月

               こ
  嵐の前の晩、星は見えなかった。
  厚い天幕を透して小さなランプが灯るように
  端の欠けた月がおぼろに空に浮かんでいる。
  時折、音もなく閃光が空を走る。
  桟橋のたもとの宿屋のドアの前で、彼らは途方に暮れていた。
  こんな夜は野宿はしたくないのだが先を急がねばならなかった。
  揺れる舟の上で船頭がちらちらとこちらを窺っている。
  その向こう、広い川を越えた向こう岸に桟橋のありかを
  示す灯がかぼそく光っているのが見える。そこから
  わずかな月明かりを頼りに闇の中の小道を進んでいかなければならない。
    今、彼らを悩ましていたのは、どこからともなく漂ってくる
  おいしそうな匂い。カーテンを閉めた窓から漏れる暖かな光。
  鼻をくすぐり、久しくありつけなかったふわふわのベットの感触を
  思い出させるそれらのものは、このドアを開けさえすれば。
  誰かがごくんとのどを鳴らす音が聞こえた。

  ”…あの月が消える前に…"
  じっと空を見上げていたリーダーから耳打ちされた少年がこくんとうなずいた。
  リーダーは皆をふりむく。
  「あの月が消える前に、先に進む。」
  一瞬どよめいたが 「しょうがねえなぁ。」どこやら
  ほっとした言葉を残して、皆は小船にのりこんだ。
  「あー、ちょっと待って、もうひとり。」
  手を貸されてリュックを背負った少年もしんがりに乗りこむ。
  桟橋の柱を櫂が軽くつくと、舟は静かに岸を離れていく。
  墨を流したような川面に滑り込みその姿はすぐかき消される。
  ゆらゆら揺れる舟の上で少年は舳先にぶらさがる
  小さなランプに近づくと、リュックの中身をとりだした。
  わっとわきたつ仲間を口元を緩ませて眺めながら
  リーダーは少年からいくらか小銭をうけとり、のぞき込むとにんまりした。
  「おまえ、商売上手だな。」ぽんと肩をたたかれて照れくさそうに少年も笑う。
  やきたてのパンとチーズとエールと。
  それさえあれば川にうかぶ小舟の上でも宴が始まる。
  それが冒険者。