鹿児島文学散歩 2月21日 向田邦子と磯のじゃんぼ餅

今年いちばんの「かごしま文学散歩」は、お天気に恵まれ、気持ちよくスタートすることができました。
参加者二十二名、スタッフ(解説、会計、カメラ)四名。
午後一時、磯仙巌園前集合。はじめての参加者の方も多く、みなさん緊張しながら、出発。

まず、異人館へ。島津斉彬の時代、日本最大の紡績工場を鹿児島市磯に作り、イギリスから紡績機械を輸入した。指導者としてイギリス人七人を雇った。この建物は、そのイギリス人のための宿舎であった。一時期、七高造士館に移築されていたが、昭和十一年、また磯のもとの場所に戻され、一般公開されている。向田邦子は、昭和十四年から十六年まで鹿児島市に住み、磯にはよく遊びに来ていたようなので、異人館を見たかも知れない。

 次に、じゃんぼ餅屋「平田屋」へ。この二階を貸し切って、みたけが向田邦子と磯について、三十分ほど講義。この二階は、かつて句会が開かれるなど、文学的に由緒ある場所である。何しろ、ここから見える桜島の美しさ。最高! 向田邦子のエッセイ「細長い海」の一節を朗読しながら、邦子が過ごした昭和十四年頃の磯浜を思う。
 
磯天神前というバス停があり、鹿児島駅からの循環バスも通り、人で賑わっていたという。

向田一家は、磯のじゃんぼ餅屋で、父はビール、子どもたちは大皿一杯のじゃんぼ餅を食べて小半日を過ごした。のんびりしていい時代だ。ただ、残念なことに、邦子はここで海からあがってきた漁師にからだをさわられる。そんな場面が描かれるじゃんぼ餅屋は、どうも「桐原家」のようだ。

「平田屋」をあとにし、その「桐原家」へ。

 当時、桐原屋は本館と離れが別れており、その二棟の間が漁師に身体をさわられた場所。そこから見えたのが「細長い海」である。よく雑誌の向田邦子特集に載っている「細長い海」は、下の写真の部分であるが、この通路は、邦子が鹿児島にいたときはまだできていない。いま、「細長い海」の舞台は空き地になっている。

 桐原家のじゃんぼ餅も、平田屋と同じ醤油味ながら、その味わいは違う。じゃんぼ餅は、もともとの発祥は慈眼寺で、味噌味であったそうな。桐原家前の磯天神こと菅原神社へ行き、そこで風に吹かれながら、じゃんぼ餅をいただく。

菅原神社は、一六八六年、島津光久公によって、建立される。
光久公は、島津義弘の孫にあたる。ここは学問の神様を祀ってあるので、受験シーズンは賑わう場所。牛をかたどった石像があるが、これをなでると頭が良くなるそうである。それぞれお参りして、解散。約二時間の散策。気持ちの良い時間でした。

次回(3月13日)は、向田邦子と城山。三時間コースです。
歩きやすい服装でご参加下さい。