川内文学散歩 6月19日 川内まごころ文学館訪問

大型台風の接近という皆の心配をよそに、副理事長の「晴れ男」を信じて決行された川内まごころ文学館探訪は、理事長欠席の情報を得て不安になったのか、「ダーリン」をひと目見ようという好奇心からか、参加取り消し、追加参加の繰り返しの中、「まごころ文学館はすばらしいから」の声に騙され、あるいはだまされたふりをした三十四名で敢行された。

当日は、勿論台風も右カーブで鹿児島上陸をあきらめ、四国沖へと進路を変えたため、少しく雨の心配はあったが、夏の日差しにならないだけいいのではという思いをさせる、文学散歩日和となった。鹿児島中央駅前を出発した大型バスは、本重副理事長の進行で、参加者の自己紹介、参加動機、有島三兄弟の解説などで無事「木家」に到着。待ち構えた「晴れ男」ではあったが、なぜか小雨交じりで、「木家」の見学は取りやめて、一路川内に向かうこととなった。

バスの中での資料配布は、文学館よりすでにいただいていたパンフレットなど六種と「山本実彦と改造社」に係わる説明文と改造文庫のコピーなど盛りだくさん。有島三兄弟については鹿児島からの道すがら語られたとして、出版社としての改造社及び実彦の存在の意味、その及ぼした影響の評価などを解説。まさに大正の終わりから昭和の初めに「円本(えんぽん)」が果たした知識の大衆化。実彦が行った世界的知識人の招聘による日本人の知的国際化。この二つは明らかに日本の文化を変え、その後の文化を形づくった。雑誌「改造」に載せられた社会主義や共産主義の記事は、その主義主張に賛同するしないという次元ではなく、逼迫した時代の雰囲気の中で、一つの活路として人々が求めていた情報であった。「円本」に追随する旧来の出版社に対し、岩波は「読書子に寄す」で改造社に対するあからさまな批判文を巻末に載せた岩波文庫で対抗するが、改造社もそれに応えるように「改造文庫」を発刊、他社も円本から文庫本へと進み昭和の第一次文庫本ブームが到来する。

さて文学館では「山ア巧」主幹がわれわれを今か今かと待ち構え、KTS川内支局もカメラを肩に準備万端。そういえば出かける前にテレビ局から電話があったことを忘れていた。局の方は山崎さんに了解を取ってくれていたようで、そのまま取材のカメラが入る。

山アさんはこの文学館の開館準備のために、県から派遣された漢文の高校教師である。先日来その誠実な人柄と文学を愛する姿に敬服していたが、この日も忙しい時間をさいて、文学好きな方々の団体ならばと、企画の提案と案内をかってでてくださった。解説は熱を帯び、「この物」がここにある意味が語られるごとに、一つ一つの展示物が生き生きと立ち上がってきて、尽きせぬ思いとなって伝わってきた。時間の都合もあったが、秘蔵フィルムに三十分、山アさんの案内で一時間半、普通の文学館見学ではとても望めない至福の時を参加者は過ごされたと思う。

 午後は歴史資料館の説明のほか自由行動。見残した展示物や検索システム、ビデオなどを楽しんでいただいた。万葉の散歩道まで足をのばされた方もある。

予定の三時に文学館をあとに市立図書館前の二人文学碑(岩谷莫哀・今井白楊)、泰平寺の山本実彦の墓、実彦の生誕の地碑を巡った。廃仏毀釈になる前までの泰平寺は、奈良時代から続く由緒ある寺で、歴史に詳しい参加者の浜田さんに、島津義久と秀吉との関係の解説をいただきました。突然の申し出に応えていただきありがとうございます。予定していた亀山小学校は大型バスの行き来が難しいので地図で示すにとどめ、帰路、車窓から有島武の頌徳碑の場所を説明。

理事長のいない文学散歩もなかなかよいではないか。スタッフの皆さんもご苦労様でした。             (三嶽 豊)