Blieve 大沢洸 |
朝が来た。 戦闘民族の血を引く孫悟空を夫に持つチチにとっては、嬉しいけれど、怖い朝。 起きあがってまず隣を見る。と同時に安堵の溜息を吐(つ)く。 今日も悟空は隣で眠ってくれた。 そんな安堵の溜息。しかしそれは不安の溜息でもある。 ――明日もオラのそばで眠ってくれるのだろうか……?―― そんな考えを振り払うように2・3度頭を振ってベッドを出ると、手早く身支度を済ませて台所に立つ。今朝は何を作ろうか。 どんなにたくさん作っても悟空はあっという間に平らげてしまう。チチにとってそれは大変だけど、嬉しさを感じるときでもある。 あれこれ考えながら、でもあまり考え込まずに手を動かしていると、 「お母さん、おはようございます」 起きてきたのは息子の悟飯だ。 まだ小さいけれど将来の夢は学者さんという、チチご自慢の息子である。 「おはよう、悟飯ちゃん。も少ししたら朝御飯の準備できるだよ。顔洗ってお父さん起こしてきてくれるだか?」 「はい。判りました」 チチに言われて悟飯が目をこすりながら台所から出て行く。 暫くして戻ってきた悟飯は、 「お母さん。お父さんご飯の前の修行に行くって言ってました」 その台詞を訊いたチチは溜息を吐きながらも手を休めず、 「まただか。仕方のねぇお父さんだな」 と、悟飯を振り返って微笑んだ。 朝食の準備ができた頃、 「おーい、今帰ったぞチチ!!ひゃー、ハラ減ったー!」 悟空が元気良く台所に飛び込んできた。 「お帰り。ちょうど今できたとこだ。――これ!!」 ぱちんッ 「あいてっ」 背中を見せている隙にほかほかの中華まんに手を伸ばした悟空を見咎めたチチがその手を叩く。 「外から帰ったら手を洗うっていつも言ってるべ!?悟飯ちゃんが真似でもしたらどうすんだ?」 「悪かったって。もうしねぇからそんなに怒んなよ。べっぴんが台なしだぞ?」 ぺちぺち そう言って悟空がチチの頬を軽く叩きながら微笑う。 途端にぼっと赤くなったチチが慌てて、 「な、ななななにワケ判んねぇコト言ってるだ。早く着替えてくるだよっ」 そんなチチの様子に、悟空は微笑いながら台所を出て行った。 着替えを済ませた悟空は、テーブルに付くと同時にもの凄い勢いで食べ始める。毎回のことなのでチチも悟飯もまるで動じない。 すると突然、珍しく食事の手を止めた悟空が、 「そうだ。なあ、チチ。オラこの前悟飯をカメハウスに連れてくって約束したんだけどメシ食ってから出掛けても良いか?」 「今日け?」 そう言いながらちらりと悟飯の方を見ると、悟飯は食事の手を止めて期待に満ちた目をチチの方に向けている。その顔を見たチチは笑いながら、 「そうだなぁ。今日は特に予定もねぇし、久しぶりに大掃除してぇから出掛けてくれた方が都合が良いだよ、うん」 「ホント?お母さん。ボク、おでかけしてもいいの?」 チチの台詞に悟飯が飛び上がらんばかりに喜ぶ。 「ホントだよ、悟飯ちゃん。ただし、今日の分のお勉強は明日頑張ってやるってお約束できたらな」 「できます!ボクがんばります!わーいわーい」 食事もそっちのけではしゃぐ悟飯を何とかなだめたチチは、悟空に向かってクギを刺す。 「ええか、悟空さ。今日は特別だで大目に見るだが、あんまし遅くならねぇようにするだよ?」 「判ってるって」 答える悟空も何だか嬉しそうだ。 2人を送り出したあと、食器の後片づけ。家の中の大掃除。 次から次へと出てくる仕事を機械的に片付けながらも、悟空のことが気に掛かる。 ちゃんと自分の元に戻ってきてくれるのだろうか? またいつもと同じ不安に駆られる。悟空が出掛けてしまうといつもそうだ。 ――でも、大丈夫だ。今日は大丈夫。悟飯ちゃんも一緒だしな……―― 自分を落ち着かせるように呟く。 なのに何故か胸騒ぎがする。 突然ぱたりと手が止まり、それ以上動けなくなっていた。理由のない不安がぐるぐるぐるぐる頭を巡る。 イスに崩れ落ちるように腰掛けて、押し寄せてくる不安から自分を守るように両手で体を抱きしめる。 どのぐらいそうしていただろうか。 突然。 「チ〜チ」 「悟空さ!?」 慌てて顔を上げる。どうやら眠り込んでしまっていたらしい。 そこにはにこやかな顔で笑っている悟空がいた。 でも何故か雰囲気が違う。 「チ〜チ」 「もう帰ってきただか?オラ眠り込んじまってただな。すぐに夕飯の支度すっからも少し待っててくれ」 普段と違う悟空の口調に戸惑ったのか、チチは慌てて言い訳しながら立ち上がると台所に向かう。 「武天老師さまはお元気だっただか?」 悟空に背中を向けたままでそう訊くチチ。 ふわっ。 しかし悟空は返事の代わりにいきなり背中からチチを抱きしめた。 驚いて顔を動かそうとするチチの耳元で、 「オラ、ぜってー帰ってくるからな」 「?ナニ言ってるだ?」 「オラが帰ってくるのはここだって、チチのいるこの家がオラの居場所だってこと忘れねぇから、チチもオラのこと信じて待っててくれ」 「あ、当たり前ぇじゃねぇか。悟空さの家はここしかねぇべ?」 「そうだな」 ふっ と悟空の気配が消えた。 「悟空さ!?」 慌てて振り返るチチ。しかし部屋の中の何処にも悟空のいた気配はなかった。 「悟空さぁ!!」 叫んだ途端に目が覚めた。夢だったのだ。 「嫌な夢だべ」 チチが眠気を振り払うように軽く頭を振った、そのときである。 何の前触れもなく訪れたクリリンから悟空の死を訊かされた。 しかも、大事な一人息子の悟飯までもが修行のためにピッコロ大魔王に連れて行かれたというではないか。 ぐらり チチは目の前が真っ暗になった。 「チチさん!?」 倒れ掛けたチチをクリリンが慌てて支えようと手を伸ばす。 しかし、チチはその手にすがるより前に泣き出してしまったのだ。 泣いて泣いて泣いて。 クリリンは掛ける台詞も見つけられず立ちつくしている。 どのくらい泣いていただろうか。 ようやく泣き止めたチチは顔を上げて呟いた。 「チチさん、大丈夫ですか?」 心配そうに顔を覗き込むクリリンに、 「何ともねぇだよ。オラ、でーじょうぶだから」 「でも、顔色が悪いですよ」 クリリンの台詞に頭を振ると、チチは台詞を続けた。 「オラ実は、先刻まで悟空さの夢見てたんだ。悟空さ言ってただ。ぜってー帰ってくるから信じて待ってろって。だからオラ、悟空さのこと待ってるだ」 「チチさん…」 目を真っ赤に泣き腫らしてはいたが、チチの口調はしっかりしていた。 一瞬、悲しみのあまり、チチがおかしくなってしまったのではないかと疑いそうになったクリリンも、 「判りました。じゃあ何かあったら遠慮なく言ってくださいね」 「申し訳ねぇだな、しんぺー掛けちまって」 と弱々しく笑うチチに、心配そうな笑顔を残して帰って行った。 クリリンを見送ったチチは、空を見上げて呟いた。 「信じてる。信じてるだよ、悟空さ。悟空さも、悟飯ちゃんも無事に帰ってきてくれ るって信じてるからな」 〈おわり〉 |
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