【志戸桶集落】
喜界島の夜明けは志戸桶から!! それは何故 ? 余りにも簡単明瞭と言うか 、ごく当たり前のことですが、「島の『東』に位置しているからです。」
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喜界島は鹿児島から南方383qの洋上にあって、志戸桶集落はその東北部に位置し東部集落と南部集落からなり、両集落の世帯数が261戸で人口が587人、一世帯当たりに占める割合は2,3人となっております。このように、2つの集落からなっておりますが、豊年祭・地区子供会主催の運動会等々の集落行事は融和を保ちながら合同で実施をしています。
生活は主にさとうきび栽培と畜産、果樹園芸(菊、マンゴー 、タンカン)等で「さとうきび」は常に
海に目を向けますと漁港が整備されていることもあり、春から夏場にかけて小型漁船が出入りし、特に冬場の農作業等で疲労が蓄積した心身を癒したり、リフレッシュのため大海原に出る人も多く見られるようになりました。
:写真: 漁を終えて帰港
※勤勉な中堅層の活躍により活力に満ち溢れた志戸桶集落です。
・集落毎の内訳(住民基本台帳18.4.1現在 資料:
(単位 : 戸・人)
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集落名 |
世帯数 |
男性 |
女性 |
合計 |
備考 |
|
東部 |
122 |
129 |
148 |
277 |
|
|
南部 |
139 |
144 |
166 |
310 |
|
|
合計 |
261 |
273 |
314 |
587 |
|
|
前年対比 |
0 |
+2 |
△3 |
△1 |
|
☆小規模ながらも減少傾向です
※主な行事の概要
・敬老会(新暦1月2日)
大正8、9年頃、永隆正氏(当時、志小教員)の発起により70歳以上の高齢者の方々を招待して、小学校の校庭で敬老会を開催したのが、本地区に於ける敬老会の始まりだと言われる。
(志戸桶誌原文のまま)
当日は、婦人会の方々の歌や踊りが披露され、会場の雰囲気を一段と盛り上げている。又、最近は成人式(本町は例年1月2日開催)に参加するために、島外各地から帰省した「新成人」の紹介も行われ、お年寄りの方々に好評を得ている。
場所に至っては従来からの申し合わせにより、東・南部集落公民館を交互に利用していたが現在は「東部地区構造改善センター」に固定化されている。
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・お盆(旧暦7月13日〜15日)
祖先崇拝の島民性(集落民性)でしょうか、この時期は「シバサシー又はウヤンコー」同様に、島外で生活されている方々が一時帰省し、親族縁者が相集い久方ぶりの逢瀬を楽しみながら故人を偲んでおります。
・豊年祭
旧暦8月25日・9月15日
五穀豊穣を祈願する行事の一つである。当日は、幼・小・中・高・一般と組み分けがなされ奉納相撲、八月踊り、六調と終始和やかな雰囲気に包まれて、時を忘れさせてくれる憩いの場でもある。
※「写真集」の「志戸桶集落」の中でも、紹介してありますので、是非、ご覧下さい。
・親子会運動会
毎年8月の第2日曜日、天神グランドで地区内の老若男女が早朝から集いて、数多くの種目に爽やかな汗を流しています。
開会式での入場行進(幼児から高齢者まで) 祖父母と子供との対抗リレーの出番を待つ(H16.8.8)
この運動会の歴史は1972年(昭和47年)7月、当時の両地区「親子会」の主催で開催されましたが、時の青年団が企画立案し全面的な協力がなされました。すでに、30年近くの歴史があり、今ではすっかり地域に根ざしています。又、開催時期が子供達の夏休みと言うこともあり、都会から子供連れのお母さん方も参加して交流を図っています。因みに、そのお母さん方は当時「あどけなさ」が残る小学生でした。
集落行事並びに豊年祭や運動会等の関連画像を集めました。
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志戸桶出身で初めて大相撲の九重部屋入りした高木君を紹介する地元新聞記事
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・【郷土芸能】
郷土芸能には、いろいろの種類があるが、ここで取り上げるのは志戸桶に古くから伝わる民謡(島唄)、座踊り、八月踊り等であるが、その中でも代表的なものは島唄である。
故郷を遠く離れて、異郷の地で生活している島出身者が、小雨そぼ降る夜の巷で、ふと近くの家から流れてくる三味線や島唄を耳にする時、殆どの人がはやる足を止めて、巷の唄声に耳を傾け中には、懐かしさのあまり感極まって涙する人もいるときく。
大島民謡がこのように、「奄美」の人々の心を魅了するのは聞く人々の心を切々とうつ、哀愁をおびた独特の節回しにあるのではないだろうか。あの哀調は先人達が自由と喜びを奪い去られた、悲惨な生活の中から生み出されたものだ、と言われているが、その殆どは特定の音楽家によってなされたものではなく、名もない一般の人々によって創り出され、親から子へ、子から孫へと歌い継がれてきたのである。
後継者不足が云々されている昨今、小、中、高生の皆さんが島唄・三味線に大きな関心を示し、大島地区のコンクール等に出場し上位入賞を果たすなど、実力を発揮しています。また、専門の先生方から高い評価を受けており、これに感化され若い後継者が多く育っていることは実に頼もしい限りです。
さて、志戸桶の民族芸能を顧みる時、遠い昔のことは記録がないので、その真相を知る術もないが、八月踊りの「アブシガァー」という踊りは、現在、島内で志戸桶だけが保存している踊りである。この踊りは志戸桶で創作され、他へ広まることなく現在に至ったのか、或いは他の集落でも踊られていたのが、他はことごとく消滅して、志戸桶だけが保存してきたのか、その何れかであろう。
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この一事をもってしても、志戸桶には、郷土芸能に関心のある方々が居られ、他集落に比べて郷土芸能がかなり盛んであったのではなかろうかと想像するのである。又、勇壮活発な「棒踊り」も大正の中期頃始められて以来、凡そ70年間、先の大戦によって中断を余儀なくされたことはあったが、戦後間もなん郷土芸能を愛する若人達によって復活され、志戸桶の伝統芸能としてしっかりと根を下ろしている。
なお、郷土芸能を伝承するための活動も積極的に進められ、昭和44年7月に小学校4・5・6年生を対象に棒踊りを中心として「志戸桶民族芸能保存会」が結成され、更には昭和54年には婦人による同保存会が発足して棒踊りの伝承に努め、更に昭和58年8月には有志によって、「民謡クラブ」が結成され、それぞれ伝統芸能の伝承に努めており、誠に意義深いことであり喜ばしい限りである。
今後、志戸桶の地区民性と風土に融合した郷土芸能が益々発展し、それが一部の限られた人々だけでなく広く地区民の間に浸透するよう、願うものの一人である。
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・【名所旧跡】
・ 沖名泊
伝えられている。昔から「ウキニャードゥマイ」とも言われ親しまれている。志戸桶の人里からわずかの距離に位置し、建仁2年(1202年)今から凡そ、800年前に平資盛主従200余名が上陸したと言われ、その背後の小山には天神の社がある。これは、平家が海上無事にこの地を踏むことが出来たのを神に感謝し、併せて一門の武運長久を祈願する為に、紳鏡をご神体として祀ったのが始まりだと伝えられている。
周辺は海水浴場やグランド、公園、駐車場も整備され、海岸の珊瑚礁地帯には遊歩道も設けられいる。又、近くは絶好の 釣りのポイントであることも付け加えておきたい。
・ 七城跡
壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武将平資盛は、手勢200余名とともに沖名泊に上陸すると同時に志戸桶の「マシケダ」の一画に居城を構え、七城と称した。
この場所は海に面した前方は、海抜100メートル以上と思われる断崖になっており左右にはハンター平と佐手久平が突き出て、眼下の浦原盆地は袋状をなし、攻手にとっては突破し難い天然の要害になっている。
七城跡は海に臨む前方を除く他の三方は、土提で囲まれいるが、北側の方は一段と高く構築されている。それは冬の季節風を防ぐ為のものであったか、それとも北方の海を見張るためでもあったろうと考えられる。
建物が建っていたと思われる中の平地の面積は、凡そ1,000u(10a)程であるが、現在は雑草が繁茂し淋しい限りである。
・ 芭蕉翁
この句碑は石灰岩の自然石を利用して出来ていて、高さ約90センチメートル、幅は広い所で凡そ70センチメートル、厚さは約25センチメートルとなっている。
表の上の方には「芭蕉翁」と大きく隷書対の達筆の跡が彫り込まれ、その下には「春たちてまだ九日の野山哉」という句が流麗な草書体で刻まれている。
☆☆句の意味は「立春とはいえまだ九日じゃないか、春らしい変わった景色は何もないが、しかしどこかに春のうごきが感じられる。」と解釈 している。
裏側にも流麗な行書体で、四句の俳句が刻まれているが、その作者は今のところ定かではない。
資料:志戸桶誌
・【黒砂糖の製造】
昭和の中頃までは、喜界島の各地区で農家5・6軒程度を単位とした、砂糖製造のための組織があり、志戸桶にも約30軒ほどが建っていたものと記憶にとめている。
この組織における労力は、個々の産糖量に関係なく総て「ユイ方式」でなされ、当時の人々の人情の豊かさと、結束力が十分に活かされていたようである。
藩政時代における「黒糖」は藩財政の重要な資金源であったことから、農民は想像を絶するほどに、過酷な労働を強いられ、挙げ句の果てはすべて搾取されるという、極めて悲惨な時代であったようです。
その後、幾多の変遷を経て「黒糖」は農家の大事な収入源となり、樽(後に紙袋)に詰められ早町の港から本土へ向け出荷されていたことを朧気ながら記憶している。
昭和34年、本土資本による大型製糖工場が進出すると同時に、農家単位の組織はなくなり農家個々において黒糖の原料である「さとうきび」は大型工場へと出荷され、このスタイルは現在に至っている。
・平成17/18年期のさとうきび収穫が始まる。
大型製糖工場への搬入(12月20日)が決まり、さとうきび作農家は猫の手を借りるほどに多忙な毎日である。
農家にとって年内の刈り取り作業(収穫)は、「冬のボーナス」とあって個人の収穫面積に関係なく、最低でも1回以上の割り当てがされる。
尚、製糖期間は12月中旬から翌年4月上旬頃まで続き、1年で一番多忙を極める時期でもある。
「写真」 冬のボーナスとあって重労働でも笑顔で作業に望む。ホクホクした正月になりそうだ。
そんな中にあって、折からの自然食品ブームが功を奏して自然食品志向が高まり「固形の黒糖」が見直され、島内外からの注文が相次ぐようになった。現在、島内に10数軒の「黒糖製造工場」(個人経営)が建てられ繁盛していて、11月頃から4月頃迄の製糖期ともなると甘酸っぱい黒糖の香りが周囲に漂い冬の風物詩にもなっている。
年を追うごとに、島内外からの注文も増えており、需要と供給のバランスがとれない状況で、嬉しい悲鳴をあげているのも事実です。
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・ 南村黒糖製造工場
夫婦相和し、勤勉でいて常に探求心旺盛な熟年夫婦が、平成11年10月、出身地である志戸桶の地に「南村黒糖製造工場」を完成させました。
◆ 申すまでもないが、志戸桶地区においての黒糖工場は勿論ここが初めてである。◆
そこの経営者こそ、南村邦行・フサエ夫妻だ! 二人は相思相愛で結ばれ大変に仲のいいおしどり夫婦でもある。現在は「菊・さとうきび」を中心に健全で安定した農業経営をなし、農業生産高は地区内でも常に上位にランクされている。特に、菊栽培は喜界島の先駆者であり、研究には決して妥協は許さない信念の持ち主でもある。

”永久に咲かせよ南国の花” ・ 仲睦まじい南村夫妻
《撮影 : 工場にて》
今回は初回ということも相俟って、失敗の中にも試行錯誤を繰り返した結果、当初の予定よりも早く店頭に出してもらえるまでに技量アップしたようです。多くの古老のみなさんから「味、風味」ともに文句のつけどころがないと太鼓判をおされている。
このように高い評価を受けながらも「自身が納得できる商品・究極の商品」造りに、日々研鑽して行こうとする謙虚な考えに感銘を覚えた次第である。
このようにして研究熱心な二人が、究極の商品を造るのに、そんなに時間はいらないと思われる。なぜならば、人一倍の負けじ魂と「良質の水や土壌・太陽」に育まれた「さとうきび」を材料としているからです。因みに、奄美の中でも「喜界島産・黒糖は総てにおいて良い」と高い評価を受けているのも事実です。
☆お尋ね等が御座いましたら下記へご連絡ください。
《お問い合わせ先》
郵便番号 891−6143
現住所
責任者 南村 邦行(なむら くにゆき)
☆電話番号 0997−66−1041(自宅) ☆ 0997−66−0798(工場)
☆
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・【公共事業】
☆農業集落排水事業☆
国内、何処の地に生活の基盤を据えようとも人間、誰しも、「快適な生活環境の中に身を委ねて文化的な生活をしたい」 これは人間の願望
だと思います。
また、志戸桶地区(志戸桶・佐手久集落)においても、平成15年2月17日に町関係者や多数の地区代表者の参加のもと、「通水式」を行い平成15年度から供用を開始しております。
◇農業集落排水事業 志戸桶地区の概要(
1 事 業 費
|
工 種 |
事 業 量 |
事 業 費(千円) |
実 施 年 度 |
|
管 路 施 設 |
9,315.9 m |
614,809 |
H11〜H15 |
|
処 理 施 設 |
一 式 |
362,192 |
H13〜H14 |
|
中 継 ポ ン プ |
3 ヶ 所 |
27,825 |
H14 |
|
そ の 他 |
測試・工雑等 |
128,774 |
|
|
計 |
|
1,133,600 |
|
2 計 画
|
計画処理対象人口 |
1,010人 |
計画日平均汚水量 |
272.7㎥/日 |
|
計 画 戸 数 |
383戸 |
計画時間最大汚水量 |
32.8㎥/日 |
|
放 流 水 質 B O D |
20mg/ℓ |
採 択 年 度 |
平成11年度 |
|
放 流 水 質 S S |
50mg/ℓ |
実 施 期 間 |
H11〜H15 |
※管路工 9,315.9m (H11・ 1,726.7m H12・
3,453.5m H13・ 1,718.7m H14・ 2,246.0m H15・ 171.0m )
※中継ポンプ H14年度 3ヶ所
※処理施設
処理方式 回分式活性汚泥方式 建築面積 358.19
u
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・【居酒屋】
志戸桶の地に「夜のオアシス」が誕生するとは誰が予想したでしょうか?
従来のパターンですと友達・仲間同士相集い「湾・赤連」の歓楽街へ出向いてコップを交わすというのが、通例になっていましたが、その形態も時代と共に様変わりしてきました。
近年は「自立自興」の観点で捉えた発想からでしょうか? それとも時代の趨勢でしょうか?
やり方の如何によっては、地方(中心地から離れた集落)でも採算ラインに乗せることが、可能であると実証されたものと受け止めています。
これ正に「地方分権の先取り」で成功例のひとつでしょうか。 …例えが大袈裟でしょうか?… それぞれの主観性に委ねます。
志戸桶の地にも数年前、二軒の「居酒屋」がオープンしました。遠出をしないうえに、仕事帰りに、しかも、気軽に行ける気安さから、多くの「愛飲者」に喜ばれています。
「語らい・憩いの場」として連日連夜、集落の内外から(
★【はたむちー】★ 平成22年10月現在休業中
屋 号: はたむちー
経営者: N Y
オープン: 平成5年5月5日
電話番号: 0997−66−****
☆自慢のメニュー☆
***店にある総ての品に愛情を注いでいるので、総てが自慢のメニューとのこと。*****
志戸桶地区にオープンした正しく第1号の店である。
経営者の「N子」さんを中心に弟の「Tomi」さんも加わり、お互い兄弟愛を確かめ合いながら「和気藹々」を基本理念に据え、繁盛している店である。また、家族的な雰囲気が楽しめるということで、地区の内外から多くの家族連れで賑わっている。
「Tomi」さんは過去に、関西地方で板前修行を積んだ経験から、店独自のメニュー開発に試行錯誤の毎日でもある。とにかく研究熱心!
★【ここをクリックすると 店内での和やかな様子が(画像)見れます。】
★【はやり】★
屋 号: はやり
経営者: K H
オープン: 平成8年8月5日
電話番号: 0997−66−****
★店の特徴★
「お客様」主導の観点からでしょうか、カラオケ設備をしないことへの、こだわりもあります。そのことから、騒音を気にすることなく、ゆっくりとした雰囲気の中で精神的にくつろげるのも魅力になっている。
☆自慢のメニュー☆
**ヤギ料理(ヤギ刺し・カラジューイ=ホルモン料理)***とにもかくにも美味でたまらない。加えて栄養価が高い! *****
ここの主「K子」さんは、商才に優れたうえ、常に斬新な発想をなし、何事にも果敢に立ち向かう「肝っ玉かあさん」でもある。
商売繁盛の裏には、彼女の隠された研究熱心さと、持ち味である負けじ魂が結びついていると思われる。

珍味ヤギの刺身 カラジューイ(内蔵と血液を絡めて味付けする)
◇◇◇ヤギ料理は大変な人気で、地区内外からの問い合わせも結構あるようです。◇◇◇
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雑感
屋号のネーミィングに因んで千客万来、たいした繁盛で堅実に歩む「Y&K子」さん夫妻の考え方に偽りはなかったようだ。
ご主人の「Y」さんは、「農業と畜産(山羊)」を柱にしている関係から、店の経営の総てを愛妻「K子」さんに委ねていて、時に手伝いに出向く程度で「かあちゃん」に全幅の信頼をよせている。
他人が認める程に、夫婦仲もよく、幸福の頂点を目指し頑張っているお二人。 更なる、商売繁盛を願う者のひとりである。
**結びに**
志戸桶の同じ地区に複数の、しかも同種の店を考えた時、双方、採算がとれるのか? 老婆心ながら疑問を抱いたものでした。
こと、いい具合にその疑問は簡単に払拭されました。
店、個々に取り組み方もありましょうが、双方とも、程良い位置関係にあって、客足も均衡が図られ、共存共栄、相乗効果もあるようです。
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