おはら節の由来

おはら節の由来は定説的なものはないが、日向安久の安久節を起源とする説が有力である。
島津家の琉球侵攻に従軍した日向安久(現在の宮崎県都城市安久)の郷士が陣中で士気を鼓舞するために唄った歌を、「原良」の郷士たちが帰国後歌詞を作って歌った。それが、鹿児島地方一帯に広がるに及んで、「原良」に「小」をつけて「小原良節」と呼ぶようになったという。昭和8、9年頃に鹿児島出身の新橋の芸者喜代三が「鹿児島小原良節」(中山晋平作曲)としてレコード化したのがヒットして全国に流行するようになり、今日に至っている。

1.日向安久の安久節を起源とする説

  島津家の琉球侵攻に従軍した日向安久(現在の宮崎県都城市安久)の郷士
  が陣中を鼓舞するため、あるいは帰国の船中で勝利を祝って、後に「ヤッ
  サ節」と呼ばれるようになる歌を歌った。「原良」等の郷士がその歌を聞
  き覚えて、帰国後歌詞を作って歌ったところ鹿児島地方一帯に広がり、
  「原良」に「小」をつけて「小原良節」を呼ばれるようになった。

2.伊敷・原良の労作歌を元歌とする説

  伊敷・原良の娘たちが鹿児島城下に出稼ぎに行き、労働作業の合間に歌っ
  た歌が、後に座敷歌に変わり、明治の頃までに「原良節」と総称されるよ
  うになった。

3.諸大名の参勤交代の荷役方である奴者から生まれた道中唄

  「ヤッサ節(奴者節)」を元歌とするもの。
  諸大名の参勤交代の荷役方を努めた農民奴者たちの道中唄「ヤッサ節(奴
  者節)」が農民の作業唄に変身して、「おはら節」と呼ばれるようになった。

4.大隈半島の農民の唄

  古くから大隈半島一帯にあった農民の唄で、国分八幡の初牛祭を媒介とし
  て各地に広まった。

♪ 花は霧島 煙草は国分
  燃えてあがるは 桜島
♪見えた見えたよ 松原ごしに
  丸に十の字の帆が見えた
桜島には 霞がかかる
  あたいアお前様に気がかかる




 ハンヤ節の由来

ハンヤは”繁栄”の意味である、という説もありますが、単にアンヤー、イヤハー等と同じく、打ち出しの自然な掛け声と考えられています。長崎県平戸付近の田助、熊本県天草の牛深、鹿児島県の阿久根等がそれぞれ「ハンヤ節」発祥の地とされていますが、長崎県田助で船頭たちが唄った騒ぎ唄「ハンヤ節」が元祖といわれています。


♪はんやはんやで
  今朝出した船は
   どこの港についたやら
♪ はんやはんやで
  半年アくれた
   後の半年ア寝てくらす



軽快なリズムのハンヤ節




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