今回の文学散歩は、「かごしま探検の会」との合同企画でした。計三十四名で、大型バスで栗野まで。お天気にも恵まれ、最高の文学散歩日和。

 まず、加治木町の椋鳩十文学記念館へ。椋氏の長男である久保田喬彦館長の出迎えを受けたあと、館内の説明もしていただきました。
 椋文学の初期の頃は、外国の動物文学など、おもに書物から影響を受けた作品が多いけれども、そのうちに書物だけでは確認できない事項、あるいはまちがいなどもあるため、椋鳩十は自分で体験し、あるいは聞き書きしたことをもとに作品を書くようになったと説明されました。

 椋鳩十という名前の由来、ひとつの作品に割いた取材ノートの多さ、母と子の読書運動、ジャンル別の作品群など、椋文学の一端に触れました。

 次に「栗野岳の主」の文学碑のある栗野岳レクレーション村へ。

 ここで昼食。おいしい笹寿司をいただきながら、秋の気配を難詰しました。この一帯は、初期の作品「栗野岳の主」が書かれた舞台で、いのししが出没する原生林でしたが、いまは整備されて、いのししの気配は感じられません。ちょっと先の栗野岳温泉の奥には、猟師さんたちが建てたらしき「いのしし塚」があります。

 椋鳩十の栗野ものに「モモンガ」という作品があります。かつて人々はモモンガという動物(むささびたいなやつ?)を食べていたらしく、この一帯の猟師もモモンガを大晦日の晩に捕りに行き、お正月にいのししの肉を買えない開拓団の人々に売りに行くという話が書いてあります。開拓団のことは「山に生きる人びと」というエッセイにも書かれていて、椋鳩十は、苛酷な山の自然の中で生きる開拓団の人々に深く共感していたようです。

 三日月池の文学碑は、小学生の教科書にも載った「大造じいさんとガン」の舞台に建っています。5月には花菖蒲が咲き乱れる三日月池は、たしかに三日月の形をしていました。大造じいさんという実在の人物はいなくて、いろんな人物の複合体らしいです。勇敢なガンのリーダーのあり方が感動を呼ぶ物語です。ここもあの沼地はいったいどこに?という感じで、いのしし同様、ガンの気配もありませんでしたが、霧島山麓の風景が美しく、ゆったりできる場所です。惜しむらくは、文学碑に刻まれた言葉。「感動は人生の窓をひらく」とは椋鳩十の有名な言葉ですが、この舞台にはふさわしくないんじゃないの?自然いっぱいの場所で説教聞かされているような気がします

 最後は、栗野駅周辺の散策。この一帯は、昭和の風景が残る地域でしたが、霧島アートの森ができたということで、区画整理がはじまりました。小綺麗な町並みに変貌するのでしょうが、「古き良さ」がまたひとつ消えていきます。丸池湧水、栗野の町中の掘り割りの水の美しさは、何とも言えず綺麗でした。