志戸桶集落ぶらり散歩や史跡等々(その2)
※画像をクリックすると拡大画像でご覧になれます。
当時の乙女達 親睦のソフトボールを終え、敗戦を気にすることなく和気藹々の中でのポーズ。昭和47年頃の写真だか、当時は娯楽らしい娯楽はなく、スポーツを通して島内の若者達が親睦や友情を育む。
対抗ソフトボール 島内の乙女達が一堂に会し、和気藹々の中で試合に興じる。当時の喜界町教育委員会社会教育課の主催で開催されたと思う。親睦を深め絆を確認し合う、青年達の交流や憩いの場でもあったようだ!!
豊年祭 平成18年最後の豊年祭が11月5日(旧暦9/15)日曜日、素晴らしい天気の中で開催され、伝統文化の「八月踊り」に多くの皆さんが参加しました。
八月踊り 老若男女が参加し祭りを盛り上げる。
親子で 「八月踊り」の伝承が問われている中、志戸桶集落では子ども達が積極的に参加し、昔ながらの"文化"を受け継いでいる。また、学校教職員も招き入れ楽しみを共有している。志戸桶小の女性校長の姿も!!
東京から
祖父のふるさと喜界島に魅せられ、毎年この時期に合わせて来島、踊りも堂に入り中々のものだ。東京では三味線を弾き日ながら"島唄"にも挑戦し、その分野でも定評があるとか。
定期的に帰省していることもあって、多くの集落民と顔見知りとなり、談笑する。踊りの後は奉納相撲があり、祭りは最高潮に達する。後は、各自の家庭から持参した「一重一瓶」を開け、宴の始まりである。
学校教員も
集落では、小学校や中学校の先生方を招待し地区民で迎え入れ、地域との交流を深めている。鹿児島から赴任された、先生方も見よう見まねであるが、中々の腕前である。
学校職員
子ども達も学校職員の隣に位置し、八月踊りを一生懸命に舞う。「学校の総合的な学習」の時間に地区の高齢者を招き、定期的に指導を受け運動会でも披露していて,伝統文化の継承は確実に進んでいるものの、「唄い手」の育成に課題が残る。
志戸桶集落
志戸桶小学校から小野津方向に向かい、約500メートルほど進んだ集落の小高い丘に集落の民達に時報を知らせていた、通称、「サイレン台」跡地から天神方面を望む。
今から約50年近くになるであろうか。午前6時・正午・午後6時の1日3回、集落民に時報を知らせていた。現在は台座のみ残され、集落の繁栄を静かに見つめている。画像の奥に志戸桶港が確認できる。現在は漁船等の船だまりとして整備され、集落の釣り愛好家に広く利用されている。
123
後ほど123
123 後ほど123