遣唐使船の模型・和上の上陸想像図ジオラマ・鑑真和上座像など鑑真に関係のある資料をパネル模型で展示しています。

                                    

鑑真和上上陸の秋目港 鑑真和上座像

                                    

たびかさなる失敗の後、752年に久しぶりにやってきた遣唐使船に乗って、とうとう鑑真は日本に来ることができました。来日したのは翌年の753年のことです。
鑑真の来日によって、正式の授戒がはじまりました。
東大寺戒壇院が建立されて、天皇をはじめ、440名の者が受戒したと伝えられています。その後、鑑真は唐招提寺を建立して移り住み、来日後10年目の763年に、76才でこの世を去りました。  
     

     鑑真和上の渡航記録

 743年 第一回渡航計画
栄叡・普照を海賊だと密告するものがあり失敗。
743年末

第二回渡航計画
楊州より船をだすが、嵐にて船は大破
743年末の末 第三回渡航計画
第二回にて壊れた船を修理し、再びチャレンジするも
またもや大嵐にて船はまたもや大破
744年 密告にて栄叡逮捕監禁される。
第四回渡航計画
ようやく釈放され福州からの出国を計画、和上の身を案ずる弟子の密告により当局より出国を差し止められる。またもや失敗
748年 第五回渡航計画
ようやく出国に成功するが、嵐に船は流され、14日間の漂流の後,唐のはるか三波、海南島に漂着。
一行は一年をここで過ごした後、陸路揚州に帰る。
途中栄叡死す。
752年 第10次遣唐使来唐。藤原清河吉備・大伴古麻呂らが来る。
普照に出会い鑑真和上の来朝に協力する事を約す。
753年10月 第六回渡航計画
遣唐使の帰国に合わせ鑑真和上外一行が密航。
大伴古麻呂の船にて沖縄に着く。和上の眼失明する。
752年2月 一行.瀬戸内海を抜け、難波津(大阪港)着
754年4月 和上、東大寺大仏殿前にて聖武上皇,孝謙天皇に授戒。
東大寺に戒壇を設ける。
759年 平城宮右京五条二帽坊二、唐招提寺建立。戒壇を設ける
763年
5月・6月
和上,亡くなられる。