2002年2月 |
いつもと変わらない朝。いつもと変わらない食卓。 だけど。 ボクの欲しい朝じゃない。 いつもいつも考えてた。 ボクの朝には何かが足りない…。 「もっとたんと食べなきゃだめだぞ」 そう言ってお母さんが笑った。 「あ。お母さん、お代わり」 兄ちゃんがお茶碗を出した。 「学校のお勉強についていけねぇねなんてことねぇだか?」 お母さんは兄ちゃんからお茶碗を受け取った。 「うん。心配しなくても大丈夫。」 兄ちゃんはにこにこ笑いながら言った。 「そうけ?やっぱりオラの子だべ。小せぇ頃から賢かったもんなぁ」 お母さんもにこにこだ。 お母さん笑ってる… 二人を見ながらお箸を握ってぼんやりしていたボクの顔をお母さんが不思議そうに覗き込んだ。 「悟天ちゃん?ぼんやりしてどうしたんだ?お代わりはもういいだか?」 「え?あ。えーと。…食べる」 いつもと同じ筈なのに、今日は何だかお母さんの笑顔が眩しくて、お代わりするのが恥ずかしかったけど、お代わりしないのも変かなと思って茶碗を出した。 ボクの茶碗を受け取ったお母さんはにっこり笑ってほかほかのご飯をついでくれた。 「はい。悟天ちゃん」 「ありがとうお母さん」 差し出されたお茶碗を受け取ろうとしたら、お母さんの手もお茶碗も、ぐにゃり って曲がった。 あれ? 「あれ…れ……?」 「悟天ちゃん?どうかしただか?」 お母さんがびっくり顔になった。 「何泣いてるんだ?悟天」 兄ちゃんもびっくりしてる。 ボクもびっくりして、ぷるぷる頭を振った。 どうしちゃったんだろう?自分でも判んないや。 「ご、ごちそうさま…」 どうしたらいいのかわ判んなくなったボクは急いで部屋に走った。 「悟天ちゃん!?」 がたん と音がしてお母さんが立ち上がったみたいだった。でも判らない。 「お母さん。僕が」 「悟飯ちゃん。…すまねぇな」 ☆ コンコン とドアを叩く音がした。お母さんかな。 「…ばい゛……」 「悟天。入るよ」 兄ちゃんだ。 ボクはベッドに起き上がって、ぐずん と鼻をすすった。 「悟天?いきなりどうしたんだ?お母さんがびっくりしてたぞ?」 兄ちゃんはベッドに座ると、下を向いたままのボクの頭を撫でながら優しい声で言った。 「どこか痛いのか?言ってごらん?」 ぷるぷるぷる とボクは頭を振った。 涙も一緒に飛んだみたいだ。 「違うのか?何があったのか兄ちゃんに話せないことなのか?」 ボクはびっくりして顔を上げた。 だって兄ちゃんの声がすごく淋しそうだったんだもん。 ボクが顔を上げたから兄ちゃんもホッとしたみたいで、笑ってた。 でも。何だかまだ淋しそうな気がする。 「兄ちゃん……」 「何だい?」 ボクは、まだ少し残ってた涙を腕で拭きながら、ずっとずっと訊きたかったことを訊いてみようと思った。 「あのね。あのね、兄ちゃん。どうしてボクにはお父さんがいないの?」 ボクの言葉を訊いた兄ちゃんは目をまん丸に開いてびっくりしてた。 ……ボク、何か変なこと訊いたのかな? 兄ちゃんは長いこと動かなかった。 ううん。ホントはちっとも長くなんかなかったのかもしれないけど、ボクにはものすごく長い時間みたいに感じた。 そして兄ちゃんはいきなりおっきく息を吐いた。 「はぁ〜」 「兄ちゃん…?」 「あ…。ああ。ごめんな、悟天。びっくりしただろ?」 ボクはまたぷるぷるぷるって頭を振った。 兄ちゃんはちょっとの間何かを考えてたみたいだったけど、いきなりひょいとボクを抱っこして言った。 「なあ、悟天。ちょっと散歩に行かないか?」 「お散歩?」 ボクはどうして兄ちゃんがそんなことを言うのか全然判んなかった。 「うん。散歩。今日はお天気だから気持ちいいぞぅ。筋斗雲に乗ってさ。 悟天は行きたくないか?」 ん? と言うように兄ちゃんはボクの顔を覗き込んだ。 「ううん。行きたい」 良く判んなかったけど筋斗雲でお散歩するのは大好きだからボクは頷いた。 そしたら兄ちゃんはすごく嬉しそうに笑ってボクを肩に座らせると、冗談っぽく言った。 「じゃ、お坊ちゃまの気が変わらないうちに出掛けよう!」 ☆ 「おーい。筋斗雲〜〜〜ん」 兄ちゃんが呼ぶと筋斗雲はあっという間に飛んできた。 筋斗雲は最初お父さんのだったんだけど、今は兄ちゃんがもらったんだって。 そんで、今度はボクがもらう約束をしてるんだ。 ボクは兄ちゃんに抱っこされて筋斗雲に乗った。 あ!言っときますけどボク1人でだって筋斗雲に乗れるんだからね! ボクを抱っこした兄ちゃんが座ると、行き先も何も言わないのに筋斗雲が静かに浮き上がった。 「に、兄ちゃん?」 ボクがびっくりして兄ちゃんを見上げると、兄ちゃんは当たり前の顔して笑ってた。 「大丈夫。筋斗雲は何でも判ってるから」 うーん? また判んないことを言われた気がするけど、まあいいか。 飛び始めたばっかりのとき、兄ちゃんは膝の中にボクを抱っこしたまま黙って前を見てた。 ボクはどうして兄ちゃんが黙ってるのか判んなくて、何か言って欲しくて顔を見上げたら、ボクを抱っこしてた手から力が抜けた。 「兄ちゃん?」 ボクの声が訊こえたのかな?訊こえなかったのかな? 判んなくて首を捻ってたら兄ちゃんは前を向いたままで言った。 「なあ悟天。お前、お父さんに会いたいか?」 「うん!会いたい!会いたいしずっと一緒にいたいよ!!」 ボクは兄ちゃんの顔を見上げて叫んだ。 「そうだよな……。ごめんな、悟天…」 「え?どうして兄ちゃんが謝るの?」 うー。もう判んないことばっかりで頭がこんがらがっちゃうよー。 いろいろ考えてパンクしそうだったボクは、いきなり兄ちゃんに座ってた向きを変えられた。 向き合って、兄ちゃんがずっと黙ってた理由が判った。 何だか兄ちゃんは痛そうだった。どうしてそう思ったのかボクにも判んなかったけど、兄ちゃんは痛そうだったんだ。 ボクは兄ちゃんのほっぺを触りながら訊いた。 「…兄ちゃん…どっか痛いの…?」 そしたら兄ちゃんの目からぽたぽたぽたって涙が落ちてきた。 「兄ちゃん?大丈夫?どっか痛いの?」 ボクはびっくりしてほっぺを触ってた手を引っ込めた。 兄ちゃんは流れてる涙を拭かない代わりに、力一杯ボクを抱きしめた。 「悟天…。兄ちゃんの言うこと黙って訊いててくれるか?」 「う、うん」 ボクはちょっとキンチョーした。 だって、今までこんな真剣な兄ちゃんの声を訊いたことなかったんだもん。 「…悟天からお父さんを取り上げてしまったのは兄ちゃんなんだ」 「え?…どーゆーことなの?」 判んなかった。また判んなかった。 お父さんがいないことがどうして兄ちゃんのせいなの? 「兄ちゃんが小さいとき…今の悟天よりもう少し大きかったけど…その時の戦いでお父さんは死んだんだ」 うん。それはお母さんに訊いたことある。 ボクは黙って頷いた。 「お父さんはとっても強かった。強くて優しくて大きな人だった。兄ちゃんは…僕はずっとお父さんみたいになりたかった」 うん。 「僕だって修行した。でも、やっぱりお父さんは強くって、僕は全然弱くって…。僕が弱いばっかりに…お父さんは…お父さんは…」 兄ちゃんはボクをさっきよりもっと ぎゅうっ と抱きしめた。 「に、兄ちゃん苦しいよぉ〜」 「あ…ご、ごめんよ……」 ボクが痛がって暴れたら、兄ちゃんはびっくりして手を緩めてくれた。 何だか力を入れてたことを気付いてなかったみたいで、兄ちゃんもびっくりしてる。 「痛かったか?ごめんな…」 「ううん。大丈夫。話の続きして」 「うん。 えっと。僕が弱かったってとこだったね。僕が弱くてお父さんに無理させて死なせることになってしまったんだって…」 「兄ちゃん……」 そうか。兄ちゃんが痛そうな顔をしてたのはお父さんが死んだことを悲しんでいるからなんだね。 「本当はそのときのことだって悟天には話すべきだってことは判ってる。判ってるけどまだ話せない…話したくないんじゃなくて話せないんだ…辛くて悲しくて悔しくて自分が許せなくって…」 兄ちゃんは泣いていた。先刻からずっと泣き続けてた。 ボクの知らないところでずっとずっと泣いてきたんだろうなぁ。 「悟天には本当に悪いと思ってる。判ってるけどまだ話せないんだ…。でも…でもいつかちゃんと話すから。お父さんの息子として、お前の兄として、そして…孫悟空の最期を知る男として…お父さんの息子である悟天、お前にもちゃんと伝えなくちゃいけないことだからね」 そう言って顔を上げた兄ちゃんはもう泣いてなかった。 「うん!」 格好いい! ボクは頷きながら力一杯そう思った。 「だから…」 あれ?どうしたんだろう? 兄ちゃんたらせっかく格好いいと思ったのに急に元気がなくなったみたいだ。 ボクは兄ちゃんの顔を覗き込みながら訊いた。 「どうしたの?」 「う…ん。だから…あのな、悟天。兄ちゃんのこと嫌いにならないでくれるか?」 え?えぇーーー??? ボクはちょっとの間、兄ちゃんの言ってることが判んなかった。 でも判ったらびっくりして思わず叫んでた。 「どうしてそんなこと言うの?ボク兄ちゃんのこと嫌いになったりしないよ!?」 「ホントかい……?」 兄ちゃんたらどうしてこんなこと言うんだろう??? 「ホントのホントだよぉ〜!!兄ちゃんどうしちゃったの???」 ボクが首を傾げてそう言うと、兄ちゃんは ふうっ と息を吐いた。 「悟天がお父さんを知らなくて淋しい思いをすることになったのは兄ちゃんのせいだから…だから悟天に嫌われても仕方ないなぁと思ったんだ…」 ボクはびっくりするより先に呆れちゃった。 兄ちゃんたらどうしてそんなつまんないこと考えたんだろう!? ボクはちょっとハラが立って、ぽかぽかぽか と兄ちゃんの頭を叩いた。 「ばかばか。兄ちゃんのバカ!そんなことでボクが兄ちゃんを嫌いになる訳ないじゃんか!!自分の弟のこと信用してよ!!」 「悟天……」 「そんなこと言う兄ちゃん変だよ!そんなこと言うなら嫌いになっちゃうぞ!!」 ボクは兄ちゃんの膝の中から立ち上がって体の向きを変えると、腕組みをして ぷくっ と膨れて見せた。 そしたら兄ちゃんすごく焦ったみたいだ。 「あ。そ、それは困る!もう言わないから許してくれよ、悟天!な?な?」 なーんて言って背中からボクの顔を覗き込んだ。 ボクはほっぺを膨らませたままで斜め上を見上げて言った。 「ホントに?ホントにもう言わない?信じていいの?」 「ホントホント!ホントにもう言わないよ!」 ボクは少しの間どうしようかなって考えてたけど、本気で怒った訳じゃなかったからまた兄ちゃんに向き直った。 でも、腕組みしたまんま。ほっぺを膨らませる代わりに口を尖らせて。 「悟…天…?」 「もう言わないって約束してくれるなら信じてあげる」 偉そうにそう言ったボクに、兄ちゃんは本気で安心したように息を吐いた。 「ほ…。良かった。 じゃあ、帰ろうか。お母さんも待ってるから」 「うん!」 ボクはまた兄ちゃんの膝の中に座り込んだ。 帰りはボク達の気持ちを判ったのか、筋斗雲も超スピードで飛んでくれた。 「さあ。着いたぞ」 ひょい と軽く飛び降りた兄ちゃんに続こうとしたボクは、降りる前にそっと筋斗雲を撫でた。 「どうしたんだ?悟天」 兄ちゃんが不思議そうに訊いた。 ボクはにこにこ笑って兄ちゃんを見上げて言った。 「もうすぐボクの番だよって。ボクがゴシュジンサマになるんだよって言ってたの」 「ははは。念を押されちゃったな。大丈夫。筋斗雲の次のご主人様は悟天、お前だよ」 やっと楽しそうに兄ちゃんが笑ってくれた。 この顔の兄ちゃんの方がボク、好きだな。うん! 「ボク、ゴシュジンサマになるのが待ち遠しいよ!」 そう言いながらボクが降りると筋斗雲は静かに飛んで行った。 「筋斗雲〜。また遊ぼうね〜〜〜」 ボクは筋斗雲が消えた方向に手を振って叫ぶと、兄ちゃんを追い掛けて家の中に飛び込んだ。 「お母さんただいま!!」 〈おわり〉 BY:大沢 |
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