としているのだろうと推測。事実、授業を見せ
ていただくと、おしゃべりや雑音・手遊びが多い傾向にあった。
 子どもたちの身近な存在である親や教職員に対しても警笛を鳴らし
ていく必要を感じる。もちろん、やり方は上手にいきたい。

7 深澤語録16『一般の音楽会での常識として〈演奏中は声・音をた
 てない〉〈聞きたくなければ静かに退席する〉のである。』

 授業中でも同じ。
 「書きなさい。」と指示したにも関わらず、すぐにしゃべり出す学級もあ
る。他の子がみんなに対して発言しているにも関わらず、すぐに途中で
口を挟む子がいる。
 こんな所からも学級は荒れ出す。鍛えられてきた学級の子と見逃され
てきた学級の子とでは4月初めから違う。
「一般常識をみちんと身につけさせる」のは究めて重要。このあたりを見
逃していると、やがて学級は荒れ出していく。教師の指示も通らなくなる。

8 深澤語録17『私は4月から子どもたちに言ってきた。「人が話して
 いるのを聞かないのは、その人をバカにしている証拠。」と。』

 このような年度初めからの教師の指導は究めて重要。みんなの前での
教師や仲間の発言をきちんと聞かせる必要がある。
 一方では、聞かざるをえない・聞いていてタメになる話も重要。「聞いて
いて良かった」と感じさせる指導も必要。
 全校朝会や集会・授業・職員朝会・職員会議などでの教職員の話を聞
いていて、こう感じるケースもある。
・ こんなクダラナイお説教みたいな長話をいつもいつも繰り返されていた
 ら、子どもは聞かなくなるよなあ。
・ 当たり前の内容を当たり前に長々と話し決められた時間を延長された
 ら、いやになるよなあ。聞き手をバカにしている。


              
2002年12月発行・通心クラブ第1回『「悪しき伝統」を断ち切る』
から学び・考え・刺激されたこと      (2002年12月8日・記)
1 深澤語録1『マイナス的現象をチャンスと捉え、質的変化を生み出
 す。』 
 
 ここ10数年間、深澤久氏の著書や講座で多くを学ばせていただいた。
氏の実践の多くを追実践してきた。その中で感じるのは、深澤実践の多
くが「語録1」から導き出された方法だということだ。「子どもの事実
に謙虚に学び、子どもの事実をよりよく変えていく」のが教師の仕事。
 しかし、周りの教職員を観察すると、「深澤語録1」と反する方々も
いらっしゃる。マイナス的現象を「嘆き」「自らの責任と捉えず」「子
どもや家庭の悪口ばかり同僚に話し」「周りに不満ばかり漏らす」方々。
「マイナス的現象をどう捉え、実践に活かす」かが、この仕事のやりが
いでもある。
 
2 深澤語録2『指導主事訪問では「指導主事が怖がる」「指導主事が
 指導される」教師と私は呼ばれていた。』 
 
 道徳教育改革集団メーリングリストを設定してくださった鹿児島大学
・梅野正信氏の言葉を思い出した。確か、1999年12月・マルドウ
鹿児島望年会席上での話題だった。
 梅野氏がマルドウメーリングリストを設定してくださりマルドウ鹿児
島メンバーがメール管理者になるのも、その時、決まった。同じ席上で
梅野氏は次のような内容を内山に語った。
「内山さん、指導主事になれ。私と二人で様々な学校を授業をして回り
 変えて行こう。」
「大学教師が誰も授業実践で示さない。だから、私は「いじめの授業」
 を各地で授業しながら主張をしている。同様に、ほとんどの指導主事
 も学校現場に行き、話はするばかりで授業をしない。校長もそうだ。」
「だから、内山さんが指導主事になって私と共に授業して歩けば、鹿児
 島県内の教育は変えられる。ゆくゆくは校長になって、さらに変えて
 いける。」
 手作りピザが評判の店でチーズフォンデュを食べながらの話題だった。
お酒も少し入っていたけど、だいたい、こんな話だった。
 私が梅野氏のお誘い通りに動くのは遠回り。との考えから、お断りし
た。
 しかし、指導主事の方とも実践を通しながら共同研究を共に進めてい
くのは大切。指導主事の立場でエラソウに「指導要領解説」にも示され
ているようなアタリマエの内容をアタリマエに語って終わりの方もいた。
「指導計画にないものを公開授業でするのは、いかがなものか。」と言
葉を濁しながら具体的授業の事実から離れ非難めいた「指導講話」だけ
で終始した方もいた。
 酒席の場で内山と語り一端は「立ち会い授業をしよう」と賛同しなが
らも、後々私が場を設定しようと日時の都合を尋ねると授業から逃げた
方もいた。「自らの授業実践の事実を通して指導できずに何が指導主事
か」とも思う。
 そんな意味からも「指導主事が怖がる」「指導主事が指導される」ほ
どの存在になる必要はないけれども、まともに勉強して実践を示しなが
ら語れない「指導主事」がエラソウにクダラナイ内容を語ってそのまま
で帰れないくらいの存在にはなりたい。
 
3 深澤語録3『「荒れ」を正すには悪しき伝統を断ち切ること』
 
 転入1年目。6年担任。
 ソウジの時間。子どもたちは、まともにソウジをしていない。ソウジ
用具を持っておしゃべりだらけ。
「5年生までと比べ、ソウジが上手になっているか、下手になっている
 か?」
 多くの子どもたちは「変わらない」と言う。事実、他の学年・学級も
似たようなものだった。
 後々耳にした話。朝、30分前には登校し「ボランティア活動」と称
する半強制的な美化作業も前年度まで行っていたとのこと。
「朝早くからボランティア活動と称するいい加減なソウジをやらされて、
 日課表に明確に位置づけられたソウジ時間にも遊びとさほど区別がつ
かないようないいかげんな作業で済まされている現状。それが数年間も
続いていたようだ。いわば、これも悪しき伝統。
 かつて私が勤務した学校の一つ。当然ながら、「朝早くからの強制ボ
ランティア活動は潰し、ソウジ時間は間違いなく学校ナンバーワンとな
るよう鍛えた。卒業前に書かせた感想文で、感謝の言葉を記した子も何
人もいた。
 そんな数年前の出来事も思い出した。当時荒れていた隣の中学校は、
その子たちが3年生になるころには、かなり落ち着いて大きな問題も起
きない中学校にはなっていた。(中学校教諭や保護者からの情報だけで
は。ただし、見届けや教え子の情報把握はたりない方だと思う。) 
 
4 深澤語録4『今担任している子どもたちをキチッとした形で卒業さ
 せる・しかも「悪」を拒絶する意識を持った形で卒業させる』
 
 6年担任でなくとも「キチッとした形で進級させる」「悪を拒絶する
意識で進級させる」も重要。私も意識して学年・学級づくりに取り組ん
できた。1年間で、どこまでできるかが勝負。
 もちろん、限界はある。いかし、「語録4」くらいまで覚悟をもって
学級担任は指導をする必要がある。
 私も意識して取り組んできた。担任自体は自信をもって送り出した。
ちらほらと保護者や中学教諭に近況を尋ねはするが、情報は少ない。
大きな問題は起きてはいないはずだが、細かな事実はわからない。
 教え子からの年賀状から伝わる情報も、その一つで良いことは伝わっ
てくる。しかし、「悪いことは隠す」場合もあるだろうし、なかなか伝
わっては来ないものだろう。「あり得ないわけではない」と頭に入れて
おくことも大事かなあとも思う。
 
5 深澤語録5『小学校教師こそ「中学の荒れ」を克服する先頭に立た
 なければならない。』
 
 次の人事異動では「荒れた小学校」または「荒れた中学校が校区の小
学校」を希望しようと考えている。希望通りにはまってくれれば嬉しい
けれど。
 ちなみに現勤務校に転入が決まった時も学校長や知り合いから次のよ
うな噂を耳にした。教育委員会からの情報の模様だった。
「何かと問題の多い学校らしい。」
「難しい地域みたいだよ。」
「保護者もうるさい方が多いらしいよ。」
 しかし、いざ着任して仕事を始めると、そんなことは一切なかった。
むしろ、協力的な方々がいっぱい。子どもたちの学力レベルも県内では
比較的高い。
 私の力量はまだまだ未熟ではあったが、子ども・保護者の力で、かな
り知的な授業もダイナミックなイベントも多く実施できた。
 隣の中学校の評判も私が来た当時よりかは評判が随分と良い。私が聞
いている限りの情報においては。
 
6 深澤語録6『良いことにつけ悪いことにつけ、スタートは、たった
 一人である。それが広がるか途断えるかは、その一人を取り巻く人々
 の流れの力によって決まる。』
 
「正義」と「悪」が正当に検討され「正義」が通っていく・正義行為が
広がっていく学級集団づくり。これをテーマに実践を創り・集め・広げ
ていくのが、重要課題だ。その具体的な方法例として「緊急学年集会の
もちかた」「バケツの話」は応用して今後の実践に活かしていきたい。
 
7 深澤語録7『取り巻く人々が、止めさせられれば「それ一回っきり」
 でおわる。が取り巻く人々が、見のがしたり・容認したりすれば、何
 度もくり返されていく。つまり、輪が広がるのである。』
 
「いじめ」しかり、「ピンポンダッシュ」しかり・「電車やバスなどの
乗り物や公共の場でのマナー」しかり。
 
8 深澤語録8『はじめた一人の「勇気」もさるものながら、その取り
 まく人々の「功績」も大きい』
 
「学級集団づくり」「学校集団づくり」「職場集団づくり」「地域づく
り」いずれも当てはまる。長いスタンスで見れば、やがては「国家づく
り」にも繋がる。
「正義が通り広がる民主国家になる」か「悪がまかり通る民主国家にな
る」かを「その国の公教育は左右する」責任を負う。そんな意識も頭の
片隅に入れながら仕事を進めていきたい。
 
9 深澤語録9『ダマスような人間関係しか創れなかったのは私の責任
 である。』
 
 現在多くの学校で教職員が行っている仕事は二つに分類できる。「子
どもたちが生きていく上で必要な力をつける仕事」と「そうとは思えな
くとも形式上や他者からとの関わりや評価を気にしての仕事」。
 教員は大きく二つに分類できる。「子どもをより良く伸ばすための自
らの責任を自覚して教育実践に重点を置いて取り組んでいる」か「教員
である自分が他者からよく見られるための教育実践に重点を置いて取り
組んでいる」か。
 いずれも前の方に徹し貫き通したい。途上や方法上の妥協はあるにし
ても。