2002年3・4月 |
空にいる。 飛んでいる。 雲である。 ――私の名前は筋斗雲。 特定の住処は持たないが、ご主人だけは決まっている。 そんごくう という名のご主人が小さい頃から、私はこの背に乗せて飛んできた。 今は立派に大きくなってお嫁さんももらったけれど、ご主人は昔と変わらず私を呼んでくれる。 殆どの人間は成長するにつれて私を避けるようになるというのに。 ――なぜなら。哀しいことに邪な心は私を遠ざけてしまうからだ。 心地よい風に身を任せて漂っていると。 大地の方から訊き覚えのある声が私を呼んだ。 ! ご主人の声だ。 大急ぎで声の方まで降りると、私の姿を認めたご主人が満面の笑顔で笑っている。 「こっちこっち!ちょっくら散歩行こうぜ!」 そう言いながら身体は半分以上窓枠を乗り越え掛けていた。 私が急いで近付きご主人を背に乗せるのと、お嫁さんが追いつくのが殆ど同時。 いや。 ほんの少し私の動きの方が早かった。 ご主人をさらうようにして空に飛び上がると、大地の方からお嫁さんの声が微かに訊こえてきたが、それも一瞬で風にかき消される。 「いい風だな〜〜〜」 私の背の上で足を組み、背筋をピンと伸ばして風を受けているのが判る。 しばらく風に任せて飛んでいると、何かを見つけたご主人が身を乗り出した。 「ん?あの緑…なんだ?」 何を見つけたのだろう? 「筋斗雲。あの緑に向かってくれ」 言われなくても私は少しずつスピードを上げていた。 近付くにつれ緑が濃くなってくる。 残念なことに私はこのまま緑の中に飛び込んでは行けない。 私の気持ちを察したのか、不意にご主人が私の背から飛び出した。 「ちょっと歩いてくるからな!」 私はできるだけご主人から離れすぎない距離を保って付いていく。 時折。緑の影になってご主人が見えなくなってしまったが、そのまま消えてしまう訳はないと判っているので気にしない。 離れすぎない距離は、逆にご主人の呟きを訊こえなくしてしまったけれど、きっとお嫁さんのことでも考えているのだろう。 いつものことだからそれもあまり気にしない。 ご主人は周囲を見回しながら楽しそうに歩いていた。 そのうち。 たたたっ と軽い足音が訊こえてきた。 どうやら緑の中から出る気になったようだ。 駆け出すスピードが少しずつ上がる。 それに合わせて私も慌ててスピードを上げると、緑の出口で飛び上がったご主人を間一髪ですくい上げて上昇した。 「この緑。チチにも見せてやるんだ!」 つい。くすり と笑ってしまった。 やはり思ったとおり。 いつだってご主人はお嫁さんのことを考えいる。 私はご主人のものだけど、私の背に座ってくれるお嫁さんのことも嫌いではない。 少しお人好しなご主人と仲良く暖かい家庭を作っている。 そんな感じの人だ。 ご主人がお嫁さんを大切にする気持ちも判る。 ――家が見えてきた。 出掛けるときと同じように。――もしかしたらそのときよりももっともっと満面の笑顔でご主人は笑っているかもしれない。 心地よい風を感じながら、これからも私は飛び続けるだろう。 ご主人が望んでくれる限り。 〈おわり〉 BY:大沢 |
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