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この長編小説「幻影」は、フィクションです。時代背景に沿って、描かれてあります。 自分独特な書き方、スタイルを、強く意識して書いた作品です。

ダウンロードの後、ゆっくりとお読み下されば嬉しく思います。

 

  

  

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     幻影

 

       一

 

 落ちゆく夕日を追い掛けるかのように、漁船が風を受けて一杯に膨らむ帆を真っ赤に染め、東支那海に出漁して行く。紅に染まる海に、幾つもの航跡を残し、浮かぶ数隻の貿易船を避けながら漁場へと争い急ぐ。その姿を、いつも砂浜近くの岩場に腰を掛けて、見守るひとりの若者の姿があった。若者の名前は、喜三郎と言った。

遠浅の砂浜には波が洗い、潮騒を奏でる。薩摩国は薩州の西南端に位置する坊津には、飛び石の如く坊の浦、久志浦、秋目浦と共に、四ケ外城としての要である泊浦がある。薩摩にとって特にこの四ケ所は、明国や琉球王国並びに竺土など南方への中継地として、或いは海外との貿易上、極めて重要な意義を持っていた。その為に薩摩は、坊の浦に唐船奉行を置き、渡琉船への臨検を主たる目的とする武装した勘合船を配備して、統制を計っていた。

 1542年(天文11年)から、ポルトガル船やスペイン船が、度々種子島や薩摩の主なる港に来航するようになっていた。1543年(天文12年)陰暦八月には、ポルトガル船が種子島に来航して鉄砲を伝え、種子島銃として火縄銃の製造が始まっていた。馬や太刀を使うといった戦術から、火縄銃を使った戦いへと変わっていった。

 それから更に、18年後の1561年(永禄4年)には、三隻のポルトガル船が九州に来航した。船長アイレス・ポテリョの船で、平戸に入港。船長アフオンソ・ワスの船で、薩摩阿久根に入港。船長マヌエル・デ・メンドーサの船で、坊津は泊浦に入港した。

「おいら〜あ、本当に驚いたさ。何がそんなに驚いたかって? 話せば、長げ〜が・・・まあ〜 皆、聞いてくんねえ」

 喜三郎は、水平線へと沈みゆく真っ赤な夕日を、ゆっくり振り返った。じっと見詰めては、何かを思い出したように深い溜め息をついた。

 山には、山桜の花が綻び始め、鴬の朝の囀りが谷間に響いている。朝靄の泊浦には、何時ものように数隻の貿易船が錨を打ち波間に漂う。

 1561年(永禄4年)の春は、上陸している貿易船や明国などの船員達で、相変らずの賑やかさを見せていた。

 泊浦は、慈眼院の横を撫でるように流れる川の上流へと、少し遡った奥まった所に、鍛冶屋はあった。

「太刀の出来は、どうじゃ?」

「へい、ご覧のように、今打ち始めたところでして・・・まあ、今少し、お待ち下せえ〜 お奉行は、お待ちかねとは存じますが」

 綱嘉は、焼ける鉄の棒を、見入る唐通事の小倉弥一郎に言った。焼け爛れた鉄の棒を、ハンマーで叩く音が部屋に響く。

 弥一郎は、あまりの眩しさに、そこから目を逸らした。綱嘉の汗が、火の明かりを受けて、きらりと輝き一筋を垂らす。弥一郎は頷き、「あい分かった」と、納得した声を出した。

「小倉様、お茶でもどうぞ」と、弟子が、お茶を薦める。弥一郎は、刀鍛冶達が忙しく働いている仕事場を後にして、隣の部屋へと、弟子に案内されるまま入って行った。

「仕事が、追い付かないようじゃのお〜」

弥一郎は、太刀を腰から抜いて、右手に持ち換えると、一段高い板の間に腰掛けた。

「へい、開臨丸に頼まれた仕事が御座いまして、今までそれに掛り切りで御座いました」弟子は、板の間にお茶を置いた。

「ほ〜 開臨丸の仕事をのお〜」「へい、船に必要な金具類で御座いますよ」弥一郎は、出されたお茶を味わうように、ゆっくりと一口、啜った。

「呂宋辺りからも、注文があるらしいが?」「左様で御座います。それに、いつで御座いましたか、南蛮船が入港した折りには、変わった金具も製造した次第でして・・・難しい仕事だったと、聞いております」当時日本では、ヨーロッパの事を南蛮と呼んでいた。造船技術も発達していて、遠くは呂宋(フイリッピン)辺りからの、注文も多かった。ハンマーで、規則正しく鉄を打っていた耳障りだった音が止んだ。休息の時間のようである。綱嘉が、弥一郎達のいる部屋に入って来た。

「綱嘉、相変らず忙しいようじゃのお〜」

「弥一郎様、因果な商売ですよ・・・」

 綱嘉は、会釈すると、お茶の出されてある弥一郎の隣に腰掛けた。弟子が出してくれたお茶を、一口啜る。

「商売繁盛なのに、何故? そんなに悲観致す?」と、弥一郎は、不思議な顔を見せた。

「自分の作った太刀が売れるのは、嬉しいのですが、それだけに相手を傷つけることになりはしないかと? それが、残念で・・・」

「しかしのお〜 こんな戦乱の世に、どうやって自分や家族の身を守る? そなたの太刀に、縋るしかあるまいよ」

「そうでしょうが・・・所詮、人斬り包丁で御座いますよ・・・作っていて、嫌になる時が御座いますよ」

「うむ〜 そんな、もんかいのお〜 神に仕える、神聖な姿をしているのにか?」

 白装束に、襷掛けである。まるで、神聖なる相撲の行司のようであった。

「太刀には、私の魂を入れねばなりません。その為には、自らを正し、身を清め、ひと振りひと振りに、愛を込めねばなりません」

「それで、打つ前に塩を振るって訳かい?」「そうで御座います」

「どうも、良く分からんのお〜 それ程までに、精魂込めて作っているのに・・・何故、悲しむことがあろうか? 男の仕事として、誇りを持っても、良いではないのか?」

弥一郎は、お茶を一口啜りながら、何かを考え込むようにして、庭先をじっと眺めている綱嘉を見た。山の谷間からは、鴬の声が木霊して聞こえて来る。その声に、耳を澄ます綱嘉であった。弥一郎も、また聞き入った。

「誇りは、持ってはおりますが・・・ただ無性に、やり切れなくなる時が御座います」

「分からんでもないがのお〜 腰に挿して、飾っておく訳もいくまいが? 斬り掛かって来たら、それに対応せねばなるまい。易々と斬られてしまうか? 綱嘉」

「仰る通りなのですが・・・」

「正義を守る為には、そなたの作った太刀に頼ることも、せねばなるまいよ」

「しかし、弥一郎様、太刀を使わずして、正義は、守れぬもので御座いましょうか?」

「悪党と呼ばれている族が、居なくならない限り、それは無理と云うものよ」

「目には、目を、刃には、刃を、で御座いますか? 仁慈が、崩れて行きそうですよ」

「何とも気の弱いことを、言うものよ。悪を信頼してどうする? 信頼に値するか?」

「南蛮から来ていた神父様は、汝の敵を愛せよと言っていましたが・・・」

「悪など愛せぬわ!・・・戯けたことを」弥一郎は、言い放った。

「ご尤もに御座います」と、綱嘉は頷く。

「神父の説教を、聞いたのか?」

「はい、あれは確か、八年前のことで御座いました。私は、未だ修業の身で、鹿児島の御城下に太刀を届けに行った折り、たまたま、話を聞く機会が御座いまして・・・何かの役に立つのでは? と思ったもので・・・」

「そうだったのか。当時、拙者も御城下に居たがのお〜 南蛮人とは、会える機会がなかった。何時か会いたいと、思ってはおるが」

 それは、1552年(天文21年)陰暦の8月14日、船長ドアンテ・ダ・ガーマの船が、鹿児島港に入港していた時のことであった。

「坊津には、度々立ち寄っております故、これからは、会える機会も御座いましょう。南蛮との貿易も、増えるかと存じますが」

「そうよのお〜 聞きたいこともあるしのっ」 坊津に派遣されてから、未だ間もないだけに、弥一郎の期待は大きかった。

その頃、唐船奉行の平田宗源は、奉行所にあって、役人の瀬戸上織部と御城下の殿の許へ差し出す馬のことについて話をしていた。

北境では、日向州の伊東氏が必要以上な圧力を加え、更に豪族達を煽りたてた。豪族達の抗争は、余す所なく続き、国一揆は勃発し、一族は互いに争い鎬合った。その争乱を経て、次第に島津家は、勢力が衰えて遂に無力化し、薩摩国は、他国に攻め込まれたら危ない状況になって行った。

かつて豪族と呼ばれていた島津から、大名としての地位を徐々に確立しつつあった薩摩にとって、アキレス腱である。そこで、先の戦に名を馳せた、薩州は伊作の島津日新斎の子貴久を、第十四代太守島津勝久の養子に迎えて本家を譲り、その危機を脱しようとしていた。薩州、大隅州、日向州の、三州の殆どを手中に収めた第十五代太守島津貴久は、三州統一を強固なものとする為に、様々な策略を巡らしていった。

そのひとつが、戦略的な馬術と馬の開発であり、唐船奉行にそれを命じていた。

「三頭程、調教が終わった由に御座います」「何っ、たったそれだけか・・・それでは、殿に差し出す訳にもいくまいのお〜」

 宗源は、腕組をすると、考え込むようにして庭先に目をやった。

「お奉行、お言葉では御座いますが、一頭調教するのには、最低数か月は掛かりまする。一度に数十頭なんてことは、無理な話で御座いますよ」と、織部は、身を乗り出す。

「そうじゃのお〜 あい分かった」腕組を解いた宗源は、織部に軽く頷いた。

「後で、馬場を訪ねてみましょう」

「うっ、そうしてくれ・・・御城下への搬送は、急がなくても良いからな・・・」

「ははっ」

 奉行所を出た織部は、泊浦へと向かった。左手には、ごつごつとした岩場が続く。

貿易船は、何も言わず、不気味な姿を浮かべている。小波は、曲がりくねった岩場をゆっくりと洗い、時々白い波を見せている。群れ飛ぶ小鳥が、頭上を通り過ぎて行く。暫らく歩くと、番所にさしかかった。検問を待つ人達の行列が、織部の目に飛び込んで来た。構わず近付いて行った。

「検問を、厳しくしているようじゃが、何かあったのか?」と、番役に聞いた。

「はい、都から大泥棒の仙太が、逃げ込んでいるとの連絡が入りまして・・・」

「ああ〜そのことであったか・・・人相書きはあるのか?」「これが、そうです」と言って、人相書きを手渡した。

受け取った織部は、「そうそう、こやつよ。矢張り、それらしい顔をしとるわい」と言って、人相書きを返して、「心して掛かってくれよ」「ははっ! 必ずひっ捕らえてみせまする」と、太刀に手をやって意気込みを見せる番役である。

 湾口を明国へ向けて、切り立ったリヤス式海岸線が、うねりのように続く。坊津への入国や明国或いは南方への渡航は、容易い。

都からの追っ手を避けて、わざわざ逃げて来た大泥棒が、易々と網に掛かるとは思いもしなかったが、織部は、番役に軽く頷いて応えた。会釈をして通した番役達を後ろに、織部は、泊浦へと急いだ。

青々とした海が、目の前に広がる。泊浦の砂浜が、回り込むように続いて見えている。宮崎にある赤く塗られた恵比須神社の鳥居を、左手に見た織部は、ゆっくりと歩いて行った。

目の前に、砂浜が現われて来る。織部は、松の木陰に立ち止まった。

馬を走らせている姿が見える。その姿を、暫らく目で追った。<だいぶ仕込んだようじゃのお〜> 織部は、砂浜に下りた。

長く続く砂浜を、馬は途中で引き返し、こちらに向かって、勢い良く駈けて来る。

「公平! 調子はどうじゃ?」 戻って来た金城公平に、尋ねた。

「はい、上々で御座いますよ! これなら、どこへ出しても、引けは取りませぬ」

 織部の前で、足踏みをさせる公平である。馬の調教をするようになって、宮崎の前辺りの砂浜を、馬場浜と呼ぶようになっていた。そこの集落は、小泊と呼ばれ、馬が数頭繋がれてあり、馬丁である金城公平は、馬と共にそこに暮らしていた。薩摩国に馬の調教師として呼ばれ、他に八名の馬丁と、琉球王国から移り住んでいたのであった。チャイナ服に似た琉球王国の民族衣装が、光って見える。

「喜三郎! 餌は、いつもの所に運んでおいてくれたか?」と、岩場に腰掛けて、公平の調教の様子を見ていた男に、手綱を引いて馬の頭を向かせると、大きな声で叫んだ。

「へい!」と言って、喜三郎は、公平に手を上げて応える。

 おいら喜三郎は、泊浦の南東に位置する清原(きよはら)の農家の集落で、預かった薩摩の馬数十頭を育てている百姓を兼ねた馬丁である。おいらが丹精込めて育てた馬を、調教している公平達の所に、三日置きに餌を馬車で運んで来る。きょうは、丁度その日になっていた。

 振り向いた織部に気付いて、喜三郎は深々と頭を下げる。

「馬の世話も大変じゃのお〜 公平」

「餌は、喜三郎が持って来てくれますし、それ程、大変とは思いませぬ。好きなことをやっているから、楽で御座いますよ」

 公平は手綱を引いて、走って来た元の方向へと向かせると、軽く足踏みをさせた。

「それじゃ織部様、これにて。はあっ!」 馬のお尻に鞭を浴びせて、走らせる。馬は、蹄の音を響かせて、砂を蹴って走って行く。

 織部は、駈けて行く馬を目で追った。

<手慣れたもんじゃのお〜 良くぞ、あそこまで調教したもんじゃ>

 奄美大島の無人島にいた野性馬を連れて来て、飼い慣らしている馬である。感心しながら織部は、喜三郎の座っている岩場へと歩いて行った。喜三郎も目で追っている。

「喜三郎、馬は元気か?」

「へい」と、織部に頷く。両親は元気か? ではなく、馬は元気か? である。<余程、馬のことが気になるらしい>と、喜三郎は、いつもと違う織部に、苦笑いをした。

 その笑顔に織部は、馬は順調良く育っているものと、察するのであった。

「次ぎなる種馬の陸揚げは、来月になると思うが、新種は、育っておるか?」

「へい、足も早く、持久戦にも耐え得るかと存じやすが・・・年明けには、調教をと思っておりやす」と、織部に振り向く。

「これからは、恐らく火縄銃が、主なる戦力になろう。火薬を、詰め替える暇を与えぬような、素早い馬であれば上出来じゃ」

「へい、それはもう・・・自信作でして」

「左様か・・・御城下の殿もきっと、喜ばれることじゃろう。まっ、焦らずとも良い、ゆっくりとやってくれ」

「へい、分かりやした。期待に添えるような馬を、きっと、育ててご覧に入れやす」

「うっん、頼んだぞ」

 二人は、公平の乗る馬に目をやった。縦髪を、風になびかせて走るその姿には、野性馬の持つ、何とも言えぬ力強さがあった。

<どんな戦いにも、これなら行ける> 織部は、その姿を頼もしく思った。

 鍛冶屋を後に小倉弥一郎は、本珠院住職、俊海の許を訪れていた。僧侶の成念に、俊海の部屋に案内された弥一郎は、窓から見える泊浦を眺めた。浮かぶ貿易船を通して、向かい側には、峰ケ崎の荒々とした岩が、聳えるように切り立っている。ごつごつとした茶色の肌は、鮮やかな緑を、空高く押し上げるように力強く、青い海に腰を落とすようにして浮かぶ。貿易船へと向かうのであろう小船の航跡が、太陽の陽射しを受けて、輝いていた。

「待たせましたかな? 弥一郎殿」

障子を開けて部屋に入って来た俊海は、ぼんやりと港を眺めている後ろ姿に声をかけた。

弥一郎は、俊海の声に振り向いた。「いえ、一考に」と言って、弥一郎は畏まって正座を正すように直すと、自分の真向いに正座をして微笑み迎えてくれる俊海に、「俊海様、暫らくで御座いました」と、深々と頭を下げて、礼を尽くした。

 <元気で何よりであった、弥一郎殿> 俊海はそれに応えて、上下に数回頭を振り、頷く。

「何か、御座いましたかな?」

「お伺い致しましたのは、他でも御座いませぬ。実は、南蛮船のことで御座いますが・・・我が薩摩は、明国に通商修交使なる者を派遣致し、明国船には自由貿易を許し、住民に対しては、唐人との喧嘩口論を一切禁じて、唐人達を手厚く保護致して参りました。琉球王国に対しても、同様で御座いますが。近年、南蛮船の来航が多くなって来ております」

 1530年(享禄3年)3月、十二代将軍足利義晴の時、幕府は島津忠朝に命じて、対明貿易再開を薩摩国第十五代太守島津貴久に斡旋させ、当時、日向の守国寺にいた僧侶の月渚を、遣明国船副使になるように説得させた。交渉は成功して、それを期に、形の上では寧波の大乱(1523年)以来途絶えていた貿易は再開されていた。坊津の豪商や廻船問屋達にとって、明国との貿易が再開されようと、されまいと、薩摩の後押しに因って密貿易という形で貿易は途切れなく続いている。差程の問題ではなかった。幕府の対明貿易は、依然として続き、1539年(天文8年)に於いては、三号船は薩摩船であり、薩摩国太守島津氏は対明貿易の地位をも徐々に確立していった。その実績を盾に、琉球貿易の独占ひいては、長年の琉球王国の乗っ取りを画策していた。

 弥一郎は、身を乗り出して、大きく力強い声で語り始めた。

 俊海は、黙って聞いていたが、「それで、同じように、南蛮船を保護せよと仰るので御座るのか?」

「左様で・・・南蛮船が御城下入港の折りには、船長など殿へのお目通りを許されておりますが。ただ、先先代から山伏と真言宗を必要以上に、後押し致しております。一乗院に於いては、住民は、立ち入りを許されない始末。そのような状況下では、将来、恐らく・・・南蛮船の入港が許されるかどうか? 疑問に存じます」

「いつか、締め出されるとでも?」

「左様・・・その日が、いつか来るのでは?と、危惧致しております。今から手を打たないと、遅う御座います。我が薩摩は、明国は勿論のこと、南方に湾口を広げておりまする。他国にまでも名を馳せた知名度とその地理的条件を生かし、自由に貿易を致すのが、得策かと」

「うむ・・・その前に、何か策略なる布石を、打っておきたいので御座いますね・・・成程・・・」スリムな体つきの俊海は、細い目を輝かせて、軽く頷き納得した声を出した。

「どのような手立てが、御座いますのかな?」 泊浦を眺めて溜め息をついた俊海は、弥一郎に振り向いて言った。

「これと云った手立ては御座いませぬが、殿のお心ひとつで御座います」弥一郎の熱っぽい声が、部屋に響く。

「貴久殿は、近々一乗院に御出でになると、お聞き致しておりますが?」

 1530年(享禄3年)貴久17歳の春には、一乗院にて修学している。坊の浦を一望できる鳥越山の中腹に再興された一乗院を、重要視している貴久が、簡単に南蛮船を受け入れるとは思えない俊海であった。 <ただ、異国の珍しい文化に、興味があるだけでは?>と、腕組みをした。

「左様に御座います。しかし、直訴するのは御法度故、俊海様のお知恵を、お借りしたいと」と言って、弥一郎は、会釈をした。

「うむ〜 難しいですなあ〜」俊海は、唸った。

「矢張り、難しいでしょうか?」と、弥一郎は、身を乗り出す。

「難しいでしょう・・・南蛮船や南蛮文化など、利用する価値でもあれば、別で御座いましょうが・・・」俊海は、腕組みを解いて弥一郎を見た。

「利用価値? なんで御座いましょうや?」「さあ〜」と言って、首を傾げる。

 織部に、新しい馬の開発と調教を行なわせている現状からして、<種子島で造っている火縄銃のような、武器の類ではあるまいか> 弥一郎は、いつか目にした火縄銃を思い出していた。

 ハンマーで、鉄を打つ音がこえている。

近付くにつれて、次第に大きくなっていく。瀬戸上織部と金城公平に挨拶を済ませた喜三郎は、帰路の途中にあった。鍛冶屋の前で、「はい〜っ」と言って、手綱を引いて馬を止めた。ブルブルと言って、馬は首を振る。

 喜三郎は、荷馬車からゆっくり下りると、鍛冶屋の中へと入って行った。

「御免なせえ! 御免なせえ!」と、喜三郎の呼ぶ声に、弟子が奥から顔を出した。

「おお〜 喜三郎どん、良く御出でなすったのお〜 蹄鉄は、出来ているよ」

「さいですか・・・そろそろ出来る頃じゃと思っておりやしたが・・・親方は?」

「もう直ぐ終わると思うが、待っていなさったら? そろそろ、お茶の時間じゃで」

「へい、じゃあ〜 待たせてもらいまっさ」「うん、そうしなせえ」と言って、弟子は、喜三郎に出すお茶を取りに、奥へと消えて行った。

お茶が、喜三郎の前に出されたのは、待たせることもなく直ぐであった。

「餌を届けに行ったのかい?」「へい、さいでして・・・」と、頷く。

「いつも大変じゃのお〜 喜三郎どん」と、お茶を注してあげた弟子は、床に腰掛けている喜三郎を気遣った。

「切った草を荷馬車に積んで運ぶだけでして、それ程大変とは思いやせんが」と、出されたお茶を一口啜った。

「そうかい、荷馬車に乗っている姿を見る度に、大変そうじゃと思うぞ」との言葉に喜三郎は、にっこり微笑んだ。

「おいらは未だ、刀鍛冶にも成れずに使い走りさ・・・」と、弟子は肩を落とす。

「簡単に刀鍛冶なんぞになれたら、師匠なんて要らぬわさ・・・辛抱強く、自分を打たにゃあ〜 刀鍛冶じゃろう?」

「うっ、うん。思いっきり叩いて、鍛えるとするか・・・喜三郎どんに、負けぬように」 言い終わると、弟子は大きな声で笑った。喜三郎も釣られて思わず笑っていた。

 いつの間にか、耳触りだった鉄を打つ音が止んでいた。弟子は、師匠の綱嘉を呼んで来ると言って、部屋から出て行った。

「喜三郎、来たか。蹄鉄は、出来あがっているぞ。きょうは、ゆっくりして行け」

 部屋に入って来た綱嘉は、喜三郎の姿を見付けると、昔の友に会った時のように懐かしそうに言った。

「へい、そうも、ゆっくりともしていられねえんですよ・・・」と、喜三郎は、申し分けなさそうに右手で頭の後ろを掻いた。

「相変わらずじゃのお〜 今夜は、居酒屋にでもしけこもうかと、思っておったのに」綱嘉は、喜三郎の隣に腰掛けて、残念そうな声を出した。溜め息をつく、綱嘉である。

「親方、申し訳御座んせん」「いや、良いんじゃ。おい、あれ、出来上がっておったのお〜 持って来てくれ」綱嘉は、部屋に入って来た若い刀鍛冶に、仕事場の方に顎をしゃくって言った。綱嘉の意を解して軽く頷くと、仕事場へと取りに行った。

他の刀鍛冶達は、喜三郎に「失礼する」と、会釈をして、次々に部屋に上がって行った。

「わしも、馬が一頭、欲しいのお〜」

「何に使われるんですかい?」

「馬に乗って、あちこちへ行ってみたいもんじゃ。舟も良いがのお〜 矢張り、馬じゃのお〜 喜三郎」

「へい、可愛がれば、それに応えてくれやすし、嘘などつきやせん。決して、裏切ることも御座んせんし」

「人を見るらしいのお〜」「そうです。良くご存じで・・・」

「荒馬を、わしの思いのままに、操ってみたいもんじゃ」と、綱嘉は、庭に目をやった。

「親方なら、簡単に出来やしょう」

「公平のようには、ちと無理であろうが・・馬場浜では、きょうも調教しておるのか?」

綱嘉は、喜三郎を見て微笑む。

 若い刀鍛冶が、何やら持って部屋に入って来た。喜三郎の足元に降ろした。ぶつかる金属音が、鉄の重みを感じさせる。馬の足に付ける蹄鉄であった。

「有難う」と、喜三郎は、頭を下げた。

「御城下の殿へ、まとまった数の馬を献上しなければならないもんで・・・急いで、調教している次第でして・・・」

「戦でも、始めよって訳かい?」

「さあ〜 どうでやしょうか? 丹精込めて育てた馬が、戦に使われるとなれば、何とも、切ないもんですよ。親方」喜三郎は、がっくりと肩を落とす。

「うむ〜 解るぞ、喜三郎。仕方がないと云えば、仕方がないがのお〜 こんなご時世じゃでのお〜」と、綱嘉は庭に目をやった。

「親方、あっしは、これで・・・馬の世話があるもんで・・・」

「うっん、また来てくれよ」「へい」

 綱嘉に、深々と頭を下げて挨拶を交わした喜三郎は、出来上がった蹄鉄を手に、馬車に乗り込んで清原に向かった。手綱捌きも手慣れたもので、土埃をたてながら、なだらかな坂を登って行く。曲がりくねった道は、都からの旅人を唸らせる険しさがあり、そこは御城下への主要道路であった。目の前には、大きな山が聳え立ち、密偵さえも寄せつけぬ。旅する姿が、両脇に馬車を避ける。喜三郎は、埃をたてまいと、ゆっくりと走らせて行った。

 清原の集落に着いた喜三郎は、近くの馬頭観音へ、お詣りへと向かった。

「はい〜っ」と言って、手綱を引き荷馬車を止めた喜三郎は、積んでいた蹄鉄を降ろし、観音様に供えた。馬頭観音様が、微笑んでいるように思える。目を瞑り、手を合わせた喜三郎は、育てている馬の安全を祈った。

 お詣りを済ませた喜三郎は、蹄鉄を荷馬車に積み込むと、馬舎へと走らせた。

馬舎が見えている。並ぶ馬の姿に、自分を待ち兼ねていてくれると思う喜三郎であった。喜三郎の姿を見付けた馬達は、首を上下に振り振り迎えてくれる。馬の喜ぶ姿が、そこにあった。喜三郎は、荷馬車から下りると、一頭ずつ頭を撫でて声をかけた。

「よ〜し、よしよし。よしよし。飛龍、腹がへっておるのか? よ〜し、よしよし」と、縦髪を、ゆっくりと撫でてあげる。

準備してあった餌を、一頭ずつあげる喜三郎であった。

 泊浦の夕暮れ時に、居酒屋「柘榴」の暖簾が下がるのは早かった。海岸通りには年代を思わせる、ごつごつとした石畳の道が、砂浜に添って長く続く。家路を急ぐ、船大工など職人達の姿があった。

「いらっしゃ〜い!」との、明るい女給の声に迎えられて、役人久保忠元は、伴の者を二人従えて、柘榴の暖簾を潜った。

 店の中を見回して、空いている席を探した忠元は、奥へと入って行った。

「やあ〜 久保の旦那」と、声を掛けたのは、泊浦に停泊している開臨丸の乗組員である。がっちりとした肩幅に腕は太く、日焼けした肌が逞しく思える。

「おお〜 喜平治、来ておったか?」「へい、旦那も、忙しいことで・・・」

 忠元は、遠慮なく喜平治達の席へと腰掛ける。忠元に酒を薦める喜平治である。喜平治の前に杯を差し出し、気持ち良く受ける。溢れんばかりに注がれた酒を、一気に飲み干した。喜平治は、忠元の連れへと酒を注ぐ。

「喜平治、次の航海は、何処へ?」

「へい、明国への予定でして・・・」「明国か・・・遠いのお〜」

「慣れてやすんで、海の上も又楽しいすよ」「左様か・・・楽しいのか・・・」

「へい。それはもう、逆立ちしたいくらい、楽しいですぜ。旦那」と、忠元が注いでくれた酒を、一気に飲み干す。側で聞いていた源蔵は、その言葉に、大きな腹を抱えて笑った。源蔵も喜平治と同じ船に乗り込んでいる。喜平治にも劣らぬがっちりとした肩幅に腕っ節が強く、日焼けした肌が、頼もしいくらいに忠元の目には映っていた。

「逆立ちしたいくらいにのお〜 どうも、良う分からんのお〜」と、源蔵の酒を受ける。

「久保の旦那、こいつの言うことを正面に聞いたら、赤っ恥をかきますぜ・・・何にもない、海の上ですぜ。何が、楽しいもんですかい・・・聞いていて、呆れまさあ〜」

「何、そうかい?・・・」

「おい、源蔵、俺は本当に楽しいぜ」

「まあまあ、良いではないか。ささっ」と言って、忠元は、喜平治に酒を薦める。

「ところで旦那、きょうは、何かあったんですかい? こんなに早くに、柘榴へ来るなんてさあ」と、喜平治は、酒を飲み干した。

「なあ〜に、何時ものことよ。都から、大泥棒の仙太と云う奴が流れて来よったらしいわい。こういう奴じゃ」忠元は、懐から人相書きを取り出した。

「へえ〜 こいつですかい」喜平治は、人相書きを受け取ると、まじまじと眺め、源蔵に手渡した。源蔵も又、顔を覚え込むようにして見た。

「見かけたら、報せてくれ」人相書きを受け取って、懐へと仕舞った。「へい、分かりやした」

「いらっしゃあ〜い」店に入って来たのは、唐通事の小倉弥一郎である。忠元達は、気付かずに酒を飲んでいる。弥一郎は、近付いて行った。

「忠元様、宜しいですかな?」

「おお〜 弥一郎、遠慮せずに座ってくれ」 忠元の言葉に源蔵は立ち上がって、弥一郎に席を譲ると、隣の席から腰掛けをひとつ持って来て、それに腰掛ける。と、そこへ女給が酒と酒の肴を運んで来た。机の上に置き終えた女給は、忠元、弥一郎へとお酌をする。

忠元は、ゆっくりと飲み干すと、弥一郎にお酌をする。弥一郎は、女給の注いでくれた酒をゆっくりと飲み干した後、忠元の薦めた酒も、一気に飲み干した。女給は、喜平治へとお酌をする。

「明国船や朝鮮国の船の出入りが、激しくなっているようじゃが?」と、忠元。

「昨年よりも、多いでしょうねえ」「何か、訳でもあるのか? 弥一郎」

「唐物などが、品薄なのが原因で御座いましょうが、唐物税を少し緩めております故、それも、影響致しているかと存じますが・・・明国船に限らず他国の貿易船も、競ってこの坊津に立ち寄るようになっておりまする。忠元様も、もめ事の解決に奔走なさっている御様子。それで柘榴に?」と、弥一郎は、徳利を忠元の前に差し出した。忠元は、杯に酒を受ける。

「うっ、うむ〜 船員のいざこざは、些細なことが多くてのお〜 喜平治」と、喜平治を横目で見て、一気に飲み干す。

 喜平治は、その言葉に恐縮しきって、酒をゆっくりと飲み干した。

「しょうもない喧嘩の仲裁とは、何とも情けない話じゃよ。それは、それとして構わんのじゃがのお〜 都から逃げ込んで来た、仙太なる大泥棒を探し回っておる」

「ああ〜 そのことで御座いますか、聞いております・・・坊津へ来るには、何か仔細あってのことで御座いましょう」

「我らも、そう思っておる。早く、ひっ捕らえねばと、焦っておる次第じゃ」

 お酌を終えた女給が、空になった徳利とお皿を手に、厨房へと歩いて行く。気にもせずに、二人は話を続けた。

「焦って、どうなりましょうや?」

「それも、そうじゃが・・・何せ、明国船や朝鮮国船、それに南蛮船などの来航もあるでのお〜 問題を起こされると、困るんじゃ」

「そうでしょうねえ〜 拙者もそれが一番、心配で御座いますよ。きょうは、綱嘉の許へ行った帰りに俊海殿に会って、そのことで相談にのってもらった次第でして・・・」

「あの本珠院の御住職に?」

「はい、薩摩にとって南蛮との貿易は、琉球王国や九州統一には、布石に御座います。問題でも起こされ、断交にでもなったら活き石を失うことになりましょう」

「成程、絶交にのお〜 しかし、殿は?」と言って、忠元は首を傾げた。恐らく、無理な話であろうとの読みである。忠元の伴と喜平治、源蔵は、互いに酒を注ぎ合い飲み交わし、二人の会話を黙って聞いている。

「近々、一乗院にお見えになるらしいのですが・・・南蛮船を保護して頂けないかと?」

「それよ、その一乗院が問題よ」「問題と仰いますと?」

「南蛮からは、宣教師達が続々と薩摩に来よる。何でも奴らは、説教して回っているらしいぞ。何れ、仏とぶつかるのではないか?」

「矢張り、忠元様も・・・そのようにお考えで・・・案じております」

「そうじゃろう・・・川の流れに任すしか、あるまいのお〜」

「流れは、変えられないと?」

「左様、無理じゃ。無理と云うものよ」「そうでしょうか?・・・・・」

「相手は、訳の解らぬ南蛮じゃぞ、それを易々と受け入れる殿とも思えぬが・・・」

「うむ〜」と、弥一郎は、溜め息をつく。

「奴らとの交易は、何やら大きな、時の流れのようなものを感じる。一筋縄では行かぬような、何かじゃ」と、忠元は腕組みをした。

<一筋縄では行かぬ、大きな時の流れ?> 一体何のことであろうかと、弥一郎は忠元の、ぼかした言い回しに首を傾げた。

「いらっしゃあ〜い」との、お客を迎える女給の明るい声に、弥一郎達は入り口を振り向いた。入って来たのは、綱嘉と刀鍛冶である三人の若い弟子達であった。

「綱嘉ではないか?」と、弥一郎は呟いた。 空いている席を、探しているようである。店の中を見回していた綱嘉は、弥一郎達に気付き会釈をした。「さあ〜 行くぞ」と、伴の刀鍛冶達に首を振って空いている席を示した。店の片隅の空いている席に着いた綱嘉は、笑顔で近付いて来た女給に、「酒を頼むよ」と、注文する。「はあ〜い」と言って、女給は、厨房へと注文を伝えに行く。何時もの女給達とのやりとりが、そこにはあった。

「綱嘉、仕事の方はどうじゃ?」綱嘉達の席に近付いて来た忠元である。

「はっ、久保様、暫らくでした。仕事は、変わりなく、まずまずで御座います」

「左様か・・・ところでのお〜」と、切り出した。「何か御座いましたか? 久保様」

「うっ、うん、実はのお〜 これじゃが」右手に持っていた太刀を、左手に持ち換えると、懐から人相書きを取り出した。

「都から、逃げて来よったこそ泥よ」

「こ奴が?・・・」と、人相書きを受け取った綱嘉は、まじまじと眺める。

 綱嘉は、連れの弟子達に人相書きを手渡した。弟子達も覚え込むように眺める。

「あっ、こいつは確か・・・あの時の」と、ひとりが首を傾げた。

「何! 知っておるのか?」 忠元は、身を乗り出すようにした。

 記憶を辿っていたが、思い出したように、「そうだ、間違いない」

「確かなのか?」「へい、この面構え・・・確かです」

「どこで遇ったのじゃ?」

「先日、坊の浦に行った折り・・・明国の貿易船に、金具類を届けに行ったのですが、通船に乗り合わせまして」

「なに、通船に乗り合わせたじゃと? それで、どの船に乗船したのかい?」

「同じ明国の船で御座います。明国まで連れて行ってくれと言っていたようですが、意味が解らずに、悪戦苦闘しておりまして、あっしが通訳した次第でして」

「それで?」「断られました。仕方なく、奴つらは又、一緒に桟橋まで戻って来たって訳でして」

「奴らじゃと? 他にもいたのか?」「へい、全部あわせると五人で御座いました」

「ほう〜 手下と一緒とはのお〜」

 手下を連れて、明国に逃亡しようと企てている。よくある話ではあったが、忠元は、驚きを隠しきれなかった。

「奴の狙いが分かっただけでも、上出来じゃのお〜 お縄に出来そうじゃぞ。それじゃ、何かあったら報せてくれい」 「へい」

 忠元は、綱嘉達にお礼を言うと、元の席へと戻って行った。

 綱嘉達の所に、女給が酒と酒の肴を運んで来た。机の上に、徳利と肴が置かれていく。女給のお酌を受けて、綱嘉は一気に酒を飲み干す。美味い酒であった。連れの弟子達も、酒を飲み交わす。「いらっしゃあ〜い」と、お客の入りが、激しくなる。居酒屋『柘榴』は、次第に賑やかさを増していった。

「綱さん、暫らくね。さっ、おひとつ」

 徳利を持って、女将のお初は、綱嘉の席に現われた。横から差し出す細い手は白く、項は色気を感じる。綱嘉は、杯持つ手を徳利の前に伸ばした。酒は、溢れんばかりに注がれる。「ふ〜っ」と、一気に飲み干した。

女将お初と綱嘉とは、幼なじみである。

馴々し過ぎるお初の態度に、他のお客達に嫉妬の視線を受ける綱嘉である。

「綱さん、掛けても良い?」

「うん、良いよ。どうぞ」綱嘉は、収めてあった隣の腰掛けを引いて、女将に腰掛けるように言った。

気心知れたお初である。お初は、遠慮なく腰掛けた。

「ところで、綱さん、お客さん達に聞いた話だけどさ、近々お殿様が、御出でになるらしいわねえ・・・お忍びだという話だけど・・・私らには、関係ないけどさ」と、左手を添えて酒を注ぐ。

 一気に飲み干し、「いつだい?」と、徳利を片手に、お初に薦める綱嘉である。

「さあ〜 久保様に聞いてみましょうか?」 杯を差し出したお初は、忠元達の席を振り向いた。弥一郎や喜平治達と、楽しそうに酒を飲み交わしている。つまらぬ事で、楽しい酒の宴を中断させたくは無いと、「いや、いいよ。所詮、関係のない話さ」と、断る綱嘉の眼には、お初がやけに色っぽく映った。

 殿のお出ましは、住民には歓迎されていないようである。それどころか、住民の殆どが、迷惑だと思っていた。

<ひと騒動起こらねば良いが・・・> 殿が、泊浦への視察の帰りに、密偵達に襲われた時のことを、綱嘉は思い出していた。海岸通りから、突然飛び出して来た密偵達は、護衛の藩士達に全て斬られてしまった。斬り合いを見たのは、あの時が初めてであった。震えていたあの時の自分に、苦笑いをするのであった。

「それじゃ、綱さん、御ゆっくりね」と言って、にっこり微笑んだお初は、ゆっくり立ち上がり、忠元達の席へと、お酌をしに行く。お店の中は、笑い声があり、怒鳴り声に似た声がありと、話は弾んでいる。

 居酒屋『柘榴』の夜は、何事もなく賑やかに過ぎて行った。

 

 

 

 朝靄の中に、静けさを破るような、魚売りの声が聞こえる。泊浦の朝は早かった。

「さかな〜 魚は要らんかえ〜 ぶえんは、要いやはんどかい〜」との声に重なって、豆腐屋の笛も聞こえている。

 一夜明けた泊浦には、荷揚げを待つ貿易船が浮かぶ。沖に錨を打つ姿は、誰をも寄せつけぬ一国の城の如くに、どっしりと見えた。仙太の隠れ家は、その勇姿を一望できる宇都(うと)と呼ばれる高台にあった。

「おい、お前ら、起きろい! 朝じゃぞ!」「お頭、何ですかい・・・こんなに早くに」

「てめえら、起きろって言ってるんじゃい」「うっ、う〜ん。止しておくんなせえ」

 仙太は、手下どもを怒鳴り、蹴飛ばして起こそうとするが、一考に起きて来ない。

「てめえらっ、捕まりたいのか?」手下どもの布団を、ひとりずつ剥ぎに掛かった仙太は、大声で言い放った。

眠い目を擦りながら、八兵衛は、「逃げるんですかい?」と、起き上がった。

「久志浦だったら、明国への船が見つかるかも知れん。どうも、銀蔵の話は信用できん」

坊の浦や泊浦に停泊している貿易船の船長達に、明国へ便乗を頼んでも、ことごとく断られていた。奉行所から、見知らぬ者の渡航は堅く禁じるとの御ふれが出ている。金でも掴ませない限り、無理な話であった。明国などへ罪を逃れる密航者を、相手にしている逃がし屋と呼ばれる裏稼業をしている者がいた。仙太は、御ふれのことなど知らず、逃がし屋の銀蔵に頼んで渡航船の報せを待っていたが、一考に埒があかない。そこで仙太どもは、自分達で密航船を探しているのである。持ち金の殆どを、銀蔵に払っていて、手元には少しか残っていなかった。

<銀蔵の奴、騙しやがって。今度逢ったら、海に叩っ込んでやる> 

仙太は、銀蔵の面構えを思い出す度に、頭にきていた。

「しかし、銀蔵の話は、嘘とも思えませんぜお頭。金も払っていることだし、もう少し待ってみやしょうや」と、手下の種吉。

「お頭、荷役人夫に潜り込んで、時期を待った方が、良かったかも知れやせんぜよ」

「八兵衛、役人の目が光っとる。下手に動けば、素性がばれるわさ」

「さいでげすねえ〜 それにしても、銀蔵の奴、何をしているんですかいねえ〜」

「足元を見ているとも、思えやせんが。こんな、肋小屋に閉じ込めやがって」言い放った種吉は、部屋の中を見回す。

「じゃから久志浦に、探しに行こうって言ってるんじゃ・・・それにゃあ、朝の早い方が良かろう? のお〜」と、お頭の仙太。

「へい、さいですね」

「おい、徹次郎、握り飯を作ってくれ」

「へい」と、皆の会話を黙って聞いていた徹次郎は、軽く頷く。握り飯を握り始めた。

近くで見ていた兵蔵も、手伝う。

「さあ、行くぞ!」握り飯を手に仙太どもは、隠れ家を後にして、港に向かった。静かに浮かぶ貿易船を目の前に、桟橋近くの伝馬船を物色する。

「おい、あれが、ええっ。あれにしよう」伝馬船を失敬するのは、お手の物である。ところが、手下どもは動こうとしない。

「おい、てめえら、どうしたんじゃい?」「へい、漕げねえんです」と、八兵衛。

「何っ? 漕げねえ?」「へい、あっしも櫓なんぞ、持ったことも触ったことも御座んせん」と、兵蔵は申し分けなさそうに、頭を掻いた。

「しようがねえのお〜」「お頭は、漕げるんで?」と、種吉。

「漕げる訳ねえ〜 山道を行くぞ」

 仙太は、尊丘山の方に首を振って示すと、さっさと歩きだした。手下どもも並んで歩きだした。坂道をゆっくりと登って行く。

曲がりくねった、なだらかな坂道を登り終えると、まだまだ曲がりくねった坂道が続く。久志浦は、今だに見えてこなかった。

目の前に、青々とした海が広がる。何処までも何処までも続いている広い海であった。仙太どもは、その海を横目に坂道を下って行った。

 唐通事小倉弥一郎と朝鮮通事李泰潤は、廻船問屋『山喜屋』伝兵衛の許を訪れていた。庭には、奄美大島から持って来て移植した真っ赤なツツジの花が、彩りを添えている。梅の花弁が散り、鴬の声と共に風に乗る。手入れされ、伝兵衛自慢の広い庭であった。

「広い海の上で、漂っている所を助けだされるとは、運の良い御仁達ですねえ〜」と、弥一郎は、お茶を一口啜った。

「全くです」と、伝兵衛は頷く。

持ち船の海王丸が、東シナ海を帰帆の途中に於いて、難破して漂っていた乗組員を二人救助した。伝兵衛は、その乗組員達を自分の家に引き取り、世話をしていた。事のなりを奉行所に申し出た伝兵衛は、唐通事と朝鮮通事を要請したのであった。

「もう、五日にもなりますが、何にも喋ってくれません。余程、恐い目に遭ったので御座いましょう」と、伝兵衛は溜め息をついた。

「それじゃあ〜 何処の御仁かも分かりませぬなあ〜」と、弥一郎は困った顔を見せる。横で聞いていた泰潤も、溜め息をついた。

「それじゃあ、会ってみましょうか・・・」 弥一郎は、お茶碗を置いた。

伝兵衛は、軽く頷き、「そうですね・・・福茂! 福茂!」と、両手で二回、手を叩いて雑用係の福茂を呼んだ。

静かな部屋に、「ぱんぱん」と、手を叩く音と福茂を呼ぶ伝兵衛の声が響く。

「旦那様、お呼びで御座いますか?」福茂が現われるのは早く、部屋の前で正座をして障子を開けた。

「弥一郎様達を、あの方達の部屋に案内してくれないか?」

「はい」と言って、会釈をする。

「うっ、案内してもらおうか?」立ち上がった弥一郎と泰潤は、人の姿を映す程に磨かれた廊下を案内されて行った。

 乗組員達は、離れの部屋にいた。部屋に案内された弥一郎達は、胡坐をかいて二人の前に座った。

「拙者は、唐通事の小倉弥一郎と申す。何処から御出でですかな?」と、明国の言葉で話し掛けたが、何の返事もない。

 同じように、今度は泰潤が話し掛けた。乗組員達の眉が、「ぴくっ」と、動いた。朝鮮国語を理解している様子である。

「嵐に、遭われて大変で御座いましたね。御安心下され。先代から、薩摩国に招かれて、朝鮮国と薩摩との橋渡しの為に、この坊津に住んでおります。決して、そなたの国に、刃を向ける者では御座いません」

 泰潤は、用心深い乗組員達に違和感を覚えた。異国に於いて、言葉が通じると云うことは、懐かしくあり安心するものであるが、この二人は、どうも様子がおかしい。何かに、怯えているように思えた。

 泰潤は、危害を与えることはないと、必要以上に説得を繰り返した。やっと納得した乗組員達は、安心した様子を見せる。

「詳しく話して頂こうか?」泰潤の言葉に、ひとりが話しだした。

乗組員の話によれば、黒島の南近海で、種子島で造った火縄銃を、受け取る手筈になっていたらしい。敵国に気付かれないようにと、九州沿岸から遠く離して、東シナ海を南下している途中、嵐に遇って難破した。二人は、運良く助かったと云う訳である。

「泰潤、それじゃあ、武器商人がいるってことかい? ・・・闇商人か?」「そう云うことじゃな」

「そいつは、一体誰じゃ?」「聞いてみよう」と言って、泰潤は、聞いてみたが、二人にも名前は分からなかった。薩摩の船ではないようだ。

救助された二人は、博多浦に停泊している朝鮮国の船に便乗させて、無事に送り届けようと云うことになった。

<お奉行に、報告しなければ・・・> 弥一郎は、焦っていた。

「泰潤、拙者はお奉行に報せる故、お主は、博多浦に行ってくれ。気を付けて参れよ」

「弥一郎、心配致すな。任せておけ」

伝兵衛に、事の成りを知らせて、弥一郎と泰潤は、山喜屋を後にした。

二人は、それぞれ奉行所へ博多浦へと向かった。

 奉行所は、殊の外静かであった。部屋に通された弥一郎は、唐船奉行の平田宗源を待った。暫らくして、宗源は現われた。

「太刀が、出来上がったのか? 弥一郎」 上座に正座をした宗源は、微笑んだ。

「いや、それは、今暫らくお待ち下さい」

「何? 違うのか・・・如何致した?」と、不思議な顔を宗源に見せ、弥一郎は会釈をする。

「山喜屋伝兵衛が、唐通事と朝鮮通事を要請していたのは、御存じのことと存じますが」と、弥一郎は、身を乗り出す。

「うっん、それが何か?」

「実は、朝鮮国から・・・・・」と、乗組員達から聞いた話を宗源にしたが、宗源は、あり得ることじゃと言って、差程の驚きは見せなかった。種子島の火縄銃を、流している悪徳商人を、なんとか捕らえたいと言って腕組みをする。<先ずは、何処の奴か、探りを入れるように致そう>

宗源は、策を巡らしていた。

「弥一郎、後は六左衛門に、任そう。そなたは、心配せずに役職に励んでくれ」腕組みを解き、弥一郎を見て言った。

「ははっ!」と、弥一郎は深く頭を下げる。

「六左衛門! 六左衛門は居らぬか?」宗源は、大きな声をあげた。

「お奉行、暫らく・・・お呼び致します」部屋に入って来たのは、織部であった。

織部は宗源に会釈をして、六左衛門を呼びに行った。六左衛門は、待たせることもなく直ぐ部屋に入って来た。大迫六左衛門は、役人の中でも古参である。時として、「爺」と呼ばれていたが、本人は未だ若いと、それを嫌っていた。奉行に意見の言える、まとめ役でもある。

「お奉行、お呼びで御座いますか?」六左衛門は、宗源に対面して正座をした。

「六左衛門、勘合船は、いつ入港致す?」

「殿のお忍びに合わせて、入港する手筈になっておりまする」

「左様か・・・うむ〜 如何致したものかのお〜 一網打尽にしたいのじゃが・・・」

「お奉行、一体何の話で御座いまするか?」

「実はのお〜 種子島で造った火縄銃を、売り捌いている闇商人がいるらしい。弥一郎が報せに来てくれた。山喜屋伝兵衛の・・・」と言って、弥一郎から今聞いた話を、詳しく話して聞かせる。

「何と!」と、六左衛門の、白髪混じりの髪が、驚きで揺れた。

「戦力としては、欠かせぬ物となろう火縄銃が出回ると、我が薩摩も危のお〜 なる」

「御尤も! しかし、そ奴らには、売らぬように取り締まるのは、少々無理な話で御座いましょう? 金子を得る為の、唯一の火縄銃でしょうから・・・何か、上手い手立ては御座いませんのか?」

「うむ〜 上手い手立てのお〜」 

「む〜 難しいですなあ〜」<都から流れて来ているという仙太なる輩のこともあるし、忙しくなるわい>

「そなたの知恵袋にしても、無理か?」

「臨検を、強化するしか御座いすまい。他の理由にて、積み荷を没収する方が、宜しいかと・・・その為には、新たなる朱印状を発行致し、臨検と称して捜し出すことが出来ようかと存じますが」

「成程のお〜 あい分かった。そなたの言うように致そう。頼んだぞ、六左衛門」

「ははっ! この六左めにお任せあれ」六左衛門は、胸を右手でひとつ叩いた。

それを見た弥一郎は、安心した様子で二人に微笑んだ。

「しかし、捕まえましても、次なる族が、後から又出て来るで御座いましょうなあ〜」

「それは、充分解っておる。少しなりとも、食い止めることが出来れば、それで良いのじゃ・・・一時でも、流れが止まってくれれば、それで成功と云えよう」

「分かり申した」と、六左衛門は、深く頭を下げる。宗源は軽く頷いて、それに応えた。

 船の手配をして博多浦に向かった泰潤は、沖を帆走する貿易船の姿に見惚れていた。切り刻まれた如く断崖の岩肌が続く。

泰潤の船は風を受けて、白い帆を一杯に膨らませていた。船は、久志浦へと入って行く。久志浦の小島を躱った奥まった所に、博多浦はあった。小さな入江になっていて、嵐の避難や荷役作業を行なうには、絶好の場所に位置している。その博多浦に、朝鮮国の貿易船は停泊していた。泰潤は、その船を探した。

「旦那、着きましたぜ。どの船に、横付けしなすんで?」と、船頭の仁平は急せる。

「あれじゃ、右端の船に着けてくれ」「へい、分かりやした」仁平は、進路を右端の船へと向けた。

上甲板では見張り役の乗組員が、近付いて来る泰潤達の船を、胡散臭そうに見ている。

船は、横付けした。見張り役が、「何か、用があるのか?」と、話し掛けてきた。

「朝鮮通事だ、船長に会わせてくれ」と、泰潤は、右手を上げて言った。

 投げられた縄梯子を、泰潤は、ゆっくりと登って行く。上甲板に着いた泰潤は、見張りの乗組員に案内されて、船長室に入った。

「さあ、そこへ、お掛け下さい」船長は、右手で丸いテーブルを指して、座るように薦めた。

「忝い」と言って、泰潤は、椅子に掛ける。

「きょう、お伺い致したのは、他でもない。難破した乗組員達を、朝鮮国まで送り届けては貰えまいかと?」

「そんなことで御座いましたか。容易いことに御座いますよ。何人で御座いますか?」

「二人ほどじゃ・・・」

「分かりました。お連れ下さい。私どもは、荷役作業を終えたら、直ぐに出帆致します。五日後に、なるかと存じますが」

「左様か・・・お願い致すぞ」

「ははっ、承知致しました。お救い下された方々に、何とお礼を申せば宜しいのか? 誠に有り難く存じます」

「うっん、伝えておく」

「ところで、つい先程も、明国まで連れて行ってくれないかと、船に見えた御方達が御座いました。きょうは、渡航話のある日に御座いますなあ〜」と、船長。

「何っ? どんな身形をしていましたかな?」

「どうも、荷役人夫のように思えましたが」「うむ〜」と、泰潤は考え込む。

「何か御座いましたのか?」船長は、腕組みをして首を傾げている泰潤を、覗き込むようにして言った。

「都から、逃げ込んで来た大泥棒の仙太と云う奴かと思いましてな。手配書が、回っていたようですが・・・」と、腕組みを解く。

「そうでしたか。奴らは、五人で御座いましたよ・・・私と話したのが、恐らく伝太だったのでしょうね・・・」と、船長は頷く。

「そうだったのですか・・・して、何処へ行ったか御存じでは、御座らんか?」

「さあ、それは、分かり兼ねますが・・・」

「出帆した船もないようですし、未だ坊津に潜んでいるのは、間違いないでしょうね。間もなく、捕らえられることでしょう」

「はい、そうであれば結構なことで御座います。泥棒なんぞ、何処の国も受け入れてはくれますまい」と、泰潤に微笑む船長である。

「船長、それでは、そう云う事で、宜しく頼みましたぞ」と、軽く会釈をした。「お任せ下さい」

泰潤は、食事の誘いを断って、船長に丁重な挨拶をした後、待たせておいた船に乗り込んで、博多浦を後に坊の浦へと向かった。

 その頃噂の仙太どもは、秋目浦にあって、停泊している貿易船を物色していた。とにかく貿易船に乗り込んでみようと、統領の仙太は、手下どもを連れて、桟橋に向かった。どの船だったら、明国まで乗船さてくれるのであろうか?

「親爺、明国の船は、どの船じゃい?」桟橋に着いた仙太は、舷側に腰掛けている通船の親爺に言った。

「明国? ああ〜」と頷き、「お客さんよ、行くのかい? あれじゃ」と、ゆびを指す。

「親爺、やってくれ。八兵衛行くぞ。他は、そこいらで待ってろ!」「へい」

 通船に乗り込んだ仙太と手下の八兵衛は、明国の貿易船へと向かった。

通船は、真っすぐな航跡を残しながら、沖に停泊している貿易船へと近付いて行く。桟橋で待つ手下どもは、親分が居ないことを良い事に、明国へ行けるかどうか? 賭博をしようと云うことになった。

「話が決まるのは、丁じゃ。決まらず駄目なら、半じゃ。いいな?」

「どうも、決まりそうもないのお〜」と、徹次郎は、沖に並ぶ貿易船を眺める。

「よし、おいらは、丁じゃ」側にあった薄汚れた板の、丁の目と半の目の場所に、それぞれ小銭が置かれていく。

「よ〜し、いいな?」三人は、仙太の戻って来るのを待った。

通船が、引き返して来るのは早かった。

「明国へ、逃げられそうかのお〜」と、腕組みをした種吉は、桟橋に向かって横付けしょうとしている通船を眺めながら、心配そうな声を出した。

 桟橋に着いた通船から、仙太と八兵衛が上陸して来る。「親爺、有難うよ」と言って、仙太は、「ふ〜っ」と、溜め息をついた。

「お頭、どうでやした?」と、兵蔵。

「うむ〜 駄目じゃの〜 何を言っているのか、さっぱり訳が分からん。通じたかとおもったら、断られちまって」

「やった! おいらの勝ちじゃ」

「何じゃ! 明国に逃げられなくて、そんなに嬉しいのか? 徹次郎よ。けっ、しようもねえ奴じゃ」と、仙太は、睨みつけた。

 歩きだした仙太を避けるように、三人は、こそこそと掛け金を分けだした。

「お前ら、何やってんだ? 又、博打か? ちっ、こんな時に、てめえら・・・」

「えへへへっ」と、笑って誤魔化す三人である。怒る気にもなれず、呆れた顔をした。

 水平線に夕日が、落ちようとしている。

もう、夕暮れであった。仙太どもは、暗くなるのを待って、泊浦に戻ることにした。

 その沈みゆく同じ夕日を、泰潤は船の上から眺めていた。見詰めれば眩しくて、目を逸らす程に美しく、覆い被さるように大きく目の前に迫り来る。青々とした海を、真っ赤に染める見慣れた夕日に、溜め息をついた。

「仁平」「へい」

「明日も、晴れるであろうのお〜」「へい、晴れるでしょうよ」

白髪混じりの仁平は、力強く帆を操る。潮に鍛えられた腕と、真っ黒に日焼けした皺だらけの顔が、夕日に映えている。

白い帆は、風を一杯に受けて、沈みゆく夕日を向かい入れるかのように、赤くなびかせていた。仁平は、帆の向きを少し変える。船は、ゆっくりと坊の浦に船首を向けた。静かな海に、一筋の航跡を引いて、泰潤の乗った船は、港に向かって進んで行った。

 居酒屋「柘榴」に暖簾が下がる頃、泊浦には、浮ぶ貿易船の灯りが、波間に燈りを揺らし始めていた。逃がし屋銀蔵は、柘榴の暖簾を潜ると、酒を飲みながら貿易船乗組員達の来るのを待った。仙太どもを、上手く明国へと逃がしてやらなければならない。船員達から、何か情報を得たかった。<取締りも、厳しくなったもんよのお〜> なかなか密航船の見つからない事に、焦っていた。太い眉毛に、大きな目の銀蔵は、不精髭を生やして、何処ぞの海賊の統領ようにも見える。恐そうなその身形に、女給達は勿論、誰も寄り付こうとはしなかった。

「いらっしゃあ〜い。こちらへどうぞ」

女給は、お客に笑顔を見せて、明るい声で空いている席へと誘う。時の流れと共に、次第にお店の中は、賑やかになっていった。

 無事に、坊の浦に上陸した泰潤は、久保忠元の許を訪れるべく、奉行所へと向かった。奉行所の番役は、軽く会釈をすると、厳しい顔をして泰潤を迎える。泰潤は、門を潜り急いで中へと入って行った。灯りが部屋に揺れている。

「忠元様、お話が・・・」急ぎ足で部屋に入った泰潤は、忠元を見付けると対面して正座をした。

「泰潤、どうであった? 話は、決まったのか? 血相を変えて、どうか致したのか?」 忠元は、読んでいた本を横に置いた。

「はい、朝鮮国へは、無事に送り届けてくれるとのことで御座いますが・・・」

「何か、都合が悪いことでも?」

「いえ、その話は、何も問題は御座いませんのですが・・・仙太らしき族が、明国へ密航させてはもらえまいかと、今朝、乗り込んで来たらしいのです」

「何っ、それは、確かなのか?」「はい、確かで御座います」

「うむ〜 博多浦に、でおったか・・・とすると、未だ、密航船は、決まってはおらぬようじゃのお〜 逃がし屋の銀蔵が、渡明国船を探しているらしいとの連絡が入っておる。今、奴を張らせているところじゃ」

「そうで御座いましたか。銀蔵は、なかなか尻尾を出さないらしいですが・・・年貢の、納め時ですか?」と、身を乗り出す。

「そうであれば、と思っておる」と、忠元は頷き、「罠を仕掛ける積もりじゃよ」と、にこりと笑みを浮かべる。

「どんな罠で、御座いますか?」「まあ〜 後の楽しみとでもしておこうか」

「賊どもは、驚くでしょうねえ〜」

 居酒屋『柘榴』に、女将お初の弾く三味線の音が、混雑する店の中に響く。

その罠が、今まさに仕掛けられようとしていた。

「いらっしゃあ〜い」

 開臨丸船員の喜平治と源蔵は、明るい女給の声に向かえ入れられて、空いている席へと案内された。奥の席に、船乗り仲間である顔見知りの倫太郎と秀次が酒を飲み交わしているのが見える。

二人は、辺りを見回す喜平治達に気付き、「喜平治、一緒に飲まねえか?」と、大きな声で、覗き見るように手招きをして誘った。

喜平治は、手を横に振り、それを断った。「分った」と、頷く二人にお構いなく、喜平治達は、案内された椅子に腰掛けた。喜平治は、酒を注文した。「お酒ね。はあ〜い」と、女給は、明るい声で微笑む。注文を取って女給は、さっさと厨房の方へと消えて行った。

 しっとりとしていた三味線の音が、愉快に跳ねているような音色に変わった。

銀蔵は、倫太郎達の席に再度、目をやった。<矢張り、思った通りじゃの。間違いない。彼奴らに話し掛けても、大丈夫のようじゃのお〜 よしっ>

「そこのお兄いさん達・・・ちょいと、よ御座んすかい?」と、徳利片手に近付いた。

「ああ〜 良いよ。ここへ座りな」倫太郎は、椅子の方に首を振って示す。

「へい、そいじゃ」と言って、銀蔵は、示された椅子に腰掛けた。徳利持つ手をゆっくりと差し出して、倫太郎に酒を薦める。

倫太郎は、注がれた酒を飲み干した。次に、秀次へと酒を薦めた銀蔵は、倫太郎の酒を受ける。銀蔵も又、秀次と同じように、ゆっくりと味わうように酒を飲む。いつしか、三人の心は打ち溶け合っていた。

「ところで、お兄いさん達、明国へ行かれるんですかい?」と、銀蔵は、口火を切った。

<この悪党が・・・少し焦らしてやれ>「倫太郎と呼んでくんない。こちらは、秀次じゃ。明国へは、行かない事もないがの〜 それが、どうかしたんかい?」

「実は、人を便乗させて欲しいんで・・・」

<おいで、なすったか>「乗せてくれって?」と、秀次。

「へい、五人ほどでして」と、銀蔵は二人の前に、右手の平を開いて五人であると差し出す。

「五人か・・・うむ〜」と、久保忠元から事のなりを聞いて知っている倫太郎は、わざと考え込む仕草をした。

「礼は、ちゃあ〜んと、しやすぜ」

「おっ、そうか・・・密航じゃから高いぞ」倫太郎は、身を乗り出すように応えた。

「へい、承知してやす」

「おい、秀次、どうする?」 

「五人じゃろう? 倉庫にでも隠れてもらえば、何とか、なるんと違うか? 銭も、懐に入ることじゃし。いいぞ、おいらは」

「銭、次第じゃのお〜」と、銀蔵を横目で見た倫太郎は、にっこりと微笑んだ。

「良、御座んしょ。一人頭、五両では?」

「八両じゃ」と、秀次は、強気に値を吊り上げる。「分かりやした、それで手を打ちやしょう」銀蔵は、渋々承知した。

話が決まったところで倫太郎達は、再度酒を酌み交わして、話の成立を確認する。

その様子をじっと伺う、荷役人夫の姿に化けていた、二人の役人の姿があった。

話の決まったのを確認した役人達は、互いに顔を見合わせて頷くと、立ち上がった。

「有難う御座いました。又御出でな」との声を後に、お店を出て奉行所へと向かった。

「それで、いつ、出帆しやすんですかい?」銀蔵は、秀次に酒を注ぎながら聞いた。

「明後日じゃよ」と、倫太郎。「そそそっ、そんなに早くに?」

「そうよ、都合が悪いのか?」驚く銀蔵を覗くかのように倫太郎は、ゆっくりと酒を飲む。杯持つ銀蔵の手が、微かに震えているのが二人には分かった。

「いえ、あっしは、早い方が・・・」

「後日、出帆の時刻は連絡する。何処へ、知らせばよいのじゃ?」

「明晩、ここで」「よし、決まりじゃな・・・」

「姉ちゃん酒、酒を持って来てくんねえ!」空になった徳利を上に銀蔵は、左右に振りながら、大きな声で女給に言った。

 酒が、倫太郎達の席に、運ばれて来る。

「おい、喜平治、、あちらの席は、随分と賑やかじゃのお〜 派手にやってるわい」源蔵は、杯を口に運んで、横目で倫太郎達の席を眺めた。

喜平治は、「そうじゃのおっ」と、軽く頷く。

「芸者でも呼びそうな、勢いじゃのお〜」 <海の垢を落とそうとしているのか?> 苦笑いをする二人であった。

奉行所に着いた荷役人夫に変装している二人の役人は、久保忠元に報告していた。

「博多浦で、奴らの姿を見かけたらしいぞ。泰潤が、報せに来てくれた・・・左様か・・銀蔵め、食い付いて来おったか。矢張りのお〜」

「はっ、予想通りに御座いました」と、腕組みをする忠元に対面して座っている一人が、軽く会釈をして応える。

「網に掛かった魚を、逃がさずに引き上げるには、ゆっくりと引かにゃあ〜ならない。手筈通りに、運んでくれ」

「御意!」と、二人は、深く頭を下げた。

 居酒屋の立ち並ぶ海岸通りには、酔っ払いが声をあげて、よろめき歩く。

女将に替わって女給のお雅が弾く三味線の音に、柘榴のお客達は殊の外、酒が進む。銀蔵を罠にかけた倫太郎達は、喜平治と源蔵を誘い、銀蔵を肴に酒を飲み交わした。柘榴の夜は、賑やかに、更けて行った。

 泊浦の夜明けは、静かにやって来る。

徹夜した銀蔵は、人目を避けて宇都にある隠れ家の戸を開けた。部屋の中は、寝静まっているのか、物音さえ聞こえない。

「お頭、お頭、未だ寝ているんですかい?」銀蔵は、部屋を覗くようにして、囁くような小さな声で仙太を呼んだ。

布団に包まっている男達の姿が見えるが、何の返事もない。銀蔵は、もう一度、「お頭、居なすんですかい?」と、声をかける。

「うっ、うん〜」と、寝返りを打ったのは、確かに仙太である。

「ちっ、安心して、寝てやがる。寝首でも、襲われたらどうするんじゃい、こそ泥めが」

「誰じゃい? さっきから、うるせえぞ!」「へい、銀蔵でやす」

「何っ! 銀蔵じゃと? このやろう! ふざけやがって!」と、仙太は飛び起きる。

「やい、銀蔵! てめえ、騙しやがって!」「何の話でやすか?」

「この野郎、しらばっくれてやがる。密航船のことじゃ。やい、銀蔵! てめえ・・・」

「お頭、何を勘違いしていなさるんで? 騙しているんなら、わざわざ、やって来ませんぜ。そうそう、明日、明国への船に乗ってもらいやす。良、御座んすね? お頭」興奮して、今にも殴り掛かろうとしている仙太に向かって言った。

仙太は、目を丸めて驚いた顔を見せた。騒ぎに驚いて、手下どもも起きている。

「良、御座んすね。明日又、繋ぎを取りやすんで、詳しい話は、その時に」

「そうか、見つかっんたかい・・・分かった」興奮していた仙太は、笑顔を見せた。

長居は無用、「そいじゃ、そう云う事で」と言って、何をされるか分かったものじゃないと、銀蔵は、さっさと隠れ家を後にした。

「お頭、見つかったんですかい? 流石、逃がし屋でやんすねえ〜 ちゃあんと、見付けて来やがる」と、布団の上で胡坐をかく八兵衛は、腕を組む。他の手下どもも、納得した声で頷いた。

「いつ、何処で乗るのか、繋ぎを取ると言っとったが、銀蔵の奴、嘘じゃあるまいのお〜」

「お頭、まだ疑っているんですかい? 心配御座んせんて・・・そうでなきゃあ〜 こんなに早ように、来る筈は・・・」と、種吉は仙太を覗くように見て欠伸をする。

「用心深いお頭のことじゃ、念には念をと云うことじゃろうて」と、八兵衛。

「そうか、明日か・・・。朝っぱらから・・・起こされてしもうたのお〜 銀蔵の奴、昼間は外へ出られないと知って、わざと早くに来やがったんかい? あの野郎、今度会ったら・・・」仙太は、眠い目を擦った。

照りつける陽射しは、海の上に眩しいくらいの、輝く模様を作る。泊浦は、既に昼前であった。福進丸乗組員の倫太郎と秀次は、廻船問屋『岩田屋』の門を潜った。久保忠元から告げられた明日の施策を、岩田屋に伝えねばならない。廊下は磨かれて光り、女中の姿を写す。広い中庭は、職人の手に因って手入れされ、池には鯉が泳ぎ回り、松の木が人目を引く、誰もが羨む程の庭園であった。

「失礼します」と言って、女中に案内された二人は部屋に入った。正座をしていた女中は、障子を閉める。 

「おお〜 どうであった? 二人とも、突立ってないで、ささっ、こちらに」

部屋には既に船長が、岩田屋に対面して座っている。二人は、恐縮していた。

「へい」と言って、二人は、船長に会釈をすると、隣に正座をした。

「それで、久保様との打ち合せの程は、どうであった?」と、岩田屋。

「出帆は、巳の刻(午前十時頃)、乗り込んで来た所を、一網打尽に、捕らえるそうで御座います。それで、あっしらは今夜、銀蔵に会う手筈になっておりやす。・・・久保様達が、くれぐれも宜しくと仰っておりやした」

「うっん、そうか・・・船長、聞いての通りじゃ。後は、宜しく頼んだぞ」

「はい、たまには、久保様に協力するのも宜しかろう」と、船長は、岩田屋に頷く。

 岩田屋達は、久保忠元の要請を受けて、大泥棒の仙太を捕らえる為に、密かに持ち船の福進丸を、出帆させる演技をしようと云うことであった。役人達に恩を打っておけば、こんなご時勢、後々何かあった時に、見逃してもらえると踏んでのことである。岩田屋も、船長に深く頷いた。

 泊浦の海岸通りは、人の流れも賑やかで、途切れることがない。都からの貿易船から先程、通船にて上陸したお鈴は、ごつごつとした不揃いの石畳を歩いた。白い蔵屋敷の並ぶ町並みは、どこか都に似てはいたが、何処となく未だ見ぬ異国の雰囲気が漂う。あちこちには、どっしりと胡坐をかいたような、寺院の姿が目につく。<なんだろう? この肌に感じる異様なほどの輝きは? 山の緑が、迫って来る!> 都には無い、独特の匂いと、ぞくぞくとするような感覚が、お鈴を襲っていた。

お鈴は、辺りを見回しながら歩いた。茶店の看板が、目に入った。お鈴は、ゆっくりと近づき、暖簾を潜った。

「いらっしゃい!」との女給の声に、お鈴は一瞬、躊躇した。明るい声に、迎え入れられたのは、暫らく振りである。旅の疲れもあって、無理をして、笑顔を作るお鈴である。女給に、案内されて椅子についた。

「何になさいますか?」「何が、美味しいのかしら?」との質問に、女給は、首を傾げる。

「今でしたら、唐人巻きね」「じゃ、それを頂くわ」「は〜い」と言って、女給は、厨房の方へと注文を伝えに行く。暫らくして、お茶と唐人巻きが、運ばれて来た。机の上に置かれたお茶を、ゆっくりと一口啜った。何と、蕩けるような美味いお茶であろうか。喉を過ぎて行く温かさが、すっかり疲れを取ってくれるように思える。「ふ〜っ」と、溜め息をついた。

葉っぱに包んである唐人巻きを、一口頬張った。口の中で、餅米が溶けて行く。<美味しいわ・・・それにしても、不思議な町ね・・・> お鈴は、後の帯に挿している小太刀に手をやると、店の中を見回した。一人の男と目が合うと、小太刀から手を離し会釈をした。それに応えて、男も会釈を交わす。喜三郎であった。喜三郎は、貿易船へ積み込む野菜類を運んでの帰りに、お茶飲みに立ち寄っていた。

「ちょいと、そこのお兄さん・・・」唐人巻きを平らげたお鈴は、喜三郎に声をかけた。自分が、お鈴に呼ばれているとも分からずに、周りに呼ばれているであろう男を捜す喜三郎である。

「お兄さん、あんたよ」お鈴は、喜三郎の席に近づいて行った。

「おいら?」と、不思議そうな顔を見せる。「そうよ」と、お鈴は、微笑む。

「おいらに、何か御用で?」「ここいらに、宿屋はなあい?」

「ありやすが・・・都から御出でで?」「そうよ。安い所が良いわね」

「へい、だったら・・・女将さんは、親切で良い人だし、松屋になさったら?」

「そう・・・じゃ、そこにするわ、有難う」お鈴は、喜三郎に笑顔を見せて、お礼を言った。

顔立ちの整った美人から、声を掛けられた喜三郎は、恐縮して軽く頭を下げて挨拶を交わす。そんな喜三郎に微笑んだお鈴は、さっさと自分の席へと戻って行った。

<都から、わざわざ何しに、来ょったんじゃろうか?>と、喜三郎は、首を傾げる。ゆっくりと、お茶を一口啜って、近くの席に座る洗練された女に、そっと目をやった。何事もなく、お茶を味わい落着き払っているその姿は、喜三郎には異様に見えた。

<女給に聞けば、良いじゃないのけ? それを、選んだように、おいらに聞くなんて・・・おおっ〜 桑原、桑原。都の女は、恐いと云うからのお〜> 喜三郎は、気を取り戻して、<こんな店からは、早く出た方が良いわい・・・悶着に巻き込まれたら、大変じゃ> と、さっと立ち上がった。女給に、勘定を払うと、「有難う御座いました。又おいでな!」との明るい女給の声を後にして、店から出て行った。

 泊浦に沈む夕日は、海岸通りの居酒屋の暖簾を焦がす。夕暮れ時は、早かった。提灯の明かりが、石畳を照らし始めていた。居酒屋『柘榴』では銀蔵が、待ち兼ねたように、待ち合わせの昨夜の席に着いていた。

魚を焼く香りが、店の中に漂う。酒と酒の肴が、銀蔵の席に運ばれて来た。女給は恐る恐る、お酌をする。銀蔵は、美味そうに飲み干した。女給は、会釈をすると、厨房の方へと、他のお客の酒を取りに行った。

「いらっしゃあ〜い」と、次第にお客の入りが、賑やかになる。銀蔵は、倫太郎と秀次の来るのを待った。

「いらっしゃあ〜い。こちらへどうぞ」

「いや良い、待ち合わせじゃ」と、女給の手招きを、倫太郎は断った。倫太郎と秀次の二人は、ゆっくりと銀蔵の席へと歩いて行った。

「遅いじゃねえか・・・えっ!」

「いやいや、おいら達にゃあ、当直があってのお〜」と言って、秀次は、銀蔵に対面して椅子に掛けた。倫太郎も、椅子に掛ける。

「さっ」と言って、銀蔵は、倫太郎に酒を薦める。次に、徳利持つ手を秀次に伸ばして、薦める。二人は、一気に飲み干した。

「おい、姉えちゃん! 酒くれい、酒」銀蔵は空になった徳利を、頭上に上げる。「はいっ」と、女給の返事は元気があった。

「出帆は明日、巳の刻じゃ」倫太郎は、銀蔵を覗くようにして言った。

「何? そんなに早くでやんすかい?」

「早い方が、良いんじゃろうが?」「そうでやんすが・・・」

「小舟が、桟橋に迎えに来る。それに乗り込むように、手筈をしておいてくれ」「分かりやした。他に何か御座んせんか?」

「いや、何もない。飯は、心配せんで良い。船倉に運んでやる」

「分かりやした。言って、おきやしょ。ここに、二十両ありやす。残りは、奴らが乗り込んでからに致しやしょ」

銀蔵は、懐から二十両を取り出して、机の上に置いた。見たこともない大金である。持つ手に、ずっしりと重い。受け取った倫太郎は、袋の紐を解いて中を覗いた。秀次も、首を伸ばして覗いた。二人は殊の外、驚いた顔を見せた。確認した倫太郎は、紐を括ると、「そいじゃあ、遠慮なく」と言って、懐に仕舞った。

「へい、遠慮なく受け取って、おくんなせえ」

 酒と酒の肴が、運ばれて来た。女給が、倫太郎と秀次に酒を注ぐ。二人は、ゆっくりと味わうように酒を飲み干した。が、大金を目の前に、二人の興奮は、酒の味など分からぬ程である。酒が、その興奮を覚ましてくれるまでには、未だ大分、時間があった。

 銀蔵の面構えと身形に怯える女給は、その震えを隠し、銀蔵に酒を注ぎ終わると、さっさと他の席へと、お酌をしに行った。

「お二人さん、ささっ、どんどん飲んでおくんなせえ〜」と言って、銀蔵は、倫太郎と秀次に酒を注ぐ。

二人は、一気に飲み干した。「さっ」と言って、倫太郎は、銀蔵に徳利を差し出したが、「これから、彼奴らに会わにゃあならないもんで」と、右手を前に差し出して、酒を断る。ゆっくりと立ち上がった銀蔵は、「残りの金子は明日、無事に乗り込んだ後、桟橋で・・・」と言うと、倫太郎と秀次に挨拶をして、女給の立っている所へと歩いて行った。女給に、何やら話している。「彼奴らに、酒をたんまりと飲ませてやってくんねえ」と言って銀蔵は、金を手渡した。柘榴を後にした銀蔵は、仙太どもの待つ隠れ家へと向かった。

 居酒屋の並ぶ通りは、三味線の音が踊るように、何処からともなく聞こえて来る。

よろめき歩く酔っ払いの集団を、わざと避けながら久保忠元は、柘榴の暖簾を潜った。

「いらっしゃあ〜い」忠元は、混雑している店の中から倫太郎と秀次を探すには、時間は掛からなかった。

ゆっくりと歩いて行った。

二人は、既に出来上がっている。「久保の旦那」と、忠元に気付いて、見上げる倫太郎である。

忠元は、腰から太刀を引き抜き、右手に持ち換えると、ゆっくりと座った。

「旦那、上手く行きやしたぜ。ういっ」

「左様か・・・明日は、手筈通りに、分かっておろうのお〜 船長にも伝えておいてくれ」

「へい、分かりやした。ささっ、一献」

「うっん」と言って、杯を差し出した。飲み干す美味い酒を、明日の捕り物が、控えめに飲ませる。

「いらっしゃあ〜い」入って来たお客に、皆の視線が集中した。顔立ちの整った美形の、どことなく垢抜けしている女である。和服姿が良く似合った。店は、混雑して座る所がない。女給は、忠元達の席へと女を連れて来た。忠元の席だったら、女一人でも大丈夫との心遣いである。

「久保様、ご一緒の席で宜しいかしら?」「ああ〜 一考に構わんが・・・」

「御免なさい、お邪魔じゃなかったかしら」と、女は、遠慮なく忠元の隣に座った。

「なあ〜に 美人と一緒に酒が飲めるとは、今夜は、ついておるのお〜 秀次」

「へい、旦那、全くで・・・今夜は、金に女に酒に・・・えええ・・・後は何だっけか?」

「ささっ、お近付きの印に、おひとつ」女は、忠元に、徳利持つ手を差し出す。

ほっそりとした色白の手が、やけに色っぽく見える。右の袖に手を添えて、酒を注ぐお鈴の姿に、見惚れる忠元であった。

宿を見付けて安心したお鈴は、ひと風呂浴びて、旅の垢を落とした後、暇潰しにと、柘榴の暖簾を潜ったのであった。

「所で、見慣れぬ顔じゃが?」と、忠元。お鈴は、倫太郎、秀次へと酒を注ぐ。

「はい、先刻、都から着いたばかりで御座います。不思議な町ですこと・・・」

「何と、不思議じゃと? 何処が不思議と申すのか? 都の女は、分からんのお〜」

忠元は注がれた酒を、又一気に飲み干す。

「お坊さんに遇ったかと思えば、異国のお方に遇うし。お侍さん達とこうやって、お酒を飲む。不思議でなくて、何でしょうか?」

 至る所に寺院が点在し、チャイナ服を来た異人さん達や僧侶達がいて、太刀を挿して歩くお侍に遇う。都では、考えられぬ風情にお鈴は、心が弾けんばかりに酔っていた。

「左様か? ・・・都の方が、余程変わっていると思えるがのお〜」

「ところで、姉さんは、何と仰るんで?」倫太郎は、腕組みをして言った。

「申し遅れましたが、お鈴と申します。夜桜のお鈴と都では、呼ばれていましたけど」

「夜桜のお鈴か・・・うむ〜 拙者は、小葉役人の久保忠元と申す。こちらは、福進丸の乗組員で、倫太郎に、そちらが秀次じゃ」

 夜桜のお鈴と紹介され忠元は、こっぱと咄嗟に言ってしまった。

「あら、小葉役人ですって? 冗談のきついこと」と言って、くすっと笑う。

<冗談の通じる女じゃのお〜>

「あまり、御自分を、卑下なさる必要など、御座いませんことよ。久保様、今後とも宜しくお願いしますね」お鈴は、忠元に深く頭を下げた。

「うん、あい分かった」

「倫太郎さんに、秀次さんも、宜しゅうに」 倫太郎と秀次も、「こちらこそ」と、お鈴に軽く会釈をして、倫太郎は腕を組む。

「福進丸と仰いました? それじゃあ〜 倫太郎さんや秀次さん達は、遠い異国に御出でになるの? 私も行ってみたいわね」と、お鈴は、倫太郎達に興味を示す。倫太郎は、腕組みを解いて軽く頷いた。秀次も頷く。

「ささっ、お鈴、そなたもどうじゃ」忠元は、徳利を手に、お鈴に酒を薦めた。「ええ〜 頂くわ・・・」

意気投合した忠元達は、夜の更けるのも忘れて飲んだ。居酒屋『柘榴』は、明日の捕り物も知らずに、賑やかに盛り上がって行く。女将の弾く、囁くような三味線の音が、他のお客達を、何もかも忘れさせていた。

 朝靄の静けさ中に、小鳥の囀りが夜明けを知らす。捕り物を待つ役人達の朝は、遅く感じられた。奉行所にも、雀の囀りが、手箒で庭を掃く音を掻き消すくらいに賑やかであった。ゆっくりと正門が開けられ、当直の番役二人が、門の両側に睨みを利かす。

早朝にも係わらず、久保忠元は一人、昨夜の柘榴で豪快に飲んだのも何のその、太刀に左手を添えて立つ番役の、礼を受けた。

軽く頷いて応えると正門を潜り、石畳の庭を、胸を張ってゆっくりと歩いて行った。

他の役人達は、未だ来ていない。忠元は、庭に面した部屋に入り、正座をすると目を瞑った。船上での捕り物を思い浮べながら、皆が来るのをじっと待った。

暫らくして、聞こえて来る雑談に、忠元は目を開いた。役人達が、きょうの捕り物の為に集まって来ているようである。

「忠元様、御出でで御座いましたか? そろそろ、お奉行がお見えになる頃です」

 瀬戸上織部は、部屋の真ん中で、正座をして座るいつもと違う忠元に、声を掛けた。

「左様か・・・織部、小舟の準備は出来ておろうのお〜」

 織部は、忠元に対面して正座をした。

「はい、昨夜のうちに手配致しました。桟橋で、我らの乗り込むのを待っておりまする」

「うっ、気付かれては、おるまいのお〜」「舟を並べただけでは・・・心配要らぬかと」

「そうじゃのお〜 お奉行が、お見えか。それでは、向こうの部屋へ参ると致すか」

忠元は、右に置いていた太刀を手に、立ち上がった。織部も立ち上がり、忠元の後を、集会場として使っている部屋へと向かった。

お奉行は、上座に正座をして座り、皆が集まるのを待っている。忠元達は、前の方へと歩み寄り、正座をして時を待った。

「皆、揃ったようじゃのお〜 是れより、福進丸へと向かうが、打合せた通りじゃ。乗船したら、所定の位置につき、仙太どもの乗り込んで来るのを待て。乗り込んで来た所を、一網打尽に致す。銀蔵の寝蔵の見張りも、抜かり無いようじゃ。時を同じく捕らえる。何か、質問はないか?」

 皆の返事はなかった。

「無いようじゃのお〜 早朝じゃから、奴らに悟られることもあるまい」

「はっ」と、忠元達は頷く。

「それじゃ、行くぞ!」「御意!」

 銀蔵を捕らえる織部達三人を残して、唐船奉行の平田宗源ら総勢十人は、朝靄の中を、陸路にて泊浦の桟橋へと向かった。

「お奉行、さっ、こちらへ」忠元は、桟橋に繋いである舟に手を向け、宗源を招く。宗源は軽く頷いて、舟に乗り込んだ。忠元は伴をして来た家来達に、右手を舟の方に振って、乗り込むように指示する。それを合図に皆は、次々に舟に乗り込んだ。

唐船奉行宗源の乗った舟を先頭に、沖に停泊している福進丸へと漕ぎ出して行く。声を出す者は、一人もいない。

三隻の舟は、静かな海に航跡を残しながら、誰に気付かれることもなく進んで行った。

福進丸に横付けになった。上甲板から、縄梯子が投げられる。宗源は、縄梯子を下に数回手元に引いて、安全を確認した後、よじ登って行った。家来達も後に続く。

 上甲板に着いた宗源達は、見張り役の乗組員に案内されて、船内へと入って行った。

「船長、手間をかけさせるのお〜」船長室の椅子に掛けた宗源は、軽く会釈をする。忠元や他の者達は、宗源の後に立っている。堅い表情が、宗源と対面して座る船長には、滑稽に思えた。<捕り物で、皆、緊張しているのであろう。こんな時は、酒を薦めた方が良かろうか?>

「何の、容易いご用に御座います。お気を使いませぬように。お奉行、未だだいぶ間が御座います。酒など飲んで、ゆっくりなされたら、気も楽になりましょう。おい、酒を持って来てくれい!」

 宗源の返事も聞かず、船長は、近くの乗組員に大きな声で叫んだ。

「おいおい、船長。未だ朝じゃぞ」と、宗源は、怪訝な顔をする。

「何を仰います。薩摩武士が・・・」船長は、笑顔を浮かべる。忠元達は、宗源の慌てように可笑しくなって、「くすっ」と、笑った。

「仕方がないのお〜 少しじゃぞ、少し」「はい、承知致しております」

 どっしりと重そうな酒樽が運ばれて来た。忠元達も後の長椅子に掛けて、振る舞い酒を飲む羽目になった。

 巳の刻は、早かった。忠元達は、それぞれ樽の酒を、柄杓ですくい口に含んで柄にかける。襷をかけ、既に準備は整っていた。

 倫太郎と秀次は、準備していた舟を桟橋に横付けして、仙太どもの来るのをじっと待っている。暫らくして、仙太どもが、歩いて来るのが見える。倫太郎達には、間抜けな面に見えて、思わず小さな笑いが吹き出した。

「しっ、秀次、あまり笑うんじゃねえよ。気付かれるぞ」「分かっとる」

「おお〜 てめえらか? 銀蔵との・・・」「へい、仙太さんで?」と、倫太郎は、話し掛けて来た仙太に、頷いて応える。

「そうよ」と、仙太は頷く。

「ささっ、乗ってくんねえ」と、秀次。仙太と手下どもは、一人ずつ舟に乗り込んだ。

桟橋から舟が離され、福進丸へと向かう。

 <もう、こいつらは、逃げられねえ〜> 倫太郎は、ゆっくりと漕ぎ出して行った。

舟は、福進丸に横付けになった。掛けてある縄梯子を、仙太はよじ登って行く。手下どもは、恐る恐るよじ登る。

上甲板に着いた仙太は、手下どもが無事に着いたのに安心したのか、海に向かって大きく息を吐いた。

「ささっ、案内しやしよう」倫太郎は、仙太が先を歩くように誘った。仙太を先頭に賊どもは、肩を振って歩く。

と、仙太どもの頭上から、網が降ってくる。

「畜生! 計られたか・・・」仙太と手下どもは、もがくが・・・網に絡んで、自由に動けない。焦れば焦る程、小太刀を抜くことさえ出来なかった。

「観念致せ! 仙太」と、唐船奉行平田宗源は 叫んだ。宗源は、仙太どもの前に立ちはだかるようにして、暫らく様子を伺う。

「やれ!」と、宗源は、手を賊どもの方に振って合図をした。

 統領の仙太、八兵衛、種吉、徹治郎、兵蔵ら賊どもは、小太刀さえも抜くこともなく呆気なく、捕り押さえられてしまった。

なんとも気の抜けた、呆気ない捕り物であった。

銀蔵の寝蔵に向かった織部は、外で見張っている二人の役人達と、一斉に家に雪崩込んだ。不意をつかれた銀蔵は、太刀を片手に逃げ回る。織部は、ゆっくりと太刀を抜いた。

「銀蔵、斬られたいのか?」「待っておくんなせえ〜 旦那」

「おとなしくお縄につけ」「へい、へい、分かりやした。ご勝手に」と言って、銀蔵は、刀を放り投げると、胡坐をかいて、不貞腐れた格好をする。「よしっ」

銀蔵も、あっさりとお縄になり、奉行所に引ったてられて行った。通行人達は、物珍しそうに、銀蔵に目をやって何やら噂する。

福進丸で捕らえられた、仙太と手下どももそうであった。舟から上がって、通りに出ると、野次馬達に取り囲まれる。

「やい! てめえっら!」と、睨み付ける仙太であった。

仙太やその手下どもは、島流しを言い渡され、銀蔵は、一年の受牢であった。

 

 

 

 それから直ぐの事じゃッた。ご城下の殿がお見えになったのは・・・・・。喜三郎は、又夕日を見詰めた。喜三郎の話が続いた。

 捕り物の騒ぎも収まった泊浦には、貿易船が隊列を成すかのように整然と錨を打つ。その勇姿は、眺める人々の溜め息を誘う。

波に反射する太陽の光を受けて、どっしりと重そうに、眩しく映っていた。

「仁平! 頼むぞ・・・」「へい!」

 李泰潤の言葉に、軽く頭を下げて応える仁平である。桟橋に船を寄せて、泰潤達が乗り込むのを待った。

 難破して救出された朝鮮国船の乗組員二人は、深々と頭を下げて廻船問屋「山喜屋」に礼を尽くした。挨拶を済ませた二人は、朝鮮通事の李泰潤に案内されて、桟橋に着いていた。

 振り返り、泊浦をしみじみと眺めた。思い出を辿っているかのようにも、泰潤には思える。

「ささっ・・・お乗り下され」と、思い出深そうに眺めている二人を急せるように、泰潤は、右手を船に向けて誘う。

 二人を先に船に乗せた後、飛び降りるようにして船に乗り込んだ。全員が乗り込んだのを確認した仁平は、桟橋から船を離して、船首を沖へと向けた。

「仁平、沖はどうじゃ?」「へい、凪いでおりやすよ・・・」

「左様か・・・船長達は、待っているやも知れぬ。急いでくれ」「へい、分かりやした」

 仁平は、全帆を揚げた。帆は風を受けて、ぱたぱたと頷くかのように応える。

 船は、スピードを増し、博多浦に向かって帆走する。見送る人の姿もなく、錨打つ貿易船を避けながら、一筋の航跡を残して、沖へと出帆して行った。

 その航跡を、打ち消すかのように、蹄の音が聞こえる。

 馬場浜では、馬の調教が飽きることもなく行なわれている。金城公平は、馬場浜から泊浜へと走らせていた。打ち寄せる小波を蹴散らし、全速力で走らせる。縦髪は、風に揺れ風を切る。公平の調教の様子は、力強く恐い程に、見る者達を近づけないほどに震えあがらせていた。公平の額には、汗が光る。馬をゆっくりと走らせ、手の甲で汗を拭いた。

「うむ〜 宗源、良い馬じゃのお〜 あれ程の馬を、よう調教しおったもんよのお〜」

 西海金剛峯龍巌寺一乗院へ、朱学の学問と坊津視察の為に、お忍びで訪れていた島津貴久は、唐船奉行の平田宗源に命じておいた調教の様子を、見に来ていた。勢い良く走る姿に貴久は、満足した様子を示す。

「試乗なさいますか?」

「うっん、意のままに、手綱を捌いてみたいもんよのお〜」と、貴久は、宗源に微笑む。

「御意、今暫らく、お待ち下さい」「あい分かった」

「何じゃ? 弥一郎・・・何か言いたそうじゃのお〜」と、宗源は側に控える弥一郎に、静かな声で言った。

「うっ? 殿に何か言いたいのか?」宗源は、貴久に視線を向けた弥一郎の心を察していた。

「弥一郎、構わぬ申してみよ」と、貴久。

「ははっ! 近年、我が国には南蛮船が、来航致すようになってきておりまする」

「承知しておる・・・それで・・・」

「問題の起こらぬ前に、明国船と同じく、手厚く保護なさっては? と・・・」

「弥一郎、その事じゃがのお〜 ・・・手立ては、考えおる。・・・が・・・」

 諸大名は、南蛮貿易を行なうことに因り、富国強兵を計っていた。九州の各国大名達もその例外ではなく、南蛮の進んだ最新鋭の武器を手に、富国強兵を計ろうと画策している。ことに、豊後(大分県)大友氏は、南蛮船を歓迎して手厚く保護しようとしていた。諸大名達の富国強兵策は、キリスト教伝道の利便性ある港に、自ずから南蛮船を向けさせようとしていた。

 薩州、大隅州、日向州の三州を統一した薩摩は、九州統一に向けて、山伏や真言宗を利用して藩士達をひとつに纏める必要性から、他国に比べてキリスト教に対しては、冷淡である。坊津は、南蛮船にとって南方海上への寄港地として重要である。その事を、身をもって知っている弥一郎は、食い下がった。

「何か問題でもおありに御座いまするか?」

「うむ〜 無いことはないがのお〜」貴久は、言葉を濁した。

「南蛮の進んだ技術は、いつか薩摩に必要になる時が来るかと・・・」

「そなたの言は、心に留め置く」「ははっ!」と、深く頭を下げた。

そっけない対応ではあったが、己れの意見を殿に申し上げられただけでも、成功である。弥一郎は、満足であった。

泊浜を引き返して来た公平は、貴久達に気付き、手綱を少し手前に引いた。馬は、公平の思いのままに、スピードを緩めて、ゆっくりと走る。

貴久の前方に馬が止まるように、手綱を引く。鼻息の荒い声を出して、馬は止まった。手綱を引き、馬の頭を貴久の方に向けて、ゆっくりと前に馬を歩かせる公平である。

「公平、調子は、良いようじゃのお〜」宗源は、笑顔で声をかけた。

「はい、上々に御座います」と、公平。

「殿、こちらが、琉球王国から連れて参りました、あの金城公平に御座います」

「おお〜 そなたが、金城公平か。話は、宗源から聞かされておる。不自由はないか?」

「いえ、皆良くしてくれます故、何の不自由も御座いません。今では、この薩摩を我が国のように思っておりまする」

「左様か。何かあったら、宗源に申し出てくれい、良いな」

 馬から降りた公平は、「ははっ」と、貴久に深く頭を下げた。

「公平、殿にその馬を・・・調教の程を、ご覧になりたいとのことじゃ。今から、清原の馬舎迄出掛ける故、良いか?」との宗源の言葉に、軽く頷いた公平は、合図の指笛を吹いた。

 男が馬を一頭引いて、馬を走らせて来る。男は公平と同じように、琉球王国から来ている馬丁である。公平と同じように、琉球王国の民族服に身を包んだ髭面の男は、貴久達の前で馬を止めて、足踏みをさせる。

 公平は、手綱を引いて自分の馬を貴久に渡した。貴久は、うれしそうな顔をして、手綱を受け取る。宗源と後に控える伴の織部も、馬丁達が連れて来た馬を受け取った。

「殿、お気をつけて」公平は、貴久を案じて言った。「何の、任せておけいっ!」

 馬に跨がった貴久は、宗源達が馬に乗ったのを見届けると、「行くぞ!」「はっ!」手綱を引いて、馬の頭を通りに向けると、「はいっ!」と、馬のお尻に鞭を打った。貴久、宗源、織部の乗った馬は、勢い良く走りだした。繁華な通りに来ると、ゆっくりと歩くように手綱を引く。通行する人々を見ながら、繁華な通りを抜けると、また、「はいっ!」と、鞭を打ち清原へと向かった。貴久達は、弥一郎と公平達を残して、土埃を発てて突っ走って行った。

「喜三郎、おるか?」

 馬小屋に着いた織部は、馬から降りて、大きな声で喜三郎を呼んだ。喜三郎は、目を細め眠そうな顔をして、小屋から出て来た。

「織部様、何かあったんですかい?」

「いや、そうではない。殿が御城下から視察にお見えでのお〜 是非、そなたの育てている馬がご覧になりたいとのことで、わざわざお見えじゃ」

 喜三郎は、動揺を隠しきれない様子で、馬に跨がる貴久に目をやると、立ったまま深々と頭を下げた。手の震えを覚える。

「お奉行様も、良く御出で下さいました」貴久の横で馬に跨がる宗源にも、深々と頭を下げた。宗源は、軽く頷く。宗源は、馬から降りて、貴久が馬から降りるのを、手綱を持って手伝った。

 織部は、自分の馬と同じように、渡された二人の馬の手綱を引いて、近くに繋いだ。

「喜三郎、案内致せ」と、貴久は、喜三郎を見て言った。

喜三郎は、未だ手足の震えが収まらない。「へい」と、畏まった声を出した。喜三郎は、恐れ多くも薩摩藩主貴久の先頭に立ち、馬小屋へと案内して行った。

 馬小屋に着いた貴久は、毛並みの整った馬に、「うむ〜 良くここまで育てたのお〜」と唸り、馬の首を撫でながら、喜三郎に頷いた。

「金城公平達や喜三郎と、我らの期待に応えて、良くやってくれまする。次の戦には、活躍することで御座いましょう」と、宗源。

「うっん、して、掛け合わせて、新しい馬を作ったらしいが?・・・」「へい、こちらで御座います」

「あれか? うむ〜 成程のお〜 丈夫そうじゃのお〜」と、貴久は、持っていた鞭を、両手で曲げた。宗源も頷いている。

「頑丈なだけでは御座いませぬ。頗る速く、火縄銃の火薬を入れ換える隙も与えぬ程に、御座いますとか・・・のお〜 喜三郎」織部は、喜三郎に笑顔を見せた。

「へい、その通りに御座います。どこの国を探しても、この飛龍には勝てやせん」

「うむ〜 よくぞ、やってくれたのお〜 喜三郎。貴久、礼を言うぞ。これからも、頼んだぞ。我らの役に立ってくれよ」と、貴久は喜三郎の目を見て言った。

「勿体ない、お言葉・・・」と、貴久の視線を避けて、頭を軽く垂れ恐縮する。

 貴久は、宗源に頷くようにして、目で合図をする。宗源は、分かりましたと、貴久と同じに、合図をして応えた。

「喜三郎、我らは、これで失礼する。これからも、益々、職に励んでくれよ。殿も、期待なされていらっしゃる故のお〜」宗源は、励ましの言葉をかけた。

喜三郎は、思いがけない殿のお出ましと、有り難いお言葉に、胸も弾けんばかりで言葉震わせて、「へい、きっと御期待に・・・」と、声にならない。

「それじゃの、喜三郎。また来る故」織部は、<良かったのお〜> 頭を上下に、小刻みに振った。

喜三郎は、貴久達に深々と頭を下げると、彼らの後から少し離れて、繋いである馬の所まで送って行った。

 貴久は、織部に手を添えてもらって、馬に跨がった。宗源と織部も馬に跨がり、「喜三郎、邪魔したな」と、軽く会釈をした。

貴久は手綱を引いて、馬の頭を道に向けると、「行くぞ」と言って、お尻に鞭を浴びせた。宗源達も、貴久に習って鞭を打って馬を走らせる。歪めの音を響かせながら、貴久達は来た道を戻り、泊浦へと向かった。

突然の来客に、喜三郎は、夢を見ているように思えた。 <あれが、噂の島津貴久か> 思い出す度に、体の震えがやって来る。薩摩国の太守を目の前にして話した興奮は、幻の如く頭の中を通り過ぎて行った。

 李泰潤達の乗った船は、博多浦へと入港しようとしていた。小島を躱って、船首を並ぶ貿易船へと向ける。整然と錨を打つ貿易船の中に、朝鮮国船を見付けた仁平は、全帆を一斉に降ろした。

「あれじゃのお〜」「へい」

「間に合ったようじゃのお〜」 「へい、どうにか」

 荷役作業を終え、沖に停泊している上甲板では、乗組員達が忙しく出帆準備に取り掛かっている。その姿に泰潤は、間に合ってほっと胸を撫で下ろした。

 船は、惰力に因って近付いて行く。横付けした泰潤の船に、縄梯子が投げられた。

「さあ、どうぞ、お登り下され。あなた達の国へ帰る船ですよ」泰潤は、黙って座っている二人を誘った。二人は頷くと、縄梯子をよじ登って行く。泰潤も、縄梯子を登った。

上甲板に着いた泰潤は、縄梯子を投げてくれた見張りの乗組員に、軽く会釈をした。

「さあ、こちらへ」見張り役の乗組員に案内されて、二人の後を泰潤は、さっそうと歩く。

「船長! 通事が御出でです」「通せ!」

「はあっ! ・・・さあ、どうぞ」と、乗組員は、船長室へ入るようにと、手を部屋の中へ向けて招く。泰潤達は、遠慮なく船長室へと入った。

「こちらが、例の二人に御座います」

「そうですか・・・そこへ、お掛け下さい」泰潤達は、誘われるまま長椅子に掛けた。

「お忙しいようですね?」

「そうです。準備が出来しだい、直ぐに出帆致します。そこの二人は、無事に送り届けますので、御安心下さい」

「有難う、お願い致します」と、泰潤は、深く頭を下げた。「なんの、私達の方こそ、有難う御座います」と、船長は軽く頷く。

 出帆準備終了を知らせる、銅鑼の音が船内に響いた。「準備が、出来たようですなあ〜」

「そうですか・・・それでは、私は、これにて失礼致します」と、泰潤は立ち上がった。

「まあまあ、お茶でも、宜しいでは、御座いませんか?」

 船長は、お茶を誘うが、泰潤は、「いや、有り難いのですが、拙者は、未だ職務が御座います故、これにて失礼致します。船長、彼らのことは、呉々もお頼み申しましたぞ」と、念を押すように言うと又深く頭を下げた。

「分かりました。責任をもって、必ずや祖国へお届け致します」船長は、深々と頭を下げた泰潤に、微笑んだ。泰潤も、微笑んで応える。

「航海の御安全を、祈ります」「有難う」

上甲板まで案内された泰潤は、送ってくれた見張り役に礼を言って軽く頭を下げると、縄梯子を降りて、横付けして待っている船に乗り込んだ。

「旦那、直ぐに出帆するんですかい?」「そうらしい、見送るとするか」

「へい」と言って、仁平は、朝鮮国の貿易船を竹の棒で押して、船を遠ざけた。

 船首の帆だけを一枚だけ張り、並ぶ貿易船の集団から離した。岸辺の近くに船を移動させると、「この辺で、見送りますか? 旦那・・・」「うっん・・・そうしよう」 錨を打った。

 銅鑼の音が、響いた。出帆の合図である。錨を上げながら徐々に、船首を沖に向ける。上甲板に錨が上がって、帆をひとつ張る。

帆は、風を受けて大きく膨らんだ。全帆が揚がった。風を受けて、スピードを増す。一筋の航跡を残して、沖へ沖へと帆走して行く。凪いだ海は、太陽の光を受けて、眩しく光る。泰潤達は、黙ったまま、船が小さくなるまで見送った。水平線に、消えようとする朝鮮国の貿易船に泰潤は、溜め息をついた。

「運の良い、奴らよのお〜 奴らは・・・難破して助かり、無事に送ってもらえるとは」

「帰りやすか? 旦那」「やってくれい」「へい」仁平は、錨を上げて、帆を張る。 船は、徐々に沖へと、帆走して行った。泰潤達は、来た海の道を、帰途についた。

喜三郎は、出漁して行く漁船に目をやった。「そう、・・・妙な奴らが、泊浦に住み着いているということを知ったのは、それから直ぐじゃッた。都から流れて来た、女は、怯えていたよ。あれは確か・・・」 喜三郎は、話を始めた。

島津貴久が、お忍びで視察を終え、鹿児島の御城下に帰って間もない頃であった。

泊浦の繁華な通りには、店が並び、行き交う人の流れが途切れることはない。

お鈴は、その流れの中にあって、三味線屋を探していた。小太刀を斜めに帯の後に挿して歩くその姿は、博打うちのようにも見える。人の流れを避けて、ゆっくりと辺りを見回しながら歩く。繁華な通りを抜けた奥まった細い路地を、少し中へと入った小料理屋の看板が並ぶ近くに、探している店はあった。宿の女将から聞いた店を見付けたお鈴は、路地へと入って行った。自分に合った三味線を探していた。

暖簾が顔に当たらないように頭を下げて、お目当ての店の中へと入った。

「いらっしいましお客さん、三味線がお入り要で御座いますか?」お鈴に近付いた店の男は、頭を軽く下げて尋ねた。

「尺八も置いているのね・・・三味線だけかと思っていたわ、それに、珍しい三味線も・・・」と言って、不思議そうな顔を見せた。

「蛇味線ですよ」「蛇味線?」

「ええ〜 蛇の皮を使うのです・・・音色も一味違います。ご覧になりますか? お客さんは、都から御出でですね?」

「そうよ、良く判ったわね」と言って、お鈴は、蛇味線を手にして調弦をしだした。

「うう〜 好い音だけど、私には合わないわねえ〜 蛇の皮は、ぴったりと合うけどさ」お鈴は、蛇味線を元に戻した。

「そうですか?・・・じゃ、こちらを御覧下さいまし、きっと、お気に入りますよ」

「そうね」と言って、手に取り調弦する。使い慣れた三味線が良いのであろうが、都からの船の上で男に絡まれて斬り合った時に、壊してしまった。悔やんでも仕方がないが、男を張り倒しただけでも満足であった。

手に持った三味線の音色は、我が心のように淋しく心に響く。お鈴は考えることもせずに、直ぐに決めた。「ああ、これにするわ」

「はい、毎度・・・お客さんに、撥をひとつ差し上げて」「はい、分りました。お待ちを・・・」

 代金を支払ったお鈴は、三味線を手に店を出た。人通りも疎らな、静かな通りである。ゆっくりと歩いて行った。

<あら? ・・・可笑しな人達ね・・・> 虚無僧に、坊主に荷役人夫の姿をしたその集団は、人気を避けるように路地を曲がって姿を消した。どう考えても、不自然である。虚無僧と坊主が、一緒に歩く筈は無い。興味を覚えたお鈴は、後をつけて誰なのか確かめてみようという気になっていた。<何処に行ったのかしら? 確か・・・この辺よね・・・> 蔵屋敷の並ぶ通りは、人影もなくひっそりとしている。路地を右に曲がったお鈴は、辺りを見回して、奴らが消えた家の庭先を覗き込んだ。髪はぼさぼさで痩せ形の浪人が、一人で庭の大きな石に、腰掛けている。お鈴は、その浪人に気づかれてしまった。

「何じゃい? おめえは・・・」立ち上がり、お鈴に近付いて来る。「いえ・・・何も・・・」

左頬に刀傷のある浪人は、睨みつけてお鈴を威嚇する。お鈴は、恐くて寒気を感じた。両手に持つ三味線から右手を離して、思わず後の帯に挿している小太刀に手をやった。

「怪しい奴よ・・・」と言って、近付いて来る男に殺気を感じたお鈴は、逃げの一手に出た。問題を起こしたら、後々面倒である。こうなったら、逃げるに超したことはない。お鈴は、三味線をしっかり握り締めて、一目散に駆け出した。

「逃げる気かい?・・・」浪人は、味方を呼びに急ぎ足で、縁側に面した部屋に向かった。

 その部屋に、堺の『美笠屋』はあって、用心棒の統領と何やら打ち合せ中であった。

髪を後に結び、チャイナ服に似た服に、左横に置く明国の太刀が畳の上に異様に光る。明国や朝鮮国の言葉を巧みに操るこの男は、美笠屋吾平に重宝がられている。通訳を兼ねている用心棒は、他になかった。

「それで、今度の船は、いつ着くので御座いますか?」と、男は覗き込むように聞く。

「取締りが、厳しくなってのお〜 島には、近付けない。様子を見ておる」

「気付かれたので御座いますのか?」「そうではないが、どうも気になる」

「はあ・・・」

「武春、種子島の銃が駄目なら、南蛮辺りから・・・いざとなったら、南蛮船に話をつけよう。必ず、入港する筈やさかいのお〜」

「成程・・・」と、武春は腕を組む。

「お頭! お頭! 怪しい奴です!」部屋の外から、大きな声が聞こえる。

二人は、庭先に目をやった。

「どうしたんじゃい!」

「へい、怪しい女が、覗いてやしたんで・・・どう致しやす? お頭」と、見張りの浪人が、血相を変えて武春達の視線の前に立つ。武春は、素早く太刀を手にすると、立ち上がり縁側に出た。

「怪しい女じゃと? うむ〜 捨ておけぬ。追え! 追って、捕らえて参れ!」

「ははっ・・・皆、賊じゃ! であえっ!」浪人は、奥の部屋に向かって叫んだ。

部屋でたむろしていた用心棒達は、<賊!> との大声に、太刀を手に急いで庭に飛び出した。先程、集団で家に入って行った輩である。

「女じゃ、追えっ!」用心棒達は、門を潜ると走って通りに出た。

通りは、人通りもなく、女の姿も見えない。用心棒達は、顔も知らぬ女の後を追った。

追われているとも知らずにお鈴は、宿屋への繁華な通りを目指して歩いていた。買ったばかりの慣れぬ三味線が、やけに重たく感じられる。しっかりと抱いて歩いた。

「いたぞ!」との声に、お鈴は後を振り向いた。血相変えた異様な集団が、追っ掛けて来る。思わず、「私を?」と、叫んだお鈴は、駆け出した。ごつごつとした石畳は、足に堪える。躓きそうになりながらも、知らぬ道を力の限りに走った。繁華な通りは、直ぐだった。近付いて来る荷馬車に気付いたお鈴は、立ち止まり、呼吸を合わせて荷台に飛び乗った。

「追われているの! 助けて!」お鈴は、男に向かって助けを求めた。

喜三郎であった。馬の餌を届けての帰りである。突然の来客に、戸惑いを見せる。荷台に伏せるようにして、身を隠しているお鈴に、自分の隣に座るように、手を添えて招く。お鈴は頷き、隣の席に座った。

「荷馬車に、乗りやがったぞ! あの女」誰かが叫んだ。

もう追い付けないと思った用心棒は、立ち止まる。荷馬車に飛び乗ろうと考える用心棒は、追い掛ける。追い掛ける集団が、二つに割れた。

山伏に化けた男が、尺棒を荷馬車の車に向けて投げ付けた。届かずに落ちた尺棒は、大きな音を発てる。その音は、通りの人達の視線を尺棒に向けさせた。追い掛けて来る集団に、人々は立ち止まった。用心棒達は、構わず追い掛ける。

その異様な様子に、喜三郎は振り向いた。通行人達も、立ち止まり様子を伺っている。尺棒を投げ付けた山伏に、喜三郎には見覚えがあった。身の危険を感じた喜三郎は、馬の尻に鞭を浴びせた。

スピードを増して駈けて来る荷馬車は、通りの人達を避けさせる。土埃をあげて、一目散に走る。

「くそっ!」と、浪人が悔しがる。荷馬車は、車の音を響かせて、嵐の如く走り去って行った。

<ここまで来れば、もう追いつけねえ> 「もう大丈夫でやすよ・・・」

 振り向いて、後を確認した喜三郎が言った。

「有難う。助かったわ・・・あなたは、いつぞやの・・・」喜三郎の横顔に、お鈴は会釈をした。

喜三郎も、お鈴の顔を見た。

「ああ〜 あん時の・・・宿は、あったんですかい? 何で、追われてるんで?」

手綱を手前に引いて、スピードを緩めた。

「良い宿だったわ・・・女将も気さくな人だし・・・私・・・お鈴、あなたは?」

 馬はスピードを緩めて、ゆっくりと走る。「へい、喜三郎と申しやす」

「喜三郎さん、宜しくね」「へい」

「都から御出ででしょう? どうして、あんな奴らに、追われるんで?」

喜三郎は、不思議そうな顔を見せた。

「私にも、良く分からないのよ。あの人達の後を付けて、庭先を覗いたら、あの始末・・・坊津って、本当に分からない所だわねえ・・・これじゃあ〜 恐くって、歩けやしないわ」

「庭を覗いただけで、襲って来るとは、何かありやすねえ・・・皆さん、良くお茶を誘ってくれますぜ・・・血相変えて、襲うなんて事はしやせんよ・・・」

「そうでしょうね・・・」

「見られてはまずい物でも、庭に置いてあったんですかい? そうでなきゃあ〜 追ったりしやせんぜ・・・」

「そうね・・・何も見なかったけど・・・」

「うむ〜 いや、それは、おかしい・・・・・何かあった筈ですぜ・・・」「気が付かなかったわ」

「取りあえず、ほとぼりが冷める迄、あっしの家にいなせえ〜 納屋で良かったら・・・納屋の方が、人目につかないし、安全でしょう。そうしなせえ」

「有難う、お世話になるわ」

 その頃、用心棒達は、お鈴を追うのを諦めて、屋敷へと帰った。馬を使えば、追えない訳ではなかったが、繁華な通りを、馬を走らせたりしたら、それこそ役人達の目につく。事が、大きくなるのを恐れていた。

「そうか・・・取り逃がしたか・・・」「申し訳、御座いませぬ」

「仕方あるまいよ・・・それにしても、一体何者かのお〜 どんな顔をしておった?」

「さあ〜 どんなと申されても・・・」

「何っ? 覚えておらぬのか?」統領の武春は、浪人を睨み付ける。

「申し訳御座いませぬ」ぼさぼさ髪の浪人は、会釈をして謝った。

「他に、覚えておる者はおらんのか?」

「この辺じゃあ〜 見かけたこともねえ、女で御座いました」見張りについていた浪人が言った。左頬の刀傷が、きらりと光り、丁寧な言葉使いは、似合わない。眼つきが悪く、そのままである。

「うむ〜 何処ぞの密偵かのお〜 我らのことを、嗅ぎ付けて来るとは、大した奴じゃ。近々、船が入港する由、気付かれぬように掛かってくれよ」

「荷があるんで?」「まだ、はっきりとはせぬが・・・」

「ははっ! 承知・・・」浪人達は、軽く会釈をする。

言い終わると、縁側に立つ武春は、美笠屋の待つ奥の部屋へと、入って行った。

 お鈴の乗った荷馬車は、喜三郎の家を目指して走っていた。両側から山に囲まれた城下への道は、草の香りが漂い、そこには、茅ぶき屋根が点在している。何処からともなく今にも弓矢が飛んで来そうな、泊浦とは違った感触に、悪党達に追われたことも忘れて、お鈴の心をわくわくとさせていた。

「どう〜 どう〜」と、喜三郎は、馬に掛け声をかけて、手綱を手前に引いた。

 荷馬車は、ゆっくりと止まった。

「お鈴さん、着きやしたぜ」お鈴は喜三郎に頷いて、馬車から降りた。喜三郎も、お鈴の降りたのを確認すると、降りて荷車から馬を離すと、手綱を繋ぐ。

「お兄ちゃん! お客様がお待ちかねよ」「お客さんだって?」喜三郎は、繋いである見慣れた馬に目をやった。唐通事の小倉弥一郎の馬である。

「弥一郎様よ」

物珍しそうに、お鈴を見ている妹のお糸に、「そうか」と、喜三郎は軽く頷いた。

「唐通事が、又、何の用じゃ? お糸、こちらは、都から御出でのお鈴さんだ。悪い奴らに追われている。当分、匿ってくれ」

「都から? お兄ちゃんのお嫁さんかと思ったわ・・・匿えとねえ」と、お鈴に微笑む。

「納屋に案内してくれ」

「分かったわ、お鈴さん、さあ、こちらよ」「ええ〜 お世話になるわね」

案内された納屋は、馬小屋に接している。その二階の部屋には、窓から明かりが射し込めている。そこは狭く、藁の敷いてある床にお鈴は座った。お糸も、膝を折っている。<誰にも見つかりそうもない、絶好の隠れ家である> と、お鈴は狭い部屋を見回しながら、膝に乗せていた三味線を、横に置いた。馬の糞の匂いが、鼻をつく。風に乗り、容赦なく窓から入って来る。慣れない都育ちのお鈴には、少しの香りも息苦しく思えた。

「ここなら誰も来ないし、大丈夫よ。当分、納屋からは出ない方が良いわ」

「有難う・・・御迷惑を、かけるわね」

「良いのよ・・・気にしないで・・・馬小屋の近くだけど・・・直ぐに慣れるわ」

 狭い部屋に藁、そして時々鼻をつく糞の匂いと、お鈴は、早く慣れたいと思った。

 喜三郎は、弥一郎の待つ土間へと入って行った。弥一郎は、珍しく部屋に上がり、お糸の出してくれたお茶を啜りながら、喜三郎を待っていた。囲炉裏の薬罐が、蒸気を上げている。向かい合わせに座っていた喜三郎の母お香は、釣り下げてある薬罐を取ると、「失礼しますね」と言って、土間の隅にある流しへと持って行った。薬罐のお湯を、鍋に注ぎ足すお香である。勢い良く湯煙を発てる。

そこへ、喜三郎が入って来た。

「弥一郎様、良く御出で下せえました」喜三郎は、軽く会釈をした。

「おお〜 喜三郎、待ち兼ねたぞ」「へい。母ちゃん、お茶を頼むで・・・」

「はいよ。きょうは、遅かったねえ〜」

「色々あってさ」と、困ったように首を傾げる喜三郎に、戸惑いを見せるお香である。

「喜三郎、突っ立ってないで、さっ、上がって座れよ、自分の家じゃろうが・・・」

「へい、そいじゃ」と、草鞋を脱ぐと、弥一郎に対面して正座をして座る。

「ところでのお〜 喜三郎」「へい」

「先日、泊浦に停泊しておった明国の船を、存じておろう?」「へい」

「話の途中に、明国の馬の話が出てのお〜 明国の馬は、実に戦力に優れているらしい。そこでじゃ、喜三郎」「へい」喜三郎は、身を乗り出した。

「その馬を、連れては来れまいかと? 船長の話に因れば、出来るとのことじゃったが・・・馬に詳しい、お前に聞いた方が、確かではないかとの、お奉行の話でのおっ。お前に聞いてからの方が、良かろうとのことでなっ」

「お奉行様が?」「左様、乗り気でのお〜」

「馬は、唐人町で密かに育てている豚とは違い、繊細で賢う御座いやす。確かに、豚の類は、大量に連れて来れやしょうが・・・」

「難しいのか?」と、今度は、弥一郎が身を乗り出す。喜三郎は、腕組みをした。

「精々、二頭、いや三頭でしょう」

「たったそれだけか? うむ〜」と、弥一郎も腕組をして考え込んだ。

「それでも、良く連れて来れる方で・・・航海の途中で大半は・・・・・」

「うむ〜」と、弥一郎は又、唸る。

 母お香が、お茶を弥一郎、喜三郎へと注いであげる。二人は、軽く会釈をする。

弥一郎は、ゆっくりとお茶を啜った。

腕組を解いた喜三郎は、身を乗り出すようにして、「弥一郎様、長い航海、誰が馬の世話をしやす? 水や餌は、どうなさるお積もりですか? それに時化でもしたら、馬は暴れ狂うことは、間違い御座いやせん。船に酔うこともしやしょう・・・馬は、繊細で扱い方では」と、説明する。「うむ〜 左様か・・・お奉行は、がっかりなさるであろうのお〜 奄美辺りから連れてくる方が良いのか? 何とかならんのか?」弥一郎はお茶碗を置くと、喜三郎を見た。

「何せ、生き物ですんで・・・誰か世話できる者が、明国まで行って連れて来れば・・・何とかなりそうでやすが・・・その前に、時化にでも遭って、明国に辿り着けるかどうか・・・分かりやせんので・・・」

「左様か・・・よしっ、あい解った、お奉行には、そのように伝えておこう」

「へい。御存じの通り、掛け合わせた馬も、なんとか育ってやすんで・・・」

 喜三郎は、母から入れてもらったお茶を味わうようにして飲んだ。

「うんっ」と、頷いた弥一郎も、ゆっくりとお茶を啜った。

 母お香は、流し台に向かって食事の準備に余念がない。包丁で俎を叩く音が、部屋に響いていた。味噌汁の香りが、鼻を突く。

「弥一郎様、きょうはゆっくりなさって下さえましね」と、味噌汁を混ぜる手を緩めることもなく、振り向いて尋ねる。 

「お香さんの作ってくれる味噌汁は、格別じゃが・・・食するには、ちと早いし、まだ、役職の途中故・・・申し訳ないが、この辺で失礼致す。悪く思わんでくれ」

「まあ〜 折角、お作りしましたのに」

「母ちゃん、無理を言うもんじゃねえよ・・・弥一郎様にゃあ、役職があるんじゃ」

「お前が言わんでも、解っとる」

「まあまあ、二人とも、落ち着け」「へい」二人を宥めた弥一郎は、「さて、お暇致すぞ」と言って、太刀を右手に立ち上がった。喜三郎も、ゆっくりと立ち上がる。

 草鞋を履いた弥一郎は、右手に持っていた太刀を持ち替えて、左腰に挿すと外へ出た。喜三郎とお香も、弥一郎を見送る為に外へと出ると、弥一郎の後から、馬の繋いである方へと歩いて行った。

「弥一郎様、もうお帰りですの?」お鈴を納屋へと案内して、家に戻ろうとするお糸は、歩いて来る弥一郎に声をかけた。

「うっん、世話になった」「また、おいで下さいね」との、お糸には、素っ気ない弥一郎である。明国の馬のことが、頭を離れなかった。

 繋いである手綱を解いた弥一郎は、馬に跨がると、「お香さん、又来る故。喜三郎、それじゃのっ」と言って、馬の尻に軽く鞭を浴びせた。馬は、ゆっくりと走りだした。

母お香、喜三郎、お糸は、弥一郎に深々と頭を下げた。弥一郎は、一度振り返ると、軽く会釈をする。思い出したように、馬の尻に力一杯、鞭を浴びせた。馬はスピードを増して、土埃をたてながら走り去って行った。

「お兄ちゃん、何だったの?」「馬の話さ・・・」

「馬の? 馬がどうしたの?」「明国から、連れて来れねぇかとさ」

「明国からねえ〜」

「おい、お鈴さんは?」「うん、納屋に居るわよ」

「それは、分かっとるが、どうしとる?」「さあ〜」「おい、お前」

「ちょっと、あんたら・・・何の話をしちょるんかい? お鈴さんて?」

「ああ、母ちゃん、その話じゃが、まっ、家に入ろう」と、喜三郎は、右手を家に向けて二人を急せる。お香は、頷いて応える。三人は、家の中へと入って行った。

 喜三郎に対面して座る母お香は、聞き慣れぬ女の名前を聞いて、何とも不機嫌な顔である。そんな母の様子に気付いてか喜三郎は、身を乗り出すようにして、泊浦であったことを詳しく話し出した。お香は、「うっん、うん」と言って、頷きながら聞いている。

 お鈴を匿う訳を聞いたお香の顔は綻び、お糸の注してくれたお茶を、ゆっくりと味わうように啜る。

「そういう事なら、当分、世話をしてあげなきゃなんないわいね。お糸、ご飯は、ちゃんと運んであげなさいよ。父ちゃんには、私から話とくから・・・」お香は、横に座ったお糸を見て言った。

「分かっているわ」

「まっ、長居せんでも、ほとぼりは、直ぐに冷めると思うよ」と、喜三郎。

「そうであれば、良いんじゃけんどのお〜」「心配せんでも、良いってよ。母ちゃん」

 泊浦の水平線に、夕日が落ちて行く。石畳の繁華な通りには、長い人影を落とし始めていた。静かに錨を打つ貿易船の灯りは、波間に漂い、居酒屋の提灯にも灯りが揺れる。三味線の音は、人の足を止めさせる。

 役人久保忠元は、瀬戸上織部を伴って、居酒屋『柘榴』の暖簾を潜った。

「いらっしゃあ〜い」との弾む女給の声が、二人を心愉快にさせる。

 忠元は、案内されるまま椅子に掛けた。お客の数は、未だ少なく、ゆっくりと飲むには都合が良い。忠元は直ぐに、酒を注文した。女給は足早に、注文を告げに厨房へと歩いて行った。二人は、部屋の中を見回す。探している怪しい者は、いなかった。

「忠元様、例の件は、如何なされますか?」 織部は、腕を組んだ。

「取引は、恐らく・・・この坊津か・・・或いは、黒島近海辺りであろうが・・・餌を撒けと言われてものお〜 どんな餌が良いのやら・・・取締りが厳しくなって、形を潜めておる故、餌に食らい付いて来るとは、限らんしのお〜」と、忠元も首を傾げて腕を組む。

「六左衛門様も、無理難題を押しつけなされましたことですねえ〜」

「御自分から、先頭に立っておられる。もう御隠居なされば良いものを・・・」と忠元。織部は、溜め息をつき、「奴らの根城さえ判れば、何とかなりそうですが」と、腕組を解き、身を乗り出す。

「久保様、良く御出で下さいました。こんなに早くに、どうなさいましたの?」女将のお初であった。女給を後に、久保忠元達の席に酒と肴を運んで来た。深々と頭を下げたお初は、考え込む二人を、覗き込むようにする。

「いや、女将、暫らくであった」腕組みを解き、忠元は、軽く会釈をした。

「そうですよ。一考に、お見えにならない」と、徳利を机の上に置いた。女給も、机の上に置いていく。酒と酒の肴を置き終えて、徳利にお初の手が伸びる。女給は、さっさと厨房の方へ、他のお客のお酒を取りに戻った。

「ささっ、おひとつ・・・」「うっん」

 左手を袖に添えて注ぐお初の項は、やけに白く色気を感じる。忠元は、お初を横目で見つつ、注がれた酒を一気に飲み干した。

織部は、お初から注いでもらった酒を、味わうように、ゆっくりと飲み干す。

「いらっしゃあ〜い」お客の入りが、少しずつ多くなって来る。

「お相手したいんですけど・・・久保様、瀬戸上様、御ゆっくりね」店の中を見回したお初は、申し分けなさそうに忠元に言った。

「忙しくなって来たのお〜 拙者らのことなら構わんぞ。勝手にやる故」

「そうですか・・・それじゃ」と言って、お初は、二人に深々と頭を下げると、女給がお客の注文を告げに行った厨房へと消えて行った。

「奴らの寝蔵は、案外この辺りかも知れんのお〜」と、忠元は、お客の顔を見回す。

「この辺りと仰いますと? ・・・大工にでも、化けているとでも・・・」

 静かに飲んでいる大工職人と思われる男達に目をやり、首を傾げる織部である。

「あり得ることじゃて・・・」と、忠元は、織部にお酌をする。織部は杯を持つ手を、忠元が差し出す徳利に近付けて、酒を受けた。

「ふうっ〜」と、一気に飲み干す。

「ならば、既に捕まっている筈・・・我らが見過ごしている筈は、御座いませぬが?」徳利を手にすると、酒を注ぎ返した。忠元は、「うっ」と言って軽く頷くと、杯を手に酒を受ける。酒は溢れんばかりに注がれて、筒が無く進んで行くにも係わらず、難題とやらは、一考に埒のあかないようであった。忘れたくても、その難題を忘れさせない、実に苦い酒であった。

 小料理屋『金亀子』の女将お蘭は、胡散臭い二人の用心棒が、目障りである。二階の部屋の廊下には、その影が微かに映っている。用心棒を連れて来るお客は、坊津じゃ珍しい。先程から、どうも気になって仕方がなかった。<お侍さんを、雇わなきゃならないくらいに都は、そんなに物騒なのかしらねえ〜 ここは、都ほどじゃないのに・・・それとも・・・何か?・・・あるのかしらねえ〜> 今頃、久保忠元達が躍起になって探している相手だとも知らずに、廊下を気にしつつ、お蘭は、『美笠屋』吾平にお酌をする。

吾平は、ゆっくりと味わうようにして飲み干した。お蘭は、武春へとお酌をする。

「武春」との吾平の声に、武春は、口元へと運ぶ杯を止めた。

「荷揚げが終ったら、都へ帰ろうと思う」「揚げ荷は、多いのですか?」武春は、一気に飲み干した。

「いや、直ぐに片付く・・・そやさかい、ここを引き払い・・・」と、徳利を手にした。

 吾平の差し出す酒を、武春は受ける。

「女将、もう良いで。勝手にやるさかいに」吾平は、聞かれたら不都合なことでもあるかのように、お蘭を追っ払おうとした。

<矢張り、このお客さん達には、何かあるわね・・・匂うわ・・・・・> 悟られまいとした吾平に、長年の感とでも云おうか、気付かぬお蘭ではなかった。

「そうですか・・・そいじゃ」と言って、お蘭は、頭を深々と下げた。

 障子を閉めて出て行ったお蘭を確認した吾平は、徳利を手に酒を薦める。「へい」と、軽く会釈をして、酒を受ける武春である。

「取締りが、こうも厳しゅうなっては、どうもあかん・・・都へ帰って出直しや」

 一気に飲み干して酒を薦める武春の持つ徳利に、吾平は杯を差し出す。

「ここで、目立つとあかんさかいに・・・皆揃うて、行ってもらいまっさ」

「一緒にですか?」と、酒を注ぎ終えた武春は、怪訝そうな顔を見せた。

「野放しにしとくと、どうもこいつらは、いざかいを起こしそうや・・・」廊下に胡坐をかいて座っている浪人達の、障子の影に視線を向けた。

 <雇われている身なれば、仕方がない> 一気に酒を飲み干す吾平に、「はあ〜」と、武春は、渋々承知した。

「そうと決まれば、さあ、ささっ、さあっ、遠慮のお〜 やっておくれ」と、武春に手料理を薦め、「お前達、お前達も、隣の部屋に準備で来てるそうやさかい、遠慮のお、やっておくれ」と、廊下の用心棒達に、隣の部屋で飲むように言った。

酒と聞けば、廊下の用心棒達は、さっと立ち上がり、急いで隣の部屋へと入って行く。よれよれの服に、ぼさぼさ髪の姿は、飼い慣らされた、薄汚い犬のように見えた。

「それから直ぐじゃった。無気味な姿の船が泊浦に現われたのは。何処かで見たような気もした船やったが。役人の久保様は、何かを感じておられたようじゃったよ。」喜三郎は、停泊している貿易船に目をやった。溜め息をつくと、又話し出した。

 それから三日目の朝を迎えた。奴らの待っていたその船は、予定より早く泊浦に姿を見せた。

停泊している貿易船を避けながら、朝日を受けて、ゆっくりと入港して来る。静かに全帆が降ろされ、錨が打たれた。

錆びれたその姿は、隣に浮かぶ貿易船を勇ましく思わせる。臨検を欺く為に、美笠屋吾平が堺の廻船問屋と契約している泉丸は、何とも難破船その物であった。

 その頃、喜三郎は早朝から、雨の日以外は日課である育てている馬を、走らせていた。爽やかな風が、肌を切る。馬との呼吸が、ぴたりと合い、思いのままに応えてくれる。喜三郎は殊の外、満足であった。

「よ〜しっ、よ〜し、はっ!」足踏みさせていた馬の頭を、元の来た道へと向かせた喜三郎は、馬小屋へと走らせる。馬小屋に着くのは、早かった。「よしよし、よ〜し、よしよし」

馬から降りて、右手で優しく馬の顔から縦髪へと撫でる。馬は、嬉しそうに首を振る。「よし、よし、さあ〜 来い」

馬小屋へ引っ張って行く喜三郎である。馬に話し掛けながら餌を与える腕は太く、額の汗がきらりと光り、その体格は、自信に満ち溢れているようでもあった。

きょうは餌を、調教しているの金城公平の許へと、届ける日である。馬車に餌を積み終えた喜三郎は、急いで泊浦へと向かった。通い慣れた道程は、安堵感があり、馬への鞭打つ手を止めさせる。何時の間にか、ゆっくりとしたスピードになっている。朝靄の中を切るように、のんびりと走らせて行った。

 泊浦では、既に泉丸の荷降作業が始まっていた。筵に包まれた荷物が、横付けしている小船に積み込まれていく。

「何処の船じゃ?」

「さあ〜 見かけぬ船で御座いますねえ〜」瀬戸上織部は、横で腕組みをして荷役作業を眺めている久保忠元を見た。

「入港許可願いは、出てはおらぬのか?」

「勝手に荷役作業をやっている訳でも御座いますまい。出ている筈で御座いますが・・・・・臨検は、直ぐに済ませたので御座いましょう。・・・それにしても、奇妙な船で御座いますねえ〜」と、織部も腕を組む。

「まるで、幽霊船じゃのお〜 いつ沈んでも構わぬような、姿をしとる」

「えっ、いつ沈んでも? 囮? 海賊船への囮で御座いますか? まさか?」織部は、首を傾げた。

「うむ〜 判らぬがのお〜 おおっ、公平じゃ、よお〜やっとる・・・・・殿も、すっかりお喜びじゃった。よお〜 慣らしてくれたもんよ」と、忠元は、勢い良く音を発てて、砂浜を駆けて来る馬に振り向いて言った。

 縦髪をなびかせて走るその姿は、獲物を狙う鷹にも思える。腕組みを解いた織部は、溜め息をついた。

二人に気付いたのであろう、近くに来て、勢い良く走る馬のスピードが落ちた。

二人の前に来て、金城公平は足踏みをさせる。目が合って会釈を受ける忠元は、ゆっくりと腕組みを解くと、笑みを見せて、「公平、やっとるのお〜 楽しみじゃ・・・そろそろ御城下へ献上できるのではないのか?」と、献上を急かせる。

「久保様、今暫らくお待ち下さい」「うっ、解っておる」

馬の調教など、簡単に出来るものではないことを解っているだけに、無理の言えぬ忠元であった。

荷を溢れんばかりに積んだ小船が、白い航跡を残して、遠く目の前を横切って行く。軽く頷いて応えた忠元は、小船の進んで行く桟橋に目をやった。荷揚げの準備をしている人夫達が見える。 <あの積み荷は、一体何であろうか?> 二人の人夫が、両舷でそれぞれ櫓を漕ぐ小船の軋む音が、そこまで聞こえて来そうな気さえする。

「織部!」「はっ!」

「あの荷は、何処のじゃ?」「調べれば、直ぐに分かりますが・・・」

「頼んだぞ」「ははっ!」

「久保様、あの積み荷が、何か?」公平も、横切る小船に目をやった。

「そう云えば、いつだったか、前に一度見たことがありますよ。胡散臭い船ですが、ちゃんとした船だったようですよ。間違いなければ、確か都の廻船問屋だとか聞いてますが」透き通るほどに青々としている海に、影を揺らしている泉丸を、公平は見た。

 忠元は、その言葉に、「うむ〜」と、溜め息をつくと、公平の視線の先に停泊している泉丸に、目をやったが、荷揚げが気になるのか、又、桟橋に目を戻した。

 桟橋では吾平達が、人夫達に混じって、小船の来るのを待っている。出迎えているようにも思えた。報せを聞いて吾平は、住んでいた屋敷を引き払い、全員揃って桟橋に来ていた。

「伝蔵。荷は、例の所に運んでおいてくれ」吾平は、人夫頭に言った。

「へい、任せておくんなせえ。旦那、都にお帰りだとか?」

「うん、薮用があってな・・・直ぐに、戻ってくるさかいに、後は頼んだで」

「へい、都は、今頃・・・うっえへへ・・・良っ御座んすねえ〜 助けなんぞと旦那」

「何を、ゆうとる・・・結構忙しいんやで」「さいですか?」

 荷を積んだ小船が、桟橋に近付いて来る。ゆっくりと横付けした。伝蔵は、人夫達に首を振って示して、合図をする。人夫が軽く頷くと、船に手を振った。

それを合図に、揚げ荷が開始される。積み荷は、桟橋に揚げられていく。小船は、荷揚げは終わって直ぐに空になった。

「お頭、参りましょう」と、武春。

「さささっ、旦那、乗っておくんなせえ」伝蔵は、吾平の前に出ると、荷揚げの終った船に乗り込むようにと、手を前に誘う。

「ちっ、調子の良い奴め」と、伝蔵に相手にされない武春は、不機嫌な顔を見せる。

 『美笠屋』吾平は、用心棒達を引き連れて空になった小船に、乗り込んだ。

「誰か、船に乗ったようじゃのお〜」

 吾平達の乗った小船は、一筋の航跡を残して、泉丸に向けて進んで行く。忠元は、溜め息をつくと、腕を組んだ。

「あれが、親玉でしょうか?」と、織部。

 荷馬車の音が、少しずつ大きく近付いて来る。吾平達の乗っている船を眺めていた公平は、手綱を引き馬の頭をその音に振り向かせ、自分もその音の方に目をやった。

喜三郎である。忠元、織部も振り向いた。「餌を持って来てくれたのか? 喜三郎!」

 <そうか、きょうは、餌を持って来る日であったか・・・忘れておった>

公平の微笑みに、軽く頷き、笑顔で応える喜三郎である。手綱を引き、馬車を止めた。

「喜三郎!」「へい!」

「馬の調子は、どうじゃ?」

「へい、良く育ってやすよ。久保様、あの船が何か? あるんですか?」

喜三郎の目が、きらりと光った。

「感の良い奴よ、喜三郎。犬のように、鼻も利くようじゃのお〜 どうじゃ、役人にならぬか?」と、喜三郎に微笑む。

「めめめっそうも御座いやせん。おいらあ〜 馬の世話をする方が・・・」

 喜三郎は、首を横に振って恐縮する。

「左様か。役人は、嫌いか・・」と言って、忠元は、腹を抱えて笑った。

 呆気に取られている喜三郎を横目に、織部も公平も笑った。

笑い声に、「うむ〜」と、深い溜め息をつく喜三郎であった。

小船が、泉丸に横付けになった。縄梯子をよじ登っている姿が、見えている。

「着いたようじゃのお〜」忠元は、船に顎をしゃくって知らせる。

皆は、停泊している貿易船の中に一際目立つ、難破船のような錆びれた泉丸を眺めた。獲物を眺めるように、その一点を見詰める忠元と織部の姿に、喜三郎は、何か起こりそうな不吉な気配を感じていた。

泉丸は、食料の積込みを終えると、時を待たずに泊浦を都へ向けて出帆して行った。

日の光を背に受けて、鱗のような凪いだ海を、帆走する姿は、忠元達には、まるで嵐を越えて行く船のような、錯覚を覚えていた。

 

 

 

 桜の花もすっかり散り、華やいだ山の緑も明るく変った昼下がりであった。

喜三郎は、馬の様子が気になり、馬小屋を覗いた。喜三郎に気付き、嬉しそうに頭を振る馬に、「よ〜し、よしよし。よ〜し」と、声をかける。頭を撫でられて、狭い馬小屋を行ったり来たりする馬達である。

喜三郎は、人の気配に、後を振り向いた。

「懐いているのね。子供のように・・・」お鈴は、喜三郎に微笑んだ。

「相棒ですよ、こいつらは」預かった馬を育て、馬と語らい、新しい馬を作り出すのが、生き甲斐である。人生の相棒だと、喜三郎は言いたかった。

「何時も可愛い目をしているわねえ〜」と、顔をすり寄せて来る馬に、手を伸ばし優しく撫でる。

「こいつらは、お鈴さんがお気に入りのようだねえ・・・ひとっぱしり行くかい?」

「ええ〜 良いの?」「勿論さ」喜三郎は、馬を外に出すと、手綱をつけた後、鞍を背中に乗せる。

 小屋から出した喜三郎は、お鈴に手を添えて馬に乗せてあげた。

 喜三郎の手解きを受けて、お鈴の腕は、驚くほど上達している。

「はいっ!」馬に浴びせる鞭の音が、響く。二人は、何時もの広場へと走らせた。

「どう〜 どう〜」

 泊浦の見える高台に着いた二人は、手綱を手前に引き、馬を止めた。

目の前に広がる海に、お鈴は思わず溜め息をついた。身を隠す生活には、もう耐えられない。自由な世界が、目の前に迫って来る。青々とした海に、横に点在する小さな島々。胸一杯に空気を吸った。

「あの海は、何処まで続くのかしら?」「さあ〜 竺土かいな?」

「竺土・・・そう・・・喜三郎さん、有難うね。小母さんや、お糸ちゃんにもお世話になったけど・・・ほとぼりも冷めたし」

「出て行くんだね? 寂しくなるね。お糸も寂しがるよ、きっと・・・」

「泊浦で、働こうと思うのよ。だから、何時でも会えるわ。都に帰る訳じゃあないしね」

「そうか・・・いつでもねえ〜」

 それから、三日もしない内に、お鈴は、匿ってもらっていた喜三郎の家を出た。

 お鈴が、泊浦の居酒屋『柘榴』で、働くようになって間もない頃であった。

「おいらあ〜 ほんとに、驚いたさ。何故かって? まあまあ、焦るんでねえ〜」

 大きな夕日は、水平線に覆い被さるように落ちようとしている。喜三郎は、整然と錨打つ貿易船に目をやった。赤く染まる船には、人影もなく波間に揺れる。

「あの貿易船の隣に、途轍もない船が現われたのは・・・・・・・・・・」喜三郎は、思い出すように話し出した。

 それは、停泊している貿易船よりも一回り大きな船であった。

峰ケ崎を躱って、泊浦に進路を向けた一隻の南蛮船は、一斉に帆を降ろした。船は、惰力に因って進んで行く。並ぶ貿易船の近くに来て、錨が打たれた。海に落ちる音と共に、白い波飛沫が勢い良く上がる。町の人々は、入港して来る南蛮船に目を見張った。人の歩く流れを、止めさせる。

南蛮船を見るのは、初めてではなかったが、変わった一際目立つ姿に、ゆびを指し、よからぬ事を噂し合った。

よからぬ事とは、薩摩に攻めて来たのではないか? 次から次へと、押し寄せて来るのではないか? との、何時もの噂話である。

南蛮船は、静かに停泊の旗を揚げた。

南蛮船が、泊浦に停泊しているとの連絡が、唐船奉行の耳に届くのは、早かった。唐船奉行の平田宗源は、戸惑いを隠さぬ久保忠元や瀬戸上織部達に落ち着くように言うと、必要以上に係わり合うのを、避けるように注意するのであった。

お奉行から南蛮船を、訪問するように言われた忠元は、織部と唐通事の小倉弥一郎そして朝鮮通事の李泰潤を伴って、泊浦へ向かった。

立ち止まり騒めいて南蛮船を見ていた人々の繁華な通りは、元の流れになっている。忠元達は、南蛮船を横目に、颯爽と歩いて行った。桟橋付近の番所に着いて、丁重なる番役達の礼を受ける。番役に案内されて、忠元達は早速、通船に乗り込んだ。

通船は、櫓を漕ぐ音を軋ませながら、ゆっくりと近付いて行った。

南蛮船が、大きく見える。忠元達の乗った船は、直ぐ側まで近付いていた。見張りの男に気付いた小倉弥一郎は、立ち上がった。

「カピタンは、いるか?」弥一郎は、見張りの男に向かって叫んだ。

「キャピテン? ああ〜 いるぞ!」男は、「乗船しても良い」と、縄梯子を投げると、船に弥一郎達を招くように右手を振った。

「弥一郎、カピタンとは、誰のことを言っているんじゃな?」と、忠元。

「船長のことですよ」「左様か、船長か」

「さっ、行きましょう。どうぞ」弥一郎は、下げられた縄梯子が、揺れないように片手で掴むと、登るように誘った。

 忠元達は、縄梯子をよじ登って行った。次々に上甲板に着いた。見張り役は、二人であった。忠元達は、緊張した様子である。

ひとりの見張り役に案内されて、船長室に入って行く。船長は、右手を前に丸いテーブルの椅子に掛けるように、手招きをした。

 皆は、左手で太刀を腰から抜くと、右手に持ち換えて、ゆっくりと椅子に掛けた。

「良く御出で下さった。私は、船長のマヌエル・デ・メンドーサと言います。どうぞ宜しく」と、船長は、微笑む。

「こちらこそ、宜しくお願い申す。拙者は、小倉弥一郎。こちらが、久保忠元様に・・・・・」と、全員を紹介する。忠元達は、弥一郎が自分の名前を言うのに合わせて、訳の分からぬまま頭を下げる。

 給仕が、持っているトレンチの上からグラスを、それぞれの前に置いていく。酒瓶を右手に、一つずつグラスに酒を注ぐ。真っ赤な酒が注がれた。

「さあ、先ずは、酒でもお飲み下さい。葡萄酒です」と船長は、皆に薦める。

 手を差し伸べる船長に、その意味を理解した忠元達は、グラスを手に葡萄酒に口を付ける。甘い葡萄の香と少し渋味のある味に、忠元は思わず、「うっ、実に美味いのお〜」と、口走った。皆は、その言葉に、笑ってしまう。和やかな雰囲気になっていた。

「ところで、船長。泊浦には、いつまで滞在なさるのかな? 我ら、治安を預かる者にとっては、いささか気になりますが」

 グラスを机の上に置いた弥一郎は、朝から酒なんぞ飲んではいられないと、船長を見る。

「出来れば、このトマリンにて、冬を越したい。国王にも、お目にかかりたいのですが」

「弥一郎。何と言っておるのじゃ?」

「はい、いつまでこの泊浦に滞在するかは、分からぬ。出来れば、ここで越冬し、殿にお目通り致したいと。言っておりまする」

「何、殿にお目通りをと?」忠元は、目を丸くして、驚いた顔をする。

「何故に、殿にお目通りしたいのじゃな? 聞いてくれ」

「我が国と、交易を密に致し、互いの利益を計りたい。願わくば、国王を我が国に、御招待致したい」

 船長マヌエル・デ・メンドーサは、淡々とした口調で話した。

「何、薩摩と交易を致し、殿を南蛮に招待したいとな」

 忠元は、弥一郎の通訳に、驚きを隠しきれない様子で腕組みをして、首を傾げた。

「交易を致すことが、彼らの目的で御座いましょう。殿へのお目通りが叶ったら、直ぐにでも出帆するのではないかと、思われるような口調で御座いまする」

「しかしのお〜 あの様子じゃあ、殿へのお目通りは、叶うまいよ。御城下じゃ、今頃・・・」

「この泊浦で、粘り強く待つと言っておりますが・・・越冬も覚悟の上かと」

「何、粘り強く待つとな?」

「忠元様、南蛮との貿易は、我が薩摩にとって、願ってもないことに御座いませぬか? 我らで、殿を説得してみては?」

「弥一郎、そなた、殿に直訴致し、聞き入れては貰えなんだではないか? そなたの、言うことは良〜く分かるがのお〜 考えてもみい、真言宗、山伏を手厚いまでに、我らに斡旋なさっている殿がじゃ、何やら解らぬ宣教師の付いている南蛮と、交易なさる筈がない」

「そうで御座いましょうか?・・・」

「左様、無理な話よ・・・まあ〜 じっくりと見ていてみい、お目通りは叶ったにせよ、交易と迄はいくまいて・・・。そなたのお望み通りに、停泊は、許可致そう。何時まででも居てくれと言ってくれ」

「有難う」と、船長は、軽く会釈をした。

「上陸しても良いのか? と言っていますが」

「良かろう。食料、飲料水の積込みも出来ようぞ。ことを起こさぬように、呉々も伝えてくれい」と、忠元は、身を乗り出した。

 船長は、分かったと頷く。

「しかし、忠元様・・・船長の言うことを、簡単に信じても良いのでしょうか? 薩摩にとって、悪い企みでも画策していたとしたら如何なされます?」泰潤は、交易を求めるだけで、長く滞在することには信じられなかった。何かありそうな疑いの目で、船長を見詰めた。

「泰潤、何を画策しておると言うのじゃ? 南蛮船は度々、この薩摩に来航しておる。今まで何も変わったことは、無かったではないか? あるなら、もうとっくに戦になっておるわ。考え過ぎでは、あるまいか?」

「それなら宜しいのですが・・・来る度に、海岸線などを、紙に写し取っているのは、如何思われます? 戦の準備では、御座いますまいか?」

「港の様子を写し取るのは、それなりに解るがのお〜 次ぎなる入港に備えてのことであろう。確かに、疑わしい。疑わしいが・・・」

「船には、海図は必要でしょう。それを作成致していると考えれば、納得もできましょうが。しかし、九州北部には豊後の大友が、薩摩に鋒先を向けておりまする。その大友と南蛮が組んで、薩摩に刃を向けるとしたら?」

「織部、そなたまで、驚かすでない」忠元は、厳しい顔を見せた。

 船長マヌエルは、黙って聞いている。

「有り得ることでは御座いませぬか? それを防ぐ為にも、南蛮との交易は、必要に存じます」と、弥一郎は、忠元に食い下がる。

「何、南蛮と交易致せと。弥一郎、ここで、そのような事を拙者に言っても始まるまい。先ずは、殿のお心ひとつじゃ。そうであろう?」

「はっ、御尤も」

「薩摩に交易を求めている以上、今のところは、危害はなさそうじゃ。泰潤、今暫く待とうではないか? 仮に、南蛮が攻め込んで来ても、既に覚悟は、出来ている筈じゃぞ」

「はっ、如何にも」と、泰潤も会釈をした。

「我らの職務は、坊津の治安を守ることにある。殿へは、南蛮船入港を報せておくと言ってくれ。弥一郎」「はっ」

「分かった、と言っておりますが?」「それで良かろう」

 忠元達は、食事の誘いを断って、船長室を出た。上甲板に案内されて、縄梯子を下り、待たせておいた通船に乗り込んだ。訪問を無事に終えて、通船は、ゆっくりと南蛮船から遠ざかって行った。

 馬小屋では、調教の為に金城公平に引き渡す馬の選定を、喜三郎は行なっていた。毎日のように走らせて、調教は行なってはいたが、公平による最後の仕上げである。丹精込めて育て上げた家族を、手放さなければならないのは、堪え難いことであった。喜三郎は、込み上げる胸の詰まる思いを堪えた。淋しい別れであった。三頭を選んだ喜三郎は、南蛮船が入港していることも知らずに、たてがみを撫でて話し掛ける。喜三郎の胸の内を解るかのように、馬は寂しげなる声をあげる。

「元気で暮らせよ・・・なっ、お前ら・・・又会えるからな・・・おいらを忘れるなよ」

「お兄ちゃん、寂しくなるわね」お糸が、後から声をかけた。

「ああ〜 仕方ないさ。おいらの馬じゃないからなあ〜 よしよし、さあ〜 来いっ」

「行きたくなさそうね」

 手綱を引く喜三郎の手を、振り払おうとする馬に、「別れが、解るのかしら?」と、不思議がる。馬小屋から外へ出るのを嫌がる馬を、手綱を強く引っ張り、無理矢理に言うことを聞かせる喜三郎であった。

喜三郎は、別の馬の手綱を取り、お糸を馬に乗せてあげた。手慣れた乗馬である。

手綱を受け取ったお糸は、さっそうとした様子で、後へと下がらせた。

三頭の手綱を一緒にして手に持った喜三郎は、馬に跨がった。

「さあ、お糸、行くぞ」と言って、ゆっくりと走らせる。

「はいよ、お兄ちゃん」と、お糸は、両足で馬の腹を叩くと、三頭の馬を引く喜三郎の速さに合わせて、後からついて行った。

 泊浦までの道程は、通い慣れているとは云っても、御城下からの往来が激しく、馬を引く手を緊張させる。埃をあげるその蹄の騒々しさに、のんびりと歩く旅人達を、急せるように道の両側に避けさせていた。

二人は、停泊している南蛮船に、気付くこともなく繁華な通りを抜けて、公平達の居る馬場へと向かった。

 馬舍から十頭ほどの馬が外へ出され、中は空っぽである。公平達は、御城下へ運ぶ馬の手入れが終わって、喜三郎達を待っていた。

「はいっ〜」との声と蹄の音に、喜三郎が来たのであろうと察して、公平達は外へ出た。察する通りであった。

 喜三郎とお糸は、馬から降りて、公平に会釈をする。喜三郎の礼に応えて、軽く会釈をする公平達は、二人に笑顔を見せた。

「うむ〜 今度の馬は、鍛え甲斐がありそうじゃのお〜 喜三郎」と、三頭の手綱を受け取った。

「へい、こいつ等は、ちょいと手強いかも」馬の頭を撫でる公平に、微笑んだ。

「手強いか・・・むう〜」と言って、受け取った三頭の馬を、公平は馬舍へ入れるようにと、他の三人に指示して、手綱を渡した。

「御苦労だったのお〜 喜三郎・・・南蛮船の来航するこのご時勢には、銃よりも速い優れた馬が必要なのであろう」と、公平は、錨打つ南蛮船に目をやった。

「南蛮船? 南蛮船が、来たのでやすか?」喜三郎とお糸は、驚いた様子で、海に浮かぶ南蛮船を探した。

「あれじゃ」と、指で差す公平に、「えっ、あの大きな?」と、目を丸めて見詰める。

「ああいうのが、押し寄せて来よる・・・薩摩は、如何にして戦う積もりかのお〜」

「薩摩は、戦うの?」厳しい目で、お糸は公平を睨み付けた。

「さあ〜 なあ〜 そんな馬鹿なことはしまいと思うが」 

「それで、おいらに・・・馬を・・・」

「それだけでもあるまいよ。他国の鋒先を躱すには、馬だけでは物足りないと思うが」

「他に、何か?」「恐らくのお〜」

「何なの?」

「まっ、火花の散ることもあるまい。安心致せ」と、公平は、心配している二人に笑みを浮かべるが、戦の度に泣いている百姓にとっては、一大事である。到底、安心できる筈のない喜三郎とお糸であった。

「喜三郎、我らは、これより御城下に、そこの馬を届けねばならぬ・・・遠慮など要らぬ、上がって、ゆっくりして行ってくれ」

「嬉しいんですが・・・おいら達は、ちょいと寄る所がありやすんで・・・」

「そうか、それじゃ。我らは出かけるぞ」公平は、素早く馬に跨がった。

公平を先頭に、二列になった十頭の馬を、両側からそれぞれ二人ずつが挟み込む。その馬の集団の後に、ひとりが付いた。

「はいっ」との掛け声と共に、馬はゆっくりと走りだす。殿への献上品である。それは、それは、大事に割れ物に触るかのように、扱っている様子に、喜三郎は納得した溜め息をついた。

途中、近くの番所で護衛を付けて、公平達は、御城下へと十頭の馬を搬送して行った。

夕暮れは、早かった。泊浦に貿易船の灯りが揺れる頃、繁華な通りに三味線の音が、人の足を引き込む。人の流れは、帰路へと変わり、お店の提灯の灯りが、燈り始めていた。

喜三郎とお糸は、海辺の岩場に座り、沈む夕日に見入った。貿易船を真っ赤に包む夕日に、遠く異国に思いを馳せて。

 

      <夢追い船>

    辿り着く

       異国の空に

      憧れ映し

     淋しさと、戯れる

    ああ〜 あれは、恐れ知らぬ

       夢追う船か

   

    迫り来る

       夜明けの夢に

      船と漂う

     夕焼け、恋しくて

    ああ〜 あれは、愛を捨てた

       さ迷う船か

   

    燃え上がる

       心の内に

      波涛を秘めて

     瞳、潤ませる

    ああ〜 あれは、君を包む

       開けゆく船か

 

 貿易船を往来する船の航跡が、波に打ち消され、海の薄暗い青に灯が揺れる。お店が開くまでの、時を過ごした喜三郎とお糸は、五人の船大工職人達の後から、居酒屋柘榴の暖簾を潜った。

「いらっしゃあ〜い」明るい女給の声が、お客を迎える。次第に席は埋まり、何時もの賑わいを見せようとしているところであった。

 喜三郎とお糸は、部屋の角に案内された。辺りを見回し、ゆっくりと座る二人である。注文を聞きに来た女給に、「お鈴さんは、居るのか?」の質問に、「お鈴さん、お鈴さんなら、二階に居るわよ」と、素っ気なく応えて、さっさと厨房へと消えて行く。あんたらの注文を聞けば、用はないと、二人には思えてならない。呼んで来ましょうか? とか、何か用なの? とか言いようがありそうである。愛想のない女だと、腹立たしく少し「むっ」とする喜三郎である。

 酒と酒の肴が、運ばれて来た。お糸の前には、山盛りに盛られた飯と、鯵の開きが置かれる。笑顔を見せる愛想の良い別の女給に、二人は安堵感を覚えていた。

 食べ残されたお皿を手に、お鈴が二階から降りて来る。その姿に、二人は直ぐに気付いて、口に運ぶ手を止めた。

「忙しそうだのお〜 会いに来ては、邪魔だったかいのお〜 お糸」「さあ〜?」

 厨房に空のお皿を運んで、お客の様子を見回したお鈴は、喜三郎達に気付いた。笑顔を見せながら、「いらっしゃい。暫くだったわね」と言って、近付いて来た。

笑顔で応えるお糸は、「お鈴さんも、元気そうね」と、お鈴を気遣う。

「掛けても良い?」と言って、喜三郎達の返事も聞かず、遠慮なく腰掛けて、「喜三郎さんも、お酒が好きだったとはねえ〜」と、真面目な男が酒を飲むとはと、驚いた声を出した。

「団子の方が、良いんじゃけど・・・お鈴さんに会いたくてのお〜 なあ〜 お糸」

 喜三郎の視線に、お糸は軽く頷く。

「そう云えば、始めて遇ったのは、お団子屋さんだったわね。さあっ、おひとつ」

 徳利持つ手が、何とも色っぽい。注がれた酒を、一気に飲み干す喜三郎である。

「良いのかい? 忙しそうやけど・・・」

「三味線持つ暇もないくらいに、忙しく動き回っているけどね・・・これも、お客さんを逃さない為の、お酌なんですって・・・だから、構わないのよ・・・女将さんも承知してるから。ささっ、気にしないで、飲んで。これは、私の奢りだからね」と、お鈴は、自分の持って来た数本と、置かれてあった徳利に酒の肴を、右手で指した。

「悪いよ、お鈴さん」

「良いのよ、匿ってもらったお礼よ。それにしても、坊津ってとこは、恐いと云うか、不思議な町ねえ〜 南蛮船も、来たりしてさ」

「不思議? そう・・・不思議ねえ?」お糸は、<不思議がるお鈴さんの方が、不思議よね>と、喜三郎を見た。

 喜三郎は、にっこりと微笑んで、注いでもらった酒を、ゆっくりと飲み干した。

「南蛮船は、何時までいるのかしらねえ?」 不気味な姿を見せて静かに停泊している南蛮船の話が、町では行き交っている。まるで、腫物にでも触るかのように、お店の中では、ひそひそ話であった。

「本当に驚いたわ・・・攻めて来るんじゃないでしょうねえ?」

「攻めて来たらどうするの?」

「あら、直ぐに逃げるわよ。お糸ちゃんは、どうする積もり?」

「どうするかって、逃げられないでしょ? 何処へ、逃げろと言うの?」

「あら、何処へだって、行けるじゃな〜い? 明国へだって、竺土へだって、行けるわよ」

「そう・・・私達、百姓は、土地を捨てたら生きていけないのよ。逃げられないわ。戦になれば、泣くのは、何時も私らよ」

「そうだったわね・・・だけど、ここは、明国に一番近い所よ。何もかも投げ出して、逃げて行こうとは思わな〜い? だって、どこかに広〜い世界があるって聞いているわ」

「馬に乗っている方が、私、落ち着くのよ。それに、土の臭いがとっても好きなの。それに、私、女よ・・・何も出来やしないわよ」

「女だからって、何も、縛られることはないと思うけど・・・」

「いらっしゃ〜い」二人の会話を、遮るかのように、お客を迎える女給の声が響く。

 泊浦に、異国の香を漂わせて、静かに浮かぶ南蛮船とは係わり合いの無いかのように、柘榴は、次第に賑やかさを増していった。

 南蛮船は、皆の期待とは裏腹に、乗組員達の上陸もなく、ただ静かに波に身を委ねるだけであった。

それは、夕暮れであった。何の動きも見せなかった南蛮船は、十日目にして、やっと、上甲板から人影が見えだした。変わった船を降ろそうとする乗組員達の姿が、海辺で眺める人達には、異様に思える。降ろされたボートには、船長マヌエル・デ・メンドーサ達が、縄梯子を伝って乗り込んで行く。乗り込みを終えたボートの略中央に、六本のオールが一斉に立てられた。合図と共に、オールが海に降ろされ、漕がれて行く。

ボートは、ゆっくりと桟橋に近付いて行った。乗組員のひとりが、また手を上げて合図をする。オールが、海から一斉に上がった。中央に立てられ、ボートは惰力に因って近付いて行く。ボートは、ゆっくりと桟橋に横付けになった。メンドーサ達は、ひとりずつ上陸して行く。

四人の上陸を確認して、男が手を上げて合図をした。それに応えて、立てられていたオールが一斉に海面に降ろされた。ゆっくりと漕がれて、ボートの船首は、南蛮船に向けられた。オールを漕ぐ速さが増した。ボートはスピードを増し、南蛮船に戻って行く。

 乗組員達は、上陸を済ませると、メンドーサを先頭に、番所の門に近付いて行った。

番所の役人が、右手を前に出してメンドーサ達を、引き止めた。胡散臭そうに、メンドーサを見詰める番役に、言葉を掛けた。

訳の解らぬ言葉に、困った番所の役人は、立ち塞がるのを止めて、右手を前に門の方を指し、彼らを向かい入れた。他の役人は、道の端に避けるように後退りをする。

メンドーサは胸を張り、三人の乗組員を引き連れて、門を潜って行った。

 番所の役人達は、事を起こさぬようにと言われている。腕を組み、首を傾げて、見送るだけであった。

 泊浦に上陸したメンドーサは、繁華な通りを歩いた。ビロードマントにソンブレロの帽子、丸型のカルサンズボンは、人の目を引かない筈はない。見慣れぬその姿に、人々は驚きと恐怖の声を発する。後ろから付いて歩く乗組員達は、バンダナを頭に巻き、セーラー服或いはティーシャツにズボンである。立ち止まりゆびを指す人々に、メンドーサ達は、構わずに胸を張って歩く。始めて見る人達にとっては、異国の服に帽子と靴、細い剣を腰に挿しているメンドーサの姿は、異様に思え、威圧さえ覚えていた。

 メンドーサは、聞こえて来る三味線の音に立ち止まった。耳を澄ませて、聞こえて来る場所を探した。お店の前で、目が止まった。居酒屋「柘榴」である。

 <長く弾かないと、腕が鈍る>と、お店の準備の終わったお鈴は、二階の部屋で、ひとり三味の音に酔っていた。お客の入りが多く、忙しくなる前までの、腕慣らしである。

お店の一階の片隅には、仕事を終えた荷役人夫達が、飲む前の腹拵えにと、大盛りの飯を食らっている。いつもの、柘榴であった。

「いらっしゃあ〜い」振り向いた女給が、入って来たお客に、一瞬驚いて身を後に引いた。

 女給の明るく迎える声に、振り向いた人夫達も、入って来たお客に驚き、食らっていた箸を動かす手を止めた。目を丸めて、口を大きく明けて驚くその姿は、この世に存在しない信じられぬ物を見るかのようである。

 暖簾を潜ったメンドーサは、女給の声に頷き、驚いて自分達を見詰めている姿に微笑んだ。立ち止まって店の中を見回したが、その突っ立っている女給に構わず、メンドーサは、中央の空いている席に歩み寄った。

乗組員達も黙って、メンドーサの後を、ついて行く。席に着いた異国のお客に、我を取り戻した女給は、慌てた様子で女将に報せに厨房の中へと急いで入って行った。

 人夫達は、顔を寄せ合い、「あの船の連中じゃ」と、ひそひそ話を始める。

「いらっしゃいまし」女給から聞いた女将お初は、直ぐにメンドーサ達の席へと、注文を聞きにやって来た。

「お客様、何になさいますか?」

「なんに? おおっ、サキ、サキを」

「お酒? 皆さんも?」との女将の声に、メンドーサは、軽く頷く。

「あれは?」と、メンドーサは、二階を右手で指し、右耳に手をやった。

「ああ〜 三味線ね・・・珍しいのね?」訳の解らぬまま、メンドーサは頷く。

「お鈴さん! お鈴さん! ちょっと、お鈴さんを呼んで来て」

 言われた女給は、直ぐに二階へと、呼びに行った。その姿を、目で追うメンドーサ達である。

「ゆっくりなさってね」会話の上手く繋がらないと見た女将は、さっさと厨房へと酒を取りに行く。

 お鈴が、メンドーサ達の前にやって来るのは早かった。始めての見慣れぬ風体に、席に座るのをためらった。

「あら、お鈴さん、座ったら? 異人さん達も、ほら、座れって言っているでしょ?」

「女将さん、言葉が解るの? そうでしょうね・・・こんなとこに住んでたんじゃ・・」意味ありげに、愛想を振りまいている乗組員達を見て言った。

「解りゃあ、しないわよ。殿方は、横に座らせて、お酌させたいものよ」

 女将は、小さく笑って、酒と酒の肴を机の上に置いていく。メンドーサを横目で見た女将は、又くすっと笑った。

「何処からいらっしゃったの? あのお船の人達でしょ?」と、徳利を手に、メンドーサに酒を薦める。杯を徳利で指して、杯に注ぐから持つようにと、薦めるお鈴である。

 女将も徳利を手に、ひとりずつお酌をしていく。注いでくれた酒を、一気に飲み干すメンドーサとは違って、乗組員達は、女将が注いでくれた酒を、覗き込むようにして、恐る恐る飲む。その姿に、女将とお鈴は、苦笑いをするのであった。

「いつまで? いつまでここに?」お鈴は、右手を上下に振って、輪を書いた。

「しゃみ? しゃみ?」と、メンドーサ。

「何言ってんのか、解りゃしないわね」

「ああ〜 三味線のことよ。お鈴さんの三味線に、聞き惚れていたわ」

「あら、私の三味線に? 女将さんったら、揶揄わないで・・・」

「揶揄っちゃ、いないわよ。ねっ。あなた何て言う名前なの? あたし、お初」

女将は、右手を胸に充てて、メンドーサに自分の名前を名乗ったが、何の返事もない。

「私は、お鈴よ。お鈴」自分の顔を指して、紹介した。

「おすず?」「そう、お鈴よ」

「あら、あたし、お邪魔のようね? それじゃ、御ゆっくり」と、メンドーサ達に軽く頭を下げた女将は、<まあ、相手にされないとはね>と、さっさと厨房へと歩いて行った。

「マヌエル・デ・メンドーサ」「まぬえる?」

「シィ、マヌエル」

「まぬえるねえ〜 変わった名前だこと」

「カルロス」「アルベルト」「ヘラクレス」 乗組員達は、自分を紹介しだした。

「まあ〜 覚えられないわ・・・かるさんにあるさん、へらさん・・・難しいわ」<それに、布切れなんか頭に巻いてさ、変な人達ね。鉢巻の方が良さそうなものを・・・>

「さっきの人ね、女将さん。解る? 女将さんよ・・・お初さんって言うのよ。お・は・つ・さん」

「おはつ?」「そうよ、宜しくね」

「私の三味線を、聞きたいの? 解ったわ、取って来るわね」

 お鈴は、三味線と聞いて頷く乗組員達の為に、三味線の音色を聞かせたいと思った。お鈴は、直ぐに二階から三味線を手に戻って来た。

「あら、おたくら・・・箸が使えるの? 驚きねえ〜」

 お鈴は、鯵の開きに箸を付けている姿に、驚いた。メンドーサ達は、構わずに酒の肴に舌鼓を打つ。首を傾げて、お鈴は、メンドーサの隣の椅子に掛けた。調弦をする音色が、部屋に響く。片隅で飲む荷役人夫達も、耳を澄ませた。

お鈴は、メンドーサ達の為に、三味線片手に歌いだした。

 

      <おぼろ月>

     恋もおぼろか

       幻か

      慕うあなたは

        旅するお人

      叶わぬ愛よと諦めて

       涙に浮かべる

        おぼろ月

    

     届かぬ思いと

       知りながら

      唄う愛さえ

        波間に消える

      願かけ地蔵は微笑んで

       瞳に映した

        おぼろ月

    

     漂う灯りと

       さ迷いて

      沈む夕陽に

        うな垂れ歩く

      通わす心に火を着けて

       二人で眺めた

        おぼろ月

 

「いらっしゃあ〜い」

 明るく迎える声に、店に入るお客は、笑顔を見せる。笑顔を返す女給に頷いて、座る席を目で追う。メンドーサ達に気付いて、顔色が変わった。メンドーサ達の席を遠く避けて、角の方から席が埋まっていく。

見慣れぬ南蛮人達に、お客達は驚きで声も出ないのか、それとも恥ずかしいのか静かな酒である。その静まり返ったお店の中に、お鈴の弾く三味線は、弾むように響いていた。なんとも、可笑しなことになっていた。

「お鈴さんが、あやつらに三味線弾くとはねえ〜」と、覗くように見るお客もいる。

「いらっしゃ〜あい。こちらへどうぞ」

「ああ〜 女将は?」綱嘉は、メンドーサ達の隣の席に手を招く女給に、さり気なく聞いた。

「呼びましょうか? 待ってて」 頷くと、綱嘉は、席に着いた。

綱嘉を横目に、軽く会釈をしたお鈴は、表情も変えずに三味を弾く。南蛮人達乗組員は、酌み交わす酒と、お鈴の三味線の音に、すっかり酔い知れていた。

「綱さん、いらっしゃい。忙しそうね。ちっとも顔を見せないんですもの・・・」

 お初は、遠慮なく綱嘉の隣に掛けた。いつもながら繁盛している店の中を、見回した。

「わしより、柘榴の方が忙しいじゃないか? あれが、あの停泊している?」

 メンドーサ達に目をやった。

「三味線が、お気に入りのようよ」

「三味の音がのお〜 お鈴さんの弾く三味線は、格別じゃからなあ〜 無理もない」

「あら、綱さんまで、聞き惚れちゃってさ・・・溜め息なんかついて、何なの?」

お初は、むっとした顔を見せた。

 酒が、運ばれて来る。

「お雅ちゃん、有難う。後はあたしが」

「はい、ここへ置いときますね」

 女給のお雅は、意味ありげに綱嘉に微笑んだ。が、綱嘉は、表情を変えようとはしなかった。それどころか、そっぽを向く綱嘉である。お雅は、会釈をすると、厨房の方へと歩いて行った。

 お初は、徳利を手に酒を薦める。杯に溢れんばかりに酒が注がれ、一気に飲み干す綱嘉である。

お初は、綱嘉から遠慮なく杯を受け取ると、注がれる酒に手を添えて酒を受ける。

飲み交わすその酒は、他のお客達には、勝手知る手慣れた夫婦のやり取りのように見えていた。二人の間には、入り込む隙さえ無いように思えた。

メンドーサ達の居るのもあってか、お客達の酒は、今夜はやけに静かで、お鈴の三味線の音に耳を傾けた、おとなしい酒であった。

 お客の出入りも激しく、夜は次第に更けていく。綱嘉やメンドーサ達は、すっかり出来上がっていた。店に入るお客は、珍客に目をやり、恐る恐ると席に着く。気にもせずに、メンドーサ達は酒を飲む。それどころか、隣の席でひとり酒を飲む綱嘉を、手招きをして自分達の席へと誘った。

綱嘉は、軽く頷き、徳利を手にメンドーサ達の席に着く。笑顔を見せる綱嘉に、笑顔で応じるメンドーサ達である。

「そうかい、ポルトギースかい・・・まあ〜 遠いとこから、御苦労じゃのお〜 さあ〜 飲みねえ〜 飲んで、垢でも落とせや」

 綱嘉は、しわの顔からソンブレロの帽子の奥に、白髪頭を連想していた。メンドーサから、カルロスへと酒を注ぐ。ハンサムで肩幅の張った左利きのカルロスは、杯に右手を添えて綱嘉の酒を受けた。覚えたばかりの見よう見真似の、カルロスである。

「綱さん、綱さんも、おひとつ」

 お鈴は、三味線弾く手を止めて、徳利を綱嘉の前に差し出す。徳利を置き、杯を手に、お鈴の酒を受ける綱嘉である。

「異人さん達と飲む酒も又、美味いのお〜 お鈴さんもどうじゃい?」

「いえ、私は」差し出された杯に、右手を前に制止して、首を横に振り断るお鈴である。

「そうかい?」と、杯を置く。 

 三味線の調弦を済ませたお鈴は、しっとりとした歌声で、又歌いだす。

「つなさん、つなさんは、何をしているのかい?」と、メンドーサ。

「わし、わしかい?」

「シィ」と言って、フォークとナイフを使って、肉を切る仕草をする。次に、ボートを漕ぐ仕草に、「何かいのお〜」と、綱嘉は首を傾げる。身振り手振りが加わった質問に、身振り手振りで応じる綱嘉であるが、なかなか通じるものではなかった。

「わしは、太刀を作ったり、釘や蹄鉄や船に使う金具を作ったりしておる。解るかい? 皆」

「シィ、鍛冶屋さんね」と、メンドーサ。

「そうかい、シィッ、かい。なあ、アルベート」

「アルベルト」と、名前を直してあげるアルベルトに、「アルベルトね、アルベルト、あんたら未だ若いようじゃけど、奥さんはいるんかい? 奥さん」綱嘉は、両手を頭に、女の身形をする。

「何・・・お鈴さん? ああ〜 お鈴さんに惚れちまったのかい? 無理もないわなあ〜 わしだって、良いと思うとる」

 三味弾くお鈴を指して、にっこり微笑むアルベルトに、<成程> と頷く綱嘉である。船乗りとは思えない、女性を思わせるほっそりとした手に、痩せ形のアルベルトは、徳利を手にして、綱嘉に酒を薦める。

アルベルトも又、カルロスと同じように顔立ちも整い、ハンサムであった。

隣に座る、肩幅の張った筋肉質の、ヘラクレスへとお酌をする。一気に飲み干し、「ふ〜っ」と、息を吐くヘラクレスに、綱嘉は、「ヘラクレス、おまえさんも、すっかり、お鈴さんが、気に入ったようじゃのお〜 しかしのお〜 南蛮には、連れては帰れないぜ」

「あら、綱さん、好きな人となら、何処へだって行くわよ。南蛮だって、竺土へだって」綱嘉の言葉に、三味線弾く手を止める事も無く、応えた。

「そんなもんかいのお〜」「そんなもんよ。ねえ〜 船長さん?」お鈴は、又歌いだした。

 綱嘉は、メンドーサ達と意気投合して、時の経つのも忘れて飲み明かした。

泊浦に停泊している貿易船は、ゆっくりと灯りを揺らす。静かに夜は、過ぎていった。

 夕日を見ていた喜三郎は、振り向いた。「奄美大島から、薩摩の船が入港したのは、あれは確か、閑かな晴れた日じゃった」喜三郎は、話し出した。

 瀬戸上織部は、船上にあって荷揚げを見守っていた。馬が丸太で作られた型枠の中に押入られて、動かないように縄で固定される。奄美で育った野性馬である。嫌がる馬を、無理遣り押し込めに掛かる荷役人夫達と乗組員達である。固定された馬は、首を振って抵抗するが、成す術もない。馬にとっては、戦場であった。観念した馬は、おとなしくなっていく。固定された馬が、横付けされている小船に、ゆっくりと移される。

薩摩船からのロープがピーンと張り、馬の重さを思わせる。二頭ずつが、それぞれの小船に振り分けられて、積み込まれていく。

「船長、御苦労であった」

 織部は、薩摩船の船長に、労いの言葉を掛ける。織部の隣で、荷揚げ作業を見守る船長は、軽く頷いて、「なあ〜に、運ぶのはわけないのですが・・・なにせ、生き物ですからねえ〜」と、溜め息をつく。

「左様か・・・飼育する方が難しいのか?」

「そういうことです。口に合わないのか、水も飲まなくなりますよ。織部様」

「うむ〜 そうとも知らず・・・我らは、恥ずかしいことよのお〜」

 積み込まれていく馬に目をやった。二頭の馬を乗せた小船は、桟橋に向けて薩摩船から離れて行く。最後の馬が、小船に積み込まれた。

「確かに、六頭。受け取ったぞ」

最後の馬の積込みを確認した織部は、船長から書類を受け取り、乗組員から渡された墨の付けてある筆で、自分の名前を書き込んだ。

「船長、次の航海は?」

 書類を読むこともなく、名前を書き込んだ織部は、船長に返して、乗組員の差し出す手に、筆を返した。

「次ぎなる航海は、明国へとなっておりまして、飲料水と食料の積込みが済みしだい、出帆しなければなりません」

「なんと、忙しいことよのお〜 船長、奄美大島近海では、不審船に遇わなんだか?」

「不審船ですと? いえ、別にそのような船には・・・何か?」

「いや、良いんじゃ。それじゃ、航海の安全を祈っておるぞ」

「織部様も、御武運を・・・」

 織部は、船長に挨拶を済ませると、横付けしている小船に乗り込んだ。織部の乗った小船は、馬の積み込まれた小船の後を追うように進む。

小船は、隊列を作りゆっくりと、陸揚げの行なわれる桟橋へと、近づいて行く。

 馬を積んだ最初の小船が、桟橋の近くで、ゆっくりと船首の向きを変える。桟橋では荷揚げ準備の終った荷役人夫達が、小船を見守っている。その人夫達に混じって、喜三郎と公平達の姿もあった。小船から縄が投げられ、桟橋に横付けになった。それを見た人夫頭の伝蔵は、人夫達に手を振って、「よしっ、かかれっ!」と、合図をする。頭の合図に、人夫達は、半数が小船に乗り込み、馬を取り囲む。「いくぞ!」と言って、担ぎ出した。桟橋で待っている人夫達に渡されて、馬は陸揚げされる。

 次々に小船が横付けされ、馬は、ゆっくりと一頭ずつ陸揚げされて行く。陸揚げの済んだ小船からは、手の空いた人夫達が手助けの為に、傾れ込むように桟橋に上陸していく。

 織部は、桟橋に上陸すると、喜三郎達の所に歩いて行った。

近付いて来る織部に気付いて、「織部様、御苦労に存じます」と、喜三郎と公平達は、深々と頭を下げた。

「どうじゃ、公平、今度の馬は?」

「ははっ! 良き馬に御座いますねえ〜 野性馬独特の、力強さを感じます。それに、丈夫で、早そうに御座いますねえ〜」

「喜三郎、そなたはどうじゃ?」「へい、良い馬でやすねえ〜」

「左様か、種馬には、どうじゃ?」「へい、それはもう、申し分御座いませんだよ。が・・・」

「何が、がじゃ、う〜ん、喜三郎」「へい、種馬にするには、もうちょいと様子を見ないことにゃあ〜 良い馬でやすが」

「そんなものかい?」「へい」

「織部様、我らにお任せ下さい。きっと、御期待に添えられるでしょう」

「案じては、おらぬがのお〜 公平、喜三郎よ、頼んだぞ」「ははっ!」

 馬の陸揚げは、何事もなく終了した。人夫達の話し声が、やけに騒がしく聞こえる。

「織部の旦那、すげえ、馬でやんすねえ」丸々太って、頑丈な馬だと感心して眺める伝蔵に、胸を張る織部である。

「なんせ、野性馬ぞ」「奄美のでやんしょ」

「野郎ども! 解けい!」伝蔵は、人夫達に向かって叫んだ。「へい!」

型枠の中に繋がれた馬が、解かれて行く。

 公平の後ろに控えていた馬丁達が、急いで縄の解かれた馬に近付く。

 馬丁達に因って馬には、手綱が付けられ、準備してあった杭に繋がれていく。

「旦那、あっしらは、この辺で・・・確かに六頭、お渡ししやしたぜ」

「おおっ、伝蔵、御苦労であった」「へい」伝蔵は、織部達に深々と頭を下げると、人夫達の集まっている所へと歩いて行った。

 次の荷役が、待っているのであろう。伝蔵は、荷役人夫達に、何かを言うと、揃って小船に乗り込んだ。

 公平の所で働いている三人の馬丁は、杭に繋がれた陸揚げされたばかりの馬の手綱を解いて、自分達の馬の所まで、引いて行く。

公平は、目で追っていた。

「織部様、我らも・・・これにて」と、公平は、織部に会釈をする。

「うっん、御苦労じゃのお〜 荒馬のようじゃ、無事に届けてくれよ」

「ははっ! 心得ております。喜三郎、それじゃ行くか?」

「へい、お願いしやす」と、公平に軽く会釈をすると、「織部様、そいじゃ」と言って、深々と頭を下げる喜三郎であった。

 二人は、織部を残して、馬丁達の待つ馬の所まで並んで歩いた。

杭に括られた自分の馬の手綱を解いた喜三郎は、馬に跨がった。公平も同じように馬に跨がると、馬丁達に、「行くぞ」と、手を上げて合図をする。その合図に馬丁達は、六頭の馬をゆっくりと走らせる。手に持つ二頭ずつの手綱が、織部には重そうに見える。

「慌てるな。興奮させないように行け」と、公平は、馬丁達に声をかけると、馬をゆっくりと移動させて先頭に立った。

一列に隊列を作り、ゆっくりと走らせる。喜三郎は、隊列の後方につき、野性馬を見守る。喜三郎の馬舎まで、土埃を発て乍ら、皆は通行人達に注意しつつ進んで行った。

「無事に野生馬を、運び終えて、息つく暇もなかった。その頃、他愛も無い、いざこざが起こった。 いやあ〜 それゃあ、笑えるほどの、たわ言じゃったよ」喜三郎は、微笑んだ。 喜三郎は、笑顔で話し出した。

今日もまた、泊浦に貿易船の灯りが揺れる頃、居酒屋の並ぶ通りにも灯が燈り始める。その灯りを目印に、酒好きのお客達は、遠慮なく暖簾を潜った。女給達は、馴染みのお客の注文は、すっかり覚えたのであろうか?「いらっしゃ〜あい」との、お客を迎える明るい声に、気を良くするお客に頷くと、注文を聞く事もせず酒と肴を運んで行く。どこのお店も、溢れんばかりのお客であった。

『柘榴』も例外ではなく、お店の灯篭は明々と燃えて、じっとお客を迎え入れる。

女将お初は、襷掛けをして、いつになく忙しく仕切っていた。カルロス達を囲んで、住人達は大騒ぎである。正に、大宴会であった。

「ヘラクレス、おめえ〜 強えのお〜 おいらも強えが、おめえはよお、もっと強え〜 ういっ、さあ、飲みねえ」

 源蔵は、徳利を手に無造作に差し出す。

ヘラクレスは、苦笑いを見せて杯に酒を受けた。酒の溢れるのを見た源蔵は、「おっ、いけねぇ〜 いけねぇ〜、零しちまったぜ」と、申し分けなさそうに、徳利を引っ込める。

ヘラクレスは、零れないようにとゆっくりと酒を飲み干し、「ふ〜っ」と、息を吐く。船乗り同士の酒飲みは、知らぬ者同士とはいえ、同じ海と云う故郷を持つような懐かしい酒である。荒海を渡ったと云う仲間意識が、楽しい酒にさせていた。

「ゲンゾー、薩摩の女は強いな」と、近くの綱嘉達の席に座り、三味線の調弦をしだしたお鈴を見たヘラクレスは、お鈴の方に首を振って源蔵に示す。

「薩摩の女?」と、お鈴を見て、「ああ〜 都の女・・・分かるかい? 都の女よ」

「都?」と、ヘラクレスは、首を傾げる。

「ヘラクレス、おめえ〜 お鈴さんに張り倒されたんだってなあ〜 一体何をやらかしたんだい? おめえ〜」と、ヘラクレスをまじまじと眺める。恥ずかしそうに俯くヘラクレスに、源蔵は腹を抱えて笑った。

 店に響く大きな笑い声に、お鈴は源蔵に視線を向ける。ヘラクレスも、同じ宴席を囲むジョルジやペドロそしてカストール達も、呆れた顔で源蔵を眺める。

 柘榴の暖簾を潜ったヘラクレス達は例の如く、お鈴の弾く三味の音と、交わす酒に酔い痴れていた。

お鈴を気に入っているのは、ヘラクレスだけでないのは、皆の知るところではあったが、飲めや歌えで調子に乗ったヘラクレスは、隣に座り三味線を弾くお鈴を、いきなり抱き寄せて、お鈴の頬に口づけをしてしまった。

思いもしなかった突然の口づけに、戸惑いと驚きと怒りの為に、ヘラクレスを払い除けて立ち上がったお鈴は、「何をするの!」と、大声で叫んで、腕っ節の強いヘラクレスの頭を、平手で張り倒してしまった。

 南蛮の挨拶が、口づけだと知ったお鈴は、「気をつけてよ。好きな人にも、まだなんだから」と、誤解が解けてもヘラクレスの席には、あれ以来近づこうとはしなかった。

「そりゃあ〜 おめえ〜 お鈴だって怒るわさ。じわりと攻めにゃあな〜 じわりと」

「じゃわりと?」と、ヘラクレスは、源蔵の顔を、首を傾げるように見詰める。

「そうよ。なっ、喜平治」「そうさ、ヘラクレス。あの手の女はの、腫れ物に触るように、じわりとさ」

「じわりと?」

 隣に座るジョルジに、<じわりと> とは何なのか聞く、ヘラクレスであった。

綱嘉達の席も、お鈴を囲んで楽しい酒であった。お鈴の声は、綱嘉達を黙らせる程の透き通った声である。話し声を出すのは、申し訳ないように思われる。静かに飲んだ。

お鈴の歌が終ったのを見て、隣に掛けているカルロスは綱嘉に、「今、どんな物を作っているのか?」と、仕事のことを聞いた。

太刀を作っていると答える綱嘉に、「凄い物を作るもんだ」と、カルロス達は感心する。

「なあ〜に、刀工と云っても、船の金具や馬の蹄鉄も作るんや。大したことは、ない。人斬り包丁なんぞに、感心するんじゃねえ〜」綱嘉は、不機嫌な顔で言い放った。

 調弦を済ませたお鈴の歌が、始まった。

静かな場を、盛り上げようとして、お鈴の声が弾む。綱嘉の顔色を伺い、弦を弾く。

「つなさん」と言って、カルロスは、徳利持つ手を綱嘉の前に差し出した。綱嘉は、軽く頷いて酒を受ける。

「つなさん、それじゃあ〜 こういうのは、作れないのか?」

カルロスは、隣に座るアルベルトをちらりと横目に、左手で短銃の仕草をして見せる。

「ああ〜 短銃かい・・・作れないことはないが・・・作ったことがないからのお〜」

 カルロスは、「設計図がある」と、両手を広げて、何かを書く仕草をした。

「図面があるのかい? ならば、簡単じゃ」頷く綱嘉に、今度その図面を持って来るから、作ってくれと頼む。

「作ってみたい代物よのお〜 分かった。太刀を済ませたら、早速取り掛かろう。で、何時持って来るのかい?」

 近々ということで、綱嘉は納得する。

「あら、綱さん。私にも、何か作ってよ」

小耳に挟んだお鈴は、三味線弾く手を止める事無く話に入った。

「わしに、何を作れと言うんじゃ? お鈴さんよ。かんざしなんぞ、作っちゃおらんぞ」

「短刀」

「何? 短刀じゃと?」と、思いもしないお鈴の言葉に綱嘉は、笑みを浮かべた。

「・・・小太刀をのお〜」

「そうよ、綱さんの作った短刀なら、自分を守れそうですもの。どこの誰だか知らない人の作った物は、持てやしないわ」

「成程のお〜」

「作ってくれるでしょ?」

「女の持つ物じゃあ〜 ないぞ。三味線を持っているお鈴さんは、女らしいがのお〜」

 綱嘉は溜め息をつくと、アルベルトの注いでくれた酒を、一気に飲み干した。

 それでも、作ってくれと迫るお鈴に、首を縦に振らない綱嘉であった。

 居酒屋『柘榴』は、いつものように賑やかにお客達を巻き込んで、深い夜を迎えて行った。それは、深い深い海の底に、ゆっくりと沈んで行く船のように思えた。

 

 

 

泊浦に、いつもの朝が来るのは早かった。 南蛮船の入港するは、初めてではなかったが、不気味な姿で停泊している南蛮船に、いつしか違和感なく眺めることが出来るようになった坊津の住人達は、南蛮人達との交流にもすっかり慣れていた。

「そんな時じゃったな。異様な服を来た、一人の男が現われおったのは」喜三郎は、落ち行く夕日を見詰めながら言った。

 その頃、伊留満(いるまん)ルイス・デ・アルメイダ達は、豊後の大友氏に手厚く保護されていた。メンドーサの船が、泊浦に停泊しているのを知った伴天連(ばてれん)コスメ・デ・トルレスは、孤立していた薩摩の信徒の薫育とメンドーサへの所用の為に、アルメイダを薩摩に派遣した。アルメイダが、初めて薩摩の土を踏んだのは、1546年天分15年のことであったが、再び陸路を薩摩に向かった。数えること三度目の来薩であったアルメイダは、途中ザビエル以来縁故のある薩摩の市来城を訪ねた。熱心な信仰者であった市来城主の奥方の熱い願望により、その子息二人に洗礼を授けた。その後、15人いた信徒達との再会を済ませ、市来より陸路を薩摩鹿児島城下へと向かった。

御城下に着いたアルメイダは、城主にお目通りを願い、トルレスより託された書簡を持って島津貴久に会った。貴久の接待は、アルメイダにとっては、それは冷ややかなものであった。泊浦に停泊しているメンドーサの船を訪ねるのを知った貴久は、坊の浦へと向かう臨検を主たる目的とする薩摩船剣丸を紹介し、竺土(インド)総監宛の書簡を託した。

アルメイダは剣丸に乗船し、坊の浦へと向かった。昼過ぎであった。剣丸は、坊の浦に近づいていた。

「帆を降ろせ〜い!」

 剣丸の全帆が一斉に降ろされて、整然とした姿で停泊している貿易船を避けながら、惰力に因ってゆっくりと進んで行く。

坊の浦が、目の前に大きく広がって来る。錨が打たれた。剣丸は、貿易船とは違って、何か胡散臭さを思わせる。銅鑼の音を鳴らすこともなく、静かな入港であった。

船長が船長室に戻り、手の休まる頃合を見てアルメイダは、部屋をノックした。

愛想良く部屋に通されて、椅子に掛ける。

アルメイダは、船長を前に、「無事に辿り着けたのは、神の御加護があればこそだ」と、顔の辺りに十字を切り、胸に手を合わす。

船長は、眉間に眉を寄せて、不機嫌な顔を見せた。それにも係わらずアルメイダは、迷惑も顧みず聖書を開き、説教するのであった。意味の解らぬまま、じっと聞き入る船長である。長い時間に感じられる。船長は、溜め息をついた。やっと、説教が終った。

アルメイダは立ち上がると、船長にお礼を言って、深々と頭を下げた。

乗組員に案内されて、船長室を出たアルメイダは、用意してあった通船に乗り込んだ。

 坊の浦の桟橋に着いたアルメイダは怪訝そうな顔で、足の先から頭の天辺まで眺める番役を後に、ひとり番所を通り抜けて、唐船奉行に会うべく奉行所に向かった。

 貴久に貰った通行書に感謝しつつ、繁華な通りを歩く。人の視線を一手に受けるアルメイダであったが、構わず歩いた。

奉行所の門を潜ったアルメイダは、役人に案内されて唐船奉行の部屋に入って行った。

「アルメイダとやら、慣れぬ船旅は、大変であったろう。カピタン(船長)・メンドーサの船は、泊浦に停泊致しておる。織部が所用がある故、船に便乗すれば良かろう」

事の仔細を知った唐船奉行平田宗源は、安心するようにとの意味を込めて、軽く頷く。

「忝く存じます」と、平田宗源を正面に正座をしたアルメイダは、笑顔を見せる宗源に、深く頭を下げた。

 <剣丸でのお〜 最近、南蛮船を避けている殿の紹介とは・・・一体どう云うことであろうか? 何かありそうじゃのお〜>

腑に落ちない宗源であったが、<竺土総監宛の書簡のこともあるし、この者達を手厚く保護するしかあるまい> 腕組みをすると、「うっむ〜」と、小さな唸り声をあげながら、深い溜め息をついた。

短い沈黙を破って宗源は、織部を呼んだ。アルメイダに織部を紹介すると、織部に泊浦まで送ってあげるように言った。

アルメイダは、「お願い致します」と言って、軽く頭を下げる。

「織部、事を起こさぬようにの」「ははっ」

 アルメイダの思惑通りに、貴久の名を傘にして、唐船奉行達の守りを得る事が出来た。アルメイダは殊の外、満足であった。笑みさえ浮かべるアルメイダである。

 面談を終えたアルメイダは早速、桟橋に待たせてあった小船に乗り込むと、織部と泊浦へと向かった。帆は風を受けて、大きく膨らむ。凪いだ海を帆走して肌に受ける風は、潮の香りと重なって爽やかである。ごつごつとした岩肌を右手に、泊浦へと帆走して行った。

 紺碧の海に突き刺すように聳え立つ今代鼻を目の前に、右側に泊浦が広がって来る。

小船は、停泊している貿易船を避ける進路を取って、泊浦へと入った。

停泊している貿易船の中に、南蛮船は一際目立って見える。帆を降ろして、ゆっくりと近づく。見張り役の乗組員が、こちらの小船に気付いたようである。眺めている。南蛮船に横付けになった。見張り役の乗組員が、「何か用か?」と、大声で訪ねる。

船長に会いたいとのアルメイダに、「分かった」と、応えた見張り役は、縄梯子を投げた。アルメイダと織部は、縄梯子をよじ登ると、見張り役に案内されて、船長室へと入って行った。

 船長メンドーサは、笑顔で二人を迎える。右手を前に、椅子に掛けるようにと言われた二人は、遠慮なく椅子に掛けた。

スチワートと呼ばれる乗組員が、丸いテーブルの上に置かれたカップに、熱い紅茶をそれぞれに注いで行く。メンドーサは飲むように、と二人に薦めた。紅茶のこおばしい香りが部屋に漂い、緊張した雰囲気が皆の口を噤ませる。織部は、一口飲み干すと、メンドーサに何時切り出そうかと考えた。

 アルメイダは沈黙を破って、織部よりも先に口火を切った。「カピタン、如何ですか? この坊津は」

「他国とは違い、面白いんじゃないのかな」「面白い? そうですか・・・」

「旅の疲れもあろうが、上陸してみれば解るであろう。ただ、神社仏閣の多さには、恐らく驚くでしょうな。ここで、信者を得るのは、難しいでしょうね」

「司教も、薩摩に於いては、熱心な信者を得るのは、難しいと仰ってましたが、矢張りそうでしたか。薩摩の国王にも、お会いしましたが、歓迎されてはいないように思われました・・・素っ気なくあしらわれました」

「そうでしょうね。しかし、住民の多くは、我々には頗る友好的で、乗組員達は感謝しているようですよ」

「そうですか。ここに国王より預かった物が・・・」アルメイダは、島津貴久より託された竺土(インド)総監宛の書簡を差し出した。

 メンドーサは、書簡を受け取ると、「分かった」と、軽く頷く。

「何れ総監には、会うことになろうが、その時に・・・お渡ししよう」

 アルメイダは、紅茶を一口ゆっくりと啜ると、トルレスよりの伝言を伝え、また紅茶を啜った。織部は紅茶を味わいながら、訳の解らぬまま黙って聞いている。

メンドーサは、この船にゆっくり宿泊して、託された事務手続きは、のんびりと行なうようにと告げた。

その言葉に、「有難う。そのようにさせて頂きます」と、坊津に興味を抱いたアルメイダは、メンドーサの誘いを受けて、暫く滞在することにしたのであった。主なる話は、ひと先ず済んだと見たメンドーサは、深く溜め息をつくと、「トルレス神父は、お元気の御様子。先ずは安心致した」と言って、立ち上がった。ゆっくりと、ベッドの近くにある机の方に歩いて行き、貴久より託された竺土総監宛の書簡を、机の中に仕舞った。

机の上に置いてあったウイスキーのボトルを手にして、元のテーブルへと戻って来る。グラスにウイスキーを注ぐと、退屈そうにしている織部に薦めるメンドーサである。織部は、軽く会釈をすると、注がれたウイスキーを一気に飲み干した。

苦い酒である。織部は、あまりの強さに「うっ!」と、唸ると、深く息を吐いた。

その調子抜けした様子に、メンドーサとアルメイダは、笑った。織部も、自分の間の抜けた態度に思わず笑っていた。

「薩摩武士も笑うのか?」と、何時も眉間にしわを寄せている織部や久保忠元達を思い出すと、メンドーサは、また、吹き出していた。

 唐船奉行平田宗源の伝言を伝える機会を逃したまま、織部は照れ笑いをする。

アルメイダは、カピタン(船長)の言う通り <友好的だな>と、二人の態度に微笑ましく思った。

船長メンドーサの誘いを受けて、織部とアルメイダは、食事を共にすることになった。少し早い、豪華な夕食である。

丸いテーブルの上には、見たこともない料理が織部を驚かせる。フォークとナイフを使った食事は、初めてであった。

次々に運ばれて来る料理に、織部は目を丸くして舌鼓を打った。変わった味に、世界の広さを知り、楽しそうに良く喋る船長とアルメイダに、首を傾げる織部である。話の意味も解らずに、決して楽しいとは云えない、堅苦しい食事であった。フォークとナイフの使い方に慣れた頃、食事は何時しか終わった。

 泊浦に暮れゆく夕日が、波間に揺れる。静かな湾に停泊している貿易船を、真っ赤な夕日が包み込む。燃えるような海に、不気味な静けさを作り出していた。その貿易船から、待ち兼ねたかのように小船が、幾つもの航跡を引いて、桟橋目掛けて競い急ぐ。

南蛮船のボートも、その例外ではなかった。目的は、お鈴のいる居酒屋『柘榴』である。織部は、食事のお礼を言うと、乗組員達とボートに乗り込んだ。ボートは、ゆっくりと船から離れ、桟橋へと船首を向ける。船長室では、船長を前にアルメイダが、豊後での生活に話の花を咲かせていた。大友氏の彼らに対する寛大過ぎる待遇に、メンドーサは頷き、大きく息を吸うと深い溜め息をつく。

「薩摩国王が、もっと理解してくれれば宜しいのですが・・・」

 薩摩船への便乗を許されたとは云え、御城下で受けた冷淡な態度に、アルメイダは不満であった。

「先程も聞いたでしょう。火縄銃の横流しに我らが、係わっていると疑われている。他国に、銃が渡ってしまえば、この国の存続も危なくなるとのことであろうが・・・そんな心配は、無用だよ」船長メンドーサは、織部から聞いた唐船奉行からの伝言を思い出していた。

「有り得ないとでも?」アルメイダは、疑いの目でメンドーサを見た。異様な雰囲気である。

 その様子にメンドーサは、戸惑った声で、「おい、おい、そんなことをする筈がない。考えてもみたまえ、銃など渡せば、こっちの身が危なくなる。歓迎されているのならともかく、この国では・・・・・」

「そうですね。奉行平田に協力し、潔白を証明される方が宜しいでしょう」

「その積もりですが、我らに、一体何が出来ましょうか? じっと、停泊しているしかないでしょう? 今、下手に動けば、次に入港する船に、何らかの影響があるでしょうね」「入港できないとでも?」

「恐らく、そう云うことになるでしょうね。東に、西に、北へ、あるいは南へと、自由なる動きが出来る、一番良い位置にあるこの地を、失うのは惜しい」

「成程・・・・・薩摩国王次第だとは思いますが、しかし、何れこの地を、諦めなければ、ならなくなるでしょう」

「そうは、思いたくない・・・・・我らの目的は、銃を持ち込んで争いなどを起こすことではないのです。通商貿易を如何に行なうかにあるのですよ。その方が、両国にとっても有用なことなのです。他国にとってもそうです。インドに於いては、胡椒の輸入に因って、我が国に莫大な利益を与えた。インドも同様に膨大な利益を得ました。お互いの利益の為には、友好通商は必要なことですよ」

「そうでしょうが・・・強制しても、この国は従うことはしないでしょう」

「我が思いのままに、従わせようなどとは、少しも思ってはいません。話せば、分かってもらえるとは思いますが。駄目なら、他の国へ足を向くだけですよ」と言って、苦笑いを見せたメンドーサは、アルメイダに微笑んだ。アルメイダは、軽く頷くだけであった。

 織部の乗ったボートが、桟橋にゆっくりと近付いて行く。漕いでいた全員のオールが、掛け声と共に一斉に中央に立てられた。

ボートは惰力に因って近づき、桟橋に横付けになった。

 上陸した織部は、乗組員達に、「忝い。世話になった」と言って、軽く頭を下げると、唐船奉行平田宗源に報告すべく、足早に奉行所へと向かった。

「あのお方は、何時も忙しく動いているじゃないか? のんびりと行けないのか? のんびりと・・・ボートの上では、黙ったままであったが・・・・・」

 一緒のボートに乗っていたカルロスは、織部の後ろ姿に呟いた。カルロス達には、無口な働き蜂のように思えた。

ボートでは、乗組員全員の上陸を確認した漕ぎ手の一人が立ち上がると、オールで桟橋を押してボートを離す。ボートは大きく揺れて、その船首は南蛮船に向いて行く。

「それじゃ」と、アルベルトがボートの漕ぎ手達に、右手を上げて合図をすると、立てられていたオールが一斉に海面に降ろされた。オールは、海を蹴るようにして、力強く漕がれる。ボートは、次第にスピードを増し、桟橋から離れて行く。

 見送ることもせずにカルロス達五人は、お鈴の待つ柘榴へと歩き出した。桟橋近くの、睨みを利かす番所の門を潜ると、通い慣れた道程が続く。居酒屋の並ぶ繁華な通り迄は、直ぐであった。三味線の音は、何時しかカルロス達にとっては、母の歌ってくれた子守歌のように聞こえて来る。

「いらっしゃあ〜い。あら、さあさあっ、こちらへどうぞ」

 聞き慣れた何時もの明るい女給の声に、迎えられる。少し年増の、古参の女給である。カルロス達は、女給に軽く頷くと、案内されるまま空いている席に着いた。

「何になさいますか?」の質問に、間を置いて考える乗組員達に、「何時ものね」と、勝手に決めた女給は、さっさと厨房へと消えて行った。

女給達の迎える声と共に、空いていた席が埋まって行く。今夜も又、大繁盛のようである。店の中を見回したカルロスは、片隅の席で一人酒を飲んでいる坊主の姿に興味を覚えた。ぼさぼさ髪の、見たこともない坊主である。<あの男は、一体何者であろうか? いやいや、サキだ、サキ。人のことはどうでも良い。飲むに超したことはない> 机の上に、置かれて行く酒に目をやった。酒と酒の肴が机の上に置かれ、カルロス達は、徳利片手に酒を注ぎ交わす。

「バスコ、例のあれは?」

「ああ〜 ちゃあんと、ここに・・・カルロス心配すんな、しっかりと持っているぜ」

 丸顔で髭面の少し太っちょのバスコは、胸元を右手で撫でると、竹筒のような物を出して見せた。

覗き込むように確認して、「うんっ、盗まれるんじゃないぞ」と、カルロス。「分かっているよ・・・」

懐に仕舞ったバスコは、アルベルトから徳利を目の前に差し出されて、慌てて杯を手にする。杯持つ手も、慣れたものである。酒は、溢れんばかりに注がれた。バスコは、店の中を見回して、「お鈴さんの顔が、見えないようだが? ・・・・・いけねえ、いけねえ。零しちまったよ」と、服に落ちた酒を手で拭いた。

「おい、バスコ。お前さっきから、何か変だぞ。どうも、様子が可笑しい」

 落ち着きのないバスコを見て、アルベルトは、「バスコ、お鈴さんを連れて帰る積もりかい? 奥さんに、何と言い訳するんだ? お前、張り倒されるぞ」と、揶揄う。

 何も言えずに、注がれた酒を飲み干すバスコである。

 その頃、噂のお鈴は、二階の部屋で喜三郎にお酌をしていた。いつものように、馬の餌を金城公平の許へ届けた喜三郎は、お鈴を尋ねた。暖簾を掛ける前だった為に、特別に二階の部屋で、二人きりの晩酌となっていた。

「店も、騒がしくなったようだなあ〜 お鈴さん。一階へ、顔を出した方が、良さそうだよ。おいらのことは、気にしなくて良いからさ。お鈴さんを、独り占めする訳にもいくめえ・・・」

「何を言ってるの? ささっ、喜三郎さん、飲んだ、飲んだ」徳利を手に、酒を薦めるお鈴である。

「あっ、有難う」と恐縮して、喜三郎は注がれた酒を、ゆっくりと飲み干した。

「それじゃ」「あら、もう帰るの?」

「いや、おいらも一階へ行くからさ・・・」「仕方がないわね。じゃ、一階で飲み直しましょ・・・そうと決まったら、さっ」

 お鈴は、喜三郎を急せて、空になった徳利やお皿を片付けだした。

「これで良いわ、行きましょ」

 喜三郎を先頭に二人は、階段を下りて行った。お鈴は、厨房へお皿などを直しに、喜三郎は、空いている適当な席を探した。

「おい、喜三郎。ここへ来て飲め」笑顔を見せて手招きするのは、カルロスが気にしている坊主である。

「鎮念さん」「よお〜 喜三郎。暫らくじゃのお〜」

「いつ、こちらに?」「今朝着いた。突っ立ってないで、座れよ」「へい」と、喜三郎は、軽く会釈すると、鎮念の向かいの席に腰掛けた。

「都は、どうでやした?」「都か? 都はのお〜 変わりない」と、鎮念は、素っ気なく応えて、徳利を振って中身を調べる。それは軽く、音など聞こえない。「おいっ! 酒をくれい!」空になった徳利を頭上に上げて、酒を注文した。「肴もなっ!」と、付け加える。「はいよっ」

「変わりがあるのは、ここのようじゃのお〜 喜三郎。頭に、布切れを巻いた南蛮人達を前にして、飲むことになるとはのお〜 鉢巻き絞めた彼奴らの方が、可愛げがあるわさ」見慣れぬ南蛮の船乗り姿には、不機嫌である。鎮念は、船大工達の席に目をやった。

「彼奴らは、競い合って自分の腕を研こうとする。所がじゃ、南蛮ときたら、いや、船乗りときたら、朝から晩まで飲んでいやがる。気にくわねえのお〜」と、鎮念は、履き捨てた。

「鎮念さんよ。あんたのような坊主が、飲んでも良いのかい? えっ? 罰が当るぞ!」隣の席で、鎮念の吐いた悪口を聞いていた船乗りの倫太郎である。

「なあ〜に。仏も、喜んでいるわさ」

「この、出来損ないが! 海に落ちて、頭でも冷やせ! この、馬鹿たれが!」思わず、大きな声で罵声を浴びせた。

「その頭、剃っちまえ!」相棒の、秀次も思わず叫んでいた。

「ほほお〜 坊主に、この髪の毛を剃れとのお〜 上手いことを言うもんよ」

 鎮念は、頭を撫でて言った。

「剃っちまったら、海坊主じゃぞ、秀次」

「そうか、海坊主か」秀次と倫太郎の二人は、腹を抱えて笑った。

 会話を遮るように、酒が喜三郎達の席に運ばれて来た。机の上に置かれて行く。

「海坊主か、それも良かろう」と、<何か起こるのではないだろうか> との、喜三郎の心配を余所に、鎮念は笑われても平気な顔をしている。其れどころか、にっこりと微笑んで、喜三郎に酒を薦める。その態度に、首を傾げる喜三郎であった。

「鎮念さんが、帰って来ると何か起こる。困ったものね」

 酒を置き終えて、お雅は、ゆっくりと喜三郎の隣の椅子に腰掛けた。

「おい、お雅ちゃんよ。着いたばかりの坊主を虐めるでない」

「あら、倫太郎さん達だって、入港したばかりよ。だから、気が荒くなっているのよ。係わり合わない方が良いわよ」

小さな声で話すお雅に、「ご忠告、有難さん」と、お雅のお酌を受ける鎮念である。

「喜三郎さんも、おひとつ。さあどうぞ。お鈴さんは、もう直ぐしたら来ると思うわ」

「おい、喜三郎、いつの間に・・・」

「ちょっと、鎮念さん。勘違いしないで下せえよ。おいら、そんな・・・」

「あはははっ、真っ赤になっていやがる」笑っている鎮念から顔を背けて喜三郎は、お雅が注いでくれた酒を一気に飲み干した。揶揄っている鎮念に、少し腹立たしく思う喜三郎である。

「いらっしゃあ〜い」店に入って来たのは、綱嘉であった。店の中を見回した綱嘉は、喜三郎を見つけると、喜三郎達の席へと近づいて来る。途中、カルロスと目の合った綱嘉は、軽く頷く。

「喜三郎、美女を横に飲んでるんかい? やあ〜 鎮念さん。鎮念さんも・・・長いこと見ないと思ったら、こんなとこで酒浸りとは仏も呆れ返っていますよ」

「おいおい、綱さんよ、酒は薬じゃよ、薬。まあ〜 酒の極意を極めた者でないと、解るまいがのお〜」と、隣の椅子に座った綱嘉に、杯を向けた。酒の香を嗅ぐ鎮念である。

「酒の極意とはまた、屁理屈を・・・剣の極意は、解るが、なあ〜 喜三郎」

「へい、あっしには、ちょいと」喜三郎は、首を傾げる。

「綱さん、難しいことは、よしにして、さあっ、おひとつ」

 お雅から受け取った杯に、酒を受ける綱嘉である。徳利持つ手が、やけに色っぽく感じる。綱嘉は、一気に飲み干すと、杯をお雅に返した。あたし、今から飲んでいたら、酔っ払うわよと言うお雅に、「さあ、一献」と、お構いなく徳利を差し出す綱嘉である。

ゆっくり飲み干したお雅は、「ここにいたら、酔っ払っちゃうわ」と言って、立ち上がると、「それじゃ、御ゆっくりね」と、会釈をして、厨房の方へと消えて行った。

 間もなくしてお鈴は、カルロス達の視線を知らぬ振りしてやり過ごし、酒と酒の肴を持って喜三郎達の席へ現われた。

「綱さん、その後どう?」お鈴は、机の上に酒を置いて、綱嘉の隣に腰掛けた。お鈴の美形に見惚れている鎮念を横目に、「どうって、何が?」と、知らばっくれる。お鈴の聞いているのは、勿論、女将お初との仲である。

「あら・・・そう・・・さっ、おひとつ」徳利を差し出すお鈴に、杯を添える。

お鈴の注いでくれた酒を、一気に飲み干した綱嘉は、お鈴に杯を差し出した。が、「綱さん、こちらのお方は?」と、綱嘉の薦める酒を軽くいなす、お鈴である。

「こちらのお方はな、鎮念殿と仰ってな、そりゃあ〜 まあ〜 酒好きなお方じゃ」と言って、綱嘉は杯を引っ込めた。

「お鈴です。鎮念さん、ささっ」

「いやあ〜 こんなとこで、美人に遇えるとはのお〜 酒だけじゃないぞ、好きなのは」鎮念も又、一気に飲み干した。

「喜三郎さんも、どうぞ」

「明国まで、修業に行った坊主とも思えんのお〜 坊主も、変わったものよな」

 綱嘉は、酒を受けている喜三郎に言った。溜め息をつくと、鎮念を横目に首を傾げた。腕組みをすると、「南蛮人も来るようになったし、変わるのかいのお〜」と言って、カルロス達の席に目をやる。

 カルロス達は、二人の女給を相手に楽しそうに飲んでいる。綱嘉は自分で酒を注ぐと、ゆっくりと飲み干す。ふと、カルロスとの約束が、脳裏を掠めて行った。

「お酒の他に、何がお好きなの?」「そりゃあ〜 色の類に・・・」

「あら、どんな色が、お好き?」

「どんな色とな・・・はて? 海のように、澄んだ青い色かの。それとも、夕日のように燃えるような真っ赤な色かいの・・・」

「いろんな、色がお好きなのね」

「お鈴さんよ。色恋の色じゃよ。鎮念さんが好きなのはさ」「綱さんたら、分かっているわよ」

「分かってるんかい。困ったもんじゃろ? 坊主の身形をしてるが、坊主とも思えん」

「坊主とは思えんか・・・こりゃあ良い」鎮念は、肩を震わせて笑った。

その笑い声は、カルロス達の視線を向けさせる。その視線を感じた綱嘉は、「ちょっと、失礼しますよ」と言って立ち上がると、カルロス達の席へと歩いて行った。

 近づいて来る綱嘉に気付いたカルロスは、「やあ、ツナさん」と、手を上げる。

ここに掛けろと言うカルロスに頷いて、空いている椅子へと腰掛けた。

「ツナさん、例の奴・・・」と言って、カルロスは言葉を止めた。ツナさんと話があるからと、席に着いている二人の女給を追っ払うと、「バスコ、あれを」と、顎をしゃくって合図をした。

バスコは、胸元から竹筒のような物を取り出すと、カルロスに手渡す。

「ツナさん、これが、短銃の」綱嘉は、カルロスから受け取って、中を開けようとした。・・・が、カルロスは、ここで開けては拙いと、仕舞うように言った。

「分かった。後で見よう。それで、何が望みなんじゃ?」

 綱嘉の作る太刀一振りが欲しいとのカルロスの言葉に、「うむ〜」と、唸る。

太刀を作る所を、船長メンドーサが是非見てみたいと言っていることを知った綱嘉は、太刀を一振り作るのを約束し、仕事場に来てくれと伝言を頼んだ。

「綱さん、何を、こそこそやっているの? 私らを、ほっといてさ」

 不自然な綱嘉達のやり取りを見て、近づいて来るお鈴に、待ってましたとばかりに、笑顔を見せるカルロス達である。

「なな、何もやっちゃあ、おらん」

「良いのよ、隠さなくても。例の、あの話でしょ・・・分かっているわよ」

 お鈴は、遠慮なく空いている席に掛けた。困った顔を見せる綱嘉に、「喜三郎さん達もここに呼んでも良い? 一緒に飲みましょうよ・・・ねっ・・・ねっ、カルさん」カルロスは、軽く頷いて笑顔を見せた。

お鈴は、喜三郎達を手で招く。

喜三郎は、手招きの意味を察して、鎮念を誘って椅子から立ち上がった。

「まっ、知らぬ国の御仁達と、一緒に飲むのも良かろう」と、鎮念も承知する。

 腰掛けた鎮念を、お鈴はカルロスに紹介すると、「よろしく。ちんねん」と、手を差し出して握手を求めるカルロスである。バスコや他の乗組員達は、勝手気ままに酒を酌み交わしていたが、自己紹介をした後、喜三郎へそして鎮念へと酒を薦める。

「美味いのお〜 異国の御仁達と飲む酒も、又格別じゃな。所で、ジョルジさんと言ったかいのお、何故に、この坊津に?」

皆の知りたかったことでもある。鎮念は、遠慮することもなく聞いた。

しかし、ジョルジの応えは、なかった。

「そうかい、意味が分からんようじゃの。まあ、良いさ・・・なっ、こうやって、楽しく飲めりゃあ〜 何も言うことはない。喜三郎よ、さささっ、飲め、今夜は、大いに飲み明かそうぞ。ささっ、遠慮するんでない」

「へい」「へいじゃない。屁と、間違うぞ」「へい」「おい、ぐっと行け、ぐっうとな」「そちらの、アルベルトさんに、ペドロさんに、ええ〜 バスコさんも、さささっ」鎮念は、乗組員達にひとりずつ酒を注いで行く。綱嘉達も、酒を酌み交わす。

 三味線の音に乗り、お鈴の歌が始まった。皆は、お鈴の歌に耳を澄ませ、ある時は、一緒に歌い、次第に酒に酔っていく。

酒は、楽しく愉快に進んで行った。

 坊の浦に停泊していた、アルメイダを便乗して来た剣丸は、夜明けを待たずに、何処へとなく出帆して行った。臨検であろう、静かな出帆であった。

 一夜明けた泊浦の繁華な通りも又、坊の浦と同じようにいつもの賑わいを見せていた。南蛮船は、きょうも勇姿を海に揺らす。

ボートで、上陸したアルメイダは、人の往来の前に聖書を開いた。珍しさも手伝って、往来の足を止める。アルメイダは、大衆を前に説教を始めた。「解んねえなあ〜 神ん様が、おいら達を作ったんじゃて? おいらあ、母ちゃんから生まれて来たと、聞いとるが」

腕組みをして聞いていたぼさぼさ髪の漁船乗り風の男が、アルメイダの説教に、首を傾げる。

側の男も、「そうじゃのお〜 おいらもそうさ。母ちゃんから生まれて来たさ」

豊作でありますようにと、神様に手を合わし、大漁でありますようにと手を合わす。神社に出掛けるのは、お祭りの時、お願い事をする時だけと、相場は決まっている。祈りの効き目があるかどうかは別として、神頼みの時だけとは身勝手な住人達ではある。

神様に、我のみの頼みを聞いてもらおうとする都合の良い住人達に、アルメイダの説教など、理解出来る筈がない。そのことを、充分承知しているアルメイダである。アルメイダの周りには、次第に人が群がって行った。右手を前に声を張り上げて、大きな動作で群衆を圧倒する。その群衆に向かって、説教をするアルメイダに久保忠元は、困った顔を見せていた。

「何とかならんのか? あの男は・・・・・事を起こすでないと言われているしのお〜 織部よ、彼奴らを追っ払えないか?」

「刀を抜く訳にもいきますまい。困ったもんですねえ〜 忠元様」

「うむ〜」と、忠元は、唸った。

 二人は、遠くから黙って見ているしかなかった。火縄銃を横流ししている武器商人の行方を、追っている二人には、彼らに係わり合っている暇などない。織部は、アルメイダの許へと歩いて行った。

「アルメイダ、こんな繁華な通りでやってはならぬ。皆が迷惑するではないか。余所でやるように。余所でな」

 織部は、忠元に言われた通りに告げた。

「これは、織部殿。失礼致しました」アルメイダは、素直に頭を下げた。

「分かれば良い。分かれば。余所でやってくれよ、余所で」 

「神も、それをお望みでしょう」

<ちっ、何が神じゃ。神様がいたら、皆は思いのままに、生きているわい>「さっさと、行ってくれい」

「承知致しました」と、又頭を下げた。武士の前では、下手に出た方が得だと心得ているアルメイダである。群衆が散ったのを確認した織部は、忠元の所へと歩いて行った。

「あのお〜 御仁」「御仁? あなたは?」

「へい、あっしは、名乗る程の者んでも御座いませんが・・・貞次と申します」

「アルメイダと言います。私に何か?」

「あなたの説教を聞いて、成程と思います。もう少し、お聞きしたいと・・・それで」

「それで?」

「空き家が、御座いまして・・・御自由に、お使い下さればと」

「ほう〜 家を、紹介して下されるのか?」「お使い下さい」

「分かりました。使わせてもらいますよ」

「そうですか。良かった。それじゃ、案内致します。さっ、こちらへ」

 アルメイダ達は、男に案内されるまま、空き家の方へと歩いて行った。

「あ奴、分かってくれたようじゃのお〜」

「それにしても、彼奴、アルメイダと言いましたが、仏閣を前に説教なんぞやらかすとは、何と言ったら良いんでしょうや・・・・・呆れ返りますよ」

その頃、綱嘉は、カルロスから手に入れた短銃の設計図を前に、睨んでいた。どのようにして作ったら良いのか、考えを巡らせた。

「これならいける。よし、やってみようぞ。誰か、誰かおらぬか!」綱嘉は、大きな声で叫んだ。

「師匠、お呼びで御座いますか?」

「いつものように、準備しておいてくれ。それから、火薬を頼んだぞ」

「火薬で御座いますか? 何故、火薬なんぞ必要なんで?」

「言われた通り、黙ってやってくれ」「はい、分かりました、早速」

 奉行の太刀を済ませた綱嘉は、短銃の製造に取り掛かった。先ずは、短銃の主な部品の型枠を、作らなければならない。型枠作りから始まった。図面の全ては、頭の中に叩き込んだ。何を作っているのか不思議がる弟子達を前に、綱嘉は、黙々と働いた。

どろどろに溶けた真っ赤な鉄が、出来上がったばかりの型枠の中に流し込まれて行く。作業は、誰の目にも順調よく進んでいるかのように思われた。

「駄目じゃこれじゃ・・・」型枠の中に流し込んだ銃身が、取り出してみると、ひび割れを起こしている。

「やり直しじゃ。何故に出来ない。こんな簡単な代物を、うむ〜」綱嘉は、考え込んだ。

「よし、もう一度・・・」真っ赤な鉄が、流し込まれる。

 初めて作る短銃の製造は、生易しい事ではなかった。悪戦苦闘が続いていた。

「そんな時じゃった。奴らが、都から戻って来たのは・・・」喜三郎は、淋しそうな顔を見せた。岩場に座る喜三郎の肌を、優しく風が撫でて行く。出漁する漁船の一筋の航跡が、夕日を受けて波間に光る。喜三郎は、その輝きに目を伏せた。そして、大きく溜め息をついた。

「奴らは、おんぼろ船で、のこのこと入港して来よった・・・大きな顔でのっ・・・」

 その日は、朝から小雨が降っていた。

整然と勇姿を浮かべる貿易船や南蛮船を横目に、泉丸は惰力に因って入港して来る。

難破した船の如くに、継ぎ接ぎだらけの帆に折れたマストの泉丸は、貿易船などよりも目立って見えた。

「錨を打て〜い」

 貿易船の隣に、錨が打たれた。船内は、話し声さえ聞こえず、静かである。

『美笠屋』吾平は、船長室にあって、統領の武春や船長達と出帆について打ち合せをしていた。武器を受け取り、無事に運び終えるまでは、武春に従うこととなった。部屋から見える海に目をやった。降り続いていた小雨も、止んだようである。

「雨も止んだようやな。ほな、ぼちぼち上陸するとしよか」と、吾平は武春を見た。

「はっ。おい! 準備は、出来てるか!」武春は、近くの乗組員に叫んだ。

「とっくに」と、乗組員は、そっけなく応える。武春は、「うん」と、頷くと、「それじゃ、参りますか」と、吾平を誘う。

 廊下には、手下どもが待っている。

「者ども、行くぞ!」

 美笠屋吾平、武春とその手下どもは、準備してくれた小船に、縄梯子を伝ってひとりずつ乗り込んだ。

雨上りに、うっすらと霧が掛かって、不気味な感じがする。両舷で、二人の船乗り達が漕ぐ櫓の軋む音が、海の上に掛かる霧に包まれて、小船を追い返すような錯覚を、皆は覚えていた。今日はやけに無口な奴らで、無言な海の上に櫓の軋む音が響く。

 小船は、無事に桟橋に横付けされ、美笠屋達は、隠れ家へと上陸して行った。

貞次の紹介してくれた家は、どこからも見える高台にあった。アルメイダは、貞次の好意に甘えて、その家を貸し切った。家賃は要らないとの、何とも信じ難い申し出である。部屋は、説教を聞きに来た人々で溢れていた。畳に正座をして聞き入る人達に異様さを感じながら、立ち上がって右手を大きく前にかざして、アルメイダの説教は続いた。

「あそこで、何をやっておるんじゃ?」

「はっ、南蛮人の奴らは、説教をやっているらしく御座います」と、先ほど家から出て来た百姓風の男に聞いたことを、見張り約の役人は瀬戸上織部に応えた。

「左様か・・・矢張りのお〜」「まだ、見張りは続けますか?」

「いや、もう見張らなくとも良い、ほっておけ。どうせ、奴らの狙いは、信者を得たいが為の説教じゃて。危害はあるまいて」

「はっ!」

「例の探索にあたってくれ」「はっ!」と、役人は織部に軽く会釈をした。

 見張り役の役人と別れて瀬戸上織部も、ひとり探索にあたった。入港したばかりの泉丸の姿が、織部には、やけに不気味に思える。南蛮船よりも目立つその姿は、以前入港した時には思いもしなかった悪の匂いを感じる。役人としての直感が、働いていた。

<いやいや、あんなおんぼろ船で、何が出来よう。それよりも、山喜屋の許を訪れてみよう。何か分かるやも知れぬ>

織部は、まさか・・・と思わせる美笠屋吾平の術に填まっていた。

気を取り直して、山喜屋の屋敷へと向かった。白い壁塗りの蔵屋敷が並ぶ石畳の道を、織部は思いを巡らしながら歩いた。

 門の前に着いた織部は、深呼吸をするとゆっくりと中へと入って行った。

「伝兵衛殿は、御在宅かな?」「はい、旦那様は、今・・・大迫様と」

「何、六左衛門様が、御出でなのか?」「はい」と、女中のお富は頷く。

「上がっても宜しいかな?」「勿論ですとも。ささっ、織部様こちらへ」

「失礼致すぞ」「はい」と、お富。

 織部は、お富に案内されて、静かに廊下を歩いて行った。

「旦那様、織部様が御出でです」「織部様が? お通して」 

 きちんと座って、障子を開けてくれるお富である。「どうぞ、織部様」と、案内されるまま織部は部屋に入った。

「織部、何用じゃ?」不思議がる六左衛門に、織部は軽く会釈をして正座をした。

「これは、これは、織部様、良く御出で下さいました。きょうは、何か?」伝兵衛は、織部に軽く頭を下げた。

 微笑む伝兵衛に、「いや、大した用はないのだが・・・」と、俯く。

 直ぐに、お茶が運ばれて来た。お富は、織部に会釈をすると、茶碗を前に置き、お茶を注ぐ。お富の注してくれたお茶を、織部は、ゆっくりと味わうように啜った。

「実は、海の様子など聞きたいと思いましてな。伺った訳でして・・・」

 織部に会釈をして、部屋から出て行く女給のお富に視線を移した。

「海と申されますと?」

「この近海に於いて、海賊船などの不穏な動きがないかと? 剣丸が、近々帰帆する筈なのだが、どうも、それまで待てぬのでな」

「織部、はっきりと申さぬか」六左衛門は、織部の回りくどい聞き方に、眉間を寄せた。

「はっ! 我らが今、躍起になって探しているのが、種子島近海で取引をしていると噂されている武器商人なのだが・・・なかなか、尻尾を出さぬ、伝兵衛殿に、お聞きしたら何か分かるのではないかと・・・」

「そのことじゃが、織部。放ち置いた密偵からの連絡によると、近々、取引があるようじゃぞ」と、六左衛門は織部を見て、にやりと笑った。

「それは、いつで御座いましょうや?」

「未だ、判らぬが・・・確かのようじゃ・・・じゃが、何処の船やら見当がつかぬ・・・敵も、なかなか才たる者よ」

 言い終わると、六左衛門は深い溜め息をついた。出されてあるお茶を、一口啜って、「そこで、何か不振な船のことで聞き及んでいるのではあるまいかと、伝兵衛殿を尋ねて参った次第じゃ」と、身を乗り出す。

「左様で御座いましたか」

「潮流に逆らって帆走したかと思えば、急に進路を変えて、島影に消え去った船だとか・・・或いは、本船の進路を横切ったり、不可解な動きを取って船長達を戸惑わせた奇妙な船に何度か遇ったと、今、六左衛門様にお話し致したところで御座います」

「奇妙な船とは?」

「はい、それですよ。六左衛門様とも話していたところで御座いますが・・私どもには、一考に思い当りませぬ。見掛けぬ船であったらしいのですが・・・その船が、織部様達の探している船であったかどうかは、定かでは御座いませんが」

 織部は、腕組みをすると、「うむ〜」と、唸った。臨検の網にも掛からぬと、首を傾げては、また唸った。

「ただ、言えることは、確かに、どこかに潜んでいるのは、間違いないようですね。船長達にも、気をつけておくように申し伝えますので、吉報をお待ち下さいませ」

 伝兵衛は、きっと見つかると云う思いを込めて織部に頷くと、出されてあるお茶に手を出した。ゆっくりと味わうように啜ると、庭先に目をやった。庭には、菖蒲の花が咲き乱れ、池には鯉が泳いでいる。石垣の四角い穴からは、浮かぶ貿易船の姿が見える。六左衛門を振り返り、ゆっくりとお茶碗を置くと、軽く頷く伝兵衛である。

伝兵衛の視線の方に誘われた織部は、石垣の上部近くに掘られた、等間隔に整然と並ぶ四角い隙間を見詰めた。その小さな隙間からは、波も無くただ青々とした海だけが見えている。織部は、武器商人達との捕り物が、いつか、あるであろうことを強く願い、その様子を心に描くのであった。

 その頃奉行所には、小倉弥一郎が唐船奉行の許を訪れていた。

「弥一郎、出来上がったのか?」

「はっ、これに御座います」

 弥一郎は、綱嘉から預かった太刀を、両手の手掌に乗せて奉行に差し出した。

前に進み寄った弥一郎から、平田宗源は、太刀を掴むようにして右手に受け取った。

受け取ると、紐を解いて袋の中から太刀を取り出す。ゆっくりと、鞘から太刀を抜いた。刃先を光に当てて、斬れ味を観察する。

そのあまりにも冷たい光の輝きに、宗源は、身の毛のよだつ震えを覚えていた。視線を逸らし、鳥肌の収まるのを待った。

「うむ〜 良き出来じゃ・・・綱嘉ならでわの太刀と云えるのお〜」

「弥一郎」「はっ!」

「綱嘉に、礼を言っておいてくれ」「ははっ」と、弥一郎は、深く頭を下げた。

「忠元、奴らの根城の見当はついたのか?この太刀を、使う事になろうかのお〜」

「今暫らく、お待ち下さい」忠元は、太刀を元の袋へ仕舞う宗源に、軽く会釈をした。

「新たなる朱印状の効果の程は、どうじゃ? 取締りを厳しくしても、網には掛からぬか?」

「はっ、敵もなかなかの者で・・・」

「おいおい、奴らを讃めて如何致す。まっ、良い、六左衛門が考えたことじゃ。期待はしとらんが、何か掴んだようじゃぞ」

「はっ、お聞き致しておりまする」

「あれ程、取締りを厳しくしても、網に掛からぬとは、相当な奴らよ。焦らぬとも良いぞ」「ははっ」と、忠元は恐縮した。

 今夜も三味線の音が、仕事で疲れた男達を向かい入れてくれる。小料理屋『金亀子』の小さな小部屋にも、三味の音が響いていた。女将お蘭の弾く、しっとりとして心に響く三味線は、酒と同じに癒してくれる。統領の武春は、お蘭の項に見惚れていた。

「武春、今度の仕事が済んだら、竺土辺りに行ってみる気はあらへんか?」

「竺土へ? 何故、竺土へなんかに?」

 にやりとした顔を見せると、ゆっくりと杯を口元へ運んだ『美笠屋』吾平を、武春は、睨み付けるようなきつい目で見た。

「竺土だったら、誰にも邪魔されることはあらへんで・・・」吾平は、徳利を武春の前に差し出して酒を薦めた。武春は、杯を手に吾平の酒を受ける。

「竺土で、火縄銃を買い付けてこちらへ持って来れば、そりゃあ、儲かるで。役人なんかに大きな顔は、させへん」

「武器の買い付けが、狙いで?」

「そや、都に運んでもらいまっさ。それになあ、薩摩にいたらこの首が、危のうおますがな。分かってるやろうけど、こんな取締りのきつい薩摩にいたら、手も足も出まへんで」吾平は、自分の首を右手で軽く擦ると、腹を抱えて笑った。

その笑いにお蘭の三味の音が、止まった。

「私にも、聞こえているわよ。良いの、こんな所で、御法度の話しなんかしちゃってさ」

「かまへん、お前さんは、信用できる女や。もし、報せでもしたら・・・うちの若い者んが、黙ってへんで」

 吾平は、隣の部屋に目をやった。隣では、用心棒が二人、親分達を気にしつつ酒を飲んでいる。吾平の合図で、いつでも飛んで来られる状態にある。お蘭は、背筋に寒気を感じていた。<こんな馬鹿な連中に、巻き込まれたら大変だわ>「さっ、今夜は大いに飲んで」 吾平は、「うっん」と、軽く頷く。

「なんや、派手にやってる奴らがいてるやないか。わてらも負けずに・・・所で誰や?」

酒を薦めるお蘭に杯を差し出すと、手を叩いて歌いだした部屋に首を振って示す。

「あのお方達ね、南蛮から来たお客様よ」「あの、停泊している南蛮船の?」

「そうよ。ささっ」と、お蘭は南蛮人達に興味を示した吾平を尻目に、素っ気なく酒を薦める。杯をお蘭の前に差し出した吾平は、彼奴らと一緒に飲めないものかと、杯から視線を逸らして障子を睨んだ。

お蘭は、睨んだ吾平の目を見て、酒注ぐ腕に鳥肌がたっていた。手の震えを押さえて、ゆっくりと酒を注ぐ。

酒が溢れる程に注がれ、視線を戻した吾平は、笑みを浮かべると一気に飲み干した。

<見掛けによらないわね・・・ああ〜っ 恐い恐い、何をやらかすか判らない人達だわ> お蘭は、人の良さそうな身形や笑顔とは裏腹に、美笠屋吾平と云う男の、底知れぬ心の内を見たような気がした。

 近くの部屋からは、笑え声と共に歌声が聞こえて来る。お蘭は、この部屋から、さっさと出て行き、その楽しい席へと呼ばれたい気持ちに駆られていた。

 鎮念は、福進丸乗組員の倫太郎と秀次達やカルロス達を前に、捻り鉢巻きを締めて、酔った勢い皆の手拍子で唄を歌う。

飲み交わす手に手拍子と、皆の酒は進み、鎮念の歌は意味の解らぬまま、カルロス達の笑いをとっていた。

 

      <恋の手解き>

   三味持つ女の

      項にゃあ

     色の滴る

       ころもある

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

  

   手に手を添えても

      顔逸らし

     恋の手解き

       してみりゃあ

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

  

   あたしゃあ今かと

      待ってたの

     縋り放さず

       抱きついて

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

  

   坊んさん恋しや

      みなあげる

     行くわ行くわと

       泣き付いて

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

  

   何処へ行くかと

       問い掛けりゃ

     あたしゃ

       あなたへと

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

  

   入って行くわと

      涙する

     恋の絡みの

       不思議さよ

    あはっ あはっ 

      あはっ、はっはっ、はあっ

 

「秀次、織部の旦那は遅いのお〜 何をしてるんじゃろ? 手料理も、冷めちまうぜ」

「未だ、宵の口じゃねえか。もう直ぐ、御出でになるさ。さっ、飲めよ」と、酒を薦める倫太郎に、歌うのを止めた鎮念は、「おい、倫太郎。踊るというのは、どうじゃ?」と、踊りを誘う。踊るのは嫌いではなかったが、徳利を引っ込めて、首を横に振った。

「バスコも見たがっているぞ。のお〜 バスコよ。見たいじゃろ? 踊りたいじゃろ?」今夜は、じっくりと静かに飲みたい倫太郎を、必要以上に踊りに誘った。

「ほら、見ろ、踊りが見たいとよ」

「芸者集が、いなきゃ・・・」

「おおっ、呼べやあ〜 良いじゃろうが、のおっ、呼べやあ〜。女将! 女将よ! 何処へ行ったんじゃい。女将は・・・女将!」

 驚いた顔を見せているバスコ達にはお構い無く、大声あげる鎮念である。

「何ですよ。鎮念さんは」

吾平達の部屋から早く出て行きたかったお蘭は膝を折り、良くぞ私を呼んでくれたとばかりに笑顔を見せて、さっと障子を開けた。

「よっ〜 女将。何処へ行っとるんじゃ? 良か若者(にせ)を、ほっといてさ」

「はい、はい、鎮念さんを除いては、皆、良かにせ(美男子)だものね」

「芸姑を呼んでくれ、女将。芸姑を」

 軽く頭を下げて部屋に入って来て、障子を閉めるお蘭に、早く呼べと鎮念は急かす。

「ヨカニセ?」と、カルロスは、秀次を覗くようにして言った。

「ハーモソ、ホムブレよ。ハーモソ、ホムブレ」と、秀次はカルロスに微笑んだ。

「ハーモソホムブレ? ああ〜 グアポね」

「分かったわ、呼びにやるわね。まあっ〜 鎮念さんが、芸者さんを呼ぶとはねえ」

「都の垢を落とそうと思ってな」

「都の垢をねえ〜 どんな垢かしら。都の垢って・・・見てみたいわね。鎮念さんの垢を見てもしょうがないけどさ」

 言い終わると、廊下に膝を着き軽く会釈をする。「それじゃ」と言って、静かに障子を閉めると部屋から出て行った。

 暫らくしてお蘭は、女給を一人連れて、鎮念達の部屋に入って来た。

捻り鉢巻き締めて、景気良く歌っている鎮念に、「呼びにやったからね」と言って、酒を薦める。「そうかい」と、歌うのを止めて、杯を差し出す鎮念に、「直ぐ来るわよ」と、笑顔を見せて、溢れるほどに酒を注ぐ。

女給も又、同じようにカルロス達に、酒を注いでいった。

 手拍子も既に止んで、静かな酒に戻っている。物足りない鎮念は、「カルロス、ここで一発歌ったらどうかい?」

「うむっ、うむ〜 意味が、分からんようじゃのお〜」と、知らぬ振りして飲んでいるカルロスに、仕方がないと、静かに酒を飲む。お蘭と女給のお酌を受けながら飲む酒は、梅雨のようにしっとりとした酒で、鎮念には淋しさを感じる。騒いで飲まないと、どうも飲んだ気がしない。すっかり、お蘭のペースに填まり込んでいた。

「失礼します。織部様が御出でですよ」

「さあ、こちらへどうぞ。織部様」女給が、酒と酒の肴を手に、瀬戸上織部を案内して来た。

 部屋の灯りが、反射して光る研かれた廊下に膝をついて、ゆっくりと障子を開けた女給に、「おお〜 織部の旦那が御出でか」と、待ち兼ねていた倫太郎は、頷き微笑む。

「皆、美女を前に、美味いであろう?」

「ささっ、織部様こちらへ」お世辞と分かっていても、嬉しいお蘭達である。自分の隣に誘った。

 女給は、吾平達の部屋へ行かなければならない。酒と肴を置き終えると、さっさと部屋から出て行った。

「鎮念殿よ、いつも暇なことで良いのお〜」お蘭が差し出す徳利の前に、お蘭から受け取った杯を添えた織部は皮肉った。

「いや、何、織部殿、こうやって、異国の御仁達と酒を飲み交わすのも、また仏法に合った生き方で御座ってな。別に、暇な訳では御座らんで、忙しいのをこうやって出張って来ておる。仏に仕える身も又、大変でして」鎮念の屁理屈に、側で聞いていた秀次は、可笑しさを堪え切れずにくすくすと笑った。

織部は、ゆっくりと酒を飲み干すと、「仏も、さぞ、大喜びで御座ろうなあ。鎮念殿」と、鎮念に徳利を差し出して酒を薦める。

「左様、左様。この薬は、酔う程に良く効きましてな。南蛮辺りから、わざわざ食しに来よる。実に、良い奴でしてな。讃めて使わしたいくらいで御座るよ。なあ〜 バスコ」杯に口を近付けて飲み干した鎮念は、織部へ、そしてバスコへと酒を注いで行く。

織部は、呆れた顔を見せた。

「カルロス」と、織部が声を掛けた時に、鎮念お待ち兼ねの芸者集が、「失礼します。呼んでくれて有難う」と言って、勢い良く障子を開けた。廊下に膝を着き、愛敬を振りまく芸者に、「おお〜お〜 ささっ、入って。今夜の姉さん方は、美人じゃのお〜 芸姑にしとくのが勿体ないくらいの、美人じゃ」と、自分の席へと手を招く。

 三人の芸者は、静かに部屋に入って来た。「あらあら、お坊さんにしとくのは、勿体ないくらいの、お兄さんだこと」

側に座り、鎮念の手を取り、両手で包み込んで言ってくれるお世辞に、悪気のする筈がない。「そうか、そうか」と、頷き微笑む。

<この坊主は、全く、なんて奴じゃ。こっちは、武器商人の正体が掴めず、焦っていると云うに・・・> 織部は、「ちっ」と、舌打ちすると、「カルロス、何度も聞くようじゃが、火縄銃の類を誰ぞ手に入れたいと来なんだか?」

「銃? 銃ね・・・」と、首を横に振る。「左様か? ・・・うむ〜」

 芸者達は、皆にお酌を済ませると、一段高くなっている舞台へと上がった。

三味線の調弦を終えた一人が、座布団に正座をして座ると、ゆっくりと三味線を弾きだした。他の二人が、それに合わせて扇子を広げて踊る。三人で踊れば、舞台は狭く感じる広さである。まだ、あと一人が踊りの中に入って踊るだけの余裕はあった。皆は酒飲む手を止めて、踊りに釘づけとなって行った。

「織部様、さあ〜 見惚れてないでおひとつ如何?」と、お蘭は徳利を差し出す。

女給も、それに習って皆に酒を注いで行く。

「織部様、ひょっとして、ひっとしてよ。火縄銃の取締りをなさっていらっしゃるんじゃない?」と、お蘭は、美笠屋吾平のことを思い出し乍ら、恐る恐る聞いた。告げ口したと分かれば、何をされるか判らない。織部に酒を薦められて、差し出す杯持つ手が震えた。

「何故? そのことを?」

「いえ、さっき、カルロスさんに、お聞きになっていらっしゃったじゃないの」

「左様、武器商人の姿が見えぬ」

「手掛かりが、未だなのね」と言って、お蘭は、注がれた酒を一気に飲み干した。

「六左衛門様に、餌を撒けと言われておるんじゃが。その餌が見つからぬ。金亀子ほどの餌が、あればええんじゃがな」

 徳利を置くと、肴に箸を付けた。

「美味しいでしょ。採れたてですもの」「うむっ、実に美味いぞ。お蘭」

「武器商人って、都のでしょ?」「都じゃと? そなた、何か存じておろう? 正直に申せ」

「都に武器商人が、居るとか居ないとか」「それは、誰なんじゃ?」

「身形は良いけど、悪の固まりらしいわね。名前は、確か・・・美里屋さんとか、美濃屋さんとか、みの字が付いたわね」

「何故、知っておるんじゃ」

「これよ」と言って、お蘭は右耳に人指し指を付けた。

「噂と申すのか?」「そうよ、織部様の近くに居るかもね」

お蘭は、自分で酒を注ぐと、ゆっくりと飲み干した。

<お蘭の奴、謎かけをしおって。喋れば、我が身が危ないと云うことか> 織部は、腕組みをすると考え込んでしまった。

 織部の探している悪徳武器商人達は、織部の直ぐ近くに居た。そうとも知らず、三味の音に聞き入る織部である。

<坊津に潜んでいるのか。分かったぞお蘭>「お蘭、そなたの身は我らが守る。心配致すでない。その為に、我らが居るのじゃ」

「まあ〜 頼もしいこと」

「話したくなければ、それで良い。我らにも、少なからず情報が入っておる。そなたの謎かけは、確かに心に留め置く」

 腕組みを解くと、杯を手にした。お蘭の前に、ゆっくりと杯を近付けて酒を受ける。

「近々捕り物が、あるんですかい? 織部の旦那。あっしも、連れてっておくなさいよ」

「何を馬鹿なことを申すな。秀次、酒でも飲んでおれ。捕り物があるなんて、そんな、嘘の情報なんぞ流すでないぞ。分かったな」

「へい。しかし、旦那。こう見えても、あっしらは、海賊の奴らとやり合っているんですぜ。役に立つと、思いやすがねえ〜」

「そなた達の勇敢さには、我らは敬復致しておるが、取締り船がある以上、巻き添えには出来ぬ。我らの手でひっ捕らえないことには、面目も保たれぬわ。南蛮船も停泊していることだしな。こ奴らの為にも、やらねばならぬ」

 織部は、三味線の音に合わせて踊る芸者の優美な踊りに、見惚れているカルロスを見て言った。

「何で、カルロス達の?」

「元話と云えば、こい面が持ち込んだ代物じゃ。それを、密かに種子島で作っておる。それが出回れば、この薩摩も又同じように戦乱の世に成り兼ねぬ。そうなれば、易々と入港出来なくなる。競って、こい面の武器を、手に入れようとする者達が、現われるであろう。鉾先が、こい面に向けられることにも成り得ることよ。何れにせよ危ない」

「しかし、織部の旦那、武器を売れば、ひと儲けじゃないですか? 買った方も鬼に金棒、争いになっても強い・・・・・」

「秀次、お前なあ〜 余所の国に、自分の武器よりも凄い武器を売る訳ないであろうが。売るとすれば、捨てても良いような、使い物にならない、おんぼろよ」

「そうでしょうか? 明国では、凄い火縄銃を手に入れやしたぜ、旦那。あっ、ありゃ、言っちまった」

秀次は、うっかり口にして、頭を掻いた。

「そりゃあ、お前。一丁や二丁、それ相当の金子を積んだか? 未だ、とっておきの武器があった筈じゃぞ」

 御法度の話には知らぬ振りして、織部は意味ありげに微笑んだ。

「そうで、やんしょうか? あっし、一人が儲かればそれでええと、思いますがのお〜」

「薩摩と、大友の争いになってみい。お国とお国の争いじゃ。皆がこい面に、とっておきの武器を求めよる。大枚叩いてのお。そこでこい面は、どうするか。金じゃあない。共倒れを望む。そこで、おんぼろ銃の登場じゃ」

「金じゃねえ・・・・・共倒れ?」

「狙いは、相当の金子と、共倒れじゃな」

「はあ〜 おんぼろの武器をねえ〜 そんなもんですかい? 旦那」

「そうよ。そんなもんよ。まっ、今の内に、こい面と楽しんでおくことじゃな」

「ちょっと、旦那。争いになるんですかい? 止めて、おくんなせ〜えよ」

「いやいや、戦には、ならぬと思うがの」「全く、旦那と来たら・・・」

 戦いになると脅迫され、南蛮人達にこの国を乗っ取られると脅かされた秀次は、踊りに見入っているカルロス達を、恐る恐るゆっくりと目で追った。そこには、人の良さそうな南蛮人達の顔がある。お国の乗っ取りなんて、思いもよらぬ秀次であった。

 三味線の音が、賑やかな音色に変った。少し早いリズムに合わせて、二人が踊る。

三味線を弾いている芸者は時々、「あらえっさっさあ〜」と、お囃子をかける。踊っていた芸者が舞台から降りて、鎮念に踊るようにと舞台の方へ手を引く。

「おいおい、踊れというのかい? カルロスよ、バスコも、さあっ、踊るぞ」

 芸者に手を引かれた鎮念は、カルロスの腕を掴んで引っ張った。カルロスは、渋々舞台へと引かれて行く。バスコも仕方なく、それに従った。同席しているジョルジとアルベルトとペドロは、カルロス達が舞台へと引かれて行くのを、笑って見ている。舞台へ上がろうとした鎮念が、足が滑って転んだ。皆は、いつもの鎮念の冗談だと思い、どっと笑った。

踊っていた芸者達は、鎮念が踊ろうとするのを見て、舞台の角に引っ込んだ。

三味の音に合わせて、一人で踊りだす。酒を飲み交わしながら織部達は、鎮念の踊りに見入った。

 

       <亀さん>

     亀の頭を、手で叩きゃ

       首を降り降り

          引っ込める

      あら、えっさっさあ〜

    

     亀の甲羅を、手で叩き

       出てこい、出てこい、

         亀さんよ

      あら、えっさっさあっ〜

    

「バスコよ、次はお前が亀をやれ、亀を」

 三味線の音に合わせ、亀に成り切って踊っていた鎮念が、バスコに身振り手振りで、亀になって踊れとバスコの後を押す。

 

     亀を逆さに、寝かせりゃあ

       石になるなる

          石になる

      あら、えっさっさあ〜

    

     亀のお尻を、ちょいと蹴って

       歩けよ、歩けよ

         亀さんよ

     あら、えっさっさあっ〜

 

「バスコ、歩けよ歩けよ亀さんよ」鎮念は、一緒に踊ってみせる。

 バスコは、亀の真似をして踊った。次は、言わずと知れたカルロスの番である。

鎮念は、「カルロスさんよ、カルロスさん、あら、えっさっさあ〜」と、踊りに誘う。

カルロスは観念して、亀になり踊る。鎮念も、一緒になって踊った。

カルロスの滑稽な踊りに、ジョルジやアルベルト達は、仲間意識も手伝って、腹を抱えて笑っている。お蘭や女給も、口元に手を添えて笑っている。ただ、芸者達は、真剣な眼差しで、鎮念達の踊りを見ていた。

 

     亀の頭を、手で撫でりゃ

       足をばたばた

          泳ぎよる

      あら、えっさっさあ〜

    

     亀の走りは、速すぎて

       亀さん、亀さん

         亀さんよ

      あら、えっさっさあ〜

    

     ここまで、御出でよ

         亀さんよ

      あら、えっさっさあ〜

 

「女将、彼奴ら滑稽じゃのお〜 南蛮にも、亀は居るんかい?」と、あまりの面白い踊りに、織部も又、腹を抱えて笑った。

「さあ〜 居るんじゃありませんこと? ねえ〜倫太郎さん?」

「さあ〜 聞いたことねえなあ〜 なあ〜 秀次、しっちょるかい?」

「いや、知らねえ〜 知らねえ〜が、居るんじゃないのけ・・・泳いでいるとこを、見たんかもしんねえしな。なあ〜 ジョルジ」

「うむっ?」と、ジョルジは、自分を指す。「駄目じゃ、こりゃ」と、秀次。

「左様か・・・成程のお〜 広いよなあ〜 途轍もなく、広いんじゃなあ〜 行ったことないがのっ・・・」

 織部は、未だ知らぬ異国に我が身を置いて、思いを巡らせた。しかし織部の考えている異国とは、海に囲まれた小さな小さな島であった。花に囲まれた町並みで、自由に生きる南蛮人達のような人々の姿が、頭を過って行く。織部は、誰にも邪魔される事無く、思いのままに生きたいと思った。

宴席は、美笠屋吾平達の嫉妬を受けつつ、何事もなく、愉快に進んで行った。

 

 

 

 坊の浦に、朝が来るのは早かった。次々に漁船が、入港して来る。その中に、静かに入港して来る薩摩船剣丸の姿もある。

市場には、水揚げされたばかりの魚が、勢いよく跳ねる。いつもの活気があった。

そんな威勢の良い掛け声とは裏腹に、奉行所は、誰も居ないかのような静けさである。早くから、奉行を除き役人達が集まって、闇商人達を捕らえるべく策を巡らしていた。大迫六左衛門は、皆を前に腕組みをして考え込んでいる。六左衛門に餌を撒けと言われている久保忠元達は、何の策略も無く沈痛な思いで、時の過ぎるのを待っているかのようであった。唐通事の小倉弥一郎が、そんな忠元達の意を察して、昨日、明国の船長から聞いたことを話し出した。先航海の時であった、坊津を出帆して琉球王国へと向かっている途中に於いて、海賊船と思われる船に、貿易船らしき船が横付けしていた。貿易船から海賊船へと、何やら積み荷をしていたらしいと云うのである。六左衛門は、腕組みをしたまま、黙って聞いているが、驚きを隠しきれない様子である。その積み荷は、「確かに銃の類であった」と船長は、言っていると云うのである。

六左衛門は、腕組みを解いた。

「して、それは、どの辺りであったのか?」「奄美大島近海で、出会ったらしいのです」

「何、奄美大島辺りでのお〜 海賊にまで武器を卸しよるか? そんな奴らに、武器を与えたら、次に襲われるのは、お主等じゃぞえ。我が身が危ないとは思わぬのかのお〜」

「海賊船では、なかったかも知れませぬ。ただの貿易船で、武器取引だったのかも知れぬなと思っておりまするが・・・・・一見すれば、海賊船なので御座いましょう」

「海賊船に見えたと申すのか?」「そのようかと?」

「ほう〜」と言って、六左衛門は、又腕組みをした。海賊船そっくりの船を使って、武器取引をやっているようである。何故、わざわざ、そのような船を使って? 奴らの狙いが、解らぬ六左衛門達であった。船の出入りの少ない他の港に立ち寄ったとしたら、立ち所に身元がばれる。船の出入りが多く目立たない、しかも身を隠せる安全な港であろう。母港としているのは、坊津の何処かの港であろうと踏んでいた。

 六左衛門は忠元に命じて、海賊船に似ている船と、織部がお蘭から聞き出した名前の頭に「み」の字のつく、都の廻船問屋達を洗わせた。その情報は又、早速、種子島に放っている密偵に報された。

 それぞれ家来を二人ずつ連れて、忠元は坊の浦を、織部は泊浦の探索に充たった。

泊浦の沖合には貿易船が静かに錨を打ち、岸辺の近くには漁船が並ぶ。見慣れた貿易船の集団の後に、南蛮船が見えている。

その少し沖合近くに、まるで難破船にも似た泉丸の錆びれたような姿もあった。織部はその姿に、<海賊船? まさか、あの船が・・・待てよ、あの船は、確か都の廻船問屋の船? だったよな> 小倉弥一郎の話を、思い出していた。

 泊浜が、遠くまで続く。引き潮である。

馬を走らせていた金城公平は、織部達の姿を見付けると、手綱を引いて馬を止めた。

馬の頭を、織部達の方に向けさせて、方向を変える。ゆっくりと近付いて来た。

「織部様、どうです、この馬? 喜三郎、苦心の作ですわ」

 今まで見た馬は、少し太って頑丈な感じであった。しかし、目の前にいる馬は、足は細く痩せてはいるが、ひ弱な感じはしない。

何かしら、ほっそりとした剣を、思わせる風格があった。

「うむ〜」と織部は、調教されて洗練された姿に、思わず唸っていた。

「どうです、この毛並み」と言って、たてがみを撫でる。

「成程、この馬がのお〜」喜三郎の馬小屋に繋がれていた時には、それ程感じなかった血統の良さを感じる。

「殿も、きっと満足されることで御座いましょう。次の戦には、間に合いますぞ」

「明国から、わざわざ連れて来なくとも、良き馬を作り上げたとはのお〜 確かに、喜三郎苦心の作と見える」

 明国でもさぞ、このような馬を欲しがるであろうと、織部は沖合に停泊している貿易船に目を移した。その中でも南蛮船は、一際目立つ勇姿を見せている。貿易船の姿を、目で追っていた視線が止まった。

「織部様、如何なさいました?」

 公平は、ただ沖の一点を何かに取り付かれたように眺めている織部に聞いた。

「あの、おんぼろ船よ。この間からどうも気になる」

 武器商人の使っている船は、海賊船の如くあるらしい。<あんな船で、何が出来ると言うのじゃ? 拙者もどうかしとるのお〜>

「あの船が、何か?」と、公平。

「いや、気のせいかも知れぬ」厳しい目の織部は、優しい目に変った。

「美笠屋の船とか聞いてますが?」

「公平、今、なんと申した」「確か都の・・・美笠屋の船で・・・」

 みの字のつく廻船問屋・・・しかも、都とはのお〜 <すると、あの船やも知れぬな。我らを、誑かしおって>

「美笠屋は、ここに来ておるのか?」厳しい目に変わり、きりりとした武士の姿が、輝いて見える。

「さあ〜 どうでしょう? 会ったことも御座いませんし、あんなおんぼろ船の主に会ってみたいと、いつも噂している次第でして」

「左様か・・・何処ぞに、隠れているって訳かい?・・・それとも、都で・・・調べてみる必要があるようじゃのお〜」

「いつ沈没しても良いような、船をお調べになって如何なされます? 織部様」

「いつ沈没しても良いとな?」馬に跨がる公平を、驚いた目で見て言った。そんな織部の態度に、公平は少し後退りをする。

「そうか・・・そう云うことか」

 臨検に引っ掛かった時に備えて、いつ沈んでも良いような船をわざと使い、いざとなったら、沈没させる為ではなかろうか。

難破船とも、海賊船とも見分けのつかぬおんぼろ船を使って、武器取り引きをする奴らの狙いが、ようやく解ったような気がした。

「公平、いい事を教えてくれた。得体の知れなかった、奴らの正体が解ったような気がするぞ。これで、奴らも年貢の納め時よ」

 織部は、にっこりと微笑んだ。

織部に確かなヒントを与えたようである。事件に係わる事のようではあるが、何のことだか解らぬ公平は、取りあえずは良かったと頷くのであった。

 公平と別れた織部達は、引き続き泊浦の探索に充たった。しかし、美笠屋を捜し出すことは出来なかった。そう簡単には、見つからないであろう。予想通りのことである。織部達は探索を諦め、報告の為、一旦奉行所に戻った。報告を受けた大迫六左衛門は、美笠屋に限らず、都からの全ての船に、不審な動きがないか見張りをつけさせた。易々と、尻尾は出さないと分かった上でのことである。

 もう夕暮れであった。大きく真っ赤な夕日が、水平線に落ちようとしている。その雄大な眺めに貿易船は、言葉を無くしたかのように夕焼けに染まっている。大きな夕日は、青い海に焚火のような赤い炎を焼き付ける。青い海の、薄赤い絨毯の面を、真直ぐな一本の航跡が、桟橋に向かって来る。アルメイダであった。オールは、ゆっくりと漕がれて行く。

 ボートの前に座っていた乗組員の手が上がると、オールが、一斉に立てられた。

アルメイダは、中央に立ち上がると、ボートが桟橋に横付けするのを待った。惰力に因って、ゆっくりと近付いて行く。住民達が仕事の終わるのを、見計らっての上陸である。それは飽きる事無く、毎日続いていた。桟橋で、アルメイダ達を待っているこの男、この男もそうであった。

アルメイダに空き家を、無償で貸している貞次は、アルメイダの説教にすっかり染まっていた。ボートから、貞次にロープが投げられた。貞次は、そのロープをしっかりと手に掴んだ。男は、ボートが桟橋に打つからないようにと、オールで桟橋を突いて船の動きを止める。

ボートが、桟橋に横付けとなった。ボートから桟橋に飛び降りて、アルメイダ達が上陸して来る。全員の上陸を確認して、貞次は、ロープをボートに投げ入れた。

 乗組員の一人が、手を上げた。オールで桟橋を押して、船首が南蛮船に向けられた。ボートからオールが、海面に下ろされる。アルメイダは、ボートに手を上げた。上陸したアルメイダの伴の者達三人も、同じように、ボートに手を振り見送っている。乗組員の一人が、手を振って応えた。

貞次も手を振った。毎日繰り返される同じ光景が、そこにもあった。

 貞次は先頭に立ち、アルメイダ達を、貸している空き家へと案内して行く。行き交う人達は、並んで歩くアルメイダ達を、知らぬ振りして通り過ぎる。アルメイダの異様に見えた姿は、もう違和感無いようであった。その姿も生活の中に、自然に溶け込んでいた。

 繁華な通りを歩くと、三味の音が何処からともなく聞こえて来る。アルメイダ達は、その音色には見向きもせずに、通い慣れた道程をただ黙って歩いて行った。

鎮念と倫太郎に秀次は、カルロス達と居酒屋『柘榴』で待ち合わせていた。申し訳ないような飲み方で、少しずつ酒を飲んだ。カルロス達が来る前に、酔っ払っていたら申し訳ないとの事である。鎮念は今夜も、ただ酒にありつけたと、いつものように上機嫌である。

「秀次よ、海賊船が、暴れ回っているって本当かい? 物騒な話しじゃよなあ〜」

「鎮念さん、それは大袈裟じゃて・・・あっしらも、海賊の奴らと、渡り合ってるんですぜ・・・退治したことも、ありまさあ〜」

「ほう〜 退治のお〜」

「いざとなったら、やりまっせ。あっしら」秀次は握り拳を握って、身構えて見せる。

「福進丸は、大丈夫かと思っての」「何の・・・武器もちゃあんと、揃えてありまさあ〜 のお〜 倫太郎」

「そうですぜ。この傷、この傷は、奴らにやられた時の傷でさあ〜」倫太郎は、服を捲って腹の傷を見せた。

その傷は縦に長く、太刀で斬られたと誰もが思う程の、痛々しくもあり自慢できる勲章であろうと、鎮念は目を背けた。

「奴らに、大きな顔なんて、させやしませんぜ、なあ〜 秀次」

 倫太郎は、服を下げると、自慢げに見せていた傷口を仕舞った。

「そうよ。易々と、奴らの餌食には・・・」秀次は、言い終わらないうちに、鎮念が注いでくれた酒を、一気に飲み干した。

「お酒、もう入ってないんでしょ?」お鈴が、お酒を持って、鎮念達の席に近付いて来た。鎮念は、徳利を揺すって酒が入っていないのを確かめると、酒の入った徳利を机の上に置いたお鈴に、手渡した。

「あっ、これもね」倫太郎からも空の徳利を受け取って、お鈴は、さっさと厨房の方へと消えて行った。

「垢抜けした、いい女じゃのお〜 都の女ってのは、実に好い。カルロス達が、惚れ込むのも無理もない話よのお〜」

「良いんですかい? そんなに誉めても、鎮念さんに惚の字の芸者もおるようじゃが」

「秀次よ、男ってえのはの、目を肥やさにゃあならぬ。あの女、この女と・・・しかしのおっ、惚れ込んだら、とことん惚れにゃあ男じゃないぞ。解るじゃろう〜」

「解んねえ〜 解るもんか。あの女、この女と、浮気しても、ええっちゅうんかい?」

「そうじゃないぞ。物色するのとは、違う。先ず、話をしてじゃ。品定めをして、目を肥やす。食するのと、ちと違うぞ。この女は、善い女じゃ間違いない。そこでじゃ、この女じゃと決めたら、とことん惚れる。嫌われるまで、惚れる。しつこくするんと違うぞ」

「そんなもんかいのお〜」秀次は、首を傾げて腕を組む。

「おいおい、深く考えるでない」鎮念は、秀次に酒を薦める。その徳利に腕組みを解き、杯を差し出す秀次である。

「いらっしゃあ〜い」カルロス達のお出ましである。鎮念達の席を見付けると、カルロスを先頭に、バスコ、ジョルジ、アルベルト、ペドロが、やって来た。いつものメンバーである。

「カルロス、さあ〜 さあ〜 待っていたぞ」鎮念は、手招きをして、自分の近くにカルロス達を誘う。カルロス達は、適当に空いている席に掛けた。

 酒と酒の肴を女給のお雅が、運んで来る。お雅が、徳利を置いて行くのもお構い無く、鎮念はカルロスに杯を渡すと、徳利を差し出して酒を薦める。楽しそうに酒を飲み交わす、そんな鎮念達には、武春達が店に入って来たのには、気付きようもなかった。武春を先頭に、五人の手下どもが、鎮念達の横を通り過ぎて、奥の席に着いた。

「ジョルジよ、何をそんなに、きょろきょろしておる。何っ? ああ〜 お鈴か? まあ〜待て、今呼んでやる。だから、さあっ、ささっ、ぐっと行け、ぐっと」鎮念は、徳利を目の前に差し出して、有無を言わさずに酒を薦めた。杯に酒を注いでもらいながら、長く首を伸ばして厨房を覗き込むように見るジョルジである。

 暫らくして、三味線片手にお鈴が、鎮念達の席に現われた。ジョルジは、隣の席から椅子を取って、お鈴に座るようにと手招きをする。

お鈴は、「有難う」と、軽く頷き腰掛けた。

「今夜も、ご機嫌のようね。鎮念さん」

「ご機嫌? そうよ、仏に仕える身なれば、こうやって、異国の御仁達と飲むのも、また楽しからずや・・・友遠方より来たる、我又親しき友と、清き酒を交わさん」

「何言ってんじゃろ? この、鎮念さんと来たら、女の話に、酒の話。こんな坊主、見たことねえ」と、秀次は、呆れた顔を見せる。

「銭金の話をしないだけでも、ましじゃて」倫太郎は、苦笑いをする。

「私? 私は、清き酒は、遠慮しとくわ」鎮念の薦める酒を断り、三味線の調弦を始めるお鈴である。調弦を終えて、お鈴は歌い出した。

「頭、向こうは、三味線弾きが、ついてますぜ。好い女じゃないですか・・・」

 武春達の席では、お鈴の弾きだした三味線と、歌に聞き惚れている。その手下どもから、追い掛けられたことがあったとも知らずお鈴は、自分の歌と三味の音に酔い痴れている。武春達もお鈴の弾く三味の音と歌、そして酒に酔って行った。

「いらっしゃあ〜い」との女給の声に、武春達は、振り向いた。ヘラクレスである。店の中を見回したヘラクレスは、カルロス達の席に近付いて来た。お鈴に、軽く会釈をして微笑んだヘラクレスは、「ちょっと行って来る」とカルロス達に言うと、武春達の席へと歩いて行く。

「ヘラクレスの奴、お鈴さんに嫌われていると知ってか、物騒な奴らの席に行きよる」

 秀次は、武春達の席に掛けるのを目で追って、「ちっ」と、舌打ちして言った。

「お鈴さんに、もう二度と張り倒されたくないんじゃろうて・・・まっ、向こうで飲む、それも良かろう。なあっ、バスコ」

 倫太郎は、お鈴にうっとりと見惚れているバスコに微笑んだ。バスコは、意味も解らずに、微笑みを返す。

「お鈴さんの歌も、しっとりとして良いが、何かこう、派手に行きたいのお〜 派手に。踊れる場所は、ないし・・・」鎮念は、辺りを見回した。

「鎮念さん、私の歌じゃ、ご不満のようね」

「御不満? とんでもない。お鈴さんの歌があればこそ、こうやって楽しく飲める。のお〜 バスコ、そうであろう?」

「シィ、セニョール・・・お鈴さんの歌、上手いねえ〜 もっと聞きたいよ」

「もっと聞きたい? そうじゃろう、そうじゃろう・・・」と、鎮念は、踊るのを諦め気分で、酒を自分で注ぐ。お鈴の歌は、お店の中に響いている。お客の誰もが、お鈴の歌に聞き惚れて、歌を肴に静かに飲んでいた。

「席は、空いていないんだね」と、戻って来たアルベルト。隣の席の椅子を取って、一緒の席に掛けた。

「アルベルト、話は済んだのか?」ペドロは、杯をアルベルトに渡すと、徳利を片手に酒を注ぎながら聞いた。

「ああ〜 ブシュンは、インドへ行きたいらしい。色々聞かれて、困った」

「あれが、統領であろう?」と、首を振って顎で示すペドロに、「そうだ」と、答える。

「インドへ?」カルロスは、不思議な顔を見せた。 

「おい、アルベルト、彼奴らは、竺土へ行くんかい?」と、秀次も不思議な顔を見せた。

「竺土とな? ふむ〜 何か仔細がありそうじゃのお〜 しっ、来たぞ」

 武春達が席を立ち、こっちに来るのを見た鎮念は、話題を変えるようにと合図をした。武春を先頭に手下どもは、肩を振って歩く。なんて、胡散臭い奴らであろうかと、皆は思った。「又いらっしゃいね」の言葉に見送られて、武春達は、お店を出て行った。

 港では、貿易船が海に灯りを揺らし、往き来する小舟の、櫓を漕ぐ音が軋んでいる。当然のことではあるが、その中には、都からの船もあった。その船を見張る役人達の姿が、あちこちの大きな岩場や暗闇に、張りついている。

 その頃、瀬戸上織部達は、アルメイダが借りている家の前で、彼らの動静を見張っていた。アルメイダの説教の声が、外まで聞こえて来る。織部達は、実に退屈であった。

「汝の前に、立ちはだかる山や川、大いなる海や空、迎える嵐や震災。変えらざる大自然全ての災難は、神に因り与えられたものと知れ。汝らは、その全てを、汝の身をもって受け止め、感謝の念を絶やしてはならぬ」

 アルメイダは、両手を大きく前に広げ、遠くを見るかのように、説教する。

畳みの上には三十人も居ようか、正座をした住民達が、熱心にアルメイダの説教に聞き入っている。尚も続く説教に、黙って聞き入る住民達である。アルメイダを見詰める微動さもしない、ひりとひとりの眼差しに、アルメイダは、そっと語りかける。アルメイダの説教は、次第に熱気を帯びて行った。

「あの中には、奴らは、紛れ込んでいないようじゃな。一体、何処に隠れているんじゃろか?」と言った後、首を傾げた織部は、「ちっ」と、舌打ちをして、焦る気を紛らす。

「さて、こうしていても、埒が開かぬ。行くぞ」と、二人の家来に首を振って、居酒屋の建ち並ぶ繁華な通りの方を顎で示した。

 織部の意を察した二人は、薄明りの中に、笑顔を見せる。

織部達は、家の中から聞こえて来るアルメイダの、静かに燃えるような説教を背に、酒の香りと美笠屋達を求めて歩いて行った。

行き交う人々の全てが、薄明りの前に、美笠屋の手下のように思える。織部達は、胡散臭いと思う奴らを、ぐっと睨み付けては、海岸通りへと歩いて行った。海岸通りの、少し奥まった所に柘榴はある。お店の中から出て来たお客達と擦れ違った織部は、その後ろ姿を目で追ったが、ただの酔っ払いである。何時ものように先頭に立ち、柘榴の暖簾を潜った。

「いらっしゃ〜い」と、迎える女給の明るい声が、お店の中に響く。

織部は、空いている席を探した。お鈴を囲んでカルロス達と楽しそうに飲んでいる鎮念の姿が、飛び込んで来た。

<あの坊主も、よう分からん>と、空いている隣の席へ目を移す。その席へと歩いて行った。

「鎮念殿、今夜もお盛んなことで」

「お盛ん? いやいや・・・これも又」「仏法に適った酒で御座ろう?」

 右手で頭の後を叩く鎮念に、織部は微笑むと、太刀を引き抜いて右手に持ちかえると、隣の机の椅子に掛けた。

「この酒は又、我が身を心の底から、ぐっと清めてくれましてな。実に、重宝致しておる次第でして。ささっ、織部殿も一献」

「いや、後程、ご馳走になろう」織部は、右手を前に制して、鎮念の差し出す酒を断った。

「左様か」と言って、徳利を引っ込める鎮念に頷くと、運ばれて来た酒に手を伸ばし、向かいの家来に注いで行く。

お鈴の引く三味の音と澄んだ歌声が、酒を益々美味くする。織部達も、上機嫌であった。皆は、気分良く飲み、酒は進んで行った。

一時経った頃合を見て、秀次は立ち上がると、ヘラクレスに目で合図をした。

織部の前にやって来て、座っても良いかと聞く。織部は、頷き隣の席を手で指した。二人は、ゆっくりと椅子に掛けた。

酒を薦める織部に、「先ず、聞いてもらいたい事がありやして・・・へい・・・ヘラクレス、織部の旦那に、さっきの話を・・・」と、ヘラクレスの横腹を突く。話の初手が分からず、もじもじしているヘラクレスを、焦れったいと、「ええいっ、良いヘラクレス。実は織部の旦那、竺土へ行きたいから話を聞かせてくれと、このヘラクレスに近付いて来た男がありやしてね」

「秀次、竺土へ行きたい男は、五万とおろうが。それが何か不思議な事でもあるのか?」

「それが旦那、あのおんぼろ船に、待ち合わせの船から荷を積み込み、荷揚げを済ませたら直ぐにでも、竺土へ行くと言うんですからねえ〜 竺土へ行こうと言う男がですぜ、しかも、おんぼろ船で、可笑しな話とは思いやせんか? 旦那。それとも、奴は、海を舐めてんですかいねえ〜」

「積み荷を・・・? おんぼろ船とは? 今停泊している泉丸のことか?」

「へい、近々出帆するらしいですぜ。なっ、ヘラクレス、そうじゃろう?」

「シィ、ブシュンは、本気のようだった」

「待ち合わせた船から、荷を受け取ると言ったのお〜 場所は?」

「へい、黒島の沖らしいですぜ」

「それで、いつじゃ?」

「明後日、だったかいのお〜 なあ〜 ヘラクレス、明後日じゃろう?」

「シィ、あさって出帆」と、ヘラクレスは、秀次に頷く。秀次も、それに応えて頷いた。

「そんな、事を良く聞き出せたのお〜 南蛮人だと、安心しての事であろうかのお〜」

「上陸が一緒になったらしくて、桟橋で向こうから近付いて来たらしいですぜ。武春と云うあの男は、なかなかの使い手のように見えやしたぜ。海賊も彼奴には、ちょっと」

「手強いか?」

「へい、あっしら、海賊と渡り合ってやすからねえ〜 彼奴の歩く姿には、隙が・・・」

「ほう〜 それ程の男が、何故に竺土へ」

「ほら、旦那だって、そう思うでしょう?」

「そうか・・・それで、拙者に、報せに来てくれた訳か。竺土へ行くことよりも、積み荷が問題よ。秀次、これは大手柄じゃぞ」

「えっ!」と、秀次は驚き、「積み荷に何かあるんですかい?」と、身を乗り出す。

「恐らく、我らが探している代物がそれよ」

「へい、荷がねえ〜 織部の旦那、捕り物の時には、あっしもお伴しやすぜ」

「度々、手助けしてもらっておるがのおっ、今回は、我らの面子がかかっておる。酒でも飲んで、吉報を待ってくれ」

「へい、仕方ないのお〜」「呉々も、内密にの」

 自分の杯を秀次に手渡すと、徳利を手に、「いただきやす」と会釈をして杯を受け取った秀次に、酒を注ぐ。ヘラクレスへと酒を注ぎ、三味線の音に耳を傾けた。

お鈴の弾く三味の音が、心の中を踊るように弾け飛ぶ。飲み交わす酒は、この上なく美味く喉元を通り過ぎる。楽しい酒は、夜の更けるのと共に、進んで行った。

 一夜明けた奉行所は、織部の報せを受けて異様な雰囲気が漂っていた。

唐船奉行平田宗源を前に、大迫六左衛門ほか久保忠元達が、集まっている。唐船奉行の顔は、何時になく厳しく凛々しく忠元達には映る。海図を真ん中に、皆は輪を作り、作戦を練った。宗源の声が、静かな部屋に響く。

「硫黄島を挟んで、東に竹島、西に黒島がある。この黒島の南海上にて、取引をするのであれば、琉球へと南下する船や西への明国へと向かう船の死角になり、絶好の場所と云える。敵もなかなかのもんよ。この黒島の北側で、奴らが落ち合うのを待って、機を見て討って出るのは、どうであろうか? 不意をつくのは、その方が良かろう」

 六左衛門、忠元、織部、剣丸の船長は、唐船奉行の扇子で指し示す海図に、体を乗り出して見入った。奉行の言葉に、皆は頷く。

「放ち置きましたる種子島の密偵からの連絡に因りますると、明日の取引は確かのように御座いまする。火縄銃の準備が整っている由に御座る」と、六左衛門は、身を乗り出す。「うむっ」と、言った後、宗源は続ける。

「奴らは、夜明けと共に出帆するようじゃ。我らは時を置いて、後から出帆致そう。出帆したら、奴らに気付かれぬように、黒島へ向かう。船長には、帰帆したばかりで、乗組員の休養を充分に取らせない内に誠に申し訳ないことだと思っておる」

「いえ、乗組員は、覚悟の上に御座います。お気を使われないように」と船長は、唐船奉行宗源に深く頭を下げた。

「明日の出帆に備え、準備しておいてくれ」「ははっ」と、船長は、又深く頭を下げた。

「皆も、手筈通りにやってくれ。心して掛かってくれよ」「はっははっ」と六左衛門、忠元、織部も、同じように深く頭を下げた。

 美笠屋吾平の隠れ家の分からぬまま、時は過ぎて行く。明日は、あのおんぼろ船に乗船するのであろうか? 何れにしても、親玉を捕らえねばならない。吾平の所在と、奴の隠れ家探しは続いていた。

 剣丸の船上では、船長の指示を受けて、明日の出帆に備えて乗組員達が、忙しく動き回っている。船長室では、航海士や主だった船員達を集めて、航路及び奴らの船につける打ち合せをしていた。黒島の北側から気付かれる事も無く近付くには、琉球へと南下する船を装う進路を取ることである。船長は、風向きに合わせて、帆の向きをこまめに変え、奴らの船に近付くようにと指示した。出来る限り、船首を変えることもなく、風に流されるように近付こうとのことであった。上手く行くかどうかは、明日の風向きと操船次第である。テーブルを囲む乗組員達の顔は厳しく、海図に釘づけとなっていた。

 出帆準備は、忙しく進んで行く。

夕暮れに近かった。全てのお膳立ては整い、出帆を待つだけとなっていた。

奉行所では、荷役人夫から、美笠屋吾平は坊津にあって、明日乗船する手筈になっているとの情報を手に入れていた。武器を受け取った後、そのまま都へと向かう積もりであろう事は、誰もが予想するところである。役人達は、気を引き締めて出帆の時を待った。

その待ちに待つ、出帆の朝を迎えた。

薄暗い桟橋に、小船が着いている。美笠屋吾平、武春とその手下どもは、小船に乗り込んで行く。桟橋から小船が離され、船首が沖に向いた。朝靄の中を小船は、ゆっくりと進んで行く。吾平達が、小船に乗ったのを確認した番役は、奉行所へと報せに走った。

並ぶ貿易船や南蛮船は、海を覆う朝靄の上に浮かんでいる。何かが起こりそうな、不気味な雰囲気を漂わせている。

おんぼろ船泉丸に小船が、横付けした。吾平達は、ひとりずつ縄梯子をよじ登り、船に乗り込んだ。

全ての乗船を確認した泉丸の船長の、「帆を揚げ〜い」との号令と共に、帆が揚げられて、ゆっくりと船首を沖に向ける。

風を一杯に受けて、全帆は大きく膨らむ。泉丸は、住民達に気付かれることもなくスピードをあげて、沖へと消えて行った。

「ほう〜 矢張り出帆致したか。一時待とうぞ。皆の者、乗船するまで、体を休めておいてくれ」と、番役の報せを受けて、唐船奉行平田宗源は、集まっている役人達に言った。

 選ばれた十五人は各々、捕り物の思いを込めて乗船まで時を待った。今頃、役人達を出し抜いたと思っているであろう美笠屋吾平の薄笑いが、聞こえて来そうな奉行所である。静かに時は、過ぎて行った。

 打合せておいた、剣丸へ乗船の時が来た。「皆の者、いざ、出陣ぞ!」宗源は役人達を前に、勇ましい声をあげる。役人らは、白い鉢巻きに襷掛けである。これから起ころうとする斬り合いに覚悟を決めて、竹で作られた子爵を手にすると、酒をぐっと口に含む。持っている太刀の柄に、一気に吹き付けた。霧状になった酒が辺りに飛び散る。暫らく振りの、剣丸乗船である。決意の程は、筋肉隆々として盛り上がる腕の筋肉にも伺えた。

「行くぞ!」との唐船奉行宗源の声に、拳を上げて、「おおっ!」と、応える。

 唐船奉行を先頭に、役人達は隊列を作り桟橋まで歩いて行く。<何事か>と、集まって来る住民達には見向きもせずに、黙って歩いた。捕り物があるであろうと、参道の角で噂し合っている坊の浦の住民達は、見慣れぬ異様な姿に震え声を上げた。

桟橋に着くと、各々が決められた三隻の小船に乗り込んで行く。小船は桟橋を離れ、船首を、沖に停泊している剣丸に向けた。

朝の靄はすっかり消えて、沖に浮かぶ貿易船は、青々とした海に、影を揺らしている。唐船奉行の乗った小船を先頭に、これ又隊列を作り、ゆっくりと漕ぎ出して行く。小船は、剣丸に横付けになった。

唐船奉行から順番に、縄梯子をよじ登って、ひとりずつ船に乗り込んで行く。全員が、上甲板に立った。

横二列に整列して、船長達の歓迎を受ける。船長の挨拶の後、唐船奉行平田宗源、久保忠元、瀬戸上織部は、船長に案内されて、船橋に入った。港が一望できる船橋は、整然として、正に船の要塞に思える。

 銅鑼の音が、船内に響く。出帆である。「帆を揚げ〜い!」船長は、船橋に立ち、号令を発した。

帆が揚げられて行く。近くに停泊している貿易船から、武運を祈るとの意味を込めて、白い旗が振られ、銅鑼が鳴らされた。

剣丸のメインマストの帆が、風を受けて一杯に膨らむ。

船は、徐々に船首を沖へと向ける。全帆が、風を受けて大きく膨らんだ。その勇姿に、住民達の感激の声が沸きあがった。

剣丸は、見送る人達の溜め息も知らず、日の陽射しを受けて、沖へと船出して行った。

波は穏やかで、眩しい位に、エメラルドブルーの輝きを放つ。そこには、船を追い掛ける飛び魚が数匹、跳ねていた。

 美笠屋吾平は、泉丸の船橋にあって、左舷前方にだんだん大きく見えて来る黒島を眺めた。継ぎ接ぎだらけの帆は、風を受けてぱたぱたと音を発てる。その小さな穴から、真っ青な空を見上げた吾平は、両手を広げて大きく息を吸いながら、胸を前に突き出した。

「退屈そうですね」船長は、吾平に近付き声を掛けた。

「海を眺めるのは、飽きることはあらへんなあ。次から次へと波が、打ち寄せて来よる。わてらは、その波を斬って走りよる。愉快やないか? なあ〜 武春」「目が、回りそうで・・・」

「何の、気の弱いことを・・・竺土が、待ってるんやで。もっと大きな波を、受けにゃあ〜ならへんのやさかいに、これしきで、どないする? 船長に笑われまっせ」

「大きな波よりも、沈む夕日の方が」「似たようなもんや」

「夜空の星も又、見応が御座いますよ」「船長、わてらには、似合わへん」「はあ〜」

「そやろ、こんな商売をしてるんやさかいにな、お天とさんが笑いまっせ」

「船長、止めとけ止めとけ、この旦那さんにゃあ分からんのじゃ」

「荷揚げを済ませたら、直ぐに竺土へ発ってもらいまっせ。船長、準備は出来ておるやろうな? この船は、買い取るように手配してるさかいに、存分に働いてもらいまっさ」「はっ、分かっていますが・・・」

「未だなんか、不満でも?」「この船で・・・」

「行けるやろう?」「行けないことは、ないんですが」

「うっん、そやろう」

 買い取るといっても、動くだけのおんぼろ船である。いくらで買い取る心算やら、お笑い草である。有無を言わさず、承諾させる欲の固まりと云える吾平に、船長と武春は、このままでは、<こちらが、いつかは骨抜きにされる>と、溜め息をつく。

竺土への航海は難しいであろうと知りつつ、苦笑いを見せる、吾平であった。

泉丸は、追い風を受けて、更にスピードを増す。黒島を左舷真横に見て、南東に取っていた進路を南に変えた。波を船首に受けながら、おんぼろ船は南下して行った。

 薩摩半島の海岸線に添って東へと航海していた剣丸は、硫黄島を南に見る位置に来ると、南西へと進路を変えた。竹島、硫黄島、黒島が横一列に並ぶ。船首は波を切り横へと払う。帆は風を受けて、一杯に膨らみ、島々を飲み込むような勢いを見せる。全速力で、恐れを知らぬかのような、順調なる航海であった。船長室では、奉行の平田宗源、久保忠元、瀬戸上織部達が、手筈通りに事が運ばなかった時の事を想定して、図面を囲んで打合せをしている。相手の奴らも必死の筈である。海賊達とやりあった時等、これまでにも手筈通りに上手く行ったことは稀であった。臨機応変に対応しなければならないと云うことは、皆の心得ていることではある。宗源の説明が続く。皆は黙ったまま、聞き入った。打ち合せは、済んだようである。机の上に広げられていた図面を、宗源は仕舞った。

上甲板では役人達が、武器の手入れに余念がない。悪徳武器商人達を捕らえるべき準備が、着々と進められていた。

船橋に入った久保忠元は、迫り来る黒島を眺めた。青々とした海に、ライトグリーンの輝きが溶け込んで行く。見上げる空には雲ひとつ無く、群れ飛ぶ鴎の姿は、忠元の目を誘う。硫黄島から上がる噴煙さえも、忠元には歓迎しているかのように思えた。

「船長、乗組員の志気も上がっているようだが・・・・・奴らは、腕のたつのを、揃えているらしぞ。大丈夫かな?」

「なあ〜に、手強い海賊じゃあないですからね。ここは、海の上。ひと捻りでしょう」

「うっん、それもそうじゃのお〜 だが、油断ならぬ相手故、念には念を入れねば」

「皆、覚悟の上にて、この職務に就いております。ご案じなさいませぬように」

「いざとなったら必要最小限に、被害を食い止めねばならぬことは、お奉行も申されているところなれば、心して掛かろうぞ」

「奴らが、何をやらかそうとも、対応出来るように訓練されております。まっ、篤と御覧になって下さいませ」

「うっ、久し振りに拝見致そうぞ」言い終わると、忠元は、黒島の先にある水平線に目をやった。今頃、待ち合わせの海域へと航海しているであろう泉丸の姿を思い浮べた。おんぼろ船の姿が頭を過り、船内からは役人達を出し抜いたであろうとの笑い声が、聞こえて来そうであった。

 美笠屋吾平は、腹を抱えて笑った。

「そやないか? 戦になれば、わてらの出番ちゅうこっやさかいに。武春にも気張ってもらわんとな、船長」と言って、吾平は又笑った。武器を運ぶだけかと思ったら、戦になるように仕向けとは、戦を好まぬ船長は不愉快な顔を見せた。<自分で仕組め> と言わずとも、自ずと策略をもって仕掛けるであろう吾平の顔が、恨めしくも思えてならない。

平々凡々と生きて行ければ良いと思っている武春にも、「内戦まで仕掛けろ」とは思いもよらぬ事であった。意見の食違いに因る、仲間割れの兆しを気付かぬ吾平である。船尾に小さく見える黒島を、吾平は振り返った。追っ手が、もうそこまで迫って来ているとも知らず、のんびりと島の様子を伺う。小さく遠ざかる島の様子など、伺い知れない吾平であった。

「船長、そろそろ、ここいらで、ええんとちやうか?」

「そうですね。もう少し南下しましょう」「そうか。ええやろ」

 おんぼろ船は、風を受けながら帆をぱたぱたと揺らす。波に乗り、時には上甲板に波飛沫を飛ばしながら次第に南下して行く。

勇姿とも思えぬ姿は、今にも波に飲み込まれそうな、沈みゆく難破船の如くであった。

「帆を、降ろせーい!」黒潮の北上に合わせての、停船である。

その流れに乗って、待ち合わせの位置に達するこの停船場所は、吾平達には、遠く南にあると思われた。

全帆が降ろされ、黒潮の流れに任せて、ただ待ち合わせの船を待つだけとなった。

船首のマスト上に、見張りが置かれた。

吾平達は、それまで船長室で待つこととなった。見張り役の男は、種子島の方向、日出東の方から本船に近付いて来る船を探す。

口永良部島が、鮮やかに浮かび上がり、その後方には屋久島が胡坐をかいている。見張り役は、目を凝らして探した。

 剣丸は、追い風を受けて、迫り来る黒島に突っ込んで行く。荒ら々とした岩場の上に、緑の絨毯が覆い被さり、剣丸をも寄せ付けぬ山が聳えている。構わず船長は、真直ぐ行くように言った。船は波を切り、上甲板には波飛沫が上がる。黒島が、目の前に迫った。切迫した雰囲気が、船上に走る。

「帆を降ろせ!」船橋にあった船長は、頃合を見て船首に向かって叫んだ。全帆が降ろされて、船はスピードを緩める。上甲板では、帆を降ろす役目の乗組員達が、忙しく動き回る。美笠屋吾平達を捕らえる前から、剣丸の船上では、戦いの如くあり、その腕慣らしのように思われた。

船は、岩場にぶつかる事も無く、手前で停船した。潮の流れには、流れに逆流する流れが、何処かに必ずある。船長は、その流れを読み、船を上手く東へと流す。南東には、口永良部島が、剣丸を誘って見えている。

船首マストの上では見張り役が、種子島から出帆したと思われる東へと向かう不審な船を探した。船橋で停船の模様を見守っていた唐船奉行の宗源達も、口永良部方向に不審な船を探す。波は青い海に白い模様を作り、風は彼らの耳元を不気味な音で鳴らす。空には雲ひとつ無く、晴れ渡っていた。

「夕暮れも近いことだし、そろそろ、お出ましの頃じゃあ〜あるまいか?」

 宗源は、傾きかけた太陽を、今にも飲み込もうとしている海を見て言った。

「そのようかと存じますが、恐らく・・・今少し待たねばならないでしょう」

 船長は、宗源の右横に立って言った。

「水平線に太陽が掛かる頃合が、他船の動静など構っておれないくらいに眩しく、目を逸らします故、その頃かと・・・」船長は、遠く水平線に目を向けた。

「うむ〜 その時が、奴らの積込みと?」

 船長は、宗源に頷いて応えた。忠元と織部も <成程> と頷いた。

一時待ったであろうか? マストの上の見張り役が、不審船がいると大声で叫んだ。

皆は、<何処か?>と、辺りの海を探した。「帆を揚げ〜」との船長の号令と共に、船内に銅鑼の音が響いた。上甲板を乗組員達は、走り回る。全帆が揚がった。船は、徐々にスピードをあげて、南東へと船首を向ける。

剣丸は、黒島を少しずつ離れて行く。目の前には屋久島、その右手に口永良部島、左手に種子島が薄っすらと見える。

「泉丸は見えるか?」と、船長は見張り役に叫んだ。「見えません!」と、見張り役は叫び、「不審船が南西へ進路を変えました!」と、船長に報告する。その方向に恐らく、あのおんぼろ船泉丸がいるのであろう。船長は、帆の角度を換えるようにと告げた。打ち合せの通りである。

追い風であった。剣丸は、船首を南東に、南へと流されて行く。剣丸の船首を横切って行った不審船が、不穏な動きをしないか、見張り役はじっと見張った。

剣丸は、風に流されてスピードを増して近付いて行く。ひと周りも小さな不審船の姿が、船長達にも見えて来た。

帆の角度を換えるようにと、船長は再度、大きな声で告げた。帆の角度が換えられて、剣丸は南西の方へと流されて行く。

「不審船は、どうじゃ?」「はい、不審船は、ようそろう。南西に」見張り役も、大きな声で応える。

「泉丸が見えます!」と、見張り役は、ゆびを指して叫んだ。

 <御出でなすったか> 「矢張り、間違いないようじゃのお〜」

 唐船奉行の宗源は、船橋で号令を掛けて操船する船長を見て言った。

「不審船が、西に進路を換えました! 泉丸に近付いて行きます!」と、見張り役。

「船長、どうします? 進路を換えさせますか? それとも」

「そのまま行ってくれ!」 船長は、航海士に向かって叫んだ。「はっ、分かりました」と、航海士は頷く。

近付いて来る不審船を、迎える準備をしている泉丸の姿が、見えている。

「船長」と、宗源は、船長を見た。船長は宗源に反応して、上甲板に向かって手を上げて、出撃の合図をする。

 銅鑼の音が、一回打たれた。乗組員達は、出撃の準備に取り掛かった。上甲板では、慌ただしい雰囲気が漂い始める。

 太陽は、水平線に落ちようとしている。眩しい程の輝きが、船長達を襲った。

「不審船は、どうか?」との船長に、「不審船は、泉丸に横付けしました!」と、見張り役は、船橋に向かって大声で叫んだ。

 船長達にも、おんぼろ船の泉丸に横付けした不審船の姿が、はっきりと見えている。

「帆を戻せ! 進路を泉丸に!」船長は、上甲板に向かって叫んだ。

「帆を戻せ、進路を泉丸に」復唱と共に、帆の角度が換えられて、剣丸の船首が泉丸の方に向いた。

泉丸では、近付きつつある剣丸の存在に未だ気付いていないようである。上甲板では、不審船から荷揚げされる火縄銃を、運んでいる乗組員達の姿が見える。

「予定通りやないか。荷を積み込んだら、直ぐに都へ行くさかいに」

筵で括られた長い箱を、上甲板へと上げようとしている様子を、船橋で見守っている船長に向かって、吾平は、「積込みは、急いでやるように」と、睨んだ。

船長は、「分かっています」と言って、上甲板に向かって手を振って合図をする。乗組員の一人が、船長の合図に頷いて応える。

 剣丸が、おんぼろ船泉丸に向かって突っ込んで行く。泉丸の乗組員達は、未だ気が付いていなかった。積み荷は、順調よく進んでいる。筵荷に括られた長い箱は、山のように上甲板に積まれて行く。

「うむっ、あれは何や?」吾平は、こちらに向かって突っ込んで来る剣丸に向かって言った。

「あっ、あれは・・・急げ!」船長は、積み荷を急ぐように叫んだ。積み込む速さが、前にも増す。 

「畜生。急げ!、急げ!」と、吾平は叫ぶ。

 剣丸では、弓の準備が出来ている。

「引け!」との、宗源の号令に、弓が引かれ、泉丸に狙いを定めた。矢の先には火が燃えて、鋭い弓矢の先が不気味に光る。並ぶ弓矢の列は、矢の先を一斉に泉丸に向けている。

「放て!」弓矢は、一斉に放たれ、火の筋を引きながら、泉丸目掛けて飛んで行く。

放たれた矢が、泉丸に突き刺さった。次に控える弓矢の列が、前に出る。先程と同じように、弓矢が飛んで行く。

「畜生! 未だか? 急げ!」船に突き刺さり、燃え上がる炎に、吾平はうろたえた。武春と手下どもは、太刀を抜いて身構えた。予期せぬ突然の襲撃に、乗組員達もうろたえている。

「者ども、位置につけいっ! 船長、何をうろたえている。帆を揚げさせろ!」

 武春は、上甲板にそして船長に向かって怒鳴った。船長は、積み荷を止めて、帆を揚げるように指示した。

積込みの途中であったが、横付けしていた不審船が、泉丸から離れた。帆を揚げる為に泉丸の上甲板では、乗組員達が動き回る。

「帆を降ろせ〜い」剣丸の船長が、上甲板に向かって叫んだ。

全帆が、一斉に降ろされた。剣丸は、泉丸目掛けて突っ込んで行く。

泉丸が帆を揚げる間も無く、剣丸は突っ込む。ぶつかる大きな音が、船内に響いた。

泉丸を擦って行く軋む音は不気味で、火の手が上がっている泉丸の上甲板で、太刀を抜いて向かえ討とうとしている下どもには、危害を加える音のように耳に響いた。

 唐船奉行宗源は、鞭を右手に、大きく前に振って合図をする。

剣丸から乗組員や役人達が、次々に泉丸に飛び乗って行く。板の梯子が、掛けられた。奉行自らも梯子を使い、乗り込んで行く。

上甲板では、斬り合いが始まっていた。

乗り込んだ久保忠元、瀬戸上織部は、浪人風の男を見付けると、斬り掛かった。

太刀のぶつかる音が、燃える音と重なる。忠元は、正眼の構えから、右足を一歩後に大きく振りかぶり、八相の構えとする。

浪人風の男は、正眼の構えとして、忠元の打ち込みを待った。二人は間合いを置いて、左へと回る。不意を襲われた恐怖心が、未だ残っているのであろうか? 相手の額には汗が光っている。忠元は、左足を半歩前に誘いを掛けた。

その誘いに乗って、相手は大きく振りかぶると、正面に打ち込んで来た。

忠元は、しのぎで相手の太刀を左に払うと、直ぐに、右斜め上段から振り降ろした。

「うわっ」と言う声と共に相手の男は、忠元の前に倒れ込んだ。血飛沫が、空を舞う。

剣丸から放たれた矢が、男達の喉元を、胸元をと、突き刺して倒れ込んむ姿が、忠元の目に入る。

 織部は、後から斬り掛かって来た相手を避けて、上手くしのいだ。舷側に追い込まれた相手は、正眼の構えであるが、腕が震えているのが分かる。織部も同じく正眼の構えとして、焦る相手の打ち込みを待った。

じりっ、じりっと前に詰めて、追い込んで行く。後の無い相手は、振り向いて海を見た。その瞬間、織部は、わざと相手の喉元に空の突きを入れて、打ち込みを誘った。相手は、驚きざまに織部の太刀を左に払い、大きく正面に振りかぶって打ち込んで来た。

織部は体を躱して、相手の右胴を斬り抜いた。血飛沫が飛ぶ。手前に倒れ込む相手を避けて、次に狙う相手に剣先を向ける。

手下どもは倒されて、徐々にその数も少なくなって行った。

吾平は、脇差を抜くこともせずに、降り掛かる火の粉を避けながら、ひとりの手下に守られて逃げ回っている。

伝馬船を見つけて、「降ろすように」と、言われた手下は、降ろそうとするが上手く行かない。そこへ、武春が現われた。

「武春、もうあかん。飛びこもか?」「何と、馬鹿なことを・・・さっ、こっちへ・・・早く!」

武春は、海を見下ろす吾平に、安全な場所へと誘った。

 大きな夕日が、水平線に落ちようとしている。火の手の上がる泉丸とぶつかっている剣丸を、夕焼けが包み込み、波は捕り物の声に踊っているようにも見える。

 不審船は、無情にも大親分吾平達をも置き去りに、種子島の方向へと船首を向ける。

吾平は、舌打ちをすると、恨めしそうに遠ざかる不審船を眺めるのであった。

気落ちして眺める吾平に、「さっ、早く! こちらへ!」と、武春は逃げ道を示す。

 忠元は、逃げ惑う吾平達を見つけると、前に立ちはだかった。手下が、吾平と武春の前に、正眼の構えを見せる。忠元も、下げていた太刀を、ゆっくり上げると正眼の構えとした。武春はその隙に、吾平の腕を取り安全な場所へと逃げる。忠元は、二人を追おうとしたが、手下の打ち込みを受けた。

上段正面に打ち込まれた太刀を、左に払ってしのいだ忠元は、よろめく体を立て直し、再び正眼の構えとする。手下の荒ら荒らとした息使いが、忠元に伝わって来る。忠元は、ゆっくり剣先を下げて下段の構えとし、相手の打ち込みを誘った。手下は、間合いを詰める。忠元は、一足一刀の間合いを維持しつつ、左へと回る。

一瞬の隙をついて手下は、上段正面に打ち込んで来た。透かさず忠元は、体を躱して相手の右胴を斬り抜く。血飛沫が空を舞い、「うわっ!」と言う声が、忠元に覆い被さる。手下は、忠元の横に倒れ込んだ。

<吾平は何処じゃ!> 大将首を上げねばならない。忠元は、降り掛かる火の粉を払い、吾平を探した。

 吾平と武春は、織部の前に立ち塞がれていた。太刀を右手に、両手を広げて道を塞ぐ織部に、武春は正眼の構えを見せた。

構わず織部は、前に歩いて間合いを詰めた。武春は、正眼の構えから、大きく太刀を上げながら、右足をゆっくり一歩引いて、刃を上に左手で太刀の鎬を支えて、剣先を織部の喉元に充てた。明国で使う太刀が、夕焼けに光る。織部は、ゆっくりと太刀を上げると、剣先を逸らして、正眼の構えとして対する。

わざと隙を見せられて、武春は、一歩前に誘いを掛けた。その誘いを待っていた織部は、正面に打ち込む。打ち込まれた武春は、太刀を大きく右に回して振り払った。太刀のぶつかる音が響き、火花が散る。

吾平は、その様子に、震え上がっている。

体を躱した織部は、ゆっくりと太刀を上げて八相の構えとする。武春は、太刀を右脇に下げ脇構えとして、織部に隙を曝す。

互いに斬り掛かり、体を躱す。斬り合っては間合いを取り、体を整えては構える。

勝負は互角のように思われた。火の粉が、武春の肩に降り掛かった。体を崩した所を、織部は見逃さなかった。正眼の構えから、武春の正面頭上に目掛けて打ち込んだ。

「うわっ!」と言う叫び声と共に、血飛沫が夕焼けに染まる空高く舞う。武春は、織部の前に、頭を割られて倒れ込んだ。血飛沫を見た吾平は、恐怖心で目を伏せた。

「観念致せ!」震えている吾平に織部は、言い放った。

近付くと、吾平の首に太刀を付けて、脅しを掛けた後、髷を、太刀で素早く跳ねた。

「次は、そなたの首よ」

「お許しを・・・どうか・・・」織部は、吾平に縄を掛けると、上甲板で待つ奉行宗源の所まで、引ったてて行った。

 斬られた手下どもや乗組員達が倒れ、首が転がっている。捕り物は、殆ど済んでいる。織部は縄を強く引き、宗源の前に、吾平を膝ま着かせた。

「こ奴が、美笠屋吾平か? うむ〜 それらしい、悪党の顔をしとるのお〜」

 美笠屋吾平は、宗源を睨みつけた。髷を斬られ、髪を垂らして下から睨み上げる吾平の顔は、宗源には、これぞ悪業の数々を重ねてきた悪玉と思えた。

「帆を揚げ〜い」燃える泉丸から、一刻も早く離さなければならない。船長は、大きな声で叫んだ。

 船長の号令に、宗源は、鞭を大きく前に剣丸へと振って合図をした。役人達は、剣丸へと飛び移る。捕らえられて縄を打たれている手下どもや乗組員達は、梯子を使い引ったてられて行く。宗源も、梯子を渡って剣丸へと乗り込んだ。全帆が、揚がった。剣丸は、燃え盛る泉丸から、徐々に離れて行く。

「不審船は、如何致した?」と、宗源。

「あっ、船が見えます。福進丸です。不審船も燃えています」織部は、不審船の進路を遮るようにして、着けている福進丸を指差して言った。

不審船の上甲板では、斬り合いが行なわれている。剣丸では、その斬り合いを見守った。剣丸が、スピードを増して近付いて行く。

斬り合いが、済んだようである。十人程の男達が、縄に括られている。

「秀次の奴、あれ程言っておいたのに。助太刀に来おって」

「織部、止せ止せ。言い訳など、どうにでも言える。偶然通り掛かったと言えば、それまでであろうが?」

「はあ〜 確かに・・・しかしお奉行、大きな御灸でも据えてやらねば、収まりませぬ」

「まあ、良いではないか。秀次に、花を持たせておけ」と言った後、宗源は笑った。

「仕方が、ないのお〜」と、織部。

 剣丸は、不審船の横を通過して、北西に船首を向けた。不審船と福進丸からは、手を振っている福進丸の乗組員達の姿が見える。

剣丸でも、手を振ってそれに応えた。

不審船から、次々に福進丸へと乗り移る。全帆を一斉に揚げて、福進丸も、黒島の見えている北西に船首を向けた。燃える泉丸と不審船を残して、剣丸の後を航海して行った。

 奉行所に引ったてられた美笠屋吾平とその手下どもは、暫らくの間、受牢を言い渡されて取り調べを受けることとなった。

悪業の数々は、役人達を驚かせた。奴らの逮捕は、メンドーサをも喜ばせた。裁きを言い渡される日が、やって来た。

噂好きの住人達は、興味を持って裁きを見守った。美笠屋吾平とその手下どもは、全て打ち首獄門となった。その裁きに皆は、納得した様子であった。

「奴らが処刑になって、皆は安心しとった。銃なんぞ、誰が使う・・・必要ないからのお・・・枕を高くして寝られるとな・・・」喜三郎は、軽く頷いた。

 

 

 

 「奴等が捕まって、安心していたのがいけなかった。哀しい事件が起きたのは・・・・・」喜三郎は、哀しい顔を見せた。振る返ると又沈みゆく夕日を見詰めた。

 刑の執行が行なわれて、どの位の月日が経ったであろうか。庭には、菊の花が咲き、紅葉の葉が色づき始める頃、泊浦には今日も変わらずに、大きな夕日を落とす。浮かぶ貿易船も南蛮船も又、夕焼けに包まれて波に船体を委ねていた。小料理屋の並ぶ通りからは、三味線の音が零れて、行き交う人の心を和ませる。居酒屋の通りにも、賑やかな三味線の音に引き寄せられて、お店へ入るお客達の姿がある。居酒屋『柘榴』が見える。下げられたばかりの暖簾を潜り、数人のお客があった。女将お初とお鈴は厨房に入り、手料理に余念がない。女給のお雅は、酒と酒の肴をお客達の席へと運ぶ。微笑むお雅に、お客達は微笑みを返して、お雅の持っている酒を自分で取って机の上に置く。

「いらっしゃ〜い」明るい女給の声に迎えられて、店に入って来たのは、鎮念とカルロス達である。

お客達は、気にもせずにお酒を飲み交わす。南蛮人と呼ばれるカルロス達の存在は、違和感なく彼らの生活の中に溶け込んでいた。

「お鈴さんの顔が、見えんようじゃが?」「まあ〜っ、鎮念さんたら・・・」

「何じゃい・・・折角美味い酒をと思うておるに」と、酒と酒の肴を机の上に置いて行く女給に、鎮念は不快な顔を見せる。

「あら、あたしのお酌じゃ美味しくないって言うの? もうお酌してやらないから」女給は、鎮念を困らせる。

「おい、カルロス、何とか言ってやれ。なっ、南蛮の女の話でもしてやれ、カルロス」

鎮念の目の前に、無造作に徳利を置く怒ったような態度に、少し揶揄ってやれと、女給の方に首を振ってカルロスに合図をする。

「おんなの・・・ジョルジ、女の話」カルロスは、ジョルジを見た。

「あなたは美しい」と、両手を大きく身振り手振りで、ジョルジに言われた女給は、笑顔を見せた。

「ほら、ねっ、鎮念さんとは、何処か違うでしょ? 惚れ々しちゃうわね」

「おい、ジョルジに色目なんぞ使うでない。お前は、お世辞だと分からんのか?」

「まあっ、お世辞を言える人達じゃないでしょ。鎮念さんじゃ、あるまいし」

「これゃいけないのお〜 お世辞をお世辞とも思えんようじゃ、よっぽど・・・こ奴らに逆上あがっとると、見えるの」

「話が、弾んでいるようね」鎮念の隣に掛けて、憎まれ口を聞いている女給に、お鈴は声を掛けた。

「よう、お鈴さんよ。胡麻を擦られて、逆上せ上がっている女は、始末が悪いのっ」

「胡麻すりにも程があるけど、誉められて悪い気はしないでしょ。特に相手が、好きな人であれば」

「そこよ。この女は全く、惚れられていると思い違いをしとる。始末が悪い」

「あら、嫌いだと言っているお客さんを見たことないわよ。鎮念さんは?」

「まっ、良いわさ。それならそれで」お鈴のお酌を受ける鎮念である。一気に飲み干す酒は、素早く喉元を過ぎて行く。

「それじゃ、あたしは」と言って、ゆっくり立ち上がった女給は、お鈴に席を譲った。

「いらっしゃ〜い」女給は、お客を迎えに行く。柘榴は、今夜も賑やかさを増すかのように見える。

時は、静かに過ぎて行った。

鎮念始めカルロス達が、すっかり出来上がり、夜も次第に更けて行く頃であった。店の中は、座る所がないくらいに繁盛している。騒めきの中に、二人の荷役人夫風の男が入って来た。明るく迎える女給の声にも、皆は気付かずに飲んでいる。入れ違いに出て行って空いた角の席に男達は、ゆっくりと腰を掛けた。

「美笠屋吾平達の手下達は、一網打尽に捕らえられたと、皆が思い込んでいたさ。ところが、運良く助かった奴らが、ひっこり現われおった。それが、この二人よ」喜三郎は、夕焼けに染まる貿易船を振り返った。「何で、わざわざ戻って来たかって? 急せないで、じっくりと聞いてくんねえ〜 おいらあ〜 驚いたさ、本当に、驚いたさ。それに、悲しいさ」と、言って溜め息をつくと、遠くに何かを見るように思えた。

 服はよれよれで、男達の髪は、ぼさぼさしていて今にも匂って来そうな風体である。頬には、刀傷があり、もうひとりの男の腕には、火傷の痕があって、男達に睨みつけられたら、鳥肌の立つような恐さを感じる。女給は奴らの席に、酒と酒の肴を運んで行く。置き終えて、女給は恐る恐るお酌をする。女給の震える手に、男が意味ありげな薄ら笑いを見せる。二人にお酌を終えた女給は、さっさと別の席へと酒を運ぶ。

「いらっしゃ〜い。あら、綱さん暫らくね。女将さん! 女将さん! 綱さんよ」

 入って来た綱嘉を見たお雅は、女将お初を呼びに、急いで厨房へと走る。

綱嘉は、鎮念達の席へと歩いて行った。

「よお〜っ、綱さんよ、一人かい?」「そうだ」と言った綱嘉に鎮念は、座るようにと手で空いていた椅子を指して招く。

「どうしたんじゃい、綱さんよ、長いこと見なんだが」と、鎮念は、カルロス達に会釈をして示された椅子に座った綱嘉に、お酌をする。ジョルジから手渡された杯に、酒が溢れるくらいに注がれる。男だけの宴席である。綱嘉は、一気に飲み干した。「ふ〜うっ」と吐く綱嘉の息が、カルロス達には、不思議に思える。カルロスは、「捗っているかい? 例のあれは」と、聞いてみる。

「駄目じゃ」と元気の無い返事に、鎮念は、「なあ〜に、綱さんのこっじゃ、太刀なんぞその気になれば、のっ、綱さんよ」鎮念は、綱嘉の杯に、又酒を注いだ。

「何処が、駄目なのだ?」と、カルロスは飲んでいる手を止めて、綱嘉に話し掛ける。

「綱さん、酷いじゃないの? ご無沙汰しちゃってさ。待っているのにさ。一度も来ないなんて、冷たいじゃないのさっ」

 綱嘉の後から、お初は首を伸ばし、綱嘉の顔を覗き込むようにして、文句を垂らす。

「おい、女将、男にはのっ、女には、解らん何かがあるんじゃよ。女将のことも忘れるくらいに、打ち込んでいる事があるってことは、喜ばしいことよ」

「何が喜ばしいのよ。簡単に忘れられたら、女はたまったもんじゃないわね。女にも、男には解らないものがあるのよ。鎮念さん」

「ほうっ? 女にものお〜」「そうよ」

「分からんのお〜」「簡単に解ってたまりますか」

「まあまあ、機嫌を直してくれいっ、女将。こうやって、綱さんも来ているじゃないか」

 綱嘉の隣に座っていたバスコが、気を使ってお初に席を譲る。お初は、「そうね」と、呟くと、譲られた席に座った。機嫌を直したお初は、綱嘉に、鎮念へと順にお酌をして行った。

「彼奴かい? 俺らを売ったのは?」

「かも知れんのお〜 南蛮の奴らと、楽しそうに飲んでやがる。まさか、あの坊主の方じゃないやろうなっ」

「作っ、まさかおめえ〜 坊主が?」長蔵は、そんなことはないと、笑みを浮かべる。作次郎も、頷くと薄ら笑いを見せて、「そうよな。まっ、様子を・・・」と、長蔵に酒を注ぐ。美笠屋の手下であった二人は、黙って酒を飲み交わす。

 柘榴の夜は、静かに進んで行った。

夜も深まった頃であった。鎮念達の席には、お鈴も加わって、鎮念始めカルロス達は上機嫌である。お鈴の三味線の音に乗って歌う女将お初の声は、お客達を酔わせる。男達は、すっかり酔い痴れていた。

「いらっしゃ〜い」酒を手にお雅は、入って来たお客に声を掛けた。織部である。こんな夜更けに、何か事件でもあったのであろうか?

お雅は、「織部様、何かあったの?」と、声を掛けた。織部は、「いやっ」と言って首を横に振る。お雅は、注文された席へと運んで行く。店の中を見回している所へ、別の女給が近付いて来て、「鎮念さん達の席でも宜しい?」「構わないよ」と同席を承知してくれた織部を、鎮念達の席へと案内する。織部の出現に皆は、歓迎の酒を交わした。お初の歌は、賑やかな歌へと変わっている。

「踊りたいのお〜 ジョルジ、どうじゃい、踊るってのは?」踊りと聞いたジョルジは、手を横に振って断った。立てば倒れるくらいに酔っているのに、踊りたいとは余程の踊り好きである。織部は、鎮念にゆっくりと徳利を差し出して酒を薦めた。酒好きの鎮念は、断るわけは無く、快く酒を受けた。

「織部殿、何かあったのですかな? こんな夜更けに・・・」

「今夜は、密航の取締りが御座ってな、また戻らねばらなぬ」

「密航しようと思えば、簡単なことで御座ろう? 明国へ行きたいと云う奴らには、どんどん行かせたら宜しかろうが。餞別でも渡したいくらいじゃ」

「悪なる者を、わざわざ他国へ出す訳には行き申さん。明国に学ぼうとする者であれば、別ですが・・・明国に学んで、役に立つ者もいれば、役に立たぬ者も御座ろうが・・・」織部は、横目で鎮念を見た。

「薩摩のお荷物とでも? 仰りたいのですかな? まっ、仰る通り、役には立っておりませぬが・・・のっ、綱さん」

「はあっ? あっ、いやいや、十分お役に立っているんじゃないですか? こうやって、南蛮の方々と杯をやり取り出来るのも、鎮念さんあればこそ。織部様も、分かっていらっしゃる筈。明国で学んだことを、内に秘めてないで、もっと皆の為に出されたら、ええんじゃないですか」

「外に出す物は、何も御座らんでのっ・・・困っている民の為になるのであれば、喜んでお役に立ちましょうが」

「官の役に立ちたくはないと?」織部は、鎮念の言葉に腹立たしく思った。<我らを何と心得ておるのか、この坊主は>

「まあ、まあ、織部様、この話は後日、日を改めて。さあさあ、じっくり飲んで下さい」

「うっ、うん。それにしても、今夜はカルロス達は、大人しいじゃないか?」

 織部は、綱嘉に杯を差出しながら、お鈴の三味線で歌う女将の歌に、静かに聞き惚れているカルロス達を見た。賑やかに跳ねるようなリズムに、カルロス達は体を少し揺すっている。織部は苦笑いを見せて、注がれた酒を一気に飲み干した。

 織部達のやり取りを、美笠屋の手下であった作次郎と長蔵は、酒を飲みながら店の角から伺っている。きらりと光る目は、織部の姿を離さなかった。おんぼろ船泉丸の船上で戦った相手である。忘れる筈はない。今にも襲いたい心境を押さえて、酒を交わした。

「おい、女。あの男は誰じゃ? 侍のそば」

 酒を運んで来た女給に、作次郎は尋ねた。「織部様の? ああ、あの方ね・・・綱さんよ。近くで刀鍛冶をしているわ」

「近いのかい? ここから」「直ぐ近くよ」と、恐る恐る応える。

「有難うよ」「いいえ」

 女給は徳利を置き終えると、さっさと他の席へと運んで行く。二人は、顔を見合わせた。頷いた二人は、一気に酒を飲み干した。

 三味線の音に合わせて歌う女将お初の声とお鈴の声に、お客達はすっかり酔い痴れた。腹拵えをした織部は、役職の為に港に戻って行った。柘榴の夜は、時には静かに、時には賑やかに過ぎて行く。港では、取締りが慌ただしく続いている。密航しようとする者を、予想通りに捕まえることが出来ずに、朝を迎えようとしていた。

 出漁していた漁船の帰帆で、女達の姿が目立つ水揚げ場は、賑やかさを増している。勢い良く跳ねる魚が、砂浜の上に置かれた竹篭の中へと入れられて行くのが見える。日の昇らぬ間に、済ませなければならない。薄明りの水揚げ場は、忙しく動き回る。活気があった。

 昇り行く朝日は水面を輝かせ、浮かぶ貿易船に息を吹き掛けて朝を報せる。南蛮船も既に目覚め、見張り役が睨みを効かせている。その南蛮船の乗組員カルロス達から貰った短銃の設計図を、綱嘉は確認していた。柘榴から帰った綱嘉は、朝食を済ませると、上手く行かない短銃の検討に入った。何処をどのようにしたら、上手く行くのであろうか? 綱嘉は考えた。<もしかして、銃身を取り付ける場所に、刻みを入れたら? 焼き入れの火を、もう少し弱くしたら?> 一瞬、閃いた。<よし、やってみよう>

「誰か! 誰か準備してくれ!」

 師匠の声に弟子達は、いつものように準備に取り掛かる。火が入り、部屋の中は熱気と綱嘉の燃え盛るような意気込みで、弟子達を圧倒する。弟子達の目も又、厳しい目に変わっていた。どろどろと溶けた鉄が、型枠の中に流し込まれる。桶に入っている、適当な温度になった水の中に、型枠が入った。じゅっと云う音と共に、蒸気が立ち登る。次の型枠の中に、真っ赤に溶けた鉄が流し込まれる。綱嘉の額には、汗が滲んでいる。弟子は、その汗を拭いてあげる。綱嘉は、頷いて礼を言った。

繰り返される同じような作業は、いつもと違うように思えた。短銃の形が出来上がった。「よし、これで良い」

 次に、出来上がった物を組み立てる作業である。少しずつ、作業は進んで行った。綱嘉の目の前には、二丁の短銃が置かれた。組立は、終了である。

「もう少し、時間を置く」「はっ」

綱嘉は、直ぐに射つのを止めて、時間を置くことにした。一時の休息に入った。

汗をかいた後の、お茶は美味い。綱嘉は、庭の前方に聳える山を眺めながら、味わうように飲んだ。仕事には人一倍厳しい綱嘉に、弟子達の方から話し掛けることはしなかった。綱嘉の横で、黙ってお茶を啜る。師匠に気を遣いながら飲んだ。

そんな弟子達の仕事には、厳しい目を向ける綱嘉である。お茶を啜ると、深い溜め息をついた。立ち上がった綱嘉は、「始めよう」と、弟子達に声を掛ける。

 広い庭には、弓矢用の丸い的が、松の木に下げてある。綱嘉は短銃を手にすると、前に進み出た。先日の失敗が、頭を過る。

「弾を、持て」弟子から渡された弾を、短銃に込めると、火縄に火を着ける。火打ち石のカチッ、カチッと云う音が、弟子達に緊張感を与える。

綱嘉は、ゆっくりと的を狙った。火縄の燃える焦げた匂いが、漂う。綱嘉は、覚悟を決めて引き金を引いた。

成功であった。大きな銃声と共に、的に穴が空いている。弟子達は、歓声を上げた。片方の短銃も、難なく的を射ることが出来た。綱嘉は深い溜め息をつくと、額に光る汗を左手で拭いた。

何度となく失敗を繰り返し、苦心して造った短銃である。綱嘉は、掌の上に乗っている短銃を眺めた。太刀と同じような重みが、体に伝わって来る。綱嘉は、満足であった。

「短銃を、磨いておくように。それから、船長メンドーサを招待するんで、南蛮船まで誰か、ひとっ走り行ってくれ。三日後が良かろう。次は太刀に入る。準備は、頼んだぞ」太刀の製作は、暫らく振りである。失敗した短銃を目の前に、頭を抱えて悩み苦しむ師匠綱嘉の姿を見てきた弟子達に、また活気が漲って来る。短銃製作の成功は、弟子達にも自信を与えていた。

メンドーサを仕事場に招待する綱嘉の意向は、早速、伝えられた。

 犬の遠吠えが、聞こえて来る。居酒屋の並ぶ通りを除いて、物音も発てずに町は、寝静まった薄暗い夜になっていた。

その静かな綱嘉の仕事場に、忍び込んでいる輩があった。

「しっ、長蔵、音を発てるんでねえ〜よ」「分かってる。向こうに何かありそうだぜ」

「よし・・・・・・・・・金目の物は、何もねえじゃねえか・・・灯りを貸せ」

「待てっ、おい、作、これは何じゃ?」

「どれ、おっ、これりゃあ、おめえ〜 短銃じゃねえか。どうして、こんなとこに」

「有難てえ〜 頂いとこう」

 綱嘉が、苦心して造った短銃である。磨きの途中にあった短銃を見付けた長蔵は、とっさに懐に仕舞い込んだ。近くに、弾もある筈だ。案の定、無造作に置かれてあった弾が、灯りで照らされる。長蔵は手掴みすると、弾を懐に入れた。二人の物色は、続く。

 綱嘉は、そうとも知らずに寝入っている。別の短銃一丁は大切に、掛け軸の下に飾ってある。横たわる太刀が、重みを与える床の間である。綱嘉は、寝入っていた。

 忍び込んだ二人は、他を物色する。

「他に無いのか? ちっ、しけてやがる。太刀一本も無いとはのお〜」

「長蔵、お門違いだぜ。金目の物は、ねえ〜ぞ・・・引き上げよう」

「そうよなっ、奴らが起きだして来ないうちに、退散した方が良さそうじゃな」

 短銃を手に入れた二人は、忍び足で元来た道を引き返す。慣れぬ二人は、転びそうになったが息を堪えて歩いた。仕事場を出た二人は、急ぎ足で外へと逃げる。

「ふっ、畜生! 未だ、腹の虫が収まらねえなっ。作っ、飲むか?」

「よっ、良いのお〜 開いてるんかいの?」「なあに、何処か未だやってるさ」

 金目の物をごっそりと頂く積もりであったが、当てが外れた二人は、酒でも飲んで欝憤を晴らそうと、繁華な通りへ酒の匂いを求めて歩いて行った。

 船長メンドーサ達を、綱嘉の仕事場に迎える日がやって来た。貿易船が整然と並ぶ少し沖合に南蛮船は、いつものように勇姿を浮かべている。

朝の陽射しを背に、喜三郎は馬車を走らせた。きょうは、公平の許へ、馬の餌を届ける日である。通い慣れた道とは云え、土埃をたてるでこぼこ道には、いささか不満である。揺れながら、何時もの繁華な通りを過ぎて、馬小屋に着いた。

「喜三郎、早いのお〜」

 砂浜で馬を走らせて、帰って来たばかりの公平が、馬車から降りようとしている喜三郎に声を掛けた。

「調教は、もう済んだんですかい?」「夕方に、もう一度走らせるが・・・」

「あの暴れ馬も、何とまあ〜 大人しくなったもんですねえ〜 見違えやしたぜ」

 喜三郎は、持って来た餌はそっち除けで、一列に並ぶ馬達の前に立つ公平の方へと歩いて行った。歩み寄り、馬の頭を優しく撫でる。

「どうだい、喜三郎、そろそろ、御城下の殿へ献上しても良かろう?」「はあ〜 中々のもんですね」

「おい、気に入らぬようだが?」

「いや、ただ・・・何れこの馬達は、戦に借り出されるのかと思いやすと、侘しくなりやして・・・どうも、いけやせん」

「そうよのお〜 我が子を戦に出すような心境よな・・・折角、ここまで仕上げたと云うのに、藩の為とは云え・・・」公平は、言葉に詰まった。喜三郎に振り返ると、「喜三郎、今夜はどうじゃ? 酒など・・・柘榴でどうか?」と誘った。

喜三郎は、快く誘いを受けた。二人は、柘榴で待ち合わせることとなった。

 山から顔を出していた太陽は、既に頭上に登り徐々に西の海へと下って行く。上陸したアルメイダは、貞次が準備してくれた家で、集まった住民達を前に、説教に余念がない。素見で集まっていた住民達の足は他へ遠のき、説教に感動して集まる住人達は、同じ顔触れへと変わっていた。

「信ずる者は、救われ、信じざる者は、救われぬ。神は、汝らに幸福を与えて下された。我らは、神と共にあり、神と共に生きん。明日への誘いは、神のみが知ると思え」アルメイダは、両手を前に大きく広げてゆっくり上に、天井を見上げた。響動めきが、起こる。アルメイダの手が、ゆっくりと前に下げられて、響動めきが止んだ。「今、汝らは、神の子とならん」住民達は、手を合わせて祈った。

アルメイダは左手に聖書を持ち、住民達の頭を右手に撫でて回る。説教は、クライマックスに入ろうとしていた。

 その頃、船長メンドーサは、カルロス達の案内で、綱嘉の家の門を潜った。

「頼もう!」とのメンドーサの声に、弟子が綱嘉を呼びに行く。待ち兼ねていた綱嘉は、笑顔を見せて外へ出た。

船長達を迎える綱嘉は、右手を前に出して握手を求めた。白装束に笑顔一杯の綱嘉に、メンドーサは一瞬躊躇したが、しっかりと右手に受けて握手を交わした。

「良く、御出で下さった。少しここでお待ち下さい」と仕事場の前で、メンドーサ達を待たせる。仕事場に入って行った綱嘉は、竹篭の中の塩をひと掴みすると、撒いて清める。その様子を、メンドーサは見逃さない。お清めが終わって出て来た綱嘉に、「何故、塩を撒いたのか?」と、聞いた。お清めであるとの説明に、「矢張り」と呟いて、「私の国でも、お清めには塩を使う」「うんっ」と頷くと、「お清めの前に、向こうの井戸で、この体も清めたんですよ」と、綱嘉は右手で軽く胸を叩いた。

「えっ、冷たい水を、被ったのか?」驚いたメンドーサに、微笑んで、「さあっ入って下さい。こちらへ」と、仕事場に案内した。

 仕事場はメンドーサの思ったよりも広く、ゆっくりと辺りを見回す。

弟子達は、綱嘉の動きに神経を集中して待った。いよいよ、始まる。メンドーサの呼吸が、一瞬止まった。部屋の中には、緊張が走る。鉄が、焼かれて行く。真っ赤に焼けた鉄が冷やされて、一本の太刀の基となる。その太刀は、更に焼かれる。真っ赤に焼けた太刀とも鉄の棒とも思われぬ物を取り出しすと、待っていた弟子二人が交互に、ハンマーで叩く。斬れ味を左右すると云われる鉄の棒と思われるような、焼きが入れられる。又焼かれ、ハンマーで叩く。その動作は、何度となく繰り返された。

焼かれた太刀を、綱嘉一人がハンマーで、叩き太刀の形に整えて行く。

「よしっ」と言って、綱嘉は、準備してあった水の中にその太刀を入れた。蒸気が、音を発てて上に登る。

 仕上げの作業に入っていた。弟子が、綱嘉の額に光る汗を拭く。

「出来た」

 綱嘉は、太刀の刃を上にして、光を充てて出来具合を見た。惚れ惚れする出来である。きらりと光るその中に、寒気のする太刀の斬れ味を感じた。少し太く、程よく曲がるその太刀の出来栄えに、弟子達も溜め息をつく。側に寄って来たメンドーサが、太刀の美しさに、思わず叫んだ。

「うむ〜良い。実に素晴らしい太刀ですね」「船長、これをあなたに差し上げましょう」「これを私に?」

「そうです。友の証に受け取って下さい」「有難う。喜んで頂きましょう」

「後は、磨きが残っていますので、出来上がり次第。船までお届け致しましょう」

 綱嘉は、言い終わると、メンドーサ達をお茶に誘った。慣れない正座をするのは、きつかろうと、縁側での茶宴である。広い庭には、手入れされた松の木があり、菊の花がメンドーサの目を引く。その目の前には、大きな山が聳えている。

 綱嘉は、出されてあったお茶を、ゆっくり啜ると、縁側に置いた。メンドーサ達も、苦い緑茶を味わっている。

「ご覧なさいメンドーサ、庭の造りは、前に見える山と似ているとは思えませんか?」「前の山と?」

メンドーサは、もう一度目の前に聳える山に目をやり、比較して見る。成程、庭には大きな石が置かれ、木が空を突き刺すように植えてあって、小さな石が至る所に鏤められてある。前に聳える山や川が、その庭に凝縮されているではないか。

メンドーサは思わず、「おおっ、何と、計算し尽くされた庭であろうか? このような庭は、今まで見たことが御座いません」と、絶賛する。

「お分かり頂けましたかな? 目の前に聳える山や川と、庭の造りが一緒になって、ひとつの作品となるのです。この庭の造りが、薩摩の庭園なのです」

「おお〜 そうでしたか。自然の美しさを、再現しているのですね」「そうです」

 綱嘉は、メンドーサが感心したのを見て、何を思ったか短銃を持って来るようにと言った。短銃を取りに行った弟子が、血相を変えて戻って来た。「何かあったのか?」との綱嘉の問いに、「仕事場に置いてあった短銃一丁が、何者かに盗まれております」と、首を傾げる。

「盗まれた? 困ったことよのお〜」

「これに」と言って、弟子は、綱嘉の部屋から持って来た代わりの短銃を差し出した。

「太刀もそうであるが、持つ者に因っては、他人を傷つける邪器にもなるし、己れを守ってくれる武器にもなる。誰をも寄せ付けぬ守り神にもなってくれる」綱嘉は、メンドーサに短銃を手渡した。受け取った短銃を、掌に乗せて観察する。射つ気が無いらしい。

「良く出来た」と言って、メンドーサは綱嘉に返した。

「メンドーサ、前の庭とこの短銃とでは、どちらが重かろう?」

「どちらが、重いかとな? うむ〜 庭は、計れまいし、どちらであろうか?」

「それは、庭に決まっておる。メンドーサ」

「何故、綱さんは、庭の方が重いと思うのかな? 短銃だって、結構重みがあるぞ」

「メンドーサ、この庭は、黙って見ているだけで人の心を癒してくれる。この短銃は、癒してくれるか? 人や人の心を傷つけるだけじゃないか。そんな物んの、何処が重い?」

「しかし、綱さん、短銃も必要な時がある。そんな時は、有り難いぞ。襲われたらどうする? 持っているだけでも安心する」

「愛する人の涙を見てもか? メンドーサ」「うむ〜」と、メンドーサは唸った。

「まあ、良いわさ。メンドーサ、柘榴で飲もう。女将に言って、早めに開けてもらうで。カルロス、良いな?」

埒のあかない話をしていても始まらない。<未だ夕暮れには、ほど遠いが。お初の顔でも見に行くか> 綱嘉は、柘榴で飲むことを提案した。

メンドーサやカルロス達も喜んで承知した。庭園の美しさは、メンドーサの心を引き付けた。角から角に目をやるメンドーサである。

柘榴に使いに走った弟子が、「遠慮なく御出で下さい」と云う女将お初の伝言を持って帰って来た。綱嘉は一人の弟子を伴い、メンドーサを柘榴まで案内して行った。

 柘榴には、未だ昼過ぎだというのに先客があった。喜三郎と公平である。お鈴に頼み込んだ喜三郎は、早めに店を開けてもらい、酒を飲み交わしていた。

「いらっしゃあ〜い。さあっ、こちらへ、女将さんも、お待ちかねよ」

 女給のお雅は、入って来た綱嘉を見るなり声を掛けた。綱嘉は軽く頷いて、案内されるまま、お雅の後をついて行った。メンドーサ達も、後をついて来る。

「おおっ、喜三郎、来ておったか」「へい」

綱嘉は、メンドーサ達を紹介することもせずに、席に着いた。

酒と酒の肴を、お鈴が運んで来て、机の上に置いて行く。お伴の、ヘラクレス、カルロス、バスコ、ペドロは、お鈴のお出ましに上機嫌である。置き終えたお鈴は、綱嘉、メンドーサ、カルロスへとお酌をして行く。

お酌を終えてお鈴は、空いている綱嘉の隣に腰掛けた。それを見て綱嘉は、伴の弟子に、「おい、あれを」と言って、弟子から渡された物を受け取った。

「お鈴さん、夜桜お鈴には、似合うじゃろうが、あんたには、似合わん品もんじゃ、受け取ってくれ」

 綱嘉は、袋に入れてある小太刀をお鈴に手渡した。お鈴には、頼んでおいた短刀の部類であろうと、直ぐに判った。

「これを私に・・・有難う・・・欲しかったの・・・綱さんの作ったのであれば、鬼に金棒。悪い奴らを、やっつけられるわ」

 お鈴は、袋の紐を解いて、小太刀を取り出した。鞘から抜くと、刃先に見入った。

「太刀なんて物は、そう簡単に抜くんじゃないよ。お鈴さんにゃあ、三味の音がお似合いじゃ。我が身を守る時だけにしてくれよな」

「分かったわ、綱さん」小太刀を手に席を立ったお鈴は、暫らくして三味線片手に戻って来た。

酒は、程よく進んでいる。調弦を済ませて歌い出す。お鈴の歌に、美味い酒の肴、途中から加わった女将お初のお酌と、メンドーサは満足であった。近くの喜三郎と公平も、お鈴の歌と酒に、酔い痴れて行った。

「いらっしゃあ〜い」暖簾が下げられた柘榴は、何時の間にか賑やかさを増して行く。

「何時も賑やかじゃのお〜」入って来たのは鎮念に、今朝帰帆したばかりの喜平治に源蔵である。女給に案内されるまま、喜三郎達の席に着いた。

「喜三郎、相席で悪いのお〜」「いえ、あっしらは、一考に構わねえだ」

「左様か、ならば良いのじゃが」「鎮念さん、一献どうです?」

 喜三郎は、鎮念に酒を薦める。お雅が酒と酒の肴を運んで来た。

「お雅ちゃん、いつも綺麗じゃのお〜」「何言ってんのよ源さん。いつ帰って来たのよ、未だ海の上かと思っていたわ」

「ちぇっ、やっとの思いで帰って来たかと思えやあ〜 これだよ。おいら達ゃあ〜 歓迎えされねえようじゃの」

「まあまあ、拗ねてなんかいないで」お雅は、源蔵に徳利を差し出す。

「鎮念さん、何とか言ってやって・・・冷てえったら、ありゃしねえ」

「お雅ちゃんよ。嵐の中を、命懸けで帰って来たんじゃ。それにのお〜 長いこと女の面なんぞ、見なかった源蔵にゃあ、どんな不細工な女でも、綺麗に見える」

「ちょっと、鎮念さん、そりゃあ無いんじゃないのけ? おいらあ〜 そんなこと言っちゃあおらん」と、溢れる程注がれた酒を、口の前で止めた。

「分かっとるから、ささっ」と、一気に飲むようにと、右手を前に薦める。

「それに、淋しいんじゃろ。のっ」二人のやり取りに、喜三郎と公平は、小さく笑って聞いている。

「お雅ちゃん、そこの男心をじゃ、分かってやらなにゃあ〜 この男も可哀相なもんよ」

「けっ、何が男心だよ。何が可哀相かい」一気に飲み干した源蔵は、「ふう〜」と、息を吐く。皆の笑いを聞いて、源蔵は、すっかり機嫌を悪くしてしまった。

「ささっ、源さん。分かったから・・・」お雅のお酌を素直に受けるが、上手く言ってくれると思っていた鎮念には、外方を向いてしまった。

「いらっしゃ〜い」作次郎と長蔵が、何食わぬ顔をして入って来た。店の角の席に案内されるまま、二人は黙って掛けた。不気味な態度に、女給は直ぐにその席を離れた。長蔵は、辺りを伺う。綱嘉に気付き、首を振って合図をする。

「やっぱり、彼奴じゃ。間違げえねえ〜」「くそっ、思い知らせたるか」

 長蔵は、懐に右手を突っ込んで、短銃を触った。ずしりと重く、堅く、心地よい感触である。作次郎の合図に、長蔵は、綱嘉から目を逸らした。直ぐに、酒が運ばれて来る。恐る恐る、お酌をする女給である。二人にお酌を終えた女給は、他の席へと酒を運ぶ。

 勘違いされているとも知らずに綱嘉は、メンドーサに酒を注ぐ。奴らの企みを、知る由もない綱嘉であった。

喜三郎達の席でも、美笠屋吾平の手下であった二人の存在には、気付かず酒を交わしている。酔いも回っていた。

「メンドーサ、未だ陽は高い。もう少し飲もうじゃないか。当直に任せておけば良い」

「いや、船の様子が気になる。これにて退散致す。カルロスお前達は、未だ飲むが良い」

「船長、私が送りましょう」と、ペドロ。

「うん、頼むぞ」と船長。

「じゃ、わしも、そこまで、送って行こう」「あら、綱さんも? 未だ、宵の口よ。良いじゃないのさ、綱さん」

 女将お初は、必要以上に綱嘉を止めるが、送って行くと立ち上がった。

「おい、喜三郎。綱さんは、帰るようだぞ」公平は、右手親指を立てて、綱嘉達の席を示した。

「おいらも、帰りますかね」「そうか、じゃ帰るとするか」喜三郎と公平も、立ち上がった。

「おいおい、帰るのかい?」鎮念は二人が、帰るのには不満のようである。

「仕方が、ないのお〜 カルロス達と一緒に飲むとするか」と、源蔵を見る。源蔵は、にっこりと頷いて応えた。

「作っ、彼奴は帰るようだぞ。やるか?」「よしっ」

 長蔵と作次郎は、お初に見送られて店を出る綱嘉達を睨んだ。勘定を払うと、気付かれないように二人も店から出て行った。

喜三郎は、お鈴に又来るからと挨拶を交わし、お鈴の誘いも聞かずに店を出た。

鎮念達は、カルロス達の席へと移動する。「バスコ、ここに座るぞ。良いかな?」頷くバスコである。鎮念と源蔵それに喜平治は、カルロス達にお酌をする。お鈴の三味線を肴に、何時もの宴会が始まろうとしていた。

 貿易船が、沈みゆく夕日を受けて、勇姿を浮かべている。南蛮船も又、夕焼けに染まっている。出漁する漁船の姿もあった。

綱嘉はメンドーサ達の前を、弟子を伴に桟橋までの道程を案内して歩く。

 長蔵と作次郎は、綱嘉達に気付かれないように住人を装い、綱吉達の後をつけた。

「喜三郎。あの二人は、先程まで、店で飲んでいたな。綱さん達を、つけているんじゃないのか? どうも、様子が可笑しい」

「つけてみやすか?」「そうしよう」

 繁華な通りを抜けると、桟橋であった。

桟橋が見えて来ると、長蔵は立ち止まった。立ち止まると、懐から短銃を取り出して、作次郎の火打ち石に火縄を近付ける。かちっ、かちっと音を発て、縄に火が着く。煙が、登って行く。短銃を手に、ゆくっりと歩いて行った。二人は、機会を待った。

桟橋の手前に来た時、綱嘉はつけて来る長蔵達に気付いた。メンドーサとペドロも後を振り向いた。長蔵が、短銃を手にしているのが分かる。一瞬、皆は身構えた。恨まれる事はないと、綱嘉は自分ではなくメンドーサを狙っていると勘違いをした。

 一発の銃声が、響いた。長蔵は、短銃を射つのは初めてであった。綱嘉を狙って射ったのであるが手元が狂い、メンドーサの方へと弾が飛ぶ。メンドーサを自分の体で、とっさに庇って前に立ち塞がった綱嘉を襲った。綱嘉は、胸を押さえて倒れ込んだ。

 近くを探索中であった織部は、大きく響く銃声を聞き、駆け付けて来た。

「つなさん。しっかりしろ」メンドーサは、倒れた綱嘉を抱き抱えて、大きな声で叫んだ。が、返事がない。

 間に合わなかった。「あああっ、綱さん。綱さん」喜三郎と公平も、大声で叫んだ。

弟子とペドロは、あまりの驚きと悲しみに声が出ない。立ち竦むだけである。

「お前らか!」叫んだ織部は、長蔵と作次郎に斬り掛かった。血飛沫が、空を舞う。長蔵は頭を斬られ、作次郎は胴を斬り抜かれて倒れ込んだ。

 二人は、ひと太刀で斬られている。倒れた二人を織部は、足で蹴って転がした。足元に転がっていた短銃を手にすると、織部は、綱嘉の方へと歩いて行った。

「メンドーサ、どう云うことか?」「さあ〜 私にも、分かりません」

「あ奴らは、美笠屋吾平の手下どものようじゃ。見覚えがある・・・何故、襲った?」

「美笠屋とは、何の係わりも御座いません。何かの間違いではないかと。その短銃は、綱さんが造った物。盗まれたと、きょう聞いた所です。奴らが、盗んだのですね」メンドーサは、短銃に目をやった。

「盗まれた? 盗まれて・・・左様か・・・しかし理由なくして襲うか? 奉行からは、面倒を起こすでないと、きつく言われておる。覚えがなければ仕方あるまいな。メンドーサ、さあっ船に戻ってくれ」

 弟子は、綱嘉を抱き抱えて泣いている。

「一瞬の出来事やった。おいら、驚いたさ。本当に、悲しいさ。おいらよりも、お初さんの悲しみの方が、どれだけ大きいことか。皆には、解るめえ〜」喜三郎は、真っ赤に染まる、整然と並ぶ貿易船を眺めた。その色は、あの時の、血の色のように思える。

「愛する人が、急に居なくなる。話したくても、もう話せねえ。解るめえよ」

 夕日が、水平線に掛かろうとしている。大きく、真っ赤な夕日である。

「彼奴らは間違えて、綱さんに仕返しをしおった。仕返しや仇討ちが何になる。巻き添えを食ったら、堪ったもんじゃねえ〜」

 役人に密告された為に、仲間を失ったとの誤解された復讐であった。戦が、あちこちで繰り返されている。同じ考えや生活圏を持つ我の他は、全てが敵である。愛することよりも、その敵なる者に復讐を繰り返す。その犠牲になるのは、弱い立場の女や子供達や百姓達であった。喜三郎は、大きく息を吸うと深い溜め息をついた。水平線に落ちて行く、覆い被さるような真っ赤な夕日に、想出を乗せた。

 愛する日々は、幻影の如く喜三郎の頭を、ゆっくりと過る。

 果たして報復は、必要なことであろうか?「繰り返して何になる」 

 三味線の音が、何処からともなく聞こえて来る。今夜も、居酒屋や小料理屋の並ぶ通りは、賑やかなことであろう。喜三郎は、落ちて行く夕日を目で追った。

 泊浦の貸家で、説教に余念の無かったアルメイダは、九人の洗礼者を得ることが出来た。トルレスより託された所用の事務を終えると、鹿児島の御城下へと帰って行った。

 メンドーサの南蛮船は、翌年(陰暦)の正月に、泊浦を何処へか出帆して行った。

 喜三郎にとって、それは、夢のように思われる。思えば早く、悲しく過ぎて行く。

喜三郎の後ろ姿は、明日の陽を、待っているかのようであった。

 

      <幻影>

    燃え上がる愛を

        あなたに捧げ

     尽くしても 

        届かぬ君の  

      愛は、幻の影を引く

   

    沈み行く心

        海に凭れて

     憧れて

       遠くに照らす

      恋は、幻の花と咲く 

   

    星空を見上げ

        数えてみても

     多過ぎて

        はかなく響く

      夢は、幻の露と消ゆ

 

 

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