与論島と森瑤子

森瑤子の与論島の別荘にあるお墓
森瑤子は、1988年に与論島に別荘を建てた。与論島を大変気に入り、別荘を建てることを即決。
森瑤子が胃ガンで亡くなったのは、1993年。この別荘に住んだのは、たった5年で、しかも東京と行ったり来たり、他にも別荘があったから、トータルすると、それほど長い期間をここで過ごしているわけではないが、森瑤子の遺言により、この地にお墓が建てられ、全骨がここに納められている。
献花が美しく、屋根にはシーサーが祀られ、中央には森瑤子の写真が飾られている。このお墓は、別荘の門の横にある。
森瑤子の別荘にあるお墓2
森瑤子の命日7月6日には、この墓前にゴザを敷いて、ゆかりの人々が食べ物や飲み物を持ち寄って、森瑤子を偲ぶのだという。
森瑤子の別荘にあるお墓3
お墓から続く庭
お墓のまわり、別荘の入り口全体に、白い夾竹桃が美しく咲き誇っていた。
(2002年5月みたけきみこ撮影)
お墓の前にある記念碑。森瑤子の本名、Masayo Brackinの名前が彫られている。
森瑤子の夫君はイギリスの人。彼との間に3人の娘さんがある。
別荘中庭。
この別荘の書斎で、小説「アイランド」が執筆された。森瑤子は、ほとんど神懸かり状態で、この小説を6日間で仕上げたという。
「アイランド」は、与論島を舞台にした小説。与論島に伝わる伝説と、2003年に設定された近未来型社会の、遙かなる時を隔てた融合が美しく描かれる。
別荘中庭2
奥には小舟があり、ここで開かれたパーテイの時には、テーブル代わりに使われ、森瑤子の得意料理が置かれたという。
別荘中庭3
別荘中庭4
別荘玄関(屋根にシーサーが飾られている)
別荘を取り囲む木々
別荘を取り囲む木々(海側)。海がすぐそこなので、台風の時など、潮風にこの樹木たちは痛めつけられるのであるが、決して枯れることなく
別荘を取り囲む木々
与論島海岸にある「鳩の湖」
与論島は、珊瑚礁が隆起してできた島で、山も川もない。海底から真水が湧出する。こうした場所を浜井戸(ハマゴー)と呼ぶ。
小説「アイランド」でも、海底から湧き出る水は、命の水πウォーターとして描かれ、与論島の木々が豊かで、人々も長生きであるのは、この水のおかげだという設定になっている。
按司根津栄神社
按司というのは、支配者を意味する。根津栄(ニッチェ)という支配者は、琉球や奄美に支配されない時代(西暦800年から1200年頃)の人で、小さいときから体が大きく、特に弓が得意であった。琉球の船に一本の矢を放ち、航行不能にしたことで、英雄にもなり、また悲壮な死を遂げた人でもある。
小説「アイランド」に出てくるアジ神社は、ここをさすと思われる。
按司根津栄神社鳥居
按司根津栄神社
(道路側から撮影)
按司根津栄神社祠
按司根津栄が矢を放ったと言われる大金久海岸。
大金久海岸。
与論民俗村にて
右・菊千代さん。与論民俗村のオーナー。与論に伝わる民話を森瑤子に話して聞かせた人。森瑤子が母親のように慕っていた。
左は、与論町観光課の大馬さん。
別荘を管理している方の民宿に飾ってある、森瑤子からの手紙と写真。ここの奥さんは「森瑤子先生は、与論島の守り神です」と言われた。
別荘管理人さんの民宿に飾ってある森瑤子が書いた新聞記事。「与論の男は、男の中の男だ」という趣旨で、管理人さんを名指しで褒め称えている。この新聞記事は、管理人さん夫妻の「家宝」。
与論島北端にある食堂の庭にある自然池
食堂の窓から一望できる海。

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