winkey29’s


戯言



H15 年10月14日 (火) 心の硬さ!
心にはいくつかの機能が見られますが、たとえば、前向きに元気よく生きていくのと、現状に押しつぶされて、深く沈みこんで生きるのでは、やってくるチャンスも掴められるか逃がすかの違いがある。用は、気は持ちようで、明るく前向きに、全て受け入れる、そして、自分なりに生きていく事だろう。     次に、硬い心柔らかい心についてである。自分に向かってやってくる事は、何も好みのままとは限らないが、そんないろんな状況に上手く対応できるか、しようとするか、それとも、ワンパターンで対応するか拒否するか。どうも心の堅い人に見られるのは、いつも同じ対応、ワンパターンの対応が見られる。いい悪いじゃなく、自我の強いお方のようである。相手やその状況に上手く乗って対応できないのである。なので、相手も硬い心の人であると、ぶつかる可能性が高い。   気が強ければ、向かっていくが、気が弱ければ、引いてしまう。相手が強ければと言うのもあるが、まあ、そんなところでしょう。      他に、重箱の隅をつつくという事がありますが、虫眼鏡的な方が、ほんと多くなりました。昔のイメージで悪いですが、おおらかな方が多かったようですが、今は、直ぐに細かい事に目くじら立てて、うるさくものを言う事が多いです。  仕事では、細かく説明して御理解いただこうとするのですが、どうも、細かい事のみに口を挟んで、全体まで理解しようとする根気が見られないようです。 まあ、全体的に把握しようとする方が、細かい所まで理解されているかどうかはやはり解かりませんが、どうもどちらかに偏る傾向がある見たいです。   後具体的な数字などに弱いというのもあります。嘘でも自信を持って数字を交えながら説明すると、変に納得してもらえます。   まあ、心の機能がそんなふうにある訳で、人を観察する事は簡単でも、自分を観察する事は、なかなか難しい事のようです。というか、観察しないし、分析しないし、まして反省もしない。変に自分に自信を持っておられるようです。  何かにつまづいた時に、少し振り返って見ますが、運が悪かったと自分を慰めます。   どうも人の心の硬さは、自己確立の時に出来上がっているようで、これをいじる事はなかなか難しい事のようです。自分をいったん否定しなけりゃいけませんので、非常な苦痛を感じるわけです。耐えられない苦痛でもあります。   この硬い心を捨てる。この行為こそ、日々を無私で、生きていく事になるわけです。心心と思っているこの心!それが、それこそが、苦しみの原点であるわけです。    それが自分であると信じていますが、それが、生きていく上の闇を作っているわけです。   硬い心が出来なければ、人間として未熟ですが、硬い心で終わっては、また未熟なままの人間なのです。硬い心を溶かし、自由に羽ばたけるようになると、その目の前に見える景色すら、違うように見えるものです。この体すら、生き返ってきます。  この事は、人間にのみ与えられた、特性です。もっと人間について考えましょうよ。それが、創造主へのお返しだと思います。
H15年9月25日(木)  死について
生まれてくる事はまったくの偶然かもしれないが、死は必然である。その形は、老衰、病気、怪我・事故、などで、急激な死と、死ぬまで時間がかかるものとあり、意識があるものと無いものとがある。   また、自分ではどうも出来ないものと、自分で選ぶ事のできる死もある。    ひとつの選択肢として、自殺があるのは、人間に許されていると言う事で、もし許されていないなら、自殺すら出来ないであろう。     究極の選択肢ではあるが、それが無いととても生きるに耐えない状況があるのが、この世の中なのか、人間の心の限界なのかだろう。      生きる事への絶望だけじゃなく、心の病だったり、希望が持てなかったり、死に行く人への批判は容易かろうが、ひとつの選択肢にすがった姿は、自分で選んだ希望なのかもしれない。     自殺が良いとか悪いとかじゃなく、選択肢があるという事実を、しっかり認識して欲しい。批判する人がされる側に変わるのは、そんなに時間が要る事じゃなく、状況次第では、直ぐに手のひらを返すくらいに変わるものである。    ただ何事も無く生き延びて死んでいく、病気や事故で死んでいく、それは死が向こうからやってくるだけの事で、その間をのんびり生きていて、いろんな我を張って生きて、何の意味があろうか。平凡に生きて死んでいき、子孫を残しただけで良いとしても、生きるという事をほんとに真剣に考えただろうか。それは、死を見つめてこそはじめて可能な事なんだが、いかがだろう。仕事に追われ、趣味に楽しみを見つけ、食って寝ての毎日、そして年を取っていく。ふと訳のわからない不安に襲われても、酒でも飲んで過ぎていく。   どんな死が来るか、来るのを待っていると予想もつかない、自分で選んだ死だけが、どんな死であるか、判る。
H15年9月11日 (木)  物事の2面性!
いろんな出来事が次々に起こるが、ひとつの出来事それ自体は単なる事実以外何者でもないが、受け取る側で、悪く受け取ったり、良く受け取ったりする。失敗には悪く受け取るし、成功には良く受け取りがちである。淡々と事実は事実として受け止めて、両面を眺める事は、凡人の私には余裕すらない。    物事自体にも2面性があり、受け取る側も2面の受け取りがある。    要はまず「イエス」と事実を素直にそのまま受け止めることである。そして、良くも悪くも考えてみる事である。   それが済んだらもうその事はおしまいである。  それ以上考えるのは時間無駄、暇つぶしで余韻を楽しんでいるばかりで、うっかりすると、もう次の出来事が迫っているかもしれないのである。     今の瞬間を大切に生きていく事が、豊かに生きることだと思う。   過ぎた事がいくらたくさんあっても、それに浸っている事は、今をほったらかしにしている事になる。    思いと動作が一致する事もその今に生きることである。ここら辺がなかなか分かりにくい所のように思うが、知っている事とできる事は雲泥の差がある。誰でも知るだけは簡単だ、スポーツなどいい例である。いくら素晴らしい事を知っていてもやれなきゃ、スポーツしている事にならない。    生きるという事も、そのように「今を生きる」事の連続なのに、記憶や心の働きが勝手に動いて、妄想の世界に生きるように、縛り付ける。心に勝手に動かれて、振り回されて、つけは自分に回ってくる。     それの対応にまた振り回される。愚かと言えば愚かで、どこにその始まりがあったのか、良く思い出してみる事である。   いろんな所で2面性が出てくるが、常に受け取る側の問題で、よくよく自分を見つめることである。   ついつい想いのみに惑わされるが、まやかしには注意することである。  それは、自分で掘った穴に自分で落ちる事を意味します。   という事で、今日はおしまい。
H15年9月8日 (月) 秋の風
昨日は小学校の地区対向運動会がありました。この小学校は、地域的に武家屋敷群の中にあり、鹿児島の古風な風景を色濃く残している地域でもあります。毎年御老人方も楽しみにしておりまして、生老年部や、子供会とも連携して、盛り上がりを見せます。    たぶんこちらに引っ越して12回目の運動会で、3回は、前の公民館として、9回はこちらの公民館として、参加したり応援したりしました。  今年は、残暑が厳しくて、いくら日陰にいるとはいえ、汗だくでしたので、自分の競技が終わったら、家に戻り、体を冷やしていました。     あちこちで、トンボが見れるのですが、夕方には少し涼しい風が吹き、明け方は、窓を開けていると気持ち気持ちいい涼しい風が吹いてきます。   暑い夏もいつかは終わりが来て冬になって行きます。間もなく50になりますが、この頃食べ物がとても美味しく感じます。若い頃は、たくさん腹いっぱい食べる事で、かき込んでいた様な食べ方でした。  今は少しの量をいろいろ食べます。まだお肉も少し食べますが、野菜が美味しく感じるようになりました。これから秋に向かいもっと、食べ物が美味しくなることでしょう。      まあ、秋の風が吹いて、ロマンティックな気分になるという事もあまり無くなり、移り変わりはごく自然に行われている事で、人間がとやかく思うことではなく、則に沿って生きていけばいいとこの頃思うようになりました。   人間はあまり自分の思いや考えに囚われて、いつも何か考えてばかりいるが、まったく時間の無駄遣いである。自然方多くの恵みをいただいているのに、感謝もせず、ボーと他の事ばかり考えている。思い道理に生きようと、もがいている姿が、哀れでもある。   まあ人の考えは、ああ言えばこう言う式で、己の主張ばかりしているので、淡白なごく薄い、味のある本物は気付くはずも無い。そんなに甘いものでもないが、一度は頭の中を空っぽにして、自然の中にある清々しい風でも胸の中を通し、頭の中を切り替えたらいいと思う。そうしない人が大多数だから、私は、人の中が楽しい。
H15年8月21日(木) ギターについて
出会いは、小学生の4〜5年生の頃だったと思うが、近所のお兄さんがクラシックギターで、当時の流行歌を弾いていました。雑誌の付録に歌詞が載っていてコードも載っていました。メロディーには、ハーモニカ用の、吹く位置をあらわす数字が書いてありました。なぜかそこだけがいつも鮮明に思い出されます。実際自分でギターを触ったのは、中学2年になった頃だったと思います。同級生の家にあった、やはりクラシックギターで、流行っていたベンチャーズのテケテケをやったように思います。そしてどうしても自分のギターが欲しくなり、町に一軒しかない楽器店に天井から吊るしてある一番安いクラシックギターを、母親に思いっきりせがんで買ってもらいました。それから勉強そっちのけのギター三昧で、当時教えてくれる所も無く、カルカッシギターの教則本を、初めのページからじっくり読みながら取り組んだものです。クラシックを弾きながらも、歌謡曲や、グル−プサウンズ、ベンチャーズなども弾いていました。まあラジオからは、他にも、洋楽が盛んに流れていました。フォークソングは、PPM、ブラザース・フォー、キングストン・トリオ、などや、もちろんブルーグラスやカントリーも流れてきました。  中学高校と吹奏楽部でトラムペットを吹いていましたが、高校は同好会だったので、軽音楽部に席はおいていて、掛け持ちで活動していました。 通学でしたので朝一番の電車で行って、部室でギターを弾く毎日でした。とにかく毎日ギターは弾いていました。    和製フォークソングは、かぐや姫などがテレビで勝ち抜き選の番組に出ていて、興味を持って聞いていました。当時、自分で曲を作るなんて思っても見ないことでした。オリジナルを歌うと言うことに、不思議な感動を覚えていました。ギターは五線譜を見て弾く練習をしていましたので、タブ譜と出合った時も別に苦にならないどころか、便利な楽譜があるなと思ったもので、今でもタブ譜が付いていると嬉しくなります。    自分で買った最初のギターは、モーリスの12弦ギターでした。歌う事が好きだったのでなく、グレコのテレキャスターコピーモデルのエレキギターを買ったからアコギは12弦がいいと思っていたのです。今思えば、6弦のフォークギターでなく可笑しな気分です。その頃バンジョーも買いました。サークルでは12弦ギターで、バンドではエレキで、寮ではバンジョーを弾いていました。   6弦のギターは、神奈川に行って買いました。モーリスのTFシリーズのw50でした。迷いに迷って買ったのを覚ええいます。オベーションギターみたいな裏がファイバーグラスで出来ていたものがあったのですが、音も良く音量もあったからです。でも、オーソドックスなギターをまず買おうという事でモーリスの決めました。  このw50が一番長い付き合いで、今でも弾いています。   あと鹿児島に帰ってきてから、マーティンのHD28、ヤマハのクラシックギター、タカミネの12弦ギター、東海楽器のミニギター、ギグパッカー、などを次々に購入し、たのしんでいました。  そして今年ヘッドウェイのギターを手に入れたのです。まだまだギターを楽しく弾き続けようと思います。そのためには少々の努力が必要で、少しずつ毎日続けていこうと決心しています。
H15年8月19日(火)  唄について
人間だけの楽しみの音楽で、歌うと言う事は何の道具がなくてもできる事で、特に声のハーモニーは綺麗だと思う。歌は、会話でなくメッセージであり、ひとつの表現である。会話なら相手の心情や都合などで、いろいろ変化するものであるが、唄は違う。歌詞もメロディーも決まっているので、一方的に言いたい事を言うだけである。でも歌詞にメロディーを乗せ、伴奏をつけると、聞く方がとても気持ちいいものとして聞けるようになる。それは、メロディーと伴奏の魅力であって、歌詞はまた別の意味を持つと考えます。シンプルな唄とギターの伴奏だけだったら、両方とも聞く事ができるが、バンドとして、ドラムスやベース、キーボード、など楽器が増えてくると、歌を聞くと全体がわかりにくく、全体を聞くと歌がからないという事になってしまう。    歌詞は話し言葉の延長であるので、メロディーに制限を加えている。それはイントネーションの事であるが、また言葉の持つリズムであったりもする。   歌詞は暗い内容でも、メロディーは明るくする事もできるし、明るい内容に書く事もできる。そんなこんなを歌う人は、声で表現するのが、本人の声質とどう歌うかで、かなりニュアンスが違ってくるようだ。また、音程の問題もある。正確に歌うとつまらなくなってしまう事もあり、やはり表情をつけるために、音程もいろいろずらす訳ですが、基本線がしっかりしてないとやはり落ち着きが悪いです。歌のうまい人の歌はたくさん聞きたいと思うし、下手な方の唄は勘弁願いたいものでありますが、どこが違うのでしょう。
8月7日(木) 気違いに刃物!
最近気違いに刃物的な犯行が多いですが、どうすれば防げるのでしょうか。一番は情報収集です。いわゆる世間話の中から、危険人物を知っておく事です。まあ少しおかしい人よ程度の情報でも良いのです。それから見ず知らずの場合ですが、注意を怠らない事です。それとなく良く観察する事が大切です。落ち着きが無かったり懐に何か隠しているかもしれません。その手や目の動きを良く観察します。そして、近づかず距離を取り、相手が近づいて来たらさりげなく立ち去ります。    椅子に座るときは、なるべく壁と椅子がくっついている椅子や、そうでなければ、壁を背に立ちます。銀行など見知らぬ人が犯行に及びそうな所は、その方な警戒心が必要です。     一通り室内を観察したら、入り口の方を意識しておく事です。     普段歩いていても、後ろの足音や追い越すものには注意が必要です。一定のスピードが急に変わるようだと要注意です。     危険に近づかない、危険が迫っているかどうか察知する、いち早く避ける。     野生の動物なら普通にやっている事が人間にも必要という事です。  無頓着が一番簡単に狙われます。また好奇心が強いのも狙われます。退屈で暇人も狙われます。何かに熱中するタイプも狙われます。   って言うかこれは、かなり以前読んだ本の受け売りです。戦場のサバイバルと言う本だったと思います。その人が書いたものを何冊か買って読みました。まあ狙われ易かったりトラップに引っかかったりする人間は生き延びられないそうです。  観察力と注意力(情報収集能力)、判断力、行動力、まあ、強がって正義感ばかり強くても、冷静さはもっと必要なようです。
H15年8月5日(火) 夢・未来
他の動物は自然に沿って生きている訳で、冬に備えたり、子孫を残したり、その社会を形成したりなどしています。ところが、人間だけは、記憶力や創造力、想像力、などがあるために、また自由に使える手や、色や音に対する感覚、もうひとつ言葉を話す能力、まだ他にもあるが、それらなどが、複雑に絡み合って、人間の社会を作っています。生きる為の力と、遊ぶ為の力を持っています。他の動物は、生きる為の能力が特化していて、それで完成された能力姿をしています。人間は、ある部分が未完成のまま生きています。人間がその部分を本人の意志で、自由に変える事ができ、完成させる事もできるように設定されています。遊びの極限が、衣食住に、スポーツや、ゲームそして、芸術であり、宗教であり、武道であり、科学であります。人間が持っている未完成な部分の活用は、たくさんあります。そして、それが生きる力になります。「夢・未来」人間の本来の生きる目標にもなります。そんなところの事を今日は軽く話してみました。(笑)
H15年7月30日(水)  グレーゾーン!
物事や出来事、自然界、人の言葉、まあいろんな事に、裏表があって、それを認識できるわけですが、人は、つい自分の好みを反射的に選ぶように出来ているようで、半対面を見ようとしません。と言うお話はもうしましたが、人それぞれ、選ぶにしても強弱もあるようで、しつこくとか、絶対とか、白黒をはっきりさせたがる人もいるわけで、悦に入るのです。しかし良くしたもので、長所と思えるご自慢の御意見も、立場が変われば、言い訳の出来ない状況になるわけです。だって、自分で白黒つけたのですから。       とかくそういって、表裏がある事は認識していても、人間の心は、明暗じゃなくて、どちらでもないグレーゾーンであります。何かの拍子に明るい方へ近づいたり、暗い方へ傾いたりします。その時の心の動きをしっかり認識できる方は、大変落ち着きのある思慮深い方です。そんな方でも、どこかに触れられたら、平常心でいられなくなる事が、ひとつや二つは存在するものです。  こうして何か人に伝えようとしてると、表裏の関係を考えながら書いているわけですが、ひねくれものに対してものを書いているわけで無いので、裏の話はさておいて書いてしまいます。       グレーゾーンが実は厄介なんです。気分や精神状態、成熟度などでも大きく動き始めるからです。はじめは、ちょっとした事や、あるひと言かもしれませんが、感情を伴って心が動き始めると、自分本人でも止められなくなるか、止めようとする事を忘れてしまいます。      深層心理から、いやもっと奥の所からの強い衝動です。たとえば、生きようとする力と同じ力です。生きようとする力は、表は、種の維持ですが、裏は、他の命を取りこんで食うことです。絶対的な力です。そんな理性では逆らう事のできない力に動かされ始めると、少しずつその人の人生が動くのです。どう動くか誰も予想できません。ただ結果は想像できます。誰か何かの死です。生と死がどんどん繰り返しているようですが、当然ひとつの命の生と死は、二度と同じものが無いのです。今度は明るい方へ傾けば、平和や芸術、音楽、遊び、創造、発見、などなど、こちらも素晴らしいものがあるわけです。ただ、注意が必要なのは、一人の人間には、明暗!両方同時に持っていていつでもどちらかえ、滑り出す事があるという事です。人間ってほんと面白いですね。
H15年7月25日(金) 戯言!
戯言!ふざけた事を言う事!だそうで、真面目な話は他でいくらでも読めますし聞けますので、ここでは、まじめに読んだら時間の無駄だったという、そういう状況になれば、大成功!と言う雰囲気の事を書いていきたいです。(笑)まあ、何か読むという態度は、自分の考えの再確認のようなもので、違う意見だと、反発して受け入れないものです。それを乗り越えて、新しい自分を創ろう、探そうという奇特な方は、ここは避けた方が良いです。(笑)  まあ、運悪くここを読んだあなた、なんとも言えない気分を害するでもなく、違う意見ということでもなく、『読んで時間の無駄だった!』と思っていただければ、私の趣旨は大成功という事になります。     まあ世の中には、望む物と、望まない物が、セットになっているようなものですから、自分に都合のいい方を常に選んで、しめしめと思っていることでしょう。ところが、世の中の見えない仕組みを理解していない人が、ほとんど全員で、間違いなく、自然の仕組みの罠にハマるように出来ています。思いどおりに行かない人生!なんて思っているあなたが、すでに罠にはまって、逃げられなくなっているのですよ。   お金持ちなんて、がんじがらめに、罠に何重にもはまっている人間ですよ。   また驚くべき事に、一般的まじめで、誠実で、正直な人も、がんじがらめの罠にはまっている人です。 悪人も善人も、みんなに一番向いた罠が用意されているんですよ。平穏無事に正直に生きていれば、人生それで良い!・・・・・ほんとですか???必ずその反対の気持ちが同時に生まれて育っているはずですがね。自然の力は、どんな人間でも関係無しに迎えるし、突き放しますよ。    戯言!真面目な話しに飽きた人が読んでくれれば良いです。    自分で押し隠して見ようとしない心が、表の裏に必ず存在するのです。奇麗事をいう人の心には、必ず汚いこころがあります。汚い心があるから、奇麗事がいえるのです。  正直な人には、嘘が心にあるから、正直な人でいようとするのです。良い事もあれば悪い事もあります。    私は正しい事を言おうとしているのではないのです。嘘でも、ほんとでも、事実を両面から話したいのです。   美しいものがみんな好きで、汚い物は嫌いです。何で?どうして?同じような事が、いっぱいないですか?どちらか片方を取って、自分はこう思うと言ってませんか?   必ず反対側から見た人の反発を受けます。ここもそうです。    物に綺麗も汚いも無いのです。あるのは、事実と、そう思うあなたの心です。     人生が哀れじゃないのです、悲しい人生じゃないのです。先が見えない人生じゃないのです。そう思うあなたの心が、そう決め付けているだけです。・・・・・と私は、決め付けて今日の戯言を終わります。
H15年7月23日 (水) デジタル!続きと雑感
パソコンに抵抗なくやられていると思える年齢は、高い方で、40歳前後から若い方へ伸びていて、40以上は、40未満の人数からするとはるかに少ない気がします。たとえば、ウィンドウズ3.1〜95の頃をかんがえますと、約10年前になりますので、その頃30歳位までの方には、パソコン自体が、普及もしていて、ソフトなども環境が整っていて、わりと抵抗がなかったのかもしれません。その頃40歳くらいだった私は、ワープロで、葉書作成などしていました。とにかく枚数が多かったので、それまでのスタンプ押すだけでは、どうも遺憾という事もあったのです。パソコンへは、そのワープロが故障してしまったのと、友人が、マックの販売店(ソフトが主)に勤めていた事もあって、パソコン初心者でも大丈夫だよと言うので、思い切って、本体25万円プリンター5万円をニコニコ分割払いで買ったのです。しかし、初心者には敷居が高く、専門用語や、操作の基本など、壁は次々に立ちはだかりました。フリーズや、OSの再インストールはたびたび、夜中も寝ながらやったものです。HDも逝っちゃいました。  ローマ字入力やかな入力から始まって、総合ソフトクラリスワークス、フリーソフト、葉書作成ソフトなど、何とか使えるようになりました。そうなると、覚めやすい性格で、あまり触らなくなってしまいました。   転職が、ウィンドウズとのお付き合いを深くしました。今は、こうして、ネットやホームページ、デジカメ、などなど、細かい所までは知りませんが、何とか、うわべだけは使えるようになりました。   私などと同年代のものや、それ以上の年齢の方になると、新物好き(笑)や、マニアックな人が多く、一般的には、パソコンには抵抗があるようです。やはり、『キーボード』「ソフト」「ネット」の3っつの壁(笑)が、そそり立っていますので、仕事で使う以外玩具にしようという気は無いみたいです。    今のところ、このおもちゃはまだまだ飽きるという事が無く、当分楽しませてくれそうです。
H15年7月22日(火)  デジタル!
工業高校では電気科だった私は、多少なりとも電気には、自信までは言わないが、抵抗は感じていなかったが、当時のパソコンと今のパソコンじゃ、比べようも無いもので、驚きである。パソコンはまだ、テープに穴を開けたものや、メモリーもカセットテープだったりした。学校では、まだ、CPUなど出てくるはずも無く、半導体がたくさん出てきていた。今みたいに、フロッピーディスク、MO、CD、DVDなども無く、HDだって、なかった時代である。液晶画面も驚きだった。今は、スキャナや、デジカメなど当たり前で、パソコンの普及が進んだのは、95年!ウィンドウズ95のソフトの頃からだと思う。一般の人の間でも、インターネットがささやかれ始め、通信網も、ソフトも、急速に成長して、より身近になってきた。    高価だったハード、ソフト共に購入しやすい価格帯になってきて、ネットも格安になってきた。とても良い環境になってきたものだ。   自分でも、40過ぎてから、ワープロからパソコンへ挑戦した。マッキントッシュの、初心者用で、パフォーマ5320で、HD1、2Gで、CPUの速度も100kフロッピー、CDが付いていた。CDは読み込みのみだが、フロッピーで何枚も差し替えて、データの入出力をされているのを見たら、すごく自慢したかったものだった。基本的な操作などや、パソコン用語などは、このパフォーマと共に覚えて言った。何度もフリーズしては、基本ソフトの再インストールも何度も経験した。フリーソフトや、総合ソフト(クラリスワークス)、宛名職人、タイピングソフトなど、一応覚えていった。5年ほど、マックで遊び、その後、リースで2年ほど、98の入った、シンクパッドで仕事に使えるまで、ウィンドウズとそのソフトを使った。ここ2年間は、富士通のビブロで、主にネット関係を覚えた。メールやネットサーフィン、そして、ホームページを作って、試行錯誤で、まだへなちょこでは有るが、一応パソコンのひとつの形態を楽しめるようになった。        自分の周りで、パソコンを持っている人はかなり少ないし、ネットと言っても、メールが主で、まして、ホームページを持っている者は、数えるくらいしかいない。高校で一緒に勉強した同級生ですら、そんな状態である。まあ、彼らは、仕事では、パソコンを活用はしているが、『遊び』では、使っていないようである。      人と接する機会の多い仕事をやってきましたが、ネットサーフィンをやっている人も少ないし、特にパソコンを『遊び』道具という事で、使っている方は、友人知人にはいません。どうもどこかに、『まじめな』道具としてしか使っていないようである。
H15年7月17日(木) 生きていく上で一番大切な事は、「感謝」すると言う事である。
毎日懸命に生きている人も、目標を持って頑張っている人も、漫然と過ごしている人も、苦しみの渦中にある人も、楽しさの中にある人も、考える力のある人みんな、ついつい忘れてしまうようである。
私もつい忘れていました。とかく自分の力で生きているなんて気になったり、心の赴くままに生きていて忘れていたり、なんと横着なんでしょう。生まれてきた事も、生きている事自体も、喜びも苦しみも、人生全てが、感謝でいっぱいのはずなのに、今自分と思っている存在も、持ち物、何もかも自分の正当な所有物なんてありはしないのに、当たり前のように、自分と自分の持ち物が全部自分のものだなんて、自惚れ、勘違い、大ばか者です。横着者です。この体も、周りの物全て自然全部、宇宙全体すら、自分と思っている者の物ではないのです。
心すら自分のものでないのに、ここに居る事に『感謝』する事を忘れるなんて、もう一度悔い改め!なければなりません。
 学校の勉強や今までの仕事、趣味や、家族や、持ち物も全部、死ねばお返ししていくのです。まして、罪も功績も、全てこの世に残していくのです。自分と思っているその心まで、置いていくのです。
 だから、今生きていること自体に、『感謝』し、全ての事に感謝し、生きていこうと思う。今朝不意にその事を、思い出して、目が覚める思いがしました。
 そんな事を、今日は書いてみました。
H15年7月16日(水)  日本人のメロディー
邦楽を聞いて心休まるだろうか?ジャズや、ブルース、ポップス、などなど、あるいは、ヨーロッパの音楽はどうだろうか?確かにいいものは良い!んだが、少し、違わないかなあ。日本人には、日本人の感性みたいなものがあって、日本人にしか作れないメロディーがあり、日本人にすっきり好まれるメロディーがあると思う。沖縄や奄美の音楽も、その土地で生きてきて、また新たに生き続けているのである。まあ、演歌や、童謡、流行歌、Jポップス、和製フォーク、にも良いものがあると思う。どうも自分で新しい曲を作ろうとするときに、『日本人のメロディー』を意識してしまうのである。     ただ、自然に踊りたくなるような曲と、じっくり聞けるリズミカルな曲と、さらさら流れるような曲と、まあ、そんなイメージをどんどん出して行くと、何か作れるかもしれないと言う気になってくるものである。  最近のプロの曲作りは、曲先が多いらしいが、私は、歌詞先でないとイメージがどうも乏しいのです。大雑把に『日本人のメロディー』と言ってしまいましたが、やはり新しいものでなければなりません。歌詞にしても、メロディーにしても、良い意味で、日本人的なメロディーが欲しいいのであります。 フォークやニューミュージックと言うスタイルでも、フォークロックというスタイルでも、要は、日本人の好むメロディーを中心にしたいのであります。    
H15年7月15日(火)  田舎に住んでいて
田舎に住んでいると、自然は多いものの、情報や品物は圧倒的に少ないです。たとえば、ギターひとつにしても、近い所でも約2時間かけて、車で行かないとないですし、それでも、欲しい商品は置いてありませせん。まして、中古のよい品物を求めようにも、ほとんど無く、下取りを無理したような物くらいしかおいてない。情報に至っては、相当、積極的に探さなかったら、何も入手できない。     たとえば、高層のマンションに住んでいるようなもので、ただ自然は豊かなのだが、そこから見える世界があって、買い求めに行くにも、エレベーターに乗って、駅まで行って、電車に乗って、目的地まで行かなきゃ行けないような、不便さがある。    今、テレビやパソコンで、見えているだけに、余計面倒な気がする。クリックひとつで商品をオーダーできても、販売員と対面しての購入は、商品を手にしなければ買いたくない物もある。     まあ、人の集まりが、圧倒的に少ない田舎住まいは、自然との触れ合いが、人に邪魔されずにできると言うことはある。  それだけ自分を見つめる時間もアルと言う事で、心の浄化には適していると思う。   とは言うものの人間どこにいても、気付く人は、出来るもので、場所はあまり関係がないのかもしれないが、自然の力は偉大だと思う。   自然の中にいてこそ、気付く事もある。     人間いびつな形の欲望の塊で、都会に行けば余計硬くなるというものである。何でもあるから欲しいものばかりで、何もなくても生きていける田舎とは、すこし趣を異にする。何かを次々にもとめて行く事が容易い都会と、何にもなくても食っていける田舎。都会に住んでいた頃を懐かしく思うとともに、田舎暮らしが、何かしら満ち足りているのは何故だろう。
H15年7月11日(金)  私はあなたのために、あなたは私のために
この人とならと思うと時、長い時間をかけないでも、お互いがお互いのために生きていると言う実感を持つものです。その後に、自分の存在理由を突き詰めて行くと、私とあなた、という存在にぶつかります。対社会じゃなく親や子との関係でもない、二人の組み合わせであります。    人を愛する事が、素朴で、飾らなくて、何もいらない、もともと裸で生まれてきた、そのままのみで充分すぎるくらい、満たされるのです。お互い。   若い頃は、激流のようで、そこら辺の実感に、なかなかたどり着かないものでした。もう残りの時間のほうが短くなってきましたので、ほんとに大切な事は何かを気付かせてもらっているのかもしれません。  この二人、男と女、それが、「私はあなたのために、あなたは私のために」生まれてきて、出会って、こうして生きているのです。      今を過ごせてほんとに幸せです。・・・・・というのを本で読んだ。ん〜ん、そんな二人になりたい!(笑)もう純粋さを亡くしてしまって、どこに行ったやら、探す事もない。皆さんはいかがでしょうか?    
H15年7月8日(火) 二面性!について、また
まだすこし二面性について考えていまして、もっと深く考えてみた方が、面白いような気がしています。世の中に見える面は、あるいは、人が見る面は、片方しか見えないわけで、でも、もう一面があるからこそ片面が存在するのです。違う見方をすれば、その面を見るのではなく、その事実のみを形容詞を交えず、事実として受け取る事が正しいのですが、自我の意識は、受け取るとき自分のフィルターを通してしまいます。そして、こうだったと言うのです。たとえば、「優しさ」を受けたら、「私にこんなやさしい事をしてくれた、あの人はなんて優しい人だろう」って思うわけですが、「優しさ」の裏面は、「冷たさ」です。なので、優しくした人の、ほんとの気持ちや、された人の受け取り方で、「優しさ」が「冷たさ」になったりもします。下人のほんとの気持ちの中にも、下心や、計算、思惑などあるかもしれない。受け取る方にしても、相手を見て、気持ちが好感に傾いていれば、良いほうに受け取ってしまう。なので、事実のみを受け取っていれば、感情の波立ちは無くて済むと言うものです。     ここら辺に、人の心と世の中の出来事の二面性を見るわけです。つまり、片面しか見ないと言う考えや思いは、人間にのみあるという事です。そして、それは、自我の心が生み出していると言う事です。「ありのままに見る」とは、こういう、自我の心の働きを離れ、事実のみを事実として受け止める事です。      人間が、片面しか見れないもうひとつの事は、「生きる」と言う事と関連があります。片面しか見えないが、もう片面をしっかり思い描く事で、より片面が生きてくると言う事です。たとえば、「生きる」という事は、何気なく生きている人が多いと思いますが、もう片面の『死』ということを、しっかり見つめ、思い描き、思いをめぐらし、しっかり心に定着したら、「生きる」という意味が、はっきりとしてくるわけです。いつ死ぬか分からないから、今を大切に生きる。それ以上でもそれ以下でもない。生きる喜びは、体が知っているから、喜びが自然に湧いてくる。     世の中多くの片面が存在しますので、気付いたらもう片面の事を思い描き、今の片面を生かして欲しいですね。そんな事考えるのは人間のみなんですよ。考える事は、人間である事の一面です。また、考えない事ももう一面である事は当然の事です。      そんなふうに二面性を考えています。あなたはどう思いますか?
H15年7月4日(金)  ギター歴
中学生になった頃、ギターを買ってもらいました。たぶん二年生になってすぐの頃か、1年の終わり頃でした。メーカーは覚えていませんが、全音かヤマハ、だったと思います。阿久根市の丹宗楽器店で、吊るしてあった一番安い4,500円のクラシックギターでした。吹奏学部にいた事もあり、ギターの教則本だけで、独学で、試行錯誤しながら、弾いていました。  カルカッシギター教法本だったと思います。半年位したら、和音のコードが解る様になり、上のポジションでも和音やスケールを弾ける様になっていました。ただカルカッシの教本の曲はなじみがなく、少し弾いて面白そうな曲ばかり弾いていました。曲の雰囲気やスピードは、随分いい加減で、たぶんまるでなっていなかったと思います。まして、表情の付け方なんて、解るはずもありませんでした。     今は良い時代で、テープやCDまで付いていて、曲が聞けるんですよね。一緒にかポタストも買いましたが、フラメンコ用のカポでした。       ・・・ 高校生になったら、吹奏楽部が同好会だったので、そちらも在籍し、軽音楽部に入部しました。今思えば、ハワイアンとかブルーグラス、など演奏していたみたいです。一応、ギター以外に、バンジョー、マンドリン、スチールギター、ドラムス、ウクレレ、など試しに弾かせてもらいましたが、バンジョー、ドラムス以外は、人前で演奏できるレベルになりませんでした。と言うのも、楽器だけ渡して、さあ弾いてみなさい!ですから、どうしようもありませんでした。特に、スチールギターは、どう扱って良いか解りませんでした。オープンチューニングなのですが、6弦じゃなくもっと弦の数が多かったような記憶があります。スライドバーにも左手の消音にも右手のフィンガーピックにも慣れませんでした。   当時グループサウンズや、ベンチャーズ、モダンフォーク、ジャズ、洋楽などいろいろ賑やかな時代でした。  編成の人数に編曲?して、楽譜を手書きして、渡して演奏したものです。   ・・・高校卒業後いったん社会人になるのですが、名古屋の方へ就職しまして、12弦ギター(モーリスの4万円くらいの)を買いました。初任給が45000円の頃ですので、ギターはまだまだ高かったです。  しかし12弦ギターを買いましたから、歌を歌う目的だったのです。(笑)独身のサークル(県人会)で、レクリーダーをやっていまして、フォークダンスの指導などや歌仲間と練習をしていました。同時に、会社のバンド、サンタナのコピーバンドで、メンバー楽器共、同じ編成でした。私は、グレコのテレキャスターのコピーギターを買って弾いていました。給料が7万円ぐらいの頃でした。本物は高嶺の花で、20万円以上していました。あちこちのダンスパーティーでの演奏や、東海地区音楽祭に参加したりしました。バンジョーも買いました。 ・・・・次にいったん仕事をやめて、短大に行くのですが、ギターばかり弾いていました。フォークソングが大流行で、私も歌声喫茶で、毎週歌っていました。ギャラは、コーヒー一杯!だって下手でしたから。でも、店のマスターから、飲みにつれてってもらったり、ご馳走を食べに連れて行ってもらったりしました。公民館を借りて、ライブやっとこともありました。     そして、神奈川に就職して、買ったギターが、今も残っていて、弾き続けている、モーリスTFw50です。このギターは、孤独な独身時代を一緒に乗り越えた、朋友です。約9年神奈川に住んでいて、新婚時代もそちらでした。    鹿児島に帰ってきてから、と言っても市内に6年住んだのですが、ギターはいろいろ買いました。ミニの、ギグパッカー、ヤマハのクラシックギター、タカミネの12弦ギター、マーティンのHD-28、を買いました。そして、出水に帰ってきてから、マーティンのウクレレと、最近ヘッドウェイのHD126を買いました。神奈川に行って出水に帰って来るまでの、13年ぐらいは、ギター弾いてもまったく無駄な時間ばかりすごしていました。出水に来てから、ブルーグラスにハマりだして、インストものを練習しました。でも情熱は長く続かず、昨年までは、弾いたり弾かなかったりで、歌の方は、子供に音痴だから歌うなと言われる始末でした。子供は、二人ともピアノ教室に行ってましたので、音感は私などよりはるかによかったと思います。そして、昨年ネットで、アマチュアの皆さんに出会い、ギター熱、歌う事に少し練習するようになりました。声だって、練習すれば、高音も出るようにないますし、ギターだって、苦手なフィンガースタイルも簡単な曲が、少し弾けると面白いです。皆さんもギターを楽しみましょう。
H15年7月1日(火) 口伝秘伝の続き(笑)
最近だけじゃなかったのでしょうが、「すぐにキレる」という子供や大人が増えている。本当は弱い人たちなのだが、キレたら、周りが驚いて、言い成りになったのでしょう。もっと強い奴に抑えられると、従順に従う事でしょう。まあもっと強い奴も「すぐにキレる」類の人間でしょうから、すぐキレる弱い方も不満は溜まる事でしょう。       「すぐにキレる」奴は、自制心が無いので、結局墓穴を自分で掘る事になりますが、周りは迷惑な事です。それと、昨日云わんとした事はまったく違います。     ただ、残念な事に命を奪ってしまうかもしれないと言う事では同じです。ですから、むやみに使ってもらっては、いけないのです。秘すべきは秘すべきなのです。いくら大義名分がその人の側にあっても、相手からみれば、間違いだし、命を奪う事は正しくありません。     しかし、「その変身」を、身に付けている人は、、逆に戦いが起きにくいいことも有ります。    そんな人とそんな関係にならないで済む事の方が、意味があります。      いつの世も戦いはありましたので、「狂気の中での生きる術」は、大いに役に立ったのでしょう。とても広範な知識と、頑強な肉体と、強い精神力と、戦闘能力と、心の使い方を知っている人。そんな人と、臆病な人が生き延びてきたようです。(笑)     実は、口伝秘伝は、いろんな所にありまして、武道だけじゃなく、本物の宗教にも、技術畑にも、販売業にも、いろんな所にいろんな物がありますよね。   そんなものを生きる為の術として、誰でもいくつか持っているものです。   消えてしまわないように、続く者たちに残しておきたいものです。
H15年6月30日 (月)  口伝、秘伝、
今日で今年も半分過ぎようとしています。一年が早い気がします。   今まで、少しだけ心をテーマに「戯言」を書いていますが、今日は、心を使った実際の言い伝えを少しだけ、紹介いたします。    差し障りがあるといけませんので、流派やどの種類の武道ということは表記しませんが、一応、「剣道」という事にして、話を進めます。    心の仕組みや動きなど、生死を分けるとするなら、真剣につかもうとした筈です。生きているか死ぬか、戦いの場において、それこそ全てが終わってしまいます。  もし同等のレベルのもの同士が戦ったら、技術や根性では(笑)生き残れませんので、あるいは運が良いほうが生き残るかもしれません。しかしそんな不確実な事にいのちをさらせますか?  絶対に近い確率で、生き残らなければなりません。そして、自分のダメージは、限りなく少なくないといけません。    まあ、技術や根性も、基盤として持っていなければ、逃げるのが一番ですが、それにしても足が速くなければなりません。(笑)どのタイミングでどのように逃げるかも考えなきゃいけません。まあ、ここは、一応戦う場面に遭遇して、逃げられない状況で、そして、一対一を想定しましょう。長々前提が続きましたが、実は、「口伝秘伝」は、ものすごくシンプルな事なのです。ただ、それを使えるようにするには、又別の方法が伝えれます。そちらはご紹介できませんが、心についての問題はお伝えします。 ・・・・・「一瞬にして、狂人に変身する」つまり、もう戦うしかないと決まった瞬間に「気違い!」にさっと変わって、事をさっと済まし、又さっと普通の笑顔の人に戻るという事です。・・・・・たったこれだけの事です。考える間もなく相手を処理することです。ライオンが獲物を取って食う!そのままです。良いも悪いもない、ただ、当然のように事を済ますだけです。   これが、いざ剣を前にして、相手を切る事は、なかなかできないのです。切れば血も出るし叫び声も、異常に怖いもので、普通の神経ではできる事ではないのです。そんな状況で、剣を振り回し、何とか戦い終わって、どちらかが負けどちらかが勝つのですが、怪我もひどい状況でしょう。 「口伝秘伝」の中に、簡単に教えてはいけない事があるのです。そして、それの鍛錬方法があるのです。    いまの「一瞬にして、狂人に変身する」事だけ知っていたとしても、そんな相手を相手にしないで済みますので、(笑)少しは役に立つかもしれません。くれぐれも人を外見で判断しないようね、各部分をつぶさにしっかり観察する目を養う事をお勧めします。  よく手の内、といいますが、「手の内」はなかなか見れませんが、握手するとかで、解る事も有ります。拳ダコばかりが、目に付きますが、手の内!に狂気を隠している人がいますので、ご注意ご注意です。    ボーとした日々、平和な時に汗を多く流し、戦いでは、血を少ししか流さない、ボーとした日々!
H15年6月28日(土)  磁石!
当たり前に存在する磁石だけど、不思議な存在だな。引き寄せる力があるが、鉄だけひきつける。何でも良いというわけではない。  もうひとつ、極があるという事。これも凄いな。お互い離れている所が、引き合うのである。同極は反発する。(笑)    不思議な存在だな。   そういえば、「男と女も磁石のようなもの」と言った人がいた。 なるほどと思った。たしかに男と女も不思議な存在だ。  分ける必要がないと思うが、2種類の人間がいるのである。  「男と女」・・・・・世の中いろいろ2面性があるが、片方だけで存在する時もあるし、片方ずつ存在するものもある。又、両面を持っている事もある。     たしかに片方ずつだったら、不安定で、くっついたら安定する。(笑)    女心ではないが、両面持っていて、その状況によって、どちらか片方を見せる!両面持っているからほんと強い!のである。   男は、片方しか持っていないので、自信がなきゃ、いつもおどおどしている(笑)自信のある奴は、過剰気味で、自惚れが強い(爆)   どう言っても、磁石のようなもので、お互いピッタシいく片方を求めて、うろうろ探し回っている(笑)。   くっついて見ても、微妙な違いに腹を立てる奴もいて、世の中面白いものだ。    まあ外観を見ても解らないので、(笑)とりあえず、くっついてみるしかない。   そこに人間界の妙味が隠されていると思うが、味わう事の出来ない人々は、滑稽だ。プラスとマイナスしかないから、単純に磁石だったら良いのにな。  人間は、もし考える事がなかったら、単純に男と女!だけなのに、「我」があるために、考えてしまう。そこに、滑稽な人間模様が生まれる。    そういう磁石のお話でした。(笑)
H15年6月26日(木)  結婚
いいものか、さして、いいものでもないか、こればっかりは、お互い判断がつかぬままの結婚の方が多いのじゃないかな。男が読めないのと、女が見せないのと、男が見せないのと、女が読めないのと、夢や希望や、そんなものが膨らんでしまって、一緒になってから、どちらともなく後悔が始まる。   子供のためにしょうがなく我慢して、育て上げるという事も多いでしょう。   この頃出来ちゃった婚!が増えているのと、結婚しない人も増えている。    どうもセックスに対するものが、大きく関わっていて、勢いが良い人と、自制心が強い人と、どちらも興味は強いのに、うまくいっていない。   まあ男が悪い女が悪いというものでなく、自分を上手くコントロールできない人が多いようである。   それでも産まれてきた子供は、どうなんだろうか?どんな子供時代をすごすのだろうか。その子の人生のほぼ全てを、決定してしまう心が作られるのである。      大人と言ってもただ何年か多く生きてきただけで、子供のまま歳を取って、子供より手に負えない存在なのに、子供を作る。    多少、学があり、地位があり、指導する立場であっても、熟した大人にはなっていないもので、あるいは大人ぶっているものが多くて、その自信はどこから来るのかしらないが、その信念たるや凄いものである。      鼻持ちならない奴や、いきがった奴、大人しそうな奴、まじめそうな奴、賢そうな奴、どうもいろんな輩が、世の中の流れを作っている。 何も男ばかりじゃなく女にしても、心を覗けば、そりゃ男もたじたじですよ。     結婚!までは幸せだと思うが、その後は、試練である。男も女も。
H15年6月25日(水)  人が思う時!
人間の力ではどうしようもない出来事に出会ったときなど、自然や人間から衝撃を受けると、人は考えます。    又、あるとき何気なく、不安や奇妙な気分に浸ると気があります。それは心の底からじわーと湧いてくるものです。    考えるのでなく「思う時」が、つまりそんな時です。   湧いてきたイメージに思いをめぐらせる時です。   思う事に浸っていると、自然に答えらしきものも、浮かんできます。考える時は自分で何とか答えを見つけようとしまうが、思う時は、答えも一緒に沸いてくるようです。自分の意志や考えを加えなければ、思いそのものが、ひとつの流れとして、何かメッセージを伝えようとしているようです。     豊かな気持ちになれるか、嫌悪感に陥るかは判りません。   ただ、考えるという事は、何か自分が決定したという事になりますが、思う事は、自分の判断は何もいりませんが、ぼんやりしていれば、答えも自然と思うことの中に含まれてきます。   まあそんな手がかりがないような、あいまいな感じの中に実は、大切なものが隠れていたりします。    自分という意志を離れ、心を自由に何にも囚われず、ぼんやりした時間の中に、「思う時」を、楽しんでください。   何かしら、心の底から望んでいる自分の姿が、浮かんでくるかもしれません。       日々のこまごました事に、神経を使って、考える事は、しょうがないにしても、本当の自分の心を覗く時間も、もたれてはいかがでしょうか?     ただ、くれぐれも、ご注意しておきます。    心を取り扱うとき、正しい、清い、優しい、そして、強い頑強な意志、を持たないで、うっかり手を付けると、悪魔、狂人、心身喪失、など、戻れない迷路に入り込みますので、ご注意ください。(笑)      秘すべし、秘すべし、なのです。    誰でもできる事じゃ無いので、知識と、忍耐力と、判断力と、強靭な意志、正しい考えが、伴わないと、心の罠に落ちてしまいます。      普通にぼんやり、あるがままにほって置く事をお勧めします。それでも充分幸せになれますので、「思う時」を、大切にして下さい。
H15年6月23日(月)  あなたは何の奴隷ですか?
意外に少ない、自由な心の人。     何かの奴隷になっているのが現状ではないでしょうか。「お金」「権力」「組織」「買い物」「車やバイク」「家」「妻」「恋」「子供」「仕事」「パソコン」「携帯」「異性」「セックス」「おもちゃ」「タバコ」「お酒」「いろんな食べ物」「化粧」「身の回りのもの」「ダイエット」「骨董」「旅行」「サーフィン」「病院」「麻薬」「暴力」「格闘技」「武道」「本」「時計」「時間」「ギター」・・・・・・・自分の囚われている事を全部書き出して見てください。上の書き込みは、参考までですので、私の事ではありません。       何からも自由であるという事は、できそうで相当難しい事です。  中には、「自由」の奴隷で居るかもしれません。自由すらこだわったら、その奴隷です。      何のために生きているか、いかに生きて行くか、どのような人生を送るか、まあそんな事を考えるなら、一度は、自分が何に囚われて、その奴隷になっているか、じっくり考えて整理してみる事は、これからの人生に大いにプラスになると思います。        やはり、二面性!を同時に持っているという認識は、大切ですね、それを忘れると、迷いも生まれてくると思います。しっかり両面を見つめて、どちらが良いとか悪いとかでない、そういうふうに存在するんだという事実の認識が大切だということです。   その上で、自分はどんな風に生きるか考える事です。    ほとんどの人が、その場に反射的に決断をして生きているだけです。それはそれで良いのですが、ここで言いたい事は、その決断をしている事を、少し立ち止まって、良く眺めて見ましょうと言うことです。そうする事により自分の過去の経験や、なぜ添えを選ぶかということから、性格や損得勘定まで明らかになってくる訳です。見過ごしていた自分、をはっきりと認識する事で、自分という者がよく見えて来るわけです。そこから、自分を縛っているモノの正体をつかみ、自由を得ようと思うのです。     奴隷からの解放!です。自分を見つめ、今の自分をはっきり見つめ、そのものの二面性を認め、新しい自分に目覚めるのです。      ところで、「あなたは何の奴隷ですか?」
H15年6月18日(水)ブルースについて 
ブルースの雰囲気は好きだけど、和製ブルースは好きになれない。何が好きになれないかと言うと、歌詞!が好きになれないのです。     フォークで歌ってもニューミュージックで歌っても、演歌で歌っても、ポップスで歌ってもいいような歌詞で、ブルースで無きゃ歌えない、表現できないような歌詞がない!   ブルースの雰囲気やリズム感を楽しむだけならそれでいいが、私にはどうも受け入れがたいものがある。    聞き流すならどうでもいい事だが、言葉が聞こえてくるともう、拒否してしまう。   「ソウルフード」をご存知だろうか?家畜以下の扱いって知ってる?どんな事が毎日行われていたか、知っていますか?「奇妙な果実」は知っていますか?     どうしようもない現実から、歌う事だけが、唯一の楽しみという所から、心の怒りや悲しみわずかな喜びを、絞り上げるように出来上がったブルース。     和製ブルースが嫌いじゃなくて、そんな人間のぎりぎりの心の叫びがない歌は、他のジャンルで歌った方がより歌として完成度が高い気がする。  ただの失恋や、お酒を飲んで忘れられるくらいの事をテーマにして欲しくない。    それほどブルースは私にとっては、どこかたった一人でじっくり聞きたい歌なのである。      「アメイジング・グレイス」は、奴隷売買を生業にして、船で運んでいた人が、女奴隷をやりたい放題やったりしたあげく、船が難破して、生死をさまよった挙句、助かって、聖歌に目覚めたくさんの曲を残りたのである。皆さんのご存知の事です。     人間の極悪と、天使のような心と、もし分けるとするなら、極悪に振り回された人の気持ちの歌、心の叫びがブルースにはあると思う。    それをロックで歌うのもいいが、いずれにしても、あまり軽くならないで欲しい。    単なる思い付きを歌にされ、聞かされる事くらい無駄な時間の過ごし方はない。
H15年6月16日(月)  長崎、みずほ歌会のライブに行って
朝7時20分家を出て、日奈久から高速、熊本港から、10時のフェリーにぎりぎり乗れて、11時に島原着、みずほすこやかランドまで30分で到着。しかし雨天のため場所が、町の体育館に変更なってて、場所を確認して、11時50分に到着。         演奏が始まったのは、1時になってからで、その間、KAKINOKOさんのおにぎりや、サンドイッチ、から揚げに玉子焼き、などご馳走になり、お腹も落ち着いた所で、あーさんの、アシスタント?の、まーこさんに、次々ご紹介をしていただき、岡野さんの、「53歳ですが、あなたはおいくつですか?」年を答えたら、少しご不満だったみたいで、私を年上と思われたようです。      演奏は、エレアコを持たれている方が多く、アコギの方は逆に少なかったです。ぽてちーさん(シーガルオーダー)、原田純子さん(ギブソン)、あーさん(ローデンギター)他誰かいたかな?アコギに、ピックアップつけている人も居ました。ラインが伸びていまして、音が生ギターではなかったです。    大きな音量になると、エレアコは凄いいいなと思いました。特にタカミネの音は、自然な感じの音で、あれなら、私もいずれは使ってみたいなと思いました。      それぞれ、歌を聞かせたり、ギターを聞かせたり、歌詞を聞かせたり、長崎弁を聞かせたり、フォークだったり、ロックだったり、ポップスだったり、個性たっぷりと、体を使って見せ楽しませてくれました。やはり、若さの輝きは、素晴らしい、ベテランの味は、雰囲気をかもし出す。とても楽しい時間でした。     ステージで歌いませんでしたが、あの雰囲気で、歌えるような歌を持っていないのが残念で、これからの作曲には、是非、盛り上がる曲も作ってみたいです。  それから、自分なりの作りたい雰囲気が少し湧いてきましたので、作曲に取りかかりたいなと思います。     そんなこんな考えながら、2次会とまりの部屋と、移動して、話しに盛り上がりました。  帰りは、3時ごろ寝て6時に起き、二日酔いの頭を覚ましたかったが、治りそうもなかったので、早めにお別れして、フェリー乗り場の駐車場で、仮眠、フェリーの中で、仮眠、・・・熊本港からの帰り道、高速を使わずに国道501〜3号線で帰ったが、なんと時間がまったく同じ2時間40分で帰り着いてしまった。道さえ覚えていたら、こちらの方が無駄がなかった。また、フェリ−運賃は、往復買うと、帰りが半額割引だった。知らないで、片道づつ買って、少し無駄な事をしてしまった。 次回からは、時間費用ともに、無駄もなくなるだろう。      いろいろ話を聞かせていただきまして、意見も聞いていただきました。参考にしていただけたかな?    若さをいっぱい目の前にして、久しぶりに、エネルギーを吸収したぞ〜(笑)     そうそう、特技!人相手相星占い!も、実は、持っています。あ〜ひとつ、隠していたものをさらけてしまった〜。(笑)    
H15年6月13日(金)  やさしさと言うごまかし
誰だって優しくして欲しいものですが、厳しさのない優しさは、ごまかしです。相手をも自分をもごまかしています。常に何かの事をやろうとする時には、相反する事を含んでいるものです。片方だけをもってする事は、もう片方から仕返しをされる事になります。     自分も厳しくされたくないし、責任持たされても嫌だし、相手にそれを押し付けるようで嫌だと。だから、優しく見せかける事で、その場を逃れようとするのである。    最近の家庭内からの引きこもりや、犯罪、トラブルなどなど、どうも、ごまかしの優しさが、作り出しているようだ。     かえって、無視する方が、まだ、いい場合だってある。でも、本当は、相手に厳しさというもので当たって、優しさを植えつける事が、大切なのです。   優しさのない厳しさは、同じようにごまかしで、ただ、鬱憤を晴らしているだけの事だったり、いじめたり虐待して、自己満足をしているのである。      どうも、この頃、心の病気にかかって気付かないでいる人が多い。それも、ごく普通の人間たちなのである。心を縛っているものが、あまりにも多くて、自由な健康な心を持てないでいるようだ。    自分の心すらごまかしているようじゃ、目を閉じて道を歩くようなもので、ぶつかっても相手を怒鳴るのだろう。お前の、心が、危ないのに。
H15年6月13日(金)  人を縛っているもの
肉体的にロープで縛られてはいないものの、自分の心が自分の行動を制限している事がある。 いわゆる、法律や、しつけ、マナー、規則、などなど、二人以上いれば必ずそんなものが、人を縛るようになる。子供の頃から、親にしつけられたり、学校の規則や、先輩後輩、友人との言動など、社会に出れば、会社でのマナー等、いろいろしつけられるのです。また、女性との交際のマナーなど、凄いですね。    まあ、今日のテーマは、「人を縛っているもの」なので、それについて、考えを話してみたいと思います。     誰だって、そうして学習してきた事で、自分を自分で縛り付けている事は知っています。ところが、その不自由さをあまり感じていないのです。また、得意になって、何々流の行儀作法ですなんてやっています。その行儀作法そのものが悪いのではないのです。    言いたい事は、「縛っているという事を忘れてしまっている事」なのです。つまり、日々の生活で、自動的に心や体が反応して、動いていると言う事です。    それを今一度認識しながら、行動してみたら如何かなという提案です。       自由に生きる喜びの邪魔をしているのは、そのような常識的な規則マナーなどを、いちど捨て去って、見る事です。     自分の心の点検をして見て、何が自分を縛っているか考えてみる事は、これからの人生を、軽い心で生きて行く事の第一段階です。     どんな事でも自分を縛っている言葉を、もう一度何故!と考え直してみましょう。     人を殺してはいけない!何故でしょう。もしこの世に二人しかいなくて、そいつがにくくてしょうがなく、殺したとしましょう。咎める人もいないし、やがて自分も死んで行くだけです。その他状況がいろいろあれば、殺す事が悪い事でないかもしれません。しかし、社会が形成されていると、殺す事は、その人の身内や友人知人を悲しませます。報復があるかもしれません。そんな自体にならないように殺さない方がいいとおもうのです。もうひとつは、人の命は、連綿と続く人間の生そのものなのです。死は、人の手でなく寿命や運命で消えて行くものとしたら、やはり、殺してはいけないと言う考え方が生まれてきます。    それぞれ、ひとつずつ縛るものを検討していく事は、自由な心を得るためのひとつの方法です。   こだわりを持つ前に、ほんとの自由な心を持たないと、こだわりから、笑われますよ。     あなたの心を縛っているものは、なんですか?
H15年6月13日(金)  物が在るという事無いという事と、信じる事
テーマに関連性が感じられないかも知れませんが、まあ読んで見てください。    その前にひとつ確認をしておきたいのですが、この世に在る物や、出来事などは、常に相反する物を含んでいるか、相反する物が在る為に存在するという認識です。つまり表裏を同時に持っているという認識の事です。    ここの所をしっかり持っておいて頂かないとこれからの説明が良く解らないと思いますし、疑問や反論になると思います。相反するものを同時に持っているという認識は、一般的に持たれている方が多いので、いろんな分野で、それなりの方々が、それぞれの話の展開をされています。    では、物が在るという事と無いという事、についてですが、もし無いという事がなければ、存在自体が無いという事ですので、意味を成しません。つまり在るという事は、無いという事があってはじめて成り立つのです。無いという事も在ると言う事があるから、成り立つのです。すごく当然の事のようですが、実は、物に溢れるこの世界で、無いという事を実感する事は難しいのです。この無いという事は、在ると言う事を支えている無いという事であって、お金が無いとか家が無いとか言う意味の無いと言う事ではありません。   物の世界で、これが無いと言う事でなく、物が在ると言う世界を成り立たせるためには、無いと言う世界が存在しなければなりません。   先に説明しました、相反する世界がある事で、世界が成り立つ。という意味に置いての事です。     まあ認識できる事でしたら、信じられもしますが、認識できない事はなかなか信じられないのです。     ここに、認識できない事でも、信じると言う意味が生まれます。在るのは推測できても、認識できない、なので、どう手を付けて良いか解らないのです。    そこで、ただ信じるという強い思いが存在するのです。信じれば、いつか向こうから近づいてくるのです。今日はそんなところの話をしてみたかったのです。     10人に1人がこのような精神世界に興味を持つといわれています。まあ9割の人は興味を持ちません。またたとえ興味を持っても、ほとんどの人がたどり着けないで、この世を去っていきます。この世は、ただ変化する事のみの世界で、その中で、思いどおりに行かない人生を生き死んでいくのです。今まで生きて来た事そしてこれから死ぬまでの時間が、何の意味があるでしょうか?名前が残ったとして何の意味があるでしょうか?自分はもうこの世にいないんですよ。生きているうちに、変化しない世界を味わいたいものです。    人間の最大の楽しみがそこに在るのです。
H15年6月12日(木) 何のために生まれてきたの、どう生きればいいの。
この言葉は、私が、高校生の時、先生が授業の時に言った言葉でした。たぶん20代か30代の独身の先生だったと思います。まだ、純情だったんですね、その先生は。    もう答えは見つかっているかな、どうかなと思います。    私なりに、夢のない話をすれば、生まれてきたのは、他の動植物とまったく同じで、自然な子孫を残そうとする行為から生まれて来ただけです。まったくの自然な行為からです。これがないと地球上の動植物は死に絶えてしまいます。    だから、何のためにという事は考えなくていいのです。あえて言えば、次の子孫を残すために、生まれてきたのです。ただそれだけです。   人間だけが、何故!とか、何のために!とか考えます。まったくいらぬ事です。もっと純粋にシンプルに考えましょう。       次に、どう生きるか!これは、少し厄介です。生まれた環境も違えば、その人の嗜好も違う、出会う人も社会も違ってくる。だから、大雑把に、人間として生きようなんて事は言いたくないですね。人間として生まれたからには、人間にしかない大きな喜びや感動、人間の記憶に残る生き方、をしたいでしょう。ある目的がそこにないといけません。    生きる目的が、人それぞれ違うのです。自分で何をやりたいか見つけて、生きていかなければなりません。まあ取り立てて言わなくてもなんとなくそうしているはずです。     大局的に見ると、言いにくい事ですが、犯罪を犯す人なども、人生の目的と言うか、人間の社会には、発生する事なのです。善い人がいれば、悪い人もいます。一人の人間でも善い行いをする時と、悪い行いをする時があります。人間は、善と悪を心の底に持っています。ただ、社会的に善で生きていかないと、罰を受けるから、経験的にそうしているのに過ぎないのです。もし、平気で殺しあったり、うそや詐欺や、やりたい放題が許されるなら、そんな行き方を普通にしているでしょう。でも、心にも安全弁があって、社会的な制裁とは別に、良心の呵責!というものがあります。    そしてそれが麻痺しても、大きな苦しみを感じるように心にセットされています。しかし、全員がそういうものに忠実なわけでなく、中には、悪の限りを尽くして、死んで行くものも存在します。何もヒットラーだけじゃないです。それの影で、人体実験などを楽しんでいた輩もそうです。戦争をいい事に非人間的な事は、古今東西どこでもある事です。    どう生きれば良いかを考えるのに、もうひとつ重要な事があります。それは、どうしても宗教というものを外して考える訳にはいかないのです。    人間だけに与えられた真実があるのです。「神の国」「空」「悟り」「道」「西方浄土」いろいろ言い方は違いますが、人間だけが、味わえる真実があるのです。それを求める生き方も、もうひとつの生き方なのです。      何も偽宗教みたいな事じゃなく、命がけで求めた人たちがたくさんいました。そして、実際味わった方も多かったのです。そんな事が、どう生きればいいのの、もうひとつの答えとしておきましょう
H15年6月12日(木) 苦しみについて、
昔から、苦しみについていろいろ研究がなされていて、私が言うべき事はないのですが、一応考えをまとめる意味で、書いてみます。     まず、苦しみと痛みは、はっきり分けるべきです。どうもごっちゃになっている人が多いようない気がします。苦しみは何とかなっても、痛みは、どうしようもないと言う事です。体験的に痛みはそうか!と納得していただけると思います。体の痛みや心の痛みは、時間とともに消えたり、最悪モルヒネ等で、和らげる事ができます。      しかし、苦しみは、何とかなるって言われても、出来ないから苦しみじゃないのと反論が聞こえてきそうです。     その苦しみの正体を知っていますか?それが解れば、答えが出そうです。   いろんなタイプの苦しみがあります、まあ仏教で言う四苦八苦です。そこで、はじめの痛みではないという事をまず思い出してください。痛み以外の苦しみは、どこから来るんでしょうか?      実は、本人の経験の記憶や、想像や、思い込みや勘違い、など、自分から生まれているのです。「そうです、自分で自分を苦しめているのです」良く良く考えて見てください。その苦しみをじっと眺めて見てください。自分が第三者になった気持ちで、その苦しみ自体を眺めるのです。きっと原因が見つかるはずです。だって、苦しみ事態はどうして起きたか一番良く知っているのは、自分なんですから。もしどうしても解らないものは、ほっておけばいいのです。いつかはっと思い当たるときが来るはずです。苦しみは、自分の自我の強さから生まれます。だから、執着しているものを捨てるなり、諦めるなり、忘れるなり、違う事に興味を移したりすれば、消えるはずです。      実はもっと深い苦しみも存在しますが、それは、簡単に説明する事はできません。それこそ解決方法は、自分で発見してください。      心の中に、自我と、無意識からの湧き出る想念と、いろんな思いと、冷静にじっと見つめているものと、全部を写す鏡のような心自体が、存在します。ひとつじっくり心の存在を確認してみましょう。そのきっかけが、「苦しみ」なのです。
H15年6月11日(水) 女について、
女の中で育ったので、少しは観察する機会が多かったかも知れないが、男から見るとなんとも不可解なものである。ただ、いくつかは違いがはっきりと判る。    ひとつは、弱さ女性らしさと、強さしたたかさ、負けず嫌い、強気、が、表裏同時に持っていると言う事である。開き直るのか、自己防衛なのか、有利に事を運びたいのか、まあ、そんな時、突然手の平を帰すように、変身する。もうこうなるとほとんど男の手に負えない、元の優しい普通の女性になるのをひたすら待つか、交換条件を出して、気分を治してもらうしかない。  二つ目は、常に良く見られていたい、どこか自分のいいところを見てもらいたいもの。三つ目は、噂話が好きで、自分が絡んでない事が条件だが、噂話は好きで、その怖さも充分心得ているみたいだ。   四つ目は、損をしたくないのである。自分のものに対する執着心が、男の比ではない。どんな些細な事でも、女の損になる事はしてはいけない。プレゼントは大いに喜ぶ。    空想するとき、ほとんど自分に都合のいいようにどんどん連想する習性がある。それは、男にないもので、男を上手く誘導しようとする罠みたいなもので、自分の物にしっかりしたいようである。猫の様に抱かれ気が向かなけりゃぷいっと出て行く、お姫様願望も強い。      五つ目、女は、秘密として隠すことが好きで、絶対暴露しない。それは、男と比べようもないほど強い。内に取りこむ事で、満足を得る女ならではの習性だろう。男は、吐き出す事の快感が強いので、秘密にする事が苦痛でしかないようである。       まあそのような事も含めて、女は「強い」のであります。泣くから弱そうですが、涙の使い方を熟知していますので、男の気持ちを動かす小道具、方法と思っていた方がいいですよ。    家の中に、母、姉、妹二人、それに私。これが記憶がある時からの、私の家庭でした。    女よりしたたかに生きる事はできないが、そんな中でも上手く生きる事はできました。    何故!と考える事が、女を知る方法です。そして、間近で見、触れる事です。
H15年6月10日(火)  自由な心
このタイトルは、一番戯言にあっているような気がします。   だから戯言なんです。    では、能書きなどをひと言。自由の反対は、こだわりでしょうか、どうせこだわるなら、こだわらない事にこだわりたい。大体こだわりほど尖がった物はない、こだわらないのは、霧のようなもやっとした、水のように岩に沿って流れるように、風のようにただ吹くように、何があってもぶつかるでもなく、避けるでもなく。ありのまま流れて行く。     こだわりの尖がった心では、相手を傷つけて、自分も傷つくばかりで、疲れが残るのである。自由な心は、物事の発想の転換が必要である。でも、ほんとは、何も思わないでも、自然に回答が浮かんでくるものなのであるが、今の私には、まだその状態ではない。  せめて、人間の都合で、物事を考えるのでなく、もっと広く自然に沿った考えで、生きて行きたい。   自由な心、不自由にしているのも自分なのである。不自由さは、今までの記憶なのである。経験なのである。歳を取るとやる前から、結果を決めてかかるので、それこそ不自由である。まったく新しい気持ちで、毎日を取り組めば、もっと自由な心で生きられるのに。    自由な心は、まず自分を捨てる所からスタートします。自分に囚われていたら、自由な心は生まれてきません。自我を通り越した所に自由なこころが見えてきます。    もどかしいような所にほんとの自由の光が差し込むのでしょう。不自由な心だけははっきりしています。自分の考えにこだわる事です。そこから出発して、人間として生きている間に、自由な心を持ちたいなと思います。   皆さんは、何を生きる目標に生きていますか?   何が一番満足した人生でしょう。     生まれて来て良かったと言える、これからの人生を毎日生きられますか?       毎日を流されるのでなく、本当の自分で生きていけますか?    自由なこころ! それがテーマなのです。
H15年6月9日(月)  どうでも良いけど!
マンギョンボン号を入港させなかったのは、報道機関の考えの無さで、まあ当局もそこら辺極秘にして、まずいつもどうり、入港を最優先させ、なめきった態度のやつらを、待ち構えてこそ、真実が分かるというもの。  そこら辺が、見ていて、幼稚園児がする事とまるっきし同じで、手の内を正直に教えてから、ゲームを始めるようなものである。       高等な戦術を駆使してとまでは言わないが、あまりにも稚拙なのは、世界中からも舐められる事になる。「侮れない日本」とせめて、韓国、北朝鮮、中国には思わせないと、世界中の国から、「金持ちのおぼっちゃん」脅せば、何とかなる式で、口だけで手も上げない日本と笑われて、舐めきられていく。せめて、金を出すんだから、口で言う事聞くように、脅しも強烈にやらないと、命をかけて日々生きてるような人たちと、対等に渡り合えるはずがない。   外交は、まず力、そして、発言、そして金の順である。相手が一番必要な物は、一番最後に出すべきである。   それも、条件をたくさんつけて、簡単に金が手に入れば、その国家すら努力して、外貨を稼ごうという状況にならない。金は稼ぐのももらうのも同じように大変な事だと認識してもらわねば、お互い良くない。    もっとひどいのは、日本は大赤字なのに、金の約束をしてくる事である。ほんと馬鹿じゃないの。収入の税金をはるかに超える借金をしてまで、他国に援助する必要なしである。まず自国を健全に運営する方が先である。  どうでも良いけど、ほんとどうしようもない状況に入っているのに、この日本の経済状況を、どうしてくれるのだろうか。めちゃめちゃにして、もうどうする事もできません!ってお手上げして逃げるんでしょうか。どうもそんな無責任な方へどんどん動き始めている。政治家のいい加減な政治で、今があるが、これからもっとひどくなると思う。       こうして批判する事は簡単だが、批判もしないで、ただ国にお任せして、何も考えず、世の中景気悪いね、と言ってるようじゃどうしようもないじゃないが。     まあ他国への援助の前に国内をまづ、健全に整えてから、あるいは、今の状況を変えられないなら、援助しながら、国内の発展を即すべきである。どうも、周りに振り回されて、時を稼ぐでもなく、ただに右か左かと迫られれば、都合のいい方をただ選んで事を済ましているようじゃ、どうしようもない。もっといろんな方法を考えて、時間を延ばし、右左でなく、上も下も前も後ろも、斜めもあるじゃないか。進むだけじゃなく止まったり下がったりもあるじゃないか、何か手にして戦っても良いじゃないか。どうも、お坊ちゃんで、素直で正直で、良い子でいたんじゃ、むしられて金が無くなったら、どこからも相手されないようになるよ。    政治家はどう責任を取るのかな、選んだのは国民だといって開き直るのかな。弱いものには強く出て、強いものにはまかれる。こんな馬鹿な話はない。
H15年6月7日(土) 車の今と昔
業界の自主規制280馬力!まあなんというか車は馬力のみで走るもので無いので、良いか悪いか言い様がないが、おばかさんの頭を納得させる口実なのよね。知識と計算のみが優秀な方たちに、本質は知る事ができない。そんな所を前提に(笑)お話を進めます。      最近の車の高性能な事!それ自体はおおいに歓迎していますが、ここにも御馬鹿さんが居て、高性能な車に乗って、速く走って(本人は)満足している。ハンドル切れば曲がり、ブレーキ踏めば減速し止る、アクセル踏めば、恐ろしく加速する。その他、ドライバーをサポートする機能が、たくさん用意されています。素晴らしい!その技術は素晴らしい!その車を作られた方たちは素晴らしい!でも、御馬鹿さんたちは、何を勘違いしたか、自分が運転が上手いと信じるようになる。     ただ単に車に乗せられているだけなのに、自分でコントロールをしていると勘違いしている。 オーバーステアもアンダーステアも知らないで、車の性能で、ナチュラルに切っただけ曲がる。トルク配分や足回りの設定も自動でコントロールされている。ブレーキだって、踏めば、車輪のロックを防ぐ、ABSが働き、どんな路面でも一番良い状態で、減速停止をしてくれる。ブレーキを踏みながら力を緩め、また踏み込む事もできないし、ダブルクラッチやヒールアンドツウすら出来ないで、キャブが、かぶる訳でも、回転を保って半クラッチをつかったりして、変速して行くわけでもない。どの回転でも最適な混合気が送られ、何事もなかったように、普通に思いっきり加速して行く。エンジンの性能も、ミッションも、デフも、格段の性能向上している。驚くばかりである。そんな高性能で、精密機械であるにもかかわらず、壊れにくくエンストすらしていない。重かったボデーもアルミをつかうなど軽量化は進み、剛性すら格段に上がっている。    確かに素晴らしい性能が、簡単に手に入る時代になったものだ。おおいに歓迎している。ただ、いつでも、どこでも御馬鹿さんは居るもので、勘違いというより、自分を知らない方がいる。まそれは各人の勝手な思いで、その車を楽しまれているのだから、買ってくれなければ、車企業だって、成り立たない。セールスしてた頃は、そんなユーザーにも、ニコニコしていたものだ。今は、違う視点で見れるので、自由な意見を言わせてもらおうと思っている。    高性能な車を誰でも早く走らせる事ができる時代になったが、それはそれで良いとしても、そんな当たり前の事を自慢されても、御馬鹿さんのたわごとにしか聞こえません。おまけに乗り心地まで良いんですって、もうお笑いですよ。    非力な車や、小さな車や、原始的な車に、車を動かし、コントロールする楽しみが、おおいに残っていると思います。また、道路のライン取りとか、車の性能以外の楽しみもあります。でも、楽しむためには、いろんなコントロールの練習や、少しの勉強も必要で、そこら辺も楽しいのですが。お金出して、速い車で、快適に安全に、速く走れれば良い!そういう事が楽しい方も居て、日本のメーカーのために乗ってくださいね。     あまり便利になると、危険を感じなくなるし、何か車の面白さを、うしなって行く様な気がします。構造はシンプルで良いから、人間にコントロールする余地を残しておいて欲しいものです。そして、味のある、癖のある車も残して欲しいですが、売れない車は作らないでしょうから、せいぜい、私のような者は、昔のとても手を焼かせた車の方が好きでしたと言うしか無いのでしょう。
H15年6月5日(木) 不倫について、
その前に、「体を鍛える」とよく言うが、どの部分や何をどれくらい鍛えようと言うのだろう。持久力か瞬発力か。心肺機能か、手足腰などの筋力なのか。あいまいなイメージで、そこら辺で覚えた「体を鍛える」では、せいぜい、走って、筋力アップの重量物で負荷をかけて、くらいしか思いつかないだろう。「体を鍛える」では、けっして長続きはしない、まあ人に言われて、維持で続けるくらいが関の山で、後は、「続けないと」症にかかって行く事だろう。               「不倫」ん〜〜ん、チョトテーマが大きすぎるかもしれないので、「私の考える50歳前後の不倫」について、戯言を言ってみようと思う。不倫という概念が必要かどうかがまず問題になると思う。これは、社会が正常に機能するために、多くのトラブルがあって、作られたもので、もし、他人とのトラブルがまったく発生しないような、人間の心であれば、作る必要がなかったはずである。夫婦そしてその子供、この家庭と言う単位を、厳格に守らなければ、社会性も、父、母、子、それぞれが、困ってしまうのである。ここら辺は当然の事であるが、だから、父が、母が、他の異性と結ばれると言う行為をいけないと決め付けるのは、正当な意見のようで、実は、正しくない場合も含んでいると思う。相手の異性も家庭があれば、なおさら極悪人のように言われてしまう。昔は、非常に厳しい罰を与えていたようで、いかに不倫が、社会性を傷つけるか、みんなが、恐れていたのだと思う。問題は、その家庭の単位の中で、一応世間的に夫婦と言う形であっても、上手く言ってる夫婦ばかりではない、またそういう家庭ほど、どちらかが、温かな人間性を持っていないことが多い。いわゆる、自己中心的で、負けず嫌いで、謙虚さがなく、好きなように振舞っているのである。また、夫婦生活の重要な部分のふれあいも、ほとんど無くなるか、一方が強要するかなのであります。いくら優しくおとなしい従順な人でも、必ず限界点が来ます。そんな時、知り合って、ほんとにぴったり合うという事があれば、不倫自体、他人の決めた事で、本人たちの問題は少ない。今の婚姻関係を解消して新たに始めれば良い。そんな不倫は、結婚前の者が、いろんな異性と付き合うのとなんら変わりない。ただ今婚姻していると言うだけなので、それを何とか解消すれば良い。しかし、そのまま浮気での不倫は、お互いひどい結果の方に流れて行くと思う。またどちらかがあるいは両方が、子供じみた、わがままの塊では、また結果が見えてくる。一概に不倫がいけないというつもりはないというだけである。相手に飽きたから、周りの異性が魅力的に見えたから、やりたいと思ったから、では、本当に甘いと言いたい。まあばれないよう上手くやってください。つけがいろいろ回ってくるかもしれない。しかし不倫したいのに、善良ぶって、する勇気もないのも、どうかと思う。先ほど初めの方で言った、今の婚姻を解消して、新しくやり始めるだけのエネルギーを燃やせば、また、年も関係ないと思う。生きていると言う事は、本当の幸せを続けると言う事だと思う。それが、相手もそう思える者同士だったら、自然な形だと思う。言い足りないが、これくらいで、お終い。
H15年6月4日 (水)  心の中
題名を見て読もうと言う気になった方もあると思います。(笑) 人の心を覗く方法がある程度研究されていまして、営業をやっていましたので、その分野の本を少し読んでいました。 まあ、言葉に表れる情報の何倍も正確に体のしぐさ表情瞳の動きで分かるもので、本能的に相手の様子を見ているものです。ところが、ボディーランゲッジなどや、心理学、行動学の本などから、より詳しく細かく知る事ができます。また、星占い等星座の持つ人間の考え方行動の仕方など、おおいに参考になるところです。  ただ、目的が「販売」という行為の元に相手を観察すると、かなり面白い人間模様が見れました。対営業マン、夫婦関係などなど、面白い駆け引きが続くものですが、一応の決着を見ると言う進行をしますので、短期の心の動きがめまぐるしく交錯するわけです。      必ず裏表、本音と建前、押しと引き、嘘本当、一瞬の表情に隠せない本音が見て取れる時があります。それくらい心の動きを顔やしぐさは正確に表すものです。その一瞬を見逃さない注意力こそが、生命線です。     さて、普段皆さんの心の中は、どんな感じでしょうか?常に何かがどんどん動いているはずです。考えるでもなく思うでもないのですが、イメージがどんどん湧いては次々心の中で、なにやら動いているはずです。それが、生きてる証拠と言わんばかりに。  まあ、人の心は、自分だけの時と誰かと対している時では、少し違いますが、それでも、もし見る事ができたら、にぎやか過ぎて、うるさい事でしょう。  何も考えないと言う禅的な事をやると、考えるという事は、暇つぶし、エネルギーの無駄な消費、自己を硬くする馬鹿な方法、のように思えてくる。知識とそれに対する、思考は大切ではあるが、それ以外のこまごましたこまごました人間関係や社会の事に対する思いなど、まったく考える必要もない。反論もあろうかと思いますが、自分の気に入った答えでないから、正しくないと思うのは勝手です。
H15年6月2日(月) 水無月
どうも今日は良いお天気になりそうで、空気がすこしひんやりして、お日様がお空を独り占めしています。先週の楽しい1週間は毎日が充実していて、喜びに満ちていました。    さて、オリジナル曲の創作に取りかかっていますが、歌詞をひとつ書きました。もっと書き溜めたいので、時間を見て少しずつ、すこしづつ作り出そうと思います。           そういえば、土曜日曜日と新約聖書を一部ですが読み返しました。たぶん民族の違いと言うのは思いのほか、考え方とか思考パターンなど違うのかもしれない。たとえば、仏教についても、インド人の理論的知性的に対して、中国人の実践的理論的は、かなり趣が違うように思える。それが日本に入ってくると、分析的実行的な、方へ動いていって、高度な理論をより解り易くしようとしているようで、ただもともと掴み難いものなので、解り易くしようとするとするほど、より解りにくい方へどんどん発展してしまったように思える。まあ、多少かじっている私が、禅的に聖書を読んでみたらどういう事が見えてくるかと言うことで、聖書自体はもう何回も読み返しているのですが、そのつど新しい発見があって、しっかり読めていないことが露呈してしまうのですが、違いが少し見えるような気がするのです。聖書に出てくる民は、「契約」するという行為が、重要な行為で、人間に決まりを与え守ったらこうしようと約束しています。居るかどうか判らない神と約束しますか?それを居ると伝えてきた旧約と、実際神の子として存在したキリスト、より現実的でないと認めない民族意識が見えてきます。  日本人は、良く言えば自由な、悪く言えば、なんでも来い的な、「神様」を一応いると心の奥底で認めています。小さな頃からのすり込みだと思いますが、なんとなくそう思っています。その上で、人間はどうあるべきかと、その関係はどうかとか、しまいには、「悟り」なる発想が定着しています。聖書では「神の国」と言っているのです。「悟り」=「神の国」=「道・タオ」=「浄土」=「空」、まあたくさんの言葉が同じものを示しています。ですが、聖書が人間に求めるのは、禅寺で修行する坊主に求められている規律と、かけ離れていると思える。真宗の方の「念仏行」もおおよそ違うように見える。「お祈りの念仏」やクリスチャンの「お祈り」、「座禅」のみが、ほんとの修行と思っている方には、それぞれが、バラバラにしか見えないと思うが、実は、日々の所作、思いの全てが、実は、修行と言えば修行なのであります。「神の国」へ入るための注意書きが、事細かく説明されています。全体を通してしっかり記憶しないとどういう生活自体をしていったら良いか、見えてきません。禅などでは、「悟った」ひとが、後進を導いて連綿とつながってきましたが、どうも、聖書の民には、そのような「神の国」に入ったたひとが、連綿と教えていって、バトンタッチして行くという考えはないようです。それより聖書の民は、誰でも聖書を読めば、分かるように工夫してあるようですが、日本人には、考え方が、理解しにくいのかもしれません。    長くなるので、このくらいで、違いのみ少し話してみました。
H15年5月29日(木) 雑感
人は心の隙間を埋めるために、相手を求めると、実ったとしても、結局孤独だと身にこたえる。人間は結局一人だと、諦めた時、相手を認め、寄り添うから、孤独から離れる。何事もこだわらない捨てる心が熟してくれば、いろんな物が見えてきたり、いろんな物が近づいてくるようになる。このように、求め方の違いによって、大きな違いが出てくる。引っ張り込もうとすると余計な物まで付いて来てしまうが、こだわらず捨てていけば、欲しい物自体が、それのみ掴まれにやってくる。    ここん所の微妙な違いが、判る人は少ない。  また、ショボくれていようが、粋がっていようが、かっこつけていようが、無関心な感じだろうが、そいつの心が、見えてくる。そいつの動きを無心に見るならば、そいつの動機が、なんであるか推察でき、心の求めている事が、だんだん見えてくるようになる。    要は、何を知ってるかは、まったく意に介さないが、何が出来るかは判断の大きな材料になる。自分の心を無心に出来る奴とは、戦いたくないが、友人にはなって欲しい。   経験が人の心を広げて行くように、小さな自分から飛び出そうとしている人は、素晴らしい。ただ、それが、人間として、大きな広い心を持つ事になる事を自覚して、取り組めば、余計な落ち込みをしなくて済む。挫折、スランプ、そんなもの自分を解ってないから陥るので、事実を分析して、合理的な方法を考え、取り組むだけで良い。心自体の問題と、技術の問題を一緒にしてはいけない。
H15年5月27日(火) 考え方として
良い事、悪い事。について、思うのですが、事があってその時の自分の受け取った感情で、良い悪いと思っている訳です。良い事でも、時間がたってみれば、あるいは違う立場の人から見れば、悪い事になるかもしれない。悪い事にしても、同じように、時間や立場から、反転して、良い事になるかもしれない。そのように、物事は、事実があるだけなのに、同じ物事でも人が違えば、違う受け取り方をするし、その本人だって、時間とともに考えが変わったり、周りの影響から、反転したりするので、事自体が、変化したように受け取れる。だから今の出来事が、良いか悪いかすぐ判断しない方が良い。とりあえず事実として受け取って、淡々と対応して行くのである。下手に感情を動かすと、その為に事態が思わぬ方(たぶんほんとに悪い方へ)へ動いて行く事になり、その事がそこで止まらず、動き始める事になる。これが注意を要する事だといえる。事実は事実のみに動いてもらい、自分の感情を加えて自分で動かさない方が良い。ただ、どうしても、「自我」が強くでしゃばるので、そうもいかない。悟ったような気で、やせ我慢して、受け入れていては、違う形で、ストレスになってしまう。どうしても、ここは、考えの転換が出来なければならないと思う。容易な事ではないが、「自我」の働きに手を加えずにやりすごす事になる。そこら辺の事は、何も本物の坊主だけの専売特許ではない。ごく普通の人でも身に付けるべきである。さて、心の中の出来事をじっと見つめ、「自我」がもっとも災いである事に気が付けば、どう対応すべきかは、答えがすでに出ている。人生悠々と生きていきたいなら、そこら辺の心理操作から、始めるべきである。・・・・考え方として。
H15年5月23日(金)  痛風について
皆さんは痛風をご存知でしょうか?痛風仲間?変な意識が芽生えないでもないです。あの痛みに耐えたと言う共通の意識があるみたいです。痛風は、プリン体という物が結晶を作りそれに対する体の反応だそうです。大体からだの末端に結晶は集まり、手足に出る事がほとんどです。プリン体は、ビール日本酒ワイン等のお酒にも含まれ、いろいろな卵類レバーなど内臓、イカたこ海老などにも含まれているそうです。普通男性に多く発生し、プリン体を多く作る体質の方と、排斥しにくいタイプの方に分かれるそうです。私の場合は、尿があまり出ないので、排斥しにくいタイプです。水分を多く取りお茶など利尿効果のあるものを飲むように心がけ、プリン体を多く作るタイプの人と同じように、プリン体を含む食べ物をなるべくとらないようにする事が、自衛手段です。この痛風は、風が吹いても痛いというくらいで、痛みのため夜中に目が覚めるほどです。ただプリン体の結晶はおおよそ2週間で体に吸収されるので、そうなると、まったく不思議なくらい痛みはすっきり消えてしまいます。もちろん痛みに耐えかねて、プリン体の結晶を溶かす注射を関節の間にうってもらえば、数分で痛みは消えてしまいます。しかし、その注射がまた止めてくれ!というくらい痛い!のです。  これで2回目ですが、一回目は左足でした、今回右足に出ました。同じように足首や、土踏まずの辺りに鈍痛があり、ある角度に曲がると激しい痛みが走ります。ここ2〜3年すっかり忘れていまして、はじめの頃は用心して口にしなかったのに、だんだんお酒類も食べ物も、普通の方と同じ物を食べるようになっていました。痛みがないと結構いい加減なものです。  以上、痛風についてのレポートでした。(笑)
H15年5月21日(水) 日記!(笑)
もしギター弾く事をやっていなかったら、たとえネットを始めていたとしても、皆さんとお会いする事もなかったことでしょう。音楽はやはり仲間と一緒に演奏する事が楽しい。一人で弾いていても暇つぶし的でしかない。何よりも、自分と違う弾き方や、味付け、フィーリングの違い、感じ取る事は何でもいっぱいあり、自分のこれからの音楽性に変化を与えると思う。そんな音!での会話や表現!などなどギターやってて良かった。こんな私と、会ってくれ、発表の場を与えてくれ、交流してくださるのは、大分の皆さんの暖かさです。年齢的には年上なのに、音楽的には年下で、いろいろ教えてもらう事が多い。疑問に思った事はなんでもすぐ聞いてしまいましたが、次会えるのか、その時また聞けるかどうか判りませんので、今!聞いておこうと思いました。愚問ばかりしたような気もしますが、確認しないと想像はいけませんから、お聞きしました。   私には、初めてでも、大分の方々は、こんな集まりが自然発生的にあちこちで行われていたんですよね。なので、フィーリングが似ている部分もあり、まったく違うところもあり、いろいろ工夫されているんだなと思いました。また行った時は思いっきり新鮮な気持ちで、おおいに吸収してこようと思います。今までの自分のやってきた事を伸ばして、少しでも皆さんの演奏の幅のひとつとなるようなものがあれば良いなと思います。取りとめない書き方でしたが、時間がたつと自分自身が忘れてしまうので、このような形で思いを残しておくのも良いと思います。
H15年5月20日(火) カナディアンライブ後の2次会!
安堵感からかノドもカラカラ、緊張の糸が徐々に緩んで行くのが判りました。ふ〜らいさん、ぷろぺらさん、チャーリーさん、も加わり、やっさん御夫婦、ゆうじさん、TAKEさん、kimiさん、GONさんとの10名で2次会のスタートでした。GONさんのなま歌、ヤッチャリのなま歌、初めてでしたので、感動ものでした。凄いなープロの方が軽く軽く流して聞かせてくださるような感じで、それがびしっと決まっているのです。そして、大塚東洋さん凄いな、こんな凄い方が普通に歌ってくださるなんて、感動しまくりでした。歌わなかったのは、Kimiさんふ〜らいさん!次は聞かせてね。ぷろぺらさんの様子が少し変!かなり酔いがまわっている。(笑)しかし自分の記憶の糸も途切れている〜。2時間の予定がかなりオーバーして終わりました。東洋さん、ありがとうございました。Kimiさんは、ウーロン茶で、車の送り迎えしてくださいました。感謝です。お礼の言葉もたくさん胸に刻みました。ありがとうございました。熱い思いをたくさん頂き、楽しいい夜が終わりました。
H15年5月20日 (火) 別府カナディアンライブの思い出!\(^o^)/
5月17日(土)20:00〜22:00出演者 「りょう」「窪田君と軸丸君」「三和田 勝」「satoru」の順番で始まりました。出演させていただく事になるきっかけは、2ヶ月前の3月22日同じカナディアンでの、ライブを聞きに行ったのがきっかけでした。と言っても、ネットでお知り合いになれ、一度はお会いしたいと思っていましたし、出演者が、「TAKEさん」「原口 純子さん」「よしぴーさん」とネットでおなじみの方々でした。しかしその演奏の音楽性の高さや堂々と歌われる姿を見て、はっきり言って敵わないと思い、落ち込みました。聞くほうに専念しようという心持になりました。ところが、掲示板にそう書いたところ、お叱りや励ましを、思いもかけず頂きました。てっきり無視されるだろうと思っていたから、複雑な気持ちになり、思い直す事にしました。やはり転んだ場所から立ち上がらねばなりません。同じ場所に立つ事により、自分が浮かばれると思いまして、ライブ参加を、Kimiさんにお願いいたしました。  考える事は、49歳初ライブ、音程や声が悪い、あがり症、などなど、でも、とりあえづ、やれる事を始めました。ボイトレや選曲、30分の6曲の練習、しかし、どうしても、その場に居る事を意識すると、手が震え、本番ではもっとひどいだろうなと思いました。で、何か話せば少しは落ち着けるかもと思い、話すことをまとめてみました。体調の方が、4月10日から咳が出始め、5月1日からインフルエンザにかかり、何とか練習を続けました。でも結局本番当日まで、咳の方は止まりませんでした。そんな中、大分に着き、ゆうじさんとジーグ楽器店に行き、ヘッドウェイの HD126を購入しました。とても気に入ったので、そのギターで歌う事にしました。モーリスのTFw50と、ミニギターのギグパッカーも、持って行きましたが、結局使うことなかったです。・・・・・・・カナディアンに着いたら、リハーサルを少ししました。マイクの感じやスポットライトの感じ自分の声の音程も判らず、「どうしよう・・・」と思いましたが、そのままなるようにしかならないと思い、ライブが始まり、他の出演者の方の演奏を聞きました。それぞれ皆さん工夫されているし練習を充分されている事がよくわかりました。・・・・・・来なけりゃいいのにと思いながらも自分の番はまわってきました。落ち着こうと少し話をしました、曲紹介や自己紹介。思わずノドがカラカラでお水を、ママさんにもらいました。落ち着こうと思うと手が震えました。しっかり見られていた事でしょう。何とか1曲目を歌い終え、2曲目に入った時だったと思います。どうしようもない気持ちの時に、TAKEさんのハープの音が入ってきました。「あっ、一人じゃないんだ!」と気付かせていただきました。暖かな眼差しや声援、など3曲目の間にわかりました。「潮の風」で、自分を盛り上げようと思っていましたので、気合を居れて歌いました。前半のオリジナル曲を終えて、後半拓郎の曲3曲に入りました。こちらはお気に入りの曲だったので、失敗しても落ち込む事はないだろうと思う曲ばかりでした。この年齢で人前で歌える曲というのは、少ないのです。音程があがり切れなかったり下がりすぎたりするのを感じながら、勢いだけで歌いきりました。TAKEさんが、ハープを入れてくださいまして、音を聞く事が楽しかったです。やれやれ、やっと6曲30分が終わりました。安堵感はなんとも言えず体が震えていました。聞いてくださった方、皆さんありがとうございました。やっさん御夫婦、GONさん、Mic-gさん、ゆうじさん、そして、KimiさんTAKEさんありがとうございました。ママさんの「ご苦労様、また来てね、そして帰りは気をつけて」の言葉が、初ライブに挑戦してよかった!という思いがこみ上げてきました。
H15年5月16日(金) いよいよ明日がライブです。
咳は4月10日から、風邪は5月1日からまだ咳が続いています。でもライブの30分だけ咳がでない事を祈って、体調を整えております。初めての事ですので、びっくりしてもらうような事はできませんが、普通に家で弾いて居る感じをお伝えできればいいなと思います。2回目以降どこでやらせていただくか解りませんが、少しずつ工夫を加えていきたいなと思います。まずは、自分の歌を聞いて元気になっていただけたらと思います。   明日のお天気も気になりますが、曇りか小雨くらいが、体力を奪われないので、ちょうどいいかもと思っています。  鹿児島から一番遠い大分にご縁があって何か変われるような気がしますので、精一杯歌いたいと思います。
H15年5月14日(水) 同じような毎日が過ぎてゆく
そんな時ほど注意が必要で、確実にまわりは変化しているのですが、自分だけが同じような日々を過ごしていると言う気持ちでいるのです。自然も人の心も社会も、確実に変化しています。複雑に絡み合った意図がさらに複雑に絡み合っていくのです。  歳を取るのは一年にひとつと考えているが、実は小さな間違いで、たまたま生まれてきた日を誕生日としているが、アナログ的に少しずつ時間は進んでいるのであります。面倒なので、ひとつ歳を取るたびに何歳と言っているだけです。しかし、この地球時間の一年にしても、時間分秒にしても、人間が決めた人間のための、足枷です。人間だけが時間を気にします。何でも知りたいからです。そのくせ肝心な事からは目をそらします。たとえば、死についてです。だから生きていく事にも関心が薄く、なるべく自分の心を麻痺させてくれる事に熱中しようとするのです。この世の中半分の世界です。片割れの世界です。不完全な世界です。もう片方の片割れに気づかない限り不完全です。いろんな人間がもがき苦しみ時に、のほほんとして死を迎えて、遺影が残るのです。人間らしく、その人が考える人間らしく、それでもいいが、ほんとの人間についてもっと考えたらどうでしょう。食って寝て社会生活をして、ただの動物として死んで行くのでしょうか。     そんな事を言って見ても、心の深さに恐怖を覚えることでしょう。なるべく蓋をして見ないようにしておくのが良いと決め込むことでしょう。下手に手出しすると、狂人を作るかもしれません。しかし、生まれた以上その蓋を取り入っていく事がプログラムされているのです。恐れないで、先人を信じ取り組みましょう。「道」「無心」「空」・・・・自分自身の問題です。
H15年5月13日(火) 続き!
世の中のお金持ち、政治家、官僚、役場務め、御えらい仕事、その玉の輿。いいな、いいな、そんな人間いいな、(笑)ほんと笑っちまいますが、まあお金があっていいに越した事はない。無い者の僻みです!(笑)頭の良い方もうらやましい!素晴らしい回転でうらやましい!ちとかわいそうなのは、「肉体派」の方、体張っているのに、一段下に見られている。お笑いの方はずるいな〜笑いとって自分を下げてから上ている。終いには「師匠」と言われて喜んでいる。あああ、うらやましいな〜(笑)ハハハ。   世の中何が一番大切なのか解らなくなっている。銀行、生保会社、株主、政治家!市や町、議会!?タマちゃん!テレビなどの報道機関!みんな馬鹿じゃないの!それぞれの立場が一番重要なのはよくわかりますが、それを重視していてそれのに固執していたら、広い世間のバランスを壊して、稚戯に落ち、世間面をさらしている。もう可笑しくて可笑しくて、たぶんものすごく学校の勉強は出来た人の集まりなんでしょうね。テレビだけでなくいろんな職業の方が出てきますが、偉い人ほど可笑しい!馬鹿丸出し!自信を持って馬鹿!それを真顔で聞いている人、可笑しい!どこでも迫力あるひと言で黙らせるだけの腹を持った人いないです。何故かと言うと頭!で何とかしようという人だけがいっぱいいるんですよ。狡賢いだけの人間だけがうろついている世の中ですよ。薄っぺらな脳みそだけで、偉そうに人間の調整!だけで事を進めているんですね。と批判してもしょうがないのですが、昔も今も、政治家や金関係、やくざ軍人、医者、とかく頭を使うやつは、心が欠ける。そうでない奴でも頭を使う奴は心が欠ける。それ以外の人間味溢れる奴は、心を押し付ける。それを理解しないようにしいていると、人間でないと言う!怖い怖い!!!そんな世の中なのに、人は一人では生きていけない!だから支えあっているなんて言う。おいおい勝手な事言うなよ。人は立派に一人で生きていけるだけの能力を持っているよ!そんな事も知らないのかい。!!!!!どこかで仕入れた都合のいい言葉が、幅を利かせ、そんな言葉のしがらみで生きているなんて思いもしないのかもしれない。笑っちゃいます。そんな訳で問題提起!になれば幸いですが、ならなくてもどうって事ない!世の中もっとも切実な事で、動いているのですからお笑いです。何が切実かですって、「自分」の都合ですよ。「自分」の思いがどう受け入れられていくか、それのみが切実なのです。これ以上可笑しい事ありませんよね。それで世の中上手く動いていっているんですから、よっぽど面白く可笑しいです。屁みたいな人間が自分が一番大切だと意固地になっている。よっぽどこの心持は強く大きいですよ。どんなかわいいきれいな顔している人でも、車の運転しているとき邪魔をすだけで不快な顔lで睨み付けますから、顔じゃなく心だとはっきり解ります。どんな優しそうな人でも自我をほんのちょっと、突いてやると本性丸出しにして、正直な顔を見せてくれます。一般小市民ですらそうですから、仮面の分厚い方々は、そのはるか何倍も変身して見せてくれることでしょう。ああ可笑しい、可笑しい。
H15年5月13日 (火) 本当の自分
もしかしたら、この「戯言」読んでいただく方が増えるんじゃないかと、密かに思い、こんなテーマで書いてみました。(笑) あまり本音で鋭い事書いても嫌われちゃいますのでほどほどにします。さて(笑)!行って見ましょう、「本当の自分」!!!!!だって恥ずかしいでしょ!ほんとの自分なんて!それでも本当の自分を追求される方に乾杯!本当の自分が人知れずどんなことしているか!俺云えない!(笑)冗談はさておき・・・たぶん!限りなく全ての人が本当の自分とお会いしていないでしょう!断言できます。断言された方ごめんなさい。もし本当の自分に出会われていたら、ここを見て噴出して笑われることでしょう。私も我慢してこらえてるんですから、お互い様です。(笑)  とある方に「熱中していて自分を忘れている時」なんて、きれいな言葉で言ってしまいました。反省しています。(笑)あの〜学校教育や図書館、本屋の中の本!を読んで、自分探しですか?本は売れて印税が入ってくるような方が書いているんですよ。それが楽しみで日長暇つぶしで本書いているんですよ。何で人生の真実を書く必要がありますか?書く本人だって解って無いのに、書けるはずが無い!でも知ったかぶりはできるので、いかにもと言う文章には出会います。書いてて恥ずかしくないかな〜。そんな本が本屋には置いてあります。おめでたい人はそんな本を買って、真剣に読んで、元を取ったような気になっているんです。たぶん誰もこんな事知らないだろうなと俺は知ってるぞと言う感じ!あああお恥ずかしい!云うなよそんな事!あなたが本を読んで知ったことなんて、すでに知っていた事で、確認しただけの間違いなんですよ。ああ可笑しい!でも知ろうとした事だけでも、無関心な人より数倍優れていますよ。   そんなことでも、「本当の自分」というテーマなので、少し話してみます。たぶん本当の自分になりきった人は、こんな所読まない!きっと人々が集まりだして、かしこまってもっとましな事云ってる!(笑)また次にしましょう、可笑しくて可笑しくて、真顔の方が多くて笑ってしまいます。「本当の自分」テーマ自体が可笑しかったですね。こんな事皆さん興味ないのかな〜。云えないだけかな〜。可笑しくて。何故「本当の自分」なんて問う必要があるのか、ありのままの自分の言動を自分だとしても、まだ隠れている自分に気付いている方の心持なんでしょうね。自分探しは自分で見つけるしかないんですよ。今の心の働きが自分だと思っている方が多くて笑ってしまいますが、そんな自分にすこぶる自信を持たれているのもお笑いでしょうがありません。そんな自分だと思っている自分と一緒に死んでいかれるんですよ。もう笑うしかありませんね。何ももって行くこと出来ないのに、知識も品物も全てのものも、それでもそれが自分の全てだというんですよ。やってきた事すべて覚えた事全て、そんなもの自分とともに消えていくだけのものです。ああ可笑しい!「本当の自分」なんで気付かないかな〜!!!!笑い過ぎて苦しい〜〜〜〜!!!
H15年5月12日(月) まだ風邪が治りません
インフルエンザの症状は5月1日か2日からでしたから、10日間内5日間は連休を含んで、のんびり休んでいたのに、回復しません。鼻の詰りノドの痛み咳の3点セットが和らいではいるものの、体温調節も上手くいっておりません。汗ばんだり、寒かったりの繰り返しです。    まあ普段なら、そんなに気にもしなくて、そのうち直るさでいいのですが、今度の17日土曜日ライブで歌うために、練習どころでなく、気持ちだけイライラしております。そんな訳で、気をもんでいるのです。   昨夜少し歌ってみましたが、まったくだめでした。後2〜3日様子を見て、木曜か金曜日には意志決定をしたいと思います。このままで臨むのは、まったく無理なようです。  
H15年5月9日(金) 思うままに
当たり障りの無い日常会話の中に、ほんとに退屈な毎日をいかに楽しむかだけ考えているような、節が見え隠れする。仕事がお金儲けで、それ以外を楽しむ時間とするなら、それだけの人生かい、と尋ねたくもなる。会社と遊びと自宅だけの生活に、潤いや生きがいを求め、得られないと不満だらけ、ちょっとした事でぶつかり合って、人生模様を作って喜んでいる。時に病気になり目の前が真っ暗になり、事故にでも合ったら、もう大変である。何もかもめちゃめちゃにされたと騒ぎまくる。そう被害者の方が活き活きしている。新たな目標が出来たのである。矛先をどこに向けるか、向けるべき事があると人は活性化するものである。エネルギーがその方向へきれいに向かうからである。日常いろいろ気を使い、仕事や人間関係、社会のルールや仕組みに順応していくために、エネルギーが細切れに使われて、消耗感が高まるのである。そしてエレルギー回復が順調にスムースにいってる時人は、訳のわからない喜びに浸っているものである。思わず笑みが浮かんでくる。そんな事の繰り返しが今の日々の流れであるとしたら、小さな幸せを失いたくないと思うことだろう。ところが、人生、変化する事が当然の自然なことなのである。今の小さな幸せは、日々の多少の変化には対応できても、大きな変化には当然対応しきれないので、新しい不幸が始まり、小さな幸せ求め、気を取り直して、歩き始めるのである。どこまで行っても苦しみとそれの対応で、終わる人生。果たして、人は、死ぬ前に「俺は精一杯頑張った!」といって、満足して死ぬのであろうか?いや「こんな、死に方はしたくない!」と思って死ぬか、そんな事すら考えも出来ずに、死んでいくかだろう。どうせ死ぬときは死ぬんだから、面白くおかしく生きていけばいいやって、思っているだろうが、どんな行き方をしていようが、「苦しみ」は決して見逃してはくれない。肉体の苦しみ、精神の苦しみ、いろんな苦しみが、いろんな形で、小さく大きく、ゆっくり突然、次々と襲ってくるだろう。しかし、ただ何もせづ苦しみを受けるだけ受けて、死んでいけるなんて、それも違う意味で、すごかったりするが、人間として生まれてきて、「苦しみ」を消化するだけの人生は、悲しいな。   人は、多かれ少なかれ、質は違えども、「苦しみ」が寄り添っている。金持ちにも、清貧な人にも、政治家にも、良心的な小市民にも、みんな、自分を演じているから、「苦しみ」は、お友達であり、最も近い隣人でもある。こんなたった「苦しみ」ひとつの事すら自分で解決できないのである。それが今を生きる人々の持ってる悩み!なのに処方箋すらない。病院すらない、偽医者はいくらでも居る。騙される人もいくらでも居る。人の心を覗いてみると、滑稽でとても可笑しい、すごくやせ我慢していたり、よい子ぶっていたり、知ったかぶりしたりしていたり、おどおどしていたり、強がっていたり、もう負けそうで押しつぶれそうで居たり、泣いてみたり、可笑しい、可笑しい、可笑しい!
H15年5月8日(木) 雨が降ってます
風邪の方はだんだん治りつつあり、あと2〜3日で回復しそうです。昨夜はぐっすり寝れまして、寝たりないくらいです。不快感も薄れ、咳が残っておりますが、それも痛みを伴わない感じです。今、自分のテーマは、無心のつかみ方!で、無意識から意識面への無分別を分別しないという事です。なかなかこの部分のつかみ方が上手く行かずもがいています。ここがひとつの関所であり、難所なのですが、いかにも歯がゆい想いです。このような心持で取り組めるまでには、かなりの読書量と、人生の出来事、反省と捨てる気持ち、自我の認識と囚われない心、何故そう思い、そうしなければならないかの納得と、その後の様子が、しっかり認識できてからの事でした。各人、心の性癖は違いますので、自分で取り組むべき道を探し、模索し探求しなければなりません。そして突破していかなければなりません。科学文明が一気に花開いてきた戦後、日本人が、それまで求め続けて来たこと。なのに、お金に関わる事や政治、科学文化、物質に囚われて、人間を忘れてしまって、見せ掛けの思いやりで、自分を救おうとしている。どうしても、考えて、もがいて求めなければいけない事があるのに、目先の事柄に振り回されている。何か違うと、かすかに思いながら、他の事で日々流されていっている。    たとえ気が付いた人でも、その後どうすればいいのか、そして、何について取り組み、どのように変わるのか。応えてくれる所は無い、まして、教えてくれる者はない。本当はあって欲しいところが、胡散臭い形骸化した場所に、成り果てているし、そこに居るだけの人間に、本当の力は無い!      書かれた事をいくら覚えて、口で説いて、話していても、ただ言葉を知っている者が知らない者に語るだけの事で、本を読むことと代わりが無い。鳥のオームと一緒とも云う。何も大仰な建物と、服装と行為と行事をやってるからと言って、本当の事を体験維持しているとは限らない。もし、本物の人物だったら、自然とそこに人が集まり、花開く人が次々現れて行く事でしょう。   今、この個人の問題である、無心のつかみ方!について、世界中の人々が関心がなく、忘れ去ろうとも、私には、取り組まなければ、残りの人生をそれに費やさねば、たとえその途中で死ねたら、未完で終わっても満足である。今まで何回読んでも意味がうなずけなかった事が、昨年頃から納得できるようになって来た。もう4回も5回も読んだ本が、一語一句うなずける様になった。大急ぎで今までの本の気になる順に読み返しをしている。読んだはずなのに肝心の部分が新たに発見される。その部分が本当は一番大切な部分なのを気付いていなかったのだ!そうこうして、これからまず取り組む事が見えてきたわけです。  誰かの参考になればと思います。ただ、やはり、「秘すべし」は、その人間性が、謙虚さを持たねば、自分を一番下に出来、捨てきらなければ、肝心な事は伝えるべきではない。・・・と言っておこう。(笑)
H15年5月7日(水) 風邪をひいています
何年かぶりに風邪をひきました。インフルエンザは3年ぶりくらい、同じ5月でした。咳の方は2年ぶりで、ちょうど重なってしまってもう4週間目です。お終いの方はインフルエンザでして、悪寒や関節筋肉痛、を伴い咳をすると胸が痛みました。咳だけの時はノドに異常は無く発声練習も出来ましたが、インフルエンザでは、鼻ノド気管支に痛みがあり明らかに炎症を起こしていたと思います。今は、ノドと気管支に少し痛みが感じられ、発声をしようとすると咳がでて、声も風邪声です。     普段から自宅へ帰ったら手洗い、うがいを朝昼問わずやっていたのですが、かかるときはかかってしまうものですね。5月17日のライブに向けて体調を整えようと思います。
H15年5月6日 (火) 連休はいかがでしたか?
このパソコンの修理が約3週間かかって戻ってきました。電源の差込口の修理で済むものを、マザーボード交換だそうです。それにしても3週間の日数はどうかと思う。件数も多く利益と関係が薄い部署は、人数が少ないのかもしれない。        ところで連休はいかがでしたか?私は、3日間インフルエンザで、寝ていました。特に夕べは熱と痛みと悪寒と、咳をすると胸が痛かったです。そんな訳で、何もせずテレビのおもりを、やっていました。歌の練修もやりたかったのですが、とても歌える状態ではなかったです。      まあそんな状態でも、できる事はありまして、とは言うものの集中はできないでおりました。
H15年4月9日(水) 考える事の弊害
普段から解っていてなかなか意識してやらないと、つい考えてしまうと言う事についての話です。何簡単なことなんです。飯を食うとき飯だけ食えということでして、人は、飯だけ食っていません。飯前に起こった事や考えが浮かんだり、テレビや目に映る周りの事、あるいは妄想や未来の不安などなど、そんないろんな事を考えながら飯を食べています。これでは、ご飯の味も体の反応も解る筈がありません。同じように、たとえば、スポーツでも、練習の時特に「ああだこーだと考えています」考えることはいいことですが、この何かやっている時、同時に考える事は、そのこと自体がぼやけてしまい、成果が薄くなります。そして、ただやったという自己満足と疲れしか残らず、体にその記憶が刻まれません。ギターでいろいろ練習していて、心に浮かぶ事まで気が付いたとき、はっ!としてしまいまいた。それは、思いが浮かびながら練習していたら、いつも間違う所は同じになってしまうという事で、そんな事が身に付いてしまって、何の練習しているか解らなくなってしまっていたのです。失敗する練習をしていたようなものです。ギターを弾く時はそのギターの音と指の動きに全神経を集中して、練習するようにしないといけませんね。 何かやる時は、そのやる事にのみ心を集中し、知らずに浮かんでくる心の変化を気をつけてなだめつつ、行動に神経を集中すべきです。 
H15年4月8日(火) ギターの伴奏について、
今まで、歌の伴奏と言えば、ストロークか、ベース音を絡ませたストローク、定型の3フィンガー4フィンガーをやっていました。まあそれでも充分と言えば充分なんですが、いまいち表現力が平べったくて、面白みに欠けます。しばらく新しい表現方法はないか模索しました。ストロークの曲は、8ビートとシャッフル、8分の12や、3拍子は、8文音符かシャッフルか、そんなものをフィンガースタイルで、歌いながら弾いてみました。数日それを繰り返していて、突然か偶然書気がつきました。単純な事ですが『歌が主で、ギターは従』というシンプルな回答です。今までは、歌に自信がなかったこともあり、バンドでリズムギターをやっていたこともあり、ストロークに自信を持っていました。なので、歌と同等かそれ以上ギターの方を強く意識して弾いていました。   今、音程や発声練習を続けていますが、以前より歌う事にそれほど抵抗がなくなってきており、ギターを控えめな演奏のフィンガースタイルでの伴奏に模索をし始めたことにより、その事に気が付いたという訳です。 そこで、今度は、ストロークの方の模索に取りかかりましたら、低音の方をミュートしながらカッティングしつつ、高音弦の和音を絡ませるやり方に興味を持ちました。このやり方でいろんなパターンをやって見ました。なかなか自分では、お気に入りのストロークになりました。そこで、今までやっていた伴奏のパターンも少し見直しをして、歌声がある時は伴奏を控えめに、声と声の合間は少しリズムを変えたり、経過音を入れたりして変化をつけようと試みました。  まだここ数日の事ですので、伴奏に歌がつられてしまいつまづいたりしますが、その内に慣れる事でしょう。  今そんな事を考えながらも少し違う洗練された伴奏も視野に入れながら、研究して行きたいと思う。
H15年4月7日(月) 日曜のそよ風
つまらない題を書いてみました。まあ云いたい事は、こだわりがどうも流行みたいですが、こだわり自体は大いに結構な事なんですが、それを口にする人間様が、どうも人間臭くていけない!と思うわけです。こだわりで集められたものに罪はありませんので、前もって謝っておきます。何故こだわったかということを考えて見れば、誰でも判ることですが、他の人との違いを主張されているわけで、そこに自我が非常に強く印象付けられるので、どうも良くも悪くも人間臭さを感じるのです。もう少し徹底すればその先が見えない訳でもありませんが、ご自慢のこだわりを主張なさっている発言を聞かせていただくと、こだわりに縛られているその方がよく見えてきます。こだわりの対象物や考えが、その方の心を強く締め付けているわけで、まあ、はじめは自由な発想から出発されたと思いますが、たどり着いたところは、がんじがらめの自縛の紐の中に、ご自分から入られたわけで、それに気付こうとしないその姿に、哀れな人間臭さを感じるわけです。ご本人様が真剣であれば真剣であるだけ、自分に正直であれば正直であるだけ、素直な方であれば素直なだけ、求める心が強ければ強いだけ、其の罠に捕まってしまうのかもしれませんネ。そう云う訳で、「日曜のそよ風」は、風は当然吹きますが、吹いてしまうと跡形もなく消え去っているという姿を現したかったのです。もちろん物も考えも大切にします。こだわってもこだわらず、求めても執着せず、心の風は吹いては消え吹いては消えするのです。まあ、そんな方もいらっしゃるわけで、とても雰囲気がいいなと思うわけです。人間はどこかに失った物を持っています。たぶんそれが何で、どんな事であるか、思い出せないでいるのです。ついつい日々に流され、関心事に追われて、いつしか不安のままに旅立つのでしょう。まあ、失ったものがなんであるかに気付いても、どうすれば取り戻せるか、いろいろ考えたり調べたり、やって見ても、簡単には、つかめません。  そんなこんな考えながら、「日曜のそよ風」は吹いたのです。
H15年3月29日(土) たばこ!のみますか?
今は、喫煙していませんが、20歳から37歳まで、18年間、営業やってた事もありよく吸いました。独身時代、給料前1週間なのに1000円しか持ってなくても、食べ物よりまずタバコを買いました。止める前は、1日50本前後吸っていました。もうタバコ無しではいられませんで、扁桃腺炎で1週間寝込んでいても、咳をしながらでもタバコを吸い続けました。止めようと何回も禁煙節煙しました、禁煙パイポもためしました。そんなある日止める日が来ました。平成3年11月23日のお昼12時からきっぱり止めました。きっかけは、運動好きでしたが、子供と30分も遊ぶと息は切れるし、体は重いしきついし、「よし!止めた!」と決心して、とりあえず24時間我慢し、そして2日目3日目、1週間してから、妻に「俺、タバコ止める」と宣言しました。きつかったのはその頃から1ヶ月目くらいでした。ちょうど忘年会などあり、お酒が入るとついタバコに手が伸びるものですが、何とか乗り越え、2ヶ月前までは、後頭部の熱や、体が無意識に煙を吸っている!なんてことも経験しました。3ヶ月過ぎた頃から、太り始めまして、たぶん舌が、味を敏感に感じれるようになったのでしょう。タバコは舌の感覚まで麻痺させているんですね。6ヶ月たつ頃には、タバコに煙がいやになりました。それから12年経ち13年目ですが、タバコは傍で吸われるだけで、吐き気するし、息が苦しくなるし、胸が苦しくなります。もちろん少ない髪の毛や、服にも匂いがつき、脱ぎ捨てて風呂に入って、きれいにしても、2〜3日喉や胸の周りに煙の違和感があります。禁煙後は、タバコやめて体重が増えたので、ジョギングやって、腱鞘炎、関節炎経験しました。その時の注射は痛かったです。結局足の関節に衝撃や負担が少ない、自転車によるトレーニングが自分には合っていました。3年ぐらいはおおいに楽しみまし。その後は、丘越えにのめりこみ、逆に体重はじわじわ増えました。ここ3年ぐらい乗っていませんので、心肺機能や、筋力が大幅に低下しており、歩くだけで息切れめまいがします。   まあ、タバコの害は、本人が苦しむだけならまだしも、周りの人にも、言わない心優しい方が多いのを良い事に、遠慮無しに喫煙されていて、一緒に苦しむ事になります。。私も喫煙していた頃は、そんな感じでしたので、気持ちは解りますが、これだけ禁煙運動が盛んですので、少しは考えてもらいたいですね。本人の意志の問題である事は、多くの経験者が言うことなので、止められない方の精神力には、疑問をもたれます。最後に喫煙が好きで、肺がんになって6ヶ月入院して、亡くなられた方の話です。役場を定年退職されて、隣の町の公共の仕事に着かれて、6ヶ月位して、微熱が続き検査入院されていました、結局肺がんで、胸を大きく切開して肺の一部摘出でした。お見舞いに伺いましたら、武道やられていた頑強な方の体が、病弱な感じに痩せ細っていました。そして、私が聞いた最後の言葉は「タバコはいかん、タバコは吸ってるなら止めなさい!」そして間もなくお亡くなりになりました。僕は、献身的に寝ずの看病をされた奥さんのやつれた姿と、心のよりどころを失い、心に平衡感覚を失ったような、眼差しと「逝っちゃった」の言葉が忘れられません。   たかがタバコ、それでも吸い続けますか?罪深いタバコ!
H15年3月27日 (木) 桜
家の前の桜の木はこの季節、通る人を立ち止まらせます。もちろんそのすぐ先から城跡公園内まで、たくさんの桜があります。薄いピンク色から白色に、時間によって変化します。この出水市には、桜の名所で、特攻碑公園周りの桜がきれいです。まだ少し寒さが残るものの花見客は、元気に花見酒を飲み、歓談します。ここの町名は、平和町です。戦争時、特攻隊員が約300名飛び立ちまいした。鹿児島では、知覧が有名ですが、知られざる歴史の影の部分があります。この出水市は、熊本の県境で、江戸時代難関の関所であったことが知られています。お隣の阿久根市は、江戸時代薩摩藩の密貿易をやっていたことも知られています。取扱高は3位にきていたそうです。   桜と散るなんていうが、散り際があっけないほどきれいですよね。桜の木もこうしてじっくり眺めるなんてなかったですけど、ネット始めて写真を撮るようになってから、いろんな思いが湧いて来る様になりました。自然も人間も不思議だな。音楽を楽しむなんて、ほんと不思議だな。
H15年3月26日(水) 大分!
3月22日は、久しぶりの少し遠いドライブで、まだ会った事もないネットで知り合えた方々に合えるという事もあり、わくわくしていました。大分まで距離で約250km時間5時間を予定していました。出水〜日奈久(高速)〜熊本〜竹田〜大分、途中熊本と大分の県境付近で、積雪があり、山間部の442号線へ行かず、57号線〜10号線と、川沿いに走って予定どおりたどり着きました。    大分の町は、大きいなあなどと田舎者がつぶやきながら、走りやすい道路を目的の所まで順調に移動しました。   一つ目の目的の、3本のギターを弾かせていただくこと、どれも、ため息が出そうなギターで、もう少し時間があればいいのにはと思うくらいでした。次に楽器店で、ヘッドウェイの最新版(今年のモデル)のギター2本を試奏させて頂き、HD126は特に気に入りました。弦高が低くグリップしやすく、軽く押さえてもしっかりした音が出まして、その音色と音に芯がある感じで、作られたばかりというのに、良く鳴っていて、完成度の高さが光っていました。いよいよ3つ目ですが、カナディアンライブ(原口さん、TAKEさん、よしぴーさん)です。30名くらいの聴衆が、そのパフォーマンスに息を呑みながら、聞き入っておりました。さすがにライブをこなされている方々で、弾き始めて一瞬に心をつかまれました。気持ちの整理が出来ないままの2時間はあっという間に終わってしまいました。初めて聞いた歌詞が、心に残るなんて、相当ショックを受けました。4つ目の、皆さんとのオフ会、ドキドキ、というより、いつもなら寝ている時間(23時)〜3時過ぎまで、お話やらギター歌で、時間が過ぎていきました。疲れ眠さ、ショックや興奮、緊張などなどで、もう意識も朦朧、目もかすみ、声も出ずギターもめろめろ、でした。3時間ぐらい寝て目覚めたら、もう寝つけなくて、ごろごろして、10時くらいに、きのこの里を後にしました。帰りは、由布院へ寄っておはぎを買って、やまなみを通って、阿蘇一宮〜熊本〜自宅と帰ってきました。とても差がありすぎて、ギター止めようかなと思うくらいショックでした。(笑)まあ自分ひとり楽しめたらいいやと、以前の自分のように、殻に閉じこもりそうです。やはり行って直に経験しなければ決して分からないことがあり、それだけでも、行ってよかったと思いました。大分でお会いした皆様、まことにありがとうございました。
H15年3月19日(水) 暇つぶし!
人の考え方や捉え方は、嫌な方を取り上げたがる傾向にあるようだ。苦労、苦痛、不安、恐怖、などなど、人間が生きて命を保つためには、必要な事なのではあるが、それを基準にして、人生観や生方、考え方生き方まで決めてしまっている。しかしどうもそれでは解決できない事が人生にはある。そのようなマイナス面とはまったく逆のプラス面も同じような量質が存在しているはずである。在るにもかかわらず大切に重要に取り扱っていない。普段の一日を考えると、まったく無事な一日で、時に友人知人家族などと楽しい会話もしているじゃないか。取り立てて困る事もなく苦痛もなく、そんな事が何故喜びとして感じられないか、ここん所に心の習慣が誤った事がある。平凡な何事もない日々の方が多いはずである。そんな時間を素直に喜びと感じられたら、人生喜びの時間の方が長いはずである。ついついこんな幸せは長く続くはずがないとか、マイナス的な考え方をしてしまう。人生の中で、いろんな形の苦しみはあるにしても、四六時中そんな状態があるはずもない。ある地域では、ひどい状況も考えられるが。おおかたの日本人の家庭は、平和なはずである。しかし心から人生楽しんでいる方は、一部のお金持ちや、あきらめた方か、悟っている方である。世捨て人だって内心不安でいっぱいなはずである。平和な家庭の方でも、いざ物事が降りかかってくると、パニックになってしまうのです。平凡な日々を喜びと感じ、苦しみがやってきたら、素直に受け入れ、その中で生きていくことに、速やかに順応してしまう事。そしてよく考える事である。心の持ち方で正反対の結果がでてくる。・・・さて、暇つぶし・・・人生は、命を保った暇つぶし!どんな暇つぶしで他人様とも自分ともおおいに楽しむか、ものすごく多くの楽しみ方が出来るよう、人間の心と肉体は出来上がっている。あまり真剣になって暗い心に押しつぶされて、自暴自棄になるなんて、そんな命を汚してはいけない。是非喜びの人生暇つぶしとして、楽しく笑って生きたい。
H15年3月18日(火) 人生暇つぶしのようなもの
自然界の動物が、生まれて生きるために食べ物を探し食う、この努力に多くの時間を使っている。成長したら子孫を残す行動にでる。これらだって、命を賭けているが、ゲームと言えなくもない。地上のいろいろな命の大きなサイクルを考えると、地球自体がいろいろ変化する中で、生き物たちが動いている。これも無心に観察すれば、暇つぶしのようなものだ。    人間を観察してみれば、生きるために仕事をし食べている。人の上に立てば成功したなんて思っているが、地球規模で考えれば、サル山のボスでしかない。まあ、そんな事も命を賭けたゲームと言えなくもない。そこで、いろいろ異論もあるだろうが、「人生暇つぶしのようなもの」そんなに目くじら立てるな、自己中心的になるな、欲張るな、その他、世間の人にいろいろ批判したくなる。要は、お金、仕事の成功、夢の実現、いろいろ目標はあるだろうが、そんなものの奴隷になるなと言うことです。そのものに心が集まってしまい他のことが見えなくなってしまう。そうしてゴタゴタの中でイライラしながらの人生なんて、見失っている物が遠ざかるだけだよなんて言いたくなる。成功しても成功しなくても、手に入っても入らなくても、いろんな縁がつながっていて、結果はある程度決まっている。だからそんな事に目くじら立てて一生懸命になるなんて、愚かな事だよ。夢や成功は、常に考えて夢中になってもいいが、それに囚われてはいけない。ゲームの遊びくらいに気楽につかみ、眺めておればいい。人生全体が、暇つぶしのようなものなんだから、どんな暇つぶしをするかだけ考え、楽しく遊べばいい。楽しく遊んでいるうちに何をやるにしてもうまくなっていくし、人生の多くの時間を使う楽しみに変わるかもしれない。そういう暇つぶしの人生を送りたいものだ。   受験や競争、スポーツ、なんでも順位が存在していて、目標に届かなければ、人生お終いだなんて、ほんとに馬鹿げていないか?命より大切な、結果なんてないよ、充分頭では分かっていても心は、納得していない。ここんとこを言っています。心は暇つぶしの温かな心で、ひろ〜く持ち、夢を楽しむ。頭では、冷静に判断し行動する。人の行動の決断は、感情が強い作用をしますので、ついつい迷路に入り込むと、頭で分かっていても行動は素直に変更できない。そして、感情の虜になってしまいます。自分を自分でコントロールできないのです。そこん所を今くどく話したかったのです。
H15年3月11日 (火) 桜の開花
鹿児島市内では、桜(たぶんソメイヨシノ)の開花が昨日あったと言っておりました。うちの近くに山桜が一気に咲いていました。ソメイヨシノの方はもうすぐだと思います。今春は撮影してホームページの表紙を飾りたいと思います。まだ朝は寒いですが、だんだん春らしく、木々の新芽や花芽が膨らんだり、菜の花が咲く事で、季節の移り変わりを感じます。これから花々もいろいろあちこちの庭先で楽しめます。ただ冬場の野鳥からちょうちょに替わって行きますが、眺めていても楽しい季節になります。新しいハーブは植えていませんが、レモングラス、ローズマリー、ターメリック、山椒、などは、ほったらかしでも元気です。レモンバームや、ミント、など1〜2年層はもう3年ぐらい植えていませんが、香りも良く料理にも使えますので、今年は苗!を買って来ようかなと思います。南天、梅、グミ、プラム、金柑、ゆず、柿、など実物も、収穫の楽しみがあります。まだ幼木も多いですが、これから楽しみです。
H15年3月10日(月)  筍!
もう今年の一般家庭向けに、筍が売られていました。昨日買って来たと見えて、今朝筍を湯がいてありました。大好物なので、この時期いろんなところから筍をいただきます。食べ物のなかで唯一、筍だけは、自分で捜して買ってでも食べたいと思う食べ物です。一番好きな食べ方は、味噌汁に筍だけ入れたものです。この味が気に入ったのは、妻のおかげです。私の実家では、味噌汁の具は、魚から野菜、肉、卵、何でもあるものは入れてしまって、味噌煮込みみたいだったんです。シンプルな味噌汁と筍の味が絶妙で、まだ少しエグミが残る筍と薄味の味噌汁がいいです。後はどんな料理でもかまいません、炒め物や、酢の物にしても好きです。ピリカラな味付けの物とも良くあい、お酒のつまみにもいいです。春のこの時期は、我が家の庭でもツクシも顔を出しています。もすこしたつと花桃やフリージアなど花々が咲き始めます。きれいな花や、植物の変化が不思議で楽しみな季節です。
H15年3月7日(金)久しぶりのQSO
しばらく(4年以上)やってなかったアマチュア無線でしたが、先日リグ(無線機)を出して、波(電波)をだしました。今夜金曜日夜は、野田町アマチュア無線クラブのラグチューがありまして、話していただきました。クラブコールJF6ZGK、キー局JA6DUV出水市の赤瀬さんでした。まあ、こんな肉声でタイムリーに話せるのもいいものですね。宮之城や、熊本、大牟田、島原、芦北からも十分取れますね。たぶん長崎方面も十分いけますね。内は、ロケーションが悪いので、嫌気がさしていましたが、また電源だけは入れてワッチしておこうかと思います。こうしてやり始めるとついついハマってしまうものです。今は2m(144MZ帯)のみですが、430MZ(70cm)もケーブルつなごうと思います。ほんの2mケーブルはケーブルは来ているのに、億劫なんですよね。   ZGKのクラブは、もう何年毎週金曜日のラグチュー続けているんでしょう。4年ほど前の時すでに10年近くやられていたような気がします。すると14年以上続けられている、しかも毎週ですからすごいです。
H15年3月7日 (金) ブルーグラスギターの練習
基本的にフラットピックで、オルタネイト(ダウンアップの繰り返し)で弦を弾いていきます。なんだ簡単ジャン!って思ったら大間違いで、ものすごいスピードで、ダウンした後その弦の上の弦をアップするとか、1弦飛んでアップすつとか、その他クロスピッキングなる弾き方、3フィンガーだったら出来てもフラットピックでは、相当な練習が必要になる。まず初めてだと、オルタネイトすら満足に出来ないかもしれませんね。一応曲が何とか通して弾けるようになったら、アクセントを目一杯つける練習です。   いつも引っかかるところは同じで、そこへ来たら間違うような練習をしているのかもしれません。なるべく意識してそこはゆっくり丁寧に弾くようにしたりしていますが、今のところまだ上手くいっていません。1曲2〜3分、目一杯のスピードで弾き続けますので、ピッキングも荒れがちです。右手が自由に動くようになるまでまだまだ練習が必要です。中断しては元に戻るまで今で1週間ぐらいですので、あと2〜3週間はかかるかもです。今ノーカポの曲を7曲、2フレットの曲を7曲、基本の短い曲は20曲くらい、後違う人の練習曲を少しやっています。一日最低10曲は(約30〜40分)は、ブルーグラスギター弾き始めました。後はボイトレ、(30〜40分)歌うのは1時間強ぐらい、目標を持ってやっています。昨年までは、ただ歌いただ弾くだけでテーマを持って練習した事なかったです。意識が変わるだけでこんなに楽しいなんて思いもしませんでした。この後フィンガーピッキンの曲も始めたいのですが、もうしばらくは今のまま続けて自分なりに、先に進んで良いと思ったらはじめたいと思います。ブルーグラスギターの曲もやってない曲で、楽譜がまだたくさんそれらもそれらも一曲づつでも取り組んで行きたい。
平成十五年3月5日 (水) 子供の頃
記憶があるのは、幼稚園の少し前の頃からで、不思議な事に小学校の頃の記憶は、ほとんど覚えていない。中学に入ると幾分記憶が残っていて、悪さした事、部活の事などが良く思い出す。中学2年生で、鉄棒の大車輪が出来たので、お昼休みは、元気な男が回りに集まってきて、大車輪に挑戦した。私は、30回はまわったので、運動場の生徒の大合唱で、回数を数えられた。大車輪が出来たのは、20人いたかな、10人よりは多かったと思う。高校生の頃は、ギター(軽音楽部)と、トランペット(1年の時同好会)を、3年間掛け持ちしていた。トランペットでいい音を出すために、ほとんど毎日裏山7kmを走った。吹奏学部は、2年からクラブになったたが、演奏がある時だけの臨時部員だった。でも、ソロを吹いていた。思えば、中学の頃覚えたギターが自分の人生を大きく動かしたように思える。音楽で飯を食って行きたいと思った頃があったが、母の大反対にあって、よくぶつかったものです。ドルショックがなければ、静岡のヤマハ、ピアノ製作工場で働きながら、調律師を目指すつもりだったが、それもあえなく消えてしまい、仕方なく名古屋の愛知機会へ入社した。サンタナのコピーバンドの誘いで、ギターを弾いていた。東海地区音楽祭に出場したが、ヤマハの社内コンクール優勝チームの次の演奏では、影が薄かった。県人会にも毎週参加していて、ギターを弾いていた。ここで妻とも知り合った。その後漁師をやって短大へ行って、神奈川に働きに行った。何を考えていたんだろう。意地を張って、食うために働いていたような、最低の生活をやっていた。神奈川に行った昭和52年に買ったギター、モーリスTFw50が、今も一番大切なギターである。このギターがあったから今の自分があるのかな。ここら辺までが子供だったような気がする。
H15年3月3日 (月) 雨  音痴からの脱出!?
ひな祭りだし、高校の卒業式だし、大雨だし、ひどい一日のようです。明日はまた冬に逆戻りするかもとのことで、今日は春一番が吹くかもということですが、どうでしょうか。    さて、「音痴からの脱出!?」について書きます。楽器は出来ても音痴と言う人はかなりいると思います。頭の中で鳴っている音を正しい音程で発音できないのです。歌うと言うことはひとつの楽器を弾く事と同じだと思います。練習が必要で、それなりのトレーニングが大切だと思います。歌が好きな方はメロディーを正確に歌うことや、伴奏があればその音に合わせてメロディーを歌うことが出来ます。またその先にある、発声や音程、表情を付けること、など自分の味を持っています。たぶん好きでいろいろ歌っているうちに、身に付けていったのでしょう。楽器ができる方は、正しい演奏を心がけ、調整を整える、と音程は、正しい音となって出てきます。正しい音を聞いてはいても、自分の喉から正しい音が出るかどうかは、個人差があるようです。ピアノの経験者の方は、ソルフェージュを多少なりともされるし、かなり突っ込んでやられる方もあるので、歌うことは正しい音程で歌うことにつながっているようです。  自分の場合、トランペットやギターの経験はあっても、歌う練習はしていませんでしたので、思っている音と声となって出て来る音がずれていました。ましてギターの音程に合わせることは出来ませんでした。つまり音痴でした。平成14年12月から修正の練習を始めました、どうしたらまず修正できるか試行錯誤しました。各キーや半音をギターに合わせて声を出したり、コードを鳴らしてコード音を声に出したりしました。1ヶ月以上約2ヶ月やりましたが、改善は微々たるものでした。平成十五年1月31日!突然ひらめきました。キーのルート音だけ出して、3度4度5度8度などハモルのです。!!!!!なんとこれが修正の練習に最も効果てでした。まずはメジャーキーを半音ずつづらしたりして、12音練習しました。そして、セブンスの音を加えてみました。これでかなり修正されましたが、まだ不安定でした。次に、マイナーキーで12音全て歌う練習をしました。これは素晴らしい練習でした。メジャーマイナーの各キーとも練習しました、一通り歌うと40分はかかります。このハモル練習で発声のこつや響く声の出し方が少しわかりました。まだ1ヶ月しか経っていませんが、効果は充分ありました。楽器の音に合わせる事と楽器無しでも音程が取れることが、前より上手くできるようになりました。まだまだ長年の音痴の癖が尾を引いていますが、これからの練習でかなり改善される事と思います。
H15年2月25日(火) 心臓停止から蘇生した人の言葉
仕事柄いろんな方にお会いするし、雑談も良くします。今月22日の土曜日、前職の事務所に遊びに行きましたら、その頃の仕事関係の方(T氏)がおりまして、T氏の趣味のゴルフの話から、健康の話になったとたん、真顔になり話が進みました。心臓停止からの蘇生の話でした。心臓が停止したのは、心筋梗塞が原因でした。前兆は何回もあったものの痛みや不快感は、時間が経つと嘘のように消えるので、それまで大病がなく健康だったので、つい用心を怠りました。限界を感じた日ですら「救急車は呼ぶな!世間体がある」と言って、明日病院へ行ってみようと奥さんに言ったぐらいです。ところが、次の日の明け方、どうしようもなくなって奥様に救急車を頼みました。病院へ着いた時はすでに心臓停止していたそうです。懸命の蘇生、治療で一命は取りとめ現在に至っているそうです。その話の中で一番印象に残った言葉は、次のことでした。救急車で病院へ運ばれたら、 意識が朦朧としてきて、周りの人の言葉の意味が解らずただ、「ワーワーざわざわ」としか聞こえず、肉体の不快感や痛みなどもなく、しばらくは仕事の事や、身の回りの事、死んだらどうなるかなどいろいろ考えたそうです。そのような心配事を考えていたら、急に、気持ちが軽くなり明るくなって開放感に満ちたそうです。あ〜俺は死ぬんだなと思い、このまま死んでもいい!と思ったそうです。でも、意識が戻り、前の状態になったそうです。違うことは、意識と違う肉体の反応が、現れたと言うことだそうです。自分の世界に居て、突然電話などかかってくると、大量の汗が流れるそうです。ここまでが、T氏に、直接質問をしながら聞いた話の、だいたいの内容です。つまり、死の瞬間のお話です。ただ、生死の限界線があるとするなら、まだ死の方へ入っていない生の方からの帰還!ということではありますが、興味深く聞くことが出来ました。生死に関わる危機になると、肉体から痛み苦痛不快感は消えて、死への準備が速やかに行われるようです。やがて死ぬにしても、回復するにしても、意識がありながら苦痛だけある事は、何とかしてあげたくなります。心と意識と肉体について本ではいろいろ読んではいましたが、直に言葉を聞くと強く心に刻まれました。
H15年2月19日(水) 今日は特に話題がありません。
世界中が、今また、何かの過渡期なのか動き始めています。このような時地球規模の異常気象でもあります。干ばつと水害、雪害、地球温暖化、オゾン層の異常、イスラエル、イラク、北朝鮮問題、事件事故、人口数の激増、それ以外でもアフリカなどの人種問題などなど、細かい所では、もっとうごめいているようです。  混沌と安定を繰り返す歴史の中で、この先何が起きても素直に受け止め順応していくことが求められます。何を叫ぼうが、何をしようが、起こる事は起こるのですから。     身近な家庭の問題でも、社会の問題でも、世界規模の問題でも、受ける側のすばやい対応が、生死を分けることがあります。  そんな訳で、心構えだけは、平和な時に体力とともに作っておきましょう。もう一度サバイバルの本や、危機対応の本にも目をとうしておいたほうが良いようです。   諸行無常!全てが常ならずですので。まあ平和である事は、大切な事でいつまでもそうあって欲しいです。
H15年2月18日 (火) 次の目標
人一倍怠け者の私は、何でもいいが何か目標を持っていないと、まず何もしないぐうたらである。目標をたとえ立てたとしても、気分が乗らないといつまでも実行に移らない、気分屋でもある。その分多くの夢は見ていて、現実の自分とのギャップに落ち込むのです。まあ、どうしてもやりたいことは、公言してしまって、自分をどうしてもやらざるを得ないように追い込むのです。そんな感じで、次の目標が見つかるまでは、怠惰な日々を過ごしていきます。そのほうが楽でいいのですが、何かに置いていかれそうで、怖いのも事実です。決して貧乏性とは違います。そんなまじめな性格ではなく、置いてきぼり強迫観念というか、自虐的と快楽的の、ゆりかごに乗っている様なものです。また、自惚れが強く、少しできることがあると、自信過剰気味で、家族の批判の的にもなります。誰しもある事だと誰か言ってくれると気が楽になると思いますが、たぶん気休めになっても自己改善にはならないと思います。    さて、性格の説明は、この程度にしまして、次の目標!を言っておかないといけません。自分を発奮させるためです。生きている時間はどんどん減っていっているのです。どれくらい熱中していられる時間があるか、それが食うため以外の生きている時間です。この時間が人間らしい時間なのです。たぶん。さてさて、音程と発声、高い方の声の問題が、一応練習メニュウも出来上がり、効果もある方法で、後はそれの継続だけである。そうなると、工夫は生まれないので、次の工夫し取り組む事は、ギターのインスト!または、歌の伴奏の工夫、などである。でもこれって地味だよな〜。
H15年2月17日(月) 演奏会を聞いて
15日(土)には、陸上自衛隊第8音楽隊、16日(日)地元、北薩シンフォニックバンドの演奏を聴きました。第8音楽隊は、演奏技術の高さや、律儀で几帳面、非常にきれいな音を聞かせていただき、また、隊員が3名ソロで歌ったり、3名の合唱もありました。音程の正確さと発声の良さに驚きました。北薩シンフォニックバンドは、今回19回定期演奏会でした。2市4町の吹奏楽愛好家の方たちの集まりです。転勤族の方も多く含まれているので、メンバーは、かなり異動しているようです。今回は、カルメンの演奏があり楽しませていただきました。各パートともまとまり良く充分楽しませていただきました。普段ギター音楽を聴きなれていると、ベース音がほとんど聞こえてこないのが寂しい気がしますが、も少し重厚な低音の響が欲しいなと思うのは、ポピュラー音楽の弊害でしょうか。ギター一本で観客の皆さんに立ち向かうとすれば、やはりブルーグラス的な、低音とコードを鳴らしながら歌うのが、聞かせる第一歩のような気がします。歌とギターが、メロディーとリズムだけじゃ寂しいので、歌とベース音とコード音が聞こえ、またリズムの変化を入れるなど、工夫しないと、シンプルさの良さが失われてしまいそうです。  そんな事を考えながら、演奏会を楽しませていただきました。
H15年2月15日(土)  このホームページは、
アクセスが4000を超えまして、1日平均20件のアクセスです。自分なりには、管理できる範囲での情報提供でやっていますので、ちょうどいいくらいです。たとえばこられる方になにかしの有用な情報を提供すると、いろんな方が集まり過ぎて、私の人間性では、収拾が付かないと思います。皆さんが求めている情報、プラ解説、考えただけでも辛そうです。まあ、多くの方からの支持を得るという方向でなく、親しい方との交流の場でも、それぞれ、ここで知り合えてもらってもいいと思う。しかし、新しい肩が入りにくいのも考え物のような気がします。ちと試験的に、自己紹介(初めての方用)掲示板や、足跡用掲示板を用意しようかな。もう少し増えるのはいっこうに構わないので、少し何かやって見ます。
15年2月13日 (木) まあ独り言ですが
力で人の気持ちを縛り付けて、あるいは洗脳して、もて遊んでいるように見える北朝鮮は、餓死する人民も、強制収用されている人民も、悲惨である。軍やトップにいる人間は、どうかと言うと、これは、惨めだと思う。トップは単に阿保でしかないと思う。阿保がやる事がいかにひどい事か、ただ、信じきっている人たちだけが、心のアヘン中毒患者みたいに、目だけがギラギラしている。いずれにしても、歴史にその名を残す事になる今の人民たちは、終末を待つしか安らぎはやってこない。私は、無力だな。そんな国を救うこととはできもしないが、できる事なら安らぎの言葉でもかけてやりたい。生きるって事は全て自由であるべきだし、他人との協調の中で、自分らしく生きていく事だと思う。人が人の命を奪う事は許されない行為である。あまりにも愚かな行為の国に対して、何も出来ない自分が、情けないような、そして同情心でいっぱいだ。多かれ少なかれ、あの国に対する感情は、複雑なものがあります。      そういいながらもこの平和な日本で、毎日、のほほんとギターを弾いています。反戦歌を大声で歌い上げた昔のフォークシンガーの気概もなく、ただ、つぶやくだけだ。対岸の火事ではすまないかもしれないのに、日本人こそ現実逃避してるのかな。何がいつ突然起きるかもしれないので、その時は、気持ちをシャープに切り替え対応しよう。
H15年2月12日 (水) 歌の練習の試行錯誤
歌ってはいましたが、歌のみギターのみではまあ聞けても、一緒にやるとどうもいけなかったようです。自分ではさほど気にしてはおらず、歌い込めば良くなるだろう位しか思っていませんでした。人前で歌うこともなく自宅で歌うだけでしたから、でも、録音して見て、愕然と致しました。こんなに外れてる!音痴に近い!って思いました。それから約2ヶ月の試行錯誤が始まりました。問題は3つあり、音程が不安定と声がこもっていて暗い、高い声が出ないと言う事です。まずは音程の練習からはじめました。ギターの音にあわせて、半音スケールや、各調のスケール、和音の音を歌う、など約2ヶ月弱やりました。しかし、いっこうに成果は上がりませんでした。ある夜ついにひらめきました。ハモってみたらどうか!ここから何かが動きました。ルート音だけを出して、スケールを歌ったり、3度5度8度に7度のハモリを確認しながら、半音ずつずらしていく練習をしました。思わぬことに、良くハモル為には、響く声でなければいけないことを発見しました。これで、音程と発声の練習が上手くいき約10日ぐらいで、録音してもかなりの成果が聞き取れました。ただ、長年音痴でギター無視で歌ってたので、ギターや自分の声を意識していないと、外れがちです。でも、この練習が効果的であるということだけは、実感しました。おまけに、テヌートで歌いながら言葉でリズムを取るというおまけまで付きました。こうすると言葉がはっきり聞こえまた、いい感じになります。残るは、高い声を出すことです。普段上のEまでは何とか出ますが、曲によっては、上のGまで良く出てきます。何とか頑張れば出ないことはありませんが、いかにも無理をしているって感じです。上のGまで無理なくでるような練習を昨日から始めました。半音ずついったり来たりしながら、半音上がっていく練習をしています。喉の筋肉や、声帯自体に、力を入れないで、出せるように意識しながらやっています。午前中と夕方では、1音から2音ぐらい音域の差がありますので、午前中の練習がいいのか午後の練習がいいのかわかりませんが、午前中発声練習していると、午後の発声が楽なようなので、このまま午前中の練習も続けようと思います。     こんなに書いても、読みにくいでしょうが、私自身の記録という事ですので、よろしくです。
H15年2月11日 (火) 今思うこと
今、いろんな事に感謝しています。妻や子供、両親兄弟、友人知人、仕事関係の方、今の住まいや仕事自体、パソコンやネットでのお付き合い、ギター、食べられるという事、生きているという事、いろいろあります。たとえば、今楽しいでいるパソコンとギターについて話しますと、パソコンは、40を過ぎてから始めました。独学ですのでなかなか上達しませんでしたし、葉書作成と簡単なワープロぐらい出来ればいいと思っておりましたが、仕事を変わってからパソコン無しではやっていけなくなり、仕事関係のソフトから、パソコンの楽しさを見つけました。はじめのアップル製マッキントシュパフォーマ5320は、パソコンの面白さを教えてくれたかわいいパソコンです。次のウィンドウズのノートパソコンは、特にエクセルの楽しさと、ネットの楽しさを教えてくれました。どちらも今でも毎日のように使っています。今思えば、もし、あの時もう40過ぎてんだからと言って躊躇していたら、今のこの生活自体がなかったかもしれません。何かはじめるのに遅いという事はない事を教えてくれました。   ギターについてですが、中学生の頃から弾いていますので、35年ぐらい弾いている事になり、自分の生活の中かにギターはなくてはならない存在です。食事をし寝るのと同じくらい大切な事です。ただやはり波はありました。振り返ると、何か目標が出来た時に熱中し少し腕が上がったようです。それでもたいした技術はありませんが、自分で楽しめるくらいは充分にあります。この部分が、転職してまったく知らない土地に行った時でも、おおいに慰めになったものです。もしギター弾いてなかったら、故郷を出ることなく一生を地元で過ごしたかもしれません。  ギターがあったから、こんなにバラエティーに富んだ人生を遅れたと思います。  これからもギターを弾き続けて、これからの人生楽しもうと思います。
H15年2月6日 (木) 歌の練習!
ここ2ヶ月くらい練習しています。特にここ1週間の練習が効果的でした。ルート音のみギターで鳴らして、スケールを歌います。そのとき3度と5度8度のハーモニーを確認します。響きあっているのを確認するのです。半音ずつずらしていって音域を少しずつ広げています。今メジャーキーのみの練習です。後セブンスを加えたりしてます。それ以前は、半音や音階、和音のコード音、などを半音ずつづらしたりして、音域全部練習しましたが、7週間ほどの練習はあまり効果がありませんでした。上のハモリの練習を始めてから、再びそれ以前の練習に応用してやっています。まだトータルでも2ヶ月程度で、自分に合った方法を見つけて1週間程度ですので、これからが楽しみです。  毎日が嬉しくて嬉しくて、時間が許す限り歌っています。  そうこうしている間にもうひとつ、眼から鱗と言うか棚から牡丹餅というか、歌い方で、言葉自体をリズムとして歌うこと!テヌートで歌いながらアクセントをつけていくようにします。  この二つの発見は、自分にとって宝となっていくでしょう。 録音しながらやっていますが、効果は充分あります。ただ、今まで30年ぐらい音痴!で歌ってたせいか、修正にはもう少し練習の徹底が必要なようです。  今、子供みたいに楽しんでいます(笑)
H15年2月5日 (水) パソコ始めたのは、
仕事柄年賀状を300枚以上書いていたからで、手書きから、ワープロそしてパソコンで作るようになったからです。はがき作成ソフトもようやく慣れてきて、今では、300枚程度だったら裏表で、4時間もあれば完成です。でも相変わらず年末ぎりぎりにならないと作っておりませんが、便利になっても性格までは変わらないようです。  1995年にウィンドウズにするかマックにするかで悩みましたが、友人がマックの販売をやっていたので、いろいろ教えてもらえると思いマックにしました。  ローマ字入力からはじめて、日記を書いたり新聞記事を写したりしました。その後、本に付いている無料ソフトをいろいろ試しました。ソフトのバージョンアップなどでは、失敗も多く、基本ソフトの再インストールも何回もやりました。当時本体25万円プリンター5万円の出費で、スキャナー、ジップドライブ、解説の本など、かなりの出費をして、ようやくチラシやはがきなどが作れるようになりました。     その後、ウィンドウズを2台(ノートパソコン)使って、今、マックとウィンドウズ機があります。昨年4月からネットを始め、8月にはホームページを開きました。その頃から急にいろんな事が解って来たような気がします。当たり前の事が当たり前として認識できるようになったような感じです。もちろん専門化のような知識もありませんが、一般人として使う範囲の事が少し解る様になったという事です。   それとともにネットでの人間関係や知識など、いろんな事を教えて頂きました。これからもこの知識の集合体からどんな事を教えていただけるのでしょうか。楽しみです。
H15年2月3日 (月) えびの市京町の二日市
だいたい毎年この市の時は見に行きます。別に何を買うわけでもなくただブラブラします。今年は子供は行かなかったので、妻と二人で、見て歩きました。駅前では、フォークデュオがライブやってました。通りという通りは、人で込み合っていて、宮崎と鹿児島の県境ということもあって、言葉が入り乱れていました。出店は途切れることなく道に並んでいて、賑やかな人通りが笑い声などで盛り上がっておりました。 観察していると自分より年上かなと思う人が、三分の二ぐらいで、学生や子供、・・・20代の若者はほとんど見かけない。鯛焼き回転焼き、いか焼き、地鶏焼き(これ旨かった)クレープ、焼きりんご、たこ焼き、乾物屋魚貝類の店、衣類、生活用品、仏具仏壇、古道具屋、そうそう刃物屋さん、木製品や竹製品、金魚すくいや、ゲームなどの屋台、もちろん花屋や、植木屋さん、JAのトラクターや農業用品、まだまだあったと思うが、見て回っただけでもかなり合ったと思います。賑やかで、普段静かな温泉宿街も、この二日間は人であふれます。   妻の実家でお昼をご馳走になってのんびりしてから帰ってきました。
H15年1月28日 (水) 雪が降り始めました。
今日は今年2回目の雪が降り始めました。なぜか心ウキウキしてしまいます。娘から、子供みたいに喜ぶお父さんを見ていると可笑しい、と言われました。周り一面が雪化粧していくのをじっと見ていると、子供の頃の記憶がどこかに残っていて、条件反射として、ウキウキしてしまうのでしょう。そういえば夜雪が降ると、いつも聞こえてくる、潮騒や町の音が不思議と消え、列車の音も遠くで響くように聞こえたものです。   寒いはずなのに布団から飛び起きて窓の外を見に行きます。いつもなら思考がすぐに動き出さないのに、雪の日ばかりは一瞬で目覚めてしまいます。通学時間がいつもより余分にかかるのは、無心に雪を確かめているからです。  今の歳になってもあの頃とまったく違いはありません。   若い頃スキー場へ行ったときは、あまり雪に感動はしませんでした。目の前一面雪ばかりだと、当たり前に見えてしまうのでしょうか。やはり所々緑や土、建物の一部が見えるくらいが、自分の子供の頃の風景を思い出させるのでしょう。  今日は一日、雪と天気予報では言っていました。すぐに解けてしまう南国の雪は、そのあっけなさがいいのかもしれません。
H15年1月25日 (土)  命の値段
こうして気が向くと続けて日記を書くこともあります。(笑)    タイトルでは、「命の値段」となっていますが、損害保険と生命保険では、命の値段について考え方が違います。 損害保険(自賠責保険や任意保険)では、加入額をあらかじめ設定いたします。ある計算方法を用いてその個人の命を計算します。2つ以上加入していて、保険金を合算しても、計算された保険金を越えて支払われる事はありません。つまり命の値段の上限が決められるという事です。ところが、生命保険は、命の価値は各個人で考え方が違うので、固定できないとしております。つまり、、保険加入時にあらかじめ値段を設定いたします。また、2つ以上加入していても、それぞれ支払われます。命の値段の上限を決めていません。ただ、加入時に他の生命保険の内容を尋ねられたら、答える必要があります。    このように同じ人の命の値段でも、考え方の違いから、加入時から違うので注意や、内容を理解しておく必要があります。  保険募集人の方も、契約者の方のご希望に沿ったプラン作り、契約が求められます。コンプライアンスを勉強された事と思います。
H15年1月24日 (金)  事故が多いです!
この頃事故が多いです。ほんのちょっとの不注意だったり、漫然運転だったり、飲酒運転だったり、いろいろですが、その後の原状回復までは、時間も労力も、心理的にも大変です。改めて起きてから後悔されるようです。   仕事柄現場にも行きますが、さほど大きな事故でないのが幸いですが、それでも示談までは長い時間が必要です。    事件も多いですね、北朝鮮にしても、盗人猛々しい感じがします。あるいは、金持ちで、権力のある、わがまま坊ちゃんの暇つぶしの相手をさせられて、人の命まで自由に扱っているようで、怒りを覚えます。    世の中相反する二面性があってできていますので、片方だけ扱うと大きな間違いですけど、それでもバランスをとって上手く世の中流れて行って欲しいものです。 事故のために車の販売修理、病院、生損保会社、警察、司法関係、いろいろかかわってきます。あってはいけないけど、あって仕事になる人もいます。     人は知らず知らずにいろんな人と関わって生きています。普段はほとんど家族と仕事関係友人関係くらいしか思いつきませんが、事故では、いろんな方と接しなければなりません。    また事故の相手が、過激な方だとしたら、いかがしますか?   ここ一年事故が多いので、起こされた方は気の毒ですが、早く気持ちの整理をされて欲しいものです。  アメリカでは、医師、弁護士、セールス(含む生損保)、と上手く付き合えといわれていますが、意識されている方は、少ないようです。誰かが助けてくれると漠然と考えておられるようです。
H15年1月17日 (金) 今日は8年前阪神大震災の日
震災に合われた方、ご冥福をお祈りいたします。また、ご無事だった方が、これからも笑顔で生きていかれますよう、お祈りいたします。お言葉のかけようもありませんが、お祈りいたします。      昨年4月にネットをはじめまして、どういう流れで現在があるか、少し思い出してみました。まず検索で、『アコースティックギター』だったと思う。で、マーティンD28のページや、アコギのページ、水印のホームページ、そこから、ヘッドウェイギターの愛好者のホームページと出会い、TAKEさんのホームページにたどりついいて、Linkから今があると思います。アマチュアで音楽を作っている姿を見させてもらって、大いに刺激になりました。歳だからと尻込みせずに前向きに、やれそうな気がしたものです。なので、まずホームページを作ってみました。次に作詞、そして作曲でした。『左の手が笑ってる』は初めての曲になりました。あと合計10曲を、8月から12月までに作りました。そして、録音して、ネットで流すという暴挙に出ました。どうしようもなく作品を聞いていただきたい想いが、強かったです。ただ、娘に音程や発音の指摘を受け、少し冷静になりました。せめて歌の練習をして、少しでも聞きやすい歌にしなければという思いが生まれました。今練習を約1ヶ月とちょっと続けました。まあ少しはましになったかなと思えるようになったので、録音再開です。そして、ミュージック東京さんに登録してある、曲をすべて更新して、入れ替えます。その上で、皆さんに聞いていただければと思います。それらが一段落したら、新しい曲作りに専念したいし、ブルーグラスギターも、もっと練習したいなと思います。
H15年1月10日  (金)  今年初めての日記
皆さん、明けましておめでとうございます。satoruの広場、へ遊びに来ていただきまことにありがとうございます。 特に目新しい事も何もやっておりませんが、写真だけよく更新しております。  これからもよろしくお願いいたします。 はじめて来られた方で、satoru=倉津 勝美 がなかなかイメージが一致しない!と言う方も多いと思います。satoruはネットネーム、ハンドルネームなのでお許しくださいませ。ネットをはじめたとき、掲示板への書き込みにハンドルネームで書いたほうがいいと聞き、単にひらめいたのが、satoru!でした。何の意味も関連もありません。まあのんびりやっていますので、気が向いたら掲示板へ、書き込みお願い致します。  それと、正月えびののスケートリンクへ、3年ぶりに行きましたので、そのときの雰囲気を載せました。はじめて顔のご紹介です。帽子かぶっていますので、イメージは随分違いますが、こんな雰囲気です。
14年12月12日(木) 久しぶりに書いています。
昨日は、お友達の家で、はがきの作成ソフトをインストールして、やり方を教えようとしたが、結局住所まで入力してあげる事になった、約80軒分。今日また50件ぐらい残っていたので、また行って入力してくる予定です。多分、印刷までやる事になるでしょう。さて、今現在の楽しみは、声の音程の練習と、発声の練習です。そして、歌詞を書く事と、曲をつけることです。声の方は、ほんとに楽しいです。テープに録音して確認していますが、自分でも明らかに、以前とは違います。わずか10日くらいの練習でも変わるものです。ただ、娘の評価は、相変わらず厳しいです。どうも、声の質そのものについて、気に入らないらしいです。明るく、鋭く、音の出だしがはっきりとする事、それらが足りないらしいです。自分では、かすれたような少し幅のある声を出したいのですが、たとえば森進一のような声質、娘には非常に不評です。声が顔や頭で響く音も出せますが、ナンセ疲れます。腹筋にも力が要るし、体全体を使う感じですので、この歳では、体力がありません。なので、つい力を抜いて、楽な歌い方になってしまいます。すると、音程も不安定で不正確になるようです。初めから、正確ではないのですが、録音してみると、力を抜いた歌い方で歌うと、自分では合ってるつもりでも、いい加減でした。かすれた声で、雰囲気よく歌ったつもりが、ぜんぜん聞かせられる歌になっていなかったです。いずれにしても音程の練習と発声練習は、歌う前は、必ずやって行くつもりです。歌詞について、詳しくは、また別の日に考えを書きますが、今日は簡単に、書いておきます。テーマを決めて、状況設定を決めて、登場人物を決めて、時間について決めて、ここら辺は皆さんと一緒です。後は、4小節ひと区切りで、どれくらいの長さにして、起承転結や、さびの部分をどこに入れるか、大まかに決めます。1番2番など、言葉の数を同じにするのでなくて、意味のある言葉そのものをひと区切りとして、区切っていきます。この部分が違うと思います。言葉の数が1番と2番で違うので、同じメロディーでも雰囲気(言葉のリズム感)が違ってきます。それと、別の区切りの言葉を作ります。つまり1番の中で、メロディーの違う部分を作ります。例「笑い話」「夢を追い」などです。歌詞で、曲の展開をある程度想定しております。メロディーそのものは、歌いながらどんどん変えていきますが。以上、最近の思いを綴ってみました。
H14年11月26日 このホームページに五つの???
このホームページのどこかに、隠しページが二つ、いるかの掲示板のパスワー、別のホームページが二つ隠れています。携帯HPは、普通に表示されておりますので省きます。 ただ見えないだけのものもあるし、明らかなものもあります。ま遊び感覚で、探してみてください。この五つの、ヒントは、「隠しページは、見落とさない事、ホームページは、クリックマーク(グー)、掲示板のパスワードは、見えないだけです。」これを手がかりに楽しんでみてください。  特に探せても記念品等ありませんので、ご請求されませんようお願いいたします。(^_-)-☆ 全部探せた方は、自己申告してみてください。どこかに記念として、お名前を掲示したいと思います。
H14.11.17 (日)  ソナーレの演奏会は
夕べ、ソナーレの演奏会でした。18:30開演なので、少し早めに行きました。 団員は、女性21名男性13名がプログラムに記載されていた。  ソナーレは、混声合唱団です。かなりのレベルです。音楽の先生や、楽器を続けている方がほとんどです。 今回は、フルート独奏とピアノ独奏が予定されていました。演奏が始まると、 ソプラノとアルトの女性の声と、テノール、バスの男性の声が、正確な音程で、時に優しく時に力強く、空間を埋め尽くします。ソプラノの突き通すような張りがあって輝く声、バスの、響く声、ハーモニーやいろどりは、アルトとテナーが、自由に流れます。 そんな混声や、女声合唱、男声合唱もありました。この贅沢な時間、マイクなしの生の声の美しさを、堪能させてもらいました。 フルート独奏は、家族3人での演奏でした。一曲目の「島歌」は息子さん(高校生)がピアノ伴奏で、2曲目「チャールダーシュ」は奥さんがピアノ伴奏、ご主人がフルート独奏でした。 フルートの音色が会場に響きわたり、テクニック、演奏をじっくり聞かせていただきました。 次は、ピアノ独奏。久石 譲の「Summer]、Fリストの「愛の夢」、Fショパンの「英雄のポロネーズ」でした。そのテクニックとピアニッシモからフォルッテッシモまで、その変幻自在なリズムやスピード感、タッチの正確さ、音の切れ、表情豊かな演奏に、満足いたしました。 最後に混声合唱組曲「蔵王」!6曲目と8曲目を除く7曲!を、すばらしい演奏で締めくくられました。 アンコールにも応えて頂き、豊かな気持ちになって帰りました。
H14年11月13日(水) 二期生の練習11月176日から
夕べは、ウクレレサークル(サークル名がない)の練習日だった。確実に腕が上がっている。あと新しいコードを7〜8個(Em調、Dm調、B♭調、E調)、指に覚えこませれば、今のテキスト終了です。これからが面白くなるところなのでがんばって欲しい。 今は、コードを指に覚えこませコードチェンジがスムースに行くようになる練習です。C調、Am調、G調、F調、D調、A調 の3コード+アルファーがもう出来ているんです。どんなコードが来てもすいすい行くようになれば、リズムの練習と歌いながらの練習です。これは、楽しいと思います。第二回ももう3ヶ月です。お盆過ぎから、ほとんど毎週やってきました。  今では、皆さんのほうが積極的です。  やっていてほんとに良かったと思います。  今度の日曜から、二期生の練習も始めます。3名です。この人たちの取り組み次第で、今後が決まるような気がします。  ひとり一人の方の成長をしっかり、見届けたいです。  一期生の方もこれからもっと熱が入る事と思っています。  まったく楽器を触った事のない方たちでしたが、通算6ヶ月で、簡単な曲は、歌って伴奏できるようになりました。私より当の本人の方達が、驚いています。  始めるまでは、随分しり込みされていましたし、第一回の練習の3ヶ月間は、地味な練習ばかりで、あまり面白くなかったのに良く頑張られました。  第二回の練習は、曲集を使い、私のギターのメロディーに皆さんがコードストロークやるスタイルでした。 第一回の終わりの頃曲練習の話しをしたら、まだ早いといってしり込みされていました。 やはり皆さんの気持ちが、一段進んだから、第二回が成功したと思います。   これからは、二期生が入りますので、一期生は第三回練習に入ります。 チューニングの事や、リズムの事、曲調の中のコードの話し、などなど、広い知識からその曲に取り組んでいって、表現する事を知ってもらいたいです。   17日から、いよいよ次のステップが始まります。  これは皆さんに伝えていませんので、私の練習プログラムなのです。  
H14年11月12日(火)
寒さも一段落して、いつもの11月という暖かさです。  昨日は、阿久根小学校の校門と運動場を撮影に行き、「気ままな写真」に載せました。  阿久根地区は、昭和25年ごろから、卒業生が50歳を迎える年に、小学校の運動会に参加します。  もちろんかけっこ!もします。県外にいる人たちもこの年だけは、参加します。  はじめの頃は、阿久根小学校のみでしたが、この頃は、阿久根の他の小学校でも行われているとの事です。   来年は、昭和41年卒業生です。  ネットで呼びかけようと思い携帯からも出れるホームページを、ささやかながら作りました。 そのページは、実行委員の方へ伝えていただく事になりまして、携帯用のHPなので、使えるかもとの事でした。  こちらのPCのHPには、写真も載せて、見ていただこうと思い昨日撮影に行きました。校門前が、 陰になっていたのでまた写しなおします。とりあえず写し直すまでこれを載せておきます。   一年はあっという間ですので、実行委員の方々、ご苦労様ですが、よろしくお願いいたします。
H14年11月11日
今日は、娘の風船の遊びを見ていました。お犬さんを作っています。はははうまいです。この子は将来どうなるんでしょう。   私も器用なほうでしたが、もっとうまいです。   ハハハかわいいです。   では親ばかということで、ばいばいです。
H14年11月11日(月) 日南の思い出!
昨日は、ウクレレサークルのメンバーと日南へドライブに行きました。  少しうす曇の中車は順調に、青島へ到着しました。何回も来た事あるのに島の中の神社にお参りするのは、初めてのような感じです。 鬼の洗濯岩を触るのも、そこは、歩くのも初めてのようで、ここの記憶を今までは、アルコールで、消していたんでしょう。  結婚式のバスが来たり、七五三の参拝のかわいい子供さんや、パパママもまだ初々しい感じです。   おっと!この学生さんたちは、どこから来たんでしょう。 潮溜まりに足を滑らせたのか、はしゃいでいます。  男女共学の学校のようです。 服装の乱れもなく、髪、装身具等付けていなくて、さわやかな感じを受けました。  で、帰り際お店の前で、少し勇気を出して、男子学生さんに、声をかけてみました。  にっこり笑顔で、話してくださって、嬉しく思いました。  なんと、北海道札幌、から来られたという事でした。今夜は、霧島へ泊まって、明日は鹿児島へ向かうと話されました。 写させていただいた写真は、「気ままな写真へ」載せてあります。皆さんが、 いい観光が出来て、九州を満喫されたら良いなあと思いました。  ここを出て、鵜戸神宮へ向かい、参拝した帰り際、野生のいのししに出会いました。かわいくて人馴れしておりました。 次は、「サンメッセ日南」あのモアイの像に会える!まあコピーなんですが、でも、ずごいコピーです。  ここで食事して、店員さんと話して、いい雰囲気でした。帰りに、皆さんで、その店員さんは特に、大きなしぐさで、見送っていただきました。  今回ちょっとしたことでも、話してみて、皆さんの暖かい心を、いただきました。  観光は、人との触れ合いで、倍にも三倍にも、楽しくなるものです。楽しいドライブが出来て本と良かったです。次は、どこへ行くかまだ決めていませんが、またどこかへ、行きたいと思います。
H14年11月8日(金)
こちらの日記はサボっていました。サブのホームページや、携帯のホームページなど作ったため、ご無沙汰していました。これからじっくり取り組みたいです。 ネット、訳も解らず始めて、ただ突っ走ってきたような、ここ何ヶ月でした。  失敗もありました。  恥ずかしい思いやら、家庭の事情やら、いい加減やけにもなりました。  でも、前を見て行きたいと思います。  このほーむぺーじにも、、いくらか工夫をしてあります。  来られた方も探してみてください。 たいして面白くもありませんが、これからも少しずつ手を加えて行きたいと思います。 隠しページがあったり、思わぬlinkがあったり、いろんな事やって行きたいと思います。では、またお会いしましょう。
H14年11月5日(火)
昨日の、野田町「西日本オールドカーフェスティバル」の写真をアップしました。もっと写したのですが、雰囲気でも伝わればと思います。午前中天気が悪かったので、オールドカーの所有者の方は、出発が遅れたのかもです。普段車庫に入れて、雨天には乗らないですから。でもこれだけが集まっていました。午後からは行こうにも、たぶん駐車場もないので、午前中参加されたものだけ写しました。  ほんとはまだまだ台数が増えるはずでした。
H14年11月4日(月曜日)振替休日(文化の日)
昨日は雨だったので、行事が順延されてるみたいです。私は仕事なので、これから行って来ます。でも、一日仕事にならんでしょう。ではそういうことで。
H14年11月2日(土) (^_^;)原因は!
パソコンのトラブルが、自分の操作に原因があって、それが分かっただけでも良かった。こうして、少し復元して、少し手を加えてみました。   皆さんが気軽に集まって、楽しい話が出来ればいいなと思います。   
H14年10月29日(火) 再インストール(ーー;)
昨日ついに再インストールした。 2回目だったので少しは早くなったし、正確になった。でもこんな事頻繁にやりたくないな〜。やらないとうまくやれないし、まいい勉強です。 ただ、人を頼まなければならないのが、二つありそればかりはどうにもならない、そのソフトは、かしてもらえないのです。  ということで、ホームページも一部変更になりました。


トップへ
トップへ
戻る
戻る