坂口真平

1961年5月29日、鹿児島市に生まれる。

89年2月、眼病(網膜色素変性症)を治療するため、初めて中国に渡る。
  湖南省長沙市中医学院第一付属医院に入院する。
  入院中、ラジオから流れる音楽的で美しい中国語の響きに惹かれ、独学で中国語を始める。
同年6月、天安門事件勃発のため、中国への深い想いを残しながら、治療半ばで帰国する。
  帰国後は鹿児島大学の中国人留学生について、中国語を続ける。
93年、眼病がさらに進行し、文字が見えなくなる。
94年4月、中国語の点字の状況を調べるため、北京盲人学校の校長を訪ねる。
同年9月、再び長沙に渡り、長沙盲聾唖学校の国語教師より中国語の点字を学ぶ。

94年10月、長沙市湖南師範大学に留学し、中国の民族学期二胡を学ぶ。
  同校音楽系教授 楊 長安 氏に指導を受ける。
  また、同大学の中国人学生につき、さらに中国語学習を深める。
96年10月、留学修了を記念して、同校にて二胡修了記念音楽会を開催。
  「二泉映月」、「江河水」、「江南春色」、など全11曲を演奏し、二年間の留学生活を終える。
1998年より、毎年1、2回長沙に渡り、同氏及び 陳 志堅 氏に短期で二胡のレッスンを受ける。

2000年7月、湖南省長沙にて全国二胡業余考試第八級を受験。
  「豫北叙事曲」を演奏し、“良好”の成績で合格。
2002年7月、同地にて全国二胡業余考試第九級を受験。
  「二泉映月」、「三門峡暢想曲」を演奏し、“良好”の成績で合格。
2004年7月、同地にて全国二胡業余考試第10級を受験。
  「一枝花」、「新婚別」を演奏し、“良好”の成績で合格。

2008年9月、北京中国音楽学院国楽系に在籍し、二胡を専攻。
  同学院研究生(大学院生) 蔡 露 、劉 黎 両氏に師事。
2010年6月、同学院にて二胡独奏音楽会を開催。
  二胡独奏曲のみ9曲を演奏。
    第一部:姑蘇春暁、江河水、河南小曲、寒春風曲、一枝花
    第二部:流浪者之歌(チゴイネルワイゼン)、漢宮秋月、天山風情、秋韻
2011年6月、江蘇省徐州で開催された二個芸術祭に出演し、「寒春風曲」を演奏。

2012年より、毎年短期で中国音楽学院教師 馬 可 氏に師事。
また、同年より、毎年短期で瀋陽音楽学院教師 劉 黎 氏に師事。
2020年は新型コロナウイルス広がりのため中国渡航を見合わせ、現在に至る。


5歳より、稲恒靖子氏にクラシックピアノを学ぶ。
10歳に寺薗玲子氏、15歳に西 勇恕氏にそれぞれ師事。

1977年、上京。
  東京筑波大学附属盲学校音楽科に入学し、クラシックピアノを選考。
  同校教諭海老原直秀氏の影響で音楽学に強い関心をもつ。
80年、鹿児島大学教養学部音楽科教授田中京子氏より英語、小論文を学ぶ。
81年、東海大学教養学部芸術学科に入学し、音楽学、を学ぶ。
  在学中、青山恵子氏に日本歌曲、小柴はるみ氏に民族音楽学を学ぶ。
  また、美山良夫氏の指導のもと、山田耕筰の日本歌曲全曲を分析し、「日本語と音楽との関わり」をテーマに、卒業論文を提出。

85年より、母校筑波大学附属盲学校にて非常勤講師を勤める。
  この間、ピアノ、音楽理論、ソルフェージュなどの指導を行う。
  また同校音楽科邦楽教諭 吉澤昌江氏につき三絃(三味線)を学ぶ。

同年、即興性豊かなジャズ音楽にひかれ、ミュージックスクール‘メーザーハウス’に在籍。
  佐藤允彦、板橋文夫両氏よりジャズピアノを学ぶ。

88年、帰郷し、地元鹿児島で音楽活動を開始。
同年、ジャズライブハウス‘パノニカ’にソロピアノで出演。
2002年10月より、ライブハウス‘リレット’にて、ピアノトリオでレギュラー出演。
2003年1月より、ライブ喫茶‘明日の地図’にて、ピアノトリオ、ジャズ二胡カルテットでレギュラー出演。

2004年、生田流箏曲彌生会(やよい会)の主宰を叔母 濱田彌生より引き継ぐ。

現在、坂口音楽・中国語教室を主宰。
  同教室にて、二胡、ジャズピアノ、中国語を指導。
  また、学校講演や各種イベントなどで演奏活動を行う。
生田流箏曲やよい会会員。



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