向田邦子の散歩道(城山)

向田邦子は、四六歳の時に乳ガンを患って死を意識した際、長く生きられないなら鹿児島へ行きたい、と思った。小学三年生の三学期、保険会社に勤めていた父の、鹿児島支店長という転勤についてきて過ごした鹿児島は、邦子にとって懐かしい「故郷もどき」であった。そしてのんきな遺言状≠フつもりで書き始めたエッセイには、鹿児島での思い出があふれている。
かごしま近代文学館から
スタート!
向田邦子旧居跡地。

鹿児島市平之町。
現在は人が住んでいる。上の庭のツツジは、向田邦子が住んでいたときのまま。となりのマンションまであわせて、約100坪あったという。
山下小学校の旧門。

おそらく向田邦子がくぐっていたであろうこの門は、今は校庭の隅にひっそりと保存されている。
ザビエル公園。

ザビエルの鹿児島上陸を記念していながら、何の手違いか、ザビエルの「ザビエ」までしか刻まれていない。
じめさあ。

政略結婚によって、自らの甥にあたる島津家十八代藩主家久の妻となった亀寿姫を偲ぶ石像。顔にはお化粧が施してあり、周りの緑に白い顔が浮かんでいる。このお化粧は毎年、鹿児島市の女性職員が施すのだそうだ。
かごしま近代文学館前から
城山遊歩道へ
城山遊歩道の展望台。

ここから向田邦子旧居跡を眺める。山下小学校に通っていた向田邦子は体育の授業で、この遊歩道を駆け足で登っていた。

桜島がすばらしい!
喫茶「メルヘン」にて、コーヒーブレイク。
この喫茶店のママさんは、向田邦子と会っている。ママさんのお母様が、山下小学校で向田邦子と同級生だったから、お母様が向田邦子をここに連れてこられた。

戻る